明暗・強弱・対比の世界からの卒業

明暗、
強弱、
表裏。
対比の世界。
味わい尽くしましたでしょうか。
堪能したのなら、感謝とともに手放す意思表示を。
心に描く波動は、思いのほか他の人に伝わります。
わざと「嫌がらせ」をすれば、その通りの波長が届きます。
そして、
心にもない...状態で「綺麗ごと」だけを掲げるならば、虚栄心そのままの波長が伝わります。
また、
見てくれだけの綺麗ごとを取り繕って自己アピールすれば、その「ひん曲がった」波動のままに伝わります。
人に判るわけがないやろ!
というのは、本人だけの思い過ごし。
ものの見事にエネルギー波動が振幅し、周囲へと拡大しています。
まるで、池に広がる波紋のように。
もはや、そういう時代になっています。すでにそのレベルの世界へ突入したのです。
それは、
心臓から発せられていることが解明されてきました。そのパワーは強大で四方八方へ波動を放っているとされます。
だから、
心を込めて。と語るときには「両手を胸の前で合わせてその氣を」大切に包み込んできたのです。
(諸外国では、額の辺り=The 3rd Eye Chakraを指す事例もあるようです。)
さらには、
距離も時間も超越し、遠隔地でさえその周波数が一致するならば「瞬時に」共振・共鳴を起こします。
これは、奇妙で頭の狂った精神論でも何でもなく、物理法則そのもの。揺るぎない仕組みです。
あんたはアタマがおかしい、と横目でしか見てこなかった人のほうが狂っていたことを知りましょう。
そのような誤った古い価値観から早く「軌道修正」をなさいませんと、もう氣がついている人たちが急増しているのですから、アッという間に置いてきぼりを喰らいます。
特にこの国の人たちは、これまでの習性そのままに平均的・偏差値的なボリュームゾーンを意識していますから、過半数に達した側の「意見」に迎合するクセがあります。
こっち側が優位だ!と見極めるや否や、掌を返して新たな波動に収束してゆくはず。
それは、今回・この期においてはよい意味で集合意識の拡大に寄与するでしょう。
明暗・強弱。
その対比の世界。
堪能し尽くしたなら、この先に維持したい周波数だけを選択する。
選択こそが意志表示。
その選択が、望ましい近未来を生み出してゆきます。
俯瞰する能力を取り戻せ

何ごともバランスが必要だと知らせてくれる日々。
冥王星の逆行が終了し、負のエネルギーを細部まで抉り出し炙り出す時期を乗り越えたのではないかと感じます。
ミクロ的な視点ばかりでは大局が読めず、氣がつけば泥沼に両足をとられてしまいます。
とは言え、外枠だけを見ていては細部に隠された仕組みを知ることが叶いません。
ともにバランス感覚を持つことの重要性を知ります。
この感覚が「中道」という言葉によって伝えられてきたのかもしれません。
両極にある「二つのもの」を超越する。
それぞれの中間・間にあるからどちらでもない。という物理的物質的観点ではなく、二極化・分離・対立のどちらでもないという境地へ至る、その究極の感覚を学ぶのだと。
ミクロ的・スポット的に「揚げ足を取り」他人と自分を比較し人より自分が優れている、といったエネルギーを良しとする感覚に慣れすぎ麻痺してしまった、これまでの生き方から脱する時期を迎えています。
自己顕示欲の塊。
自己承認欲求の波動が人の体をとった権化。
ある時には、それは歪曲され、結果として「人へ嫌がらせ」を行う形となり、
またある瞬間には、それは「見てくれだけを飾り立てた」見せかけの親切や丁寧さ、形だけの綺麗ごとを表現するばかりであったこれまでの世を、一切合切立て直しするために。
いま、大局を俯瞰し、これまでのエネルギー波動とバランスをとる時間を迎えたように思います。
その感覚こそが、中道へ・悟りへと至る道であることを知ります。
「身の丈」それが魂レベル

身の丈に合った生き方。
そんな言葉があります。
自分の背の高さのままに。と、文字通り読むことができます。
そして、
そこから、分相応・無理をしない。必要以上に背伸びをしない。
と、意味を拡大してゆきます。
見てくれだけを偽って強く見せる。
表面上だけ綺麗事で飾り立てる。
そんな世。
もう終わりました。
身の丈。
まさに、これこそが「御靈相応」「身魂相応」を指し示し・自分の丈で生きなさい、との教えだったと氣がつきます。
さらに派生して、そこにあるがまま。偽りのない生き方。と解釈は拡大してゆきます。
ここにも、言靈の力が及ぶことを知り得ます。
おそらく、100人中100人ともに決して注目することのない道端に生きる存在。
ひっそりと、しかし無理なく自分らしく、そこに生きています。
身の丈相応。
それが魂レベル。
その現在視点から、さらなる拡大進化・成長を果たすよう磨き続ける。
それが魂の仕組み。それが役目だからです。