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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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心で感じる時代へご一緒に

心を映す空の意識 photo 宮本章光

当記事も含めここしばらく事前作成記事の予約投稿を続けています。


心で感じる時代へ。

いつまでも旧世界で踊り続ける方々、さようなら。
ポジティブごっこ遊びで負のエネルギーに蓋をし見て見ぬふりをする方々、階段を上がる意思をお持ちなら、早急に対(つい)の存在を等しく受け入れ浄化を。


もう説明の必要もありませんし、意識を拡大すればそれとなく・なんとなく理解できるような感覚が来るようになっています。
氣のせい...でしょうか。
そうです、氣のせいです。氣のエネルギーということでしょう。
氣を感じるとは、そうしたよくわからないけれども、反対側の「Bという」エネルギーではないことだけははっきりと感じる。
結局、消去法で、それとは反対側にある「Aという」エネルギーだな、と理解することができるようになってきます。

あとは、もう少し練習を積んで明確な感覚として受け止められるように。
いえ、難しい理屈は必要ありませんし、理論も法則も知らなくて良い、というその感覚。
感じる、とは、これだ。とストレートに通じるエネルギーです。

もちろん、その前にアンテナとなる意識の入れ物である自分の体を健全に保つこと。そのためには口にするものがまず最初にありき、です。
しかし、いつまでも旧態依然とした生活を続け、医療のワナ・泥沼に自らハマって行き、さらに輪をかけて深みに突っ込んでゆく残念で哀れな選択は、ここで選別される(すでに選別されている)という現実があります。
大変失礼で、かつ残酷極まりない言い方ですが、それはご本人が決めたことでありご本人にとって必要な今世の体験でした。
背負った因果は、来世以降に解消すべく学びを繰り返してください。

氣のせい...だろ。
はい、氣のせい。氣のエネルギーです。
もはや、言葉の持つ意味、その違いさえも双方で相いれなくなりました。

心で感じる時代。
すべての生き物とともに創造し役目を果たしてまいりましょう。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

カタカムナウタヒ第7首

Iitate2019_img_0030.jpg

【カタカムナウタヒ7首】

マカタマ ノ
アマノミナカヌシ
タカミムスヒ
カムミムスヒ
ミスマル ノ タマ

5首6首に続き7首です。
世にはさまざまな情報があります。必要に応じてお調べになってください。

この世は、目に見えるものだけが存在しているのではないこと、すでに理解は進んでいることと思います。
そもそも「目に見える」とは可視光線の周波数帯域にしか過ぎないのですから。
何ら強制しませんし、肯定も否定もありません。

すべては繋がり輪廻に組み入れられる。
量子から宇宙へ、すべては繋がっています。
意識という存在そのものが本質であり、固有の振動数を持っていること。
エネルギースカラー場を、大自然の中に感じることができますか。

伝わる方へ、何らかの波長に同期するものがありましたら嬉しく思います。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

カタカムナウタヒ第6首

飯舘村きこりの秋 photo 宮本章光

【カタカムナウタヒ6首】

ソラニモロケセ
ユエヌオヲ
ハエツヰネホン
カタカムナ

前投稿に続き6首です。
世にはさまざまな情報があります。必要に応じてお調べになってください。

この世は、目に見えるものだけが存在しているのではないこと、すでに理解は進んでいることと思います。
そもそも「目に見える」とは可視光線の周波数帯域にしか過ぎないのですから。
何ら強制しませんし、肯定も否定もありません。

葉を落としその実体は大地に戻る。
そして、大地のエネルギーとして役目を果たし再び地上に花開く。
素粒子レベルから宇宙に至るまで、すべてが相似形であり且つ延々と続くその巡り。

伝わる方へ、何らかの波長に同期するものがありましたら嬉しく思います。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

カタカムナウタヒ第5首

飯舘の素晴らしい仲間たち photo 宮本章光

【カタカムナウタヒ5首】

ヒフミヨイ
マワリテメクル
ムナヤコト
アウノスヘシレ
カタチサキ

さまざまな情報があります。
必要に応じてお調べになってください。

この世は、目に見えるものだけが存在しているのではないこと、すでに理解は進んでいることと思います。
そもそも「目に見える」とは可視光線の周波数帯域にしか過ぎないのですから。
何ら強制しませんし、肯定も否定もありません。

この木に巻きつく様子を見ていますと、ここにも対(つい)を成している姿があるのではないかと氣がつきました。
伝わる方へ、何らかの波長に同期するものがありましたら嬉しく思います。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「模様」は周波数に同期する「意識」

I飯舘村 古民家の囲炉裏 photo 宮本章光

日本古来の囲炉裏には、その中の「灰に模様を描く」習慣があったように記憶しています。
それは火鉢の中の灰や七輪の中の灰でも存在していたようです。

実際に囲炉裏を囲む生活をした経験はありません。しかし、そうした環境に出会った機会には、まるで日本庭園の玉砂利で描かれた美しい造形のように感じる「絵」を見た記憶があるのです。

囲炉裏の灰に模様を描く理由については、さらっと調べる程度では、なかなかその情報に辿り着けませんし、現在ではその習慣自体が消滅しかかっているような印象です。
ですが、
今になって感じるのは、模様とは「特定の周波数」を示しているという事実についてです。


このところ、宇宙とのつながりを語る情報が増えてきていますので、特定の「音の周波数」と共鳴するものは模様を作り出す、といった映像がよく目につきます。
○○○Hzの音を響かせると、実験の板の上に撒いた砂のような粒子が美しい模様として現れる。というあの動画です。(一度じっくりとお調べになってください。感動ものだと思います。北の丸公園にある科学技術館にも体験模型があったかと。)

特定の周波数は、その周波数に合致した模様を持っているのです。
いえ、言い方が反対なのかもしれません(わたしもまだ勉強途上です)。モノ・生命はそれぞれ固有の模様がありそれが固有の周波数で振動している、と。
上記の実験は音の周波数という括りで行っていますが、ここで感じることは「あらゆる生命・物も含めて固有の振動数を持っている」ということなのです。

太陽系の惑星それぞれについても固有の振動数を持っているとされ、地球の場合はその振動数を発見した人の名からシューマン共振、と呼ばれていることはご存知の方も多いはずです。昨今は、その振動数が極めて高くなっている様子です。
そして、
この固有の振動こそが「意識」である、と考えて良いのではないかと。

もう何度も重ねて書いてきています。
権力者が支配するために、このような目に見えない部分の感覚・感性が、ことごとく破壊されてしまった現在のわたしたち。とりわけ日本人はその傾向が強く、激しくスポイルされているように思われます。
それは、こうした目に見えない能力がひときわ高い民族だったからでしょう。

いま、激しく心に響き大きく頷いています。模様とは「意識を可視化」した結果だったのではないでしょうか。
そして、可視化しなくても、すべての物質までも含めた存在は、固有の周波数という振動により「意識」を持っているのだと。
やっとここまで辿り着きました。

囲炉裏の灰に美しい模様を描いたのは、
その「囲炉裏の神様」に対し敬意を表し感謝の気持ちを伝え、模様という可視化された意識と同期することにより目に見えない次元と繋がる体験をしていたのではないでしょうか。

次から次へと、失われていた感覚を取り戻している印象です。そしてそれが激しく加速しています。
この場で同期できる皆さまへも、この感覚を伝えたく今日も綴ります。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

時間と空間を超越する感覚

飯舘村の自然と語り合う photo 宮本章光

まる3年前、2018年10月25日。
多くの木々と出会えた森。

太い幹の木を除き、もうその実体は存在していないかもしれません。あるいはもっと大きく太く成長しているでしょうか。
画像データとして残っている当時のその姿に触れますと、その瞬間の空気感が見事に甦ります。

この日は講師の立場だったこともあり、木々との会話をする余裕はまったくありませんでした。
しかし3年の時間が経っても、その画像から得られる波長にこちらから合わせてゆくことでコミュニケーションが可能になる体験をしています。

そこに息づく植物の波動は、時間と距離を超えて、その瞬間の体感温度やその場の匂いまで鮮明に呼び戻します。
時間と空間を超越するとは、こういう感覚なのかもしれません。

何度も書き続けています。
--そんなもの氣のせいだろう。
--木と会話できるわけがない、それに写真は過去の単なるデータに過ぎない。
そう思う人は、そのような現実になります。
「氣のせい」とは、氣というエネルギーによってその波長に同期したことを感じる現象だったはずです。
権力者により、何もかもダメにされたわたしたちの「感覚」。

それは、自分自身の意思によって「復活」させないことには、誰も取り戻してくれることはありません。
考えずに感じる。
まさに、こういうことではないのでしょうか。
SF映画のように、体が宙に浮いて氣がつけば桃源郷に立っていた...なんてことはないのですから。

新しい世界を築くために共に歩む生命との会話を大切に。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


---- 追記 ----
◆2018年10月25日:ツアー1日目の記録(抜粋)は以下note.comにも掲載しています。


◆2018年10月26日:ツアー2日目の記録(抜粋)は以下note.comにも掲載しています。

宇宙人なんて...と語る人の末路

空に踊る龍の印象 photo 宮本章光

宇宙人だ?
そんなもの居るわけないだろ。

はい、もう聞き飽きました。
それに、各自が思う通りの現実が具現化する・それぞれ個々人の意識が目の前に創造されるのですから、居ないと思えば永遠に居ないタイムラインが実現し続けます。
自分が思う通りの世の中になるわけです。もう語り尽くされてきました。
ですので、その方にとっては居るわけない、ということで正解でしょう。

それならば、
---居るわけねぇだろ!そんな暇があるのなら1円でも売上あげてこい!
---居るわけないやろ!さっさと宿題やりなさい!
と、発言する方々がそれぞれの意識によって創り出す近未来はどうなるのでしょうか。
彼らの末路である「終末」のタイムラインはもうすでに存在し、それを回避するためにわたしたちは働いているのだ、と伝えられているのです。

ゼータレティクルのグレイが1960年代の地球に来て語ったこと、まさにそのものではないのか、ということです。
それについてもFakeだ、と仰るのも、これまた自由です。
誰も肯定も否定もしません。その意見はそれぞれ個々人の自由なので尊重します。


近未来、それは指折り数えられるほど、とも語られているのはもう何度も耳にし聞き飽きたことでしょう。
以下考察してみます。
あくまでもわたし個人のイメージに過ぎず、なんら検証を行ったものではありませんし、なんら強要するものもありません。この点は先にお断りしておきます。
ですが、終末のタイムラインはもう存在していること。数多くの情報が存在しています、その情報そのものが多数あること自体は事実ですから。

まず、
現在の世の中の混乱はさらに深刻度を深め、ついに権力者のNWO(NweWorldOrder)が現実となります。日本でいうのならムーンショット計画に向かってSDGsが一つづつ現実になるに違いありません。
いえ、もうそのステップは進んでいますし現実になっています。
ご自身の意思によりご自身の体に毒物に加え管理される識別素子を入れ、権力者にコントロールされることを望んだ人たちがもうこの国の半数を超えているのですから。
そして、
いつまでも数を追い数を拡大すること、金銭的に裕福になることが偉いとされた貨幣経済にしがみついたまま。お金の恐怖を手放すことさえもせずいつまでもそこに縛られたままです。
会社のため、会社の看板のため。という大義名分に自分の意識を束縛されたまま、そのこと自体にも氣がついていらっしゃらない。
何より、SDGsの虹色のバッジをスーツの胸に誇らしげに掲げている時点で、もう忠誠を誓う奴隷そのものです。

続いて、自らの肉体が内側から腐り始める人が(そろそろ)出てきます。
残念ながら?それとも幸いに?、生理食塩水に「当たった」人は生きながらえるかもしれませんが、それも長くは続きません。
「自分は何も反応は出ていないしね、それ効いてない説もあるけどさ。」だとかなんとか...。

この段階で九死に一生を得た「救い」を受けたにも関わらずその恩に感謝もせず、さらに愚かなネガな因果を積み重ねます。
添加物まみれの食べ物を口にし続け、それをSNSに流して遊んでいるうちはまだ序の口、いずれ体が音を上げます。
そして、今世で自らの肉体に対する最高管理責任者の任務を遂行できなかったという大きな因果を背負い、来世以降にその解消に苦しむことになります。

この次は、地球が怒りを爆発させてくるフェーズでしょうか。
初めのうちは、さほど大きな天変地異にはならないのかもしれませんが、ある日突然、ポールシフトが起きることになります。
2,000m級の大津波が全地球の地表を襲い、すべての生命は消滅する、といった状態になるのかもしれません。
過去からこうやって文明は滅び跡形もなく消え去った。と伝えられている通りでしょう。もちろん諸説ありますし、何を信用するかは個々人の自由です。
ですが、もしそうならなかったとしても、驚愕の結末が待っているはずです。
メディアだけを妄信する方々は、某国の「前大統領」はメディアによって作り上げられた通りに「悪者」だと思い込んでいるのですから、その集合意識の通りに、その悪者が最後に「核のボタン」を押してこの惑星は再起不能の破滅に至ります。


これは、いまの時点ではあくまでも妄想のレベルです。
ですがよく考えてください。
自分の意識が、自分の考えていることが、その通りに現実になるのです。
そして、
すでに数多く語られている通り、その「終末」はもうすぐそこに迫っている現実です。
このタイムラインの行き着く先にある、感情を捨て去った人類の末裔であるグレイがその「終末」の大津波が具現化する事実を語り、そして某大統領が核のボタンを押すことですべてが滅亡した、というタイムラインが存在していることを教えてくれているのです。

メディアに踊らされ、ネガティブ波動に常に晒されそれに翻弄されている限り、無限のネガティブスパイラルに永遠に飲まれ続けます。
上記のようなシナリオは、その波動を維持し続ける人たちが「具現化・現実化」させてしまう確率は極めて高いように感じます。
いえ繰り返しになりますが、
そのタイムラインはもう存在しており、そこには、時系列に沿って現実になるかならないか。といったレベルの物質次元の認識とは異なる世界があるのです。


それならば、何をどうすれば良いのか。
もう答えは一つだけでしょう。
「宇宙人なんて!」というその言葉、その発言が、人間の傲慢さを示していることに目を覚ましたいものです。
終末の世界を望まない人たち、わたしたちは...。
望ましい近未来を、わたしたち自身の意識によって創り上げてまいりましょう。「終末」を見ない世界を、です。
他星系生命たる宇宙の家族とともに発展してゆく世の中を。です。
これが、わたしたちの役目であり、いま求められている意識の使いこなしだと考えています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

大建て直しが来ることを告げて

飯舘村の個人所有林にて photo 宮本章光

全村避難が解除されてからの飯舘の私有林にお伺いして。
この日、いまから約二年前の2019年の秋。

山に案内された直後から、この地から発せられる強烈な氣:森のエネルギーを受け取っていました。
あまりにも強烈なため、何か騒音の中にいるような感覚にさえ感じたことを鮮明に記憶しています。
木々が大挙してメッセージを送ってくる。とてもおしゃべりな木々ばかりが個々に口々に話してくる。そのような感覚です。
中には、もうそのライフサイクルを終えた木々もあるとともに、長大な歴史の証人たる木々の群れでした。

それから約2年後となる今、データファイルを確認していますとこの画像が再び目に止まりました。
これは一眼レフではなくスマホでしたが、シャッターを押した記憶さえも消えてしまっていた画像です。
しかし、
彼らがその時に伝えてくれていたこと、それが2年経過してから判りました。「世の中の大転換期が来るぞ」と。
「とんでもない混乱がやってくる」
「しかしそれは地球の大建て直しのためのもの」
「もう死んだ仲間も多いが残された自分たちとともに新しい時代を築こう」

そのように口々に、騒々しいほどにエネルギーを送ってきていたのだ、と。
当時はここまで理解することができなかったものの、二年間の時間の経過とともにここに刻まれたメッセージとして受け取ることができました。

な〜に、氣のせいさ。馬鹿言うんじゃない、木々の言葉が判るわけねぇだろうよ。
とおっしゃる方はそれで構いません。
残念ながらこうした波動を受け取り解釈する能力がまだスポイルされたままなのですね。あぁ別の行き先の列車の乗客様でしたか。
はい、さようなら〜。

わたしは、ここで同期可能な皆さまとともに、そして彼ら木々とともに新しい地球を創造するために尽力します。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

目も心も休めてください

飯舘村の秋 photo 宮本章光

難しいことを難しく書く。
それはわたしの役目ではない、と認識しています。

目と心と、ともに休められる絵をご覧いただくこと。
これがいま求められている役目だと感じています。

仲間であり友である大自然のエネルギーを感じながら、ともに語れる日を心に描き続けてください。
心に描いた意識の力が、これから先の近未来を創り出すのですから。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

語りかければ応えてくれる

飯舘村の道端に佇む老木 photo 宮本章光

ワケあり果物、かなり重い展開になってしまったので、ここで仕切り直しを。

道端に佇む老木。
2019年この日はかなり冷えました。車外に出ると体が震え、指先は手袋がないと数分経たず凍りつくように感じるレベル。

道沿いに佇むその小さな一山。
すぐ横の道を走る車はほとんどなく滅多に見かけません。
何十年、あるいは百年超えの単位でこの場を眺めていたに違いないこの木々の一集落。

何らかのエネルギーを発しており、それを感じたからこそ、この記録が存在しています。
逆に、何かを語りかければそれに応えてくれます。
同じ地に生きる生命であり仲間なのですから。

木々の魂は、もう人間と付き合いするのは限界だ、と伝えてきているという論説もあります。
すでに新次元に大半は移行し抜け殻だけだ。とも。
語りかければそれに応えてくれる多くの仲間を大切にし、共に新しい世界を築きあげてゆきましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ワケあり果物とそれぞれの役目

果物の秋 photo 宮本章光

この地は二極化・二元化の地。と呼ばれます。
ですが単純に二つに分類されるものではなく、70億人の人それぞれに70億通りに多極化している現在の状況です。

先般、ワケあり果物の存在価値について書きました。
【ワケありリンゴの存在価値】[Link]

すべてが主役でなくとも、それぞれに存在意義があり役目がある。と氣がつけば自分の役目も明確になるのでは。という視点での考察でした。
「役目」という言葉が重すぎるのであれば、「勉強する項目」とでも置き換えるのが良いのかもしれません。
この地に転生している理由は、善と悪・プラスとマイナス・光と影など、対(つい)になるそれぞれの立場とそのエネルギーを学ぶためだったはずです。
ですが、もう学びを重ねる時期は終わりを迎えていますよ、と伝えられているのです。

この卒業のタイミングを感じ取ることをしない(できない)人は、「いつまでも勉強部屋で学び続ける」永遠のループに留まったままで、永遠にそこから卒業せずに永遠に抜け出そうとしません。
単にそれは「氣づき」といったような軽い言葉でスルーされがちですが、自分で目を覚さない=もっと学び続けたいという意志表示なのであり、自分の意思によって抜け出さなければ新たな成長のレイヤーには移れない、ということです。


氣がついた人=この地を卒業し新たな成長を自ら求める人。
氣がつなかい人=自分で氣がつくまで永遠のループの中で永遠に学び続ける人。
というこの図式。

少なくともこの場で感覚的に同期が可能な皆さまは、前者に属する方々ではないかと思っています。
前者のグループならば「この地において旧来の学びを今後も続ける必要はない」と伝えられている通りです。
そして、
このグループの人たちは、眠り続けていた人が「目を覚まし自分から起き上がり且つ助けを求めてきた時」に限って、救いの手を差し伸べれば良いとも伝えられているのです。
眠り続けたい、といった脚本(それは自分自身で書き上げたもの)を持って生まれ今世を生きている人たちは、必ずその脚本通りに人生を送ります。
それを第三者が勝手に変更することなど絶対に許されないと同時に、大切な「眠り続けることによって学ぶ」機会を奪ってしまうことにさえなりかねません。

そして、その眠り続けることによって学ぶ人たちは、以降、この地でその学び継続する希望は叶わないのですから、肉体を滅ぼすことにより次のステップに進むのです。
言葉を置き換えるならば「死んで今世の過ちを学ぶ」ということです。

ですが、自分から目を覚まし新たな世界を創るという新レイヤーに移りたいと希望を持つ人たち(わたしたち)は、肉体を滅ぼす必要はありません。この地での学びは終えたとされていますし(心底の浄化はまだ残っていると思います:急務です)、肉体を滅ぼすことによる負の因果を背負う必要などどこにもありません。
まして、混乱とともに叫び続け、ネガな波動に自分から落ち込んで行き、同等のエネルギーを撒き散らす行為はまったくの正反対なのですから。
尤も、どちらが良いのか良くないのか、といった判断は無く、ともに必要な対(つい)の体験、対のエネルギーである点は尊重したいものです。

ですから、それぞれの役目に相応しい役、前者ならば新しい世界を創り出すための望ましい青写真を常に描き続けそのエネルギーを拡大・伝播させましょう。と語られているのです。
前者のグループの人たちは、それが役目なのです。
その意識のエネルギーによって目の前の現実が創り出されることを再認識するとともに、もう一度自らの役目を明確にする時期です。


ワケあり果物は、見た目の派手さは皆無かもしれません。スポットライトを浴びる舞台にも立ちません。
ですが、
だからこそ、普段の生活で十分に味わって食べてもらえるととともに、十分に感謝の気持ちも受け取ることが可能になるのだろう、と感じます。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

人間の役目を果たすにはどうする?

飯舘で出会う木の実 photo 宮本章光

人間の役目とは何でしょうか。

植物は成長に合わせ、実・果実となる成果を生み、種の保存とともにそれを食する生命にエネルギーを与えます。
動物も然り。それぞれの種がそれぞれの存在意義を生み出しています。

では、人間の役目は何だったのでしょうか。
そうした本当の目的を忘れ去り、地球を痛めつけ仲間である他の動物を虐待あるいは殺傷、もしくは感謝の意識からかけ離れた食料としてしか認識せず我が世の天下を謳っているだけかもしれません。
しかし、
それは、一部特定の権力者が大多数を奴隷化・従属化させる目的で洗脳、いえ元を辿ればDNA操作されてしまった結果でした。

ここに氣がついたのなら、その狂った世界を矯正する方向に行動するのは正しい道に違いありません。
ところが、ここでもう一段、いえもう三段か四段ほど階段を上る必要があります。
「目の前に広がる風景は、エネルギー体であるわたしたちの意識が創り出した虚像である。」というところにまで、です。
そして、
その意識というエネルギーは、物質としての肉体の行動に比較して数万倍もの影響力がある、と伝えられているのです。
汗水垂らして走り回るのが美徳...という考え自体が、奴隷化・従属化の洗脳だったのですから、いつまでもその檻の中で走り回る愚かさに目覚め、意識たるエネルギーの「使いこなし」を体得することが急務なのです。

もう十分に理解できている方々ばかりだと考えていましたが、どうやらそうではない様子が「感覚的に」判るようになってきました。
いつまでも檻の中に囚われている状態から脱して、意識のエネルギーを使いこなしていただきたいのです。

それは、ポジティブごっこ遊びのレベルではなく、プラスもマイナスも共にです。
それは、ポジティブごっこ遊びの感覚ではなく、善も悪もともに認め受け入れることによって、です。
単に、ネガティブ要素に蓋をして見えないフリをしているだけでは根本の解決にならないどころか、百害あって一利なし。だと。
自分もつい最近まで大失敗してきましたので、ここで矯正に入っています。


迷ったら、理解に苦しんだら。その時には植物を見習う。あるいは身近な動物を見習う。
これが答えを「感じる」ためのショートカットだと思っています。

わたしは、この地では音楽演奏家の過去世があった、とともに、エジプト時代には占星術に携わり、根源は他星系での第一第二密度生命の研究者だった、と何度も何度も夢の中で告げられてきました。
だからこそ植物に訊く。それが最も近道だと感じるのだと思っています。

現世で人間の役目を果たすためには身近な生命に教えを乞い見習い、そして意識:エネルギーの力を目一杯拡大してください。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ワケありリンゴの存在価値

ワケあり林檎 photo 宮本章光

世の中にはワケあり商品と呼ばれるものが多数あります。
この林檎もワケありとして販売されていたもののようです。

何がワケありなのか、それは見た目に傷が多いからかもしれませんし、形が整っていないからかもしれません。
または1シーズン前の作物でしょうか。あるいは、見た目以外の要因があるのかもしれません。
もちろん、目には見えない成育過程で不具合があったり農薬の基準を超えていただとか、そういった原因もあるのかもしれません。
しかし実際に、味に目立った変化はありませんでしたし、胃に納めてからも不調を起こすことはありませんでした。
(体内に蓄積されるよくないものは、目に見えない・味で認識できない以上完全否定はできませんが、それを言うのなら、他のメインストリームの食品はさらに酷いことになっている現状を知ることが先です。)

ここで意識したいのは、
日本では、この「ワケあり」の言葉をうまく使って、廃棄せずに消費に廻るような仕組みがあることです。
当然、廃棄率の情報を調べたのならば、ワケありを消費するどころでは済まない、激しく酷い現状も見えてくる点は否定できません。
ですが、もったいないといった感覚を持つ独自の文化は大切にしたいと感じています。


混乱の世の中は、フォーカスを外している限り感じなくなってきています。
そして、多く伝えられているように「予定通り」に物事は進行していることを100パーセント信じ切って過ごしましょう。
自分の役目は何なのか。
「望ましい:希望する実現させたい風景」を描き、心の底からそれを願うこと。
これこそが、いま最終コーナーを抜けてゴールを目前に控えたわたしたちにできることではないでしょうか。

このワケあり林檎のように、それが主役として表舞台に立てなくとも果実として人の役に立つ。といった役目を果たす大切さをいま一度考えてみたいものです。
人それぞれに役目があり、人それぞれが「自ら描いた脚本」に沿って今世を生きているのですから。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「食」は最も基本であり最後の砦

飯舘村大倉地区でご馳走になった食事 photo 宮本章光

世の中の大建て直し。
その意味が十分に理解できている方々がこの場でご縁があると思っています。

貨幣経済・物質社会が限界に達しその栄華の終焉を迎えています。
そしてその基盤を強固にするために周到に仕組まれた、教育という名の洗脳から科学や医療という名の虚栄、そしてメディアによるプロパガンダから宗教による支配まで、すべてが音を立てて崩れはじめています。
その一部始終を実地に体験するために自分から希望してこの期にやってきているわたしたちです。


以前の記事で、フェーズ1から6まで勝手な分類をしました。
【そろそろ「時間切れ」のようです】[Link]
(あくまでも独断によるもので何ら検証もしませんし強制もいたしません)

--支配者による世の裏側を知った時点でフェーズ1。
--狂った現実を知れ、と他者へ伝え奔走するのはフェーズ2。
--魂と宇宙・因果の大法則まで見えてきた段階でフェーズ3。
--善悪・明暗・天地の対(つい)になるエネルギーを認識してフェーズ4。
--いずれも認め受け入れるところに至ってフェーズ5。
--ニュートラル・ゼロを実現してから望ましいエネルギーに焦点を合わせるフェーズ6。

数多くの情報がwebに流布されています。それは個人レベルからプロパガンダ思想の大資本に至るまで、さまざまな発信元が存在しています。
玉石混交、何が正しいかさえ見極められない現在の状況においては、自らの「心が感じる直感・勘」が最も信頼できるのでは。というところまで達成・実現できていると思います。

フォーカス対象としてまずはグローバリズムに触れ、その狂った現実を知り、次は精神世界と輪廻の世界に至ります。
その後は、宇宙に繋がる意識の拡大とともに、科学や医療という名の虚栄を見破るところに達します。
ここまで到達しますと、意識はすべて繋がっていることに合点が行くと同時に、宇宙の家族たる他星系生命とのコンタクトにまで拡大して行きます。

他方、
自らの心の中にフォーカスする意識とともに、現実に維持し続けている肉体に関しての意識も拡大が必要です。
その根源である「食」に触れないわけにはゆなかいのです。

--体調がすぐれないからフィットネス?
--体調が悪いから医者通い?薬を手放せない?
上記のような各段階を理解しているはずの人たちでさえ、こうした自分の体という根本・根源に関する意識が極めて低い人がまだまだ多いように見えます。

多忙なために外食にしか時間がとれない。コンビニ食しか時間を取ることができない。
はい、大変よく理解できます。
自分自身も同じ道を辿りました。連日、朝の5時半まで仕事を続け帰宅後シャワーを浴びてそのまま再び出勤。居眠り運転・事故多発。食事抜きが当たり前。数日何も口にしないなど常態化...。
そして病院のベッドに一週間臥すことになりました。そこに至って初めてその基本の大切さと重大さを身をもって知るのです。
そこまでやらなければ氣がつかないのです。痛み苦しみを体験しなければ判らなかったのです。


「食べ物に毒が入っているわけがない!」
「国が国民を殺めるような基準を作るわけがない!」
そんな思い込みとメディアの洗脳は、現在進行中の毒液政策と同じでしょう。
目を覚ますのは、食についても同じです。


「塩」に対する向き合い方をもう一度しっかりと調べて、いえ、調べて調べて調べまくってください。
「小麦粉」に対する考え方をもう一度しっかりと調べて、自らの体から断ってみてください。
「麹(こうじ)や酵母」に関する知識をもう一度しっかりと調べて、日常生活に取り入れてください。

すべて(と言ってよいほどにまで)が「ウソ」にまみれ、騙され洗脳されてきたことに氣づきましょう。
そうです。
すべて、刷り込みされてきた常識という知識を根底から覆す時期を迎えたのです。その、最も基本たる「食」を疎かにせず、再度見直すタイミングです。食は基本中の基本にして最後の砦(とりで)となるものなのです。
そして、
わたしたちは、自分の体という預かりものを管理する最高責任者であることを忘れてはなりません。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

(photo)
飯舘村大倉地区の方々に振る舞っていただいた手料理

他の生き物と会話するとは

飯舘で魅せる秋桜 photo 宮本章光

四季折々それぞれの季節に相応しい写真をSNSのタイムラインに流す。
そして、いいね!を数多く集める。
そんな行動も人それぞれ。人それぞれの自由です。誰も何もジャッジしません。

しかしながら伝わるようになってきました。
そうです「伝わる」のです。
人に見せよう見せようとして撮った撮影者の姿が。
人に氣に入られるよう、いいね!がたくさん集まるよう意識した撮影者の姿が。

以前から、写真には撮影者の意識が乗ってきますよ。
と言われてきましたし、わたし自身もそのように語ってきました。
それが、ここに来てより強力に伝わりはじめたと共に、そのエネルギーを感じ取ることができる人が増加しているように感じます。

他方、
そうした意識を「ほとんど持たずに」撮られたであろう作品は、そのようなエネルギーが伝わってこないのです。当たり前のことかと思われます。
そのような「よそ行きの服」「見た目がまずありきな意識」といった仮面を被っていないので、被写体そのもののエネルギーがダイレクトに感じられます。
撮影者の「よそ行きの服」がよくない、という意味ではなく、撮影者の意識というベールが「邪魔」になってしまうケースもあるかもしれませんね。ということを伝えたく思っています。
なかなか文章表現が至らないので、文字に落とし込むのが困難でしっくりこない感覚が払拭しきれません。

このような撮影者のベールが皆無あるいは僅少な場合には、被写体の持つエネルギーと同期しやすいはずで、その対象が植物をはじめとする生き物の場合には、そのエネルギーに容易に繋がることが可能ではないかと思うのです。
当然、
生き物以外であっても万物にはすべて意識が宿る。といわれるように、その対象が放つエネルギーを感じることが可能ではないでしょうか。


こうした植物をはじめとする生き物は、
何ら不平不満を撒き散らすことはなく、
一定期間を超えると枯れて生命が絶たれる恐怖もなく、
ひたすらその瞬間、いまこの時を生きています。

ここに意識を合わせてゆくと感じることができるエネルギー。それを感じた時点で、その生き物と会話ができたと言えるのではないでしょうか。
他の生き物と会話する。とは、こういう感覚なのだろう、と思っています。
しかしわたしの場合、それは言葉とはまったく異なる感覚。人間の言葉に置き換えることはできない感覚です。
(人の言葉に置き換えている限り、それは真ではないでしょう。そんな姿こそ邪に憑かれているのかもしれません。)

こちらから語りかけてみてください。きっと返ってくるはずです。
これこそが、考えずに感じる。その本質ではないでしょうか。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

代々護り続ける山が醸し出す氣

飯舘村で先祖代々からの森を護る photo 宮本章光

この森に案内された直後から、その地に満ちる強力な氣に圧倒されました。
一枚の画像データにもそれは刻まれており、判る人には壁のような圧で迫ってくる氣を強く感じるはずです。

護り続けるその山の頂には、先祖代々から伝わる祠(ほこら)が奉られているとのことでした。
管理所有者の方は、雄弁に植物の見分け方などについてお話しいただくのですが、その内容がまったく意識に入ってきません。まるで何かの舞台に立っているかのごとく緊張感があり、山の主から自分の精神性を試されているようにも感じたものです。
しかし、それは決して居心地の悪いものではなく、この山全体が持つ「意識」とでもいうようなエネルギー体から手を差し伸べられ心を揺さぶられるような体験だったのです。

この日を境に、わたしは山の中にある自然を記録することが増えました。
友とは人ばかりではなく、この地にあるすべての存在である。と語られている通りに、大自然とコミュニケーションするようになった大きなきっかけでした。

ご先祖から受け継いだ山を護る。とは、この「山が持つ意識・発するエネルギー」と会話しながら、それをいつまでも大切にすることなのだ、と、言葉ではなく心で感じた瞬間でした。


いよいよ新しい時代が幕を開けます。
その時代は、わたしたち一人ひとりの意識が創り出します。
ご一緒できる皆さま、共に友と語る日を明確に描きながら、その意識を合わせて行きましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

実るほど頭を垂れる稲穂かな

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
(みのるほどこうべをたれるいなほかな)

日本語には見事な言い回しがあるものです。
本当に実力のある者は「わたしは実力があります」などと言いませんし、言う必要もありません。
また、
稲穂の中身に十分な実りがなければ、その穂は空っぽであり頭(こうべ)を垂れるだけの重みもありません。まさに人間の立ち居振る舞いとその中身の厚み・重みとの関係を、見事に投影している名句かもしれません。
SNSやwebで数を誇るアカウントにも似たような虚栄を感じることが増えました。すでにそうした時代が終わったことを強く感じます。そして、そこに群がる人たちの姿にも相似形の虚栄感があるように見えます。

以前なら「それは僻み(ひがみ)だろ」と陰口を言う人もあったでしょう。
いえ、今もそうかもしれません。
しかし、その意識を心の中に描いた瞬間にその意識の波動は伝わります。そして感じることができる人たちにはお互いに判ってしまう時代になったようです。
何らかのエネルギーが言葉に乗ります。そしてそのエネルギーはどこかで迷宮入りし自然消滅することなく必ず伝わります。
併せて、
ピンポイントで特定のターゲットに向けて放った波動は、そのターゲットが受け取らなければ「再び自分に返ってくる」こと、これも実体験を重ねてきているはずです。

だからこそ、ニュートラル・ゼロポイントを達成したあとは、そうした方向のエネルギーを持たないことだ、と言われる所以です。
ただし、プラスマイナス・善悪・表裏など、すべての対(つい)を等しく認めるニュートラル地点に「やじろべえや振り子」を戻すというプロセスを行なったあとで。です。
もう、このフェーズも卒業済みのことと思います。

美しい稲穂の姿から、そのエネルギーを受け止めてください。
そして、
ともにそれを喜び合える世の中を創り上げてまいりましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

水と語り合う周波数に同期する

飯舘村真野川渓谷 photo 宮本章光

水と語り合う周波数に同期する。

それは決して難しいことではないように感じます。
そもそもわたしたちの体の多くの割合を占めるのは「水」であると語られてきました(正否は不明ですが)。
この地球においては、あらゆる場所に水は存在し命を繋いでいることは間違いないでしょう。

自然の中で感じる水は、その流れという形で強力に訴えてきます。
強く押してくるその水流の轟きを感じてください。
激しく響くその泡と渦の響きを感じてください。
飛び散る水滴を受けてください。

語り合うとは、そのエネルギーに同期し心で感じることではないでしょうか。
わたしたちは、物質一辺倒の長大な転生を重ねるうちに、物質たる肉体が語る音声媒体以外のものをコミュニケーション手段として利用する方法を忘れ去ったのではないでしょうか。

肉体から発する言葉以外にも会話をする方法はあるのです。
それこそが心で感じる、ということだと思うのです。
この水のエネルギー・川の膨大な流量。そのエネルギーを感じること、それがすなわちコミュニケーションの一つではないかと。

傲慢な権力者による故意に作り出された人工災害の被害を受け、この場の擁壁はこの数ヶ月後に崩壊しました。
しかし、川の流れは止まりません。
わたしたちがそこに意識を合わせる限り、いつでもその会話に応えてくれる。その懐の広さこそが大自然本来の姿ではないかと思うのです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

刈り取りを待つ

収穫を待つ飯舘村の田園 photo 宮本章光

刈り取りを待つ稲穂たち。
苗付けから自分の役目を精一杯果たし終えて、いま新しい米としての収穫を待ちます。

何のネガティブな発想もせず、
何のエゴに邪魔されることもなく、
何の不平不満を溜め込むこともなく。

春の清々しい空気を吸い、
夏の強い日差しを充分に浴び、
そして今、新たな役目を果たします。

わたしたち人間は、自然に見習うことばかりです。
今世の自分の役目を全うできたでしょうか。
頭に湧き出す雑念に右往左往せず、心に感じ心に響くエネルギーを信じ、自らの道を信じ、一歩づつを歩みを進めましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

最終コーナーを抜けストレートに向かう

飯舘村スポーツ公園 photo 宮本章光

トラックをひたすら走り続けた方は知っています。
その苦しさを。
そして、完走した瞬間の達成感を。

魂の旅は永遠に続くといいます。
その目的は、ひたすら成長を続けること。

今世の転生以前には、氣の遠くなる過去生・輪廻の歴史があったこと。
それは記憶から消されているだけだ、とされています。
そして、まもなくその記憶が蘇るタイミングを迎える。と。

しかし、それは自らの意思によりその道を選択した人にのみ齎されるものだと伝えられています。
極めて判りやすいのではないでしょうか。
「途中でリタイアせず完走した者」だけが、その達成感・感動を享受できるのと同じように。

ポジティブごっこを卒業し、苦しさも喜びも共に味わってこその達成感であるはずです。
わたしたちは、その最高のタイミングを味わうために数々の苦しさを体験してきました。それを自分から希望して...。

両極に存在する対になるエネルギーは、等しくともに受け止め受け入れ感謝する。
まもなく最終コーナーを曲がり、ゴールへのストレートに入ります。
苦しい周回の体験は「最高の感動」を得るために。
そして、
ゴールを切ったあとには、次の世界が更なる成長を果たすために待っています。
こうして終わることのない旅は永遠に続くのだと語られています。
ともに歩みましょう。
新しい世界を創り上げるために。そして、ともに成長を続けるために。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

有名企業の食べ物を口にしない

飯舘村きこりの印象 photo 宮本章光

この場でも何度か触れてきましたが、大正生まれの祖母が50年以上も前に幼少のわたしに語った多くの言葉。
その中の一つから。

「食べ物は有名企業のものを食べない・電化製品は有名企業の品を買う」


多くの説明は不要でしょう。
まず、その後ろの言葉から。

時代は1967年から68年頃。日本の高度成長期と呼ばれた時代。電化製品は次々と新製品ラッシュが続き、新機能も続々と搭載された製品が世に送り出された頃でした。

昔から故障は当たり前。そんな製品を修理して大切に使ってきた大正から昭和の前半を生きてきた人にとっては、故障そのものが「無い」電化製品は驚愕のレベルだったに違いありません。
だからこそ、技術の粋を集めた有名メーカー品は羨望の的だったと想像できます。

「有名企業の製品」は故障しないという驚きの完成度と品質を誇る。
これを入手するのが間違いない。という教えでした。



続く前側の言葉について。
「食べ物は有名企業のものを食べない。」

この混乱の時代になってあらためてその助言の確かさに驚いています。
webという公の場にあまり生々しいことを書くことができませんが、食品添加物という名の毒。
いえ、毒になるのかどうかは受け手側の問題も大きいと思われるので断言はいたしません。しかし、人間本来の生き方に歩調を合わせた物質ではないことは確かでしょう。


もしかすると、その意味が伝わらない方々も多いかもしれない可能性を感じます。

「口にするものに体に悪いものが入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
と、真顔で抗議してきた事例もありますので。

これ以上は触れませんが、真意は十分に伝わるはずです。
この反論の展開。どこかで聞いたことがありませんか。いえ、現在も聞こえていますでしょう?

「体に入れるものに対し毒が入っているわけがない!」
「国が国民に対して害になるようなものを許可するわけがない!」
いま、そんな言葉がリアルに聞こえていませんでしょうか。


祖母は96歳まで寿命を全うしたようです。晩年は会うことができませんでした。
でも、わたしに対しこれほどまでに重要な言葉を残してくれていたのです。それも50年以上も前に。

いま、この場でご縁がつながる方々に、その真意と重要性を伝えたく記します。
少しでもシンクロを感じる部分がありましたら、ぜひ時間をとって調べていただきたく思います。わたしたちは何を口にしているのかを。
いえ、口に「させられている」が正しいでしょうか。

自分の命は自分で守る。
まして、授かり・預かりもののこの体です。ありがたく使わせていただくことで学ぶ機会を与えられているのです。
人生すべて「まなび」の連続です。
感謝してこの体を大切にしたいものです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

待たずに自ら創り出しましょう

コスモス飯舘村での出会い photo 宮本章光

いつまでも待ち続けずに自分から創り出しましょう。

---メディアが変わらないから騙されていることに氣づかない。
---EAS(EBS)が来ないから眠れる羊が目を覚まさない。

はい、確かに強力なトリガーになるに違いありません。そして、いずれ近いうちに実現するように見えます。
ですが果たして本当にそうでしょうか。もう語り尽くされてきたのではないでしょうか。

「まだか!まだか!」
「いつになったら来るんだ!」
そういった意識にフォーカスしている限り「来ていない現実・来ない現実」にロックオンされてしまうのですから、その状態を「望んでいる」とされ、その状態が永遠に続きます。

眠れる羊さんたちは、今世で目を覚まさない選択をご自身が確定しているのですし、何が起きようと今後も変わらないでしょう。
そもそも、もはや二年間近い時間を過ごしながらも、いまだに眠り続けており且つ毒入り物質を自らの体にいれてしまう判断をしているのです。
その時点で推して知るべし。ではありませんか。

大きな力(他者によるトリガー)がやってこなければ目を覚さない。
大きな力(メディアの変化・放送)がなければ目を覚さない。
そのように思っているのは、思っている人たちだけなのかもしれません。
先に目を覚ましたとされる人たち自身が、実は最も「氣がついていない」という笑えない現実があるのかもしれません。

外側の大きな力を待ち続ける、といった思考は卒業したはずです。
誰か救世主(=まるで映画や童話の中の白馬の王子さま)がやってくる、そんな外部の力を待ち望んでいる限り、いつまでも変化は起きるはずがありません。
もうやめましょう。
(ええ、きっと来るであろうはずの)その大嵐の実現を遅らせているのは、実は「その情報を心待ちにし、その情報を追い続けている人」自身だと。

わたしたち自身が救世主たる存在であり、その意識のパワーは洗脳により眠り続ける人に比較して数万倍ものポテンシャルを秘めている。と伝えられているのです。
先に氣がついた人が、その力を心の中から意識として周りに拡大拡散し伝播させる。
その強力な力を行使するのは、まさに今なのです。

外側の変化を待ち続けるのではなく、これから実現させたい世界を明確にイメージし、それを心から願う。
行きたい世界を、住みたい国を、そして共に分かち合いたい自然の姿を。
強力に、そしてその自分の力を疑いなく100パーセント信用する。
そうすることで、必ず望ましい近未来が実現する、とされているのです。
なぜなら、
思考が・意識こそが具現化するリソースであり、目の前の風景を創り上げるからなのです。

心の底から願い叶えましょう。
創り出すのはわたしたちの心・意識なのです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

いま周波数が合うところ

飯舘村で出会った秋桜 photo 宮本章光

心の状態を常にモニターする。
振り子がどちらに触れているのか感じる。

無理にポジティブ「ごっこ」などしなくてよいのであり、まして負の方向へのエネルギーに蓋をして現実逃避してはならないこと。正と負のエネルギーは必ず両方ともに等しく存在を認め尊敬すること。
もうしっかりと理解できている時期だと思われます。

わたしの過去には、他星系において植物などを中心とした第一密度から第二密度の研究をしていた、と何度も夢の中で伝えてくるようになっています。
実際、現生・この地においては、植物をはじめとする自然の中に身を置くことが最も心の沈静化・浄化に効果が出てくることを感じます。
また、他星系からこの地に訪れてからは、楽器演奏をしていた転生が複数あったことも何度か伝えてくるようになりました。
いずれも、何らかの関係がある過去世を経験していたことを知らせてくれているものだと思っています。


今日は、何かしらのエネルギー、それはあまり望ましくない方向のものに覆われているように感じる(何かワサワサする)ため、印象的な植物の姿に同期できるよう一枚を選択します。
数多くの画像データの中から一枚を選ぶのも、何かその瞬間に感覚が同調したものがセレクトされてきます。
撮影時点での感覚とはまったく異なるエネルギーです。

選択したあとから、ああ、この日は風が強かったな、花を止めるのは難しいしピントも合わないかもね。
と感じていたことを思い出します。
この一枚を選ぶだけの工程でも、不思議なプロセスを体験する瞬間です。

共に歩む植物という仲間のエネルギーを今日も伝えます。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

自然から大きな氣を受け取る

飯舘村に満ちる氣を受け取る photo 宮本章光

混乱にフォーカスしない。
そうは言うものの、目の前の風景はさらに混沌とし意識を乱されるばかりでしょう。

ところが、怖いもの見たさ、とでも言うのでしょうか。自分からその情報に浸り続けていませんか。
いつまでも混乱に関する情報を追い続けるのはもうやめましょう。そこにフォーカスする限り、永遠にその混乱を「自分自身から生み出して」しまうのです。
責任重大です。波動を下げるような行為は、自分のみならず周囲にまで極めてよくない影響を及ぼしてしまうこと、もう理解できているはずですから。


過去から数多く語られてきた、混乱に巻き込まれずネガティブ波動に陥らないための対策は、自然の中に身を置くことでした。

大自然には、植物をはじめとした多くの生命が満ちています。
木は言葉を話しませんが、共にこの地に生きる仲間です。
動物も昆虫も見た目の表情を変えることはしませんが、共にこの地に生きる仲間です。

彼らの生き様、彼らの息吹を感じる能力さえも「剥奪」され感じることができなくなった現在のわたしたち人間。
しかし、
そこに入り、彼らの氣を「感じよう」と周波数を合わせてみることはできるはずです。
道路から一歩離れるだけで、大きな氣が充ちていることに目が覚めます。

その場・その瞬間に、わたしの手を動かしその風景を切り取るよう働きかけた自然の力を、この場を通して伝えて行きます。
大きな力を受け取ってください。
彼らの氣は、道に迷った現代の人間に、明るい光とこれから進むべき道を「感動」という形で送ってくれるはずです。
自然を仲間として共に生きて行きましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

黄金色の実りに感謝する

稲と米に感謝する photo 宮本章光

稲の原産地がどこであるか。
米を食する歴史がどのように変遷してきたのか。

こうした歴史や背景を知らずとも、口にするその味に納得し大きな満足感を得られるのは、この国においてほぼ万人に共通する感覚に違いありません。
幼少の頃には、一粒残さず綺麗に食することを学んだことでしょう。
それは、もったいないから...という言葉で伝えられたかもしれませんが、その根本は「いただく生命」に対し感謝するという心得ではなかったでしょうか。

「冷やご飯は食べないで」
と、幼少のわたしに語った祖母の言葉には、そのお米に対する感謝の気持ちを表現したものでした。
お米という命に対し、冷やご飯という冷たい状態ではなく暖かい状態だからこそ最高の味とコンディションでいだだくことができる。それは、感謝の心を最大限に伝えるために必要な心構えと行動ですよ。という意味がありました。

冷たくなったご飯では、稲という植物の命を最高の状態でいただくことができないでしょう。
だから、冷えたのであれば温めて、稲の命であるお米に感謝していただきましょうね。と。
同時に、
それはお米だけにとどまらず、食べ物を口にすること、すなわちそれはすべて何らかの命をいただいているのですよ。といった意味も含まれていました。

すべてのものに感謝する。とは、このように、50年以上も前にこの国の先人は当たり前のように語り継いでいました。
物質社会・貨幣経済が求める右肩上がりの数字を追い続ける社会は終わったのです。
いま一度、新たな心の時代を歩むために必要な心得を、しっかりと見直す時期を迎えています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


【冷やご飯は食べないで】note.com サテライト記事

大正生まれの祖母(96歳で他界)が、50年以上前に語った言葉。
まだ小さかった私に、丁寧に教えてくれた言葉の数々...。
今の時代にこそ、こうした先人の言葉を活かしたい。
50余年昔の記憶を辿りながら綴ります。

何があっても恐れない

ダイナミックな印象 photo 宮本章光

何があっても、何が起きても、決して恐れの感覚に陥らない。
いま必要とされる意識だと伝えられています。

わたしたちは、もう恐怖を煽る権力者のワナには嵌りません。
その代わりに、
すべての存在に感謝し、意識を拡大するその術を手に入れたはずです。

外側は制限されている世界、内側は無限に広がる世界だとされます。
いつも順番は「内側が先・外側は後」。
大切なことなのでもう一度。
「内側が先・外側は後から」創り出されます。

地球を救うのは、わたしたち一人ひとりの心から生み出されるエネルギーである。と伝えられています。
真実の追求を「外部」に求めても、永遠に真実探しの旅は終わることがありません。
もうやめましょう。
心から湧き上がる感動と感謝のエネルギーを束ね、この瞬間以降の世界を創出してゆきましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

Windows/AndroidからのFaceTime

facetime_link.png

AppleのFaceTimeが、WindowsやAndroid等のApple製品以外の環境からも利用できるようになりました。
実験の意味も含め、本日と明日にコミュニケーションの時間をとってみたいと思います。

2021年10月2日(土)14:30から15:00
2021年10月3日(日)14:30から15:00

通話開始のためのリンクをメールで受け取り、その本文にあるリンクからブラウザでコミュニケーションする形です。
他のオンラインツールと基本的には同じ流れですので混乱はないかと思われますが、今後オンライン授業(構図クリニック等)などにも活用する考えですので、トラブルや実使用上の問題点の炙り出しも兼ねてご協力いただける方がありましたら、ご参加をお願いいたします。

メールでリンクを受け取る形ですので、アドレスをお知らせいただく必要があります。
当方の業務問い合わせフォームからお知らせください。
And EM お問い合わせフォーム[Link]
「オンライン会話(Apple:Facetimeのリンク発行)のご依頼」
にチェックを入れてお送りください。
(業務問い合わせ用の自動応答が送信されますが今回は関係ありませんのでそのままスルー/削除ください)

尚、リンクをクリック/タップいただいたあとは、ブラウザ上で「参加」のボタンを押して開始となる流れです。
上記該当時間以外には、参加を押していただいてもこちらでは応答いたしませんのでご理解のほどよろしくお願いいたします。
ちなみに、
特に会話のテーマも決めませんし、ご無沙汰の皆様との再会やいつも文字だけでお付き合いいただいている初めての方も大歓迎です。
映像に抵抗がある方は、カメラをOff(マイクだけ)にし音声のみでも可能です。

それではお待ちしております。

神無月を迎えレイヤーを再度確認する

グラスキャンドル photo 宮本章光

いつまでも馬鹿なことに付き合うのはやめましょう。
いつまでも狂った・おかしい...と叫ぶのはやめにしましょう。

もう2021年の神無月に入りました。
まもなく2年間の時間が過ぎ去ろうとしています。
早いねぇ〜。などと社交辞令を口にすることさえも、もはや波長が合わなくなりました。そうした方々とは周波数が合いません。
この場で日々お目にかかります皆様は、きっとその言葉の意味が理解できるはずです。


馬鹿げたことに意識を合わせているから、その状況が永遠に続きます。
今回の台風も、さほど大きな被害をもたらしたようには見えません(実際に被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます)。
それは、いつまでも恐怖を煽るメディアの世界だけのタイムラインであって、そこに意識をフォーカスしなければ、現実に被害さえも大きくならない、という実体験ができるようになってきた証ではないでしょうか。

そうなのです。
わたしたちは、自分たちの意識を束ねた集合意識という力によって、台風の被害さえも避ける(僅少に抑える)ことができるのです。なぜなら、意識していることが具現化するという大原則・大法則はここでも有効だからです。
それは、心の中の意識というエネルギーによって、どちらの方向にも振り子を振り切るだけのパワーがあることに氣づきはじめた人が増えたということでしょう。
そして、そんな馬鹿な!と叫ぶ人たちももう視界から消滅しました。すでにもう見えなくなっています。

疑心暗鬼(ぎしんあんき)な気持ちが残っているのなら、早急に浄化することです。
但しどちらのパワーも受け入れることをお忘れなく。この地は、両極をともに等しく認め・体験する場でしたから。


神無月を迎え、いま一度ご自身が乗っているタイムライン・レイヤーを確認してください。
そして、心の底から湧き上がるエネルギーを大切になさってください。
決して無理に方向づけはしなくて良いですし、どちらに振れているエネルギーなのか、というモニターだけを忘れなければそれで良いのではないでしょうか。
階段は一段づつ一歩づつしか上がれませんし、慌てず焦らず、すべての存在に感謝し日々楽しみながら歩みましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続ける諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れないように。
ありがとうございます。感謝しています。
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