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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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いまここに生きていることを楽しむ

いまここに生きている photo 宮本章光

裏側で行われてきた悪事、そして支配構造、隷属化の仕組み。
それらを知る必要はあるでしょう。
しかし、
こんなワルがいた、こんなに騙されていた...と、いつまでも騒ぎ続けても「そこに新しい未来」は作り出せません。

知る必要がない、というのではありません。
一旦知ったら、もうそれでいい。
それ以上叫び続けるのは、でゃ!俺はここまで知ってんだぜ!な、自己顕示欲でしかないように見えます。


これから先に必要な新しい未来。
それは、わたしたちひとり一人が、心から描き上げてゆかなればなりません。
崩壊のトリガーが引かれた旧い風景は、このまま崩れ去るのを待つのみです。
そこに同調して踊っていては、崩れる瓦礫に道連れにされるだけでしょう。
それを望んでいるのですね?


ここにいま、生きていることを楽しめばよいのではありませんか。

それがダメな行動だと誤って刷り込まれてきたのは、望ましい未来が創られては困る支配者層が仕組んだワナだったのですから、騙されてきたんだよ”それを知れ”...と、いつまでも踊っている者こそ、騙され続けている証です。

数かぎりなく多数の生命存在。
負のエネルギーに「自分からチューニング」して踊るのは人間だけではないでしょうか。
彼らの姿を眺めますと、そこに負の波動など微塵も存在していないことが判ります。

いま、ここに生きていることを楽しみませんか。
その波動が望ましい未来を創造してゆくのです。それが仕組みだからです。





穏やかな入力からは穏やかな出力へと

つつじの穏やかな表情に合わせる photo 宮本章光

心の波動は、インプットされた周波数に多大な影響を受けます。
結果として、アウトプットされる波長に影響が表出してゆくことを体感するが故、その入力ソースを熟考し厳選したいものだと感じます。

穏やかな視覚を入力すれば、
心の波動も、柔らかく静かな出力へと落ち着いてゆく様子を感じられるでしょう。





心に無いものは現れてこない

つつじにご挨拶 photo 宮本章光

タイトルそのまま。

目の前の風景は、わたしたち地球人が生み出した「心に描いた」エネルギーが時間差を経て現実となったもの。
みんなが騒げば災害が発生しない。などと馬鹿げた扇動をやっていること、そのものが罪だと言うのです。
まさに、善の仮面をかぶった悪。という輩。

もう負のエネルギーを心に描く必要は一切ありません。
描くからそのエネルギーが顕現化します。必ず。例外なく。
これは仕組みなのです。そして必ず時差があるのです。
生み出しておいて、あとは知らんフリ。まぁなんと勝手なことでしょうか。
その見えないところでブスブスと燃えていた火種がいずれ大きな炎になります。

それを阻止するのは、都市伝説でも何でもなく、そのエネルギーにフォーカス「しない」他の多くの人々の集合意識。
数多くの人々の「そんなもの眼中にない」といった意識の波動が、その火種を「なかったこと」として新しいエネルギーで「上書き」してくれていることを理解していますか。
ですから、もうこの国においては甚大な災害は起きないというのです。


今日も今日とて、都市伝説だなんだ、と自己顕示欲と自己承認欲求だけでwebに害を放出する人たち。
本当に望ましい世の中を作り上げたい、との心があるのなら、見てくれだけ・表向きだけ綺麗ごとで取り繕っておきながら、webには生ゴミや排泄物を撒き散らすような真似=害悪を生み出さないことです。


心とは・意識とは、靈界そのもの。
頭で考えるのはタダだと思っていたとしたら、それは大間違い。
タダどころか巨額の借金を自ら望んで背負うのと同じだと。
ここを理解できないからいつまでも踊り続ける。
体をお返ししこの地を去るときに、その返済不能で膨大な負の借金を目の当たりにし、腰を抜かすのはご自身です。
そして腰を抜かすだけでは済まず、来世も、そのまたはるか先までも償い続ける覚悟があるのでしょうか。

心に無いものは絶対にこの世には現れてきません。
絶対に。
それが仕組みだからです。

だから、何を想い何を抱き・何を描くのか。です。




「命尽きた」のは一つの転換点に過ぎない

IMG_9341_2025.webp

久々に定点観測場所を訪れますと、すでに命尽きた姿を目の当たりにしました。

以前には、この切り株そのものが生きている感覚を受け取っていました。
樹木そのものとしての存在はなくても、その周囲に生きる存在と調和し共存している感覚がありました。

この記事のイメージとしても使用(Clickで該当記事へLink)
【所属コミュニティに流される人たち】2021/04/06[ Link ]

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この2025年の春、その存在の生命が尽きたことを理解しました。
多くの方々がこの感覚を感じられるはずです。

しかし、ここで理解すべきことは。
それは、
物理実体がなくなっても、生命というエネルギーがそこに生き続けていたこと。そして、いよいよそのエネルギーも「この場所」を離れただろうこと。
けれどもそれは「一つの節目」を超えたに過ぎないことです。
言葉を置き換えてみます。
「死を迎えても次の舞台が無限にある」ということでしょうか。

この地においては、隷属化支配者層により、死んだら終わり。その死というものは恐ろしいものだ。
という刷り込みによって洗脳されてきた歴史があること。この地点まで理解が到達した人たちが急激に増えているはずです。

もう一つ言葉を置き換えてみます。
「生きているか死んでいるかは重要ではない:魂レベルの成長の観点からは」です。


当然、物理実体をお借りしているからこそ可能になる活動があります。
わたしがここに文字を残し続けられるのも、物理実体としてお借りしている体があるからこそ、です。
しかし、
それは物質次元・この地・この世特有の事象であって、それが至上・最高の体験ではないかもしれません。

物理実体を伴わない世界(靈界で靈人として生きる)が存在することはもはや否定できない上、それを否定し続ける発想・感覚そのものがすでに時代にそぐわない状態になっています。
どちらが良いかよくないか。という判断そのものが意味を成しませんし、現状の物理実体を持つゆえの「不自由やデメリット」も数限りなく存在します。
逆説的ですが、だからこそ、その不自由の中で学びを得られる。それを目的としてこの地にやってきているのだ。という観点を忘れてはならないでしょう。


ここまで意識と理解が到達したのなら、これまでの世の中・仕組まれて故意に操作されてきた意識の構造が一氣に白日に晒されることになります。
死は恐ろしい。死んだら終わり。
そのような洗脳。
結果として、その恐怖によって支配し、永遠にその隷属化の世で転生し続ける仕組み。
その媒体としての宗教・教育・貨幣経済、そして仕組みの裏側に張り巡らされた、これでもか!というほどの病・医療の闇。石油や電氣エネルギーに関する偽り、食べるもの・空氣から水から、徹底的に...。
これらの洗脳から離脱するために。
見事な展開が、現在いまこの瞬間に某国で実行され続ける制度改革に代表される、過激なまでの開示と改善のための法制化に現れています。

しかし、それらはあくまでも物理実体次元での話。
これまで騙され続け、ようやく眠りから目を覚まそうとする人たちに向けた方策・政策に過ぎません。


この段階を越えた(学びとして体得した)者にとっては、その先を見据えて活動せねばなりません。
生きているか死んでいるかは、さほど重要ではない。そういった仕組まれた恐怖の波動だけにフォーカスしない。という点です。

ここ数日、やかましいほどに綴り続けています災害に関わる話題。
そこにフォーカスし騒ぎ立てることが如何に劣悪な行為であるか。
心が生み出すエネルギーについて、そのほんの触りの部分だけしか知らずとも、その重大さ・責任の重さについて判るはずです。


この先に不要なエネルギーを生み出さない。

それは、頭で理解していても、意識がそこに合致した瞬間に、自分自身でその波長にシンクロするものを盛大に増幅し続けます。
いつまでも害悪になるようなエネルギーを生み出し・叫び、でゃ!我はインフルエンサーなり〜。てな行動が、どれほど巨大な負のエネルギーを生み出しているのか。
みんなで騒げば現実にならない都市伝説...などと目に見えないフィールドに生み出した負の力、一度生じれば永久に消えることのないネガな波動を生み出してしまった責任を放棄して。
そして、その恐怖に基づく波動を生む以上、悪とされる隷属化を仕組んだ存在と同じことを行い、同じ罪を重ねていることを。
恥を知るべし。


この次・この先に心がけたいのは、
もう恐怖に基づく波動を生み出さないこと。発言に責任を持つ旧い時代は終わり、意識と生み出すエネルギーに責任を持つ時代へ変わったこと。
さらに、
生きているか死んでいるか、という物理次元オンリーな限定的意識を超越する感覚に移行すること。
そして、
それらは「一つの節目」であることを理解したのなら、その一つひとつの節目と節目との間で「どれだけ意味のある体験」をし「どれだけ精神性を磨き拡大上昇できたのか」、「如何に魂レベルを高められた」か。

ここを認識すればこそ、くだらない情報で踊る、自らそれを掲げて自己顕示欲を満たす、など愚の骨頂であることを知ります。

一つの区切り。
その区切りがまもなく訪れます。
どれだけ学びを得られたでしょうか。少なくとも、一夜漬けで届くレベルの学びではない集大成を披露することになります。
わたしは・あなたは、どれだけの成果を披露できるでしょうか。

振り返るとともに、物理実体から抜け出した「先に卒業してゆく生命存在」に拍手を送り、あと残された寿命を目一杯生きてゆきます。
そして、ともに生きる存在に役に立てるよう望ましい波動を維持することを誓う次第です。





御神木に礼を奉る

御神木に礼を捧げ photo 宮本章光

そこは、我欲の塊たる願いをする場所ではなく。
そこは、礼を奉り感謝を手向ける場所です。

そこには、人の姿に似た白髪で杖を持った神という存在は居らず。
そこには、この国の先人が奉った八百万の神のエネルギーが在ります。
社殿ではなく、その御神木に。


足元に配慮を忘れず。
それは、地上の勇姿と均衡するだけの地下の存在(根)があるため。不用意に踏み込まないことを意識して。

その前に、境内に入らせていただいてよいのかを確かめた後で、こちらから礼を捧げ、そこにある周波数に合わせてゆきます。
まずは、そこに「違和感」があるかないか。
違和感があれば、自分自身の周波数が異なっている証明であり、即座に離れ日を改めることです。

カラスや猫、トカゲなどの生命が、そのシグナルを送る場合も少なくないように感じます。
今回は、拒否されることはなく、この姿に会うことが叶いました。


くだらない都市伝説だとか心奪われ騒ぎ続け、フォロワー数やLike数を追いかけるヒマがあるなら、自然に触れ、そしてそこに感謝を捧げます。
その場に畏敬の念を忘れない限り、そのエネルギーと共鳴する現実が顕現化してゆきます。ただし時差を伴って。

みんなで騒ぎ、みんなで意識するからこそ災害は起きない。それが量子力学だ。
などと語るのも間違いだとは言いませんが、意識し結果として一旦生み出してしまったエネルギーは決して消えることがありません。
それは、いずれ長いタイムラグを経てこの世に顕現化します。

現在、目の前に負の力に満ちた風景が展開しているのはその証でしょう。
ワルものが支配したからこうなった...のは結果であって、ワルものを生み出しその成長拡大を許可・助長した、わたしたち自身の因果とその巨大な責任を忘れてはならないはずです。


役目を終えた人たちが、次から次へとこの地から退場してゆきます。
これまでに必要だったから、そのお役をしっかりと果たしたことが判ります。

では、この先、これからの道を創り出す役目とは具体的に何でしょうか。
いま、ここに体をお借りし生存している限り、負のエネルギーも「共に両極のエネルギーとして」認め尊敬し受け入れることは避けられません。
ここを勘違いして片側だけ目を閉じてわくわく、ってなビジネスはもう終わったことが判ります。
そして、隷属化のツールであった貨幣経済のアイテムたる金銭的豊かさにフォーカスするのも、その次のステップではありながら、もはや終了すべきエネルギーであることを認識できているでしょうか。
幸せ掴もう、そのためにもっともっと多くのお金を手に入れよう、感謝感謝を捧げて。なんて恥ずかしい失敗はもうなさいませんよう。大丈夫でしょうか。


どの段階・どのフェーズに入っても、常に過ちを繰り返します。

--ほな、わくわくせず苦しみ続けるのがエエんかい。
--ほなら、カネなしで生きられるんかい。
と、いつまでも幼稚な失敗を繰り返す。意識の波動に責任を持つ。その責任を放棄しないこと。

--せやけど天災は自然のもんやろがぁ。
ってのも大いなるなる過ち。
--みんなでフォーカスすれば量子論的に災いから離れられる。
ってのは、大きな落とし穴。
生み出してしまった負のエネルギーの後始末は誰が行うのでしょう。

回転寿司チェーン店の机の下を廃棄物で汚染しまくる。
新幹線の座席下に食べ物を撒き散らす。
同じでしょう。酷似しているように見えます。
生み出すのも・避けるのも、どれもこれもそのエネルギーを自分が生み出していることを忘れてはならないと感じます。生み出したエネルギーは絶対に消滅しません。


いつまでもオールドメディアに触れるのをやめたのは立派だと思われます。
でも、SNSに置き換えられただけで、自分自身が「負のエネルギー増幅装置」に成り下がった人間をやっている限り、望ましい未来は絶対に実現しないはず。

この試験にパスしない限り、永遠のループから脱出することはできません。
超難関試験にヒントを与えてくれるのは、
それこそが自然(じねん)の多くの生命存在であり、森羅万象・八百万の神として言霊とともに生きてきた、この国の先人が遺した財産であることを忘れてはなりません。





選択とはいまこの瞬間の意識

送電線展望台にて photo 宮本章光

「選択」とは、いまこの瞬間に意識している周波数を持つエネルギーに合わせること。

送電線邪魔や〜と思えば、その風景に合致するエネルギーを自ら生み出しています。
で、送電線消えろ!と思ってみても消えることはありません。
物質・物理次元に結晶化した「モノ」として存在している限りは。

この送電線。
50年ほど前には、この場所に居ますと、ブーンといったハム音が聞こえた記憶があります。
今2025年には、まったく聞こえません。
自分の耳がダメになったのか、はたまた別の目的(電磁波による臣民操作)で使われていたものが、すでに終了したのか。それはわかりません。

こうしてハム音が聞こえる・聞こえない。と、それぞれ意識するならば、その波動をわたし自身が生み出しそれを体験します。
だから聞こえない。その聞こえない状態をさらに強固に顕現化し続けます。


災害ガー...と思えば、災害の波長と合致するエネルギーを自分自身で生み出してしまいます。
騒げば起きない...などと幼稚な都市伝説で踊るのも、その周波数に合致した現実を自ら生み出し固定し続けます。
ところが、
以前にも記しましたように、その意識により「産み出してしまった」災害発生というエネルギーは、消えることなく燃え続けることを知りましょう。ということなのです。
そして、法則に則って「時差・タイムラグ」を経たあとでこの世に顕現化してゆきます。
だから忘れたころに現実になるのです。そんな幼稚園児レベル以前のこと。恥ずかしい限り。

生み出したのは誰でしょう。
自分が生み出した責任はどうやって取りますか。

いまホットな話題だから。
インフルエンサーが言うから。
そんな理由で、その対象にフォーカスすれば、その人たちがそのエネルギーを顕現化してゆきます。
数が多いほどにその力は巨大になり、より現実となる確率も規模も高まります。


この国ではもう甚大な災害は起きません。
どうして君がそんなことを言えるのか。と聞くのなら、懐疑的な周波数をその質問者が抱き生み出し続けます。
台風上陸のこと、地震のこと。
その裏側を知る人が閾値(しきいち)を超えたため、顕現化しないところに到達していること。これまでにも幾度となく記してきました。
60年以上、直感と勘と上から降りてくる感覚だけを頼りに生きてきた者が言います。
妄想だと思えば、その人には妄想にしか聞こえません。そういう法則・仕組みだからです。

もっと身近な言葉に置き換えてみますか。
「そう思ばそうなる。」「そう思うからその通りになる。」と言えば理解が容易でしょうか。

え?それって、スピってるダメな思考・意識でしょ。お花畑な頭のおかしい人の発想でしょ。
などと、そう思えば、ご自身がそうなります。
これが仕組み。
これが法則ですから。
自分の現実は自分が作り出す。
そういうことを知りましょう。というのが最大難関である、いま目の前にある試験だと感じています。


選択。とは。
いまこの瞬間の自分が抱く思考・意識、その周波数に合致している状態。
無数にある選択肢から、いま思い、いま感じ、意識していることが自分の選択であり続けます。
そして極めて重要なこと。
それは、
その選択によって自分自身が生み出したエネルギーは決して雲散霧消することはなく、その周波数を持つ波動として永久に燃え続けます。
その火は、時差を経てこの世に顕現化・現実化してゆきます。

くだらない話題(いえ、もっと正しく言うのなら害悪:この先の世には不要な負の波動)を撒き散らして人の目を引くようなスタイルは早晩卒業することです。
責任の重大さもさることながら、ご自身がその現実を享受するだけのことだと理解できて初めて、ようやく難しく高いハードルを超える準備ができるのだと思っています。
そして、それを超えるのは自分自身でしかあり得ません。





自然と生命

山道をゆく photo 宮本章光

答えは山にあり。
答えは大自然にあり。

求めるべきは多くの多様な生命との接点であり、貨幣経済の牢獄の中で右上がりの数字・数値を追い求めることではないはずです。
求めるべきは、多種多様な存在とのふれあいの中で、その時々・その瞬間瞬間に響き合う体験であるはずです。

周波数は、時々によって合致したりしなかったり。
それを認識し、必要なシンクロ体験を追うことにより、多様な存在・異なる存在の波動を知り、経験を積み上げてゆきます。
異なる波長であっても、次の瞬間には同期することもあるでしょう。
あるいはその逆も然り。

多様、多彩な周波数に触れるために、多種多様な生命に触れるよう行動します。
そして、片側に偏重したエネルギーをリセットしニュートラルへと戻します。




すかんぽが芽吹く春に思う

スカンポ(いたどり)が芽吹く photo 宮本章光

いたどりが芽吹く春。
別名「すかんぽ」と呼ばれるのはご存知の方も多いはず。

わたしの父は、まさにその「すかんぽ」のほうでした。
目を閉じてでも歩ける...ほどに馴染んだこの山で、道端に生えるいたどりを切り取っては、その酸っぱい茎を口にしていました。
わたしと、そして多くの場合同行していた妹と共に三人で、この春の味覚を堪能したものでした。

父は、山に行く時には「ひごのかみ(肥後守)」と呼ばれる小刀を常に携行しており、こうした場面では必ず活躍していたことを思い出します。
肥後守:手のひらに収まるサイズの二つ折りナイフと言えばご記憶の方も多いはず。
黒い鞘の、なんでも最高級品だとか聞いた覚えがあります。
手に馴染んで、黒い鞘の部分は幽玄な渋い光を放っていた映像がはっきりと目に浮かびます。

いずれも、父・妹、二人ともにすでにこの世を去りましたが、その春の味と、切れ味抜群のその小刀の姿は、いまでも明確に思い出せます。


ここで氣づくのは、
記憶とは頭の中に保存されているのではないようだ。ということです。
ではどこにあるのでしょうか。

わたしたちが常日ごろ感じている「心」の感覚は、この体の頭の中でも心臓の中でもなく、靈界そのものであることを知る人たち(自分も含め)が一氣に増えています。
日常感覚・多くの人々の感覚では、自分という存在は「このお借りしている体」であって、心に描く・抱く、というエネルギーは、この体ではなくどこか別のところ=目に見えないフィールドで発生しているように感じているはずです。
しかし、それ自体が間違っていたことを知るようになります。

実は、自分の存在とは、靈界に存在するエネルギー体そのものであったこと。
この地の体とは、お借りして「この世」を体験し学ぶための道具/媒体であったことが、ようやく理解できるところに到達しました。
主・従がまったく正反対だったわけで。

・誤り=この世の体が自分で--->リモート先の目に見えないところに心で生み出す:これまでの認識
・正解=あの世のエネルギー自体が自分で--->リモート先にあるこの世の体で物質次元を体験する:これからの認識


よって、毎回書き続けている「発言に責任を持つ世から心に抱く波長に責任を」のその意味も容易にイメージできるはずです。
わたしたちの存在そのものが、靈界にあるわけですから。

そこで思い描いたものが自らのエネルギーとして共振・共鳴し、その後タイムラグを経て「この世」に顕現化してゆきます。
靈界で共振する存在=自分自身なのですから、そこに負の感情であるエネルギーを発生させてしまうと、そのものがこの世に顕現化すること、極めてよく判るはずです。


記憶。それは初めに書いていました「いたどり」の味や、「肥後守」の黒光りする姿も含め、すべてが靈界にある「特定周波数のエネルギーそのもの」とされます。
正確には、記憶やすべての思考の履歴はアカシックレコードにあると語られていますが、いずれにしましても、この世にある体に収められているのではないことは確かでしょう。


ここ数日の記事で触れましたように、
みんなで騒げば災害は起きない。だとか、みんなが意識したから量子論的に災害は発生しない。などという都市伝説で踊っている限り、真実に到達することはあり得ないでしょう。

後者は確かに当たっている部分もあるように見えます。量子力学の観測問題そのものですから。
けれど、フォーカスした対象・事象と同じエネルギーを「わたしたち自身が増幅」してしまうのは客観的事実であり、その「負の」エネルギーに油を注ぎ続けるような行動は、何があろうとも避けるべきだと感じます。


いたどり/すかんぽの姿と、その味、そして肥後守で切り取るイメージが、50年以上を経ても今この目の前にあるかの如く鮮明に視覚や味覚に落とし込めるのは、靈界において、そこに有る自分の存在とその対象エネルギーがシンクロしている証明に他ならないこと。
ここまで学んだ限りは、
不用意に「負のエネルギーを生み出さない」。
不用意に「負の周波数にシンクロさせない」。これらが如何に重要であるかが判るはずです。責任重大だと。

7月の何日に何がある。
いや何も起きない。
みんなで騒げば何もない...。

だとか、そこに意識が行っている限り、あなたが産んでしまったエネルギーは靈界でメラメラと炎として湧き上がっているわけで。
尚且つ、どゃ7桁インフルエンサーだぜ...な自己顕示欲の塊で、それらフォロワーの心の波動まで束ねて負の炎を焚き上げてしまう人たちの責任たるやどれほど極悪・醜態であることか。
ここにしっかりと責任を持ちましょう。これから切り拓く世の中では。
ということなのです。
いい加減にしなさい!とお叱りを受けるレベルのビギナー。幼稚な精神性。いつまで続けますか。





ただひたすら生きる・そのまま生きる

ただひたすら生きる photo 宮本章光

ただひたすら生きる。

そのままではダメでしょうか。
あるがままでは成長が叶わないのでしょうか。


確かに、幾多の苦難を乗り越えるから成長が期待できるのだと。
そのためのこの地・この世だと。

けれども、その負のエネルギーに麻痺してしまったのでは元も子もありません。
常に苦労し、常に苦しみ、常に痛み傷つく。
それは、
その対極にある喜び、至高の感激と感謝の意識、その崇高さを知るための教材だったはずです。

この負の波長に埋もれてしまい、その波動から能動的に脱して成長しようとする、その氣力さえも麻痺し失ってしまう。
この道を突き詰めた実験結果はもう出ている、と語られているのはご存知の通りでしょう。


すべての負の感情に耐えられなくなった人間の行く末。
この道の行き着く先、三千年後の人間。
感情そのものを、自らの意志によって取り除いてしまったのだと言います。
結果として、成長・進化の両輪であったはずの片方=精神面の感情感覚が存在しない生命体は、それ以上に進化もできず生存そのものが脅かされることになったと伝えられていること。


夥しい数の花を披露する彼らの姿。
一つひとつの個別の意識ではなく、種族全体の集合意識として存在するのが植物の特性だとされます。
人間は、個々の意識が極めて強いために、そういった全体意識が希薄なのかもしれません。
けれども、必ずこうした全体意識で繋がっており、間違いなくその力がこの地に膨大な影響力を及ぼしていることを忘れてはならないはずです。


---みんなが騒げば災害が起こらない都市伝説...だとか、
---みんなが意識すれば災害を防ぐことになる量子論の観測問題の取説...だとか。

実のところ、これらが正しいか間違っているか、それさえ検証できません。
しかし、
集合意識・集合無意識・全体意識、それらは必ず繋がり巨大なエネルギーとして影響することは間違いありません。

少なくとも、意識をフォーカスした先の周波数と同じものを「わたしたち自身が増幅・拡大する」のは事実であり、騒いだから災害が起きないなど、明らかなフェイクだと氣づかないほうがおかしいわけで。
しかも、著名インフルエンサーがそう言うから...だとか、いまだに学びを得られない人たちも散見される現状。
あーぁ。トホホ...、でしょうか。
何をか言わんや。それ仕込みでしょう。

みんなで騒げば災いが起きない。
意識から外れたころにやってくる。
それは、
この地における顕現化には「時差」があるからであって、騒ぎフォーカスしている時点で、大量に負のエネルギーを焚きつけたのはわたしたち自身だと理解するために多くを語る必要はありません。

であるならば、
望ましい波長を維持し、ただひたすら生きる。
それで十分だと。
いえ、それこそがこの先の世を創り上げるための「正解」ではないのでしょうか。






ただひたすら美しく

春を呼ぶスノーフレークの可憐な姿 photo 宮本亜章光

ただ、ひたすら美しく。可憐に。
春を呼び込むスノーフレーク:大待雪草・鈴蘭水仙の姿。

ただ美しく存在するだけでは足りないのでしょうか。
ただ美しくそこに居るだけでは満足しないのでしょうか。


イースターの祭り。
必ずキリスト再臨がある。間違いない。
白馬に乗った救世主、ラクダの大群にお付きの者が降臨する。
そうやって叫び踊り続ける。毎年毎年、いつまでもいつまでも。

---何も起きないのは教義に対する忠誠心が足りないからだ。
---キリスト者しか助けられないと記されているだろう。
---何も起きないのは暦の解釈が異なっているからだ。
そうやって、次は○月○日だ。X月X日だ。と永遠に続けるのでしょうか。


このエンタメ。このVRイベント。
対象となる事象は違えど、この数年間で何度も通ってきた道ではありませんか。
くるくる詐欺。
ええ、そんな一大イベントがあれば嬉しいに違いありません。楽しみです。

でもね。
目の前の風景を変えるのは「自分の心」だと伝えられて久しいわけでして。いまこの2025年4月の後半。
もっと正確に書けば、
自分が心に抱き描くエネルギーが幽界にその波動として生み出され、同じ周波数でシンクロするものを束ね拡大拡散し、それが時差を持ってこの世・この地に顕現化・物質化してゆくことを。

逆説的ではありますが、
だから、この地の3割超のひとたちが「そのように信じて疑わない」限りは、いずれ現実になるでしょう。ええ間違いなく起きるでしょう。
それは、地球上の3割超の人々の意識によって顕現化・具現化させるわけですから。

で、その時になったらこう仰りたいのですね。
「ほれみろ、自分が言う通りになったやろガー!」と。
はい、氣持ちイイでしょうね、自己満足・自己顕示欲の塊。もうこのレベルを学び終えた人、まもなく閾値を超えるはずです。


ここで学ぶべきは、
自らが望む波長を生み出すこと、その心の状況状態を維持徹底しさえすれば、必ず、その波長に同期するエネルギーが具現化するということ。
これは法則です。
これは仕組みなのです。

わたしの勝手な妄想をここに記しているわけではありません。
溢れんばかりの論説が数多く語られているとともに、それを証明する記事も数限りなく。
そして、それは現代の量子論・量子力学でも説明されはじめていること。否定できない状況です。
然るに、
こうした仕組みや、それを語る(わたしのような)者を、いつまでも古い隷属化の洗脳に染まったまま「否定」し続けるのは恥ずかしいのではありませんか。
わたしが「イタイ人」なのではなく、否定する人自身がイタイのだと。


捏造された歴史が雪崩のように一氣に崩壊し始めています。
それなのに、歴史の教科書にはそんなこと書いていないやろ!習ってへんし!
などとやっている姿、それ自体が恥ずべき発言、いえ、正確に言うならば、恥ずべき「意識の波動の生み出し」でしょう。
まったく同じ図式です。
上記のように、くるくる詐欺で踊り続けるのも。


目の前に存在する美しさを極める存在たち。
彼らは、ただひたすら美しく有る。ただひたすら可憐に生きる。

それが、その美しさに合致・同期する波動として、現実という名の美しいこの地の存在・風景を生み出してゆきます。
極めてシンプル。
昨日の記事にも記しました。もう「何が正しい」とか「聖書だけが真実」だとか、そういった旧来の意識レベルを超越すべき時期になっていることを知るならば、このような美しく素晴らしい生命を見習い、「望む・必要なエネルギー」だけを生み出し維持する体現者として生きてみてはいかがでしょうか。

ひたすら美しく。
それこそが、この先に望ましく美しい世を創り上げる唯一無二の方法であると。





宗教を卒業する人が増えれば

下の展望台より photo 宮本章光

自由だ。
人の勝手だ。
何を信じようと何を崇めようと。

その言葉に間違いはないのですが、それを続ける限りは、この地の変化は限りなく遅いのだと。
少なくとも、お借りしている体、一回分どころの転生・年月ではとても実現しないでしょう。
しかも、望ましい世を創り上げるための力とは正反対である負のエネルギーを焚き続けるように仕組まれており...。

当人が氣づかない限り、この地の風景は、いつまでもこのまま。
まさに永遠に。
世界中の三割の人々が、旧い隷属化の仕組みから解き放たれたならば、一瞬にして風景が変わることでしょう。

そのためには、氣の遠くなるような未来を待つのではなく、自分の心から描き出して行けばよいのだと。
肌感覚のレベルで理解できている人は、とうに氣づき、すでに実践しています。

この世を変えるのは宗教ではなく、自分自身が描き出し生み出す想念思念であることを。




最も大切なもの・コト

光り影と織りなす photo 宮本章光

オールドメディアが話すことが正しいとは限らない。
むしろ誤りとされるものが大半である。それは、隷属化の目的のために仕組まれたものだったと。
このように学んだ、最後の5年間でした。

では、
webにある情報は正しいでしょうか。
インフルエンサーとされる存在が語る情報は間違いないのでしょうか。
あるいは、
宗教が伝える語りこそが唯一無二の正解・真実なのでしょうか。


この地で体という衣をお借りして体験できる時間は限られています。
この点は100パーセント誰一人として否定できないはずです。

その限定された時間内で、何を見て、聞き、味わい、触れて・感じることができるでしょうか。
それは、自ら選択しなければなりません。
でなければ、意図せず勝手に口に押し込まれるかの如く、激しくノイズに押し流され目的地を見失います。
あろうことか、見失っている自分の立ち位置や生きる目的さえも認識できず忘れ去ります。


体をお借りして限られた時間内に体験できること。
それは、自分で決めるのみならず、プライオリティを明確にしなければ知らぬ間に終わってしまいます。

自分のこの地の体験において、何が最も重要でしょう。
生まれてから何日経ちましたか。この先、何日生きられると予想できますか。
日数に置き換えますと驚愕の感覚を受けるはずです。
わたしに残された日数は、平均寿命と仮定してあと4桁の日数。すでに5桁の日数を流し終えました。

自分の一生においてもっとも大切なもの・コトは何でしょう。





眠りから成長へ

芽を出し伸びる

種から芽を出し、
光に向かって伸びる。

脇目も振らず。
例外なく。





その「わくわく」の先にある意識

春を謳歌する photo 宮本章光

わくわくして待ちましょう。
まだやりますか。
そんな言葉から伝わる「内包された念」を感じますでしょう?

彼ら・彼女らは、
世の中が変わることを望んでいるような外見を装っています。
幸せになりましょう、と装っています。
けれども、心の中は「大金を手にする」ことだけに意識が合っていることが強烈に伝わってきます。
結局はカネなんだよ、と。
結局は、そのデフォルメされた外見でビギナーを騙し、自らの懐を肥やしてやろうといった意図が強く伝わるのです。


もうこんな時代になっています。心が生み出す念は、いとも簡単に伝わるように。
この国にある言霊「念」とは、良い場合にもよくない場合にも使われてきたように思われます。
しかし上記のような例では、どちらかと言えば「よくない」印象の波動として感じます。

激しく世の中が変わって、結果として大金を手に入れることが可能になるはずだと。
彼ら・彼女らの心には、まだ貨幣経済の落とし物にフォーカスの中心があるように見えます。


感謝して毎日を過ごしましょう。と語る。
その裏側からも、似たような念を感じます。
感謝を捧げていれば、目の前の風景は確かに変わります。間違いないでしょう。法則ですから。
けれども。
その先には、お金を手に入れて幸せを掴もう。といった論法が見え隠れすることが多いのです。


ええ、もちろんこの世では一円たりとも足りなければ生きて行けないこと。痛いほど知りましたし実体験しています。
偉そうなことは言えないこと、よく理解しています。現在でも痛烈に感じ続けていますし、その恐れの感覚も24時間365日、心の中から消えたことはありません。
現実・現状といった、地に足をつけた感覚が必須のスキルであること、よく判っています。


ところが、連日同じことばかりを綴っていますように、
その現状という名のコンフォートゾーンを自分から出てゆかない限り世の中は変わらないのです。
もはや、このような古い意識が持つ波動を維持している限りは、目の前の風景は「変わりようがない」わけで。

より多くの貨幣資産を持つ。
より多く、より数の多いものが優れているという感覚。
そして落とし穴も。
不足にフォーカスするから不足が出現する。というその界隈の論法。
結果として、大金が手に入ったイメージを描いて実現しましょう、幸せになりましょう。という教え。


同じ図式ではないかと感じてしまうのは、わたしだけではないはずです。
幸せって何ですか。
そのように感じる「心の状態」が幸せの本質そのものであって、モノやカネではないでしょう。

もちろん、
モノやカネを幸せの対象としてフォーカスしている人は、その風景を自分自身で顕現化させてゆきますから、それが幸せには違いありません。当然、その人の自由。自由意志と自由な選択です。


わくわくする感覚を否定しているのではありません。ここは誤解のありませんよう。
でもわたしには、いかにも手垢にまみれた言葉に聞こえます。
わたしには、「うきうき」だとかのほうがまだ新鮮味を感じます。
きっと、上記のようにその道のビジネスに使い回されてしまったことがその背景にあるからでしょう。

学生時代に音楽をやっていた時期。
ナレーターが「心うきうき、氣分は音楽アイランド!」だとか語るその言葉に、恥ずかしさのような大きな違和感を感じたものです。
けれど、いまとなっては、むしろその「うきうき」のほうがより親和性を持って感じられます。


初めに戻ります。
言霊に託したエネルギーは、このようにいとも簡単に伝わる時代を迎えました。
この国に生きる以上は、その使いこなしに十二分な配慮が求められるのではないでしょうか。

ここでも、目に見えないもの・コトを大切にする必要性を認識します。
そんな時代になりました。
その言葉の先にある意識。ともに生きともに新たな風景を描き出してゆく仲間を大切に。貴重な言霊を添えて。

そして忘れてはならない感覚。
それは、数を追いカネを増やすことに意識を合わせるのではなくて、
自分にしかできないこと、自分だけが果たせる役割を認識し、それを提供し合う世の中を創り上げること。
必ずあります。自分にしかできないことが。

それを互いに提供し合う世の中。
そこに「お役に立てる」喜びが生まれてゆきます。
この好循環スパイラルが、わくわく・うきうきな感覚として認識されるとともに、ここに至って感謝という溢れ出す感覚が自然に生まれてゆきます。






ただ眺めてみることで生み出す

ひっそりと photo 宮本章光

眺めるだけ。
その中で、波長が合うこともあるでしょう。
あるいは、まったく合わない時もあるはずです。


わたしたちは「答え」を必ず手に入れなければならない、といった思い込みに囚われているかもしれません。
--必ず売上は右肩上がりを実現しなければならない。
--必ず利益を出さなければならない。

大切なこと、もっともっと重要なことを忘れていませんか。

それは、貨幣経済という隷属化の仕組みを強制されたがゆえの姿。
しかしながら、
現時点では、その枠組みを「超えられず」「取っ払う」こともできない状況であることは否定できません。
だから、その考えや思想を「頭ごなしに否定」し、自分の置かれている環境を正当化しようとしてしまいます。
これが、いわゆる「思考のクセ」だと語られる所以です。


このクセを捨て去らない限りは、
「自分からその縛り」を脱することはできず、よりによって「自分でその縛りをより強固」にし続けます。永遠に。
ここを学ぶ必要があるでしょう。

それが証拠に。
じゃ、キミは一円も持たずに生活できるんかい!
だとか罵る。

これ、クセだと氣がついていません。
(尚且つ、論点のすり替えでもあるでしょうか)
自分から一円さえ持たなくても生きて行ける道を生み出す必要があります。いますぐにはあり得ないこと、重々承知の上でです。

実現不可だと感じ、極めて難しいことであっても、その「現状」と言う名のコンフォートゾーンに居続ける限りは、永久にその道が変わることはあり得ない。と氣づく必要があります。
現状を打破する意識が「皆無」である以上、決してそれが実現することはないのですから。
常識を破ってこそ、そこにパラダイムシフトが起きます。


じゃぁ君は...。その言葉は、もういい。
ですので、
望む道を描き出す。望む風景をエネルギーとして生み出す。
この波動を、可能な限り維持し続けます。
タイムラグがあるため即効性は無いながらも、そうすればこそ流れが変わってゆきます。
当然、この世で体を持って生存している以上、限りなく波動の低下を味わうことも多々あるでしょう。
ですがそれを乗り越え、ゴール地点だけは見失わないよう。


わたしたちは、即効性を求め、そして目の前にすぐに答えを出さなければならない世に麻痺してしまっています。
わたし自身、それを極限まで人体実験したことで、あと一歩のところでこの世から消える直前までを体験させていただけた。ともいえます。
いまだにそれをやってる人たちは、それが希望であり自らの意志表示なのですから、極限まで追求なさるのがよいかと。
仮にお借りした体を失えば、その因果を学べるわけですから。
実体験してこそ、語れるようになります。


即効性を求めず、目の前にすぐに答えを出さない体験。
それは、言葉を話さず・移動せず・でもひたすら可憐に生きる生命に向き合ってみます。
ただ、眺めるだけ。
ただ、見ているだけ。
もし同じエネルギーの周波数に合致したなら、その瞬間に大きな力を感じます。
この一枚がデータとして残ったことが、響き合えばこその証明でもあります。

そんなヒマあるわけないやろ!それをお花畑と言うんとちゃうか?えぇ?どやねん。
と感じた方々は、それがご自身の選択と意志表示。
永遠にこの隷属化の世をやり直し、学び直しなさるだけのことです。
どうすれば道を乗り換えられるのか。
どうすれば望ましい世が作られるのか。
この展開に、一瞬たりとも思考が転換しない(できない)のなら、隷属化・学び直し。石ころから猪に踏んでもらう50億年の学びをどうぞご自由に。です。

ただ眺めてみる。
その先には、遥か彼方かもしれませんが、望ましい世が創り出されるに違いありません。
なぜなら、それが仕組みだからです。





突き抜ける光を受け取るために

通り抜ける光を観る photo 宮本章光

信じるもの・コトが顕現化する。
信じないもの・コトは実現しない。


突き抜ける光を捉えてみます。
これほど厚みのある葉に光が通り抜けるはずがない。と思えば、通り抜けるさまを観察することはできないでしょう。
しかし、目の前でその様子を見たならば、その認識がひっくり返るのです。
「視覚」だけ、「目に見えるもの」だけを信用するクセが、その様子を「見せる」という逆説的な演繹によって。

けれど、これは大いなる仕組みであったことを知る必要があります。
観るには、観て然るべき周波数に合致したからだと。

大原則・大法則。
フォーカスしたものに共振する。
フォーカスした先に共鳴する。

単純明快。
自分の目の前の風景は、自分が創り上げることを。





綺麗ごとだけではない負の因果

さまざまな生命と輪廻 photo 宮本章光

さまざまな存在。
多様な働き。
新たな創造。

みんな同じであるはずがありません。
それぞれを認め、
それぞれを尊重し、
すべてを受け入れます。

この多様性を体験するためにやってきたこの地・この世です。
それなのに、
「人と同じである」ことに喜びを見出すような洗脳に染まったまま悦に入る。
それなのに、
「人と同じだから」安心し、自らそれを選ぶ行動を取り続けコンフォートゾーンから出ようとしない。


学ぶためにこの地を選び、
学ぶためにこの世に降り立ちました。

この地の「開講時間・授業時間」が間も無く終了します。
誰しも、それを肌感覚で知っているはずです。
誰しも、それを潜在意識のレベルで感じているはずです。
それなのに、
「学ぼうとしない」選択をし続ける限り、再教育を受けるまでのこと。
それがご自身の選択と意志表示です。
しかし、それだけでは済まないことを再認識する必要があるでしょう。


一つの文明の崩壊と滅亡の時期を体験する。
この稀有なタイミングで「わたしは活躍を約束し必ず役立つ活動をします」「わたしは人のために役に立ちたい」と手を上げました。
あなたが手を上げて選ばれたことにより、この選抜メンバーに入れなかった他の100万人の魂にどうやってお詫びをしますか。

できることに目一杯取り組む。
それは、その人の魂レベルならデモに参加することかもしれません。
それは、その人の精神性レベルなら悪よ滅べと叫び踊ることかもしれません。
それ以上のものを理解できない以上は。

しかし、結果として、
負のエネルギーに油を注ぎ続けた因果は自分で背負うことになりましょう。
「知らなかった」「知らずに毒を人に注射した」のは、本当に知らなかったとしても、その行為に及んだ業界の人たちは、然るべき因果を解消せねばなりません。
とても難しい次元(レベル)の話には違いありません。
故意ではなくても、人をあやめた、あるいはそれに近い損害を与えたのは事実であり、相応の因果が生み出されたのは客観的事実であり揺るがない事実でしょう。

似ていませんか。
体験のため・学びのためとは言え、数限りなく仲間である生命を殺し続け、本来食するべきではない動物を口にし、感謝を忘れ続けた因果も、大枠では同じでしょう。
同じく、
この地この世に、学びのためとは言え、限りなく膨大な負荷・負担となる害を生み出し続けたことも。
間接的にでも、環境を破壊し尽くす文明において、生活をしている限り同じでしょう。


自分で生み出した因果は自分で解消する。それはこの体をお返ししたあとにも永遠に続くとされます。
この期末で、一旦クリアにする。と語られますが、それはこのあとに負の力を生み出さない宣誓と完全浄化が条件であるはずです。

学びは永遠だから...と、綺麗ごとのように片側だけの精神世界を語る特定界隈の人たち。
学びは永遠に続くんだから、もう嫌だとかもうたくさんだとか言うのはダメなんですよ。それでは永遠に卒業できませんよ。などと教える特定界隈のビジネス。
いつまでも「教祖様」に従う、それこそが自分軸が無い証明。

学びのために生み出した「負の因果」も、永遠に償い続けることを忘れてはなりません。
人と同じことをして安堵する行動そのものが、負のエネルギーを増大するように仕組まれたこの世の流れに迎合している時点で、激しく負の因果を積み続け罪を重ねていることを。


ここまで学んだのなら、
学んだ人は何をするのが正解でしょうか。
負の力を自分から生み出さない。仕組まれ故意に作られた負のトラップに合わせにゆかない。
そして、望ましい力を生み出してゆく。

お手本は足元にあるのではありませんか。
お土に還り、他の生命のために役に立つという永遠の螺旋がそこに。

自然とは「じねん」であり輪廻を繰り返しその永遠に途切れない糸を紡いでゆきます。
ともに生きる生命に意識を合わせて。
そのために手をあげてやってきたのですから。
そして、お借りしている「体」がある限り、その衣を最大限に活用し役目を全うするまでです。





未来とは現在の積み重ね・くだらない都市伝説

そして大地に還る photo 宮本章光

いまを目一杯生きる。
その瞬間を大切にする。

その本質は、いい加減に怠惰に過ごすことではないと理解すること。
その本質は、いまこの瞬間瞬間の積み重ねが時間として認識されているのだと知ること。
くだらない都市伝説に踊らされることなく。
取るに足りないインフルエンサーたる者の災害予言的情報に右往左往することなく。


いいですか。
この国には、もう数年来「壊滅的な被害をもたらす台風の上陸」がありません。
また、同じく「壊滅的な破壊を伴うレベルの地震」もありません。

なぜでしょうか?
どうしてですか?

氣象・天氣は人工的に操作されていたことを知る人が「閾値(しきいち)」を超えた証明です。
同じく、大地を揺るがすことさえ、隷属化の世を作り上げたい支配者層による悪しき企みであったことを知る人たちが「閾値を超えた」ことに他なりません。
少し前に、なんちゃらトラフだとか、耳タコ無数のレベルでオールドメディアが「煽り」ました。
けれど、わたしたちの「集合意識」が、もう騙されなくなった証明です。彼らは一週間ほどでやめてしまいました。効果が出なかったわけです。

いいですか?
繰り返します。
オールドメディアがwebに置き換わっただけで、コロッと騙されている人たち多数...。
オールドメディアが煽る故意に恐怖を生み出す仕組みが、Youtuberなるインフルエンサーに置き換わっただけで、いとも簡単に騙される人たちも数限りなく。
テレビは見ないけどyoutubeは逐一確認するよ。だってもう騙されないからね。大丈夫!と仰る。
(それ自体が騙されているわけですが・痛いですね)

そんな風景がいま進行中のように見えます。
これは「仕組み」なのです。仕組まれているわけで。
結局、同じ図式でコロッと騙されています。そして自分ではまったく氣づかない。
むしろ覚醒した最先端を走る者だと思ってしまう罠(ワナ)。


地震など最たるものだった。ともう理解できているのなら、そうした「恐怖を基盤にした」エネルギーを「不用意に生み出さない」ことです。
なんたら速報...などと響き渡る不氣味なサウンドそのものが、人々の心を恐怖に陥れるのです。
そうした膨大な数の人たちの心が生み出す負の力が束ねられ、ちょっとした起爆剤にしか過ぎなかった地割れを、破壊的・壊滅的なエネルギーへと瞬間的に増幅するトリガーになるのです。


心が・あなた自身の心が、すべてのモノ・コトを生み出していると知ることです。

そこを見れば、見た対象のエネルギーにシンクロします。
それを聞けば、聞いた媒体のエネルギーが持つ周波数に同期します。

あと何度、繰り返せばよいのでしょう。
それは聞き飽きたよ。あなたの言うことは理解しているつもり。でも、災害は別でしょ。
これ、あるところである人が話した言葉です。
彼は、デモに参加しなければ世の中は変わらない。と語ったその人。
情報感度は高いと思われ、さまざまなところにアンテナを張り巡らせています。職業柄かもしれませんが。

しかし物質次元的発想から抜け出せません。
わたしが常々話すことは理解できているでしょう。心が生み出す力が時差を経て顕現化することを。
でも、
災害は自然に起きるんだから違うでしょ。と。


まだこのループから抜け出せていない人が大多数ではないでしょうか。
だから、4月のいつだとか7月のある日...だとか、いつまでも騒ぐ。
騒ぐのは恥ずかしくありませんか。と、連日綴っています。

でもそれと災害は別でしょ?と思うのなら、同じく旧いループから抜け出せていない証明です。
災害は避けられない。という洗脳から抜け出せていないわけで。


災害であろうが、望ましい未来を描こうが、自分が心に抱き描くものが、潜在界(幽界)でエネルギーとして生み出されます。
同じなのです。
そして、それが時差を経てこの世に顕現化します。
ポジティブかネイティブか。それだけの違い。そしてともに等しく存在する。それがこの地この世の大原則ですから。
そして、ともに認め尊敬した後で、自分はどちらを選びますか。と選択するわけです。
そのエネルギーは、上記に書きましたように同じ周波数どうしが束ねられより大きく成長するのです。



これは仕組みです。
であるなら、
災害だ、何だ、と「都市伝説やと思うんやけど有名インフルエンサーがこぞって語るからホンマに起きるかも知れへんで。」
などと思わないことです。

思えば、あなたがその波長を生み出し・より強力に増幅します。
あなたの未来は、あなたの責任で生み出されます。それが仕組み。


悪よ滅べ。その節が、負のエネルギーを焚き続けることを学んだのなら、
同じように、災害がくる・未曾有の世紀末がやってくる。などという同じ図式のトラップにハマらないことです。
これは仕組みです。そこに仕込まれている。自分がそのピース・パーツにならないことです。

発言に責任を持つ世の次は、心に抱くもの・コトに責任を持つ。
何度も繰り返してきました。もう聞き飽きたでしょう。何度も申し訳ありません。
でも、肝心かなめの部分が分からない人たち、大多数。


未来とは、勝手にやってくるのではありません。
いま、この瞬間瞬間の積み重ねの結果です。
それが因果の法則として語られているのです。

だから、いま何を想い何を心に抱きますか。ということであり、くだらない情報に踊らされるのは恥ずかしくありませんか。
と、何度も繰り返し綴り続けています。


いまを目一杯生きる。
その瞬間を大切にする。
それならば、いま何を生み出しますか。




植物たちは知っている

花たちは知っている photo 宮本章光

おかしな天氣ですか。
100年に一度の異常氣象ですか。
地球温暖化の影響ですか。

「この世」という名のVRゲームセンターでいつまでも騒ぎ続ける未熟な地球人。
木々や花々は、横目で観察して呆れ返っていることでしょう。
いや、彼らはそんな低レベルな感情は持たないに違いありません。

下から激しく熱する「床暖房」が無くなりつつあるからでしょう。
「地下」や「上空」から毎晩不穏な音が響き渡る状況に氣がついていますか。
メディアが言わないことは誤りでしょうか。
いえ、言わないからこそ正解だったのではありませんか。
この5年間で何を学びましたか。
亡くなった方々から、何を学びましたか。


このうえなく伸び伸びと。
これまでになく大きく目一杯。
そして、自在に拡大する彼らの素晴らしいエネルギーが見えていますか。

眼で見ることもさることながら、その周波数の力を感じようとしていますか。
目に見えないエネルギーこそが、膨大な情報量と力を持っていることを感じていますか。

植物たちは知っています。
この地で繰り広げられている驚くべき真実を。
この地で進みゆく滅亡と崩壊、そしてその次に実現する新たな世を。
だからこそ、
これまでにない美しさと果てしなく拡大する大きな力を「ここに表現」していることを。

そして、その波長を維持するからこそ、彼らの現実は「その通りの望ましい」未来が約束されることを体現しているのだと。

地球というVRゲーセンで夜更かしを重ね、叫び踊り回るのは、もう終わりにしてはいかがでしょう。
ともに歩むべき仲間は、とうの昔に大人になっていることを知ればこそ、恥ずかしい生き方はできないはずです。





うわべだけの生き方は恥ずかしい

光も影もあるから際立つことを忘れない photo 宮本章光

コンフォートゾーンから脱出する。
勇気が要るでしょう。
不安があるでしょう。
けれども、ぬくぬくと居心地がいいと感じるぬるま湯に浸かっていてもシフトは起きません。

いつまでも悪よ滅べ!節を叫んでいる限り、そのコンフォートゾーンに居続けたいとの意志表示。
いつまでも俺がオレがのヒーローごっこをやる恥ずかしさ。裸の王様。

どちらも認め、どちらも受け取り・受け入れる。
そのあとで、
自分が望むエネルギーを選択する。

選択は、両方を認め敬意を表した上で、そのあとに望むものを選ぶのです。
初めに、両方を認め、その仕組みに感謝を捧げるプロセスを忘れています。
未熟な自分の精神性を高めるために、騙してもらい苦しめてもらい、そしてその仕組みを知ることができたのですから。
極論すれば、騙されるだけの未熟さゆえに、あろうことかお借りしている体まで失う人が現れるのです。
この仕組みに感謝を忘れてはなりません。


光り輝く部分と、影として支える部分がともに存在するから、この一枚の中にエネルギーを込めることができます。
どちらか片方だけでは、この地では存在できないのです。
当然、それを形に落とし込むには撮影や編集のテクニックが必要とされる部分もありましょう。
けれど、
まず初めに、先に、その対比を感じる感覚ありきです。
その両極がセットで存在していること、そのものを認識する必要があります。


いつまでやりますか。
悪党ども消え失せよ。我こそはヒーローなり。我こそ世を変えるインフルエンサーなり。
行動しないかぎり世の中は変えられないんだ。行動せよ。叫べ走れ。行動こそが世の中を変えるんだ!
いつまでやり続けますか。恥ずかしい。

耳タコを通り越して単なるイタイ人になるのは避けたいので、今日もここで終止符を打ちます。


両方・善悪・表裏をともに認める。
両方を体験させていただけたからこそ、自らの精神性を拡大することができ魂の成長が叶うのです。
そこに感謝が生まれます。
無理矢理に一日10回感謝する言葉を書いても本心からの感謝の波動は生み出せないでしょう。
うわべだけわくわくしてみても、心の底から湧き上がる感動や恍惚感は味わえないでしょう。


すべては仕組み。そして因果。
その仕組みとその力、それが神だと。
ここに感謝が生まれるのです。





いまこの瞬間のエネルギーに自分から合わせる

いまこの瞬間のエネルギーに合わせる photo 宮本章光

繰り返し書き綴る必要があるように感じます。

「ボーッと口を開けて待っていれば自動的に流れてくる」
という感覚から卒業してはどうですか。と。

テレビなど最たるものでした。
そうやって感覚を麻痺させる目的でメディアが作られていたこと、もう繰り返す必要はないでしょう。
SNS然り。
単に媒体が変わっただけ。画面がPCやスマホにとって変わっただけ。


エネルギーという言葉に拒絶反応があるのでしょう。
波動だとか波長という言葉が嫌なのでしょう。
そして、目に見えない...と接頭語が付くだけで頭ごなしに目を逸らす。
その判断とそのアクションが、石ころから学び直しコース50億年を希望します。との意志表示かもしれないことを。

他方、
キレイなもの・コトにフォーカスするのは望ましいに違いありません。
少なくとも、悪よ滅べ”と叫び走り回るよりは、何百倍も何千倍も好感が持てます。
けれど、見た目だけ「綺麗ね・可愛いね」「わくわく」だけで、その本質に「繋がろうとしない」のも、もう一方の極右政党ならぬ極右派閥たる、その道のビジネス業界のように見えます。


ともに共通すること。
それは、
「教科書や教祖様が言うこと」を盲信する。

美しいものを美しいと言いましょう。
わくわくしましょう。
そう仰るから、そのように真似てみる。

ええ、形から入る。否定しませんし確かに効果があるはずです。
でもね。そこに自分の感覚やその瞬間の意識はどこに行ったのでしょうか。


また別に、第三勢力とでも言うべき派閥もありましょうか。
何〜にも感じない。わたしはスピに染まらないし自分軸を持ってるし。
そんな人たち。

これも同じではないかと感じるわけでして。
自分から「合わせにゆかなければ」絶対に何も感じることなどできません。
繰り返し繰り返しここに書き綴っていますが、彼らの存在が閾値を越えなければ、この地は変化しないでしょう。

重要なカギを握るのは、この第三勢力であることが判ります。
現時点では上記の二大勢力とまったく同じニオイがします。いまのままでは、決して第三勢力が最適解ではないことが。

「もう地球を堪能したから卒業したいなんてのはダメなんだよ。それ、永遠に学びが必要なこと忘れてない?」
などと、自分から枠を作ってその枠の中で悦に入る。
あろうことか、有名インフルエンサーも同じことを言ってるし。といったような、もう終わったはずの古く悪しき洗脳と同じ図式に、再びハマり込んでいることに氣づいていないように見えます。


---自分で卒業したい。と思えばそれでいい。
---自分でその道を創り出し切り拓けばいい。
それなのに、
「自分で苦労することを否定しては成長が期待できないんですよ。学びは永遠なんだからさ。」と、やってしまう。
これ、いつか来た道。期待のホープ第三勢力がこの始末。
成長できるかどうかは他人に指示されるものではないでしょう。
まして、
それを経験しなければそれを学べないことを十分に「学んだ」のですから、それをとやかく説法される必要などありません。
(逆説的ですが、わたしがここで論説を記すのも同じ図式であり同じエネルギーを焚くので、ここで終えます。)


肝心なことは、
「自分が抱く波長と同じエネルギー」が増幅され時差を持って顕現化すること。です。

いまこの瞬間に望むエネルギーにシンクロさせること。これこそが心のイメージをこの世に具現化する、極めて重要、そして唯一無二の方法であることを忘れてはなりません。

合わせる。
とは、自分から能動的にあわせねば絶対に響き合うことがありません。
口を開けて待っているだけでは何も受け取れませんし、何〜にも感じないのはあたり前。当然です。
これは不変・普遍的な大法則に他なりません。それはわたしが勝手に述べているのではなく。


きれいね・あたたかいね。と、webに溢れる見た目だけキレイな桜とは、まったく異なるエネルギーをここに伝えます。
そこに「自分から合わせに行けばこそ」、ここにある膨大な生命力の片鱗を感じ取れるはずです。
感じないのではなくて、自分から行かないから何も得られない。
そして、合わせに行かなければ、何〜にも変化も成長も成し得ないことを。さまざまな経験を経るからこそ成長と進化が生み出されることを。

これが本質だと学び終えるまで、あとどれほどの時間がかかるのでしょうか。

【画像データ直リンク】
全画面でこの力を受け取ってください







自然:「じねん」とともに歩む

2025年の桜に感謝を奉る photo 宮本章光

通行の障害になるから枝を切り落とす。
害虫の発生が問題になるから切り刻む。
そして今度は、
監視カメラの障害になるから、と根こそぎ切り倒す。

犯罪抑止とはいかにも方便であろうと思われ、一般臣民の監視化が目的だと。
そしてそのための費用は血税から賄われ、利権に群がりその汁を吸い尽くす寄生虫的企業の懐にカネが転がり込む仕組み。
(わたしも何社かの企業に在籍していた時期があり公的機関との接点も少なからずありましたので、裏側で行われていることは、嫌というほど見てきました。)


大なり小なり、そうした仕組みでこの世が成り立っていることを知ったなら、
それをけしからん!悪よ滅べ!と叫びデモすることではないはずなのです。

可能な限り多くの声を伝え届けることに意味がある。
多くの行動が少なからず世を変える原動力になったはずだ。
と、結局は自己満足と自己承認欲求の塊のまま。
そして、拡散せよ拡大せよ、我こそは有名インフルエンサーなり〜、というアピール。
この期に及んでさえも、まったく成長できなかった様子がありありと。


昨日の記事にも記しました「人が消える」という言葉。
これを会話の中に取り入れるや否や瞬間的に反応があります。「え?人が消えるの?どうやって、どこに行ったんや?」と。

あの〜、それは意識の中から外れると言う意味で、意識されなくなる状態が、実際に物理的に消えたと同じレベルで認識しなくなることを語っています。
この瞬間に、あぁこの人は「物質的観点の思考」から脱していないな、と判ります。
すべては、モノの発想。
すべてが、物質的観点と唯物主義の範疇にある思考。

そのためのこの地ですから、ここを否定するものではありません。
その体験をするためにやってたのですから、それが良いとかよくないとかを言うものではありません。
けれど、この先の世には、そうではない「もう片方の」重要な要素となる精神面での成長が望まれますよ。
ということを話しています。


実際、悪事をはたらく存在が消えることはないわけで。
善悪・表裏・両極は等しくバランスしなければ存在し得ないのがこの地です。
そこに意識をフォーカスするから、自分自身がその現実を作り出してしまうのですよ。という部分にまで学びを拡大し、そしてこの先には、望ましい風景・望ましい世を、自分たちの心が生み出す波動としてのエネルギーから、この地に顕現化させてゆきましょう。といったレベルにまで成長する必要があったのです。
(機を改めますが災害を生み出すのもしかり。わたしたち自身が創り出しているということを。)
もう時間切れですから、それを学ぼうとしない人からは離れるのみ。


では、
わたしは、そしてともに望ましい道を切り拓こうとなさる方々は、何を生み出せば良いのでしょうか。
それは、
自然とそこに生存する多くの生命に意識をフォーカスすることではないかと感じます。

それは「しぜん」ではなく「じねん」だったことを知ります。この国の言霊に包まれたエネルギーは。
自然(じねん)を蔑ろにしてきたから、その因果がいま降りかかる。
自然(じねん)とつながる心を切り離してしまったから、その結果が因果である負のエネルギーとして生み出されたのではないでしょうか。

至極当然。自業自得。
それを、悪よ滅べ!と責任転嫁し、自分が生み出した因果に抗う限り、望ましい世は絶対に実現することがありません。
学び、とはそういうことだと。
洗脳のための学校教育の試験で満点を取ることではありませんし、言われたことに忠実に従うことが美徳でもありません。


自分で考える。
自分で認識する。
だから自分で行動できるのでしょう?

切られても枝打ちされても、盛大にその美しい姿を、必要な時期になれば必ず披露する彼ら生命存在。
どれひとつ取ってみても真似できないでしょう。
人間という存在の驕りが、過去に激しく溜め込んだ負のポイントが、いま一氣に表出していることを知るならば、「自然=じねん」とともに歩む未来を、自らの心によって創り出す責任を感じないはずがないと思うわけです。

もはや言い飽きたレベル、「これからは発言に責任を持つのではなく、心に描き生み出すエネルギーに責任を持つ。」です。
ひとこと、
人間の勝手で数知れずの多くの仲間を切り倒してしまい申し訳ありません。
過ちは繰り返しません。
と、立派な樹々にお詫びのことばを伝えてから。





色というエネルギーを受け取る

春を謳歌する仲間たち photo 宮本章光

固有の周波数。
特有の波長。
その生命が持つ波動、その存在が持つ波動。

生命のみならず、すべての存在が固有の振動周波数を持っているとされます。
それは、
その波長に「自分から合わせて」みなければ感じることができません。
この仕組みを忘れているように見えます。

ラジオにしても、その放送局にチューニングしなければ決して番組を聴くことができません。
スマホに至っては、そのキャリアの周波数に対応するモデムが備わっていなければ絶対に通信できません。
それなのに、
目に見えないものをいつまでも否定し、生命の周波数なんて何〜にも感じない。
そんなもんあるわけないやろ。そんなフワついた戯言を言う奴は頭がおかしい。と言い続ける。


自分から「合わせて」みるのです。
自分からその周波数に「合わせにゆく」のです。
何もせず、何も考えず、ただ口を開けていればエサを与えられるかのごとく感覚を麻痺させられてしまった名残ではありませんか。

物質至上、唯物主義オンリーな人たちは、かなりのウエイトで意識の中から消えてゆきました。
ところが、そうではない、この先ともに道を切り拓くはずの人たちが、まだまだこの悪しきクセから脱却できない様子を感じます。
クセさえも、自分から外さねば変わることはできないでしょう。
すべては、自ら自身の意志によって。


色というエネルギーならば受け取れますか。
色という波長で示されたエネルギーは、どのように感じることができますか。
赤色・緑色・青色...。
言葉で知っている辞書の中から一致する「色の種類という言葉」として認識ができますでしょう?
同じ感覚の延長線上に存在するのです。
エネルギーという固有の周波数は。

それは、自分から「見にゆかねば」「感じにゆかなければ」絶対に感じることはできません。
いつまでも巣の中で口を開けてエサを待つ雛鳥のような生き方は恥ずかしいと氣づく時期ではないでしょうか。





必要なものが必要なときに

定例の河床に意識を合わせる photo 宮本章光

すでに実体験を重ね肌感覚で理解できているものと思われます。
必要なもの・コトは、必要なタイミングで現れることを。


過去、それはトラブルや不具合を「装って」真逆の現象として出現する。
と語られてきました。
確かに間違いではなかったようにも感じますが、それは「そのように思い込んでいた」自分が作り出していただけだったかもしれません。

トラブルを迎えるのは、トラブルを招き入れる周波数を「抱き・生み出した」から。
不具合が発生するのは、不具合が起きて然るべき波長を「目に見えないフィールドに生み出した」からでしょう。

本来、必要とされるものは、必要とされる形と必要とされるタイミングで発生するはずだったのではないでしょうか。
もっと正確に言うのなら、必要とされるそのままの形態と現象によって。
それはトラブルや不具合を装って出現する必要はなかった、と理解が及びます。

そうした負の側のエネルギーを装って現れるのは、対極・両極を知り学びを深めるためだったように思われます。
それぞれをともに等しく受け止め・受け入れる。
この練習をさせていただいていたことを。
そして前述のようにその負の力を体験すべく、自らが生み出していたためだ、とも言えるように思います。


学び終えたのなら、もう正反対の事象・現象に「擬態」「装って」出現する必要がなくなります。
よって、必要なエネルギーを描き・抱く。
その大原則に則って、必要なエネルギーを生み出すだけだと。

必要なものは必要なときに、自らの意識によって顕現化させる。
それは特殊能力でもなければ超人でもないと理解できます。
隠され、騙され、隷属化のために洗脳され忘れ去っていた、元々各自それぞれが当たり前のように備えていた能力であることを。
必要なモノ・コトともに、必要な意識によって生み出せることを。


定例の川床にフォーカスを合わせます。
ここには、大きなエネルギーの流れがあることが伝わるはずです。
受け取ろうとすればこそ、この道この行程で出現します。
そういう時代に入りました。





断捨離・手放し・浄化の次は「協力」

仲間に心からの波動を送る photo 宮本章光

苦しい浄化を続けてきました。
この先に不要なものを捨て、手放し、身軽になろうと努力してきました。
口にするもの二つを徹底的に・劇的に改善しようとしてきました。

このプロセスで「脱落」してしまう者もあるでしょう。
ここに来て、そうした姿が顕著に見えるようになってきたようです。
それが、身霊相応。
これこそが、決して偽ることのできない「自分相応の周波数」。

上昇し続け、ここに来てさらに高く、より大きくレベルアップを果たそうとする地球のスピードについて行けない。
脱落組。さまざまな障害を越えられない。
体調不良は、その証だと判ります。特に「弱い部分」が真っ先に病みます。
けれど、これを乗り越えなければ、次のステージには上がれないことが理解できます。
あるいは、
過去に積み重ねた負の因果が、ここに来て最後の大きな課題として表出しているのかもしれません。


成長のための学びはこれからも続きます。この先も止まることはありません。
よく理解しています。
しかし、その「作業:アクション」は、これまでは自分に対してのみしか行って来なかったように思われます。

僅少ながらでも努力を続け、一定ゾーンまで上がることができたのなら、次は「他の存在」にもそのポジティブエネルギーフィールドを広げてゆきたいと思うのです。

断捨離・手放し・浄化。そして学び。
そこに終わりはありません。でも、併せて「この先にともに歩む人たち・生命・さまざまな存在」にも、望ましく暖かい波動を波及させてゆく必要があるのではないでしょうか。
それは、
自分を蔑ろにして人のために尽くせ、といった、滅私奉公な過去の洗脳を再トレースするのではなくて。
ポジティブな波動は「束ねればこそ」加速度的に拡大・飛躍するものだと語られている通りです。

これが「協力」という言葉の、本来の姿・本質だと感じます。
おてて繋いでみんなで一等賞... などという支配者の仕組んだワナにかかりませんよう。





教育という悪しき洗脳から脱出する

見事に花開く photo 宮本章光

準備はできていますか?
用意はいいですか?

すべての物ごとが、180度ひっくり返ります。
正しいとされたことが「誤り」で、間違いとされたことが「真実」であったと、そのようにパラダイムシフトが起きようとしています。

本当に大丈夫ですか?
教育という名の強烈な洗脳に染まった思考は、なかなかその固着した汚れを洗い流そうとしません。
いえ、それが「正しい」と、潜在意識レベルに刷り込まれているため、おいそれとは手放せないのです。

着眼点はたった一つだけ。
「順序」を真逆にする。正反対から思考する。
それだけ。
極めて難しい洗脳からの離脱・脱出は、この思考の順序を逆にするだけで、ものの見事に動き始めます。
もちろんいきなり逆転することはありませんが、歯車は一度停止し、ゆっくりと逆に周り始めます。


この場では、そしてわたしとこのwebを通してご縁を繋いでいただいている方々には、もう聞き飽きた言葉でしょう。
「心に描くもの・コトがこの地に顕現化する」
「心に抱き意識することで、見えないフィールドにエネルギーが発生し、それがタイムラグを経て具現化する」
この極めて重要な順序を。


過去記事に、何度も何度も綴りました。
「まだまだです。わたしなんて...。」
「いえいえ、まだまだですから...。」
「わたしは、まだまだそのレベルにありませんから...。」
一見、謙遜した素晴らしい発言のように聞こえます。
お淑やかに徳を積んだ人の話すことばは、こうでなければ。などと。

これが諸悪の根源であることに氣がついていません。
氣がついていれば、そんな言葉は口には出てきません。決して自分から口にすることはありません。
そんな発言が美徳だと強烈に刷り込まれた悪しき教育の結果です。まだ拭いきれていません。


まだまだです。と言い続ける限り、まだまだな現実が永遠に続きます。
それは、自分自身がそのように創り出しているから。

口にする言葉は、この先の世を劇的に変えるための「極めて重要な二つの要素のうちの一つ」です。
美徳だと思って(教育洗脳の最たるもの)負の方向に力をかけてしまっていることが理解できますでしょうか。

---まだまだです...。
---いえいえ、わたしなど...。
---自分ができているとは言えませんが...。

その言葉、ひとつ一つが「まだまだ」であり「わたしなど」であって、「自分にはできていない」現実を創り出します。
言霊。
ことだまとは、エネルギーそのものです。
まだまだ...と言えば、そのエネルギーを自分自身が創り出します。
そのエネルギーが時差を経て、この世・この物質次元に「まだまだ」な現実として顕現化するのです。

わたしの父は、若い頃によくこのように話しました。
「歳をとれば頭が満足に動かなくなって寝たきりになるかもしれん。」と。
実際、その通りになってしまいこの世を卒業してゆきました。自分で自分の現実を作った実例です。


腰を抜かし立ち上がれないほどのショックは、こうした「思考-->顕現化」という順序そのものにあるのだと。
これまでの順序は正反対だったのです。隷属化の世にするために。
ですから準備はいいですか。と激しく繰り返して綴るのです。

デモでもして行動せん限り悪事をはたらく人間はなくならなんやろ。
そうでしょうか。
そう断定しているご自身が、その現実を作っているだけでしょう。
じゃ、キミは何もせずに世の中をよくできるんか?
と仰る。

何もしていないのではなくて、そうした負のエネルギーを生み出さず、正反対の望ましいエネルギーを生み出せば、その通りの現実がやってきます。時差を経て、です。
ここを、精神レベルでも肉体レベルでも、本当に理解し実践しなければ現実という名のマトリックスは変わりようがありません。


世界が大転換するぞ・来るくる詐欺で踊り続ける人たちも成長しない限り、いつまで経っても目の前はこのままです。
アメリカの軍事情報だ何だ、と追いかけている限り、決してそれ以上の成長は望めません。
その閾値(しきい値)が、この地の波動を変えるレベルにまで上昇しない限りはいつまでも。
すでに、彼らの生命存在としての「波動:周波数」は、地球そのものの上昇に「ついて行けなくなった」ことがよくわかります。

かつてのオールドメディアに、オールドインフルエンサーがどんどん活動を止め、表舞台から消えてゆきます。
体調不良のためといいます。が、実際は「ご自身の波動」が、地球規模の上昇スピードに追いつかず、振り落とされたということでしょう。次々と、これでもか。と。

さらにもっと強烈な上昇氣流となるエネルギーの変化があれば、今度は肉体を失います。
過去から語られてきた「ソーラーフラッシュで焼け死ぬ」というのは、まさにこの部分であったことに氣づきます。
火がついて焼けるのではなくて、精神的周波数の上昇・成長という地球・宇宙規模の波動上昇に、オールドインフルエンサーはついてゆけない。そのことが語られていたことに。

ええ、当然、わたしはまだまだです。と自ら謙遜する人たちも同じ。
まだまだな現実を自分で創造しているわけで、よってこの上昇氣流に乗りたくない、と自分から宣言していることになります。


美徳だ、などと骨の髄までその悪しき教育洗脳が染み込んでいるのですから、自ら掃除選択するのは、うわべだけの手放しや断捨離では間に合いません。
じゃ、君はできているんか!というのも同じ。
もう学び終えたものはしっかり身につけました。と宣言してみせることです。
できていない部分はこれから鋭意取り組みます。で良いのだと。
そう宣言することで、過去の学習済みレベルまでスポイルすることはなくなります。

この国が戦後行ってきた「最低レベルに合わせる教育」を、心底から捨て去らない限り、いつまで経っても世の中は変わりません。
消えてゆくオールドインフルエンサーを追いかける限り、自分の道も変化しません。


【参考記事:アーカイブ】
まず意識が「先」にありき[2024/04/30記事]
「科学という名の宗教」から脱出する」[2024/01/25記事]
「初心者」ずっと続けます?[2023/07/11記事]
自分で望む風景・世界を創り上げる[2023/02/08記事]





和する心

大柄な葉牡丹から受け取る印象 Photo 宮本章光

葉牡丹、この種はかなり大柄で、初見では多少なりとも引いてしまう感覚を受けました。
(個人的感覚)
これこそが、周波数の違いだと理解できます。
この存在が放つ波長と、この瞬間のわたし自身の波長は異なっているのだと。

当然、生命として別々の存在であるので、同じ周波数ではなくて当たり前ですが、何か響くものがあればそれは、まるで「和音:ハーモニー」のように共鳴します。
歌って「ハモる」感覚と言えば理解が早いでしょうか。
ハモるためには、ハモる理由があり、それが生命存在として共に共有できる要素があるとの前提ですが。

ですので、何でもかんでも、周波数が違う・波長が異なる。と、完全に同じ「音:波長」ではないものを拒否し続けると、純な同一周波数の音だけしか響かなくなります。
まさにモノトーンオンリー、ピュアトーンのみが鳴っている感覚です。

webにもありますでしょう。
特定のヒーリングなどを目的としたモノトーンが数十分だとか数時間だとか流れ続けるサイト。
その特定の目的においては有効なのだと思います。しかし一つの音だけが延々数時間鳴り続けると、逆に耐え難いはずです。


いま、学ぶべき課題がここにあることに氣がつきます。
精神世界の重要性が説かれ、認識と理解が飛躍的に拡大している様子が見て取れます。
ところが、
心静かに望ましい道を創造しているはずの人たちが「完全に同一の周波数」だけしか選択しない。そうした遠回りをしている様子が見えます。

モノトーン以外をすべて拒否してしまう。それはハモることさえも否定してしまうのかもしれません。
完全同一周波数以外を拒否すれば、まったく同じ・完全に同じ波動存在以外は存在できなくなります。
まさにモノトーンだけ。
この完全同一のひとつだけの音ではハーモニーが生み出せないのです。
=新しい価値・新たな成長や進化が期待できないのだと。


ブレない自分軸。
ジャッジしない生き方。
他人は他人、自分は自分。

至極当然でまっとうな言葉の数々です。間違いはどこにもありません。わたし自身も異なる波長は根こそぎ拒否するケースは多々あります。
けれども、
違する波長を「一旦受け止めてみて=味見して」どのような感覚であるかを確かめるチャレンジをしてみる。
これは大きな価値・意味があるかもしれません。
受け止めた時点で「ハモる=新しい価値・新たな成長や進化が実現する」かもしれないからです。


これを、この国の言霊に置き換えてみます。
「和」ではないだろうかと感じます。
「和する心」。

完全同一ではない周波数を一度手に取ってみる。
そして、それが「ハモる」なら、その瞬間にこれまでにまったく存在していなかった「新しい響き」が生み出されるのです。
この国に当たり前のように存在し、当たり前すぎて見過ごしてしまう「和」の本質がここにあります。

大柄すぎて「違和感」が強烈だった第一印象。
けれど、その存在が放つエネルギーを一度受け止めてみることで、新しい展開が創出される事例。
この一枚に内包されていることが伝わるはずです。

和する心。
この国の言霊には無駄は一切存在せず、類い稀な貴重な宝であることを再認識する瞬間です。





どこか誰かの役に立つはずと信じて

曲線と引力のコラボレーション photo 宮本章光

この体をお借りし、この地・この世で経験できる時間。
それは限られていることに異論はないでしょう。

魂は永遠だ。
と、これも間違いはないでしょう。


そうした論議、検証・ファクトチェックや情報検索に費やす時間は無尽蔵に与えられているわけではないのです。
まして、悪よ滅べ!行動せねば世の中変わらん!このままぼーっと過ごしていればヤられるだけだ!
行動とは動くことよ。
などと、暴れ回っても良くなるどころか、火に油を注ぐだけです。

彼らは一人残らず口を揃えてこう言います。
「何もしなければ世の中は変えられない。」
「悪事を根絶するために行動するんだ。」
「あなたはこのままの世でいいのか!」と。

行動?ですか?
行動って何でしょうか。

叫び続けること?
デモに参加すること?
選挙に行って投票すること?
その行動とされるアクションが「この地に何を生み出す」のでしょうか。
あなた自身が、負のスパイラルをさらにさらに強固に増強し、いつまでもそのエネルギーを生み続けます。
そこから永久に逃れられないのは自らの選択です。


心に描き出すこと。
心から望ましい波長のエネルギーを生み出すこと。
これこそが世の中や現実という名の「目の前の風景」を変える根源となることを学ばない限り、永遠に幼児教育レベル以下の教育プログラムを学び続けます。
50億年間サイクルの「岩石・石ころ」存在からのやり直しを、呆れるほどにさらに複数回繰り返します。
100億年、1,000億年...果てしなく。

なるほど、だからここにもあそこにも、石ころが数多く転がっているのでしょう。
動物に踏んでもらってください。糞尿をかけてもらってください。
そうして初めて、自分が石だったことに氣がつくのですから。そのレベルからのやり直し。


最近はあまり語られなくなった言葉ですが、100万人に一人と言われるプラチナチケットを手に入れ、「人間として」この世での体験をさせていただける立場にまで至ったのです。
それを無駄に過ごす時間など一切与えられていません。

この稀有な機会を台無しにして、負のエネルギーを生み続ける愚を重ねる因果。
膨大なレベルにまで積み重ねられた負のポイントを、どうやって解消してゆきますか?
すべてを因果の法則によって自ら生み出し、また、すべてが因果の仕組みによってもたらされていること。

であるならば、
いま、この時この瞬間を、望ましく暖かく心地よい波動で満たすことが不可欠だと結論が得られるはずなのです。
世間知らずな、おこちゃまは放っておけば良い。
人のことなど拘らず、放置しておけば良い。
けれど、それもわたしの因果となり蓄積されてゆきます。
人のことは関係ない。その通り。
ですが、
助けられるはずの人を助けなかったのなら、それはわたしの因果。


毎日同じことばかり書いてら、宮本は。そう思われていることでしょう。
リアルな接点のある人たちの中で、石ころコースを選択した方々は、もう無理だと判断したので離れました。
けれど、
webは、不特定多数の人たち、そして覚醒レベル/フェーズも千差万別ゆえ、思いも寄らないところで想像を超えた接点があります。
もしかすると、この一文字一文字が役に立つかもしれない。
そう感じ、今日も今日とて同じことを書き連ねます。
実際、5年前(2020年:現在2025年4月)の記事に、驚くほどアクセスされていることを知るにつけ。
【参考 過去アーカイブ:年月別】
https://and-em.com/blog/index.php?mode=past


体をお借りして経験できる時間は限られています。しかも、もう残りはカウントダウンレベルが近い状況。
だからこそ、取るに足りない情報で心をやられてしまう、だとか、くだらないエネルギーにフォーカスするなど、絶対に避けたいわけであり、それならば、まだここに一文字一文字を重ね、美しい生命存在の姿を残してゆくほうが役目を果たせるはずだと信じて。





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