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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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土曜クラスの生徒さん

カルチャーで学ぶ写真スクール屋外撮影

カルチャーで学ぶ写真スクール。この日は近場の屋外へ出ての人物撮影。

お持ちの機種がCanon EFマウントの生徒さんなので、私の70-200/F4L IS に付け替えて望遠の世界を体験していただいた。
教室へ戻る途中、既に「腕が疲れた...」の声。
(これでもf2.8Lよりは随分と軽いですけれどね)
「でも楽しい!」の声も。

ファインダーを覗いた中に広がる視界は、その人が独占できる世界。
テクニックに偏重することなく自由に撮影して、そこから表現の感性を磨いていただければ嬉しい。
こちらは、この生徒さんと相互に交換した50/f1.8レンズを付けた、5Dmark2で撮影。
絞り優先AE f2.2 +2/3EV ISO400 AWB

人物撮影の楽しさは、会話をしながら一枚たりとも同じ写真ではない数多くの表情が撮れること。
わずか十数分間、私も楽しい時間を過ごすことができた。

不自由を楽しむ空間

鼻デカ風に手前が強調された写真.jpg

前回記事の続き。
「鼻デカ料理」ではなくって「鼻デカ犬」風に手前が極端に強調されたイメージで撮影された料理写真のことを書いた。
今回、そうした写真を撮る機会があった。

一応、水面(珈琲面)に映った向こう側のランプをポイントにしている。
というか、所有のコンデジの設計では、珈琲カップにピントを持って来ようとしてもこの距離ではフォーカス守備範囲を超えてしまう。
なので、ピントが合わない。
また、鼻デカにならないようにもっと離れてズームアップしようとすると、これもまたフォーカス範囲外...。
そもそも、コンデジでこのくらいの範囲を撮影しようとすると「鼻デカ」にならざるを得ない設計になっているので、多くの方が「鼻デカ犬風、強調料理写真」を量産してしまうようになっているように思う。もちろんそうではない機種もあるのだろうが...。

ある方のご紹介で、ジャズを聞かせるこの店に足を運んだ。
60年から70年代のレコード盤が大音量で再生されていたが、音の分布は狭い上、高域はピークとディップが大きく違和感が激しい、また低域が暴れていてかなり疲れる傾向の音場。
意図的にそうした音傾向を楽しむ場所なのだろうか。

なるほど、カップも持ちやすい形状ではなく、また重い荷物を持った後では、こぼさずに持ち上げることも困難かもしれない。
非日常的な事項とその時間を楽しむ空間なのだと感じた。

「鼻デカ」も非日常的なイメージという意味では価値があるし、それを表現手段として使うのは撮影者の感性。
だが、そうではない表現方法があることも知っておく必要があるように思う。
「音」も、まずノーマル・ワイドレンジな基本を構築してから好みの方向にチューニングされていれば良いのだが、どうやら違っているようだった。
色々な意味で意図的に不自由を楽しむ空間を体験した。

「鼻デカ」料理は美味しそう?

鼻デカ犬のような料理写真は美味しそうだろうか?

広角(超広角)レンズで被写体に極めて近いところに寄って撮られた写真は、中央部が極端に強調されて特殊な効果を生み出す。いわゆる「鼻デカ犬」の写真といえば誰でも判るはず。

お料理(お弁当も)の写真も「同じような傾向」で撮っている方をよく目にする。
特に、ある程度(コンパクト)デジカメを使いこなしている方ほど陥りやすい。

周囲の余計なものを省くために、メインになるお料理やお弁当を大きく写す。ということが既に身についていると、どんどん被写体に寄って行くことになる。
「もっと寄って撮りましょう!」と、ごく初心者向けの教室では指導される。
それは、お弁当を撮っているのに、周りのテーブルばかりが目立って肝心のお弁当が真ん中に小さく写っている...。という失敗から脱却するための指導である。

そして「もっと寄って撮る」ことができるようになると、画面いっぱいに美味しそうなお料理やお弁当が写った写真を撮るようになる。
だが、ここで「何か違うぞ!」と感じる人と、そうでない人とに分れる。

色や明るさについては、また別のアプローチになるので、それ以外のファクターとしての「強調感」や「四角いお弁当箱が四角く写らない」という部分だ。
寄り過ぎて、鼻デカ犬風のお料理になっているということ。
そのような写真...、意外と目にする機会が多い。
写真以外では、テレビのインタビュー風景などで特に多い。インタビューされている人が「鼻デカ」までは行かぬまでも、鼻デカ風に強調されてしまい、大変に失礼である。

食べ物の写真が、鼻デカ犬のように強調感を持って撮られていると美味しそうに見えるだろうか?
モノの形状を、より正確に写すにはどうすれば良いのか?
教室の生徒さんの「目からウロコ」の一つは、ここにもある。

今日の一枚はパーティ会場での一コマ。もちろん、これは鼻デカ料理写真ではない。
残念ながら、このパンを味わうことはできなかった。

間違った「ボケの認識」

単焦点はボケを意図的に表現するためのもの

せっかく単焦点レンズを入手しても、その使い方を間違っている方が多い。
-----「お花を撮っても花びらの向こう側がボケるんです」
-----「全体にボヤっとしてしまってハッキリしないんですが」

こうした声が出る時点で、使い方を誤っているということだ。
一件めの話では、絞りを開け、花びらに近寄るほどにその差が大きくなる。絞り込んで行くほどにボケ量は減るが、しかし皆無にはならない。
そもそも「そうした表現意図のため」に単焦点レンズを使うのである。

二件めの話では、大口径単焦点を開放で使うとそのような絵になることが多い。
よく聞くと、暗い場所でも開放ならシャッター速度が稼げるから手持ちで写せる...ということで単焦点を使っている。これは本来の使用目的が間違っている。
絞りは、シャッターを稼ぐためにドンドン開けて行く訳ではなく、前後方向でのフォーカス範囲(被写界深度)をコントロールすることが本来の役目だ。

いずれも、本来の「単焦点レンズを使う意図」とは異なった目的に利用しているための結果である。
そして「単焦点はボケる」--->「ボケる写真は良くない」--->「だから単焦点はダメ」という潜在意識を刻み込むことになる。
ボケているのが悪とされるのは、ピントが甘いボケ(=失敗)か、あるいは手ブレ(=失敗)による現象であって、意図的なボケによる表現は対比を語る上で不可欠である。

完全に間違った「ボケの認識」を持つことは避けたい。
だいたい、ボケをキレイに出すために大枚をはたいて単焦点レンズを手に入れるわけで、ボケる絵が嫌ならケイタイカメラで撮れば向こう側もほとんどボケない。
また、手持ちで撮りたいなら、ISO感度をドンドン上げれば良い。
「でも感度を上げるとザラつくから嫌なんですが...」という声が聞こえてくる。
じゃあ、三脚固定でしょ? ってことだ。

まさしく、カメラに対し「道具」ではなく「家電製品」的な答えを求めているように感じてならない。
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