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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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すべてが対(つい)ペアになっている場所

大変心地よい氣を感じる森 photo 宮本章光

目の前は自分の鏡。
自分が望む姿を描けば、その状態が現れ始めるとされています。

では、いま何を描くのが良いのでしょうか。
ここで思考が入り込むと、良からぬことが四方八方から流入してきます。
ここで大切な忘れてはならないこと。

それは、
混乱よ・悪よ、わたしを成長させてくれてありがとう。
そう感謝の意を伝えられるところまで、善と悪、表と裏とを共に尊重することではないかと感じています。
なぜなら、
この地はすべてがペアでなければ存在できない場所だから。
それを体験するために自分から望んでこの地にやってきたといいます。

片方だけにフォーカスしていますと、対(つい)になる対極のエネルギーも等しくバランスを取ろうとします。
悪よ滅べ!この野郎!
そう叫べば叫ぶほど、その負のエネルギーは増大し続けます。
(=善こそが正解であり悪を滅ぼし消滅させたいと望んでいる状態であり、その対になる負の力がバランスし始めます。)

いまだに、そのように叫び続ける声も残っているようですが、自分から離れてしまえば、もう聞こえません。
そういうことなのですね。
自分が自分の目の前を創り上げる、とは。


「混乱よ・悪よ、わたしの成長・学びにご協力いただきありがとう。」
そのように感謝の意を伝えられるところまで、善と悪、表と裏とを共に尊重すること。
ここに到達して初めて次のフェーズへ進むことができるといいます。

この地では、何もかもすべてのものが対(つい)であること。
対でなければ存在し得ないこと。
両方ともに等しく必ずバランスを取る仕組みであること。

ここまで理解が及んだ時点で、極めてクリアでニュートラルな「心」が出現したことに氣がつきます。
シーソーも天秤も、平衡状態がデフォルトのポジション。
熱力学でもエントロピーは最終的に平衡状態に落ち着きます。

学び終えたあとは、これから先、この次の世界で望む風景を描いてまいりましょう。
その青写真が目の前の風景を創り始めます。


素晴らしい氣を感じる森。個人所有の山へ伺って案内された時に出会った木々。
ご先祖代々、大切に守ってこられた山だとお聞きしこのエネルギーに納得した森です。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

空白を作る

とけいそう photo 宮本章光

空白を作る。

空白がないのに次から次へと入れてしまう。
だから消化不良を起こす。
だから体を壊す。

自分でそういった失敗をしたから苦しみも痛みも、その辛さを体感しています。
でも、その時々・その瞬間には一切氣がつなかいのです。
壊れてから氣がつく。

病床で受けた天からの啓示。
それは、
空白を創ることだ。と。


以前に、[更にもっとずっと入れ替わる: Link]
にも記した、過去商社時代の取引先社長の言葉。

「こぼれ出ない限り、限られた大きさの枡には新たに注ぎ入れることはできん。」
「それなりの時間を生きてくると、一升瓶の口一杯まで溜まっている。それは酒ではないかもしれん。」
「後生大事に酒だと思って溜めていたものは、実はカスばっかりやったと氣がつくことが大事。」
「だから一旦全部捨てるんや、そうすれば蔵出しの新酒をそこに入れられる。」


これは食べ物や体のことだけではなく、すべてに通じることではないかと感じます。

情報を追いかける「クセ」。
もう、とっくにやめる時期を迎えています。
その胃もたれのような重々しさから解放される喜びを感じてみませんか。
その軽さが、望ましい近未来を創り上げるはずです。


もはや、善でも悪でもどうでも良いのであって、そこに合わせている限り永遠にそのフォーカス先で無限ループを繰り返します。
自分は何を求めて行くのか。
自分は何を創りたいのか。
情報を追い続ける限り、その情報に振り回され、自分の望む姿を見失います。


道端に自生しているのか誰かが植え付けたのか不明ですが、ひっそりと人目につかない場所に花開く「とけいそう」。
こうして植物と共生できる社会を創ってまいりましょう。
そのための第一歩が、情報から離れ「空白をつくる」ことではないでしょうか。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そういう仕組みですから

虹色に輝く雲 photo 宮本章光

自転車で走っている時、右後ろを振り返ると、なぜか右に曲がりがちになりませんか。
左なら左へ曲がりがちに。
意識も体もそちらに向いてしまうから。そこで転倒しないようバランスを取る。そういう物理法則でしょう。

混乱にフォーカスし続ける。
この野郎!世の中を変えてやる!
目を覚さない人たちへ、もっともっと伝えなければ・叫ばなければ!
と思えば思うほど、それは絶対に実現しない。決して実現して行きません。

もう理解できてることでしょう。
そういう仕組みですから。


ポジティブに、
もっと楽しく考えて…、って
これをやっている限り、そこにバランスする「負の出来事・ネガな意識」ばかりが襲ってきます。
なぜなら、
正も負も等しくバランスするのが必要で、等しくバランスを取るのがデフォルト設定で例外は一切存在しない、この地球だからでしょう。

臭いものに蓋をしている限り希望は叶いません。
これは「ポジティブごっこ遊び」。
ごっちゃにしない。

この場で同じ方向にエネルギーを束ねることができる皆さまには、どちらももう釈迦に説法レベルかと思われます。
そういう仕組みですから。


じゃあ、どうすればいいんだ!と。いう声が増えてきました。

はい、その答えは「どちらも認める。どちらも尊重する。」
現実の負の部分も受け入れ、それらを等しくバランスするよう受け入れる。
負の部分とは、混乱を生み出すMSMや権力者・支配者層まで含め、すべて正(プラス)と完全に対極にあるマイナス存在との認識です。
そうした負の存在やエネルギーに対し、「今世の学びのために存在してくれてありがとう・感謝申し上げます。すべて学び成長の糧とさせていただきました。」
と言えるまで「プラスマイナス・善悪」ともに等しく、ともに尊重して受け入れることだとされます。

そういう仕組みなのだと理解する。尊重する。
そういう仕組みを体験するためにこの地にやってきたと理解する。それも自分から希望して。

理解して、自分の目的を思い出す。
これで完了だと伝えられています。

ここでニュートラル・ゼロポイント達成。めでたく卒業証書を手にしたことでしょう。


人に伝えようと叫ぶことなどしません。
無理に楽しくなどと考えません。
これがニュートラル。

そういう仕組みですから。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

デジタル写真集「自然と響き合う」リリース

FeelNature ImagePhoto 宮本章光

デジタル写真集「自然と響き合う」(Feel Nature)pdf冊子をリリースいたしました。

●【Photo-Primary】
デジタル写真集「自然と響き合う」(Feel Nature)pdf冊子リリース
2022年8月27日
https://www.photo-primary.com/blog/2022/08/27/112952

今般、デジタル写真集をリリースしました。
まずは紙媒体ではなく画面でご覧いただく形でのご提供です。

一つひとつの写真ごとに、わたしが感じた大自然の氣・エネルギーをお伝えできるのではないかと思っています。
これからの世界は、自然と共生する社会だとされます。
ところが実際には、自然保護を掲げながらも実は環境・自然破壊にしかならない実態があるように見えます。
そうした現実に対し「狂っている!」と叫ぶことも必要かもしれません。
しかしながら、
心から自然の力に感謝し、その偉大なエネルギーに共感する。
そして、望ましい近未来を「心の中から描いてゆく」。そうした体験こそが求められているはずです。
なぜなら、
自分が心に描くものがこの先の目の前の風景になってゆくからです。
負の感情を撒き散らす限り、それが自分の目の前の現実になり、それが永遠に続きます。そういう仕組みですから。


もう、こうした考え方を拒否したり否定したり、あるいは、このように語る人間を蔑んだり...。
といった態度を続けていると、その意識や思考が、まわり回って自分自身に負の連鎖として跳ね返ってくることを体験・体感している方も多いでしょう。
だからこそ、心地よさを感じる感覚を大切にしたい。そのように理解できる人が増えているはずです。

他方、
こうした心地よさや楽しいことだけを考えるのは誤りである、という観点もあります。
わたし宮本のOfficial Blog [=当サイト]でも、その観点について数多く書き続けています。
この失敗は、わたしは「ポジティブごっこ遊び」と例え、楽しいこと「以外」の部分に蓋をし「見て見ぬふり」をする態度を取ることで起きてしまうものと考えています。

やはり現実を見て見ぬふりはできません。この世界に実際に体を持って生きている限りは。
ですので、
現実社会で生き続けるための対応は必要であり、この部分を蔑ろにはできないわけです。
単に、臭いものにフタをする...。というのが「ポジティブごっこ遊び」であり、ここが大きな違いだと考えます。

現実の負の部分も受け入れ、それらを等しくバランスした上で初めてニュートラル地点に到達します。
負の部分とは、混乱を生み出すMSMや権力者・支配者層まで含め、すべて正(プラス)と完全に対極にあるマイナス存在との認識です。
ニュートラル地点に到達するためには、
そうした負の存在やエネルギーに対し、「今世の学びのために存在してくれてありがとう・感謝申し上げます。すべて学び成長の糧とさせていただきました。」
と言えるまで「プラスマイナス・善悪」ともに等しく、ともに尊重して受け入れることだとされます。
ここに至って初めて、これから先に望む方向を向いて歩むことが可能になるのだと考えています。

そして、ここにまで到達して初めて、これから先に望むこと。
それを心に描き続けることによって、現実を具現化してゆく、というプロセスです。


日々の暮らしの中に自然を感じ、そして心から自然に感謝し、大切な仲間であり生命である木々の姿や湧き出す生命力を取り入れながら共感する。
こうした生き方のヒントやきっかけとして、このデジタル写真集がお役に立てないだろうか、と考え作成しました。
PDF冊子のデータを販売して終わり...。
ではなく、画面上でご覧いただくたびに、その強大なパワーを感じることができる。そんな媒体・存在としてお役に立ちたい。
そう願っています。
いわゆる「エエかっこ」を言うのではなく。


現時点ではあくまでも希望に過ぎませんが、
今回のデジタル写真集について、20部のダウンロード販売が実現しましたら「紙媒体」での写真集としても発行してみたいと考えています。

お一人でも多くの方の画面上に、大きな自然の力を再現していただき共有できますよう願っています。

●【デジタル写真集「自然と響き合う」(Feel Nature)pdf冊子】
https://www.photo-primary.com/items/66294988?from=widget


姉妹編である、
●【自然と響き合う撮影術(Feel Nature)pdf】
https://www.photo-primary.com/items/66136773

こちらでは、
ワンポイント撮影テクニックとしての説明文を記載しており、技法解説書としても利用できるようにしてあります。
今回リリースのデジタル写真集「自然と響き合う」[Feel Nature] pdf冊子は、写真鑑賞を目的として編集しており、撮影技法に関する文字の記載はありません。
その代わり、解像度を上げておりBGM再生のリンクも設定しています。
ブラウザでリンク(わたしのSoundCloudのプレイリスト)を開くことで、写真鑑賞の時間をより印象的な体験としていただくご提案です。

姉妹編では、
撮影技法を学ぶ目的だけではなく、今般の写真集とほぼ同一の写真が散りばめられていますので、写真鑑賞の媒体と技法のポイント解説という2倍美味しい体験をいただけるはずです。
こちらもオススメいたします。


●【転載や加工に関しまして】
あまり煩いことは申しません。
法的なことは当然守るべきでしょう。でも、ガミガミ「俺が俺が!」なアピールする時代は終わったと思っています。
そうした姿を見るにつけ、とても残念な氣持ちになります。

もちろん、極端に奇妙な加工を施し一部を切り取り、それをご自身の作品として公開なさるのは、わたしとしては嬉しくはありません。
被写体の木々や地球に対しても失礼でしょう。
撮影者が「宮本章光MIYAMOTO AKIRA」https://www.photo-primary.com/
であることを明記いただけると嬉しく思います。
いずれもご自身の良心に委ねたくよろしくお願いいたします。
(購入商品詳細ページにも同様の記載をしています)

お互いに心地良く、双方で納得して生きてゆく。そんな時代を迎えているように感じています。


●【Photo-Primaryに関しまして】

https://www.photo-primary.com/
(www.ありのURL)は、
わたし宮本章光/陽のオンライン講座で使用の資料、カルチャー講師時代の資料等、また写真作品画像や写真集などの販売サイトです。BASEプラットフォームを利用しています。

惹きつける魅力を発する

純白の衣 紅一点 photo 宮本章光

純白の衣に、やんわり紅一点の紅粉差し。
虫たちは、この姿に惹かれるのでしょう。
生き物すべて「自分らしさ」を心得、すべて「自らの魅力」を発し、生を繋いでゆきます。


感情の揺れ動き・振れ幅が激しく、そして大きくなっている様子が届きはじめています。
それもご自身に必要な工程だったと理解できている方ばかり。
最後の大掃除のようです。

ここで無理に蓋をしてしまうと元の木阿弥。
それぞれに必要なプロセスは自ら乗り越えるしかないので、水面に描かれた水紋を乱さぬよう、静かにそして丁寧にコミュニケーションを続けます。

あるいは、
情報という名の泥沼・扇動に自ら嵌まり込み、重苦しい波動を発する自分らしさを見失った状態の方々。
それも必要なプロセス。
それがこうした方々の今世の脚本だと尊重し、離れます。

わたしたちは、本来の姿を思い出す時間を迎えていることに違いはありません。
思い出したのなら、卒業試験を受け一発合格を手に入れてください。
二極化の本当の意味を知る。
二元性の本当の仕組みを知る。
知ったのなら、それで終了。一瞬で終わりです。

わたしたちは、その次のステップに向けて階段を登り続けます。
その次のステップこそ「望む・希望するエネルギー」にフォーカスする時です。
すべての生き物は、自ら惹きつける魅力を発するもの。
次はわたしたちの番になったようです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

みんな仲間に違いないけれど

自分の蒔いた種が花開く photo 宮本章光

みんな仲間に違いない。
みんな揃って歩みたい。

でも両極がともに等しく存在する必要がある場所だからこそ、どちら側も体験しなければなりません。
片方に比重を掛けて行けば、対象となる反対側にも「等しく」対になる力が生まれる道理。

これを知り、そしてこれを体験するのが目的でした。
知って、体験して。
そしてその次には何があるでしょうか。何をする必要があるでしょうか。

知る。とは一瞬で良いのです。
ここまでの仕組み、この極めて明快な仕組み。
知る。
それは「そうだったのか!」と理解し・感じればその瞬間に「卒業」です。
時間をかけて、何年も何世代も「知る体験を重ねる」必要はありません。
何世代も輪廻を繰り返してきたのは、氣がついていないから、再度白紙からやり直しやり直し、またやり直し。
この一瞬で判る「そうだったのか!」に至らないから。
そして、支配者による無限ループに囚われていたから。


ここまでのプロセスを経ないでどちらか片方だけにフォーカスするから卒業できずに永年の留年となる仕組みです。

この段階までのプロセスを終わらせていないまま、どちらか片方だけに集中している。
そんな事例、溢れています。
ここに至るまでの工程。まだ十分に行っていないですか。
であるならば、
まだこの先に望むエネルギーに意識を合わせてゆくことができません。卒業していないからです。
ですが、
もう知りました。知り終えましたでしょう。
であるならば、
やっと次は、この先に希望するエネルギーに合わせてゆくことができます。

超重要。その順序その順番。
その順番が極めて重要です。誰も教えてくれないから知らなかった。
でも知ったのなら、それで一瞬で卒業です。


大掃除のタイミング。
大掃除で「この先に不要」とされるものは粗大ゴミとして処分しますでしょう。
それなのに、
「みんな仲間だから」「みんな揃ってお手手つないで一等賞」などとやっていますと、永遠に大掃除はできないのです。
ここをしっかりと弁えたいものです。

みんな仲間には違いありません。
みんな揃って歩みたいのです。
しかし、
これから先には必要とされないモノ・エネルギーは残念ながら仲間ではありません。
間違いのありませんよう。
そして、
大掃除した後には、その対極にあったエネルギーは、一つに束ねられる・束ねるための原動力として存在することになる。と伝えられているように、視点・視座が一氣に変わってきます。
すべては「卒業」を区切りに、エネルギー視点さえも大転換するのです。
この区切り。超重要!だと言われる所以です。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

バランスを取るの本当の意味

飯舘村の印象的な道 photo 宮本章光

昨日【シーソーはバランスするようにできている】]Link]
を書きました。
ドラえもんジャイアンとのび太がシーソーに乗っているイメージを文字の中で描いています。

バランスを取る、ではなく、すべてはバランスを取るしかない。片方だけでは存在し得ない、そんな仕組み。
絶対にプラスもマイナスも共に等しく存在しなければばならない世界。それがこの地であり、その仕組みを学ぶために生きています。

明るく楽しく...そうしたエネルギーだけを描き続けましょう。
というのは「ポジティブごっこ遊び」にしか過ぎず、片側だけしか見えていないので、バランスできません。
必ず、プラスもマイナスも等しく。それがこの地球における約束ごとです。

物ごとのうわべだけを掻い摘んで「お花畑思考だ」「スピっている狂った奴」だとか人のことを罵る前に、混乱だけにフォーカスし、狂ってるやろ!おかしいやろ!氣づけや!!
と叫んでいるのも同じ穴の狢でしょう。

どっちもどっちで、片方だけしか受け入れていないのです。
これでは、永遠に卒業できないままです。


情報筋によると...だとか、軍事機密情報によると...。といった話を追いかけるのも同じ。
もう準備が整ったと伝えられているのに「なぜ何も起きないのか?」との声もチラホラ。

そりゃそうでしょう。
この目の前にある現実は、現実という名のVRゲームなのですから、その当の本人がゴーグルを外してログアウトしなければ永遠にゲームが続きます。
いつまでも待ち続け、
いつまでも追い続け、
いつまでも片方だけのエネルギーしか受け入れない。
そして、
いつまでも、自分と異なる側の人を分離しそれを否定する。

そんな態度を続けるから、いつまでも永遠に変化が起きないのではありませんか。
だから、
どちらも等しく100パーセントバランスを取る必要があるのです。
それは、善だけでもなく悪だけにフォーカスするのでもなく。です。

バランスを取る。
とは、「折衷案」(折り合いをつけどちらも妥協する結果に落とし込む)に導くことではなく、必ず100パーセント等しくともに受け入れなければならないことを教えてくれているのです。


そして超重要なこと。
この至って単純な仕組みを理解したのなら、卒業しなければなりません。
卒業する、とは、
両方を受け入れた後に、これから先に望む世界を「自分の意識と意志によって創り出す」必要があります。
だからこそ、望む世界を描くために「楽しく明るいエネルギー」を満たしてゆくのです。
この段階まで到達できているにもかかわらず、
いつまでも両方を認め...両方を尊重し...。
と、続ける誤った事例も散見され、これから先に「苦しく・辛いエネルギー」を抱き続ける人は、それが自分の希望として具現化してしまいます。


この順番が理解できていないから、
すべてバランスする前に「ポジティブごっこ遊び」で負のエネルギー・負の因果の浄化に蓋をして見ぬフリをする愚を犯します。
あるいは、
すべてバランスする前に「世の中を変えるには多くの人に知らせることだ」と、負のエネルギーだけに意識を合わせ続けるから、そのエネルギー増幅装置に成り下り、悪の側に加担し続けてしまいます。


バランスの本当の意味、そして超重要な物ごとの順序。
そして進捗状況を客観視して卒業を迎え、次に向け階段を上がることです。

何もかもバラバラ。
そしていつまでも古い思考の鎖に繋がれたままで悦に入っているのですから、これでは未来は変わりません。
だから地球人の集合意識はいつまでも進化せず、足踏みを続けるのです。
それが地球人の意思表示。このまま足踏みし続けて奴隷生活を続けたいです。と。


この地の仕組みを理解し、体験し尽くした方々(この場でシンクロできる方々だと思っていますが)は、心の中から「次に必要なエネルギーを束ねる」役割があるはずです。
いつまでも、魂を捨て去ったアンドロイドやボットに付き合っていては自分たちも自滅します。
お手て繋いでみんなで一等賞...は、この段階に及んでは正しくないことを。
いつまでも他人の顔色を伺っていては、きわめて重要な役目を見失うリスクがあるように感じます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。


シーソーはバランスするようにできている

雨に煙る飯舘村はやま湖 photo 宮本章光

シーソーで遊んだことがない人が多いのだろうと思います。

公園にはもうそうした遊具は存在していないのでしょうか。
ここ数年の異常事態は別として、そもそも公園にも行かない。そんな世相なのかもしれません。

シーソーは、ご存じの通り双方でバランスをとりながら上下に動く乗り物(遊具)。
当然のことながら、どちらか片方に乗る人の体重が重い場合には、そちら側が下がってしまいます。しかしそれでは面白くないので、両足に力を込めて地面を蹴り上に飛びあがろうとします。
蹴り上げた運動エネルギーが位置エネルギーとして消費された最上部に届いた瞬間に、再び落下を始めます。

当たり前のこの運動。
なるほど、この地で学ぶべきことすべてを指し示している見事な事例だとあらためて驚きます。

上記のように、片側が沈むのはそちら側の人の体重が重い場合でしょう。
この地における体験も、片側が重い周波数に合致すると沈み込みます。反対の軽い体重の側に乗っている人は、自動的に上に上がります。
すべてがバランスを取りながら、最終的には平衡状態になるというエントロピーの法則。

自分がどちら側に意識を合わせているのか。
これを「客観視」できればそれで良いと伝えられています。
無理に上にあがろうとしなくても、反対側の人が重く沈めば自動的に上がることもあるというわけ。
そして、
自分の意識によって、どちらの体重の人にもなり得るということ。

ある瞬間にはジャイアンだったり、あるいは別の瞬間にはのび太だったり(ドラえもんのキャラクター例です)。
自らの心の状態によって、瞬時にジャイアンとのび太が入れ替わる。
そんな場所、そんなシーソーゲームの地球。

だからこそ、すべてのモノ・コトにおいて、二面性の両方を尊重し受け入れる。
悪よ滅べ!と叫び続ける限り、ジャイアンよりも、もっともっと体重が増え続け沈み続けます。そしてそのシーソーは上に向いて上がることができなくなってゆきます。
同じことが反対側にも言えるのであって、
善だけポジティブだけを残そうとしても、バランスする対(つい)になる相手がいないことには動くことができません。
のび太だけでは動けないわけです。
結局、体重が軽かったので常に上がるはずだった「のび太だけ」だと、逆に沈んでしまい動けなくなる。

片側に自分一人だけしか乗っていない状態のシーソー。
そんな体験をしたことがある人には理解できるはず。その身動きできない感覚が。
片方だけに自分一人で乗っている時の「その重さとその固着感」。
どれだけ体重のバランスが偏っていたとしても、両方に人が乗っているだけで「いとも簡単に動きはじめるその軽さと楽しさ」を。


きっとシーソーで遊んだことがない人が多いのだろうと思います。
片側だけにフォーカスして叫び続けるのは、自分一人だけで片側に乗っているシーソーの「あの重さとつまらなさ」だということに氣がつかないまま。

シーソーはバランスするようにできているからこそ、その動きの軽さが楽しかったのです。
すべて両極を認め尊重し受け入れる。
いつまでも最終試験が続きます。ここを超えない限り、卒業試験は永遠に終わらないように見えます。
どれだけ機密情報だ、極秘情報だ、と漁ったところで。
どれだけ多くの人に伝えることが世の中を変える!と叫び踊ったところで...。
本質に氣がついた人は、もう心からエネルギーを動かしています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

直感と感情のバランス感覚

飯舘村の火の見櫓 photo 宮本章光

直感に基づき判断する・できる、そういった人たちが増えてきた印象です。
幼少時期から自分の勘に従って生きてきた一人としては、いよいよ来たな。という感覚です。

今日は、過去、直感を信じて失敗したことがあるのか。というお話しです。
原則としてそこに失敗は存在しないはずです。導きである以上は。
但し、
誤った、早まった、間違えた。そう感じるケースは少なくありません。
遠回りをするプロセスが学びとして必要だったからこそ、一見失敗したように見える遠回りも意味があるのでしょう。
何が正解だったのかは、時間が経てば結果が証明してくれます。

乗り越えなくてはならない最大の課題は、その瞬間の感情(心ではなくアタマの思考)によって直感が歪むことです。
特に、負の感情に満ちている瞬間は、アタマの中がネガティブ方向の要素で溢れています。
よく語られるのは、
15分経っても怒りが収まらない場合はその悪影響が大きい。収まらない場合には放置しておけば振り子が元に戻る。
というもの。
わたし個人的には、時間の区切りはあまりアテにならないように感じます。人それぞれですから、それこそ「自分の直感」が最も正しいように思われます。


個人的な感覚に過ぎないことを初めにお断りしてから、以下を書いてみます。
直感と感情のバランスとは、
それぞれが別々の場所から流れてきているエネルギーである、と、しっかり分離・認識することが誤りの選択をしない秘訣だと感じています。

違和感が激しく心地よさを一切感じない瞬間。そんな事例を考えます。
まず大前提として、その違和感は直感が指し示しているはずです。この違和感だけにフォーカスします。
絶対値のような、どこから攻めてみても「ニュートラルな違和感」とでもいうのでしょうか。単なる「袖や丈が合わない服を着ている」そんな感覚です。怒りには接続されていない感覚、とも言えるかもしれません。
ですが、
心地よさを感じない部分が怒りに直結していると感じるのなら、この時点でそのエネルギーはアタマの中から湧いています。
これは、感情によって増幅され「単に袖や丈が合わないだけの服」が「誰がこんないい加減な服を作った!」と、まったく別の方向に暴走して行きます。

ここにフォーカスすると判断を誤ります。
「こんないい加減な服は絶対に着ない」という感情が、次には「こんな仕立てをするショップは二度と御免だ」となるのです。
袖や丈が合わないのなら、合わない部分を仕立て直しすれば良いのかもしれません。
それに、感性に合致したもっと別の服を仕立ててくれる技術者の接点が新たな縁として生まれるかもしれません。

このように、客観視した「ニュートラルな違和感」だけを選び出すことが成功確率を高めるように(わたし個人的には)感じています。
だからこそ、
「アタマで考えずに心で感じよ」と語られるのだと思います。

二つの性格が異なる要素を分離し、巨大なパワーに瞬時に成長する「アタマ由来」のエネルギーをスルーし、絶対値で測れるような「ニュートラルな違和感」だけにフォーカスします。
すると、違和感だけが純粋に抽出されるので、その違和感の大きさによって「選択すべき中心線」からどれだけ離れているかが俯瞰できる、という仕組みです。
あくまでも個人的感覚に過ぎませんが、この違和感の大きさにこそ「意味がある」ので、フォーカス先を間違えないことです。
ご健闘を祈ります。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

完全でも不完全でも

飯舘村で出会う美しい薔薇たち photo 宮本章光

人それぞれ。
ある人は完全であって、また別の人は不完全であって。
これが人それぞれ。という意味。

自分自身が完全であると考えれば完全であって、不完全だと思えば不完全である。
他の人は、完全というかもしれず、また不完全というかもしれず。

何か一つの基準があって、そこに合わせる・合わせなければならない。
そんな教育という名の洗脳。支配者により仕組まれた世の中。
「人と同じことが最優先」される世の中。
「人と同じでなければ狂っている」と判断され決めつけられる世の中。

もう終わりましたね。さようなら。
もう終わりましたね、そんな思考の人たち、さようなら。


自らが意識しそのエネルギーを創り出せば、それが目の前の現実になる。
だからこそ、
これからは100人が100通りの現実を創り出す。そんな世界になるとずっとずっと伝えられてきました。

もうすでに現実になっています。
ある人の耳には救急車のサイレンばかりが鳴り響く。
ある人の耳には飛行機が常に飛び続ける音が空に響く。

確かに、同じ空間に存在し同じ空気を吸い、同じ時間を過ごしている。
それなのに、聞こえる音が異なる。
それが現実であり、それが真実であり、それが各自が創り出したエネルギー空間。
並行現実・パラレルワールドはどこか遠くにあるのではなく、このまま並行しているから並行なのだと。すぐ横にあるから並行なのだと。

これまでの世の中では、それは「空耳(そらみみ)」だとか「氣のせい(=思い過ごしと曲解された)」と言われて否定されてきました。
そして今もなお、
同じ場所に居れば同じ音が聞こえるに決まっている。そうでないのは狂っている。という古い思考のままそのレイヤーから抜け出せない人々。
そうした人たちは、もうあと少しで「淘汰される」のをご自身で望んでいるのですから、その通りに滅びます。
自ら宣言し契約した学びのプロセスを完遂・達成できず、借り物の肉体を滅ぼしてしまった大きな因果を背負って。
その時になって慌てても、もう絶対に間に合いません。
その時になって助けて!と叫んでも、もう決して道は変えられません。
さようなら。

最後の一厘は、こうした部分まですべて包容し認めるところに最後の試験が待ち受けているように感じます。


自分から自分自身で望ましい世界を創り出せる。
こんな素晴らしいことはありません。ご一緒しましょう、新しい世界のために心のエネルギーを束ねましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

本物とニセモノ真実にフェイクに

山道で出会う photo 宮本章光

もはや満腹状態です。
それぞれが対(つい)であるからこそ存在できる。
どちらか片方だけを追求すればするほど、その対極にあるエネルギーも等しく増大する。

戦争反対・悪よ滅べ!平和への祈り!
と、叫べば叫ぶほどに、その対になる「悪」や「ネガティブエネルギー」は増大し続けます。
もちろん争いに賛同するものではありません。
ですが、こういう仕組みになっている以上、片側に偏れば偏るほどに、対(つい)になるもう片方も永遠に膨らみ続けるということです。
そうやってバランスを取るのがこの地の存在目的でもあるのですから。
そうやって仕組まれた舞台で踊るのも人それぞれの自由。

支配者によって仕組まれた数百回・数千回、あるいは数万回と言われる転生を繰り返すうちに、人間はこの「二つがセットになっている」どちらか片方だけを無意識に選択し、他方を排除する思考が出来上がったのでしょう。
この、常に二つがセットになった学校を卒業するには、両方を認め、両方を尊重するしかないと語られているにもかかわらず、片方だけを選択し続けています。

このZEROポイント、ニュートラルポジションを必ず経由しなければ卒業が叶いません。
ここを経由せずに、楽しいことだけを考えて!...とやってしまうからポジティブごっこ遊びの失敗をやってしまいます。
すべてを捨てて無になって...。というのも、そこに到達する前には、ZEROポイントを通過してからでなければ、片方のエネルギーに蓋をして見ぬふりをしているだけの、これまたポジティブごっこに過ぎないこと。
今日も今日とて、片側に蓋をしただけの選択を繰り返します。


選択とは、
ZEROポイントを必ず経由し二つともにセットで受け入れ、両極ともに学び終えました。という卒業証書を受け取る、その時点に至ってから初めて希望する「片方」を選ぶことではないでしょうか。

知らぬは罪。と叫び続ける声があります。それは「知ろうとしない態度」に対する戒めの言葉です。
しかし、
必要以上に、いえ、必要とされるものさえも「知る必要がない」ことに理解を進める時間を迎えています。
なぜなら、その情報エネルギーに意識がシンクロしてしまうからであり、そしてその意識が現実を創るからです。
こうして、何にフォーカスしているかを学ぶことができます。

対(つい)になる学びを終え卒業しようとするのなら、まず、その負のエネルギーを提供する支配者とともに悪役を引き受けてもらえた現生の各役者にも感謝を伝える必要があるように思います。
このようにして初めて、対(つい)になるエネルギー両方ともに等しく受け入れ尊重すると言えるのはないでしょうか。

昨日の記事のように、やることをやった後はすべてを天に任せる。
そのやることをやる、とは、まさにこの両極をすべて受け入れ尊重することだと思われます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

やることやったらあとは何もしない

最盛期を終えた飯舘村のひまわり畑 photo 宮本章光

何もしない。
とは、
やるべきことを放棄するのではなく、やることを全てやってから「その結果について一切氣にしない」という意味だと再確認します。
ここを取り違えると、単なるポジティブごっこ遊びになってしまうこと。もう一度復習するタイミングを迎えています。

本氣で望み本氣で願い、本氣で行動したはずですね。
それなら、あとは天に任せる。
その昔、私学受験時に祖母から投げられた言葉は、このような意味だったと記憶しています。
おばあちゃんの知恵袋...の記事に記しているような明確な記憶と言葉が残っていないため、単独の項目として綴るだけの確信が持てず文字には残していません。
竹槍で天を突くのが嫌だった父親も似たような助言をしてくれていました。

寝食を惜しんで勉強したのだから、十分に努力したのだから、やり切った後はもう何もしない。
どうなるだろう?
合格するだろうか?
不合格になったら...?だとか考えない。
それを「運を天に任せる」という言い方で教えてくれていたと思います。


いま、こうした意識が大変重要であること、あらためて伝える役割があると強く感じるのでここに記します。

---どんでもない事態が世界規模で起きている!絶対に世の中を変えるためにもっと多くの人に伝える必要がある!!
---とんでもない法案が通ったらえらいことになる!絶対阻止するために声を上げて叫ぶ必要がある!!
はい、
そこに同化し叫び続けるから、ますます自分自身がその負のエネルギーを増幅し拡大し加担してゆきます。

もう終わりましたでしょう。
もう卒業しましたでしょう。
いつまでも卒業した教室に居残りし続け、後輩たちに自己承認欲求・自己顕示欲求のエネルギーをぶちまけていても世の中変わらないこと。
もう卒業したはすでしたね?

本氣で望み、本氣で願い、本氣で行動したはずです。
それなら、あとは天に任せる。

そして、一番大切なこと。
望ましい世界、望ましい社会、希望する風景を明確に心から描く。
近未来は、そうして創られてゆくのだと100パーセント信じ、そしてそれを続ける。
本氣で望み本氣で願ったあとは天に任せる。

そうすれば結果は自動的に導かれる。こんな単純な仕組みなんだ、と直感は指し示してくれます。
ある方のSNSのワードをお借りすれば、背筋ピッ口角ピッ!で決まり。あとは何もしない。


今世での学びを糧として成長するために、自然の流れは世代交代し進化してゆきます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分を知ったなら次に取り組むこと

飯舘村で出会う夏の空に続く道 photo 宮本章光

自分は誰なのか。
自分の存在は何なのか。
ここまで理解が進んだ方々がこの場でシンクロするものと思っています。

人それぞれ自分の脚本があり個々人のカレンダーは異なって当然ですから、理解度も進捗も同じではないでしょう。
いつもと同じくそれを認め尊重します。
課題は、そのタイミングや時期の違いではなく、次に取り組むべきことは何なのか。
ここが大切だと感じています。

失礼な意味はまったくなく、そのカレンダーの「早い・遅い」にフォーカスして「遅い」とされる人に伝えるというのも一つの道。
ですが、
そのさらに先まで階段を上がっている方々は、階段の下を見るのではなく、階段の上を目指してゆくのが進化に直結するはずだと考えます。
(これも失礼な意味は一切なく)
確かに「階下を見下ろす」のは楽に違いありません。それまで自分が体験してきたこと・理解してきたことそのままを伝えるだけだからです。
しかし、
「階上」は階下からは認識できないのです。一切体験もしていません。未知の世界です。

【階段の上からは良く見える】2022/06/29[Link]
でも綴りましたように、そこにさえも権力者に刷り込まれた意識レベルの洗脳があったように見えます。
単に、上には情報量が多いという絶対値を示しているのですから、上を目指しコマを進めるのが正常進化だと考えています。

「楽(ラク)」な方の、下を見下ろすのではなく、
より難しい上級者編に取り組むのは、開拓者魂が騒ぐのではありませんか。
さらに難しい進化の牽引車になるのは、取り組み甲斐のある道ではありませんか。

既知のweb情報を集めSNSに拡散するのも一つの役目でしょう。それを求める層がある限り必要な役目だと思います。その労力は「自分も取り組んだ」から理解できます。自分も同じ道を通ってきたからこそここで言葉にしています。この2年半余りのアーカイブもすべてここにあります。
ただ、
階段を一段でも多く上がった者の役目は、その先に広がる・その道の先に広がる「未知の道」を開拓することだと思っています。

でなければ、誰が未知の道を開拓するのでしょう?
誰かがやってくれる?
救世主を待っていれば、いずれ白馬の王子様が助けに来てくれる?
待つのは自由です。それも人それぞれ。

ですが、誰かが開拓しなければ道は造られません。
精神世界を語る人間は狂っている、と罵られようとも、罠に嵌った馬鹿な奴と蔑まれようとも、何ら関係ありません。
「自分の直感・勘」が絶対に正しい!!!と感じたものを、
「自分の直感・勘」が絶対に間違いない!!!と響いたエネルギーを受け入れるだけのことです。
そのための道具とフィールドが「意識」と「心」であることに氣づいた人から、その牽引者の役割を果たす時がまさに今だと思います。
古いマトリックスを崩し、望ましい世界を意識の力で創造すること。
そんなことできるわけがない!と思えば絶対にできません。いえ、実証も証拠もそして実践も進めているのですから。
もういいでしょう。自ら魂を捨て去ったアンドロイドは放っておきましょう。


もちろん、紆余曲折、カーブ・上下さまざまな障害があるでしょう。見通しの悪いカーブに高速で突っ込むような無謀運転は身を滅ぼします。
しかし、必要以上に減速することなく、まして必要以上に「停止」して古いタイムラインで居残り勉強することは開拓者の選択ではないように思います。
古いタイムラインとレイヤー上で「よい子ちゃん」や「学級委員長」を続け、後輩たちに対する自己承認欲求を満たすのも人それぞれ自由には違いありませんが...。


いつまでも待ち続けずに。
自分が上がってきた階段の下を見下ろして停止せずに。
未知の道を開拓することこそ、その結果を得た瞬間の醍醐味が待ち受けていると知り、そこに身を置くべき稀有な時期に到達しています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

引かれるままでいい

ミューザ川崎シンフォニーホール photo 宮本章光

超越しつつある方が増加している様子です。
もう、どうでもいい感覚。
もはや、何でもいい。という感覚。
少し前にも書きましたが、それはいい加減にするという意味ではなく、何もかもこだわりがない状態。すべてを超越した感覚です。


勧善懲悪ドラマやアニメで、ワルものを倒す役目のヒーロー(イイもの)が絶対的に優れている。という洗脳。
そうした刷り込みによって育ったわたしたちの世代は、特にそれを「正義感」と言う名前で持ち続けている人たちが多いのだと思います。
この地では、ワルものもドラマと同じく「引き立て役の登場人物」として設定されているにも関わらず、
悪よ滅べ!けしからん!
このままでは滅亡する!もっと多くの人に知らせないととんでもないことになる!!!
と、叫び続けるのはそろそろ終わりにしたいものです。その行動はもう恥ずかしい時期を迎えているように見えます。いえ、知らぬは裸の王様だけですよ、ということです。
当然、人それぞれですから、それを変えることはできませんし、それぞれを尊重してゆきます。

映画館を出たあとまで館外の道路で叫び続ける人は居ないと思いたいのですが、人類すべてがそうしたワナにハマったままVRゲームからログアウトできずに居ます。
僅少な数の人々、それは総人口の1パーセントにも満たないとも言われているようですが、その僅少な数の人々がこの壮大な仕組み(仕掛けられた目の前の混乱の仕組みではなく精神世界こそが本来の姿であること)に氣がついて、自分からこのマトリックスを書き換えようとし始めています。
この場で同じ方向にエネルギーを向けている方々は、その中に含まれる貴重な1パーセントの方々ではないかと感じています。

書き換えるためには、書き換えるための場所と道具が必要です。
それは書類とペンで机に向かうことでしょうか。
あるいは、ペンチやスパナでガレージの中でしょうか。
それとも...?

道具は、心。
場所も、心。

だから、この極めて重要な部分に意識が向かないように、氣がつかないように支配者が封印してきたのでしょう。
そして見事にそのワナに嵌った人たちは、このように罵ります。「君たちのように精神世界を語るのは狂ってる奴」だと。
そんな裏側のさらに裏側、またさらに裏側というような幾重にも重なったワナであるにも氣がつかず、そのまま騙され続ける...。
ワナだぞ、という人自身がワナに嵌っている...。
ええ、それもその人のシナリオなので尊重します。
ええ、もうどうでもよいことでしょう。

ですが、マトリックスを崩壊させ新たに書き換えることが「できる」と知ったならば、そこに全力を尽くしたいと思います。
それは、裏方の仕事でしょう。目立ちません。フォロワーもいません。
まして誰も「いいね!」などといった自己承認欲求たる旧来の遺物にこだわる人もいません。

ですが、通じる人には通じるのです。
それが証拠に、まだ必要な言葉や文字でそれを確認し証明できているのですから。
そうした目に見えない力に、引かれるままで良いのだと思います。これこそが道具であり場所であるはずです。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何をしたいのか:直近の役目を

飯舘村はやま湖バス釣りの船 photo 宮本章光

このところ、こうした話題を話す方々が徐々に増えてきました。
自分の役目は?
これから先に何をする?
先般も、ある会話の中でこうした話題が続きました。次第に増えてきた印象です。

「眠り続ける人を叩き起こすのが役目」などという、古いタイムライン上でいつまでも踊り続ける人が減ってきた証明だと思います。
少し前までは、
--狂った世の中を変えるんだ。
--狂った世相を直すんだ。
そのためには、いつまでも洗脳され眠り続ける人たち:ひとりでも多くの人たちに真実を伝えることが自分の役目だ!などと豪語する方がありました。(自分もその過ちを犯しました)
いえ、今も尚そうした方々は多く、むしろ大半がそうでしょう。
いえ、それ、そう叫ぶご自身がまだ洗脳されたままですから。
今日も今日とて、真実はこうこうだ!裏側はこうなんだ!それを語ることで悦に入っている、とでも言う感覚の方が多い印象です。
しかし、
それをやっている限りは自分自身が永遠にそのタイムラインから脱出できない上、そのレイヤーに同化してしまい、且つその「負」のエネルギー増幅装置として自分自身がそちら側に加担し続けます。

この重要ポイントに「本当に目が覚めた人」が増えている、大変よろこばしい傾向だと思います。
また、
--救世主はいつ現れる?
--イベントはいついつに違いない!
といったレイヤーの人たちも、ここに来てようやく新しいレイヤーに乗り換えつつあるように見えます。

はい、では、そのイベントが来たら「次はどうする」「次のあなたの役目は?」という部分に意識が届きはじめたのでしょう。
○○になったら...。
XXがきたら...。
その昔よく言われました。「タラレバ」は喰えねえよ。そんな言葉は口にするな。と。

で、そういう区切りのポイントが来たならば、「次にあなたは何をするのですか。」「その後のあなたの役目は何ですか。」です。


新しい世の中にすっかりと入れ替わるまでには時間がかかるでしょう。その間に果たすべき役割は数多くあるはずです。
あるいは、宇宙規模の大どんでん返しがあったなら肉体は消滅するに違いありません。その瞬間に悔いのない今世だったと宣言できるでしょうか。

借り物のこの体を、過去のさまざまなシーンにおいて大切にしてこなかった自分の過ちを悔い、改心と因果の解消を済ませましたか。
こうした肝心要の本当に大切なことを棚にあげておいて、真実だ!裏側だ!と騒ぎまくる。挙句の果てには、人に対して狂ってる・スピってる。と批判する。
そんな愚を繰り返す限り、望ましい未来はやってこないでしょう。
身魂相応(みたまそうおう)とは、まさにズバリの言葉です。
磨くべきは自分の心であり自分自身で磨かなければ誰も磨いてくれません。

同じ方向、あるいは似た方向と近い周波数でシンクロが可能な皆さま。
この先のご自身の役目は明確になっていることとお察しします。さらに明確化し磨き上げて参りましょう。
そして、それらの力を束ねてより大きく強くしてゆきましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべての可能性が存在する

那智の滝 那智勝浦 photo 宮本章光

すべてはエネルギーであり、すべての可能性が存在している。
そこに意識をもって観測した時点で選択が確定する。

理解しようとしない者の前には具現化しない。
拒否する者のところでは現実とならない。
それだけ。
極めてシンプルです。

精神論でも狂った洗脳でも、あるいはツボを買わされたわけでも何でもなく、これは証明された科学・量子力学ですでに充分に語られていること。
重ねます。
理解しようとしない者の前には具現化しない。
拒否する者のところでは現実とならない。それがその人の選択だからです。

すべてを捨て去るよりも前の段階で、自身の選択が必要であること。
学ぶべきはここにあり、すべての可能性が存在しています。
すべての可能性の中から何を選択しますか。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべてのエネルギーはバランスをとる

飯舘村で出会うひまわりの群れ photo 宮本章光

すべてのエネルギーはバランスを取る。
発したと同じものが、いつかどこかで天秤の棒のように水平に戻る。
片側に傾いたものは、いつか水平に戻る。

人間そのものもエネルギー体であり、思考・意識のひとつ一つはエネルギーとして放たれます。
そのエネルギーは「狙って放った先」が受け取らない場合には、発信者へ戻るとされています。
因果応報。
まさに、自分が経験する目の前の風景は、自分が過去に放ったエネルギーの結果に過ぎないこと。

子どもの頃に、いたずらをすると「バチが当たる!」と言われました。
わるい子は、わるいことをしたから天からバチが当たるんだ。と。
しかし、
天は、そして神もバチを当てることなどないのであり、それは「自分が放った悪さ」のエネルギーが自分にブーメランのように戻ってきただけ。
単に、因果応報に過ぎなかったこと。もう理解できている方が増えているはずです。


自分は良いことをしているんだ!という思い込み。
眠り続ける人を叩き起こすのは良いことだという勘違い。それが人助けだ、功徳を積むことだ。
そんな宗教洗脳から醒めないままの状態。

眠り続ける脚本を持ち今世を体験している人に対し、他人がその脚本を書き換えてはなりません。
いい加減に氣づけよ!
と叫ぶ方々ご自身が、そうしたエネルギーを放ち、そしてそれが自分たちに戻ってくる。
そんな無限ループが繰り返されています。

自分自身もそうしたプロセスを経て現在があります。
そして、もうこうした話題もこの場でシンクロできる方々には必要がない状況に入ったように感じています。
それならやめれば?という時期かもしれません。

わたし自身が放つエネルギーは、この場ではもう受け取る人が居なくなってきた証でしょう。
受け取り手不在につき発信者へ戻します。といったスタンプが押されて戻ってきつつあるような感覚があります。

これから先に望む世界を実現させるためだけのエネルギーをチャージしてゆきましょう。
ともに手を取り合う方々が、リアルでも心の中でも、ここに存在していることを感じながら過ごしてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

夏季集中オンライン宮本クラス開講中

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共通語・共通システム・共通進化

夏の夕暮れに出会う photo 宮本章光

共通語、と聞くと英語と答えるかもしれません。
共通システム、と聞くとwebベースのアプリケーション作成言語やその構造を指すのかもしれません。
いずれも間違いではないでしょうし、ど真ん中の直球ストレートな回答に違いありません。
でも、それは「旧物理世界」の発想だったように感じます。

こういう話題になりますと途端に「現実をみよ!」だとか「地に足をつけろ!」だとか叫ぶ人が居ました。
居ました=過去形です。はい、これがすべての答えを示していると思われます。

もう流れは完全に違ってきていること、肌で感じることができる人々がどんどん増えてきています。
こうした感覚は、お互いに言葉ではない形で「なんとなく」ではありますが感じることができる状況になりつつあります。
感じる。とはこういうことだと理解できる方々が増えるとともに、自分の意識で自分の望む世界を創り出す。
そんなバカな!と笑って切り捨てることができないレベルで、実体験する人々が増え続けています。

先般も触れましたように、間違いなくこれらの流れがメインストリームになります。断言できるでしょう。
自分で意識し自分で結果を創り出し、自分でその結果を享受する。
どうしてそれを望まない選択肢が存在しましょうか。
少なくとも、過去に持ち合わせていた潜在能力を思い出しつつある方なら、それ以外の選択肢はないはずです。
唯一例外を認めるのなら、
洗脳と奴隷化の世界を復活させ、その世界を体験し続けることを望む人たちだけはその道を選ばないでしょう。ですが、いずれ近いうちにその道は終末を迎え消滅します。
この地では今後そうしたエネルギーは存在できないとされ、それは宇宙のカレンダーで確定しているからです。
ユガの思想を見るまでもなく、あるいはフォトンベルトを通過するたびに繰り返してきた「実例・実績」を見るまでもなく、そこに歴史という証人が存在しているからです。


現実という名の妄想。
現実とは妄想と正反対の事象だと考える人々がまだまだ多いように見えます。
ですが、実は「現実という名のVRゴーグルの中の世界」こそが妄想であること、この世は真逆であったこと、もう語り尽くされてきました。
そして、
その妄想の中で混乱にフォーカスする限り、自分自身がそのエネルギーに同化し増幅し続けるのです。
結果、その望ましくない混乱の風景を、自分自身が永遠に創り続け、永遠に加担し続ける。
フォーカスを変えることがまず第一歩なのに、それを否定し続けるため、いつまでも変われないといった笑えない現実にさえ氣がつきません。

これでは進化を自ら停止させてしまうので、ここでレールの切り替えを自ら行う必要があります。
そのための「共通語」「共通システム」が、意識によって望む世界を創り出すことだと考えています。

いつまでも洗脳という名のコンフォートゾーンに居続けるのは終わりにしませんか。
目が覚めたはずだった方々ご自身が、まだ檻の中に居ることを理解しましょう。
扉の開いた「檻」から出てゆくのは、自分の意志と行動しかないのです。

変化があるから進化できます。変化こそ宝もの。
ここは、それを体験し学ぶ地、地球。
「共通システム」を活用してこそ「共通進化」が実現するはずです。2層目の方々【「切り替え」出来た人たちが増加しているが】[Link]へ心からのエネルギーを送ります。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この地では順序がある

朝顔の季節 photo 宮本章光

--もう役目を終えた人。
--これから引っ張る役目の人。
それぞれ、その瞬間瞬間に必要だからこそ存在していることを理解してゆきます。
そして、
いずれも尊重し感謝の意を送り、望ましい風景を心の中から描き続けます。

いわゆる「ポジティブごっこ遊び」で、その氣になっていると足元を掬われます(自戒を込めて書いています)。
足元を掬われてしまいますと、
まるで「夏休み期間中、宿題を放置して8月31日の夜にカバンを開けて唖然とする」ような氣持ちかもしれません。
ちなみにその経験はありませんが、日曜の夜まで放置した仕事のカバンを開けるのをやめてそのまま月曜に出社するという行動は過去に何度もあります。
余計に月曜の朝は氣が重くなる...それも自分の判断と選択でした。


この地は物質社会ですから、意識が具現化するまでには大きなタイムラグがあり、またその結晶化の結果も異なった形で表出すること。それ自体を体験し学ぶのが目的の場所とされています。
(勿論、突然変異が起きるわけではなく、その変異が起きてしかるべき必然があるのですが、時間差でその変異に氣づけません。)
時間差がある以上、当然その順序が重要な意味を持つはずで、順序を無視すると「結果は正反対」に現象化することさえあります。
ここを取り違えるのです。

公園で砂に塗れて遊んだあと、帰ってからまず泥汚れを洗い流すための水は「ため池の水や軒先の井戸、あるいは普通の水道水(例え)」で良いはずで、ここに「アルプス山麓の湧水や天然水」は不要でしょう。
そして、
綺麗に洗ったあと、かわいた喉を潤すために飲む水こそが「飲料用に適した水」であって、ここで「ため池でボウフラが涌いている」水は絶対に飲まないはずです。以前にも何度も書きました例えです。


いま、すでに過去となり崩壊した社会の裏側を知ることばかりに意識を合わせていますと、そのエネルギーに意識の周波数が同化してしまい、そこから抜け出せなくなってしまいます。
元に戻る方法と、戻る位置の客観的座標、加えて強固な意思を持っていても、それは容易ではないことを体験済みです。
これらのエネルギーは、もう過去のものであり、言うなれば「もう役目を終えた人」とでも言うべき感覚です。
そして、
もはや次のフェーズに入っている以上「これから引っ張る役目の人」にフォーカスを合わせなくては、新しいエネルギーを取り入れることが難しいわけです。

逆をやっている事例。数多くあるように見えます。
泥汚れを洗うためにアルプスの天然水。飲み水に砂まじりの水たまりの水...。
水の例えに置き換えると、ここまで明確で絶対に間違えないはずなのに、意識の話しになると途端に盲目になる。
ま、それもその方々の学びなのでしょう。

但し、忘れてはならないこと。一つ前の記事でも書きましたが、
-----
いつまでも、おかしいやろ!狂ってるやろ!もっと知れよ、もっと詳しく伝えよ!
と、やっている人たち自身が、その状況を長引かせ、永遠にその負のエネルギーをご自身が増幅し続ける愚を犯しています。
-----
この事実を忘れてはならないように思います。

だからこそ、
もう少しだけ大きく広い範囲から俯瞰できる視点を持ち、「これから引っ張る役目の人」という例えのようなエネルギーを持って、その力を互いに送り会い循環させる必要があるように感じます。
こうしたエネルギーの送り合いを実践することで目の前の風景が変わる事例。僅少ながら、この場でシンクロできる方々との実践は確実に望ましい結果を導いています。

順序を誤ると泥水を飲むことになります。
しかし、結局はそれが自分の判断と選択。この地では順序を誤らない。大きな学びの一つでではないでしょうか。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

前向きの行動と後ろ向きの行動

森の空気に触れる photo 宮本章光

いよいよ臨界点を迎え超えそうな予感がします。

広辞苑では、臨界点とは「気体の液化が起こる最高の温度・圧力の点。」と記載されています。
ここで言う臨界点は、
水蒸気が水になったり、あるいは水が水蒸気になったり、地上1気圧では摂氏100度近辺で発生するその状況に例えられるような、何か大規模な転換が起きる前触れ。という意味で使っています。

自分で自分が望む現実を創り上げる。そして、その結果を享受する。
「恐怖と怒りを故意に生じさせるように仕向ける」権力者・支配者の思惑に乗せられない人が増えてきた、ということでしょう。
もう騙されませんし、そのレベルを遥かに超え、次は自分が希望する風景を創り上げることまで可能になっているのです。
素晴らしい臨界点を迎えられそうな予感があります。


台風が来る。大雨・強風、数十年に一度(現在はもう22万年に一度だとかの単位らしい。暗号報道ですね。ここでは触れません。)の大災害が起きる。命を守る行動を!
と連呼しようが、それに自分がフォーカスを合わせなければ「現実化」しないこと。
ここ2年ほどで証明済みです。

すべての人々とは言いませんが、臨界点を超えるレベルの人々が、
---そんなもの現実になるわけないやろ!騒ぐな喚くな!
と、ここまでは到達したのでしょう。よって現実にはならない。これは妄想でも精神論でも何でもなく証明済みの事実です。
エビはソースは、とやかましい人は、この実績を見れば良いでしょう。

次のステップは、
おかしいやろ!狂ってるやろ!
という発言と意識を「超越する」ところへ向かって欲しいのです。

--世の中、こんな悪事があるんだ。
--世の中、これほどまで騙されてきたんだ。
--もっと知れよ。もっともっと詳しく知れよ。
などと、深堀りする必要はまったくないはずなのです。いえ、必要ないどころではなく、それをしてはならないのです。
いつまでもそこにフォーカスしている限り、その負のエネルギーをあなた自身がいつまでも増幅してしまっているのですから。

次は、
その狂ったVRゴーグルの中に見える風景に、フォーカス自体を持ってこないこと。
そうすれば、それらは綺麗さっぱり消滅するはずです。
なぜなら、この「うまくゆかない現実ゲーム」は、自分で脚本を描き自分でプレイすることに契約してきた、極めて巧妙に作り出されたスクリーンの中の出来事だから、です。

映画館で目を瞑るとどうなりますか。
音だけは聞こえます。ですが視覚から入る映像シーンは見えません。
同じように、
狂ってるやろ!おかしいやろ!...的な、現実と言う名の映画に対し、目を瞑ってしまえば、それは即座に目の前から消滅するのです。
これが、今、もっとも求められている行動であるはずです。
ただし、
何度も繰り返して書いてきましたように、この地ではタイムラグがあること。
そして、存在するすべての人々が同時にそうした「目を瞑る」アクションを起こせないために、シーンが消滅するタイミングが遅れ、その確率が下がるという理屈です。

現在のように臨界点(あるいはその近辺)を超えてきますと、その速度が一氣に早まります。すでにこれが現実となってきました。
あとは、できる限り多くの方々が、そうしたレベルに到達することです。
あともう少しでブレイクする寸前だと感じています。

あちら側の人たち、同じくあちら側の「負のエネルギーを欲する人たち」は、これを懸命に阻止しようとします。
ですから、精神世界を語る者を馬鹿にし排除しようとするのです。真っ黒だと昨日にも書きました通りです。


いつまでも、おかしいやろ!狂ってるやろ!もっと知れよ、もっと詳しく伝えよ!
と、やっている人たち自身が、その状況を長引かせ、永遠にその負のエネルギーをご自身が増幅し続ける愚を犯しています。
まさにこれが「後ろ向きの行動」。

それならば「前向きの行動」とは何なのでしょうか。
もう答えを書くまでもないでしょう。
それらにフォーカスしない。即座に離れる。
続いて、望ましい風景を描き、それを潜在意識から顕在意識へ移し具現化する。
ここまで、すでに実行し、実行できる人たちの数が飛躍的に増え続けています。

いつまで「後ろ向きの行動」を続けますか。
早晩それらは終末と滅亡のタイムライン上で消滅することが確定済みなのです。いますぐに道を選択し直しなさいますよう。
臨界点を突破した瞬間に、マイノリティな道は消滅する定めです。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

もう何もしなくていいんですよ

夏の日差しに映えるもみじ photo宮本章光

さらに多くの方々が階段を登ってゆきます。
より多くの方々が心の世界を拡大してゆきます。

先日来、精神的な世界について拒否する人が激増している件に触れましたが、多くの方々からさまざまなご意見をいただきました。
すべての方のメッセージから伝わるのは、同じあるいは似たような感覚をお持ちのようだということであり、安堵感に包まれています。
また、ある方からは、
「存在している・居るだけで成り立っており、改めてその自覚が大切」といった言葉もいただきました。

強力なエネルギー、それは絶対値として強力であることを感じますが、「強大なパワーであっても威圧感を感じさせる」ものではなく、安心感や安堵感、あるいは恍惚感にも似たような、ひたすら柔らかく、且つ大きなエネルギーであることが十分に理解できます。

もう実感し体感している人は十分に理解できているんだと。
たとえ、それが全人口の中に占める割合が少なかったとしても、こうした感覚とその力を体現できる人は「それを実現させるだけの力」があることが証明されたわけであり、何も怖いものはないゾーンに到達したんだと。
こうした人たちの力を合わせ束ねて、望ましい近未来を創造しましょう。それがわたしの、わたしたちの仕事なのだと思います。

メッセージをいただけた方々が口々に仰ったように、もう何もしなくてもいい。もう何も考えなくて良い。
その真意は、自分で創造できることを体感したからこそでしょう。
そして、
もう間違いなく・程なくその考え方とその行動がメインストリームになることも確定でしょう。
なぜなら、先日も綴りましたように、自分自身でその人体実験をし自分自身でその結果を享受しているからです。

誰か偉い先生が言ってるから...。
フォロワー数の多いインフルエンサーが言ってるから...。
そんなレベルは、とっくの昔に卒業しています。

自分で創り出し自分でその結果を手に入れる。
これ以上に何が必要でしょう。
ようやくわたしたちは、失われた記憶と潜在能力を取り戻しつつあるのだと思っています。
自分で意識を変え自分で望ましい結果を手に入れる。
凄いことです。だから支配者はそれをスポイルし、そして狂っていると決めつけ否定し続けるわけです。
しかし、
混乱と狂乱の「過去の意識が結晶化した現実」の上に、何を構築しようとも、それは近いうちに崩壊・滅亡します。
それが、このフォトンベルトを通過するたびに過去から繰り返し行われてきた宇宙のカレンダーに基づく摂理なのですから。

あるいは、
今日も、今もなお、精神世界に関する話題を否定し続け、同時に混乱にフォーカスした話題を叫び続けるのは、言うなれば「そのネガティブ方向のエネルギーが欲しい」との意思表示をしている人たちなのだ、ということまで分かるようになってきたことです。
真っ黒...。

でなければ、「自分から苦しむこと」は、自分自身でその近未来を「苦しめる結果」として作り続けることにしかならない。という、小学生でも理解できる因果関係をトレースしている証であるからです。
そう、そちらの方向のエネルギーを欲している人たちだったのだと。
あぁ、あの人もこの人も。
なんと、リトマス試験紙は赤く変化せず真っ黒に変化するのかもしれません。真っ黒...。

ええ、この地でのエネルギーは、プラスとマイナス、善と悪が等しく存在します。
プラスに大きく100という値で振れたのなら、マイナスもそれと同じだけの100という値で存在する仕組みです。
ですので、それらを両方ともに尊重し受け入れる。
理解したのなら、すべてを受け止め受け入れる。
この段階に至れば、もう二極化も二元化も超越します。ここでやっと一つになります。
ここでニュートラル実現。ゼロポイントに到達ということでしょう。
そして次は...、
次はもう何もしなくていいんですよ。ゼロには何も存在しません。
暖かく穏やかな感覚。
ようやく辿り着きました。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「北風と太陽」令和版---妄想短編コラム

Iitate2019_img_0092_2P.jpg

「目が覚めると周りの人はまだ眠っていた。」

なかなか興味深い言葉です。
ここで道を踏み外す人、多数ではないかと感じます。

自分は最先端を行っている!
まだ周りは誰一人として目を覚ましていないんだぜ!どうだ、すげ〜だろ!!
という何の役にも立たない優越感に浸り、早く目を覚ませ!と周囲を叩き起こす。

どうしてわからねぇんだよ!! と。
そして、
そこには、自己承認欲求の塊と化した「古い世界の遺物たる負のエネルギー」を撒き散らしていることにさえ理解が及びません。

あるいは、
頭でっかちなワンネス思想たる言葉ヅラだけを掲げ、「みんな仲良く」というポジティブごっご遊びに興じる道を進む者も多数。

フォトンベルト帯を通過するという、過去に何度も繰り返し実例のある大宇宙の転換期たる時期を迎えているからこそ、過去をすべて浄化する必要があるにもかかわらず、それを行わず「ネガティブエネルギーに蓋をして見て見ぬふり」をするだけで悦に入る。
それが「ポジティブごっこ遊び」であることにまったく氣がつきません。
併せて、
みんな揃ってお手て繋いで一等賞!といった、教育洗脳の被害者であることさえ認識することが叶いません。

また、
手と手を取り合って新しい世界を。と勇ましい掛け声高らかに進むのも一つのストーリー。
ところが、自分が存在しているその「土俵」自体、権力者が作り上げた旧来の土台の上にある限り、いつまでも永遠に「負け相撲」にしかならないことに理解が及びません。
勝つためには、土俵を乗り換える必要があるのです。

そのために、個々人が本来備えていた、現実という世界を創り上げることが可能な強大な心のエネルギーを使いこなす必要があるにもかかわらず、ここでも洗脳が解けぬままそれを頭から否定し、逆に精神論を語るのは狂っている、の一点張り、そして大合唱。

それは悪の仕組んだワナであると叫びつづけ、村八分思想という排他主義の枠組み以上に拡大することを、自ら拒むという落とし穴にハマったまま、その深いバンカーから永遠に脱出ショットを打ち続けます。

まずは、心という潜在能力により近未来を創り変えるという作業が必要で、ここで土俵を造り変えてからでなければ、目の前に打ち出す一挙手一投足は、ことごとく砂上の楼閣(さじょうのろうかく)と化し、永遠にその姿を具現化することが叶いません。

そして、
北風はさらにさらに強く風を吹かし続け、旅人のコートを吹き飛ばそうとするのです。

強ければ強いほど吹き飛ばせるに違いない。
自分には岩をも吹き飛ばした実績があるんだ!薄っぺらいコートなんぞ、一瞬で破り飛ばしてくれる!と。

ところが、物理法則と言う名の旧来の思考の延長線上でしか考察できていないことに氣がつきません。物理法則は、具現化した「後」の挙動における範囲しか語ることができないのです。
それがすでに過去の遺物であることに意識が及ばず、量子力学の観測問題として語られる、意識が作用することによって結果が変わるという理論を理解しようしません。

こうした現実を理解できず、精神世界を語るのは狂っている。と、何もかも混同し、再び深いバンカーショットから脱出できない状況が続きます。
どうして何回打っても出られないんだ!このサンドウェッジクラブはまったく役に立たん!
と、道具という「他の存在」のせいにし、さらにさらに泥沼に足を取られている現状を見て見ぬふりをし続けます。

すべてのエネルギーは波動状態で存在し、そこに意識が作用した瞬間に素粒子としての挙動を示す。
これが量子力学の観測問題と呼ばれる最先端の科学として立証されていること。

故に、
まずは意識改革を行ない、食わず嫌いをやめ、その道の検証をしてみるという思考と試行があってしかるべきなのですが、ユーザークレーム続出の状態に落ちぶれた企業は、その原因究明と改善のためにパワーを注ごうとせず、クレーム電話回線の増強ばかりに奔走するという過ちを続けるのです。

この時点で、順序が正反対である。という側近の声も握り潰し、裸の王様はいつまでも裸のままで居続けます。


先に目を覚ましていたのは、北風その一人ではありませんでした。

もっと先に目を覚ましていた「太陽」は、北風がどれほど強力に風を吹かせるのかを。そして、どういった思考プロセスによって結果を導くのかを一段異なる階段の上で、違った観点からつぶさに観察し続けました。
太陽は、北風がもはや吹かせる力を失いつつあるところで、じわじわと「暖かいエネルギー」を注ぎ始めます。

その結果は、皆さまご存じの通り。
あれよあれよという間に、旅人はコートを脱いだのです。


口をあんぐり開けたままの北風、もはや息も絶え絶え。
それでもまだ氣づかないのです。

自分のパワーは強大だったはずなのにどうしてなんだ!
情報戦争の真っ只中で戦えるだけのフォロワー数やインフルエンサーとしての素質は誰にも負けていなかったはずだ!!!

それに加え、ノイズとなる情報をシャットアウトする精神的なバックアップとその最新のソリューションまで備えた頭脳集団も整えていた。

だいたい、まだ勝負は決まったわけではない!
パワーはすぐに回復させることができる!


太陽は、暖かく旅人を迎えた後、北風にこのように語りかけました。

「戦わなくて良いのです」
「戦うという意識はもう過去のもの」
「これからは共に栄えともに歩む世の中になったのです」
「あなたにその意志があるのならわたしは共に手をとりあって進みます」
「ですがいつまでも戦う道を選ぶのならここで永遠のお別れです」

さて、北風は何と応えるでしょうか。


2022年8月2日。
直感で生きる。


---note.comにても同記事掲載---

色々な人がいるから面白い?

ひまわりと語る photo 宮本章光

色々な人がいるから面白い。

過去、商社勤務時代の上司が客先で語った言葉。
ウチの会社は「いろんな人間を飼ってますねん」「だから会社の力が強くなるんやと思いますわ」と、客先で話されていた姿が目に浮かびます。
そして、
「ウチの部はね、こういう若い人間を放し飼いにしてるから、よろしく頼んますわ。」とも。

はい、わたしは確かに若かった。体重は現在よりも20kg以上多かった時期。体を壊してしまう時期より少し前の時代。
何も知らなかったとは言いません。ですが、そうしたユーモアとも自虐的とも取れる発言に、横で笑顔をキープするのが精一杯でした。自分から言葉を発言する余裕は皆無でした。それほどまでに「自分を無くして」それほどまでに「自分を意識の中から消去」していた頃でした。


もともと幼少時期から、人と合わせるという行為には激しく大きな違和感を感じていました。
そして、そこ(自分を殺して人に合わせなければならないという教育)に、著しい反感を感じることが多かったのは、先日のwebラジオでのお話しや、この場での過去記事でも多く綴ってきました。
ところが、
この行動を2回繰り返し失敗をしています。
小学校に入った後で、自分の存在を自分自身の思考の中から完全消去してしまいました。
ですが、中学・高校時代以降には「氣がついて」自分を復活させることが叶いました。
次は、
会社へ就職するという機会を迎えたあとで、再び意識も思考も何もかも完全消滅しています。いえ、させられたというのがストレートな言い方でしょう。
「経験・勘・度胸」でええんや!自分なんていらんねん!
はい、わかりました!!!
そんな世界で、2回目の失敗路線に突入しています。
そして、3種の企業を「味わった」あと病床へ。もう過ちはしないと誓ったはずでした。


人に心を操られ、人に揺さぶられ、人に従うこと。そのためには「苦味と称するプロセス」が必要だと。
いえ、その選択その道、いつか来た道ではなかったかと。
ここにアキレス腱があることを再認識する機会を与えられたのだと思います。一番弱いところから痛みはじめる法則でしょうか。

色々な人がいるから面白い。色々な意見も色々な考え方も、それこそが宝物なのだと。
それ自体間違いありません。認めます。
ですが、それと自分を消去するのは別問題。
人間は一人で生きて行けない?一人で何もできない?
確かにそれも間違いではないでしょう。ですが、できないと思うからできないのであって、できると考えやってきた自分自身がその証拠品であり、その存在まで捨て去る必要はないはずです。
既存の枠の中ではできなくとも、その外枠を変えてしまえば何でもできること。そしてそれをやってきたのは自分自身。証拠も結果もここにあります。
ゲームのルールを書き換えればよい、それだけのこと。
え?ルール書き換えてもいいの?
そう、自分がやってるゲームであり自分が脚本を書いているのですから、いつでも書き換え可能な最高責任者だったはず。それも忘れてしまっているのです。
いままでもずっと、そうやって書き換え・書き直し・上書きをしてきたこと、思い出しています。
まして、
激しい違和感のある場合には、それが強烈なエマージェンシーアラートであること。
そのアラートをスルーすると、その次に何が起きてくるのかは、もう理解しています。
その違和感や強烈なアラートさえも、自分のアタマや意識という名の「ゲームを難しくするワルもの」として自分で設定していたのですから。

物ごとには、大変重要な「順序」があること、先日来、数点の記事に残しました。
順序の最初には、望ましい近未来を描く心がありき。これがなくては、その後に展開する世界が変わってきます。
いえ、
絶対に「最初に望ましい絵」を描かなければ、その後には望ましい展開になり得ません。
順序とはそういうことであるはずです。

花が咲く前にタネは絶対にできません。
芽が吹く前に花は絶対に咲きません。
順序とは、単なるプロセスを語っているだけではなく、大きな輪廻や摂理の一部であることを思い出す必要がありそうです。
ここを忘れ去ってはならないはずです。
いえ、忘れてしまっていることさえも忘れているから、だからこそいま、それを思い出させてくれているのだと氣がつきます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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