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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

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シーソーはバランスするようにできている

雨に煙る飯舘村はやま湖 photo 宮本章光

シーソーで遊んだことがない人が多いのだろうと思います。

公園にはもうそうした遊具は存在していないのでしょうか。
ここ数年の異常事態は別として、そもそも公園にも行かない。そんな世相なのかもしれません。

シーソーは、ご存じの通り双方でバランスをとりながら上下に動く乗り物(遊具)。
当然のことながら、どちらか片方に乗る人の体重が重い場合には、そちら側が下がってしまいます。しかしそれでは面白くないので、両足に力を込めて地面を蹴り上に飛びあがろうとします。
蹴り上げた運動エネルギーが位置エネルギーとして消費された最上部に届いた瞬間に、再び落下を始めます。

当たり前のこの運動。
なるほど、この地で学ぶべきことすべてを指し示している見事な事例だとあらためて驚きます。

上記のように、片側が沈むのはそちら側の人の体重が重い場合でしょう。
この地における体験も、片側が重い周波数に合致すると沈み込みます。反対の軽い体重の側に乗っている人は、自動的に上に上がります。
すべてがバランスを取りながら、最終的には平衡状態になるというエントロピーの法則。

自分がどちら側に意識を合わせているのか。
これを「客観視」できればそれで良いと伝えられています。
無理に上にあがろうとしなくても、反対側の人が重く沈めば自動的に上がることもあるというわけ。
そして、
自分の意識によって、どちらの体重の人にもなり得るということ。

ある瞬間にはジャイアンだったり、あるいは別の瞬間にはのび太だったり(ドラえもんのキャラクター例です)。
自らの心の状態によって、瞬時にジャイアンとのび太が入れ替わる。
そんな場所、そんなシーソーゲームの地球。

だからこそ、すべてのモノ・コトにおいて、二面性の両方を尊重し受け入れる。
悪よ滅べ!と叫び続ける限り、ジャイアンよりも、もっともっと体重が増え続け沈み続けます。そしてそのシーソーは上に向いて上がることができなくなってゆきます。
同じことが反対側にも言えるのであって、
善だけポジティブだけを残そうとしても、バランスする対(つい)になる相手がいないことには動くことができません。
のび太だけでは動けないわけです。
結局、体重が軽かったので常に上がるはずだった「のび太だけ」だと、逆に沈んでしまい動けなくなる。

片側に自分一人だけしか乗っていない状態のシーソー。
そんな体験をしたことがある人には理解できるはず。その身動きできない感覚が。
片方だけに自分一人で乗っている時の「その重さとその固着感」。
どれだけ体重のバランスが偏っていたとしても、両方に人が乗っているだけで「いとも簡単に動きはじめるその軽さと楽しさ」を。


きっとシーソーで遊んだことがない人が多いのだろうと思います。
片側だけにフォーカスして叫び続けるのは、自分一人だけで片側に乗っているシーソーの「あの重さとつまらなさ」だということに氣がつかないまま。

シーソーはバランスするようにできているからこそ、その動きの軽さが楽しかったのです。
すべて両極を認め尊重し受け入れる。
いつまでも最終試験が続きます。ここを超えない限り、卒業試験は永遠に終わらないように見えます。
どれだけ機密情報だ、極秘情報だ、と漁ったところで。
どれだけ多くの人に伝えることが世の中を変える!と叫び踊ったところで...。
本質に氣がついた人は、もう心からエネルギーを動かしています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/08/22(Mon) 20:51:30 | New Age

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