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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「不快感」を与えない写真

芝浦運河にて
本当に言葉で伝えるのは難しい。
「HDRのような画像処理」は、現実離れした世界を見せてくれる。
「強烈なコントラスト」は、被写体の持つ存在感を鮮烈に押し出してくる。

しかし、それは被写体とその状況によって使い分けるものである。これこそが表現の手段であり個々人の腕の見せ所であるはずだ。
だが、スマホの普及とともに「撮った写真はエフェクトかけなくてはならない」と思い込む人が増えてきているようだ。
確かに、写真は「撮って出し」ではなく後処理とセットで考える時代になった。だが何でもエフェクトかけりゃいい、ってものではない。

明確な意図と、その被写体・状況に合致したもの、それは作品になるし、撮って出し、では絶対に伝えられないものがこそに表現されている。
他方、ブレは酷いし、構図は無茶苦茶、その上、派手すぎる色使いに加工されている料理の写真を見ると思わず目を閉じてしまう。

メイクの仕方を間違った、とんでもないお化け顔になるか、更に魅力を引き出した美人になるか。そこには下地となる顔に合わせたメイクの原則が存在し、相応のテクニックがあるはずだ。
見る人に「不快感」を与えてしまう「お化け顔写真」を公開していないだろうか。日本人はこの程度の分別はまだ持ち続けていると思いたい。

芝浦運河での一枚。
HDR風(一枚の写真でありHDRではない)にガンマ、ニーカーブを極端に変えている。
不快感を増幅する方向にはないはずだ。だがこの処理時点で、私が撮影時に感じた空気感は皆無となった。ここは、広角のインパクトと強コントラストで語るべきシーンだった。

階調を語ってこそアートと呼びたい

ステップアップクラス撮影より

今、アートフィルターと呼ばれるエフェクトが流行っているようだ。
これらは、とかくコントラストを極端に上げて(強くして)明暗の差を大きくしたものが多い。同時に、ブライトネス(彩度)も異常なまでに強めてインパクトを与える手法だ。

長らくご縁のある方には、もう耳にタコが出来たよ。といわんばかりだと思うが、いつものように例えるなら「スパイシーで刺激的な味」といったところだろうか。

一過性のものとして楽しむのは良いと思うし、他人が意見するものではない。
たが、刺激的な味は「舌を麻痺させるリスクがある」ことを知っておいても良いように思う。

一度濃い味に慣れてしまうと、薄い味では体が満足しなくなる可能性がある。一つの例として「ポータブルオーディオ」のドンシャリ圧縮音源に麻痺した耳は、ナチュラルな音や響きに対する感性を取り戻すことができなくなってしまった。
過剰にトゲのある刺激的な響きしか受け付けなくなっているのである。

似たような現象が「写真の世界でも起きている」のではないだろうか。
ソーシャルメディアに溢れる写真は(すべてとは言わないが)濃い味のものが急増している。そしてその写真の投稿者に人気が集まる。

今日の一枚。
宝塚ソリオステップアップクラスより。
コントラストを下げて撮影、RAW現像でも過剰なほど処理しているので「眠い絵」になっている。が、濃い味で階調が潰れてしまったものとは違う世界があるはずだ。

薄味も濃い味も、どちらも使いこなすのが料理人の腕だと思う。
写真でアピールするなら、この大切な部分である「階調」を語らなければならないはずなのだが...。
ここをベタ潰しにするばかりでアートを名乗ることに大きな違和感を感じずにはいられない。

ファインダーを覗くことに意味がある

cafeで学ぶフォトレッスンNim.cafeさん店内にて
Canonから”EOS M”なるシリーズが発表され約三週間ほど経過した。
この間、多くの方から「これどう?」「あなたは買うの?」と、意見を求められる機会が多かった。

私の答えはただ一つ。
「ビューファインダーがないことにはコンデジと一緒。」ということ。
メーカーサイドでは、色々な可能性を探りさまざまな展開を用意しているはずなので、これからビューファインダーを備えたモデルやオプション等で対応してくるだろうことは容易に想像できる。

画質だとか各種スペックに現れる性能、キャラクター。それはもちろん重要だが、写真(や映像)を撮る道具である以上【操作性】というファクターは絶対に外して考えることはできない。

色々な場所で、操作性というものが作品のクオリティにまで影響する点や、撮影意欲に及ぼす影響などにも言及してきた。今後、小型化をウリにするミラーレスカメラが普及し、大きなミラーを備えた従来からの一眼レフは特定用途に限定されて行くであろうことも想像に難くない。
だが、自分の目をファインダーに着け、腕と手の延長線上にある道具をホールドするスタイルは、コンデジのように片手で支持し、目とモニターが離れた状態で撮影する写真とはまた違った世界を切り取ることができるものである。
この点に言及する人は皆無に近い。

構図さえも機械が勝手に決める上、シャッターのタイミングまで機械がやってしまう時代になってきた。
お手軽、お気軽、イージー操作の自動化は止まらないだろうし、ユーザーサイドでも歓迎されることだろう。でも、だからこそ、自分の意志でパラメータをセットしファインダーを覗いて撮影する、というスタイルが対極に存在するはずだ。
手指の先にあるカメラを両手でホールドし、ファインダーに目を着けて撮影するからこそ撮ることができる絵が存在する。

道具として語る以上、「ファインダーを覗くことに意味がある」のである。
この感覚...判る人にはわかるはすだ。

カフェで学ぶフォトレッスンでお世話になっていますNim.cafeさんの店内にての一枚。

初心者だから一眼レフは無理って??

INim.cafeさん店内
以前から良く耳にする言葉...。
「初心者だから」入門モデル。
「初心者だから」小さなコンデジでいいや。

果たしてこれは正しい選択なのだろうか。
クルマの運転免許をとって、まず購入するのは中古の軽自動車、といわれた時代もあったように思う。
若葉マークのビギナーだから、万が一何かに当てても傷が気にならない中古で。そしてハンドリングの楽な小さなクルマ。という意味合いだったはずだ。
だが、この考え方は時代とともに変化してきている。大体、当てたり擦ったりすること自体が問題だ。当てても良いように。ではなく、当てないように安全第一であるべきだ。

カメラの選択でも似たような発想で語られているように感じる。
道具は「最終的にアウトプットされるクオリティや必要とされるキャラクター」によって選択すべきであって、道具の大きさがまずありき。ではない。

大量の荷物を運ぶ目的ならば、そこで使用されるべきクルマはトラックであって乗用車ではない。
同じように「大きなボケ味を活かした写真」が欲しいならそれはコンデジではなく単焦点レンズを装着した一眼レフである。

でも、一眼レフは機能が多すぎて使いこなせない。と言い訳する。
これも間違っている。機能が多すぎるのはむしろコンデジかもしれない。シーン別のモードが数えきれない(例えだが)ほどある上、何か変更するにも複雑な階層構造の迷路に入らないと設定できない。ここで時間を取られてしまうのなら「こちらのほうがよほど使いこなせない」ということになる。

大きくて重いから嫌。というのも言い訳。
10トンの荷物を運ばなくてはならないのに、トラックは格好良くないから左ハンドルのオープンカーを使いたい。というのは目的と手段の認識自体が間違っている。
パンフレットの表紙を飾るような派手なボケを活かした写真が撮りたい。のなら、ある程度の大きさと重さは不可避である。スマホやコンデジでは無理な世界だ。

道具とは、最終結果を出すために使用するものであることを忘れてはならない。ビギナーであることと、求めるアウトプットを出せる道具であるかどうか?には関連性はないのである。

写真の縦横比は3:2がしっくりくる

新しい歩道橋ができた
先日、あるフォトコンテストの審査をさせていただいた。

ここで感じたことは、写真の縦横比(アスペクト比)が応募者ごとにマチマチで、訴えてくるものが微妙に異なる。という点。
応募総数の約3割が画像データによるエントリーとなっており、PC画面内で評価をする作品もかなりの点数にのぼる。運営事務局からは事前に全作品を紙焼き出力しておくかどうか?の確認があったが、点数が多いためそこまで求めずに評価に臨んだ。
紙焼きと画面閲覧では公正評価の観点では問題があるのかもしれないが、これはこちらのアタマで変換できれば良いこと。として実施した。

結果、色の問題もあり思いのほかアピール度が異なるという現実に直面したが、それよりももっと大きな要素として、データ応募の作品の中でも「縦横比」が異なるものがあるために、訴求度合いが違ってくるように思えた。
多くのコンパクトデジカメは「4:3」の縦横比が多く、一眼レフの流れを汲むカメラは「3:2」である。荒っぽく言うと、過去から語られているように、縦横比の差が大きくなれば作品の緊張度合いが強くなる。
縦横比の違いだけで「3:2」のほうがその度合いが高くなるという訳だ。
PC画面サイズに合わせた「4:3」はよりスクエアに近く緊張度合いが下がるという理屈。

広大な空間を広角レンズで表現したいのであれば、やはり「3:2」でなくては魅力が半減する。被写体の奥行き感を表現しているのなら、これも縦構図の「2:3」でなくては、足切り感が否めない。
画面で閲覧する条件であっても、やはりここは「4:3」ではなく「3:2」の世界が必要だった。

写真作品としては、やはり従来からの3:2がしっくりくると感じる。
コンデジでもアスペクト比を変更できるものが多いと思う。その差をもっと意識しても良いのではないだろうか。
Instagramのようにスクエアな画像は、よほど構図に斬新さや訴求点が明確でないかぎり、見る者に訴えるものが低い。だから派手なエフェクトや強すぎるコントラストで加工しなければならないのではないか。とさえ感じてしまう。
批判をするつもりは全くないし、個々人で新しい楽しみ方をエンジョイすれば良いのだが、こうしたレガシーな部分の感性が麻痺して行くのは問題だ。
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