ファインダーを覗くことに意味がある

Canonから”EOS M”なるシリーズが発表され約三週間ほど経過した。
この間、多くの方から「これどう?」「あなたは買うの?」と、意見を求められる機会が多かった。
私の答えはただ一つ。
「ビューファインダーがないことにはコンデジと一緒。」ということ。
メーカーサイドでは、色々な可能性を探りさまざまな展開を用意しているはずなので、これからビューファインダーを備えたモデルやオプション等で対応してくるだろうことは容易に想像できる。
画質だとか各種スペックに現れる性能、キャラクター。それはもちろん重要だが、写真(や映像)を撮る道具である以上【操作性】というファクターは絶対に外して考えることはできない。
色々な場所で、操作性というものが作品のクオリティにまで影響する点や、撮影意欲に及ぼす影響などにも言及してきた。今後、小型化をウリにするミラーレスカメラが普及し、大きなミラーを備えた従来からの一眼レフは特定用途に限定されて行くであろうことも想像に難くない。
だが、自分の目をファインダーに着け、腕と手の延長線上にある道具をホールドするスタイルは、コンデジのように片手で支持し、目とモニターが離れた状態で撮影する写真とはまた違った世界を切り取ることができるものである。
この点に言及する人は皆無に近い。
構図さえも機械が勝手に決める上、シャッターのタイミングまで機械がやってしまう時代になってきた。
お手軽、お気軽、イージー操作の自動化は止まらないだろうし、ユーザーサイドでも歓迎されることだろう。でも、だからこそ、自分の意志でパラメータをセットしファインダーを覗いて撮影する、というスタイルが対極に存在するはずだ。
手指の先にあるカメラを両手でホールドし、ファインダーに目を着けて撮影するからこそ撮ることができる絵が存在する。
道具として語る以上、「ファインダーを覗くことに意味がある」のである。
この感覚...判る人にはわかるはすだ。
カフェで学ぶフォトレッスンでお世話になっていますNim.cafeさんの店内にての一枚。
2012/08/12(Sun) 15:52:24 | others