時には薄味の奥深さを感じてみたい

濃い味付け。
それは、パンチの効いた刺激を得ることができるでしょう。
人目を引き、そこに接点を生み出す原動力になり得たでしょう。
これまでの世では。これまでの社会では。
インパクトを永遠に与え続けること。
バリエーションを無限に生み出すこと。
その「右肩上がりカーブありき」な思想には、もう触れることはありません。
いえ、正確には「もう二度と触れたくもありません」。
人は、こう言います。
「時には無駄も必要だ。」
「多くの人を纏めるには苦味(にがみ)も要るものだ。」と。
ええ、確かに。
でも、これからは必要とされなくなりつつあるように見えます。
もう、濃い味付けを煮詰め切って、これ以上は炭になってしまうよ。というところまで来ているのに、当の本人たちには、それが判らない。
茹でガエル理論を地でやってしまっていることにさえ。
そして、時には苦味も必要だと。
わたしは、要らない。必要ない。味わいたくない。
そんな、黒焦げになったものを。
だから、自分が望むものを追求して行きます。
そのためには、
一度リセットしてから、薄味を選んでみます。
薄味には、その素材の持つ魅力を感じることができるはずです。
いま、そんな大転換期を過ごしています。
どの道を希望しますか。
どの道を歩みますか。
口にする言葉だけでなく、心に抱き・描くエネルギーが、人間の集合意識を形作ります。
これまでに十分学んだのなら、その教科書はもう処分してしまいな。
ここに到達するまでに存分に体験を重ねたのなら、その時々に得られた「感覚」は大切に自分の胸の内にしまっておきな。
ここの問題はなぁ、そうじゃないんだ。違うんだよ。
何度言ったら分かるんだ!
そんな教師役。もはや時代は必要としなくなっていることに氣がつかないのはその教師ばかりなり。
千里眼にも似たエネルギーを見分ける力を得られたことに、ひたすら感謝の氣持ちが溢れてきます。
薄味を選択したからこそ感じられるようになったものです。
本当にありがとうございます。
貴重な体験、そして貴重な能力を取り戻しつつあるこの瞬間に感謝申し上げます。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。