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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「いのち」が表現する色彩感を感じてみる

おだまきの花が開く photo 宮本章光

何だか難しい標題になったかもしれません。
ですが、難しいと感じている時点で、古い洗脳が解けていない証でしょう。

わたしは、幼稚園児の時期に「人のオーラ(であろう)の色)」が見えていました。その時には、それが見えるか見えないか、という観点すら持っていなかったために、誰でも万人に備わった感覚だと思っていました。

赤い花を見れば「赤い色をしている」と感じ、
緑の葉を見れば「緑色なのだ」と。
そうやって色の名前を覚えてゆくのとまったく同一の感覚だったのです。
残念ながら、現在ではもう全く見ることができません。但し、何らかのエネルギーを感じようと努力してみれば、なんとなく感じることはできるようですが。


以前にもどこかで触れたように思います。
幼稚園の図書室にあるすべての幼児書を読み切った園児2名のうちの一人がわたしでした。
毎日、登園すればまず図書室に向かい、書棚に並んだ書籍の中から、それぞれが放つパワーの強いものから手に取ってゆきました。

背見出し(背表紙)の色使いや文字が一風変わったフォントで記載されている本は、記憶に残りやすいのでお氣に入りでもありました。
また、初期の頃は文字がほとんど読めなかったため、本編に記載されている図柄や絵、そしてその色彩感から感じるエネルギー=心地よさを感じる、目に見えない感覚を楽しんでいたことを思い出します。


この時間帯にもう一人、メガネをかけた園児がいつも同じようにそこに居ました。
記憶が相当薄れてしまっていますが、多分、女の子だったように思われます。
二年保育でしたから4〜6歳児でしょうか。それでも分厚いガラスのメガネは印象的でした。

その子供は、体の周囲にピンク色の「繭(まゆ)」のような光のベールがあったように記憶しています。
もちろん、他の子供たちを見ても、同じようなものが見えていたはずです。
けれども、それは服を着ているのとまったく同じ感覚だったので、この子は青い服をきているぞ、だとか、この子は赤系統の服を着ているんだな。などとひとつ一つ考えながら見ることはないのと同じように、意識さえしなかったのです。
そして、
小学校へ上がる頃には、もう感覚の外に消滅していたように思います。
いつの時点でそのような感覚が消えてしまったかさえも判りません。


あれから40年…ではなくて、あれから50余年60年近くの時間が流れました。
いま、この大転換期に、生命が放つエネルギーに色があることを思い出しつつあります。
いえ、
それは、花の色が「赤い」だとかそういった感覚ではなく、そこから滲み出している「目に見えない何らかのもの」を。

もしかして、
これは幼稚園児の頃よりも、もっと凄いことになってるんじゃないか!とも。
そう、そのように感じれば「そのように現実になる」。
本来備わっていた潜在能力を取り戻しつつあることを感じています。

ともに同じ感覚を共有できる皆さまとともに、新しい空間・時間を創造してゆきたく思います。ご一緒しましょう。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/03/09(Thu) 22:06:08 | New Age

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