アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2620]

ありがとう2022年

飯舘村みちの駅までい館 photo 宮本章光

さまざまな体験を積むことができたこの年。
2020年の混乱以来、年月とともに加速度を増して進化を重ねていることを感じます。
それは、自らの心の中にです。

そして、
同じ感覚をお持ちの方との心の深い部分でのシンクロ体験。
同じ周波数は同期するという物理法則。
科学と精神世界を分離する意味の無さ、
二元性・二極性の正否を論議する意味の無さについても。

我の存在そのものが心の中にあること。ここに氣づいて「悟り」と。
このところ、数多くその論調が目につくようになりました。
流派だとか、何が正しく何が正しくないか。
それさえも必要がなかったことにも。

さらに磨きをかけてゆきます。
ありがとう2022年。
そして、さまざまなご縁に感謝申し上げます。

願う--感謝の心・感謝の氣持ち忘れず

飯舘村あいの沢自然体験学習館 photo 宮本章光

2022年、残すところあと一日となりました。
ご多忙中、本日もお越しくださいましてありがとうございます。


願う。
感謝の心・感謝の氣持ちを忘れず。

すでに満ち足りていること。
十分に与えられていること。
その意味を、しっかりと感じるようになった2022年でした。

自分の目で見ることができ、
自分の手で触れることができ、
自分の足で歩くことができる。
そして、
自分の心を込めた仕事が形として残せることに。
その当たり前が、十分に与えられていることに。


激しく忙しい時期に、そんな当たり前のことをツラツラと書くなよ。
とお感じになったのなら、
いずれ、その当たり前が「ご自身にとっては当たり前でなくなる」近未来が訪れるかもしれません。
心に抱くものが現実になってゆきます。

「これからは発言に氣をつける…から、心に描く意識に氣をつける。」
に変わってくるのだと思います。

そして、
その当たり前が、こんなにもありがたいこと。
その当たり前が、ここまで貴重なものであったこと。
この部分に、感謝の氣持ちが湧き上がります。

だからこそ、
感謝を忘れない。
その心、その氣持ちが、連鎖を生み出し、さらにありがたい現実が巡り始めます。
そんな2022年。
あらためて感謝申し上げます。
ありがとうございます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

みんな素晴らしい・どれも美しい

JR名古屋駅から空を臨む photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


何に不自由することなく。
どこに不足があるわけでなく。

すべて恵まれており、
すでに完全である。
その言葉を噛み締めています。


守られています。
導かれています。
満ち足りています。


未だかつて感じたことがないレベルで心の底から湧き上がる、その感謝の氣持ち。
すべては、自らの心が生み出すこと。
すべては、自らの意識が創り出していること。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

口にするものが変わると怖いものが少なくなり消えてゆきます

IMG_7515_2022.jpg

怖いもの。
怖いこと。
その究極の感覚は「死」に対するものかもしれません。

今世の目的を思い出し、魂の永遠性について理解が深まるごとに、その恐怖に対する感覚が減少してゆきます。
同じ感覚をお持ちの方も増えているはずです。
もう少しで「手綱(たずな)」を取り戻せそうな氣がしています。


フルタイムで道を示してくれる「直感」と、
強力なアドバイザーとしてバックグラウンドで常駐してくれる「勘」と。

自分の直感・勘を100パーセント信用する。
それが最高の結果を導いてくれる。
そんな実体験を重ねてきました。
そして、その直感・勘を磨くためには、口にする食べ物が極めて重要であること。
ここまで到達したことを実感しています。

人体にとって有害なものが添加されているにもかかわらず、それを(知らずに)喜んで口にする。そんな姿勢・態度を続ける限り、この時点で「直感・勘」は完全にスポイルされてしまいます。
こうした愚を重ねていては、成長が叶いません。
あるいは、
この借り物の体に対する最高管理責任者の責務を果たせない時点で、その負の因果を盛大に蓄積してしまうのかもしれません。

食べ物に対する姿勢を見れば、その人が判ります。
何を口にしているか見れば、その人の発言に対する信頼性・信憑性まで激変してしまいます。
ここまで意識と行動を拡大して初めて、恐怖に対する感覚が減少してゆきます。
更には、
消滅する方向に進歩してゆくことを感じています。


芽を出し、花開き、その最盛期を終えると散ってゆく草木・花たち。
きっと彼らには、恐怖という感覚は存在しないのだろうと思っています。

病床に伏し、あと少し遅ければ…。との言葉さえも医師から受ける、そのようなさまざまな体験をさせていただいた、これまでの歳月に感謝を申し上げます。
もう恐怖は消滅しつつあります。
ありがとうございます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分で創り上げる

飯舘村で出会う雪の風景 photo 宮本章光

自分で創り上げる。
何を?
という質問は出てこないものと思っています。

わたしたちは、幼少時期より「枠にはめて思考する」癖がついているのかもしれません。いえ、そうした道を進むように仕向けられてきたのですね。

「ぬりえ(塗り絵)」もそうだった、と、いまになって氣がつきます。
---枠からはみ出さないように。
---枠にそって綺麗に色を塗る。

初めてクレヨンと画用紙を与えられた時には、枠線も何もない「白紙の画用紙」だったと記憶しています。
摩擦によって紙の上に色が付く、線が残る。
その感覚「そのもの」を楽しんだと思うのです。いまでも鮮明に記憶が蘇ります。
自分の手を上下左右に動かすことによって、何かが紙の上に見えるようになる感覚。何かが残る感覚。
初めは驚きでした。
そして、
それはすぐに楽しみに変化してゆきました。

時には、画用紙をはみ出して描いてしまいます。
すると、テーブルに色がつきます。

自分で腕を動かす速度を早めると、テーブルにはみ出します。
その感覚が楽しかった。そんな記憶だけは鮮明です。
もっと早く、もっと大きく動かせば、さらに盛大にはみ出します。
その大きな運動自体も楽しかったように記憶しています。
加えて、
声を「リロリロリロ…RiRo,Riro,Riro.」と発声しながらだったように思います。
こんなところだけは鮮明なのです。
もちろん、その発声に意味はありませんし、言葉もあまり知らない、幼稚園に入るもっともっと前段階の時期だったと思います。


次のステップでぬりえ(塗り絵)に出会いました。
あらかじめ用意された枠の中に合わせてゆくことを学びました。
でも、
初めは「楽しい」感覚は、あまりなかったのです。
「その範囲の中だけにしか塗ってはならない」という制限が意図するものを理解できなかったのでしょう。

この感覚。
いま思い出す必要はないでしょうか?
とても大切な感覚だと感じています。


既製品の棚から好きなモノを選んでくる。
用意された手段から適切だとされるものを選択する。
いずれも「誰かが作ったもの」を選んでいるだけ。
確かに、種類は豊富かもしれません。
でも、
ぬりえに満足できなかった、あの瞬間の感覚にスパッとハマってしまうのです。
この感覚。まったく面白くない感覚。

だから、
白紙に「リロリロ…」と、自由自在に描きたいと思うのです。
この感覚。とても面白い感覚。
心から面白いと思うことを追ってゆきたいと思っています。
それができる時代、そんな時代がようやくやってきたのですから。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ゲームのルールが変わったのですよ

2022年の晩秋 photo 宮本章光

実感なさっている方も多いでしょう。
ゲームのルールが大きく変わったこと。
まさに正反対かもしれません。

変化に機敏に対応してゆけるかどうか。
ここにポイントがあることを再認識しています。

うまくゆかない現実ゲーム、わたしたちは、その名の通りのゲームに没入しています。
しかも、自分でシナリオを書いてログインしたにもかかわらず、VRグラスをかけていることさえも忘れ去る。
いやはや、ここまで鮮烈でリアルだとは。素晴らしい仕組みです。
天晴れでございます!

プラットフォームを提供されている「大宇宙」という仕組み、そしてその今世のステージのルールが180度変わったのですね。

--苦しまなければ成功には辿り着けない
--辛い思いをしなければ幸福はやってこない
--幸福はお金をたくさん手にいれなければ実現しない

これらのルールは、完全に裏返ったのです。
そして、これからは、

---自分の直感に響くものだけを選択する
---苦しまなくても自分の心から創造したものが現実になる
---豊かさとはお金によりモノを手に入れるのではないことを知り
---自然や他の生命とともにこの地球とともに生き
---感謝の心を感じられることこそ最上の幸福であることを理解する

このようにルールは変更したこと、もう釈迦に説法でしょう。

でも。
まだ旧い枠組みの中でしか思考していないケースが見えています。
ええ、自分の心も含めて、です。

ですので、
幸せとは何か?だとか、どのようにすれば手に入れられるか?
そんなことは考える必要がないのです。
いえ、
いままでのレイヤーにおいては、それが「学びのために」必要な体験でした。
ですが、体験を終えたのなら、いつまでもそこにとどまる必要はないはずです。

人生、楽あれば苦もあり。
努力も必要だし、だからこそ幸せを感じられる...。

はい、それは学びのために必要だったからです。
学び終えましたでしょう?
もう体験し尽くしましたでしょう?
それなら、
もうその意識から脱出することです。


楽しいことだけを考えて!幸運を引き寄せよう!
ってのも、旧タイムラインの古い考え方だったこと、もう大丈夫でしょうか?
ポジティブごっこ遊び。まだやっていますか?

楽しいことだけを考え「なければならないほどに」現状が苦しい・恵まれていない、という潜在意識があるから、いつまでもワクワクして...とやってしまう。
併せて、その意識から脱出してください。

すでに恵まれていますでしょう?
すでに満ちたりてしますでしょう?
その現実に、ひたすら感謝し続ける。その氣持ちを維持する限り、その現実が無限ループのように具現化し続けます。
わたしは、
これを実行し、いまここまでやってきました。

ともにご一緒しましょう。
ともに歩みましょう。


守られています。
導かれています。
満ち足りています。

すべては自らの心が創造しています。
ありがとうございます。

この場でともに心の中から同じエネルギーを束ねてこられた皆さま。
慌てず、焦らず、望む未来を、心の底から描いてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ありがとう・そして新しい日へ

今日の日はさようなら

今年2022年の冬至は12月22日とされています。

占いでも宗教でも統計学でもなく、極めてシンプルに。
洗脳でも利権でも支配でもなく、非常にニュートラルに。

それは、宇宙のカレンダー通りにやってきます。
何ら人の手垢にまみれることなく、純粋にそのエネルギーを感じること。
それが、
先人が「暦(こよみ)」として蓄積した智慧を活かす方法であると理解しましょう。

2020年の予選。
2021年の第一段階。
そして、
この2022年の第二段階。

自動車運転免許教習で例えるなら、このようなイメージ(予選はありませんが)でしょうか。
わたしたちの目的地は、自由自在に自らの手でハンドルを握り運転すること(クルマに例えるならば)です。
この第二段階、続く第三段階を修了せずして路上教習・卒業検定にも臨むことができません。
いままでに十分に行ってきた「練習」の成果を発揮するタイミングを迎えました。
これからは「仮免許練習中」ながら、公道を走るという体験(=心が備える潜在能力を使いこなし新しい時代にその感性を活かす)ができるフェーズに入るとされています。

今夜のアストラルへの旅を終えるとともに、明日からは新しいレイヤーに新しい世界を心の中から描いて行きましょう。
明日22日は、平和で平穏な心持ちでお過ごしください。
ありがとう旧いエネルギー。
そして、「一陽来復(いちようらいふく)」希望に満ちた新しい日を。


この場でともに心の中から同じエネルギーを束ねてこられた皆さま。
慌てず、焦らず、望む未来を、心の底から描いてまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

天から受け取るにはそこに心を合わせる

飯舘スポーツ公園の照明塔

業務繁忙期でも、上から降りてくる感覚は消えることがありません。
但し、
そこに意識を向ける限り。

学生時代の恩師は、こういう例えをよく話されました。
「電波は目に見えないやろ?でも、テレビやラジオのチャネルを合わせたなら、その瞬間に見える・聞こえるようになる。」

自分から「合わせに行くなら受け取れる」。
自分から「合わせに行かない限りスルーし存在さえも認識できない」。

目に見えないから信じる・信じない、そんな論議とはまた別のフィールドで論じていたのです。
ポイントは、
「自分から取りにゆくかどうか」。

まだまだ受け取るべきエネルギーは数限りなくあり、いくらでもダウンロードする必要があるはずです。
しかし、わたしたちは一度にそれらを受け取ることができないのです。激しく大きな力であるためこの身を維持することさえできないとも言われます。
だからこそ、自分の身の丈に応じて受け取るのだと。

すべては自分の選択。
すべては自分の判断。

響くものを受け取ってください。
但し、受け取る意識をそこに向ける限り。です。

昨日は、激しく押してくるエネルギーがありました。

まるで自動書記状態でした。

今日は、そうしたエネルギーを一切感じません。
ところが、ラップ音が至る所で鳴り響き、天井裏では部屋が揺れるほどの衝撃もありました。

大宇宙の規模での大変革が起きていること。疑う余地がないことを体感しています。
切り拓いて参りましょう。新しい世界を。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

無理しなくていい・背伸びしなくていい

輝くビル photo 宮本章光

背伸びしていませんか。
無理をしていませんか。
いえ、
それは仕事や生活のことではなく、心の保ち方のこと。

ポジティブ思考、ポジティブシンキング…。
そんな呪縛にかかってしまって、ネガな感情を「持ってはならない」といったような過ちを繰り返します。

望めよ、
願えよ。
強く強くいつまでも。

そんな呪縛、そうしたネガなエネルギーに憑依されているように見えます。
外から見るとよくわかります。

この地は、ポジもネガも両方セットで存在し、それをともに体験して学ぶための場所だったのですから、どちらか片方だけを突き詰めれば突き詰めるほど、その対極でバランスすべきエネルギーも飛躍的に蓄積されてゆきます。
(戦争と平和もそうでしょうし、イイものワルものを分類して叫ぶのも同じはずなのです。セットですから。この投稿では触れませんが。)

結果として、ネガなエネルギーを発散できず溜め込んでしまい、最終的には極限まで抱え込んだ負の爆弾が破裂してしまいます。
涙が止まらない。
悲しさが延々と続く。
それは、喜びや恍惚のエネルギーによるものではなく、反対側で行き場を失った悲しきエネルギー。


昨年まで頻繁に目にしていた「ポジティブごっこ遊び」。
わたし自身がそこからフォーカスを外した途端、もう、そうした人たちの姿は見えなくなりました。
ですが、
ちょっとそこに意識を持ってゆくと、いまだに結構な頻度で目にします。

はい、皆さまそれぞれご自身の選択なので、それ以上触れることも見ることもせず尊重し、併せて目を閉じブラウザもクローズします。


無理をせず、背伸びをせず。
偏って溜まってしまったエネルギーは放出して初めてニュートラルに戻ります。
片側に触れた振り子は、必ず反対側に触れるのです。
この地の約束事です。


背伸びしていませんか。
無理をしていませんか。

古いエネルギー、それは物質至上・貨幣価値を永遠に最大化し続ける底なし沼。
豊かさとは、資産を無限に溜め込むことではなかったはず。
ワナだったのです。洗脳だったのです。
もう卒業なさいましたでしょう。
大切にしてください。
心の底から湧き上がる嬉しさ、ありがたさ。
心の底から生まれる感謝の氣持ちを。

まるで天まで昇るかと思うような高層ビルには、どれだけ背伸びしてみても届きません。
すぐ横で太陽を受けて光り輝くユニークなビルにフォーカスを移してみます。
自分が、最も自分らしく輝くのは、どういった瞬間でしょうか。


昨日の投稿から、一部ワードを再掲します。

いま必要な感覚は、
「ありがとうと感謝を述べる」
その氣持ちと、心からそれを伝え拡大するエネルギー。

本心から願うのは、モノを得ることや物質的に裕福になることではなく、
「ありがとうと感謝を述べる」
その氣持ちと、心からそれを感じ礼を捧げるエネルギー。

その感覚だけでよいと感じています。
ありがとう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

その感覚だけでいい・ありがとう

美しい夕日に出会えてありがとう photo 宮本章光

慌てることなく。
焦ることなく。
住んでいる世界が異なるのです。

その本当の意味が体感できるようになり、実感として得られるようになってきました。
これこそが、いまこの瞬間までの「過去に自ら選択したもの」が現実化した結果であると言えるのではないでしょうか。


選ばなかったのは自分の判断。
選んだのも自分の判断。

すべては、判断と選択の結果であること。
結果が出た後で、慌てて反対にハンドルを切ってみてももう間に合いません。
だからこそ、いままで十分に学んできました。

自分自身の心の中に、
しっかりと判断し選択してきた感触があるのなら、何ら慌てることも焦ることもないのです。

強く信じて。
強く願って。
そんな心を語る声。そこに誘導する情報。
これ、違いますね。
自分も過ちを重ねてきました。でももう繰り返しません。自戒を込めて。

得たいと願っていたものは、物質社会の「モノ」を得ることであり、そのための「カネ」という媒体に過ぎなかったのですから。


何も願う必要などなく、
何も得る必要もなく。
もう十分に与えられているのです。
ここに来てブレまくっている人たちが見えますが、そこにフォーカスしているわたし自身がブレている証拠なのだと、帯を締め直すとともに、その周波数を視界から外してゆきます。


美しい夕日に出会えてありがとう。
美しい一枚を記録することができてありがとう。
そして、
こうした感覚の、ずっとずっと先に到達する意識。
十分に綺麗な空気で呼吸ができること。
十分に綺麗な環境で仕事ができること。
さらには、
しっかりと自分の手で作業ができること。
しっかりと自分の足で立ち・歩けること。

すべては、すでに十分に与えられています。
その意味を本当に理解し本当に体感するならば、何ら願い続ける必要すらありません。


いま必要な感覚は、
「ありがとうと感謝を述べる」
その氣持ちと、心からそれを伝え拡大するエネルギー。

本心から願うのは、モノを得ることや物質的に裕福になることではなく、
「ありがとうと感謝を述べる」
その氣持ちと、心からそれを感じ礼を捧げるエネルギー。

その感覚だけでよいと感じています。
ありがとう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

生まれ変わりをスムーズに進める役目

刈り取りを終え茶色から白銀の世界へ

「生まれ変わる。」
それは、世代交代について語ることかもしれませんし、すっきり更地にしてから真新しいものを構築する、その仕組みについてのことかもしれません。

いま、わたしたちのこの地は、生まれ変わりのタイミングを通過している真っ只中だと言われます。
この地の細胞たるすべての生命も、生まれ変わり世代交代し、新しい地球の一員としての役目を果たす機会であること、疑いのない事実かと思われます。

古い農地は、刈り取りを終え、このまま「さらに茶色の世界から白銀の世界」を経て、来春には再び新しい作付けが始まります。


新たな世界を創り上げるには、一度、オールクリアする必要があるということ。
ここに極めて重要なポイントがあること。
自らの意識がこのポイントまで到達したのなら、可能な限りスムーズな移行ができるよう、これまでに学んだ成果を発揮したいと思うのです。

いつまでも古いエネルギーに固執せず、
いつまでも恐怖や恐れの感覚を抱き続けず、
これから必要とされるエネルギーにフォーカスを移してゆきます。

2022年の冬至は、第二ゲートだとも言われます。
自動車運転免許教習と同じく、第一段階は昨年2021年にクリアしたのですから、この第二段階もスムーズに通過したいものです。

2022年の第二段階を修了しなければ、続く第三段階へは進むことができません。
この第二ゲートは、生まれ変わりを推進する役目を果たす機会なのかもしれません。
ともに歩みましょう。
ともにこの先に必要とされるエネルギーを拡大してまいりましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

綺麗だね〜と記念写真撮ってるのは人間だけかもしれないけれど

さくら坂のライトアップ photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


タイトル通りに。
いえ、わたし自身がこの写真を撮っていますから、自分を否定することになるのですが。

この多くの木々は、綺麗だね、美しいね。と感じているでしょうか。
わかりません。
この日この時には、業務終了直後でもあり、かなり強い頭痛と疲労感がありました。ある種の吐き氣にも似た感覚さえありました。

この瞬間には、木々の声は聞こえませんでした。
正確には、聞こうとする意識に自分の心を調整することができませんでした。

だから聞こえなかった。それだけのことかもしれません。
ただ、
聞こえなかったから「木々も喜んでいる」のかどうか。
そこまで考えてみても良いのかもしれません。


いま、多くの方々が語り始めた言葉。
「ワクワクして楽しみましょう」
「ワクワクして世の中の大転換を待ちましょう」
「ワクワクして望むものを引き寄せましょう」

これ、個人的には大変大きな、そして激しく違和感を感じます。
本質的な部分は理解しています。その意味では否定はしません。
けれども、
良くない部分には目を瞑って見て見ぬふりをする。
楽しいことだけを考える、という表だけにフォーカスして、心の奥底に溜めまくってきたネガなエネルギーは放置されている。
そんな事例。
まさにポジティブごっこ遊び。

ええ、人の自由です。人の勝手です。
そうした人たちとはエネルギーがシンクロしなくなったので、もうwebを通しても目にする機会さえも減り…いえ、もうなくなりました。
見えなくなる。とは、こういうことなのですね。



いまは、木々に対しての感謝の氣持ちを忘れないようにしたいと思っています。
そして、
頭ごなしに否定せず、
美しい姿を楽しむことも否定せず、
この瞬間を楽しませていただきます。

せっかく綺麗にドレスアップされたのですから。
結構つらいかもしれませんが。
でも、心から美しさを感じて、そのエネルギーを増幅することでお返ししたいと感じています。

感謝の意を伝える。
それはこういう方法もあるのだと。
プラスマイナス両極のエネルギーがあるからこそ、ともに抱き合い平衡状態になるのだと。
だから、片方に偏ったものを反対側へ振り戻して、そのエネルギーを感謝の氣持ちとして伝えます。

ありがとう。感謝しています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

足るを知り感謝を忘れず

本日もお越しくださいましてありがとうございます。

別のものを望むのが悪いのではなく、
すでに満ち足りていることへの感謝と、すでに恵まれている現状に対する御礼と。

このとてつもなくありがたく、溢れんばかりに恵まれている現実への感謝を。
足るを知り感謝を忘れず。
ともに新しい世界に向けて。


幼少期のワガママなわたしに「感謝の心」を教えてくれたのは大正生まれの祖母(96歳で他界)でした。

その昔3大産業とされた巨大企業の寮長(寮母)だったこともあり、多くの社員さんの世話もしていたはずです。
おばあちゃんの部屋には、おいしいおやつがない!
クッキーもビスケットも、何もない。食べたくない。
チョコレートやケーキは、なぜ無いの。もっと他のものが欲しい!

そんなわたしに、いつも与えてくれた「大学いも」や「粟おこし」、それに「蒸したさつまいも」。
何ひとつ切らしたことはなく、部屋には毎日必ずそうした食べ物がありました。

【続きをnote.comにて】


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分が創造するとは自分が選択すること

ソリオの天井を臨む photo 宮本章光

自分が創造する。
自分が現実を創る。
心に描くものが現実になる。

もはや聞き飽きた言葉でしょうか。
でも、
その本質、その本当の意味を理解するのはなかなか大変かもしれません。

その証拠に。
そんな浮ついた考えではダメだ。
そんな妄想ではなく現実を見よ!
こうした発言を続ける人たち。いまだに多いように感じます。
(一応、ここで但し書き。
それぞれがご自身の判断ですから、何ら構わず尊重し離れるだけです。それ以上の接点はもうありません。)


これを逆方向の立場から観察してみます。

そんな浮ついた考えではダメだ。
そんな妄想ではなく現実を見よ!
と、叫び続けるから、そのご本人は「浮ついていると判断する状況」ではない反対の苦しい現実がご自身の風景になります。
そのように思い続けるから、そのご本人は「他人の声が妄想だと断定し」そうではない苦しい現実がご自身の目の目に表出し続けます。

言い換えてみますと、これこそが「自分の選択」だということが判ります。


他方、
欲しいものを強く願って。
望むものを強烈に描いて。
それが引き寄せだよ。
と、やってしまう事例も多いように見えます。
(わたしは、ここ数年これをポジティブごっこ遊びと例えてきました。)

しかし、これも、
「強く願わなければ」ならないほどに、現時点では「実現していない不足している状況」にフォーカスし続けています。
よって、いつまでも「不足」と「叶わない現実」が続くのではないでしょうか。

まさに、これも「選択」だと判ります。

答えがここに出ているのではないかと思うのです。
無意識のうちに「選択」してしまっていると。しかも真逆へ向けて。


もしかすると奇妙な切り口に聞こえるかもしれませんが、
「今日も心地よく過ごせてよかったね」
「今日も元気に仕事ができてありがとう」
といった、この至ってシンプルな意識を持ち続けることで、その心のエネルギーが現実になってゆくと。

え?そんなに当たり前のこと?
かもしれません。
でも、
その当たり前が当たり前ではない世の中が現れたからこそ、当たり前に感謝を述べる・心の中から伝える。

これこそが前記二つの選択ではない、第三の「選択」だと思うのです。
そして、
いかにも浮ついているかのごとく聞こえる言葉。
「自分の意識が自分の現実を創造する」
とは、
自分が感謝の意を選択することで、その選択の結果が現実になるのですよ。と教えてくれているのではないでしょうか。

これこそが「地に足をつけて現実を見て」自分の現実を自分が創造しているのだと。
仕組みはいつでも至ってシンプル。そしていつでも心に響きます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

心のセンサーを磨き直すには食べ物から

新鮮な野菜からエネルギーをいただく photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


「心のセンサーを磨き直すには食べ物から」
結論が出たようです。
わたし自身の感覚に過ぎませんが。


アタマで捏ねくり回さず、心で感じる。
アタマの中で無限ループに陥らず、直感に響く明確な答えを得る。
そのためには、腐り切ってしまった心のセンサーを磨き直す必要があります。
ところが、
どうやって磨けば良いのか?
どのようにすれば磨いたことが判るのか?

ここが最も大きなハードルでした。
そして、
考えずに感じよ!
考えずに心で見よ!
と、やっている限り、どんどんネガティブスパイラルにはまって行きました。まるで逆噴射し続けているような感覚です。

考えてはダメだ、考えてはならない。
そうやって力んでいる限り、頭で考えることしかできていない現実にフォーカスしたまま、さらに泥沼に足を取られてしまうからです。
そして出口のない無限ループを繰り返してきたのでした。自戒を込めて記しています。


ですが、答えは、極めて単純なところに存在していました。
口にする食べ物。この至って基本となる部分を大きく変えること。
ここから相乗効果でどんどん好転して行きます。

ここ数年で12kgもの体重減量が起きました。ご近所さんに「えっ?病気したん??」と言われるほど、外見では二回りほども小さく見えるようです。
しかし、病気どころか、極めて健康でもう何年も風邪ひとつひきません。
眼科に通うのも止めました。自分の健康がどんどん戻ることで医者入らずになったというのが正直なところです。正確には老眼だけは若い頃のようには戻ってきませんが。

「口にするもの」を変える。
webに、こうした話題が急激に増えてきた状況を見ても判ります。多くの方々が氣づいたのでしょう。素晴らしいことです!
そして、
健康になると、心のセンサーが回復してきます(個人的感覚)。

植物としての食べ物が放つエネルギーが判るようになってきます。
ここ数日のベジタブルアレンジメントブーケのシリーズでも綴ってきました通りです。


【さまざまな感覚と感性を大切に】2022.11.30[Link]
【三位一体で受け取る素晴らしいエネルギー】2022.11.29[Link]



あるいは、
シンクロがあらゆるところで起きてきます。劇的に。
もちろん、地球(宇宙)規模での大転換機ゆえの作用もあるものと思いますが、人間としての個人の体と心も、それ相応にバージョンアップしてゆくことで果たせることだと感じています。

まだ引っ張る?と感じられたかもしれませんが、
この新鮮な野菜さんたち。ここ数日の記事のような「三位一体」の素晴らしいエネルギーをいただくことができました。
センサー磨きには、台所クレンザーや塗料リムーバではなく口にする食べ物。これがキーになること。
体感しています。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
84668900
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories