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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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自分で創り上げる

飯舘村で出会う雪の風景 photo 宮本章光

自分で創り上げる。
何を?
という質問は出てこないものと思っています。

わたしたちは、幼少時期より「枠にはめて思考する」癖がついているのかもしれません。いえ、そうした道を進むように仕向けられてきたのですね。

「ぬりえ(塗り絵)」もそうだった、と、いまになって氣がつきます。
---枠からはみ出さないように。
---枠にそって綺麗に色を塗る。

初めてクレヨンと画用紙を与えられた時には、枠線も何もない「白紙の画用紙」だったと記憶しています。
摩擦によって紙の上に色が付く、線が残る。
その感覚「そのもの」を楽しんだと思うのです。いまでも鮮明に記憶が蘇ります。
自分の手を上下左右に動かすことによって、何かが紙の上に見えるようになる感覚。何かが残る感覚。
初めは驚きでした。
そして、
それはすぐに楽しみに変化してゆきました。

時には、画用紙をはみ出して描いてしまいます。
すると、テーブルに色がつきます。

自分で腕を動かす速度を早めると、テーブルにはみ出します。
その感覚が楽しかった。そんな記憶だけは鮮明です。
もっと早く、もっと大きく動かせば、さらに盛大にはみ出します。
その大きな運動自体も楽しかったように記憶しています。
加えて、
声を「リロリロリロ…RiRo,Riro,Riro.」と発声しながらだったように思います。
こんなところだけは鮮明なのです。
もちろん、その発声に意味はありませんし、言葉もあまり知らない、幼稚園に入るもっともっと前段階の時期だったと思います。


次のステップでぬりえ(塗り絵)に出会いました。
あらかじめ用意された枠の中に合わせてゆくことを学びました。
でも、
初めは「楽しい」感覚は、あまりなかったのです。
「その範囲の中だけにしか塗ってはならない」という制限が意図するものを理解できなかったのでしょう。

この感覚。
いま思い出す必要はないでしょうか?
とても大切な感覚だと感じています。


既製品の棚から好きなモノを選んでくる。
用意された手段から適切だとされるものを選択する。
いずれも「誰かが作ったもの」を選んでいるだけ。
確かに、種類は豊富かもしれません。
でも、
ぬりえに満足できなかった、あの瞬間の感覚にスパッとハマってしまうのです。
この感覚。まったく面白くない感覚。

だから、
白紙に「リロリロ…」と、自由自在に描きたいと思うのです。
この感覚。とても面白い感覚。
心から面白いと思うことを追ってゆきたいと思っています。
それができる時代、そんな時代がようやくやってきたのですから。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/12/26(Mon) 21:39:29 | New Age

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