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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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考えるよりも感じる

飯舘の印象 水芭蕉 photo 宮本章光

感じる。
という言葉は、なかなか難しいようです。

どのように、何が難しいのか?
そういった思考に展開した時点で、もはや「感じる」ことから離れてしまって「頭で考えている」のだと。
では、
考えずに感じるにはどうすればよいのでしょう。
これも同じで、どうすればよいか?と「頭で考えてしまう」ので、結局は「感じる」ことができない方向に進みます。


いえ、哲学的展開を望んでいませんので、ここで終止符を打ちます。
自分なりの答えは、
「考えるよりも感じる。」です。
答えになっていないだろ!とお叱りを受けるかもしれませんが、これが答えです。

---考えることをやめる。これが第一ステップ。
---感じるために周波数を合わせる。ここで第二ステップ。
---意識の中にフォーカスしてゆく。これが第三ステップ。

ここまでは能動的に進めますが、そのあとで答えが自動的にやってきます。
来ないようならば、それは周波数が合っていない。あるいは答えが出るまでに「時間がかかる=タイムラグが大きい」ターゲットに対して感じようとしている。と理解できます。
また、
根拠のない一攫千金タイプの欲望や我欲の類は、周波数を合わせる相手側にスルーされるかあるいは対象そのものが虚像なので、タイムラグ以前に永遠にシンクロが起きず、何も感じず何も起きません。



水芭蕉がこれほどまでに天然の状態で群生しているのは稀有な光景だと感じました。
周囲一面がこの眺めで埋まっているのですから。

どうやって残すのか。
機器(=カメラ)を使う以上は、最低限の設定は必要でしょう。ここまでは物理思考かと思います。
露出と構図と光の加減。
ボケ味やコントラストの出具合などまでは、物理思考で事前のイメージを描く範囲として必要事項でしょうか。


このあと考えることをやめます。第一ステップです。
そして、彼ら(水芭蕉とその水辺の土や水や小さな生物も含めた大自然)にシンクロします。第二ステップです。

何が聞こえるのか。せせらぎの音に少し遠い野鳥の声もあります。直接地面を踏み荒らすことはしませんが、自分の足元の岩や橋げたを踏みしめる音も実感があります。
そしてその場の湿り気のある土の匂いや、古い枯れ葉が大地に戻る匂いも。
僅かに風が吹くと、まだ指先が冷える感覚が残る空気感もあります。
ここまで意識を合わせてゆくと、第三ステップに突入します。
せせらぎの反射がハレーションを起こし揺れます。が、静止画では動きを残せない替わりに大きなオーブのようなイメージで前ボケとして存在が残ります。

この段階に入りますともう止まりません。時間の感覚も忘れています。
単に夢中になっただけだろ!という声もあるでしょう。ですが、この夢中になっている状態が「考えるよりも感じている」状態だ。とわたしは個人的に実感しています。


いまこの惑星は、アタマで考える頭脳ロジックを卒業するタイミングになっている。と語られています。
「考えるよりも感じる。」
待っていても自動的に誰かが与えてくれることはありません。
自身で三つのステップを進め、次の時代次の社会、次の次元に必要とされる感覚をシミュレートしてください。他の事例でも応用ができるはずです。




【直前記事】
幸せを呼ぶ黄色い水芭蕉
【前々記事】
鉱物からもう一度やり直しますか

幸せを呼ぶ黄色い水芭蕉

黄色い水芭蕉 飯舘の印象

黄色い水芭蕉は幸運を呼び込む。といわれます。

何の根拠があるのかは不明ですし、それを検証することもありません。
希少価値という点で、無条件に納得することも多いでしょう。


そう思えば、そのようになる。
そのように考えれば、それが現実になる。
緩い、なんとなく...、といった感覚が「トゲのない」波動を生み出すのかもしれません。
そして、
その平穏な印象の周波数が混乱を鎮め、結果として幸運を呼び込むのだと理解するに至ります。
すべてはエネルギーとしての波動であり、わたしたちの本当の姿もエネルギー体であること。


この世の体は借り物・授かりものであって、その道具を使ってどのように生きるのかを学び、その経験値を得ること。
このようにして、節目節目で、どれだけ多種多様な経験値の蓄積ができたのか振り返ります。
いま、その節目のテストを受ける時間になっている、ということです。
学校でも会社でも、区切りのタイミングで「試験や決算」といった成果計測のイベントを迎えます。同じように、わたしたちの「地球でのうまくゆかない現実ゲーム」が終了日を迎え、審判を受けるフェーズに入っています。

どれだけの経験を経たのか。
その経験値の密度はどうなのか、どこまで価値を高められたのか。
そして、
進級できるか、昇格できるか。いま「最後の審判」を受けようとしています。


ですが、
この地球での転生が長すぎたため、これらを難しく考える癖がつき、頭から先に働くようなロジックが無意識に組み上げられてしまったのでしょう。

直観として感じる心。
ストレートに心地よさを感じる心。
頭脳ロジックに頼らない、このような本来のエネルギー波動を感じる感覚を取り戻すタイミング。
難しく考えずに、元々備わっていた「意識や感覚」に基づいた生き方に戻るだけでよいはずなのです。

それこそが次の次元へ歩を進めると呼ばれることであり、なんら難しくない元の姿に戻ることだ。と伝えられているのです。
黄色い水芭蕉がなぜ幸運を呼ぶのか、と論理的な検証をすることではなく、そのように感じていればそのように具現化して行く...。
こうして元々の姿に戻ること。
この意識の波動をwebを通じて拡げ伝えます。




【直前記事】
鉱物からもう一度やり直しますか
【前々記事】
「今この瞬間」を生きる

鉱物からもう一度やり直しますか

自然の岩石イメージ photo 宮本章光

鉱物からもう一度やり直しますか?

この地球の創成期かと思われる、はるか昔の時代に生成された鉱物。
わたしたちは、そこに魂を受け、延々と気の遠くなるような数十億年という時間をかけ、第一密度から第二密度、そして第三密度の集大成である人間に転生してきたはずです。
(諸説あり。当然他星系からの転生もあるでしょう。)
そして、
その人間の転生だけを見ても、数百回・数千回にも及び、数万年間を経たともいわれる輪廻の流れの中で、本当の最後の最後にあたる最終ランナーの役目を現在のわたしたちは背負っています。
さらには、
現在、その最終ランナーにとっての大舞台、そのクライマックスを迎えたタイミングとされています。

すべての履歴をアーカイブしているといわれる12番DNA(アカシックレコード)を含む10本のDNAが断ち切られ、過去の自分自身の歴史を認識することさえできなくされているわたしたち人間。
それは、一部の権力者が自分たち以外の者を奴隷化し支配するためでした。

そのためにピラミッド頂点に富が集中する仕組みを作り、地球環境を故意に破壊する道を進んできました。もはや限界を超え、地球は悲鳴を上げる寸前だった、といわれます。
いえ、実際に悲鳴とともに地軸をひっくり返し(ポールシフト)、過去の腐敗した文明を洗い流してきたのだといいます。


ここで、救世主が現れる。と待ち望むだけでは決して現在の状況に変化は起きないでしょう。
ここ地球が二元化を体験する場所だったその思考の枠組みのまま、ワルモノ・イイもの、といった分離思考を続け、
--「いつか白馬の王子さまが!」
--「正義の味方が!」
と、誰かがいつかやって来る、救ってくれる。と待ち続ける人たち。

いえ、まだそこまでの思考に至っているだけマシだ、とも言えるかもしれません。
授かりものである自身の肉体を、遺伝子組み換え人間にする実験に捧げる。などという愚かな道を選ぶひとたちが大多数。無知も罪であることさえ認識できずに。
他人の心からの助言も拒否し切り捨て、メディアの盲信をいつまでもやめず、果てはノイズにまみれ「ネガティブ波動」を周囲に撒き散らす極めて危険で激しく迷惑である行動を続ける大多数のひとたち。


【まったく別視点からのNWO】[Link]
で綴りましたように、これからイイものが助けに来てくれるのではなく、それは単に「支配者のヘッド」が付け変わるだけなのかもしれないのです。
ここで未来永劫に生きながらえるためには、
「自分の意識というエネルギー」により「心で感じる直観」に基づいて判断をし、心地よさを追及してゆく姿勢が必要とされています。

否定するのは自由です。
ですが、同時に自らのポジティブな未来も否定することになってしまう点、よく考えたい時期になっています。
そして、最後の審判で「選別され淘汰される」のを喜んで受け入れたい方はどうぞご自由に。ということです。

その場合は、奴隷生活3次元体験が足りないとされ、その体験が継続される他星系へ、と伝えられているのです。
もしかすると、もう一度「鉱物」からやり直すのかもしれません。

氣の遠くなるような長大な時間・期間を再度学び直す。
それもご自身にとって必要な体験だった、と。

いま、この瞬間瞬間を、何のために人間として生きているのでしょう。



【関連記事】(別windowで開きます)
まったく別視点からのNWO
ワルモノの反対側は「いいモノ」?
結果が出せないなら選別対象です


【直前記事】
「今この瞬間」を生きる
【前々記事】
もっと意識の力を高める

「今この瞬間」を生きる

山の印象 photo 宮本章光

今、この瞬間を生きる。
毎瞬毎瞬、その瞬間だけが本来の自分の姿である、と伝えられています。

いえ、決して適当(いい加減の意味)に生きる、将来を考えることをやめて。という意味ではないはずです。
これは、
考えを巡らせる先を、不安やネガティブ要素にフォーカスしてしまうことで、その未来から不安とネガティブ要素を引っ張ってきてしまう。という結果を招くリスクについても語られているのではないでしょうか。
そして、
意識を巡らせるフォーカス先を、ポジティブ方向の要素に絞ることで、結果はポジティブ要素がやってくる。とも。もちろん、線形時間軸はこの世だけのものであり、過去も現在も未来もすべてこの瞬間にある。という言葉通りの状態についても語られています。
こうして、
自分の意志・意識が「何にフォーカスするのか」そのアクションにより結果がどちらにも変化する。ことについて理解が進みます。

ここまで理解できたのなら、次は、
それを実際に体験する、試してみる。というステップでしょう。わたしはいつもこれを人体実験と呼んでいますが、その言葉の持つ仰々しさは脇に置いておき、ともあれ「味見」することです。
この段階で、能動的に動けるかどうか。ここが分岐点かもしれません。アタマで理解しているだけでは、結局何も進展がないのですから。

いま、心地よい状態なのかそうでないのか。どちらの方向に心がシンクロしているのか。
それによって、その後に展開する・具現化する近未来が変化するはずです。こうして体感し結果が出ます。もちろんタイムラグは考慮して。


いまこの瞬間を生きる。とは、
今だけ適当(いい加減)に流してしまうことではないのです。
ここを勘違いして批判するのは、理解が及んでいない自らの思考レベルをさらけ出していること、裸の王様状態だ、と自ら顔に書いているようなものでしょう。
口元を非常に不潔な布で覆って屋外を歩いているほぼすべての日本人も同じでしょう。その布には「わたしは思考停止しているウマシカです。」と書いてあります。


自然とともに、いまこの瞬間を感じてみる。
いま最も必要とされている極めて大切なことだとわかるはずです。




【直前記事】
もっと意識の力を高める
【前々記事】
考えていることが実現する次元での会話は

もっと意識の力を高める

野山の花 photo 宮本章光

行動とは、肉体を酷使することではない。と数多く伝えられています。
もちろん、叫び伝えることも必要でしょうが、それよりも比較にならないほど強力な影響力を発揮する「意識」の力を最大限に活用する時期になっています。

何より、その時点で感じている意識の波動と周波数が合うものはすべてシンクロするという、エネルギーの大原則があります。電波もエネルギーのひとつであり、スマホが通信できる仕組みも無線が通じるのも、すべてその周波数が同期するからこそでしょう。


心地よいイメージを維持すること。それがどれほど大切なことでしょうか。
高波動を保つことにより、その心地よさがポジティブなエネルギーに同期してゆきます。物理的に位置する狭い範囲である周囲へ伝播するのみならず、それは宇宙にまでもシンクロするものだ。と伝えられています。

人間のように「言語」を持たない生き物たちは、言葉の代わりに波動というエネルギーを使いこなしている、といいます。
周波数によって、人間の耳に聞こえる範囲は「音」になりますし、人間の目に見える範囲は「色・視覚」として認識できます。
ところが、波動の周波数は、耳に聞こえる・目に見えるだけの範囲ではないのですから、その範囲を超えた部分に存在する周波数で同期するエネルギーがあるわけです。

それなのに、目に見えないものを否定し、耳に聞こえないものも拒否し、いつまでも物質社会の枠組みから抜けきらない多くの人間たち。
自然界からは「もう愛想を尽かした...」と、警告が発せられているのです。イルカやクジラも、もう地球を捨てる日が近い。といいます。彼らはアトランティス時代には人間と相互に転生を交えていた仲間とされ、インドでは人間ではない「ともに生きる人類」だと公的に宣言されているのです。

言葉が通じないのに何故そんなことが判る!とおっしゃる方は、自ら墓穴を掘ってこの大宇宙の摂理に基づき「選別・淘汰されてしまう」に違いありません。これから進化する地球においては、そのような否定性のエネルギーは存在できないとされているにもかかわらず、そのレイヤーに居続けたいと判断するのもご本人の自由意志ですから。


いま必要なこと、必要な行動は、
心で感じることを可能な限りポジティブに保ち、そのエネルギーの振幅をもっともっと拡大し地球と同期するように意識することです。
嫌なことや腹立たしいことも感じるでしょう。それも必要だからやってくるエネルギーだと思います。その体験をする場所なのですから。
また、それを呼び寄せているのも自分自身の意識であったこと、もう重ねて綴る必要はないでしょう。
ですが、もう終わりの時期を迎えたのです、その「うまくゆかない現実ゲーム」を。

これからは「意識という名の言語=エネルギー」を使いこなす時代になる、と語られているのです。
その波にしっかりと乗ってゆく、周波数をシンクロさせてゆくことが仕事であり、役目になるのではないかと感じています。




【直前記事】
考えていることが実現する次元での会話は
【前々記事】
結果が出せないなら選別対象です

考えていることが実現する次元での会話は

飯舘春の印象 photo 宮本章光

思っていること、考えていること。
それがそのまま実現する、そんなことが本当に起きるのだろうか。
そのように疑ってかかるから、いつまでも起きない。
いえ、必ずおもうままに起きるのだ。と意識すればそれが現実になる。
そんな社会がやってくる、と伝えられています。


いつまで夢物語に浸ってるんだか...と馬鹿にする人にとっては、それは永遠に夢物語にしかなりません。
そういうことなのです。
もう大丈夫でしょう。
考えること、意識していること。それを自分自身が創り出しています。

但し、何度も何度も書きましたが、必ずタイムラグがあるのです。
いま、そのタイムラグが短縮されてきています。もうすでに現時点でその体験が実現しているはずです。
これが、さらに短くなってゆく、と伝えらています。


いままでの世の中、特に日本と日本語の文化の中では、あえて逆の言葉に包んで語る、といったような「謙遜(けんそん)の美学」あるいは「謙譲語(けんじょうご)に示す敬意」などが存在していました。
贈り物を「つまらないものですが...」と差し出すのは、海外では理解されない表現方法だといわれました。つまらないものを相手に渡すなど、本来あってはならないはずだから。という解釈です。

ですが、この場でこの文章が読めて理解できる方々にとっては、その意味を何ら誤解することなく理解できるはずです。
それは、へりくだった言葉によって敬意を表現している、その部分に込められた意図が判るからでしょう。

この素晴らしい日本語の言葉と文字によって表現される言霊の持つ力は、うまく活用されその波動が共鳴する限りにおいては大変に強力なエネルギーを発揮します。
しかし、
その使い方を誤ると、ネガティブ方向に一氣に波動を下げてしまいます。


これから拡大し発展してゆく新しい地球、新しい世界では、この言霊の持つ威力を「意識」というエネルギーに託すことになる、とされています。まだ先のことかもしれませんが、究極の姿は、言葉ではなくテレパシーのように意識がそのまま意思疎通の手段になる、といいます。
すると、
言葉が示す意味がストレートに表現される(されてしまう)のでしょうか。非常に興味深いところです。


つまらないものですが...と差し出す贈り物が、本来は尊敬を表し、自らをへりくだった控えめな表現だったはずなのに、意識によるコミュニケーションが実現すると、つまらないものですが...と語った時点で、その贈り物はつまらないものに成り下がってしまう可能性があるのかもしれません。
いえ、どのような展開になるのかはまったく予想もできないのですが、理屈の上では。です。

似たような事例は日本語では特に多く、本来は敬意と謙譲の奥ゆかしさであったはずの文化は、過去のものになるのでしょうか。
さらに、同じく逆の言葉に包むことによってコミュニケーションをスムーズにする役目を果たしていた関西圏の言葉は、どのようになるのか想像がつきません。
「アホやから解らんわ。」というと、自分には少々難しいんですよね。という円滑な会話の手段だったその言葉が、「アホであり理解不能。」という明確な意志表示になるのか?あるいは現在の言葉のように、スムーズな会話の潤滑油として作用することになるのか?
(その微妙なニュアンスそのものさえも、意識として伝わることになるのだ、と勝手に予想していますが。)

これからの先の次元でのコミュニケーションがどのように進化するのか、興味は尽きません。
望ましい近未来を明確に描いていますと、このような一風変わったところにも関心が湧き出してきます。

ポジティブベクトルを維持し、今から楽しみを膨らませながら、ともに創造してゆきましょう。



【直前記事】
結果が出せないなら選別対象です
【前々記事】
自由には責任・行なった結果には因果応報

結果が出せないなら選別対象です

石柱イメージ photo 宮本章光

結果が出せないのなら、最後の審判で選別されるものと思われます。

先般より妄想レベルの個人的仮説ですが、とお断りして綴ってきました「まったく別視点からのNWO」[Link]が、どうにも確信的な展開になりつつあるように感じています。
日々ご訪問いただく方には、その仮説の内容は十分に伝わっていることと思います。


結果を出す、とは、
企業における営業達成目標や数値実績に対し設定値をクリアすること、といったイメージで使われることが多いでしょう。
この世における「魂の成長」についても、目標や設定値をクリアして結果を出す。ということになるはずです。
では、
その目標や設定値とは何なのでしょう?

第3密度の存在であるわたしたち人間は、この地における「うまくゆかない現実ゲーム」を体験し、その二極性・二元化の世界での経験を積み、それぞれのシチュエーションをどのようにを感じ、どのように振る舞い、何を得られたのか。という経験値を創造主たる根源へ持ち帰ること。だと伝えられています。
そして、そのうまくゆかない現実ゲームの中で、他者奉仕の精神と慈愛の心を学び、それを実践することが必要だといわれます。
ちなみに、
この目標や設定値をクリアできなかった場合には、その肉体の期限を迎えた時点で「第3密度での体験が足りない」とされ、再びその経験を繰り返さなくてはならない、といいます。
ところがこの地球は、今後その体験をする場所ではなくなるために、経験不足の人たちはここでの転生は叶わないと伝えられています。(=他星系への魂の転送)

戻します。
目標・設定値をクリアするとは体験を積むことだ、といいますが、ただ単に体験を数多くすればいい。というものではない点を理解する必要があるように思われます。
前投稿でも触れましたように、因果をプラス/マイナス、ポジティブ/ネガティブともに総合評価し、どれだけ成長が認められたのか、と。

昨年あたりには「知らなかった・聞いてなかった」という言葉が頻出しました。
知らなかった・聞いていなかったから、メディアに騙されていたんだ。というひとつの意見だったのです。
しかしながら、その時点で氣がついたのはまだ救いでした。
いま2021年の4月末を目前にしてもなお、いまだに眠り続ける人たちが大多数であることを見るにつけ、これこそが「目標をクリアできていない」証明であると感じます。

どれだけ体験を積み、どれだけ成長できたのか。どれだけ他者奉仕の精神と慈愛の心を学んだのか?
権力者の言いなりでメディアを盲信し、結果として地球環境を破壊し続けることに加担し、恐怖に支配されたまま羊として奴隷の役回りを続け、ネガティブな波動・エネルギーをいつまでも撒き散らす。
こうした行動の、どこにポジティブな成長が認められる結果があり、目標達成したと言えるでしょうか。
しかるに、これは結果が出せなかった。と判断され最後の審判でNGを突きつけられても当然なのではないでしょうか。


成長しステップアップするために必要な要件として、そこにポジティブな方向にある助け合いや思いやりの心が絶対条件として掲げられています。
そのこと自体が次元上昇でありアセンションである。と語られているにもかかわらず、そんなスピった浮ついたテーマなど信じられるか!...と横目でしか見ず、否定し続ける態度を取ること。
また、
数を追い、数の最大化だけにしか関心を示さない、物質社会から卒業できない未熟な精神の、どこに目標達成した・成長が果たせた。と言える要素があるのでしょう。
極め付けは、
借り物である自分自身の体さえも、遺伝子組み替え注射で台無しにしてしまう行動。それが「無知による判断」であったとしても、その無知そのものが、成熟という求められる目標値から真逆の方向に向いた行動あり結果であった。と審判を受けても当然ではないのでしょうか。


こうした事項を積み上げてゆくにつれ、
NWO(NewWorldOrder)は、やはり、「いいもの対ワルモノ」といった、二極化地球での人間の思い込みに過ぎないワルもの側が仕組んだ悪策・悪政だ、と断定するのではなく、実はいいもの側が「最後の審判」で、本当に成長を果たした魂を選別することにより、最終的に最も優れた5億人を残すことではないのだろうか。と確信を持つに至るのです。
しかも
「いいもの側」は救世主でも正義の味方でも、はたまた白馬の王子様でもないこと。
より優れたものを残し進化させるのが宇宙の摂理・大原則であること。繰り返すまでもなく至極当然の流れであると思うのです。


結果が出せないのなら、選別されるのは当然でしょう。
何を考え、何を行い、何を残したでしょうか。
来期の成績で挽回します...は、もうこの地球には存在しないのです。
ですから、
輪廻の最終ランナーとして自覚を持って過ごしましょう。と、2020年が与えられていたのです。

ここでシンクロできる皆さまは、もう準備は万端だと思います。
総仕上げをし、新次元・新地球をともに創造してまいりましょう。


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まったく別視点からのNWO
ワルモノの反対側は「いいモノ」?



【直前記事】
自由には責任・行なった結果には因果応報
【前々記事】
思い込みと思考停止を超越して

自由には責任・行なった結果には因果応報

森の印象 photo 宮本章光

どの道に進むのも、どの思考を維持するのも、それぞれ個々人の自由意志です。
そして、
第三者は誰一人としてそれを力で変えることはできません。

しかし、それを貨幣経済というピラミッド社会に閉じ込め、恐怖と宗教による統治、そして教育からメディア、口にするもの、環境から医療・政治に至るまで、これでもか、と洗脳し奴隷化されてきました。
以前にも綴りましたが「あなたを洗脳しますよ〜はいわかりました。」てな展開にはなりませんので、洗脳されている本人はまったく自覚がありません。

自分自身が目を覚まし、置かれている状況を自覚し、それを乗り越えようといった確固たる意思によって克服しなければ、永遠に奴隷生活が継続します。それが支配者・権力者の目論見だからです。

ここで再度よく考える必要があるのは、
奴隷生活、ヒツジとして生きる道を選択するのも悪くないな、という判断をした人たち。彼らも、その判断と行動によって得るものと同時に、必ず正負ともに因果を背負い蓄積し続けます。
因果は、いずれどこかでバランスを取る(ネガティブ要素であればそれを解消する)タイミングがやってきます。

昔から数多く語られてきましたように、因果応報、犯した罪は必ず償わなければならないのです。
肉体の生存寿命が尽きるとともに一切合切が終わるのではなく、その時点で、今世で行ったプラス/マイナス、ポジティブ/ネガティブが総決算・総精算され、マイナス(ネガティブ)になったならば、来世あるいはそれ以降にはそれを必ず解消しなければなりません。
そんなバカな話は存在しない。死はすべての終わりさ、と仰る方はそれもご自身の自由です。
但し、その期に及んで泣き叫んでも絶対に元には戻りませんし、後悔先立たず、ということです。その時に判るだけのことですから。
これを先送りのクセ、と呼ばず何と呼びますか。

結局、先送りするだけのクセを繰り返していると、それは雪だるま式にさらに多くの負の因果を蓄積し続けます。
--8月31日の夜に泣いて夏休みの宿題をやるクセ。
--会議の前日に資料を集めるクセ。
--金曜にデータを持って帰っても月曜に手付かずのまま出社するクセ。

それが良いか良くないか、という識別マーカーを出して終わり、すみません来期の営業成績で挽回します。と発言することではなく、自分の人生・今世の生き方で、ポジティブな因果を十分に蓄積できたかどうか。あるいは、過去から積もり積もった因果を解消するだけの結果を上書きできたか。その中身が大切なのです。
上記のような簡単・単純なクセではなく、表向きだけ「正解です・バツです」と誤魔化しているレベルで済むものでもなく、人生をかけた一大実績評議会で胸を張って宣言できるのかどうか。ということです。


その期に及んで、審判員に「あなたは今世のトータルでマイナスだ」と宣告されると、その因果を解消するために、再び奴隷として生涯苦しみ続けます。
しかし、今後、この地球ではそれが叶わないとされているのですから、319億光年彼方でそれをやり直すのか、あるいは魂のレベルによっては、再び第一密度の「鉱物」から数十億年をやり直すのかもしれません。

これまでに氣の遠くなるような輪廻転生を繰り返し、ようやく第三密度の人間になれたのです。それを棒に振って一からやり直すような馬鹿げた判断をしている人が多数であり、それに氣がついていない、といった末期的症状なのです。

それもこれも、すべて個々人の自由意志に違いありません。
但し、自由には責任がつきまといます。
そして、行なった行動には必ず因果が蓄積されます。
それは必ず自分に返り、必ずそれを解消(バランスを取る)責任がある、と語られてきました。


あなたは何を考え、どう行動すれば、ポジティブ側が進める驚愕のNewWorldOrder(仮説「まったく別視点からのNWO」[Link])で生き残る5億人に選別され残ることができるでしょうか。
そして、そのために何が必要でしょうか。
この場でシンクロ可能な多くの方々にとってその答えは明快であり、もうその路線を走る列車に乗車されているに違いありません。


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まったく別視点からのNWO
ワルモノの反対側は「いいモノ」?



【直前記事】
思い込みと思考停止を超越して
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ワルモノの反対側は「いいモノ」?

思い込みと思考停止を超越して

新緑と月 photo 宮本章光

---真昼間に月(Moon)が出てるわけないやろ!
---え〜、ホンマは出てても見えへんのやで。
そんな会話をする小学生。

いえ、日中でも見えること、多くの大人なら知っているはずです。
ただ、月の明るさよりも太陽の日差しが明るすぎるシチュエーションでは見えないでしょう。同じ理屈で星も見えない。星のほうは、月よりも更に何百倍・何千倍何万倍も暗いわけですから。
(ここではMatrixによるホログラムを見せられている...といった考察は除外して進めます。)

相対的な明るさの比較で、日中は周囲の環境が明るすぎるから見えない。
知識としてこれら当たり前といわれることを知っている人が大半だとは思いますが、それさえもご存知ない人があるかもしれません。
その方にとっては「日中に月が見えるわけがない!」と思い込んでいることでしょう。
そして、
その方にとっては「もし実際に日中に月を見たとしても」それは、何か別のものであって月ではない。と意固地になるかもしれません。

今、世の中ではこれと同じ現象が起きており、もうそれぞれの論点は一切噛み合うことはなくなりました。
意見が異なったままはダメなんだ!とか学級委員長氣取りで発言したところで、接点は見いだせません。
どちらが良くて、どちらが良くない。という論説ももはや意味がありません。それぞれが必要な体験を積んでいるのですから、他人が他人を論破することはできませんし、むしろそれを「やる側」が著しく波動を下げネガティブ事象を具現化させる原因ともなり得ます。

嘗て、それらを克服して同じ方向に統合してゆくことこそが美学。などと語る人もありましたが、それは物質社会のピラミッド構造を維持するための方便だったように見えます。

これからは、
自分が見えたと思えば本当に見える。
見えないと思えば、何をもってしても見えない。
そんな時代になる。と伝えられているのです。

それで良いのではありませんか。そして、実際に...本当に...それぞれの立場によって「見えるものが違ってくる」世界に入ってゆくはずです。
もう、さまざまな「理解できないような現象」「どう考えても説明できないような出来事」が身の回りで起きているのではありませんか。
過去も現在も、そして未来も、すべてが同時に存在している、という次元に移行しつつあります。


木々の向こう側、右上に半月が小さく見えました。わたしには。
この画像データにも記録されているはずなのですが、それが見えない人も存在しているのだろうと思っています。
それはそれで良いのでしょう。

いままでの思考の延長線上では、思い込みや思考停止、というネガティブなワードで語られてきた現象・事象。
これからは、それぞれのタイムライン・各自の意識によって別々の世界が実現するのでしょう。
不思議な時代がやってきます。

思い込みだ!思考停止だ!と叫びたい人たちは、現在までのこの次元の体験が足りないとされ、さらにその経験を積むための場所として存在する他星系に転送される、ということです。
どちらを望むのかは本人の自由意志です。



【直前記事】
ワルモノの反対側は「いいモノ」?
【前々記事】
定点・定期観測する意味

ワルモノの反対側は「いいモノ」?

樹林イメージ photo 宮本章光

二極化・二分化を体験する場所、地球。
そこへ自分から手をあげ希望してやってきているわたしたち。
そして、それら全てを忘れ去り「うまくゆかない現実」という名のゲームに夢中になりすぎた上に、本来の家へ帰るという目的さえも見失ってしまっている現在の状況です。

ですが、昨年2020年の混乱から一氣に、そして大きく覚醒を果たした方々が増えてきています。
もちろん、わたし自身も本来の姿と本来の目的に目が覚めたこと、この場のアーカイブがその変遷を克明に記録しています。大変お恥ずかしながら。
地球に生きる現在の人間は、何万年にも及ぶこの地での輪廻転生により、こうした二極化・二分化の思考が魂レベルで染み付いてしまっているために、とにかくすべての事象・物事を「分離・分類して考える」クセから抜け切れません。もちろん、それが良いか良くないか、という論点ではありませんが。


いま、世の中を故意に混乱させ、地球人類の人口を5億人に削減し超監視化の社会に移行する、といった極悪な全体主義の流れが「本当にあと少しのところで実現」してしまうところでした。
いえ、現在もまだまだその流れが進んでおり、氣を緩めることはできない状況であること、語るまでもありません。
(ウマシカな思考で悪に踊らされている人たちは、悪を利するだけの共謀者であること...。無知は同罪。ですがもうやめておきます。)
しかし、
意識・心のパワーという強力な目に見えない力に氣がついた人たちが増加し、また他星系高次存在の援助もあるとされ、こうした極悪のタイムラインが実現することはなく、いずれ消滅するだろう、といわれています。
これが光の側の勝利だ、と語られています。

ここでもう少し考えを進めてみます。
このような全体主義により監視化・奴隷社会を目指す、ごく一部の支配者層は「ワルモノ:悪者」だ。と分類しています。
そして、そうではない対極に位置する動き・ムーブメントを「いいモノ:正義の味方のようなイメージ」として意識しているはずです。
また、そのいいモノ側を光の勢力として「救世主的な存在」と考え、結果として二極化・二分化の思考が出来上がってしまっています。
結局は、二極化・二分化思想なんだな、ということなのです。


先般の記事で、完全に個人的妄想レベルですが、とお断りして触れた事項があります。
【まったく別視点からのNWO】[Link]
NWO(New World Order)は、ワルモノが仕組んだ極悪な施策ではなく、実は光の側が優生学・優生思考に基づき宇宙の普遍的な進化のために「より優れた魂・DNAを残す」ことを目的として、いま、聖書で語られる最後の審判により「選別」をかけているのではないのか。これこそがNWOではないのか。と。
本当に優れたレベルの魂だけを選別したら、結局は5億人しか残らないほど「狭き門」になってしまう大ドンデン返しなのではないのか。と。

仮の話であるため、その前提で話題を進めるのは無理があるのかもしれませんが、もしそうだとするのならば、「いいモノ」側が、人口を5億人まで選別し、それ以外を淘汰する、ということになります。
ここでもう一段階の目を覚ます必要があるのは、
ワルモノの反対側はいいモノでも何でもなく、それは単に二極化思考が染み付いた人間のクセが作り出した考え方に過ぎなかったのかもしれない。ということです。
そしてもっと危ないのは、いいモノは、絶対に自分たちが「味方」と考える行動と結果をもたらしてくれるはずだ。といった潜在意識を持つことでしょうか。

そうした思考は、勧善懲悪ドラマやヒーロー漫画・悲劇の女王シリーズの見過ぎだったんだ。と目を覚まして良く考えると、
ワルモノといいモノに勝手に分類して、いずれ「いいモノが必ず助けに来てくれるんだ!」と盲信して待っている姿勢がいかに危なっかしく、いかに馬鹿馬鹿しいか。と考えられないでしょうか。

「ワルモノの反対側はいいモノだ」と、その情報を探し求めディベートに時間を費やすことではなく、自らの意識を高め、自ら魂レベルを磨き上げることによって、未来永劫に続く宇宙の法則に恥じない「自分自身を創り上げる」ことにこそ価値があると思うのです。

いいモノとワルモノを分離して思考することは、双方の立場がどのような感覚であるかを感じる、という体験をする目的では意味がありました。それはこの地球での目的だったはずですので。
でももう卒業のタイミングですよ。と伝えられているのですから、白馬の王子様や正義の味方を「いつまでも外側に」待ち続けるのは終わりにしたいものです。



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定点・定期観測する意味
【前々記事】
「いち抜けた」と言ってみる人体実験:2

定点・定期観測する意味

定点観測イメージ photo 宮本章光

長かった冬を越えて再び定点観測。
久々に会う生きものたちは、何ら変わぬように見えて、しっかりと世代交代しています。


定点・定期観測する意味は、
マクロ的には、目に見えた変化が感じられなくとも、自分の側の意識や感覚のブレを正すための基準を与えてくれるところにあると思っています。
いわゆる「⊿E・ΔE(デルタイー)」を感じるといった感覚でしょうか。
ミクロ的には、新芽が芽吹いていたり、以前には見られなかった場所での発芽など、新たな息吹を感じることができる点かもしれません。

前者のメリットは、前回の観察から比較して、どれだけこちらの感覚にズレが生じたかを客観的に肌感覚で得られることです。
美術館にある特定の絵画作品を定期的に訪問し、何時間もじっとずっと眺めることで、こちら側のズレやブレといったものを、変化しない作品との比較によって相対的に知る、といった話を聞いたことがあります。
こうした経験によりゼロポイントへリセットするのは、なるほどこの事例とよく似ているようにも感じます。

後者は、さらっと流しただけでは氣がつかないような細部まで観察することによって、大きな生命の流れを感じることが目的です。
昆虫の出番はもう少し先になりそうですが、自然は、いつもあるがままの姿を誇らしげに見せてくれます。


馬鹿げた詐欺に踊らされている人間が愚かに見え、同じ第三密度の肉体と思考を持つ生物として、恥ずかしささえも感じます。
しかしながら、人は自分自身の「写し鏡」であり、まだクリアリングが足りない証明だと再認識する次第です。

「いち抜けた」「に~抜けた」...宣言、実践なさっていますか。



【直前記事】
「いち抜けた」と言ってみる人体実験:2
【前々記事】
「いち抜けた」と言ってみる人体実験

「いち抜けた」と言ってみる人体実験:2

IMG_6328_2021.jpg

昨日の投稿、【「いち抜けた」と言ってみる人体実験】[Link]
にて、うまくゆかない現実地球ゲームから「いち抜〜けた」と宣言し、最初に終わってみる試行に入っていることを書きました。
ネガティブ意識は皆無...とは言いませんが一氣に減少していますし、平穏を維持するために無理をする力は不要になりつつあります。
ノイズから離れよう離れよう、と無理に努力するよりも数段ラクなイメージでしょうか。

嘗て、こうした感覚を文字にしますと「妄想がお盛んでよろしおますな。」といったような皮肉が溢れた時代もありました。
ええ、それこそが時代が変わった証なのでしょう。いまはもうそうした発想自体が消滅しましたし、世界が変わりました。

そのように思い、そのように感じている人は「そのように現実が展開する」のですね。
肯定すれば肯定した通りに実現し、否定すれば否定した通りに実現される。人それぞれ、誰も肯定も否定もせず、自らの心の中で感じることだけが正解なのです。それぞれのパラレルワールド。今日の空が、その雲を通して証明してくれます。
十人十色。他人に思考を乱され他人のことに意識を飛ばしているヒマはありませんし不要なプロセスでしょう。
ですので、ゲーム終了宣言をして離脱すればそこで終了です。
そして、終了したあとはどうなるのか。次はそこへフォーカスが移動してゆきます。

これも一氣に答えが現れます。
もともと「ゲームをしに来た」のですから、ゲームをするために「ここに来る前」の状態に戻るだけでしょ。と、パッと回答が与えられます。
ゲームに来る前は、本来のエネルギー体だったはずですから、魂としての本来の姿に戻る、ということかと思われます。
(但し、今回の地球だけは宇宙の歴史史上初めての、肉体を維持したまま新たな進展が実現するかも、といわれています。)


創造主は元々ひとつの存在であった、といいます。
それを敢えて分割しさまざまな体験をすることによって、それをどのように感じるのか。といった経験値を蓄積しているのが現在の姿だ、と。
いま、その細分化された、ある一つの体験(=うまくゆかない現実ゲーム地球)が終わりを迎えているとされ、そのタイミングを過ごしています。
わたしたちは、このような区切りごとに「経験を積んだ実績」を持ち帰って、さらに成長を重ねる。といったように永遠の経験・勉強を続ける。と伝えられているわけです。

この仕組み、至って明快だと思っています。
すべては、経験・体験のためのプロセス。まだまだ経験が不足な人は、十分な経験値の蓄積が為されるまではゲームが継続しますから、目の前の風景に一喜一憂している限り、経験が不足だと自ら判断し継続を望んでいる。という証明でもあります。
他方、
そうした今世の経験をすべて終えて次のステップに行こうと考える人は、それ相応の行動が必要になるでしょう。
インドやチベットの山奥で修行をしているようなイメージがありますが、世捨て人にならずとも、意識の中で明確化し「ゲーム終了・離脱宣言」をして、意識の中で卒業するならば近いところに到達できるのではないのか、とも感じます。


フワついてんじゃねぇよ、と仰る方は、物質三次元社会の経験がまだ足りないために、意識の世界の話が現実離れしすぎて狂っている、と感じるのでしょう。
反対に、数を追い続け物質にしがみついているのは卒業したよ、と仰る方は、このゲームが終盤に差し掛かっており次の新たな経験を受け入れる準備ができた、というシグナルを感じるようになるのでしょう。
こちらの場合には、明確なサインが自らの心の中に現れるのではないでしょうか。

どちらが良い・良くない。ではなく、それぞれの進み具合は違って当然ですので、それぞれの人々に適した時間・期間が割り当てられているようです。
しかしながら、
この地球は、これからは「うまくゆかない現実ゲーム」をする場所ではなくなった、と伝えられていますので、従来のゲームで苦しみを経験することはできなくなるようです。
よって「いち抜〜けた。」
と宣言して新たな一歩を踏み出した人たちだけが、これからもMother Gaiaとともに新しい世界を創造できる、と伝えられています。
もちろん、過去の負債をすべて解消し膿を出し切っていることが大前提ではあります。もう大丈夫ですか。2020年に与えられた時間で十分に学んだはずですね。

すべては、自らの自由意志に基づく決断により道が決まります。
さらには、
これからの宇宙の法則に相応しいレベルの魂が、最後の審判により「選別され」残されてゆくこと。ここ数回の記事でも触れた通りです。




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まったく別視点からのNWO

「いち抜けた」と言ってみる人体実験

フォーカス位置のサンプル photo 宮本章光

「いちぬ〜けた」と発言して、そのゲームから最初に離脱する。

多くの方が子供の頃に体験したことがあるはずです。
二番目に抜けるのは「に〜ぬけた」と言い、続いて三番目四番目...と順に抜けてゆきます。
でも、最初に発言するのは意外と勇気が必要でした。
それは、何かもうそのゲームに飽きたから。だとか、ちょっと自分の形勢が不利になったから。といったような若干のネガティブ要因があったために、周囲からは「裏切ったな!」というような感覚の視線を送られるからでした。


「うまくゆかない現実を体験するゲーム」
それは、この地球でわたしたち人類が体験していること、といわれています。もちろん自分から希望してやってきています。しかしそのことさえ忘れ去っています。
そしていま、この極めて重要なタイミングを迎えました。
ゲームはもう終わりだよ。と伝えられているのですが、熱中しすぎて目の前が見えていない・聞こえていない。
それがいまの人類。

子供のころは、自宅近くに公園があり、夕方遅くまでそこで遊んでいたことを思い出します。
大声だと聞こえる距離なので、母親が裏のドアを開けて叫びます。
夕飯ができたことがわかると、夢中になっていた遊びが名残惜しいものの、空腹感には負けて戻るのです。


いまの人類は、
ゲームを終えることに対する名残惜しい感覚を一切感じることができず、母親の夕飯できたコールも聞こえず、競走馬のごとく目の前の一点しか見えていない状態。
そして、そのまま居続けると夜の闇がやってくることも理解できないまま、もうどっぷりと日が暮れてしまったような状況でしょうか。すでに周囲は真っ暗。
待っている限り、状況はいつまでも変化しません。そして暗闇は「そのうち良くなる(明るくなる)」ことがありませんよ、この先は永遠に真っ暗ですよ。と優しく語ってくれている人の言葉さえも否定し続け耳を塞いで拒絶しています。


「い〜ちぬ〜けた」と発言して、その場を去ってみませんか。
抜けない限り永遠に終わらないのです、このゲームは。

確かに光と闇の勝負の結末は、光の側に勝利の女神が微笑むことが決まっているのでしょう。多く語られている通りだと思います。
でも、光と闇は「お互いがペア」で存在するからこそ、それぞれを認識できるのです。
その表と裏のような相互補完関係を体験する二元化・二極化世界がこの地球なのですから。

大きな勘違いは、光が勝利すれば闇は消え去る。という感覚。
光の勝利まで待っていれば、いずれ黄金時代が自動的にやってくるんだ。という勘違い。
相互補完関係なのですから、それはどうなのでしょう?コインの表面だけが残って裏面が自動的に消滅するでしょうか。
誰かが、いつかそれをやってくれる!と待ち続ける限り、永遠に変わらないのです。コインはある日突然に表面だけにはならないのです。

ここに氣がつけば、「いち抜〜けた!」と叫んで、自分からゲーム終了宣言すれば良いはずなのです。
自分から抜けることを教えようとしてくれているのです。天は、創造主は...。
この部分に氣がついた人だけが次の世界への切符を手にできる。これが最後の審判であり「選別される」ということではありませんか。
もうその領域に入っています。

子供の頃のゲームのように自分が一番最初に抜けたところで、周りの誰からも妬まれることはありません。
むしろそれによって良い結果を出せたのなら、逆に羨まれるはずです。そしてそれに皆が続けば良い流れが生まれます。


いつものように、わたしは人体実験をはじめています。
「い〜ち抜〜けた」
宣言してこの「うまくゆかない現実ゲーム地球」から抜けたら、頭の中は楽しく明るいことばかりしか見えなくなります。

「に〜抜けた」
「さん抜〜けた」を宣言されるのはどなたでしょう。
この場でシンクロできる方は千人以上だと思いますので、四桁番目まで続きそうです。




【直前記事】
まったく別視点からのNWO
【前々記事】
致命的な「意識の」タイムラグ

まったく別視点からのNWO

飯舘春の印象 photo 宮本章光

NWO(New World Order)についてこの場ではトレースいたしません。溢れる情報がwebにありますし、そもそも現時点でこのワードをご存知ない方は、ここでのシンクロが起きないはず、と考えています。

いま考察してみたいのは、
この悪の政策・施策として語られることが多いNew World Orderは、実は「光の側」とされるアライアンスの目標到達地点かもしれない。と感じている点です。
あくまでも一つの考察であり個人的見解です。


闇の勢力・権力者とされる他星系ネガティブ生命を地球に導き入れたことにより、特定権力者による搾取と奴隷化の世界が築き上げられてきました。
(Nazis:ナチスによる歴史
他星系生命の入植に関しては、更に以前の数多くの歴史と論説がありますが、ここでは割愛します。)

それに氣づくことさえできず、教育洗脳・貨幣経済洗脳・宗教洗脳・メディアによる洗脳、そして地球環境から口にするものに至るまで、すべては権力者の思うがままに奴隷化・家畜化され、最終的には人口削減と完全監視社会を実現・達成することが目標とされていました。
いえ、過去形ではなく、現在もそれが進行中であること。遺伝子組み換え注射の強引なやり方を見ても明らかです。
これがNew World Orderである、とされています。

しかしこれを阻止すべく、光の側とされるポジティブ勢力がそれと戦い、多くの人たちの覚醒を促している。といったイメージが対極側にある事象として語られます。
そこには、ポジティブ勢力の他星系生命の存在があり、これらの勝利がすでに確定している。とも。
また、
地下や地底に蔓る、闇側の残党を一掃するための作戦が進行中、といった話題も相当広がりを見せるようになりました。

地球上の地上の人間は、もはやこの論議の段階までに二極化・二分化され、今日も尚、Virus騒動で騙され踊り続ける人たちとは完全に分岐してしまいました。
双方の意見に接点を見出すことは「不可能・皆無」となったことは確認するまでもありません。
この論点は不毛であり、今後もテーブルに載ることはありません。
(もちろん、理解と尊敬を忘れず、暖かく意識を送り続けることは惜しまずに。)


話を戻します。
NWOは、いわゆる闇側の「悪い世界征服の姿」とされています。ところが実は、光の側が目指すものである可能性も否定できないように感じるのです。(繰り返します:個人的感覚・妄想レベルに過ぎません)

宇宙の普遍の法則では、「より優れたものを残し進化させる」という大命題がある、といいます。
そのためには、より優れた進化のための積極的なDNA操作も肯定されているようです。こうした実験の場が地球であり、その結果がわたしたち自身の姿でもある、とされています。

ここで別の意味で「目が覚める」はずです。
地球の人口は70億人も居てはならず5億人で良いのだ。というNWOの根本は、悪の権力者の人口削減の意味ではなく、光の勢力側がポジティブ観点から目指す優生学・優生思想だったのではないかということに意識が及びます。
NWOは、とかく「悪の権力者が人民を監視下に置くための到達点」との視点から語られることが多いようですが、優生思想からの視点でみると、より優れたもの「だけ」を進化させて残す、という大宇宙のポジティブ思想にも合致するのではないだろうか。ということなのです。
先に、光の側のNWO思想が存在し、それを闇の勢力側が悪用したようなイメージでしょうか。

そして、衝撃の仮説に至ります。
「現在の地球人類が選別されている」のは、いつまでも騙されているのか、それとも闇の権力者からの解放に進むことができる氣づきを得て目覚めたのか、といった低いレベルでの分岐などではなく、
ポジティブ優生学(光の側のNWO)の実現のために、「覚醒を果たした層の中から更に絞り込んで」どれだけ魂のレベルを磨き上げられたのか?どれだけ優れた意識レベルに成長できた人間であるか。
ここを「選別」しているのではないのか。と。
聖書で語られる「最後の審判」は、まさにここの分岐にあるのではないか、と。

覚醒しただけでは全く及ばず、その中でも「さらに優れている種」を残す。
覚醒しないゾーンは初めから論外。だからこそ、遺伝子組み換え人間になることを自分から望み、体内に接種するレベルの人間は淘汰されて当然。そう示されていることまで理解が進みます。
(最も危険とされる注射を、光の勢力はなぜ止めない!という論点にも付合します。自らの判断と行動で示せ、ということでしょう。)
すべてはより良い進化と発展のために。
大宇宙の摂理は甘くないのです。衝撃が走ります。


騙され続けるレベルを卒業し、開放と新次元新時代に向けて進める。という入口を開けてみたら...。実はもっと深い世界だった、という感覚です。
以前から少しづつ触れてきていましたが、やはり意識というエネルギーをどれだけ重要視し、どれだけ使いこなせるようになったのか。そして、どれだけ慈愛の精神を体現できているのか。
ここが選別の評価部分なのだろう。と確信するようになっています。

なるほど、物質社会から完全に卒業できるまでには、まだまだ道のりは遠いことを肌感覚で再認識しています。
春を迎えて一心に咲き誇る植物たちの、今あるがままを生きる姿こそ評価点が高く、何が正しい・正しくない...と一喜一憂する人間のほうが遥かに「淀んだエネルギー」かもしれない。と、帯を締め直す瞬間です。


Nazis:Hitlerがネガティブ他星系を招き入れた過去の歴史は、今度はTrumpおよびJFK(jr)によって、別の新たな光の他星系アライアンスを招くことで塗り替えようとしているのかもしれません。
そこには、まったく別の視点からのNew World Orderの実現があるように見えます。
歴史は繰り返します。
うわべだけの覚醒ではなく、もっともっと深い部分での覚醒と更なる深化が必要とされています。




【直前記事】
致命的な「意識の」タイムラグ
【前々記事】
来年2022年の桜を見たくありませんかく

致命的な「意識の」タイムラグ

朽木イメージ photo 宮本章光

この物質社会では、タイムラグが盛大に発生し「忘れたころ」に現実となる、とされています。
これは説明の必要もなく、過去からさんざん体験し尽してきたことだと思われます。
ここで考えてみるのは、
「意識」という部分から見た「タイムラグ」です。


---「このままでは権力者によってNWOが実現し奴隷化されてしまう!」
---「遺伝子組み換え注射を阻止しないとみんな命がなくなる!」
このように叫ぶ声が激しく増加し大きくなってきました。

初めに私見ですが、と但し書きを付けたうえで単刀直入に書きます。
そういった行動はもうタイミングを逸してしまった後ではありませんか、と。

いまは、極めて重要なサイクルに突入したこの地球の集合意識を「高波動に維持し続ける」ことが最重要であって、そのタイミングにも関わらず「過去にやり尽くしておかなければならなかった」ネガティブ波動に直結する行為は慎しむほうが良いのでは、ということです。


何らかの会議の席を例えとしてイメージしてみます。
対立意見や反対意見、慎重見解など、進むべきゴール地点・取りまとめるべき方針に到達するまでに「論議し尽くしておくべき事項」があるはずです。
Aという結果・結論を導く会議において、BやCの案に価値はないのか、DやEというネガティブ要因はどうなのか。
こうした論議を重ねます。
これらは、プロセスとして論議し尽くしてから、最終的には「A案が最適でありそれを採用します」と決定される。という流れかと思います。

いまの世の中に置き換えてみますと、
Aという最重要な「意識の波動」を整え、そして高めたうえで集合意識として形成すべき時期=会議の最終決議段階に至っています。
それなのに、
それまで完全に居眠りし続けていた人が、突然飛び起きて、BやCのようなことを知らないのか!もっと多くの人に知らせないと大変なことになる!DやEも極めて危険なんだ!と叫びはじめ、会議の席がブッ壊れる...というような感じでしょう。
それ、もう論議し尽くした後なのですよ。あなたは居眠りしていたから知らないのです。と。

知らない人が多いか少ないか。これは関係がない話です。
わたしたちは大多数の人=マジョリティ層が世の中に普及しそれが当たり前になる。という普及割合とその正当性に対する感覚を持って生きてきました。
すなわち、
世の中で当たり前になること=大多数の人が知っており受け入れている。という図式が当然だと思っています。

しかし、この図式さえも権力者によって刷り込まれてきたやり方だったと理解する機会を迎えています。
少し逸れますが、「多数決」という手段で決めるプロセスを見てみます。
「100人中51人が赤だ、と言えば赤になる。」のです。
「残りの49人が黒だ、といったところで、結論は赤」になってしまいます。
その差、なんと「2名」だけで。しかも49人もの人が「黒」と言っているのにも関わらず、です。
最低限のリソース(2名)だけで、最大限の結果を得て、権力者が覇権を握るためのやり方だった。といわれます。


元に戻します。
いまのタイミングであっても、いまだに99パーセント(数字は不明:大多数の人という意味で)の人が現在のパンデミック詐欺で騙されて眠り続けている可能性があるように見えます。
それゆえ、大多数が騙されているなんて大変なことになる。もっともっと多くの人に真実を知ってもらわねば世の中変えられない。
となってしまうのです。
いえ、変えるための力は、「有効かつ強力」な意識の力であって、どれだけ署名を集めても、どれだけデモ行進をしても、結局は大勢の流れは変えられないこと。もう理解できている時期だと。
もちろん、これらの個々人の意識が高揚し本来の意識の力に結びつけられるなら効果はあると言えるのでしょうが。

数が多いか少ないか、それは関係がないことが理解できたのなら、目が覚めた人だけで「精一杯のポジティブエネルギーを発揮し拡散する」意識の力を使うべきだ。と。
多くの人たちと共同作業するのは理想ではあります。そして、できる限り多くの仲間が増えるよう尽くす意識を持つことも非常に重要だと語られています。
ですが、その数を増やす途中に「自分自身が沼に落ち込む」ことでミイラ取りがミイラになってしまい、そこでポジティブなエネルギーが消滅してしまうリスクだけは避けたい、と考えるのです。

意識の力は波動なのですから、その波動を最大化することに注力し、リアルの世界(SNS等webも含め)でのネガティブ方向のパワーに陥ることは避けたい。と、ここまで氣がついて欲しいところなのです。
数が多くなければ動かせない!という、物理的に数を追い求める思考こそが、過去のものになった物質社会の落とし物かもしれません。

大多数であろうが少数派であろうが、眠り続けるのはそれが「その人の今世の目的」だったのですから、誰が何を持ってしても変わりません。
そこにパワーを注ぐ自分自身が「ガラス窓の向こう側であるネガティブな世界」に落ち込むのではなく、意識というパワーによってポジティブ側にキープし続けて貢献したい、と感じるのです。
助けを求められたのなら、それに的確に回答ができる。というスタンスは、それ以上それ以下の何ものでもなく、自分の考えを強要し同化させることが望ましい行動ではなかったこと、すでに学び終えました。


楽しいことだけ?何をフワってるんだ!(その個々人が過去の負債を解消したという前提ですが)
と言われることに抵抗があるのでしょうか。人が何を言おうと関係ない自分軸を確立する練習を積んできたはずです。
人にどう思われるか?など、単なる自己承認欲求に過ぎなかったことも学んだはずです。


意識は大変に強力な力を持っている、と伝えられています。そもそもわたしたちの根源はエネルギー体なのですから。
その重要、且つここ一番でキーとなる力を使いこなす必要があります。
その「意識」の使い所を見極められず、遅延しタイムラグを起こさないようにしたいものです。
この遅延アクションをやってしまうことこそが「致命的」だと感じます。




【直前記事】
来年2022年の桜を見たくありませんか
【前々記事】
楽しいことだけ考えるのはNGなのか?

来年2022年の桜を見たくありませんか

飯舘春の印象 photo 宮本章光

来年2022年の桜を見ることができるでしょうか。
そんな当たり前のことが当たり前ではなくなった時代を生きています。

一年後にも同じように、このような風景に巡り会えるかどうか。
それは、
「自分の意識」が決めることだ、と理解できるようになった方々が増えているはずです。


---「一年後にはもう見ることが叶わない。」
そのように意識していれば、そのように現実が具現化し始めます。
---「一年後には、もっと素晴らしい姿をさらに感情豊かに見ることができる。」
そのように意識するならば、そのように実現するに違いありません。

いつまで浮ついた話をしてんだ!とおっしゃる方は、この場では皆無だと思います。
そして、
そのように叫ぶ方は、高確率で「来年の桜を見ることはできない」かもしれません。残念ながら。
ええ、この時点でいまだにそのレイヤーに居続けることをご自身で選択なさったのですね。
いえ、どちらが良い・良くない、ではなく、自由意志による個々人の選択の結果ということです。


意識の力とは、そういうものでしょう。
エネルギー体が発する波動は、この体で走り回って労働することよりも桁違いに大きな力を持っている、と、もはや疑いのないほど実体験を重ねてきたはずです。

昨年末の冬至、そしてこの春分、引き続き4月の大所を過ごしています。ここで何が起きても不思議ではない大宇宙の長大な潮流が進んでいます。
ですが、
何が起きようとも、恐怖につながる波動を心に生じないよう、最低でもこの一年間、練習を積み重ねてきたはずです。
何が起きようとも動じることなく、自らの魂は永遠であることを再認識して過ごしてください。


自身は根源の側面。
さまざまな体験をするためにこの地に降り、いまその役目を終えようとしている、と伝えられています。
想定外の事象が目の前に現れても、決して混乱に陥らず直感に訊き、高い波動を維持し続けてください。
そして、
新たな世界をともに創造し、来年の桜に再会したい。そのように思います。




【直前記事】
楽しいことだけ考えるのはNGなのか?
【前々記事】
所属コミュニティに流される人たち

楽しいことだけ考えるのはNGなのか?

飯舘春の印象 photo 宮本章光

--楽しいことだけを考えて。
--心地よいことだけに触れて。
--ワクワクだけを追いかけて。

こうした言葉を目にする機会が一氣に増えています。
そして、併せてその反対側である、
それは「目の前の世界を見ていない現実逃避である。スピってる場合か!」という批判も見受けられます。
果たしてどちらなのでしょうか。

この答えは「YesでもありNoでもある。」
これが回答でしょう。
もう少し丁寧に分析してみます。


いま起きている世界中の混乱に対し「フタをしてしまって」現実から目を逸らしている限り、全体主義・共産主義の権力者がますますその覇権を強め世界を牛耳ることになる。最後には超監視社会・ムーンショット計画で滅ぼされてしまう!
これを阻止するため一人でも多くの人たちが目を覚ます必要があり、氣がついた人から声を大にして眠り続ける人を叩き起こす必要がある!という論説。

確かに間違いではないでしょう。ですがこれ、昨年に一度通ってきた道なのです。
詐欺パンデミックを故意に発生させ、毒入り注射、そして全世界規模での監視社会の実現へ。というこの裏側を知れ!と。
誰でも最初はここからスタートしたのです。
現在2021年の4月でさえも「このことに氣がつかない人」は、それがその人の今世のシナリオであって、その体験が必要だったこと、自分自身で決めてこの地・今世に転生してきたのです。
第三者である他人がどれほど叩き起こそうとも、それは無理であること。

「目を覚ましている」とされる人がこのスパイラルに嵌っていると、
叩き起こそうと躍起になればなるほどその周波数にシンクロし波動を著しく下げ、周囲へそのネガティブなエネルギーを撒き散らします。
この観点からは、楽しいことだけを考えているほうが被害は少ない。とも考えられます。

【本当は危ない「陰謀論トラップ」】[Link]
を、昨2020年11月末に綴りました。


但し、です。
ここで考えたいのは、表面上だけの意識しか持たずに楽しいことだけ・ワクワクだけを追っかけていると「現実逃避」になってしまうのは事実であり、更には、ネガティブカルマ、過去に蓄積した極めて重い波動である、恐怖・恨みなどが手放しできていない可能性があります。
また、
貨幣経済や物質社会、教育洗脳・メディア洗脳に始まる数値最大化のみを美徳とする感覚や感性、他人の作り出す現実に揺さぶられ、自らの心がブレてしまう弱さなど、こうしたネガティブ要素を潜在意識の奥底に残している限り、そのネガティブ波動に触れ同期した瞬間に、突如として激しい恐怖や怒りの感情に陥ってしまいます。
この落差が大きいほど、ネガティブ側に振れる振り子の衝撃は大きくなってしまうリスクがある、と語られています。


ここが最も重要なポイントだと思われます。
ネガティブを経験したからこそ、ポジティブ側が見えてくる。
怒りや恨み・悲しみを経験したからこそ、喜び・悦び、慈愛の感情が理解できるのだ、と。

この地球は、その二極化・二元化を体験するための学びの地だったのですから、それを「味わい尽くした」ならば、さっさとネガティブ側の(無意識下にある過去の激しく重い蓄積も)波動をすべて捨て去ることです。
これを済ませずして、楽しいことだけを「うわべ」だけで追っかけると、突然の揺り戻しに耐えられませんよ、ということなのです。


突然の揺り戻し。
それは、この地球のポールシフトによる天変地異かもしれませんし、ある日突然に他星系生命が上空に出現することかもしれません。
何が起きようとも揺るがない意識・心。
決して恐れのエネルギーを感じず・発しない心。
魂は永遠であると悟り、肉体が滅ぶことさえ恐れない心。
そして、
すべての存在に対する慈愛の心。

いま、
最後の審判の時期を過ごしているわたしたちには、どこまでこの作業が進んでいるかによって、この先に進む世界が変わってくる。と伝えられているのです。

今後、二度と起きることがない極めて重要なタイミング。
聖書にも記載された日付が迫ります。
用意はいいですか?準備はできていますか?




【直前記事】
所属コミュニティに流される人たちく
【前々記事】
違和感を感じる感覚を磨く

所属コミュニティに流される人たち

切り株イメージ photo 宮本章光

所属する何らかのコミュニティ、それはSNSのグループやフォロワーかもしれませんし、あるいはリアルの会合や地域活動かもしれません。
そこに籍を置いている人たちとのコミュニケーションは、とても大切だと思われるものの、そのグループなり会合なりが醸し出す雰囲気・空気感とでもいうのでしょうか、まさにそのグループの「集合意識」が存在します。

このグループでは○○に関しは、XXのような論説が正しいとされ、
他のグループでは○○に関しては、ZZといった方向性の意見でなければならない...。
というようなイメージです。

仮に、自分自身が、そのグループの持つ方向性や集合意識と異なる意見を持っていたとしても、その中に居続けるために自らとは真逆の意識・意志表示をしなければならないことも少なくないと思われます。
それは、
その中に居続けること、その中で自分自身の存在を維持するために、そして、その中のメンバーと交流を続けるために。


これから展開する世の中では、これをやっていると自分を欺くことになります。
結果として心の波動を下げ意識のフォーカスがブレることにより、望ましくない結果が大挙して降りかかってくるかもしれません。
そして何よりも、本当に心からシンクロしないグループが醸し出す集合意識は、非常に淀み歪んだ、良くないものになっている可能性があるように感じます。


今の社会情勢は、このように「流されて」自分を欺く行動を選択している人が多いように見えます。
同調圧力、という言葉で語られているケースもまさにこれではないでしょうか。

何をどう考え、どう行動するかは個々人の自由に違いありません。
しかし、その一人ひとりの生み出す「アンバランスで本意ではない」不整合な周波数が、その場の集合意識を汚し、果てはこの国の集合意識を、この世界の集合意識を乱し、破滅に向かわせるのではないかと思うのです。


意識は伝播します。もう十分語られてきました。
意識はエネルギーであり、波動であり、それにシンクロするものは必ず同調するのです。
ですから、ラジオもスマホも通信できる...と、何度も綴りました。
不整合な、本意ではない周波数は、その乱れたままのアーカイブを大量に、そして強烈に周囲へ放ちます。
まるで、腐敗した生ゴミの悪臭のように。


植物は、季節ごとに生まれ変わるものも多いようです。世代交代し、新たに新芽を出しリセットしています。
人間も、いまこの大変重要なタイミングでリセットし、次代に適した考え方・思考へ切り替える必要があるのではないでしょうか。
いつまで生ゴミグループの中で居続けるのですか。自分まで腐り果てるのを待つのでしょうか。
その時になって氣がついても、腐ったものはもう二度と元には戻りません。



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違和感を感じる感覚を磨く

YellowFlower photo宮本章光

標題の意図することとは少し異なりますが、初めにイメージとして例えを引っ張ります。

スマホのポートレートモード(背景ぼかし)は、想像以上の結果をもたらしてくれる優れた機能だと思います。ただ、その「作られた感」といいいますか、本来のレンズが生み出すボケ味とは、どこか違っている...といった違和感を感じることがあります。
半導体内部にプログラミングされた工程・処理は、驚くような短時間に人間の感覚を超える膨大な処理工程を済ませてしまう点で、とんでもなく凄い技術であることには違いありません。
ただ、得られた結果に対し、
やはり「なんか違う」「どこかおかしい」といった違和感を感じるのは、人間の感覚の中でも最も優れた能力だろう、と思うのです。


いま考えてみたいのは、この「違和感」です。
現在、本当に数多くの情報が溢れ、情報戦争状態であること、もう否定できないところに来ています。この点は多くの方が体感し納得するところだと思います。
よって、
その情報をいかに効果的に使いこなすか。といったところに、対立する両者の戦術や戦法が織り込まれます。
そして、正しいか正しくないかレベルの黒白はっきり状態ではなく、グレイゾーンあり、フェイントあり、と、まさに何でもアリな状態です。

よく語られる言葉には、
98パーセントの事実と2パーセントのウソ(罠)を語る。などといったものもありますが、この割合とて、ある時には99.999パーセントまで事実を流布しながらも、最後にトドメとなり一発逆転さえも起動するような0.001パーセントのワナを仕掛ける。といった戦術もあろうか、といわれます。


教育段階からのガチガチの洗脳やMSM(メディア)洗脳により、よい子ちゃんであることにしか価値を見出せない人たち、わたしたちとは完全に別ルートの旅路に着いている人たちにとっては、この違和感を感じる「感性」さえも削がれてしまっているために、裸の王様状態の自らの姿も見ることができない状態であろうと思われます。
もちろん、
それが良いか良くないか、という論議はもう卒業し、それぞれの立場で「今世に必要な体験」を積んでいるので、どちらも正しく、どちらも必要な経験・体験である。と受け止め・互いを尊重する。
ここまでの意識には到達しているはずです。

いま、この違和感を「感じることができる」のなら、その違和感を最大限に活用したい、と思うのです。
スマホカメラのポートレートモードで作られた結果に「違和感が発生する」のであれば、そこに本来とは違う原因と処理の相違があるはずです。
同じように、
情報を受け止めた時点で感じる違和感は、そこに何らかの落とし穴や罠が潜んでいるかもしれない。と感じる心。
ここに、もっともっと敏感になっても良いはずだ、と思っています。


まったくの個人的感覚(妄想レベル)に過ぎませんが、
いま、光と闇の戦い。といわれます。そして、闇の側はもう敗北が確定している。というところまでは違和感を感じません。
ところが、
この光側の勢力が「完全にポジティブ」であると肯定し切っている情報しか見当たらないのです(相当調べ上げても...です)。
個人的には、ここに「違和感」を感じています。

光の勢力、それは他星系生命体による黄金時代をもたらし牢獄地球を解放する存在。として伝えられていますが、それが本当にわたしたちが望む希望に溢れた未来と一致しているのかどうか?
宇宙の法則では「より良い進化をもたらし、より良い発展に寄与する」目的で、積極的にDNA操作や異種間交配も行われている、とされます。
そもそも、その結果が現在のわたしたちの肉体存在そのものであり、地球のすべての生物でもあるわけなのですが...。
(ここまでの話題が理解不能、と仰る方は、この場シンクロできる限り皆無だと思っています。)


ということで、これ以上極端にナローな焦点に絞り込むのはやめておきますが、この部分に大きな違和感を感じずにはいられません。
ともあれ、
より良い近未来を実現するのは、救世主でも他星系生命でもなく、自らの心が描き出す意識の力であることだけは肯定し、日々過ごして行きたいと思っています。




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意識の力を使うタイミングは今

準備はよいですか・用意はできましたか

飯舘の春の印象 photo 宮本章光

準備はよいか。用意はできたか。と聞こえてきます。

昨年から一年以上も、十分に思考し行動する時間を与えられてきました。
自分の役目、今世でのミッションもしっかりと理解できたはずです。

眠り続ける人たちは、それが彼らにとって必要な判断と行動だった、ということです。
毒入り注射を喜んで打ちたい人たち、二度と戻れない遺伝子組み換え人間になることを望み、苦しみ続けて死に至ることさえも自ら希望する、それが彼らにとっての今世の役回りだったのでしょう。
更にいうのなら、
今世で悪役を選択した人たちも、それが彼らの輪廻転生の最終コマには必要な役目であった、といいます。

それぞれ意味と理由があり、そしてそれが個々人の自由意志による選択の結果でした。
悪役・権力者も、それが必要だったからこその立場であり、わたしたちはそれらすべてを受け止め認め、そして尊重すること。
その意識を経て初めて成長し、ようやく次のフェーズへ上がることが可能になる。と伝えられています。


いま、わたしたちにできること。
それは、波動を落とさないポジティブ方向の意識・心を維持すること。

3,000本(実際にはもっと多い)の桜も、共に歩むと決めているように見えます。
進むべき道を自らの心に訊き、この地球すべての生命体とともに新たな次元の扉を叩きたいと思います。



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意識の力を使うタイミングは今

飯舘の春の印象 photo 宮本章光

意識という潜在力を使いこなすタイミングは、まさに今です。

本来、エネルギー・波動としての存在であるわたしたちは、この世では「体という乗り物」に仮住まいし生存しています。
そして、本来の姿とともに、現実という名のゲーム・体験をするために自分から手をあげてこの地球にやってきていることまでも忘れ去っている。と伝えられています。
いま、その本来の姿を思い出し、二極化・二元化の体験からは卒業する時期を迎えています。
卒業後は、エネルギーである「意識」の使いこなしをマスターし、新たな次元で活躍することが期待されているわけです。


使いこなし、とは、カメラで例えるのならば、
どれだけ数多くの機能があるのかを知ることではありませんし、取扱説明書に書いてあることを隅々まで理解して説明できることでもありません。
(カルチャーでのカメラ教室で何度も繰り返しお伝えしてきたのと全く同じです)

どのような印象の写真を記録したいのか、どのように表現したいのか。
タップすれば自動的にキレイに撮れるスマホカメラが急激に普及したので、見た目には美しい写真が撮れるかもしれませんが、それは単に画像データに過ぎず作品にはなり得ません。
同じように、
わたしたちは、本当の姿は「魂なんだね、意識なんでしょう。判りましたよ。はいはい...。」
と、横目で見ながら頭で考えることではなく、その潜在力を役に立てるように使ってこそ「使いこなし」なのではないかと思うのです。

そして、もう二度とやってこない、とされるこの極めて重要なタイミングで、その意識の力を使いこなして新たな世界を創造することに役立てる。
いま、そのタイミングに突入しているにもかかわらず、そのパワーを眠らせたままではあまりにも勿体無い。

ポジティブ方向に心をキープしているだけで、そのエネルギーが周囲へ波及する。といわれます。
物質社会から精神社会へ移行する、とは、物質物体であるモノを手にとって操作することではなく、このように心・意識を使いこなす感覚を知り、頭の中から総入れ替えすることを意味しているはずです。


旬の時期は短いのです。桜の花写真は一生懸命に撮っていながら、意識の力は眠らせたままですか。
牢獄地球の解放に向けて、一人ひとりが意識の力を使いこなすのは、今だと感じています。




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それでも迷ったなら自然に訊く

自然に訊く photo 宮本章光

情報過多。玉石混交。
何を信じて良いのか迷路に迷い込んだのなら。

情報を止める。
情報から離れる。
次に、
小麦粉から、乳製品から、塩化ナトリウム精製塩から、砂糖から、そして電子レンジからも離れる。アミノ酸等だとか酵母エキス、果糖ぶどう糖液糖などの表示があるものは言わずもがな。
併せて、良質の天然塩を十分に体に奢ります。

そのあとから自分の心に尋ねてみます。

それでも迷い込んだ道が「暗すぎる」のならば、大自然に訊いてみる。
心のステイタスマーカーがどのポジションを示すのか、静かに・ゆっくりと感じてみる。

心地よさが、そこにある迷路を明るく照らしてくれるかどうか、そこに意識を合わせ頭は使わず心だけ。
ニュートラルからポジティブに振れるのかネガティブに振れるのか。

答えは「心地よさ」の振幅の大きさ・深さによって返ってくるはずです。
わたしたちは、エネルギー体である本来の姿を思い出し、その波動である元の世界へ戻るタイミングを過ごしています。
「自分の魂の履歴」という輪廻転生の最終ランナーの大役を、自ら手をあげて名乗り出たからには、その目的を完遂するのが筋でしょう。



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