アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2622]

心に無いものは現れてこない

つつじにご挨拶 photo 宮本章光

タイトルそのまま。

目の前の風景は、わたしたち地球人が生み出した「心に描いた」エネルギーが時間差を経て現実となったもの。
みんなが騒げば災害が発生しない。などと馬鹿げた扇動をやっていること、そのものが罪だと言うのです。
まさに、善の仮面をかぶった悪。という輩。

もう負のエネルギーを心に描く必要は一切ありません。
描くからそのエネルギーが顕現化します。必ず。例外なく。
これは仕組みなのです。そして必ず時差があるのです。
生み出しておいて、あとは知らんフリ。まぁなんと勝手なことでしょうか。
その見えないところでブスブスと燃えていた火種がいずれ大きな炎になります。

それを阻止するのは、都市伝説でも何でもなく、そのエネルギーにフォーカス「しない」他の多くの人々の集合意識。
数多くの人々の「そんなもの眼中にない」といった意識の波動が、その火種を「なかったこと」として新しいエネルギーで「上書き」してくれていることを理解していますか。
ですから、もうこの国においては甚大な災害は起きないというのです。


今日も今日とて、都市伝説だなんだ、と自己顕示欲と自己承認欲求だけでwebに害を放出する人たち。
本当に望ましい世の中を作り上げたい、との心があるのなら、見てくれだけ・表向きだけ綺麗ごとで取り繕っておきながら、webには生ゴミや排泄物を撒き散らすような真似=害悪を生み出さないことです。


心とは・意識とは、靈界そのもの。
頭で考えるのはタダだと思っていたとしたら、それは大間違い。
タダどころか巨額の借金を自ら望んで背負うのと同じだと。
ここを理解できないからいつまでも踊り続ける。
体をお返ししこの地を去るときに、その返済不能で膨大な負の借金を目の当たりにし、腰を抜かすのはご自身です。
そして腰を抜かすだけでは済まず、来世も、そのまたはるか先までも償い続ける覚悟があるのでしょうか。

心に無いものは絶対にこの世には現れてきません。
絶対に。
それが仕組みだからです。

だから、何を想い何を抱き・何を描くのか。です。




「命尽きた」のは一つの転換点に過ぎない

IMG_9341_2025.webp

久々に定点観測場所を訪れますと、すでに命尽きた姿を目の当たりにしました。

以前には、この切り株そのものが生きている感覚を受け取っていました。
樹木そのものとしての存在はなくても、その周囲に生きる存在と調和し共存している感覚がありました。

この記事のイメージとしても使用(Clickで該当記事へLink)
【所属コミュニティに流される人たち】2021/04/06[ Link ]

-----・・・・・-----
20210406_image.webp

-----・・・・・-----

この2025年の春、その存在の生命が尽きたことを理解しました。
多くの方々がこの感覚を感じられるはずです。

しかし、ここで理解すべきことは。
それは、
物理実体がなくなっても、生命というエネルギーがそこに生き続けていたこと。そして、いよいよそのエネルギーも「この場所」を離れただろうこと。
けれどもそれは「一つの節目」を超えたに過ぎないことです。
言葉を置き換えてみます。
「死を迎えても次の舞台が無限にある」ということでしょうか。

この地においては、隷属化支配者層により、死んだら終わり。その死というものは恐ろしいものだ。
という刷り込みによって洗脳されてきた歴史があること。この地点まで理解が到達した人たちが急激に増えているはずです。

もう一つ言葉を置き換えてみます。
「生きているか死んでいるかは重要ではない:魂レベルの成長の観点からは」です。


当然、物理実体をお借りしているからこそ可能になる活動があります。
わたしがここに文字を残し続けられるのも、物理実体としてお借りしている体があるからこそ、です。
しかし、
それは物質次元・この地・この世特有の事象であって、それが至上・最高の体験ではないかもしれません。

物理実体を伴わない世界(靈界で靈人として生きる)が存在することはもはや否定できない上、それを否定し続ける発想・感覚そのものがすでに時代にそぐわない状態になっています。
どちらが良いかよくないか。という判断そのものが意味を成しませんし、現状の物理実体を持つゆえの「不自由やデメリット」も数限りなく存在します。
逆説的ですが、だからこそ、その不自由の中で学びを得られる。それを目的としてこの地にやってきているのだ。という観点を忘れてはならないでしょう。


ここまで意識と理解が到達したのなら、これまでの世の中・仕組まれて故意に操作されてきた意識の構造が一氣に白日に晒されることになります。
死は恐ろしい。死んだら終わり。
そのような洗脳。
結果として、その恐怖によって支配し、永遠にその隷属化の世で転生し続ける仕組み。
その媒体としての宗教・教育・貨幣経済、そして仕組みの裏側に張り巡らされた、これでもか!というほどの病・医療の闇。石油や電氣エネルギーに関する偽り、食べるもの・空氣から水から、徹底的に...。
これらの洗脳から離脱するために。
見事な展開が、現在いまこの瞬間に某国で実行され続ける制度改革に代表される、過激なまでの開示と改善のための法制化に現れています。

しかし、それらはあくまでも物理実体次元での話。
これまで騙され続け、ようやく眠りから目を覚まそうとする人たちに向けた方策・政策に過ぎません。


この段階を越えた(学びとして体得した)者にとっては、その先を見据えて活動せねばなりません。
生きているか死んでいるかは、さほど重要ではない。そういった仕組まれた恐怖の波動だけにフォーカスしない。という点です。

ここ数日、やかましいほどに綴り続けています災害に関わる話題。
そこにフォーカスし騒ぎ立てることが如何に劣悪な行為であるか。
心が生み出すエネルギーについて、そのほんの触りの部分だけしか知らずとも、その重大さ・責任の重さについて判るはずです。


この先に不要なエネルギーを生み出さない。

それは、頭で理解していても、意識がそこに合致した瞬間に、自分自身でその波長にシンクロするものを盛大に増幅し続けます。
いつまでも害悪になるようなエネルギーを生み出し・叫び、でゃ!我はインフルエンサーなり〜。てな行動が、どれほど巨大な負のエネルギーを生み出しているのか。
みんなで騒げば現実にならない都市伝説...などと目に見えないフィールドに生み出した負の力、一度生じれば永久に消えることのないネガな波動を生み出してしまった責任を放棄して。
そして、その恐怖に基づく波動を生む以上、悪とされる隷属化を仕組んだ存在と同じことを行い、同じ罪を重ねていることを。
恥を知るべし。


この次・この先に心がけたいのは、
もう恐怖に基づく波動を生み出さないこと。発言に責任を持つ旧い時代は終わり、意識と生み出すエネルギーに責任を持つ時代へ変わったこと。
さらに、
生きているか死んでいるか、という物理次元オンリーな限定的意識を超越する感覚に移行すること。
そして、
それらは「一つの節目」であることを理解したのなら、その一つひとつの節目と節目との間で「どれだけ意味のある体験」をし「どれだけ精神性を磨き拡大上昇できたのか」、「如何に魂レベルを高められた」か。

ここを認識すればこそ、くだらない情報で踊る、自らそれを掲げて自己顕示欲を満たす、など愚の骨頂であることを知ります。

一つの区切り。
その区切りがまもなく訪れます。
どれだけ学びを得られたでしょうか。少なくとも、一夜漬けで届くレベルの学びではない集大成を披露することになります。
わたしは・あなたは、どれだけの成果を披露できるでしょうか。

振り返るとともに、物理実体から抜け出した「先に卒業してゆく生命存在」に拍手を送り、あと残された寿命を目一杯生きてゆきます。
そして、ともに生きる存在に役に立てるよう望ましい波動を維持することを誓う次第です。





御神木に礼を奉る

御神木に礼を捧げ photo 宮本章光

そこは、我欲の塊たる願いをする場所ではなく。
そこは、礼を奉り感謝を手向ける場所です。

そこには、人の姿に似た白髪で杖を持った神という存在は居らず。
そこには、この国の先人が奉った八百万の神のエネルギーが在ります。
社殿ではなく、その御神木に。


足元に配慮を忘れず。
それは、地上の勇姿と均衡するだけの地下の存在(根)があるため。不用意に踏み込まないことを意識して。

その前に、境内に入らせていただいてよいのかを確かめた後で、こちらから礼を捧げ、そこにある周波数に合わせてゆきます。
まずは、そこに「違和感」があるかないか。
違和感があれば、自分自身の周波数が異なっている証明であり、即座に離れ日を改めることです。

カラスや猫、トカゲなどの生命が、そのシグナルを送る場合も少なくないように感じます。
今回は、拒否されることはなく、この姿に会うことが叶いました。


くだらない都市伝説だとか心奪われ騒ぎ続け、フォロワー数やLike数を追いかけるヒマがあるなら、自然に触れ、そしてそこに感謝を捧げます。
その場に畏敬の念を忘れない限り、そのエネルギーと共鳴する現実が顕現化してゆきます。ただし時差を伴って。

みんなで騒ぎ、みんなで意識するからこそ災害は起きない。それが量子力学だ。
などと語るのも間違いだとは言いませんが、意識し結果として一旦生み出してしまったエネルギーは決して消えることがありません。
それは、いずれ長いタイムラグを経てこの世に顕現化します。

現在、目の前に負の力に満ちた風景が展開しているのはその証でしょう。
ワルものが支配したからこうなった...のは結果であって、ワルものを生み出しその成長拡大を許可・助長した、わたしたち自身の因果とその巨大な責任を忘れてはならないはずです。


役目を終えた人たちが、次から次へとこの地から退場してゆきます。
これまでに必要だったから、そのお役をしっかりと果たしたことが判ります。

では、この先、これからの道を創り出す役目とは具体的に何でしょうか。
いま、ここに体をお借りし生存している限り、負のエネルギーも「共に両極のエネルギーとして」認め尊敬し受け入れることは避けられません。
ここを勘違いして片側だけ目を閉じてわくわく、ってなビジネスはもう終わったことが判ります。
そして、隷属化のツールであった貨幣経済のアイテムたる金銭的豊かさにフォーカスするのも、その次のステップではありながら、もはや終了すべきエネルギーであることを認識できているでしょうか。
幸せ掴もう、そのためにもっともっと多くのお金を手に入れよう、感謝感謝を捧げて。なんて恥ずかしい失敗はもうなさいませんよう。大丈夫でしょうか。


どの段階・どのフェーズに入っても、常に過ちを繰り返します。

--ほな、わくわくせず苦しみ続けるのがエエんかい。
--ほなら、カネなしで生きられるんかい。
と、いつまでも幼稚な失敗を繰り返す。意識の波動に責任を持つ。その責任を放棄しないこと。

--せやけど天災は自然のもんやろがぁ。
ってのも大いなるなる過ち。
--みんなでフォーカスすれば量子論的に災いから離れられる。
ってのは、大きな落とし穴。
生み出してしまった負のエネルギーの後始末は誰が行うのでしょう。

回転寿司チェーン店の机の下を廃棄物で汚染しまくる。
新幹線の座席下に食べ物を撒き散らす。
同じでしょう。酷似しているように見えます。
生み出すのも・避けるのも、どれもこれもそのエネルギーを自分が生み出していることを忘れてはならないと感じます。生み出したエネルギーは絶対に消滅しません。


いつまでもオールドメディアに触れるのをやめたのは立派だと思われます。
でも、SNSに置き換えられただけで、自分自身が「負のエネルギー増幅装置」に成り下がった人間をやっている限り、望ましい未来は絶対に実現しないはず。

この試験にパスしない限り、永遠のループから脱出することはできません。
超難関試験にヒントを与えてくれるのは、
それこそが自然(じねん)の多くの生命存在であり、森羅万象・八百万の神として言霊とともに生きてきた、この国の先人が遺した財産であることを忘れてはなりません。





選択とはいまこの瞬間の意識

送電線展望台にて photo 宮本章光

「選択」とは、いまこの瞬間に意識している周波数を持つエネルギーに合わせること。

送電線邪魔や〜と思えば、その風景に合致するエネルギーを自ら生み出しています。
で、送電線消えろ!と思ってみても消えることはありません。
物質・物理次元に結晶化した「モノ」として存在している限りは。

この送電線。
50年ほど前には、この場所に居ますと、ブーンといったハム音が聞こえた記憶があります。
今2025年には、まったく聞こえません。
自分の耳がダメになったのか、はたまた別の目的(電磁波による臣民操作)で使われていたものが、すでに終了したのか。それはわかりません。

こうしてハム音が聞こえる・聞こえない。と、それぞれ意識するならば、その波動をわたし自身が生み出しそれを体験します。
だから聞こえない。その聞こえない状態をさらに強固に顕現化し続けます。


災害ガー...と思えば、災害の波長と合致するエネルギーを自分自身で生み出してしまいます。
騒げば起きない...などと幼稚な都市伝説で踊るのも、その周波数に合致した現実を自ら生み出し固定し続けます。
ところが、
以前にも記しましたように、その意識により「産み出してしまった」災害発生というエネルギーは、消えることなく燃え続けることを知りましょう。ということなのです。
そして、法則に則って「時差・タイムラグ」を経たあとでこの世に顕現化してゆきます。
だから忘れたころに現実になるのです。そんな幼稚園児レベル以前のこと。恥ずかしい限り。

生み出したのは誰でしょう。
自分が生み出した責任はどうやって取りますか。

いまホットな話題だから。
インフルエンサーが言うから。
そんな理由で、その対象にフォーカスすれば、その人たちがそのエネルギーを顕現化してゆきます。
数が多いほどにその力は巨大になり、より現実となる確率も規模も高まります。


この国ではもう甚大な災害は起きません。
どうして君がそんなことを言えるのか。と聞くのなら、懐疑的な周波数をその質問者が抱き生み出し続けます。
台風上陸のこと、地震のこと。
その裏側を知る人が閾値(しきいち)を超えたため、顕現化しないところに到達していること。これまでにも幾度となく記してきました。
60年以上、直感と勘と上から降りてくる感覚だけを頼りに生きてきた者が言います。
妄想だと思えば、その人には妄想にしか聞こえません。そういう法則・仕組みだからです。

もっと身近な言葉に置き換えてみますか。
「そう思ばそうなる。」「そう思うからその通りになる。」と言えば理解が容易でしょうか。

え?それって、スピってるダメな思考・意識でしょ。お花畑な頭のおかしい人の発想でしょ。
などと、そう思えば、ご自身がそうなります。
これが仕組み。
これが法則ですから。
自分の現実は自分が作り出す。
そういうことを知りましょう。というのが最大難関である、いま目の前にある試験だと感じています。


選択。とは。
いまこの瞬間の自分が抱く思考・意識、その周波数に合致している状態。
無数にある選択肢から、いま思い、いま感じ、意識していることが自分の選択であり続けます。
そして極めて重要なこと。
それは、
その選択によって自分自身が生み出したエネルギーは決して雲散霧消することはなく、その周波数を持つ波動として永久に燃え続けます。
その火は、時差を経てこの世に顕現化・現実化してゆきます。

くだらない話題(いえ、もっと正しく言うのなら害悪:この先の世には不要な負の波動)を撒き散らして人の目を引くようなスタイルは早晩卒業することです。
責任の重大さもさることながら、ご自身がその現実を享受するだけのことだと理解できて初めて、ようやく難しく高いハードルを超える準備ができるのだと思っています。
そして、それを超えるのは自分自身でしかあり得ません。





84800488
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories