アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2620]

心を映し出したものが目の前の現実

飯舘村あいの沢の冷たい水面 photo 宮本章光

昨日に続き、今日も日月神示から。

----◇◇◇----
【日月神示】
おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。

【日月神示】
キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは (よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ
----◇◇◇----


この2年間、あるいはもっと以前から訓練し続けてきたことが無駄ではなかった、と証明されるはずです。
いえ、それはEAS(EBS)がいつ来るか。だとか、誰か救世主が救ってくれるはずだ、と待ち望むことではありません。

その発想こそが、消滅が決定している旧来のタイムライン上の意識であることに氣がついていないのです。
この騒動・混乱の初期、それは2020年の初めだったでしょう。人の話を鼻で笑って去って行かれたひとたち。その方々に「ほれみろ!言うてた通りやろ!」とドヤ顔するのが目的なのでしょうか。
それは、
単に自己承認欲求の塊でしかなく、上記のようにその発想こそが古い次元の感覚だと言わざるを得ません。

エエかっこすんなよ!という声も、以前なら聞こえてきたことでしょう。
でも、エエかっこでも何でもなく、そのような発想や意識はもう捨て去った方々ばかりだと思います。ここでご縁が続いている皆さまは。
このようにして、自らの意識を変えてゆく、自らの思考を「幼虫から蛹へそして成虫へ」と進化させること。
これこそが、いまから求められる意識であり、その意識を持ってこそ新しい道を歩むことができるからです。


心の中にある意識、それが映し出されタイムラグを伴って具現化したもの、それが目の前の現実だ、と氣がついたのなら、いつまでも古い発想で「居残り練習」する必要などありません。

---水面上にある浮き橋の屋根の形は、水面に写っている姿から想像できます。
---空の色は、水面に写っている色から想像できます。
同じように、
目の前の現実という風景は、心、それはわたしたち人類の集合意識が作り出した時間遅れの結果なのですから、そうした意識の集合体だった過去が想像できるのです。

だからこそ、
この瞬間以降は、実現したい風景・実現したい姿を思い描くことでそれが現実になってゆくのです。

『ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。』
と伝えられた通り、これから実現させたい「設計図」を描くのが、ここでご縁のあります皆さまとわたしの役目ではないでしょうか。
設計図が優秀であればあるほど、その成果物たる近未来は素晴らしいものになるはずです。
ともに歩みましょう、ともに描き続けましょう。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

善悪・表裏をともに尊重し認める

春を待つ photo 宮本章光

----◇◇◇----
【大日月地神示】
悪は皆の未熟さ見抜き、騙して下さったのじゃ。分相応に各々学ばせて下さったのであるから、まこと有難いのう。皆々あっぱれな御役でありましたぞ。皆々、御役目終えて地から離れて行きたぞ。二度と戻ることもない,遠い星へとお移しとなられましたのじゃ。ご苦労ご苦労。皆で手合わされよ。
2022.1.22

【日月神示】
自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。同じものでも表からと裏からとでは違ふのぢゃ。同じ目で見ても、ちがってうつるのぢゃ。心得よ。
----◇◇◇----


自らの意識が作り出した結果に右往左往し振り回される。そんな世界から早く脱出してください。
目の前に見えているものだけが現実だと盲信し、その考えが洗脳の結果であったことにさえ思考が及ばない。
いつまでバカなことばかりやっているのでしょうか。

体験を積むことで自分の本来の存在と姿を知り、今世の目的に氣づきその目的を果たしたのならば、これから先に望む世界をともに創り出しましょう。
わたしたち、一人ひとりの意識の力によって創り出すのです。
エネルギー体としての存在を思い出し、そこに同期できる周波数と渦(方向)とを見極めたのなら。
そのためには、
善悪・表裏といった対(つい)となり切り離すことができない両極をともに体験させていただいたこの世の仕組みと、それぞれの役目を果たした存在への感謝を忘れてはなりません。
その御礼を済ませたら、
両手を伸ばし、深く大きく呼吸をし、リアルにイメージを描いてください。
樹々は、もう新しい時代に向けて準備を進めています。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

思考形態・観点の変化が起きている

歳を重ねた常緑樹 photo 宮本章光

随分と時間を与えられてきました。
最低でもこの約2年間。もっと長く訓練してこられた方は2012年から10年間。あるいはそれ以前から。

そして、物事に対する思考と視点が知らず知らずのうちに随分と変化してきたことを感じます。
僅か数年前までは、メディアに洗脳されていることさえも自覚がなかった方々が大半ではないかと思うのです。自分も含めて。
2022年の1月がまもなく終わろうとしている今。このメディアとの向き合い方ひとつをとってみても激しく大きな変化が起きたことが判ります。

そして、一歩下がって俯瞰してみることで、旧来の思考形態が客観視できるのではないかと思うのです。

--「学業で優秀な成績を得ることが将来の生活に有利とされる金銭的優位性を手に入れられる。」
--「医療に携わることが社会的地位と経済基盤の両方を高度に得られる。」

この場でご縁のあります皆さまには、もはやこれら全てが利権と欲にまみれた腐敗した虚像であり既に崩壊したこと(もう過去形です)が理解できるはずです。
それでもなお、いつまでもその思考形態とその視点から離れられない...。
すなわち、これを「旧来のライムラインにしがみついている」行動というのではないでしょうか。
(ここで腹立たしい感情が起きるのなら、まさに図星でその思考で固まっている証明でもあります。
「型にハマって」丸の中で身動きできないから「カタマル:固まる」というのだとか)
そして、
旧来の思考を変えず継続する限りは、指折り数えられる近未来に「終末と滅亡=この文明が跡形もなく消滅する」が訪れることが確定していると伝えられているわけです。
指折りですから、間違っても自分はもう生きていないし...だとか人ごとのように思わないことです。


ここでもう一度、少し離れて俯瞰してみます。
自分も同じ思考だった、わずかな時間だけ以前の過去。
他方、現在に至ったこの時点での思考と視点。

これらを比較してみますと、がらりと変わったことが判ります。何もかも劇的に、です。
そしてそれら古い思考を捨て去った後に何があるのかをはっきりと認識できるようになりました。
また、
それらを自分で創造・作り出す方法までも。

これこそが次元が変わった証明ではないのでしょうか。
その昔(2012年)には、次元上昇すると目の前がまるで桃源郷のように変化する、だとか夢物語を語る声も多かったのです。
ですが、そうではなく、自分の意識が古いタイムライン(=終末と滅亡)から飛び出して成長すること、それ自体がまさにタイムラインを乗り換え次元を上がることだったのだと。

この場でご縁を繋いでいただいている皆さまは、この思考形態と視点の変化が激しく大きく起きているはずです。
俯瞰してみてください。少し前のご自身の思考と現在の思考を比較してみてください。
いかがでしょうか。
この調子で、望ましい・希望する近未来をともに創り上げてゆきたいと思っています。
そうです、わたしたち自身の意識の力で未来を創るのです。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

苦労して手に入れたものは失うことがない

飯舘村きこり 冬の晴れ間のテラス photo 宮本章光

自分の見定める行き先が決まったのなら、脇目も振らずにその地点を目指しましょう。
目の前に繰り広げられる盛大なノイズに氣を取られないように。

ラクをして手に入れたものは容易に失います。
ですが、苦労して身につけたものはいつまでも消えることがありません。
この2年間、あるいはもっと以前から苦しみ抜いて手に入れたもの、悩み抜いて手に入れたもの。
それが何であるかは個々人それぞれでしょう。

踊らされたまま、大切なことから目を逸らして無駄に流してしまった方にはこの言葉の重みが理解できないかもしれません。
ですが、いずれどこかのタイミングでそのゾーンから卒業するタイミングがやってきます。
あるいは、
もしかすると「留年や落第」となってしまっても、最長「たった50億年」程度のやり直しでもう一度そのチャンスを迎えられる、とも伝えられています。
魂の旅は永遠だといいます。50億年の遠回りなど一瞬の出来事なのかもしれません。
短ければ2万6千年程度かもしれませんし。


この場に綴るエネルギーに同期できる方々は、遠回りすることなく自分の目指す世界へ一直線に意識を拡大してください。
その成果としての「体験」こそが最大の宝物であること。いまその意味の重さを感じているはずです。

最大で最重要な宝物。皆さまにとってはどのような「体験」だったでしょうか。
苦労して手に入れたものは永遠に消えることがありません。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

行き先は決めましたか

冬の飯舘村で出会う樹々 photo 宮本章光

もう決定済みのことと思います。
ご自身の行き先、行きたい先は、すでに決めていることでしょう。

現在は道も分岐確定後だと伝えられていますし、いままでに苦しみ・もがき、失敗と試行錯誤を重ねてようやく見つけた道です。
これまでに苦しんだからこそ、これからは、今後必要とされる明るく楽しいエネルギーに焦点を合わせてゆきます。

明確な行き先を見極めたのですから、あとは一直線にそこへ向かうように自分自身をナビゲートするだけです。
残念ながら、外側のノイズが激しすぎ何度も何度も引き込まれます。
しかし、そこにフォーカスしないよう、最後の練習をさせていただいているのだ、と理解を進めましょう。
そしてその課題をクリアし、望ましい・思い描く先へ意識を拡大しましょう。

さまざまな課題と落とし穴を体験させていただいたことに感謝の意を伝え、これからは必要ありません、これからは望ましい行先に向かいますと宣言してください。
そうすれば、その意識が現実を創り上げてゆきます。
心からそれを願ったのであれば、あとは任せ切る。本心で願い確定した限りは、自然に流れは生み出されるはずです。
その流れは、どんどん早くなっていることをすでに体感しています。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

お天道様はいつも見ている:2

ある日の人通り photo 宮本章光

「お天道様はいつも見ている:2」

vol.2ですか。vol.1はどこに?
というご質問は恐らく出てきません。ここは日々ご訪問いただく方々ばかりのご縁になりましたので、もうその在処もご存じでしょう。
いつもありがとうございます。継続してお読みいただいてることに感謝申し上げます。

【お天道様はいつも見ている】2021/08/27(Fri) [Link]
昨年2021年の8月27日に綴っています。
また、
ブラウザを下にスクロールいただくと、◆Search(キーワード検索)という機能も生きています。
単ワードのみで複数ワード検索には対応できていませんが、この機能もご活用ください。
また、このところ再びアクセスが増加傾向にあり、少々重いタイミングもありますが氣長にお付き合いいただけますと嬉しく思います。


「お天道様はいつも見ている」
過去、企業在籍時の取引先オーナーがよく口にしていた言葉でした。
そう、すべては筒抜けで見られており、自らの行動・発言、そして心に描いた意識に至るまで、すべてが記録されているといいます。

どこに?などというナンセンスな発言は、もう出てこないでしょう。
そもそも自らの過去世も含めあらゆるものは残っている。だから、自らの心が正しいと感じるものだけに焦点を合わせ生きて行きましょう。と。
そんな証拠、どこにあるねん!証拠を出せよ証拠を!と、怒ったのならば、その負に傾いた想念さえも残るのだと。
そして僅少かもしれませんが、マイナスポイントとして蓄積し、そのエネルギーは負の力として別の時間・機会に、別の形で自分に返ってきます。


どちらのエネルギーが正しいのか正しくないのか。それも卒業済みのことでしょう。
どちらも必要であり、表と裏、前と後のようにペアで存在することで、それぞれをともに必要なものとして体験する。それがこの地の目的であり体験をするために今世を生きています。

今日も今日とて、悪を滅ぼせ!的な叫びが続いていますが、どれもこれもすべて試されているのです。
悪を滅ぼしてはならない、と何度も伝えられていること、理解済みのことだと思います。
片方を無くしてしまえば、もう片方も存在できないのです。

悪やネガティブパワーに対し感じた感覚を抑える必要はありません。そこで「蓋をする」と、ポジティブごっこ遊びで成長がストップします。
片側に大きく傾いた振り子は、もう一度ニュートラルに戻し、今後必要な反対側へのエネルギーにすれば良いだけのこと。
ただし、
これからの世界は、もう極端な反対側のエネルギーは存在できなくなるということですから、焦点を合わせる先をよく理解してゆきましょう。


お天道様に見られているから「よい子ちゃん」でいましょうね。ではないのですよ。ということ。
ここを取り違えないようにしたいものです。
人と同じ格好していればそれで安心しているようなレベルにとどまっている限り、終末と滅亡のタイムラインからは抜け出せないのではないでしょうか。
自分の意識というエネルギーをどのように感じ、そしてどれを選択し、どちらの方向に向けどのように使いこなすのか。
もうそういう時代に入っています。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

今年2022年の開花を迎えられそう

今年の開花を待つ桜の蕾と枝たち photo 宮本章光

厳冬の時期。
まだまだ蕾は固く開花はずっと先のこと。

ですが、この2022年も無事に桜の季節を迎えられそうです。
はい、それは自分が決めることですね。
自分の意識がその花の季節を迎えると決め具現化させるからこそ、その時期が実際に訪れ楽しめる、という大原則。
放っておいても勝手に開花するさ。と馬鹿にする方のところには、今年はその近未来はやってこないかもしれません。


自分の意識によって望ましい未来を創り出します。
もちろん、正負・善悪ともに尊重しともに抱く境地に至った心が根底に存在すればこそです。
だからこそそれが実現するのだと理解できている人のところには、その春がやってきます。

ところが、この期に及びながら、なおネガな波動を撒き散らすような馬鹿げた行動を続けていますと、僅か数ヶ月先も真っ暗かもしれません。
〇〇反対。XX反対。と叫んでいる限りは、ずっとその周波数の渦に飲まれたままの自分が具現化してゆきます。
もう卒業済みの方々には無縁のお話でしょう。
そうしたエネルギーを得たいがための勢力が仕組んだワナが、まだまだ残っているのです。
うまくゆかない現実ゲームの最後のステージは、相当高度なテクニックを要求されるようです。


現実世界もwebも、激しく「炙り出し」が進んでいます。
敵も味方もないわけで、白だと思っていた人が真っ黒だったり。そんなことは至極当然に起きてきます。
炙り出された第三者の姿を客観視することで、自分の意識の周波数が相対値としてどのあたりにあるのかが判ってきます。

その位置からさらに上を目指して進みましょう。
救世主を待ち続けるのも、もうやめましょう。
待っている限り、いつまでも待ち続けるタイムラインが具現化し続けます。
待ちたい氣持ちは誰もみな同じです。それならば、その情報を追うのをやめ、希望する望ましい身の回りや風景をイメージするほうが遥かに現実化する確率は高まるに違いありません。
なぜなら...。
もういいでしょう。自分が創るのです。


日々、平穏平静な時間を楽しんでいらっしゃることと思います。
平和な世の中が実現し、自然豊かな風景がそこかしこに広がっている世界をイメージできていることでしょう。
創るのです。わたしたちの「意識」で。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

夢中になれるものを追いかける

枯れ枝はもうすぐ芽吹く photo 宮本章光

常に反対をやっていませんか。
いつもタイミングを外してばかりではないでしょうか。


旧来世界のアカとカスを捨て浄化すべきときに、そのうちよくなるさ、趣味で楽しく過ごせばいいさ。
と、2年間の時期と時間を無駄に流し、
もう浄化を終えて、いよいよ望ましい青写真を描き実践すべき時間になっているのに、今度は叫び・踊り・負のパワーを撒き散らす。
人の振り見て我が振り直せ。とは言うものの、その言葉の意味を理解する能力さえも「自分で蓋をして」失ってしまいました。

でも、救いはまだあるかもしれません。
夢中になれるもの、夢中になれることを追いかけてみませんか。
これがきっかけになれば、うまくゆけば波動を高めることができるかもしれません。
ただ、自分自身で過去の負債を浄化していませんので、相応の苦しみと高いハードルを超えなければならない可能性はあります。
あるいは、それでも行き着く先は、終末と滅亡から抜け出せないかもしれません。
でも、
自ら選択を行い、タイムラインやレイヤーを移ってみるというチャレンジは無駄にはならないでしょう。


目に見えるものしか信用しないよう教育レベルから洗脳され、夢中になるものを追いかけるのはダメな行動であり、心躍る感覚を押し殺すのが美徳と洗脳され、そして、ネガティブなサイクルに加担するよう踊らされている人たち。
最後のチャンスかもしれません。

夢中になれることに取り組み、追いかけてみませんか。
少なくとも、メディアに触れ続け負のスパイラルに飲み込まれるよりはマシな結果が手に入るのではないでしょうか。

だって...。ですか?
でも...。でしょうか?
社会人一年生になったばかりの新入社員教育で禁句・NGワードとされた(昭和の時代ですが)筆頭は、「だって」と「でも」だったように思います。
ガタガタ言わずにやってみな!と。

今度は、"夢中になれるものを追いかけてみて” なのですから、意識を高めてチャレンジしてみましょう。
きっと新たな感覚がトリガーになってブレイクスルーが起きるのではないでしょうか。もう後はありません、ファイナルアンサー・ラストチャンスです。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

100パーセント信頼する

空に意識を馳せる photo 宮本章光

100パーセント信用し信頼する。
自分の心を。
自分の直感を。


それは理解しているけれど...。
ってな文脈が多いのです。

けれど...。何でしょうか?
現実はそんなことでは乗り切れない。と続くのでしょう、その言葉の後には。

現実は意識の生成物。
現実は、タイムラグを伴った過去の意識の結果です。
だから意識が先なのです。いつまでも堂々巡り。
こんなことを繰り返している限り、永遠にその目の前の世界は変わりません。


勉強させてもらった御礼を心の底の本心から伝えましょう。
その瞬間以降は、「意識が創り出す」ものが、その瞬間以降の現実になるのです。

御礼と感謝の気持ちを伝え、直感を信用する。
いま、わたしたちが取り組むのは、自分の意識というセンサーが感じる感覚を信頼すること。
そして、望ましい近未来を描き、抱き続けること。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「これでいいのだ」という名言

飯舘村の冬の風景 photo 宮本章光

「これでいいのだ。」
天才バカボン(バカボンのパパ)の名セリフです。ご存じない方はないと思います。

いえ、まったく今の世の中、このままで良いわけがありません。
しかし逆説的ですが、それを「このままではダメだ!」と叫んでしまうと、その瞬間、いとも簡単にその波動に完全に意識を乗っ取られてしまいます。
これほど簡単に、しかも完全にシンクロしてしまうのは、この世に生を受けてからずっとその物理世界に生きてきたため、その展開が染み付いて取れないレベルのクセになっているのでしょう。

よくない目の前の風景は、よくない意識と思考の集合意識が作り出した過去のアカとカスの生成物。
たわしに洗剤ふりかけてゴシゴシと擦っても、次から次へとさらに多量の汚れが湧いてくるようなイメージでしょうか。
なぜなら、汚れを落とすその先から、さらに輪をかけてアカとカスをどんどん生成しているのですから、まさに蓄積するばかり、カスの山が巨大化するばかり...。


もうこれ以上は書く必要はありませんね。
この2年間、苦しみ抜いてようやくその仕組みを理解し、それを乗り越えたはずですから。
そして、
やっとの思いで辿り着いた境地。そしてその壮大な仕組みとその乗りこなし・使いこなしのテクニック。

どれだけ多くの人たちに、現実逃避論だなんだかんだ、と蔑まれても、もうビクともしない方々ばかりでしょう。この場で日々ご縁を繋いでいただいている皆さまは。
他人が何を言おうが関係ありません。
当然、浄化は大半のプロセスを終え、正負・善悪をともに認め尊重する境地に至っていることが大前提です。

ひたすら、望むこの先の風景を描き続ける。
ひたすら、なりたい姿をイメージし続ける。
それが、わたしたちに課せられた役目ですし、自分から手をあげてその役を買って出たのですから、それを全うしましょう。
これ以上の巨大なパワーは存在しないのですから。


---叫ばないと死ぬぞ!
---行動しないと権力者の餌食になるぞ!
そのように、いつまでも踊り続ける人たちがあります。
でも、
そこにフォーカスし続けるから終末と滅亡へのタイムラインは永遠に変化しませんし、そしていよいよその期限が指折り数えられるほどに迫ってきたのです。
そのタイムラインは終末と滅亡に至ることが確定しているのです。決して変わることがありません。
人類の文明、失敗をいつまでも繰り返し、これで第6回目の正直とされながらも、なお学び進化することができていない証明です。

それならば、
わたしたちは何をすれば良いのでしょうか。
どうすれば、第6種族としての人類は進化できるのでしょうか。


その答えは。
もう一度書きます。

ひたすら、この先に望む風景を描き続ける。
ひたすら、なりたい姿をイメージし続ける。
それが、わたしたちに課せられた役目ですし、自分から手をあげてその役を買って出たのですから、それを全うしましょう。
当然、浄化は大半のプロセスを終え、正負・善悪をともに認め尊重する境地に至っていることが大前提です。


だからこそ「これでいいのだ。」
確かに名言だと思います。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

枝分かれするその先にあるもの

春を待つ photo 宮本章光

数えきれないほどに枝分かれした樹木。
その先にあるものは何でしょうか。

蕾、それとも実でしょうか。
植物の場合は、それは蕾として花開き、再び実を結び次世代につなぐのかもしれません。
そして驚くべきことに、
多くの木々・植物は「フィボナッチ数列」によって枝分かれしてゆくと言われています。

フィボナッチ数列:
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144...

この数列。あまりご存知ない方があるかもしれません。
「その数字の前の2つの数字の和がその数字に等しくなる法則」です。
ですが、
こうした「数字を見るだけで拒絶反応を起こしそうになる」部分を理解しなくても自然界にもそれは存在し、多くの木々の美しい枝分かれがこの数列に則って行われているといいます。
パイナップルのかさ、ひまわりの種、松ぼっくり...常に検索上位に出てくるフィボナッチ数列の自然界の事例です。
人体の気管支だとか、血管の臓器内での枝分かれもこうした法則に基づいているのだと。
もっとミクロ・マクロに視点を変えますと、DNAの二重螺旋構造や、台風の渦そして銀河宇宙の渦についても、この法則に則っていると言われています。

また、
黄金比と呼ばれるモノが美しく見える比率も、フィボナッチ数列の隣り合う数字の比と一致した値となる「1:1.618」だと。
よく語られるのは、
黄金四角形、黄金螺旋とも呼ばれ、写真の構図に必ず出てきます黄金比の図形そのものです。
アンモナイトや葛飾北斎の嶽三十六景に、線を引いてその比率を示している記述は、webに溢れています。
あと、猫が丸くなって眠っている姿もフィボナッチ数列の比率に合っているのだとか。(ネコの場合は例外もあるでしょうが)


少々アタマが痛くなったかもしれませんのでここで線引きします。
木々の枝分かれした先。それは、わたしたちの意識の行き先なのかもしれません。
人の数と同じだけ、約70億だとか80億といった行き先があること、容易にイメージできるのではないでしょうか。

いわゆる、日月神示・大日月地神示で語られる「御霊相応(みたまそうおう)」に行き先は決まるのだと。
そのために、自ら磨き高めます。
そして、どの道を選択するのかは、人それぞれ。
滅亡と終末のタイムラインにしがみつくのも、それはその人の選択であり、そこにしがみついていると滅ぶぞ死ぬぞ。と叫び続ける必要がないことを悟りましょう。


自分はどれを・何を選択するのか。
そして、現状の意識ならどこが「相応」なのか客観視し感じられるように。
少なくとも、現状の混乱にフォーカスしている限りは滅亡と終末からは逃れられないのですから、自分の意識を合わせる先を見極めたいものです。
もう、ガラス窓の向こう側にある混乱を見る必要さえ無くなったはずですから。

そのために、最低でもこの2年間、自らの魂を磨くべく、もがき苦しみ模索してきたはずです。
そして、より望ましい行き先を選択できるよう、更に磨き続けます。

旧来のタイムラインを選んだ方々、さようなら。これまでのご厚情に感謝申し上げます。
そして、
ご一緒しませんか。新しい平穏平和な世界創造に向けて、新しいタイムラインを選択なさる皆さま。
心の底から湧き上がる、ポジティブ方向の熱い思いを一つに束ねて。
わたしたちの意識を合わせる先が、枝分かれしてゆくその先の未来を創り出します。
大空に広がる枝先のように。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

真実探しの旅を終える

飯舘村あいの沢 厳冬の水芭蕉の沼を歩く photo 宮本章光

〇〇探しの旅。
XX探しの旅。

そんな言葉はもう昔のものになるでしょう。
そんな言葉が存在する世界はもう過去のものになるでしょう。

なぜなら、探す必要がない世の中になるからだ、と語られています。
もう真実を探し求める必要はありません。それは自らの心の中に存在しています。
自分の心に訊けば答えが見つかります。
いえ、頭で考えるのではなく、心に訊くのです。


すべては必要な学びのための体験でした。

心音が弱くなり胎児の安全が危惧される...と診断され、へその緒が首に絡みつき窒息しかかっていた状態で、予定より一ヶ月早く産まれてきた出生。鉗子で無理に引き出されたことにより、首と頭の骨はズレを起こし、耳も変形したまま現在に至ります。
肺が弱いと言われ毎週のように風邪を引きながらも、骨の成長が早すぎるのが原因だ、と足の成長痛に悩まされ、現在の常識では免疫を司るとされている臓器を、発熱の原因になるからと切除された子供時代。利権にまみれた医療の闇を、すでにその時点で重要な体の一部分を失うという形で経験していました。
人に合わせることに激しく抵抗しながらも、それを行うことで周囲が穏便に進むというこの不合理な社会を知ったのは幼稚園から小学校までの時期でした。
人と遊ぶより図書室に向かう幼稚園児。人の考えていることが少しだけ見えるような体験を重ねました。

もっと幼い時期には、夜間のベランダに宝船のような水色の船に乗った妖精が出現した記憶も鮮明に残っています。夏の夜、ベランダの窓を開けたその場にフワフワと浮いていた存在がありました。
その時に抱き抱えてもらった祖母(と記憶。叔母の可能性も。)は、この場でも何度も記しましたような「貴重な教訓となる言葉」を多数残してくれました。
この記憶は夢の中の出来事なのかどうかはっきりしていないものの、当時の家のパーツや釘、色やサビなどの状態や位置までも克明に関連づけられ、現在でも極めて鮮明記憶していますし、その時の寝間着の色や布の質感まで記憶に残っていることから、幼少期の実体験だと確信しています。
抱き抱えてもらった祖母に聞こうにも、もう存命せず叶いません。


こうした「見えないものが見える・見えないものを感じる」ことができた幼少期から子供時代。
いま、
この年齢期の感覚に戻るタイミングを迎えたのだと心が伝えてきています。
そして、それに合致した世の中の動き。いえ、それは混乱の風景ではなく、精神世界に関する急激な現在の展開のことです。

忘れていたもの・忘れていたことを思い出すだけだ、と語られていますように、当時の感覚が甦りつつある現在の状態を楽しんでいます。
ええ、パブリックスペースにこうした文字を記すのは、少し前までは精神異常か狂った感覚。とされたかもしれません。ですが、強い確信を持って感じるものがあるからこそ書き残しています。

ノイズに流されず、新たな世の中を創造して参りましょう。
共感・共鳴し、ご一緒できます方々とともに。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

静寂を醸し出す空気感

飯舘村あいの沢2020年1月 photo 宮本章光

本日、2022年1月20日。
随分と街が静かになってきたように感じます。
カラスの鳴き声も嬉しそうに聞こえます。
実際に静かなのかどうか、測定器で測ったものではありませんので不明ですが、空気感に大きく変化が出ているような感覚があります。

この場でご縁のある方々、随分と変遷を辿ってきました。
現在は、日に何度もお越しいただく、あるいは連日必ずお越しいただく、そうした方々を意識した内容に大きく振っています。

ノイズは耳に入らず、混乱が目に見えることも僅少となりました。
それは、自らそこにフォーカスする行動を止めるだけで実現します。
同じように行動される方々が、似たような・あるいは同じ周波数でシンクロするのだと感じています。
去って行かれた方々へもあらためて御礼を申し上げます。もうこの文字自体をお読みいただけないと思いますが。


体調不調を訴える声も散見されます。ですが、自ら進んで毒物を体内に入れた人以外なら、その不調も浄化の一貫だと伝えられています。
それは注射針を通してだけではなく、口にするものが極めて重要であることを何度も記しましたので、もう説明の必要はないはずです。

苦しい階段を上がるために超えるべきハードルによって不調に陥っているのか、あるいは本当に病に侵されているのか。
後者の場合は惜しまず治療にかかる必要があるでしょう。他人には判断しかねますので転嫁なきようご容赦のほどを。
病として認識するのかどうかは、結局は自らの感覚が教えてくれるように思われます。


氷結した湖面に臨むこの瞬間のように、ひたすら静寂を求めることで到達できる意識。
それは、
一人ひとりの心の中から湧き出し、そしてそれが現実となってゆくことを実感できる瞬間です。
それは、
負の要素を十分に浄化(あるいは大半を浄化)したからこそ到達できる感覚かもしれません。
まだ固着した古い感情が残っていますが、もう焦点を外し消滅するのを待ちたいと思います。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

氣を感じ・氣を集め・氣と語る

飯舘村に集まる素晴らしい氣 photo 宮本章光

氣を集める。氣と語る。
信用できない人たちは、まだまだ多いでしょう。
なにしろ、目に見えないものですから。

わたしは、氣とはエネルギーの存在であることに氣がついてから、積極的に会話できないか試みています。
もちろん多くの場合、うまくゆきません。
そんなに都合よくエネルギーに触れたりコミュニケーションしたり。そんなことできるワケがない。
と思っていましたし、現在でもなかなか思うようにはゆきません。

ただ、一つだけ確実だと感じていること。
それは、
力を入れて肉体的に力んでいるときには100パーセントうまくゆきません。
そして、絶対に見つけてやろう、だとか、必ず触れてみせる。といったような意識を持っている場合にも100パーセント成功しません。

別のことに夢中になっていたり、あるいは、完全に力が抜けている状態だったり。
そんな瞬間に、ふっと心に入ってきます。
以前は、背中から寒気がするような感覚がありましたが、これはネガティブなものだったようです。
似たような感覚に陥った場合にはすぐに逃げることです。いわゆる負のエネルギーなのでしょう。
現在はそうした寒気を「後ろ側から」感じることは皆無になりました。


眺めのよい高台へあがりますと、厳しい寒さを忘れるような清々しさを感じます。
そして、そこに存在する孤高の樹に意識を合わせてゆきますと、こうした体験が可能になります。
事前に何ら意識せず、心地よさと清々しさだけに焦点を合わせていった結果です。
もちろん、手足ともに指先は冷えますし風は冷たい厳しい環境ですが、それらさえも忘れさせてくれます。

樹の背景にはやはり何らかのエネルギーを感じる存在があったに違いありません。
もう同じ風景は二度と手に入りません。一期一会という言葉はこうした瞬間のためにあるのだ、と理解できます。


氣を感じ・氣を集め・氣と語る。
力を抜いたとき、無意識な状態であるときに可能になることを体験しました。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ペチャクチャ喋らずに食べなさい

2022年の味噌作り photo 宮本章光

「ペチャクチャ喋らずに食べなさい。」

いま、このワードを書きますと誤解が生じるリスクがありますので、まず初めに。
全体主義と監視化奴隷化の流れは、ついに黙食(モクショク)などという馬鹿げた洗脳を始めていますが、それについて語るものではありません。
当然、そうした狂った流れには同意できませんしその動きに追随するものではなく、食事という行為とその場の意識についての内容です。
この狂気の沙汰に触れるだけで著しく意識レベルが落ちますので、ここで前置きは終えます。


「ペチャクチャ喋らずに食べなさい。」
それは、
いまから50年以上前に、祖母(96歳で他界)が幼少期のわたしに対して語った言葉です。
その意味は、
「しゃべりながら食べると、食べ物として命を捧げてくれた生き物たちに感謝する気持ちを忘れてしまう。」
「だから、余計な・必要のない会話を慎み、口にする食べ物にお礼を伝えながら味わいなさい。」
ということでした。

テレビを見ながら食事をしない。という教育もここに通じるものだと思います。
余計な思考が入ってくることで、食事をする・食べ物をいただいている、そのような意識が消え失せてしまうからです。
もちろん、
食事という機会は、コミュニケーションの場としても役目を果たしているはずで、会話そのものを全否定するものではありません。


祖母の言葉は、以前から色々と(他SNSも含め:「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす note.com[Link])この場に記してきました。
50年以上もの年月が経過してもなお、その真意が色褪せずに強力な波動を伝えてくれることに驚いています。

この期に及んで、その言葉の奥深さを噛み締め、食べ物としてその命を捧げてくれる動物たち、そして果実や野菜という形でエネルギーを与えてくれる植物たちに、御礼とともに感謝の氣持ちを忘れてはならないと思います。
また、
四つ足の生き物は本来は口にすべきではなく、必要最小限にとどめるとともに、一口ごとに感謝を忘れないようにしたいものです。
先人の言葉も話ずれずに。


今年、味噌を手作りしてくれています。
このあとの工程が大変なようですが、わたしは料理に関しては完全に素人で、むしろマイナスレベルのスキルなのでここで語れるだけの下地がありません。前段階の写真を撮って終わってしまいました。
が、健康第一と、本来の人間の生きる道を模索しながら色々と展開してもらえることに感謝しています。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ネガティブ波動を放つ側には裏がある

1月つぼみはまだ固く photo 宮本章光

「ネガティブ波動を放つところには裏がある。」
2022年1月になっていまさら感が漂いますが、炙り出された現実を見ています。

いつもいつも反対ばかりをやっている日本人。ですがここでもう一踏ん張り。
昨日の記事のように、もう夜が明けていることは明白なので、わたしたちが自分から起き上がる時ではないかと思います。
それなのに、
目が覚めている、とされる段階の人たちが、ここに来て大挙して落とし穴にハマってばかりです。


負の感情である、怒りや恐怖に代表されるエネルギーをしっかりと見極めて手放しましょう。とアドバイスを受けていたはずの2020年と2021年の2年間。
このタイミングで浄化の作業を一切行っておらず、あるいは「ポジティブごっこ遊び」レベルで、単にネガな感情に蓋をして見ぬふりだけをしてきました。
その結果、
この2022年の極めて重要なタイミングを迎えているにも関わらず負の感情に取り憑かれ、そのエネルギーを撒き散らすマシンに成り下がっている事例が多数。

行動は大切だ。行動なくて未来なし。
といったようなイメージで、物理的にもネガなエネルギーを激しく撒き散らします。
確かに心理的も肉体的にも発散できるでしょうしスッキリするのかもしれません。ですが、それはもうこの2年間で済ませておくべきことでした。
そして、現在のこの重要なタイミングでは、しっかりと学び成長を果たした、心の中にある意識という巨大な力を使いこなす時間を迎えています。
いえ、浄化は本当に大変で大きな苦しみを伴います。現在の自分自身も。まだ続いています。
ですが、この場でご縁のある方々には、もう釈迦に説法・もう満腹状態かと思われます。


ここで炙り出されたものがあります。
学んだはずでした。浄化したはずでした。これまでの期間に、です。
にも関わらず、
この期に及んで・この時期になってから「いきなりネガティブ波動」を撒き散らし始めた方々。

その裏に何があるのか。
もう説明の必要はないでしょう。負の感情・負のエネルギーが足りなくなってきているのです。
権力者が一般人民を奴隷化し続けるためには、以前から何度も触れてきましたようにネガティブなエネルギー(ルーシュ)を持って恐怖や怒りを根底に抱かせ支配する方法が必要でした。

多くの人が目を覚ました結果、その負のエネルギーがどんどん消滅しているのだと予想できます。
そのために、まるで憑依されたかのごとく、いえ実際に憑依されているのでしょう。支配者側の罠や落とし穴にハマり、負の感情やエネルギーを撒き散らすばかりの人が現れています。

あるいは、
もうバレバレ状態で、支配を続けたい側の人々でしょうか。
今後は、明るく軽いエネルギーが必要ですよ、と十二分に伝えられている時期になってから、再びリターンして逆噴射しています。
ここで、それらに「もう一度、まだ騙される?」のはちょっとどうなっているのですか?状態です。

導き出された答えは、
ネガティブ波動を誘引し続けるのは、そのエネルギーを自ら必要としている人たち。だと自ら証明し名乗り出たのと同じことではないかと。
はい、浄化は必要です。
けれども、その時期はとっくの昔に終わりました。そしてその段階は卒業なさったはずでした。


かつて、SNSは○○発見器。という言葉がありました。
いま、webは、負のエネルギーを必要とする人たちを炙り出しています。
物事には裏があります。
そして次のステップでは、善と悪、正と負、プラスとマイナスをともに認識します。
続いて、
ともに尊重し、ともに受け止め受け入れます。その後、ニュートラル地点を認識した上で、これからの世に必要なものだけを選択して行きます。
いま、その時期をわたしたちは生きています。くれぐれも自由意思という名の「選択」を間違えませんように。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

夜明け前が最も暗いと言いますが

夜明け前が最も暗いと言うが photo 宮本章光

よく語られる言葉です。
「夜明け前は最も暗い」。

確かにそうでしょう。また、夜明け前は最も寒い時間帯でもあります。
しかし、
もしかすると、もう夜は明けたのではありませんか?
もしかすると、もう気温も上がりつつあるのではありませんか?

少し前には、もう夜が明けていたのかもしれない。
そのように感じる心、そのように観察する客観的な視点も必要ではないかと思うのです。
そして、
実際に、すでに周りは明るくなってきており、気温も僅かながら上昇している。という状況を想像してみてください。


混乱にいつまでもフォーカスしている人たち:情報をいつまでも追い続けている人たちが依然として多いように見えます。
また、
この場のように意図的にそこからフォーカスを外していると、現実逃避論だ妄想家だ何だ、と否定ワードを投げてくる人たちも。
尤も、最近はそのような声もなくなり、そうした波動を「好み・望む」方々は去ってゆきました。
周波数が完全に外れた証だと感じています。

現実問題として、まだまだ夜明けを肌で感じることはありません。
でも視点を変えてみますと、その下地が整い盤石な基礎がすでに出来上がっていることを感じられるはずです。
さまざまな(それは他星系存在まで含む膨大なエネルギー)助け・援助によって、目に見えない部分が整えられてきたことを知ることができますし、実際にそこに意識を合わせてゆきますと、その成果を感じ取れるレベルになったことが判ります。

「あとは人間の出番だぞ!」と、何度も何度もアドバイスが飛んできているにも関わらず、それを感じようとせず、いつまでも救世主を待ち続ける。そして、その行動の行き着く先は「終末と滅亡」なのですよ。と繰り返し伝えられているにも関わらず。です。

それが必要な学びですから。と自分のシナリオを書いてきた人はそれが台本なのでそのまま踊っていれば良いでしょう。
そのまま行き着くところまで行って消滅するタイムラインとともにThe Endです。
しかし、
ご自身がそうではないシナリオを持って今世を生きている、とわずかでも自覚があるのなら、そして終末と滅亡のタイムラインを「希望しない」意志を持っているのなら、そこから離脱してください。
自分の意識を自分自身で切り替えて、望ましい近未来を描くこと。そうすることでその意識が具現化し目の前が変わってゆく。
もう十分に理解できていたはずです。

こうして視点を切り替えたのなら、周囲はもう夜が明けていたことが見えてくるでしょうし、気温も少しづつ上がってきていることが判るでしょう。
そうなのです。もう夜は明けていたに違いないのです。さまざまな援助・助けによって実現していたのです。
それなら、もう夜は終わったのですから、わたしたち人類の出番です。
望ましい世界・望ましい近未来をしっかりと描くこと。もうこのフェーズに入っているはずです。

いつまでも夜明け前は一番暗い。頑張ろう。
などと念仏を唱えていても希望する未来はやってこないのではないでしょうか。
道は一つ。何にフォーカスするのか。
そのエネルギーを見極め、そのエネルギーに周波数を合わせ、それを完全に信頼し(渦の方向を決める)あとは委ねる。
力を合わせるのはココなのです。一緒に築き上げてまいりましょう。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ゆっくりして行きなさい

木々に挨拶を交わす phot 宮本章光

昨日の記事にも書きましたが、木々も語ります。
いえ、言葉にはなりませんし明確な判別・判読は一切叶いません。

しかし、そこに何か感じるものがあればそれを受け取ってみようと試みる行動は無駄にはならないでしょう。
これからの時代は、そうした才能が必要になるとされ、すでに「何かを」感じることは可能になってきつつあります。
氣を感じる、というそのものの正体が、エネルギーの波動であること。各所で語られている通りです。
単なる妄想ではなく、目に見えないだけのことなのですから。


頭上に覆い被さるように存在する多くの木々。
---ゆっくりしてゆきなさい。
---ゆっくり歩みなさい。
そのようなイメージの氣を投げかけていたように思われました。

そよ風に揺れる枝は、一部は夕日に輝き、またある部分は早い日の入りに備えて佇んでいます。
そこには、第一密度や第二密度の衣を着た魂が宿り、第三密度の衣を持つわたしたち人間に会話の機会を与えてくれます。
すべての生命は、それぞれ生存する意味と意義がありこの地に生きています。

もう、馬鹿げたことを続けるのはやめましょう。
自分の心の中から抜け出せば、そのあとにタイムラグを伴って目の前の風景は変わってゆきます。
それだけのこと。
たったそれだけのことさえもできずして、どのような面(つら)を下げて彼ら木々の前を歩くことができましょうか。
それでも、偉そうなことを垂れるだけの人間を分け隔てなく迎えてくれるのです。
彼ら第一密度・第二密度の生命たちは。


ゆっくりして行きな。
ゆっくり歩きな。
そんな彼らも、わたしたちの貴重な仲間であり家族である、と伝えられている通りであることを実感する瞬間です。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

撮って!と語りかけてくる

印象的な老木の関節 photo 宮本章光

この木は、この瞬間にこの場所でここを撮って!と伝えてきたように感じたのです。
そんなバカな!
木は話すことはないんだからさ...。

果たしてそうでしょうか。
何らかのエネルギーを感じたからこそ、その山道で立ち止まり撮影に及んだのです。
折しも、そのまるで関節のような節にスポットライトが当てられていたのですから。

その節は苦しい痛みを伴った事故の傷跡だったのでしょうか。
それとも、活発な成長を残した勇者の印だったかもしれません。
あるいは、天災によりダメージを受けた歴史の記録だった可能性もあります。

すでに本体は朽ちていたかもしれません。
しかし、そこから発せられたシグナル・エネルギーを感じなければ、この一枚の画像はこの世に残っていません。
こういった氣を感じ取ることで、心のセンサーは感度を上げ精度を高めてゆくのだと思っています。


はい、確かに「道の分岐」は確定したようですね。
古いピラミッド社会は、すでに意識の中からは薄くなりつつあります。もちろん現実の社会を否定することはできませんので、目の前の世界は直視しなければなりません。
ですが、ガラス窓の向こう側に「見えているだけ」になると伝え続けられてきたこの二年間の意味が、ようやく実感を伴って理解できるところにまで到達したようです。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

自分の道を人に聞かなくていい

秋から冬に向かう夕日 photo 宮本章光

自分の道を選択するのに人に聞かなくていい。

もちろん、
他の人の考えを参考にする目的や判断の材料を増やすこと、選択肢を増やし氣がつかなかった部分を知る、といった目的もあろうかと思われるため、耳を塞げ、という意味ではありません。

ところが、
自分の意見を持たないまま他人の意見に揺ら揺らブレまくっている姿。このところよく見かけます。
もちろん、自分自身も軸が定まらず流されることがあります。ありがたいことに最近は減ってきている感覚はありますが。

肝心なことは、自分の軸・柱・筋を持っていれば揺れ動かないはずなのに、それをまったく持っていないこと。
そして、持っていると思っていても、それは「根」がしっかりと生えていないことが多いのではないでしょうか。
根っこが土の中にしっかりと張り巡らされていれば、多少の風が吹こうが踏みつけられようが、その土台からいくらでも再生ができるのです。
それなのに、
土台が皆無ですから、引っこ抜かれたらそれでおしまい。踏みつけられたらそれで自分の存在は消滅してしまうのです。

そのようなケースでは、学びがまだまだ足りないのかもしれません。
まだまだ...という言葉は、こういう場合に使うのであって、しっかりと取り組み自分で階段を上がってきた自覚と確かな手応えを持っているのなら、その時には「まだまだです」などと謙遜を交えて発言すべきではないでしょう。

着実に進歩を感じながら、でも頭は低く感謝を忘れない。そして逆風やノイズに惑わされない。
ノイズにしかならない他者の垂れ流しSNS記事の発言に耳を傾けるほど、あなたの進化・進歩は初級段階だったのでしょうか。
ゆらゆらグラグラ、ブレまくりの人が増えてきているように感じるので、ここでいま一度自分の心に聞いてください。
自分の直感は何を選択していますか。
自分の道を選択するに際し、尋ねるのは自分の心の中であり、他人に自分の道を聞く必要などまったくありません。
自分がブレてきたために周りにその現実が増えてきたのでしょう。
再度の仕切り直しです。

動物を見習い、植物を見習いましょう。
彼らは、人の言葉にグラつくことなど一度たりともありません。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

シンクロが起きる感覚

疲れた蜘蛛の巣 photo 宮本章光

周波数が合致すれば、あるいはそれに近づけば、さまざまなもの・さまざまなことにシンクロが起きてゆきます。
そして、その速度がかなり早まってきていることを体感しているはずです。

もし起きないのなら、その対象とは合致していない。
もしくは、タイミングがズレる要素・要因が存在しているのでしょう。
ただ、
自分でその周波数を感じ取るようアンテナを向けなくては、そのエネルギーは感じられないのでしょうか。
そのような努力をしなければ感じ取ることはできないのでしょうか。

完全なシンクロが起きれば、そんな努力などせずともストレートな感覚で迫ってきます。これは実体験に基づいています。
しかし、ある程度はそこへ意識を向けなくては感じられないケースが多いようです。
そういった類のエネルギーに対して、常時センサーがキャッチするような仕様ではなかったのでしょう、これまでのレイヤーでは。
ですので、少しは意識の先・フォーカスする先に注意を払ってみることで感知できるかもしれません。

そこまでやってみてもシンクロが起きない。というのなら、それは完全に周波数がズレている証明でしょう。
元々、合致する波動ではなかったのです。
そして、無理をしてエネルギーを感じよう感じよう...とやってしまいますと、今度はシンクロ「しない」というエネルギーに合致してしまい、いつまでも交わらない平行線が続きます。これも実体験に基づいています。

だから呼吸というリセット方法、クリアボタンのような役目をする手段を持っておきましょう、ということなのです。


何にしても、どこに関しても、いつまでも何もシンクロが起きない・感じない。
それは、
もう求めるエネルギーが存在していない可能性もあります。
このまま消滅し行く旧来のレイヤーに置いてきぼりになったか、あるいは、先走りすぎてまだ期が熟していないか、いずれかに違いありません。
後者なら、いずれ周りが追いついてくるでしょう。
前者なら、恐らく恐怖や不安や怒りのエネルギーが渦巻くので、その激しい違和感にすぐ氣がつくはずです。

「ごっこ遊び」しかやってこられなかった方は、ネガに蓋をすることしか覚えていませんので、前者のようにいつも違和感に苛まれているのではと思われます。今後その道を進む限り、さらに激しく苦しむ可能性がある、とも伝えられています。
最終的にはその道は、やはり終末と滅亡に至るのでしょう。

ともあれ、心のセンサーを磨き意識の振り子がどちらに触れているかを大切にする生活を心がけたいものです。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

もっと息を吸って空気を取り入れる

飯舘村の冬を眺める photo 宮本章光

本当の意味での呼吸が満足にできない人が増えているように感じます。
もっと「息を吸う・息をはく」という動作に意識を向けるようにしたいものです。

言葉を話す前には、息を吸ってから語りはじめます。そうしなければ途中で息が続かなくなります。
わたしは、FMラジオ放送でお話しをしている時代にそれを痛感しました。
ご自身の動作を振り返ってみてください。
満足に息を吸わずに、そのまま喋りはじめていませんか。
そして、
結局、フレーズの最後まで息が続かずに途中で息を吸う。
これを「息切れ」というのです。

水泳ではどのように呼吸をしているでしょうか。
息を吸う前には、水中で吐き続けます。だからこそ水面に出た瞬間に吸えるのです。
呼吸が乱れ途中で続かなくなってしまえば水を吸うことになり溺れます。
また、
楽器(管楽器や声楽)演奏の経験をお持ちの方も多いでしょう。
ブレスのタイミングは、フレーズやパッセージの途中で「息切れ」しては音が続きません。
それに、フレーズの途中でブレスを取ってしまえば音楽が台無しです。

あるいは、
朗読の語り手ならどうでしょうか。
学生時代の恩師がいつも例えで語った言葉。
「弁慶がな」
「ぎなたを持って」
ってな言い方にすれば意味不明やろ?と。
「弁慶が薙刀をもって」や。文節には意味があるんや。と。


いま、極めて重要な時間を過ごしています。
心身ともに息切れするわけには行きません。

内面の浄化は本当に大変でいくらでもアカやカスが出てきます。まるで布団叩きのように。
でも、
息を深く吸うことで一瞬にしてその場をリセットできるのではないかと思うのです。
数回、深く吸う動作を続けるだけで、モヤや霧が一氣に晴れる経験をお持ちの方も多いでしょう。
そのクリアな感覚を思い出してください。
もっと大きく息を吸って新鮮な空気を取り入れてください。

だから、支配者はそれを阻止する行動を強要しているのです。バカなことをいつまでもやっていると結局は自分自身をダメにし、借り物である肉体にダメージを与えるだけです。ホントにおつむの弱い人間ばかり増えたものです。
借り物を痛めつけたらその代償を払うのは自分自身です。
最終的には因果というマイナスポイントを大量に溜め込みます。背負った因果は必ず解消しなければなりません。

滅亡・終末という絶対に避けられないタイムラインを離脱する準備は進んでいますか。
不要なエネルギーにフォーカスを合わせないことです。
そこに浸って救世主を待っている限り、その渦に引き込まれて消滅するのはあなた自身です。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「騙される」を通して学ぶこと

堰堤に苔むす photo 宮本章光

騙(だま)される人は何度でも、そしていつまでも騙されることが多いのかもしれません。
いえ、それが悪いとは思いませんし、ご自身にとっては必要な体験だったのでしょう。
そうやって体験を積むことによって成長してゆく、その場所がこの地なのですから。

わたし自身も数限りなく騙されてきました。失敗しました。痛い目に会いました。恥ずかしい思いもしました。
この場の過去のアーカイブにも誤りや過ちが数多くありますが、そのまま残してあります。
自らの成長記録だと思うからです。但し自分で振り返ることはほぼありません。


悲しいかな、騙されているその時には「騙されている自覚」がゼロです。
本人は氣がつきません。裸の王様よりもさらにひどいかもしれません。
ただ、この期に至って感じはじめたことがあります。
それは、
騙されている、と、感じない本人はその目の前の世界が真っ当な世界なのです。
それぞれの人が見ている現実(という名のMatrix=VRゴーグルを通して観ている現実というゲーム)は、それぞれ個々人にとって正しいと感じるスペクトルに合致しているなら、それはそれで良いではないか。と。

騙されている、と、他人に対して感じるのは、自分の意識です。
自分の意識が、他人という現象を通して揺れ動いていること、他人という現象を変えたいと思っていること。
それは、過去にも陥ったことのある「他人を変えようとする意識・自己承認欲求」がまだ残っている、ということなのだと。


騙されている、とされる人たちは、そうやって自分で体験をし成長を重ね、
騙されている、と他人を見る自分自身は、そこにまだ浄化し切れていない「今後は不要な要素」を発見することになる。
はい、確かに永遠に学びと成長は続きます。

人という外側にある対象の中に自分を見つける。
良い勉強ができたと頭を下げる。
そういうことなのでしょう。
確かに学びと成長は続きます。そして、望ましい・希望する世界を創造する精度と確度を高めるのだと理解が進みます。
うまく伝えきれないもどかしさが残りますがご容赦のほどを。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

宇宙の否定は自分を否定すること

印象的な植込み photo 宮本章光

タイトルの通りです。
わたしが学生時代からずっと、そして社会人になっても「宇宙」というワードを含む話題に触れるたびに高笑いされてきた経験をこの場でも何度か綴ってきました。

まもなく、嘲笑してきた方々が高笑いされる番になりましょうか。
現在でも、宇宙に関する話題は興味がない・意図的に避けている...。そのような感覚で話される方々は少なくありません。
また、まるで「禁断のワード」であるかのごとく、その言葉の発音を聞くや否や、
「馬鹿なこと言うてんと、さっさと勉強しなさい。」
「くだらん話せんと、1円でも売り上げあげてこい!」
そのように、この話題を瞬時に避け、離れることが偉い、とでも言うようなレスポンスを返す人が極めて多いのです。


この宇宙には地球に住む自分たち人間以外には一切の他生命は存在しない。
それが支配者の洗脳であり刷り込みであったことが、まだ理解できないようです。失礼ながら、まだテレビを観続けている限り無理かもしれませんが。
しかも、この2年の混乱で色々と精神世界を学んだはず、宗教の洗脳やメデイアの洗脳をしっかりと理解したはずの人たちであっても、です。
いわゆる、食わず嫌いというのでしょうか。あるいは洗脳が深すぎて骨髄反射するクセが治らないのでしょうか。

まぁ人それぞれですから、自分の直感が正しいと感ずるまま生きて行かれれば良いと思います。
しかしながら、
人ひとりの考えなど及びもつかない大きな宇宙の摂理があるものです。
その極めて大きな、そして重要なポイントが、いまこの時代、まさに今なのですよ。と伝えられています。

自分のセンサーが腐っているから判らなかっただけかもしれないな。と、俯瞰して第三者的に考えることさえもできない。
それも「今世の学び」として必要だったのでしょう。そのように自ら脚本を書いて契約書にサインして生まれてきたのですから当然かもしれません。


残念ながら、その意識を持ち続ける限りその延長線上にある「終末と滅亡」は避けようがありません。
そんなことはない!と反論しても、決まったスケジュール通りに宇宙のカレンダーは進みます。

否定をし続ける限り、その否定がネガティブ要素をますます増幅し、それを具現化させてゆきます。
馬鹿なこと...と思ったとしても、はて、やはり他生命も居るかもしれないな。と思いを巡らせるだけでも良いのです。
そこから別のタイムラインを選択する可能性が生まれてくるのではないでしょうか。

宇宙だ?宇宙人だ?バカ言ってんじゃないぜ。
と言い続けること、そのように考え続けること。それは最終的に宇宙の構成の一つでもある自分自身を否定し終末と滅亡のレイヤーに突入することを願っていると判断されても仕方ありません。


宇宙や宇宙人というワードに対し嘲笑し馬鹿にしてきた人たちは、まもなく本当にご自身が高笑いされる番になるかもしれません。
意識の潜在能力は、その人自身の未来を創造してゆきます。
望ましい目の前の風景を作るのならば、望ましい意識を保つこと。
あらためて一緒に歩みませんか。誰も終末と滅亡を望んでいないはずなのですから。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

意識をクリーンに保つために

飯舘村の冬 photo 宮本章光

意識に責任を持つ時代。
それは、言葉や行動に責任を持つのと同じだけ、いえ、それ以上の影響力を及ぼす潜在能力を知ればこそ大切にしたい感覚です。

その意識をクリーンに保つためには、
まず心のセンサーが研ぎ澄まされていなければ微細な変化を感じとることができません。
そして、
その感度を高め正確性を維持するためには、一瞬ごとに触れる外部のエネルギーを「選りすぐる」ことが必要だと思われます。

超高感度センサーに泥水や汚水を掛け続けていれば、いずれダメになるでしょう。
手入れし磨くためには、メンテの時間も必要でしょう。
捉えたエネルギーを正確に感知し判断するベースとなる肉体を健全に保つためには、口にするものに配慮する努力も求められます。

そして、何よりも大切なこと。
それは、超高感度センサーたる意識・心が感じるその変化を信用・信頼すること。
卵が先か鶏が先か...と同じで、まず信頼し切ることでさらに磨かれてゆくはずです。
日本語独特の「まだまだです」のような謙遜はここには必要とされません。

また、ここ数日続けていますように、
自分から能動的に触れてゆくエネルギー:集合体をしっかり見極め、関わるエネルギーを吟味することではないでしょうか。
もっと判りやすく言葉にすれば、関わる人を選ぶ。関わる情報を選ぶ。です。

その集合体に関わることで心身ともにリフレッシュするのならば良いことかもしれません。ですが一転してそのエネルギーを悪事に利用する存在が後を絶たない事実。ここにもっと危機感を持つべきではないかと。この世に性善説は存在していなかったのですから。
自分の外側に顕現化した過去の人類の集合意識が作り出した風景・舞台で踊り続けているようでは、いまここで創り出したはずの貴重なエネルギーが台無しになります。
現実に、そうした事例が報告されているのですから。
フォーカスする先と、その対象となるエネルギーを間違えていませんか。

有名な人だから。
著名な専門家だから。
フォロワーが多いから。

それ、何度も失敗してきた道ではなかったでしょうか。
テレビでよく見る専門家だから信頼できる...などという判断は大きな誤りであったこと。それと同じことを舞台は違えど、いつまでもやっているようでは、永遠にそのタイムラインから卒業はできないでしょう。
いえ、それが正しい、とご判断なさったのならば、それはご自身のセンサーの判断結果ですので他者は何も申しません。

意識をクリーンに保ち、その影響力の巨大さを認識し、今世この時代に生きている役目を果たしたいものです。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

自分を信頼し自信を持つ

飯舘村スポーツ公園の雪景色 photo 宮本章光

「自分を信頼し自信を持つ」
こうした文言を見ますと、その字面だけを切り取って現実逃避論だとか自意識過剰輩だとか、そういった吐き捨てのツマにされることが多かったのです。いままでは。
でももう過去のものになりました。
また、
そうやって放たれたエネルギーを受け取らなければ、それを放った本人に戻る仕組み。それがこの世の・この宇宙の法則なのですね。しかもそのネガティブパワーは、時と形を変えて放った本人にブーメランのように返り降り注ぐのですから。
言葉は慎重に選ぶこと、そして、望まない意識に不用意に焦点を合わせない。非常に大切なことだと思います。
昨日の記事のように、自ら抱くエネルギーに責任を持つ。そんな時代に入りました。


人にどのように思われるのか?それを心配している時点で自分の心は自分のものではない。
そのような言葉を見かけました。なるほど、と三回頷きました。
自分軸のことでもありますし、魂の成長のことにも受け取れますし、あるいはこれからの世の中に必要な意識の持ち方でもあります。

いま、世の中がイノベーター理論で語られる二段階目を満たしてきたように感じています。
自分の心に響く直感こそが正解であり、それを100パーセント信じ切ること。これに同意できる人たちの層です。

1.イノベーター:革新者=2.5パーセント
2.アーリーアダプター:初期採用層=13.5パーセント
3.アーリーマジョリティ:前期追随層=34パーセント
4.レイトマジョリティ:後期追随層=34パーセント
5.ラガード:遅滞層=16パーセント

革新者層と初期採用層の、いわゆる16パーセントを超えてくることで市場に急速に普及する、という、一度は耳にしたことがある有名な理論です。
それが正しいかどうかを語る以前に、肌感覚ではすでに三段階目を迎えているように感じます。
道は確実に進歩・進化していることが判ります。ガラス窓の向こう側は恐怖と怒り、そして欺瞞に満ちた世界なのかもしれません。すでに人の顔を見かけることも減りました。(ま、正月だったということもあるでしょうが。)

腐った「心」のセンサーを真新しい最新型に取り替えた皆さま、そのシグナルが指し示すエネルギーを100パーセント信用し、今後必要とされる力強いエネルギーフィールドを創り上げましょう。
但し、
間違っても、特定の扇動を目的にした集合体にその力を注がないことです。現時点の個々人のレベルでは、その力をネガティブに取り替えられるリスクをプロテクトする術はありません。
わたしたちはエネルギーを食べ物として取り入れなくては生きてゆけません。同じように、意識の波動をネガティブなルーシュとして喰う存在があることを忘れてはなりません。
騙される人は、いつまでも何度でも騙されます。せっかくこちら側に軸足を置いて進化を希望したはずだった人たちでも。です。
最新型センサーを丁寧にそして常に磨いている方は、その心が示す力を信頼することです。
大変くどい言い回しで失礼いたします。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

自分のエネルギーに責任を

ビル街を見上げる夜 photo 宮本章光

自分の発言に責任を。
自分の行動に責任を。

人間は成長に合わせて社会的責任を負うようになります。
集団の中で生活するために必要なこととして教育を受けそれを正しいものとして生きてきました。

はい、当然それは正しいものであるはずですし、秩序維持のためには必要なものであるはずです。
それを否定することはこの物質社会そのものを否定することになるわけで、この話題に関してはここに論点を置いていません。

子供の時代から、少しづつ・徐々に責任という考え方を養ってきました。
これからは、
同じように、いままでに培ってきたのと同じように「意識というエネルギー」に責任を持つフェーズに入ったとされています。

意識に責任を持つ。
自分のエネルギーに責任を持つ。

何や?それ?と仰る方は、周波数が異なるのでもうこの記事に到達しないと考えています。
ストレートに文字を綴っても誤解は起きないものと判断しています。

心の中で思ったこと。
心の中で感じたこと。
そのものが意識のエネルギーとして周囲に伝播する。ここに責任を持ちましょう。ということなのです。

考えただけで言葉にしなければ、何も影響ないだろうよ。
それはいままでの時代の考え方だったようです。
これからは、
心に思っただけ、心にイメージしただけでも、そのエネルギーは影響を及ぼすといいます。
しかも、目に見える範囲や音が到達する範囲...といった線形尺度ではなく、シンクロするすべての対象に対して。


MSM(テレビをはじめとするマスメディア)からはもう離れたよ。
と仰る方であっても、webやSNSの情報を追っている限り、そこで触れるエネルギーに大きな影響を受けます。
そして、そこに生じた・感じたエネルギーは、同期する対象へ伝わるとされています。

なぜならば、わたしたちの本当の存在はエネルギー体としての魂であるから。
本来の姿を思い出し、本来の目的である「自分が誰であり、何であり、何を目的として生きているか。」に氣がつけば、このうまくゆかない現実ゲームは終了です。もうゲームセットです。

名残惜しいでしょうか?
それならば、この地のような環境・経歴を持ち奴隷からの開放を待つ他星系に転生し、そこで苦しむ生命を助けにゆくのも一つの進化かもしれません。
ええ、そうやってわたしたちは、元々の星からやってきたのではなかったでしょうか。
自分から手をあげて希望してやってきたはずです。
最後まで役目を果たすべく、自分のエネルギーに責任を。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

群れる必要がどこにありますか

切り株の定点観測 photo 宮本章光

群れに身を投入することで安心感を得られるでしょう。
群れに身を置くことで連帯感や一体感を得られるでしょう。

しかしながら、その安心感や連帯感とトレードオフし差し出すデメリットについて考えたことはあるでしょうか。
群れるとそこにはエネルギーが渦巻きます。それはまるで一人の力以上にポジティブな感覚を得られるかもしれません。ですが、そのエネルギーはどこにも「プロテクト」はかかっていません。横取りし放題です。
そして、その横取りしたパワーがネガティブエネルギーとして使われる...。結果として牢獄惑星の開放がいくらでも遅れてゆく原因となる。
あなたは、そのリスクを防御できますか。

無知は罪。
そのように語られて久しい状況です。
知らなかった...けれども、結果として悪を利する結果を呼び寄せたのならば、それはマイナス点としての因果を背負います。背負ったマイナスポイントは、必ずどこかで精算しなくてはなりません。
それもこれも、両極を体験するための学習の場であるこの地には必要なことですが、逆噴射ばかりやっていてはマイナス点を溜め込むばかりです。

回りくどい・難解な言い回しになっている点はご容赦ください。こちらもパブリックスペースにオピニオンリリースする限りは、まさにそこに保険が必要ですので。


群れる必要などどこにもないはずなのです。
一人ひとりが心の中に備えるポテンシャルを本氣で信用し本氣で活用する「使い方」を忘れてしまっているだけなのです。
それを思い出し、本氣でそのパワーを発揮する時です。

どうすればそれを使いこなせるのか?その疑問に対する回答、それは。
それはご自身の直感が教えてくれます。そのためのリハーサルをやってきたのでしょう。この2年間はそのためにあったのではありませんか。
錆び付いて腐敗した心のセンサーは、昨年までにもう取り替えが済んでいるはずです。
真新しい最新型のセンサーで、心に響くものだけを選択してください。

「ごっこ遊び」しかできない人は、もう離れました。人のお世話の前に自分自身の浄化を進めることが先です。
自分を磨かずして、どうやって人に伝えることができましょうか。
(物騒な話をする意図はありませんが、航空機の非常時酸素マスクは、子供に着けるより先に親が自分自身の安全を確保して。と言います。その理由は、親が先にダウンしてしまうと親子とも両方がアウトになるからです。酸欠は一瞬で意識を失うからです。子供を思えばこそ、先に親としての自分の安全と意識の確保が必要なのです。
一つの例えとして書きました。)

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

息苦しい枠組みから脱出

自然と語る photo 宮本章光

今日から業務開始の方々も多かったことでしょう。
年々、正月という感覚が薄れて行きますが、それはそれで一つの流れで良いのだと感じています。
もちろん、新しい年という新たなエネルギーを導くためには、頭を下げ低くすることで受け取ることができる、という感覚は必要だと思われます。


自分の感覚ではAだから自分の意見としてはAなのに、会議の席ではBが大多数だからBに賛成しておく。
そんな世界。
もう必要ありませんし、消滅が確定している絶滅タイムラインでしょう。
これまでの生き方は、そのように従っておくことが「保身術」でもあったことと思われます。
しかし、
これからは、といいますか、もう既にその感覚で生きる時代は崩壊しています。

これからは、苦しい枠組みに無理に合わせてゆくような生き方をせず、明るく軽い感覚を選択したいものです。
いえ、ワガママを押し通せ、というのではなく。
いえ、好き勝手をやって人に迷惑をかけるのが良いというのではなく。

当然、旧来のレイヤーにしがみついて生きるのも自由ですし人それぞれ。
ただ、それは絶滅危惧種ならぬ絶滅確定タイムラインなのですから、時間を先送りし後になればなるほど苦しみもがくことになるのは自分自身です。
そして、
後になってから助けを求めても、後悔先立たず。その時点では「手遅れ」です。
いえ、もう現時点で手遅れかもしれません。
いままさに、肉体が悲鳴をあげている人たち。それが今世で学ぶべきことだったと人体実験なさっている通りです。
後悔先立たず。

そこまで大袈裟な話しをするまでもなく、息苦しい枠組みから出てみるだけで世の中は変わってゆきます。
但し、最低でもこの2年間で浄化を進めて来なかった場合には、想像を絶する壮絶な苦しみを乗り越える必要があるとされ、その時点で挫折することが確定するために、すでに現時点でさえも「ことすでに遅し」なのだといいます。

しっかりと浄化を重ねてこられたみなさま、うれしうれしの世をつくるためにともに歩みましょう。
そのためには、まず自分自身で自分を縛る息苦しい枠組みから脱出することではないでしょうか。
旧来の仕事に戻り、拡大・進歩した意識まで退化させてしまわぬようご注意のほどを。


こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「ひふみよいむなやこと」と数える

IMG_5832_2020.jpg

数字を数える場合に「ひふみよいむなやこと」と数えていますでしょうか。
普段からそうした数の数え方を実践なさっている方は僅少ではないかと思います。

わたしの父親(昭和ひと桁生まれ:他界)は、数を勘定する場合には常にこうした言葉を口にしていました。
ウチの場合は「ひ・ふ・み・よ・いつ・む・なな・やつ・ここのつ・とお」だったように記憶しています。それぞれ地域や育った環境によっても差があると思われます。

ひふみ祝詞(一二三祝詞)は、古来から日本においては、数を数える目的にとどまらず、それぞれ一文字ごとにその文字が持つ意味(言霊)を尊重しながら、数を数えるたびに発声することにより無意識に感謝の心を伝え表現できる優れた習慣だ、と聞いた記憶があります。

わたし自身の世代では、そして以降現在に至るまで「数を数える言葉」は、
「いち・にぃ・さん・しぃ・ごー・ろく...」と、節(ふし)をつけてまるで歌うように数える世代になりました。検索するまでもなく、多くの方々はその数え方が身についているものと思われます。
誰が言ったか、誰が流行らせたか。それも洗脳の一つだったのだろうと想像に難くありません。
恐らく、一二三祝詞の言霊を語らせない(発言しない)ように仕向けられてきたのでしょう。

ですが、もう氣がつき理解が進んだのですから、必要に応じ(といいますか、必要ない場合には必ず)ひふみよいむなやこと...と数えてゆきたいものです。
そして、
ひふみ祝詞とカタカムナの関係性まで知るに及び、物事の両極性・二面性、すべては対(つい)になって二つで一つ。善悪もプラスマイナスもともに尊重し認めるその真意にまで意識が到達してゆきます。
善も悪も共に認め受け入れる、悪は滅ぼすのではなく、善の対にあるからこそ受け入れるというその意味を。

そうです、元に戻るだけ・元あった力を思い出すだけ。と伝えられている通りです。
元々備わっていた潜在能力がことごとくスポイルされていたのですから、それを取り戻すのです。
ともに歩み、ともに進めて行きましょう。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

[photo]
カタカムナの聖地・保久良(ほくら)神社の巨石の一つ

頭を低くして氣を受ける

精霊が宿る:紀伊勝浦那智の滝 photo 宮本章光

エネルギーは高いところから低いところへ流れる、とされています。
それは、意識の持ち方についても言えるのではないでしょうか。

頭を低く下げ謙虚になることで、そこへ望ましいエネルギーが流れ込む。
頭を下げ拝むという動作は、すべてここに根源があるはずです。
挨拶という動作もしかり。
頭を下げる、敬う心、謙虚な氣持ち。
すべてが繋がっているのです。

もう分岐が確定した現在、いえそのように伝えられているだけで誰も証明はできません。
しかし、証明などする必要はありませんし、自分の意識がそのように感じていればそのように現実が具現化してゆきます。
この地点にまで到達できたからには、さらに上へ上へと登り続けたいと思います。
それが、生命・魂・エネルギー体の存在としての本当の目的であるからです。
目的を見失わないように。
目的をNoiseによって曇らされないように。

すべては自らの意識であり、すべては自らの判断・選択の連続です。
2022年の正月三日間。これで今年の道筋は描けたはずです。
ともに歩んでまいりましょう。

こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

2022年の集中講座開始

宮本章光が実施するオンライン写真教室カメラレッスン

好評にて実施しておりますオンライン集中講座、今年第一回目を4日からスタートいたします。
http://photo-primary.com/ [Link]

他の業務案件の隙間であるこの1月初めに一氣に進めます。
決済プラットフォームとしてSquareを利用していますが、同webにてオンライン販売のアシストページが作成できるようになっていることからそれを利用してみました。
無料web Lesson的に簡易な一言解説のページもおいてありますので、お越しになってみてください。

貨幣経済を卒業するまでには、まだあとしばらくの年月が必要かと思われ、それまでの間は多くの方々がお互いに助け合いながら、そして大切なこと=Noiseにまみれることなく、明るく・楽しく過ごして行きたいと思っています。
一応PR的な役目もこの場には必要ですのでお目汚しになりましたがご容赦ください。

新年2日目も軽い心持ちでお過ごしのこととお察しいたします。
今後ともご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。
こちらでご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

2022年-新年ご挨拶

飯舘村あいの沢を臨む photo 宮本章光

2022年、新春のお慶びを申し上げます。

暦が持ち備えるその意味と奥深さを知り、新しい暦に置き変わる歴史的瞬間を過ごしています。
何ら大きなトラブルもなく、無事に新年を迎えられたことに感謝申し上げます。

区切り、という機会は、
新しい意識に入れ替え、新しい存在やご縁に心新たにご挨拶を申し上げるタイミング。
そして、そのためには、Noiseに溢れかえるMediaやwebでさえも隔離する必要がありました。
しかし、
もうそのように努力をせずとも、自然体で過ごすことでそれら媒体に触れることがなくなりました。
不要なもの、必要としないものになったという証明でしょう。

心で感じる体験をさらに進め、心で同期する世界を創り上げてゆきましょう。
この場でご縁をいただきます皆さま、あらためましてどうぞよろしくお願い申し上げます。
併せて、
常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
84669199
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories