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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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ボケが注目されているけれど

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写真の「ボケ味」に関心が高まっているようだ。

定期開講しているカルチャーのクラスでも、コンデジから一眼レフに持ち替えて、より一層魅力的な写真を撮りたい。という目的で参加される方が増えた。

写真は対比で語る世界。
主となる被写体とは対照的に美しくボケた背景、あるいは前ボケを語ることで、撮影者の意図した世界を表現するのが数ある表現手段の中のひとつ。
そのためには色の対比や画面に占める面積の対比、位置の対比など様々な要素を複合的に判断しながら、そこに撮影者の感性を盛り込みたいもの。

ところが...
「一眼レフを買ったらボケの大きな写真が撮れますか?」
「絞りはどれくらいの値にすれば良いのでしょう?」
という質問が続く...。

もう、このブログでも何度も書いているように思うが、写真は掛け算の九九を覚えるようなパターンを覚えてその中から適用する。といった選択方式では表現できない。

ファーストフードチェーンの接客マニュアルのようにパターン化されたものを覚えて、その中から選択するだけで結果が出る、といった感覚の方が非常に多い。

撮影データ自体はデジタル化した。
しかし、撮影者の表現手段や感性は決してパターン化させてはならないと思う。
ベースとなる教科書はあるが、答えは無限に存在するし、撮影者の感性の数だけ作品も存在する。

5D mark2 135mm f2L ISO 3200 絞り優先AE f2.0

ボケは意図的に表現するもの

IMG_5113.jpg

卯月(うづき:4月)を迎えた。
前月は、ここの記事は一回しか書いていなかったことになる。
しばらくは山積した作業でデスクワーク中心になりそうだ。

教室の生徒さんも、個別指導の方々も、絞り特性の授業を終える頃になると決まって「50mm/f1.8」クラスの単焦点レンズを手に入れられる事が増えた。
私から推奨している訳ではないのだが、Canonの場合は、諭吉さん一人でお釣りが来るゾーンで手に入るレンズなのでハードルが低いこともある。

何より、背景ボケを活かした撮影をするには、いわゆる「ダブルズームキット」で付いてくるレンズでは困難である。
微々たるものだが、メーカーの販売促進にも一役買っているのは事実だと思う。

私の生徒さんの場合には個別にお話しができるが、web経由でメールによる質問を受けた方には、この感覚を伝えるのがかなり大変であることが多い。

---「f1.4とf1.8はどちらが良いでしょうか?」
---「f2.8ではボケないのでしょうか?」
このような質問には、答えが大変に難しい。
というか、質問の焦点が定まっておらず、表現意図も見えないので答えようがない。

背景ボケ(もちろん前ボケも)は、確かにレンズの開放f値によって差が出るものだが、その具合は、背景、被写体、そして撮影者の距離関係によるところが大きい。
f1.8ではボケなくて、f1.4ならボケるなどということはあり得ない。(差がないという訳ではないが僅少だ。また計測撮影でもしなければ判別できない程度だし、まずf1.8で撮った世界は背景を認識できないほど盛大に溶けるはずだ。)
また、f2.8でも距離関係によっては大変美しく表現できる。そもそもf2.8Lズーム自体、十分に贅沢だ。

「ボケ表現」はレンズによって、勝手にまた偶然に出来てしまうものではない。
上記の距離関係を意識して意図的に表現するものだと思う。
もちろんレンズにより差がありそれが特性だが、能動的に活用するものではないだろうか?

何か根本的なところで間違って認識していることが数多く目に付くようになった。
開放fが小さいレンズを使いさえすれば背景がボケる。というのもその一つ。
こうしたパターン認識思考が幅を利かせているように思う。

結局、こうした「九九」を覚える方式でやって行くといずれ破綻する。
「九九」で暗記しなかった場面になると「聞いてません...」となるからだ。
だから、機材を揃えても表現できない人はできないし、使いこなせない。
楽しんでやっている限り問題はないし批判するものでもないが、もっと広く深い世界があるし、それが王道ではないかと思う。

今回のカット、あるパーティの席での一枚。
お仕事で伺った会場なので私の飲み物ではないが、ここは背景ボケとその色彩バランスで、撮らないわけには行かないシチュエーションだった。

50mm/f1.4 f1.8 1/60 ISO 1250 マニュアルWB

味でも足でもどちらでも良い

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マグカップがいつの間にかペン立てになっている...。

早速、今日の撮影教材として被写体に。
「被写界深度」のサンプルとして、メイン被写体と背景との対比を「ボケ」を活かして撮影したもの。

このところデジタル一眼レフの普及スピードが更に加速し、背景ボケについて語る人が増えた。
教室でもレンズ特性を利用して表現するカリキュラムを組んでいる。
フィルム時代から写真を撮る者としては、これは「ボケ味」なのだが、DTPや映像の世界では「ボケ足」と呼ぶ人が多いようだ。

どちらが正しいか?との論議もあるようだが、どちらでも良いと思う。
個人的には「どちらが正しいか?」の論議をして答えを出すことに意義を感じない。

少し話しが異なるが、関東ではエスカレーターを利用すると、立ち止まる者は左側。右側は歩く人のために空ける。
だが、関西は全く反対である。
これは1970年の万博の折に、海外の来訪者に合わせるため、キープライトとした。
と聞く。「だから、どちらが正しいのか...。」という論議になる。

正しいか正しくないか?
そんな論議よりも、その場で「自分が止まる場合には歩く人に迷惑をかけず」また「自分も急ぎの場合には快適に歩ける」環境という、周辺環境に配慮ができ利用できればそれで良いはずだ。
しかしながら多くの場合、人は自分の中にある定規が最も正しいと思い込む。
そして、それ以外のものは間違いであると判断するようだ。

「味か足か?」も似た展開なのかもしれない。
論議をして時間潰しをしている間に、一つでも二つでもその特性を利用した作品を創造してみるのが良いのでは?と感じる。
クリエイターなら作品を、技術者ならその根拠となる事例を...。

トロけるようにボケたテーブルとカップ、背景。そしてその白さとペンの鮮やかさの「対比」を語ってみた。

EF50mm/f1.4 f1.8 1/125 MWB
84757169
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