これから始まる...

あるシンガー・アンド・ソングライターの正面下から。
窓の外に見える照明と会場内ダウンライトの対比を切り抜いてみた。
まもなく作品演奏がスタートする。
2007年もあと僅か。
そして、これから始まろうとする2008年を待つ。
まさに演奏が始まろうとしているこの緊張感と似ているように感じる。
こらから始まる2008年に大きな希望を託して...。
フォーカスを切り替える感性

楽器が主役の「本番を待つ」(2007.12.13)であったが、今回は「本番を待つ花嫁」である。
まもなくご両親への「感謝の花束贈呈」のタイミング。
緊張感が指先に滲み出ている。
こんなカット撮る人、あまり居ないはず...。
被写体全体とその一部のフォーカス(ピントのことではない。意識する対象という意味)を瞬時に切り替える必要がある。
このカットの約2秒後には、新婦は立ち上がり両親の前へと進んだ。
撮影は頭を使うもの。
露出やフォーカスなど機材がその役割を代行してくれるようになったあと、撮影する人間はどこに意識と能力を使うか?がカギではないだろうか。
本番を待つ

「楽器を記録する」(2007.12.7)は、少し解りにくい言い方であったが、共感の御意見を何通か頂いた。
対象物に自分の感覚の中心を持って行くことは、色々な場面で役に立つ。
今回は「本番を待つ楽器」を記録した一枚。
綿密なリハーサルを終え、あとは本番を待つばかり。
ステージに立つ経験をした人は誰でも味わったことがある、適度な緊張感が流れる時間である。
奏者が楽屋や控え室に引いた後、楽器たちは聴衆が入る前の静寂の中で佇む。
ほんの微かに響くホール空調の音を聴きながら...。
楽器を記録する

「楽器を記録する」とは、どういう意味?
楽器は演奏されて初めて音楽を奏でる。
演奏される「音」を記録し、聴覚で認識するものが「音の記録」や「演奏の記録」なら、「その形や演奏状況」を記録した視覚で認識するものは何と呼べばよいのだろう?
「写真」でしょ?
という声が聞こえてきそうだ。
しかし、それは記録された媒体やその表現手段としての言い方であって、「楽器の記録」という呼び方が適切なのかもしれない。
私たちは、あまりにも普遍的な視覚から認識する記録物を「写真」と呼び、大雑把に広げすぎてはいないだろうか。
それが良いか悪いかという論議ではない。
記録されたアウトプットを主体にして認識するのではなく、インプット対象であるその被写体を主体として感じてみたい、ということなのである。
だから「楽器の記録」。
そう思いながら見てみると、楽器を撮影した写真というものにはあまりお目にかからない。
演奏中のものになると更に少ない。
そんな貴重な撮影には、希少な楽器を撮りたい。
そのチャンスをいただいた。
ハルモニアム(ハーモニウム)というこの楽器をご存知だろうか。
舞台脇に構え、そして奏者の脇下から見える楽器を超望遠で狙った。
こんなカットがあってもよい。と思う。
少なくとも、奏者とこのコンサートの主催者にとっては貴重な一枚になった。
「記録する 形に残す」のは、音だけでも、映像だけでも、写真だけでもない。
全てが揃ってこそ意味があり、そして私が更にプラスするのは価値と感動である。