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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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画像データを写真に昇華させる

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長雨が続くと晴天が恋しくなり、
カラカラ天気が続くと雨を乞う。

さまざまなシチュエーションがあるから被写体に変化がある。


2012年3月のアーカイブより。
現在(2016年1月)の私なら、水面の奥、太陽の反射のあるあたりにフォーカスを持ってきただろう。
4年前には、水面の手前に合わせていたようだ。

当時、何を意図していたのか今となっては思い出せない。
撮影者本人の記憶は残っていないものの、この一枚から以下ような対話ができないだろうか。

雨上がり直後のまだ小雨が残る状況で、水面に落ちる水滴が印象的だった。
17-40mmf4を解放で、浅めの被写界深度を活かしてその水滴を撮ってみた。
フォーカス位置をあまり奥に持って行くと、水面手前がピントの範囲を外れるかもしれず手前に置いてみた。
露出はアンダーめ、遠方の青空を僅かに見せ雨上がりを伝え、排水溝は煩くないように。

作者はそんな意図を持ってこの一枚を撮ったんだな。と。


確か、少ないながらもまだ雨が残っており、傘をさしながらの姿勢で撮った記憶が蘇る。
濡れるのは避けたかったので結果として斜めの体制でかがみ、傘を落としそうになりながら撮ったはず。


動かない静止画だからこそ、いろいろな情報をその一枚に詰め込む。
そして、観ていただく人との対話要素をその中に盛り込んでみる。

webに放たれる単なる画像データは、撮影者の意図と閲覧者の対話によってはじめて写真として語り始める。

テキトー感は見る人に伝わる

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「見る人の環境がまちまちだから、公開側は別に色も明るさもテキトーでいいや。」
といった意見があった。

確かに、webに画像を公開して見ていただく以上、見る側の環境は千差万別。
故に、公開側が意図した絵と同じものが再現されている可能性は低い。
ここまでは周知の事実であるし、公開側もそれを知った上で公開しているはずだ。

それならば、「公開側は思い通りの再現がなされないからいい加減な絵作りでも良い。」のだろうか。

個人の趣味Blogならそれでも良いだろうし、ご自身が納得している限り何も問題はない。

しかし、よく考えてみたいのは、「テキトー感」とでもいうのか、いい加減な感じは伝わるということ。
似たようなシチュエーションで撮影された絵であっても、都度、明るさも色もまちまち。
同じ被写体が複数枚掲載されているのに、どれも全て色が違う。
しかも、それぞれ意図的に色彩や明るさを変化させたのではなく、単なるバラツキと思われる差異...。


統一感、というのはこんなところに滲み出る。
料理人が、「食べる人の味覚はそれぞれ違うから、作る側も毎回まちまちでいいや。」
と、やってしまうとリピーターは得られないし暖簾は続かない。

見る側の環境を論じる以前に、自分は何を表現し何を伝えたいのか?
この部分が抜け落ちているケースが、色々なフィールドで増えてきたように感じる。

春遠からじ

photo by AKIRA MIYAMOTO

厳しい冷え込みとなった。
各地で最低気温氷点下や積雪の報道が続く。

「冬来たりなば春遠からじ」という。
厳しい冬となったので、春がやってくるのはもうすぐ。といったところだろうか。


写真で寒さを伝えることができる、

1. モノトーン風(ではないが)に見えるようなコントラストの高い逆光環境
2. 寒さを感じるような青色系のホワイトバランス
3. 新芽がまだ見えない枝葉を被写体に

このような条件で。

常にポケットにカメラがあるという恵まれた時代である。
iPhone5s。私も4インチ画面支持派。



フォトコンテスト

撮影、という括りで見ると、映像案件のウエイトが高くなり、すっかりスチルの世界から離れてしまった感が強いここ数ヶ月...。

だが、自分が撮影することだけが仕事ではなく、フォトコン審査等でのご縁も続き、日々写真に触れる機会はむしろ増加傾向にあるかもしれない。

さて、今年も定例の選考で数多くの作品にお目にかかった。
応募なさる方のレベルも年々高くなり、伝える力のある作品が増えてきた。
大変心苦しいのは、概ね三十点に一つ程度に絞り込まなくてはならないこと。
力作揃いなので、その時点で選考から外さなくてはならない作品と応募者の方には本当に申し訳ない思いで一杯である。

今回、特に印象的であったのは、「自分の表現方法で伝える力のある作品」が増えてきたこと。
写真はその一枚の中で語る必要があるため、「何を伝えるのか?」が明確であることは大切だと思う。

お花がキレイだったので撮ったんです。
建物の形が印象的だったから撮ったんです。
空がキレイだったので撮ったんです...。

これは見れば判る。

でも、そのお花の花びらが少し傷んでいて夕日にオーバーラップして...。どこか物悲しい。
その物悲しさが観る人に伝わる。

お花の向こうに人が居て、その人にドラマ性がある...。
そしてそれを見守るように手前の花が語る。フォーカスはもちろん手前の花に来ている。

こうした、撮影者の感じた気持ちを込めてみる。
表現とは、高度な技術や高価な機材でなくては結果を出せない手法ももちろんある。だが、誰にでもできる方法であっても伝える力がある作品は、間違いなく伝わる。
そして何よりも、光をうまく使いたい。


観る人に心地よく、でもストレートに力強く。
写真は「動かない」から、作者と閲覧者の共同作業によって物語が創り出されることを再認識。

単焦点レンズは安物か?

photo by AKIRA MIYAMOTO

「単焦点レンズ」と聞くと、イコール安物...、と思っている人がいることに驚く。

ここでテーブルに乗せるのは、ズームレンズと単焦点レンズ。
画角を自由に変えることができるズームレンズ全盛時代に、単一の画角・焦点距離しか備えていないレンズは旧式で安物の証。
といった感覚なのだろう。


数十年前、それはズーム機能をもたせながら画質を確保し、且つコンパクトに設計する技術が熟していなかった時代には、画質を求め、開放f値の明るいレンズを手に入れようと思えば単焦点の一択であった。

今や時代は変わり、ズーム機能を備えながら高画質を実現したレンズは数多い。
コンパクトデジカメでさえ、当たり前のようにズーム機能が備わっている。

だが、単焦点の存在価値は、さらに明るい開放f値の実現と、そして今なおズームで実現できない世界の画質の追求、といったところにある。
この観点からすると、単焦点は究極の高画質を望む場合に選択するものであって、決して安物ではない。
実際、入門グレードの一眼レフにセットで付いてくるキットレンズとは比べものにならない画質が手に入る。


眼科医が、具合の悪い眼を「単焦点レンズのように安物の...」などと比喩する時点で、誤った認識が広がっていることを感じる。安物...等の言葉を使う時点で医師のレベルも判ろうか、と。

ズームでは手に入らない絵を求めて単焦点の世界に飛び込んでみるのも新しい楽しみではないだろうか。



撮りたい光を撮りたい階調で表現する

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撮りたい光を、
撮りたい時間に撮る。

最終的に手に入れたい明るさは、
最終的に階調が残るかどうかのバランスを考え、
最終的に画像処理によって完成させる。


撮りたい時に、撮りたい明るさで撮ってしまうと、
撮りたい時点での、撮りたいという自身の欲求を満たすことだけはできる。
しかし、
webという狭い階調、狭い明暗差の表現範囲しか持たない空間では、ハイライトは飛びシャドウは潰れる。

それは、自然界のダイナミックレンジをそのまま一次直線的にデータ化するには、カメラ側のキャパが圧倒的に低く、且つモニターの表示能力の限界を超えているために起きる。

幸いなことに、
ハイライトはいとも簡単に飛ぶものの、シャドウは潰れずに階調を残すことが多い。
そのため、ハイライトを飛ばさない範囲で暗めに撮る。
そして、後処理でシャドウの階調を復活させる。

この復活時点で「何をどの程度見せるか?」にこそ感性が滲み出す。


見せたい階調は、撮影時点の感性だけではなく、画像処理とともに表現する。
「シャドウは潰す。それがカッコイイ。」
といったフィルムライクな世界ももちろん楽しい。
だが、もっと階調豊富な世界も楽しんでみたい。

タッキー816みのおエフエム様2016年1月アーカイブ音源

【タッキー816みのおエフエム】様の番組「カメラとお散歩」。
2016年1月6日の放送についてご紹介。

今回は、
「今年は光を撮ろう」と題してお話しさせていただきました。

カメラとお散歩816_20160106


[一定期間を過ぎましたので音声ファイルは削除させていただきました]

尚、
番組の公式Blogで丁寧にまとめて掲載いただいています。
番組Blogでは、各回ごとに内容をまとめていただいた過去全てのアーカイブもありますので是非ご覧になってください。

放送は、原則として第一水曜日の午前11時オンエア予定、サイマル放送でもお聞きいただけます(次回は2月3日の予定です)。また、番組当日の19時35分ころより再放送もあります。

2016年-新年ご挨拶

photo by AKIRA MIYAMOOTO

2016年、新春のお慶びを申し上げます。

年賀状発送によるご挨拶はもう十数年前からご遠慮させていただいております。
この場を持ちましてご挨拶とさせていただきたく何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

本年も変わらずお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
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