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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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自分で操作する楽しみを

photo by AKIRA MIYAMOTO

先般、「撮らされる」写真は卒業したい[ Link ]、をご覧いただいた、過去にご縁があった方からこのようなメッセージを。

「スマートフォンカメラはピントが合っているかどうか分りにくいと思います。それに画面もそのままでパソコンに転送してまで見ようという人は少ないでしょうから、ブレもピントも気にしない人が増えたんでしょうね。書かれていたように自分で何かやってみることが楽しいという気持ち、よくわかります。私も友人たちにその楽しさを話してみたいと思います。」(転載ご了解済み)

なんと嬉しい言葉でしょう。

今、街中で見かけるスマホカメラ撮影の人たちは、撮影はホントに一瞬。ピントを合わせる・構図を変える...なんて作業は一切していないように見受けられる。
その後、画面をツムツム...フィルター選び作業とSNS投稿...。

自分で何か操作をする、といった楽しみは「フィルター遊びと投稿」の時代になったのかもしれない。

もちろん、そうした撮影後の楽しみを堪能するのも良いと思う。
だが、撮影時点でカメラを操作する。というもっと直感的な部分にも楽しさは多い。
上記引用メッセージのように、スマホカメラは「差が見えにくい」といった理由もあるだろう。

スマホカメラもピント位置を決め長押し、続いて明るさを調整する。
川の流れが随分と違って見えてくる。

今年も力作にお会いするのを楽しみに

photo by AKIRA MIYAMOTO

ここ数日で一気に冷え込むようになった。
既にコスモスの丘は模様替えされているものと思う。
春には菜種畑になるはずだ。

昨年は台風でコスモスとの出会いはお預け。
今年はシーズンぎりぎりで何とかその姿に間に合った。


セミナー内サンプルより一枚。

今回も力作を拝見できることを楽しみに...。

公式サイトのフィルターミスマッチ

photo by AKIRA MIYAMOTO

「見て欲しい私の作品はこれです!」
といった主張があるなら、どんな加工をしようがそれはその人の自由。

高価なソフトウエアを買う考えなどサラサラ無いし、難しい加工なんてできない...。
結局、用意されたチープなフィルターを適用...っと。

いつもの但し書きを一応。
どのように遊ぶかはその人の自由だ。


ただ、
見ていただく人に「どのような印象を与えるだろう?」といった観点を持っておくことは必要ではなかったか。

企業アカウントなら尚更。ましてお遊びの範疇ではない。
看板商品の写真とフィルターのミスマッチを感じさせる時点で、企画室やデザイナーへの投資を怠ったことが伝わってしまう。
中の人のセンスが判る恐ろしい時代になった。

未だに理解できない?経営陣を説得する管理職諸氏の努力が報われるのはいつになるのだろう。
いや、既に彼らの思考回路も大切なものが欠落しているかもしれない...。

自分の記憶に近づける

photo by AKIRA MIYAMOTO

「画像処理の重要性は判ったけれど、何をどうしたら良いのか?」
こうした声が増えている。

一つの解は「自分の記憶」に近づける。といった方向性を追求してみること。


撮影してみても、思ったほど綺麗に写らない。
と仰る。

ならば「思った」のは「どのような色で、どのような明るさで、どのような階調」を持っていた被写体だったろうか?
その印象に近づけて行く。


多くの場合、カメラがデフォルトで備えるコントラストは高めで明暗差が強い傾向にある。
これは、パッと見の印象でインパクトが強くメリハリを感じるような味付けにしているため。
また、一次直線的に露出と階調が変化する。

画像処理時点で、安易に露光量だけを触ると、ハイライトは直ぐに飛ぶしシャドウは潰れたかのように沈む。
結果として、カメラが記録してくれたデータをいとも簡単に無くしてしまう。


ピアノの胴はしっかりと締まった黒を維持しながら、ロゴは煌びやかに。
アール部分のハイライトは飛んでも良いが、装花のハイライトは飛ばさない。
背景のブルーの深さはどうだった?

と、自分の記憶を元に仕上げたい最終イメージに近づける。


思ったほど綺麗に撮れない。
と仰る、その「思った」部分を言葉にしてみる。
そこから必要なプロセスが見えてくる。

そして、処理を経て望む結果を手に入れる。その楽しさを味わいたい。

「撮らされる」写真は卒業したい

photo by AKIRA MIYAMOTO

「ピントって何?カメラが自動で全部やってくれるでしょ?」
と、ある方のお話の中で。

はい、確かにスマートフォンカメラをはじめとして一眼レフに至るまで、自動でピントを合わせてくれる機能が搭載されています。


ある程度、写真やカメラに親しんだ人にとっては、ああ、これはオートフォーカスのことなんだね。と解釈する。
でも、スマホカメラ以外にカメラに縁がない...という人にとっては、「ピントを合わせるというプロセスそのものの意識がない」という驚愕の事実を知る。

言い換えるなら、「ピントを合わせる・露出を合わせる」といった撮影のプロセス自体についての意識をお持ちでない。
更には、構図を決める、自分で更にカッコいい構図にしてみる。といった意識そのものが存在していない...。


誰でもどこでも撮影できるようになり、急速に写真を撮る行為が拡大した。
撮影者は「カメラを被写体に向けてシャッターボタンをタップするだけ」で写真が撮れる。

写真趣味が広がるのは大いに歓迎すべきだし、もっともっと楽しみたい。
でも、構図を考えることをせず、明るさを調整することもなく、そしてピントの意識そのものがなく、ボタンを押すだけ...。

なるほど、これでは飽きるのも早いわけだ。
(今日はフィルターの話には触れないけれど...)


カメラに「撮らされる」写真だけしか知らないから、すぐに熱が冷めてしまう。
もっともっと奥深く、更に楽しみを味わえる部分が広がっていることを、どうすれは伝えられるのだろうか。

時代はHDRの方向へ---フィルター遊びは?

photo by AKIRA MIYAMOTO

近年のお遊びフィルターに共通する傾向として、階調を破壊し、色調を故意に崩し、見る者に意外性を与える。
極端に明暗差を付けることで「飛んだ・潰れた」が一枚の中に同居する。
といった点に特徴がある。

本来見えているはずの髪の毛のようなシャドウ部はベッタリ真っ黒に潰し、質感を伝える白いドレスは真っ白に飛ばし、ハイライト部にデータが存在しない。
更に、意図的にカラーバランスを崩し色情報を欠落させているため元に戻すことも困難。

意外性を狙い「いいね!」を集めるためだけの手法が幅を利かせる。そんな時代。

それが良いか悪いか、ではないし、自由に楽しめば良い。個々人の判断だ。


しかし、技術革新は「真逆」の方向に進んでいることを知っておいても良いのではないだろうか。
表示機器(それはモニター画面やテレビ画面など)の狭い範囲しか階調を再現できない媒体に、如何にして豊富な階調や広い色空間を再現するか?といった部分。


今、HDR(high dynamic range)が、更に進化しつつある。

HDRと聞くと、上記のようなお遊びエフェクトの仲間だと思う人が多いかもしれない。
実際の階調は別として、似たようなイメージを作るフィルターは、意外性を狙い「いいね!」を集めるために使われる場合もあるからだ。

本来のHDRは、自然界の広大なダイナミックレンジを狭い範囲しか表現できない表示機器に再現するために明暗差を更に大きく縮め、より豊富な階調を残す。
結果として、より明るく・より暗く、実際の見た目に近づき、臨場感を増す効果を狙う。


印刷物においても目的は同じで、紙の上に再現できる範囲が狭いが故、シャドウを潰さずハイライトにもインキを乗せられるようなデータを作成するノウハウが蓄積されてきた。
階調を可能な限り残し、狭い範囲に明暗差を押し込む画像処理が求められてきたのである。
そして今後も、その手法が「より印象的で更に魅力的な」結果を得る方法であることに違いはないはずだ。


「いいね!」を集めるためのフィルター遊びと、よりアピール度を高めるための写真・映像データを作成するノウハウは、完全に反対の方向にある。

この事実を知っておくことも必要かもしれない。

FM aiaiエフエムあまがさき様2015年11月アーカイブ映像


fmaiai_20151119.jpg


FM aiai エフエムあまがさき様、月に一度「宮本章光のビデオをポケットに」
2015年11月のアーカイブをご紹介。


今月は、動画(映像)撮影時における画面の縦構図、横構図について。
「スクープ映像は横長で撮ろう---テレビのニュースに取り上げられる?」と題してお話しさせていただきました。

映像は、テレビ視聴を前提にする以上、横長で撮っておくと汎用性が高いのでは?
ですが、今後、フォーマットに縛られない自由な発想でさまざまなクリエイター、作品が増えてゆくのは良いことですね。


今月はこのような様子でした。(ツイキャスアーカイブ)

- エフエムあまがさきofficialCAS #217592917-
https://twitcasting.tv/fmaiai/movie/217592917

次回は12月17日(木)16:40の予定です。
今後ともご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

少し暗めに撮ってみる

photo by AKIRA MIYAMOTO

師走目前。
雪だるまにも灯がともる。

まだ日中の明るい時間帯のためイルミネーションは引き立たないが、露出を若干絞ってみると雰囲気を感じることができるのではないだろうか。


スマホカメラは、多くの場合Auto露出が最適だと思われるが、マイナス方向へのシフトはプラス方向へのシフトよりはリスクが低いかもしれない。

狭小センサーであるが故に、プラス方向への露出補正はハイライトがいとも簡単に飛ぶため、飛ばした部分のデータが残せない。
しかし、マイナス方向への露出補正では、見た目に潰れたように見えても日中屋外の被写体であればある程度の階調を維持していることが多い。


スマホカメラも自分の意思で露出を変えてみる。

過剰な調整は「飛ぶ・潰れる」リスクがあることを知った上、自己責任で。
それでもデータを破壊するフィルターで遊ぶよりはマシかもしれない...。


シャッターボタンをタップするだけに飽きたら、次は明るさを自分の意思で決めてみる。
そんな楽しさを味わってみて欲しい。

水平垂直を意識してみる

photo by AKIRA MIYAMOTO

水平垂直?
何それ?

そういった方に。


iPhone(iOS9.1)の例では、
[設定]--[写真とカメラ]--[グリッド] と進み、スイッチをOnにする。

これで撮影時の画面に縦横の格子が各2本表示されるようになる。
フレーミングの邪魔にならない程度に「細く」表示されるため、撮影意欲を削ぐこともない。

被写体が、構築物など水平・垂直にデザイン性が存在する場合、写真のフレームにその水平・垂直を合わせておく。
これだけで随分と印象が変わる。


本来、撮影は個々人の自由であって、別に水平・垂直を過度に気にする必要はない。
少しくらい斜めになっていても「それが撮影者の意図」である限り誰も文句は言わない。
また、斜めにすることで斬新さを感じる場合もあるだろう。
まして、シャッターチャンス最優先のシチュエーションなら言わずもがな。


しかし、そうした意図がなく「いい加減に撮影」をすると、そのいい加減さが見る者に伝わるもの。

撮影テクニックやノウハウ本、さまざまな情報が溢れる中、その情報を一つひとつトレースするやり方は疲れるだけだ。
勉強熱心なのは良いが、疲れて写真趣味から離れる人を数多く見てきた。


ちょっとしたことを、少しだけ意識する。
これが大きなアピール力に繋がることも多い。

ちょっと意識するのも辛い...。
ならば、現状維持で。
楽しみ方は人それぞれ。


モノクロには無限とも言える表現がある

photo by AKIRA MIYAMOTO

なんとなくカッコイイからモノクロ?
というのも楽しいのかもしれない。
写真趣味が広がるのは良いことだと思う。


モノクロの奥深さは「階調」をコントロールして自分が語りたい雰囲気に仕上げること。

暗室現像に取り組んだことがある諸先輩方は別として、「カメラ=スマホ」世代の人たちにとっては、写真を撮る、とはスマホを向けてシャッターをタップすること。
フィルターを適用すること。
そして、そのままSNSに上げること。
といった流れでしかないようだ。


他方、デジタル時代ゆえ「撮って出し」至上主義の人たちも現れてくる。

毎回、繰り返し但し書きのように断る必要が出てくるのも世相なのかもしれないが、何が良い、何が悪いということではないし、どちらが正解か誤りか、でもない。

フィルム時代には、
撮影したフィルムをどのように現像するのか。
どのように焼き付けるのか。
といった複数のプロセスに「自分らしさ」を盛り込んでいた。


「撮って出し」も、そのポリシーを貫くのは、それはそれで良いだろうし、
フィルターでデータを破壊する遊びも好き好き...。


ただ、
自分らしさを盛り込む手法として、
カメラが作り出したデータが「本当に自分が表現したい完成品で最高の作品」なのか?
あるいは「十数種のフィルターだけからしか適用できない」お遊びで満足なのか?

こうした狭い範囲を飛び出してみると、そこには本当に言葉通り「無限の表現手段」がある。


今、越えるべき課題は「塗り絵が飽きたら写真から離れる」のではなく、次は「白紙に絵を描いて」みたい、といったところにある。


空を撮ってみよう

photo by AKIRA MIYAMOTO

「空を撮ってみよう」
そんなお声がけをしていた時期がある。

空を撮ると気分が清々しくなる。
空を撮ると顔も心も上向く。

というわけではないのだが、確かに気分も右上がりになることが多い。


空を撮ると、
少し明るめに?あるいは暗めにしたらどうだろう?と露出を考えるようになる。

空を撮ると、
太陽の向きによって青空の色や深さが変わるので、光の向きも意識するようになる。

地上の一部も入れてみると、構図のバランスを考えるようになる。
また、
空に露出を合わせると地上の風景は暗くなる。反対もしかり。
ならばどうすれば良いだろう?

スマホならHDRをOnにしよう...。
あとからPhotoshopで調整してみよう...。

といった具合に、自分が撮りたい絵が少しづつ見えてくる。


心晴れ晴れ、構図に磨きがかかり、階調の意識も芽生えてくる。
これから空気は澄みわたり透明度が上がる時期を迎える。

撮影は楽しく、画像処理も楽しく。
「空を撮ってみよう。」


[注]
構図内に太陽を入れないよう注意。センサー焼け・眼の障害等、不慮の事故防止のため。

撮影に対する感覚が麻痺していないだろうか

photo by AKIRA MIYAMOTO

これいいな!と感じたタイミングで撮影ができる。
それがスマホカメラのいいところ。

その気軽さゆえに、撮影アクションそのものに対する感覚が鈍ってきてはいないだろうか。

いつでも、どこでも、誰でも、そして何に対してもカメラを向ける...。
更には、撮った写真をそのままwebに上げてしまう。
こうした行為そのものが、当たり前になり過ぎたかのかもしれない。


料理店ならば、オーナーに撮影許可を得るマナーは持ち合わせておきたいし、他人が構図内に入るならば、やはりここは撮影を諦める判断も必要になろう。

さすがに風景に対しては許諾を得る対象がないとは思うが、広告塔・看板など企業のロゴが入っていないか、構図の四隅まで見渡す余裕は欲しい。

四隅に意識が及べば、自ずと構図も洗練されてくる。
それが訴える力となり作品が語りはじめる。


撮影は神聖なる行為、などとは言わないが、自分が感じたものを残すための大切なアクションであるはずだ。

スマホカメラも自分で明るさを決める

photo by AKIRA MIYAMOTO

何も考えず、何もせずに撮れるのがスマホカメラ。

この言葉が示すように、機器の操作に特別な意識をしなくても「カメラを向けてシャッターを押すだけ」でキレイに撮れる。
こうしたコンセプトは一つの方向性としてアリだと思う。
しかし、誰が撮っても似たような絵になる。

だから意外性を狙うフィルター?
けれど、プリセットで用意された種類の中から選択している以上、これもまた人と似たような絵にしかならない。


写真の面白さに気づいた人たちの一部は、コンデジやミラーレスカメラ、更には一眼レフといった、もっと「操作を楽しめる」機器に移行することもあるだろう。
が、写真の楽しさを知らずのまま、撮影趣味から離れる人も多いはずだ。


残念な展開を避けるためには、「自分で操作し意図する結果を得る」体験をしてみたい。
まずは明るさを自分の意思で調整してみる。

それだけで結果は変わる。


尚、スマホカメラのセンサーは明暗差許容範囲も狭くAuto露出が最適であるケースが多い。
自分で調整した結果、明るすぎ・暗すぎ、で失敗となるリスクは高い。責任は持てないので念のため。

「自分で操作し結果を変える!」といった部分の楽しさを知って欲しいのである。

撮影を楽しむとは?

photo by AKIRA MIYAMOTO

撮影を楽しむ?
「撮って、フィルター、SNSにあげて、いいね!を集める。」ことでしょ?

はい。大いに結構です。

だが別の世界もある。
どちらが良いか悪いか、ではない。


-----大きな背景ボケが欲しい。
ならば、レンズは望遠系、絞りは開放近く、被写体と背景との距離は大きく。

-----ストーリー性が欲しい。
ならば、光の向きと質を考えて。露出はアンダー目が良いかもしれない。
フォーカス位置は人差し指?いや、やっぱりレンズの文字部分でしょ。

-----さらに語るには。
Photoshopでホワイトバランスをシフトし、暖かい日差しを感じる色温度に。
階調を豊富に、シャドウは潰さず。ハイライトは強めでもいい。


欲しい絵と必要な設定、そして撮影時点でのアクション。
続く画面上でのデータの作り込み...。

平成のこの時代、それぞれのステップごとに楽しみは無限に広がる。
こうしたレガシーな部分でも、デジタルの恩恵と自分らしさを盛り込むスペースは豊富にある。

人と同じフィルター、人と同じフィールド「以外」の楽しさを、もっともっと多くの人に知ってもらいたい。

そのフィルターに意図があるのか?

photo by AKIRA MIYAMOTO

もう随分と前のメールに記載された一言。
「フィルター嫌いの先生はご覧にならないかもしれませんが、よろしければ見てやってください...。」。

最近、この方のアカウントは消えBlogも無くなった。
フィルター万歳!だった人。


単にフィルター処理そのものの好き嫌いで言うのではなく「そのフィルター適用に意図が見えない」から評価できないのである。

なぜ、その色カブリを発生させるのか?
なぜ、その階調を破壊するのか?
なぜ、そのコントラストを破壊するのか?

適用する理由が見えない。

もう耳タコだが、パッと見の意表をついて「いいね!」を集め、トラフィックを増やすためのマーケティング手法の媒体に、こともあろうか写真が使われてしまった...。

だから意外性だけを与えればそれでいい。
そんな時流。

しかし、こうしたフィルターを適用している作品に「明確な意図が見えない」。
だから写真作品としてのアピール力に欠けるのである。
結果として、汚さだけが表出し、料理写真は腐敗する。


この点がガッチリと押さえられている作品は見る者にメッセージが伝わる。
単にフィルターが良いか悪いか?ではない。

あり得ない階調や色彩を盛り込み、ギラギラの画像処理をしてみても良いと思う。
画像処理は撮影とセットで考える時代。
そこにメッセージが込められているならば...。

広角レンズのダイナミックさを楽しむ

photo by AKIRA MIYAMOTO

コンパクトデジカメは、電源を入れると「最も広角側でスタンバイ」となるモデルが多い。
ある程度画角を狭め望遠側を使いたい場合、ズームレバーやボタンを操作し画角を変えているはずだ。

しかし、ズームレバーを操作するより自分の腕を前に出すだけで寄ることができるため、その最も広角位置のままカメラごと寄ってしまうケースも多いように思う。
その結果、手前側だけが強調された「鼻デカ犬風写真」になる。

この「モノの形状」に対する意識を持ちましょうね。という点が大切なポイントであったわけだが、これを習うと「今度は広角側を使わなくなる」といった弊害を発症する人が出てくる。


広角は、形状の正確さを求めるのではなくそのダイナミックさを表現するために使うもの。
レンズ焦点距離が持つ特性を、撮りたい絵に合わせて操作することが楽しみであり懐の深さであるはず。


何が良い。何が悪い...? 二者択一思考というのだろうか?
用意された設問から一つを選ぶ、といったクイズ形式の番組の影響なのか、自分で白紙から絵を描いてみる、といった思考が退化しているように思えてならない。

プリセットフィルターの限界

photo by AKIRA MIYAMOTO

このBlogで頻繁に話題に上るスマホのプリセットフィルターやエフェクトについては、かなりネガティブな認識を持っているが、それが良いか悪いか、といった議論をするものではないこと、毎回始めにお断りをしている。

そもそも「これはいいね。あれもいいね...。」と八方美人的に書いていると、結局そのBlogオーナーの顔が見えなくなる。


HDR OnのiPhoneカメラで撮影、Photoshopにて調整。
元がOne Shotのデータなので広大なダイナミックレンジを凝縮した処理ではないが、望めばこうした結果も作り出すことは可能になる。

このような処理プロセスを知らなくても、スマホにあるプリセットのフィルターを適用すれば似たようなイメージを手に入れることができるかもしれない。
それも一つの楽しみだろう。

ただ、「どのようなパラメータをどう処理すれば、どの部分がどう変化するか?」
といったディレクションができると、プリセットにはない望む結果を手に入れることができる。

フィルター万歳!だった人がSNSから姿を消しBlogも閉鎖。
もう写真から離れてしまったのだろうか?

濃い味や意表をつく結果だけに頼ると、飽きるのも早いかもしれない。
写真趣味は、気長に、いつまでも楽しみたいものだ。

タッキー816みのおエフエム様2015年11月アーカイブ音源

【タッキー816みのおエフエム】様の番組「カメラとお散歩」。
2015年11月4日の放送についてご紹介。

今回は、
「夜景をきれいに撮ろう」と題してお話しさせていただきました。

カメラとお散歩20151104

[一定期間を過ぎましたので音声ファイルは削除させていただきました]


Blog上では、スパム対策のためコメント受付を停止しています。

尚、
番組の公式Blogで丁寧にまとめて掲載いただいています。
番組Blogでは、各回ごとに内容をまとめていただいた過去全てのアーカイブもありますので是非ご覧になってください。

放送は、原則として第一水曜日の午前11時オンエア予定、サイマル放送でもお聞きいただけます(次回は12月2日の予定です)。また、番組当日の19時35分ころより再放送もあります。

何を撮ったらいいか判らない

photo by AKIRA MIYAMOTO

年に一度くらい、トドメの一撃のようなご質問を受けることがある。
「何を撮ったら良いか判らない。どうしたらいいでしょうか?」と。

回答に困るワーストワン、といった感じだろうか。

カメラ操作には楽しさを感じているし、既に実際に撮影の楽しさも体験した人が陥る罠かもしれない。

風景を撮ってみた。料理を撮ってみた。お花も撮ってみた...。
身の回りのものに一通りカメラを向けてゆくと、いずれその被写体のバリエーションが無くなってくる。
こうした状況で、撮影意欲はあるものの被写体が見つからない。
そんな状態なのだと思う。

ファインダー越しに見える被写体が変わる部分に喜びを見出していたのならば、次は、時間帯や光の具合が異なるタイミングで同じ被写体にカメラを向けてみる。
更に、構図の中で自分なりのテーマ、それは左右対称をひたすら追求する、だとか、反対に全く統一性のないイメージを散りばめる...。
といった具合に構図の中に主題やドラマ性を感じるように持ってゆく。

これで無限に被写体が増えてくるのではないだろうか。
撮影は楽しく、そして写真と長く付き合って欲しいと願うのである。

見た目の印象を残したい

Haneda Airport 2nd. terminal

画像処理に関する話題が増加傾向にある。
それは、スマホエフェクトに見られるお遊び系フィルターの話ではなく...。

プリセットフィルターのチープさにようやく気付きはじめた、といったことなのだろう。


夕日を正面に据え、照明が用意されていない建物内部も見えるように残してみる。
こうした真逆光では、たとえ光量の弱い夕刻であってもシルエット風のイメージになってしまう。
それは定番の手法だから、そのように撮ればいいんだ、と言ってしまえば話が終わる。

だが、人間の眼には建物内は真っ黒に見えるわけではないし、夕日周辺の風景もキッチリと認識できるはずだ。
こうした「人間の見た目の印象」に近い記録を残す、といった方向性を追求するのも一つの楽しみではないだろうか。

iPhoneのHDRをOnにし、まだ大きすぎる明暗差を調整すべくPhotoshopで入念に作り込む。
もう耳タコの事項ばかりだが、誰が撮っても同じようにキレイに撮れると言われるiPhoneカメラだからこそ、そこに作品構築の楽しさを見出してみたい。

at Haneda Airport Domestic-2nd.Terminal.

階調を感じてみる

photo by AKIRA MIYAMOTO

シャドウを低く締めてみると、それはそれで印象的な絵になる。
シルエット風のイメージは定番の夕景かと思う。

しかし、肉眼ではっきりと見えているように、手前は決して真っ黒に潰れてはいないし、奥のビルの手前側も漆黒の壁ではない。

その階調を残し、再現してみるのが画像処理の面白いところ。
何が良い、何が悪い。
といった二者択一ではなく。
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