「ゾーン」に土足で踏み込む

ゾーンという感覚をお持ちではない人、多数。
早く取り戻すことです。
故意に停止させられた感覚を。
(人口の9割とも言われるAndroid=bot:スマホOSのことではない・は、プログラム以外の思考ができないので無理かもしれませんが。)
ゾーンとは、
目に見える物質的空間だけではなく、感覚的な広がりとして認識する空間もその範疇に入ります。
目に見える物理空間でさえ、土足で踏み込み荒らしまわる。
先般の記事でも少し触れました。
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【御神木にご挨拶を】2024/05/05(Sun) [ Link ]
枝葉が広がるその範囲と等しく、目に見えなくとも地下には根が張ります。
そうして樹々は地上部分と地下部分のバランスを取っています。
ここにエネルギーの循環が生じ、そこにトーラス構造の聖域が形作られているという仕組み。
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すべては、天地・前後・左右に等しくバランスする空間があります。
同じように、感覚的な空間や、時間軸に沿った空間も存在します。それが意識のゾーン。
そのバランス感覚を欠くと、心地よさが失われます。その時点でバランスを欠いたことが判ります。
これも極めて単純明快な、この地の大法則・大原則。
尤も、
意図的にそのバランスを崩して「人目を引く」という手法もクリエイトの世界には存在します。
そして、その崩したバランスを他の要素で埋め合わせ、結果としてバランスをとってその作品としての「芸術的価値」を高める。
そんな手法もあるわけで。
写真一枚をとってみても、その感覚とそこから派生する価値が見事に表現されうる世界が理解できるはず。
論点を戻します。
--わたしが撮影している「空間」に、言葉で踏み込み邪魔をする。
--わたしがこの場の空気感や鳥のさえずりを聴いている「空間」に、やかましい戯言で踏み込み邪魔をする。
まさに、
土足で踏み込み穢しまくる。その感覚をお持ちで「ない」のは天性のものでしょうから仕方ありません。
けれど、
大きく波長を乱されると、なかなか元に戻すのさえ時間が必要です。
そうやって邪魔をするのは、おてて繋いでみんな揃って一等賞...な、教育洗脳に染まり切った過去のレイヤー。価値観の押し付け。人の立場に立って考えることができない魂。
---離れます。
---フォーカスを外します。
そして、もう二度とそうしたシチュエーションに落ち込みたくない、と思うものの、再びその機会が巡る。
それは、その状況に対する「耐性」を高めるための練習をさせてくれているのだ、と。
それは、その耐性が足りないために自ら生み出しているのだと。
すべては学びのために。
すべては成長のために。
2024/05/26(Sun) 11:10:55 | photo blog