ワケあり果物とそれぞれの役目

この地は二極化・二元化の地。と呼ばれます。
ですが単純に二つに分類されるものではなく、70億人の人それぞれに70億通りに多極化している現在の状況です。
先般、ワケあり果物の存在価値について書きました。
【ワケありリンゴの存在価値】[Link]
すべてが主役でなくとも、それぞれに存在意義があり役目がある。と氣がつけば自分の役目も明確になるのでは。という視点での考察でした。
「役目」という言葉が重すぎるのであれば、「勉強する項目」とでも置き換えるのが良いのかもしれません。
この地に転生している理由は、善と悪・プラスとマイナス・光と影など、対(つい)になるそれぞれの立場とそのエネルギーを学ぶためだったはずです。
ですが、もう学びを重ねる時期は終わりを迎えていますよ、と伝えられているのです。
この卒業のタイミングを感じ取ることをしない(できない)人は、「いつまでも勉強部屋で学び続ける」永遠のループに留まったままで、永遠にそこから卒業せずに永遠に抜け出そうとしません。
単にそれは「氣づき」といったような軽い言葉でスルーされがちですが、自分で目を覚さない=もっと学び続けたいという意志表示なのであり、自分の意思によって抜け出さなければ新たな成長のレイヤーには移れない、ということです。
氣がついた人=この地を卒業し新たな成長を自ら求める人。
氣がつなかい人=自分で氣がつくまで永遠のループの中で永遠に学び続ける人。
というこの図式。
少なくともこの場で感覚的に同期が可能な皆さまは、前者に属する方々ではないかと思っています。
前者のグループならば「この地において旧来の学びを今後も続ける必要はない」と伝えられている通りです。
そして、
このグループの人たちは、眠り続けていた人が「目を覚まし自分から起き上がり且つ助けを求めてきた時」に限って、救いの手を差し伸べれば良いとも伝えられているのです。
眠り続けたい、といった脚本(それは自分自身で書き上げたもの)を持って生まれ今世を生きている人たちは、必ずその脚本通りに人生を送ります。
それを第三者が勝手に変更することなど絶対に許されないと同時に、大切な「眠り続けることによって学ぶ」機会を奪ってしまうことにさえなりかねません。
そして、その眠り続けることによって学ぶ人たちは、以降、この地でその学び継続する希望は叶わないのですから、肉体を滅ぼすことにより次のステップに進むのです。
言葉を置き換えるならば「死んで今世の過ちを学ぶ」ということです。
ですが、自分から目を覚まし新たな世界を創るという新レイヤーに移りたいと希望を持つ人たち(わたしたち)は、肉体を滅ぼす必要はありません。この地での学びは終えたとされていますし(心底の浄化はまだ残っていると思います:急務です)、肉体を滅ぼすことによる負の因果を背負う必要などどこにもありません。
まして、混乱とともに叫び続け、ネガな波動に自分から落ち込んで行き、同等のエネルギーを撒き散らす行為はまったくの正反対なのですから。
尤も、どちらが良いのか良くないのか、といった判断は無く、ともに必要な対(つい)の体験、対のエネルギーである点は尊重したいものです。
ですから、それぞれの役目に相応しい役、前者ならば新しい世界を創り出すための望ましい青写真を常に描き続けそのエネルギーを拡大・伝播させましょう。と語られているのです。
前者のグループの人たちは、それが役目なのです。
その意識のエネルギーによって目の前の現実が創り出されることを再認識するとともに、もう一度自らの役目を明確にする時期です。
ワケあり果物は、見た目の派手さは皆無かもしれません。スポットライトを浴びる舞台にも立ちません。
ですが、
だからこそ、普段の生活で十分に味わって食べてもらえるととともに、十分に感謝の気持ちも受け取ることが可能になるのだろう、と感じます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/10/20(Wed) 17:11:41 | New Age