ワケありリンゴの存在価値

世の中にはワケあり商品と呼ばれるものが多数あります。
この林檎もワケありとして販売されていたもののようです。
何がワケありなのか、それは見た目に傷が多いからかもしれませんし、形が整っていないからかもしれません。
または1シーズン前の作物でしょうか。あるいは、見た目以外の要因があるのかもしれません。
もちろん、目には見えない成育過程で不具合があったり農薬の基準を超えていただとか、そういった原因もあるのかもしれません。
しかし実際に、味に目立った変化はありませんでしたし、胃に納めてからも不調を起こすことはありませんでした。
(体内に蓄積されるよくないものは、目に見えない・味で認識できない以上完全否定はできませんが、それを言うのなら、他のメインストリームの食品はさらに酷いことになっている現状を知ることが先です。)
ここで意識したいのは、
日本では、この「ワケあり」の言葉をうまく使って、廃棄せずに消費に廻るような仕組みがあることです。
当然、廃棄率の情報を調べたのならば、ワケありを消費するどころでは済まない、激しく酷い現状も見えてくる点は否定できません。
ですが、もったいないといった感覚を持つ独自の文化は大切にしたいと感じています。
混乱の世の中は、フォーカスを外している限り感じなくなってきています。
そして、多く伝えられているように「予定通り」に物事は進行していることを100パーセント信じ切って過ごしましょう。
自分の役目は何なのか。
「望ましい:希望する実現させたい風景」を描き、心の底からそれを願うこと。
これこそが、いま最終コーナーを抜けてゴールを目前に控えたわたしたちにできることではないでしょうか。
このワケあり林檎のように、それが主役として表舞台に立てなくとも果実として人の役に立つ。といった役目を果たす大切さをいま一度考えてみたいものです。
人それぞれに役目があり、人それぞれが「自ら描いた脚本」に沿って今世を生きているのですから。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
2021/10/18(Mon) 20:47:10 | New Age