居残りするのが美徳?

いつまでも居残りするのが偉い?
いつまでも残業するのが偉い?
そんな昭和チックな感覚を卒業して久しいはずなのですが、いまだにこうした感覚を引きずっているかもしれないこの国。
定時で退社することに氣が引ける、と感じる人もまだまだ多いように聞きます。
(個人的には、そのような世界から抜けて長いために、もう肌感覚は皆無です。)
では、ステージを現在の社会情勢に置き換えます。
「今日も今日とて、目を覚ませ!目を覚ませ!」とコールし続けるのは、まさに定時で退社することができず氣が引けるその気持ちの裏返し。
自分は早く帰らないから、横で見守ってやるから、だから頑張れ...とでもいうような感覚、あるいは、その感覚の奥底には、そうして応援することが美徳、だとでもいうようなイメージ。
あるいは、どことなく漂う優越感さえもそこに存在しているように見えます。
もう終わりにしませんか。
眠りたい人は、眠り続けたい、という意思表示なのでしょう。
この物理次元にいつまでも踏みとどまっているのが今世の役回りだったのでしょう。
何らコミュニケーションを取らず放置していたのではなく、散々伝えても完全スルー、アカウントブロック、果ては連絡不通。
ですので、役目は果たしたと感じています。
ひとつになる感覚。とは、すべての人間が同じ考え方や価値観に統一しなければならない。という意味ではなく、
昨日の記事【光と闇・いいモノとワルモノも無い】[Link]
のように、この地では「いいモノ・ワルモノという分離思考」が体験のために提供されていたステージであったのですから、それを分離せずに必要な対比の構造という一つの大きな意識で捉えましょう。ということだったはず。それが魂レベルでの成長に必要な感覚だったのではないでしょうか。
自らの意識の中にある分離思考をひとつにしてゆくことで、成長と成熟を見出すべきところなのに、他人に同じ考え方を押し付ける、といった手段によって「ひとつに」しましょう、というのは、解釈が異なっているように見えます。
勿論これも個人的感覚に過ぎず、一つの考察に過ぎません。何ら強要も強制もいたしません。
ただ、シンクロする意見をお持ちの方もあるはずだ、と思っています。
(この場で、あれもいいね、これもいいね、どれでもみーんなOK!OK!などと綴ると意見として成り立ちませんので。)
すでに卒業した卒業生は、いつまでも教室に居残りはできません。
ひとそれぞれ、別々の道が用意されているのですから、自分からその道を選択し自分の意志で歩みたい。
そのように感じるのです。
説得の時間は終わりました。
眠り続けるのも、自分自身を台無しにする注射を切望するのも、そしてまた、救世主や白馬の王子様を待ち続けるのも、どれもこれもみんな人それぞれの自由意志。
いま最もフォーカスすべきは、
これからの世に必要と伝えられている「意識の力を使いこなす」という部分にあるはずです。
心の奥底に固着した物質社会の思考では、文字を書くために墨と筆と紙がなくてはなりませんでした。いえ、それはペンと紙かもしれませんし、あるいはOSとアプリケーションが稼働するコンピュータにキーボードだったかもしれません。
これからは、望ましいコミュニケーションの手段として「意識を送り・意識を受け取る」という時代になる、と語られているのですから、そのスキルを磨き、より高度なエネルギー波動による意思の疎通を練習する時を迎えたのだと思っています。
「心はいつも朗らかである。」
と、高い波動を維持しながら送り続けます。
◆【直前記事】
光と闇・いいモノとワルモノも無い
◆【前々記事】
水を意識し水に感謝する
2021/05/11(Tue) 20:52:07 | New Age