「いち抜けた」と言ってみる人体実験

「いちぬ〜けた」と発言して、そのゲームから最初に離脱する。
多くの方が子供の頃に体験したことがあるはずです。
二番目に抜けるのは「に〜ぬけた」と言い、続いて三番目四番目...と順に抜けてゆきます。
でも、最初に発言するのは意外と勇気が必要でした。
それは、何かもうそのゲームに飽きたから。だとか、ちょっと自分の形勢が不利になったから。といったような若干のネガティブ要因があったために、周囲からは「裏切ったな!」というような感覚の視線を送られるからでした。
「うまくゆかない現実を体験するゲーム」
それは、この地球でわたしたち人類が体験していること、といわれています。もちろん自分から希望してやってきています。しかしそのことさえ忘れ去っています。
そしていま、この極めて重要なタイミングを迎えました。
ゲームはもう終わりだよ。と伝えられているのですが、熱中しすぎて目の前が見えていない・聞こえていない。
それがいまの人類。
子供のころは、自宅近くに公園があり、夕方遅くまでそこで遊んでいたことを思い出します。
大声だと聞こえる距離なので、母親が裏のドアを開けて叫びます。
夕飯ができたことがわかると、夢中になっていた遊びが名残惜しいものの、空腹感には負けて戻るのです。
いまの人類は、
ゲームを終えることに対する名残惜しい感覚を一切感じることができず、母親の夕飯できたコールも聞こえず、競走馬のごとく目の前の一点しか見えていない状態。
そして、そのまま居続けると夜の闇がやってくることも理解できないまま、もうどっぷりと日が暮れてしまったような状況でしょうか。すでに周囲は真っ暗。
待っている限り、状況はいつまでも変化しません。そして暗闇は「そのうち良くなる(明るくなる)」ことがありませんよ、この先は永遠に真っ暗ですよ。と優しく語ってくれている人の言葉さえも否定し続け耳を塞いで拒絶しています。
「い〜ちぬ〜けた」と発言して、その場を去ってみませんか。
抜けない限り永遠に終わらないのです、このゲームは。
確かに光と闇の勝負の結末は、光の側に勝利の女神が微笑むことが決まっているのでしょう。多く語られている通りだと思います。
でも、光と闇は「お互いがペア」で存在するからこそ、それぞれを認識できるのです。
その表と裏のような相互補完関係を体験する二元化・二極化世界がこの地球なのですから。
大きな勘違いは、光が勝利すれば闇は消え去る。という感覚。
光の勝利まで待っていれば、いずれ黄金時代が自動的にやってくるんだ。という勘違い。
相互補完関係なのですから、それはどうなのでしょう?コインの表面だけが残って裏面が自動的に消滅するでしょうか。
誰かが、いつかそれをやってくれる!と待ち続ける限り、永遠に変わらないのです。コインはある日突然に表面だけにはならないのです。
ここに氣がつけば、「いち抜〜けた!」と叫んで、自分からゲーム終了宣言すれば良いはずなのです。
自分から抜けることを教えようとしてくれているのです。天は、創造主は...。
この部分に氣がついた人だけが次の世界への切符を手にできる。これが最後の審判であり「選別される」ということではありませんか。
もうその領域に入っています。
子供の頃のゲームのように自分が一番最初に抜けたところで、周りの誰からも妬まれることはありません。
むしろそれによって良い結果を出せたのなら、逆に羨まれるはずです。そしてそれに皆が続けば良い流れが生まれます。
いつものように、わたしは人体実験をはじめています。
「い〜ち抜〜けた」
宣言してこの「うまくゆかない現実ゲーム地球」から抜けたら、頭の中は楽しく明るいことばかりしか見えなくなります。
「に〜抜けた」
「さん抜〜けた」を宣言されるのはどなたでしょう。
この場でシンクロできる方は千人以上だと思いますので、四桁番目まで続きそうです。
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2021/04/13(Tue) 21:07:32 | New Age