致命的な「意識の」タイムラグ

この物質社会では、タイムラグが盛大に発生し「忘れたころ」に現実となる、とされています。
これは説明の必要もなく、過去からさんざん体験し尽してきたことだと思われます。
ここで考えてみるのは、
「意識」という部分から見た「タイムラグ」です。
---「このままでは権力者によってNWOが実現し奴隷化されてしまう!」
---「遺伝子組み換え注射を阻止しないとみんな命がなくなる!」
このように叫ぶ声が激しく増加し大きくなってきました。
初めに私見ですが、と但し書きを付けたうえで単刀直入に書きます。
そういった行動はもうタイミングを逸してしまった後ではありませんか、と。
いまは、極めて重要なサイクルに突入したこの地球の集合意識を「高波動に維持し続ける」ことが最重要であって、そのタイミングにも関わらず「過去にやり尽くしておかなければならなかった」ネガティブ波動に直結する行為は慎しむほうが良いのでは、ということです。
何らかの会議の席を例えとしてイメージしてみます。
対立意見や反対意見、慎重見解など、進むべきゴール地点・取りまとめるべき方針に到達するまでに「論議し尽くしておくべき事項」があるはずです。
Aという結果・結論を導く会議において、BやCの案に価値はないのか、DやEというネガティブ要因はどうなのか。
こうした論議を重ねます。
これらは、プロセスとして論議し尽くしてから、最終的には「A案が最適でありそれを採用します」と決定される。という流れかと思います。
いまの世の中に置き換えてみますと、
Aという最重要な「意識の波動」を整え、そして高めたうえで集合意識として形成すべき時期=会議の最終決議段階に至っています。
それなのに、
それまで完全に居眠りし続けていた人が、突然飛び起きて、BやCのようなことを知らないのか!もっと多くの人に知らせないと大変なことになる!DやEも極めて危険なんだ!と叫びはじめ、会議の席がブッ壊れる...というような感じでしょう。
それ、もう論議し尽くした後なのですよ。あなたは居眠りしていたから知らないのです。と。
知らない人が多いか少ないか。これは関係がない話です。
わたしたちは大多数の人=マジョリティ層が世の中に普及しそれが当たり前になる。という普及割合とその正当性に対する感覚を持って生きてきました。
すなわち、
世の中で当たり前になること=大多数の人が知っており受け入れている。という図式が当然だと思っています。
しかし、この図式さえも権力者によって刷り込まれてきたやり方だったと理解する機会を迎えています。
少し逸れますが、「多数決」という手段で決めるプロセスを見てみます。
「100人中51人が赤だ、と言えば赤になる。」のです。
「残りの49人が黒だ、といったところで、結論は赤」になってしまいます。
その差、なんと「2名」だけで。しかも49人もの人が「黒」と言っているのにも関わらず、です。
最低限のリソース(2名)だけで、最大限の結果を得て、権力者が覇権を握るためのやり方だった。といわれます。
元に戻します。
いまのタイミングであっても、いまだに99パーセント(数字は不明:大多数の人という意味で)の人が現在のパンデミック詐欺で騙されて眠り続けている可能性があるように見えます。
それゆえ、大多数が騙されているなんて大変なことになる。もっともっと多くの人に真実を知ってもらわねば世の中変えられない。
となってしまうのです。
いえ、変えるための力は、「有効かつ強力」な意識の力であって、どれだけ署名を集めても、どれだけデモ行進をしても、結局は大勢の流れは変えられないこと。もう理解できている時期だと。
もちろん、これらの個々人の意識が高揚し本来の意識の力に結びつけられるなら効果はあると言えるのでしょうが。
数が多いか少ないか、それは関係がないことが理解できたのなら、目が覚めた人だけで「精一杯のポジティブエネルギーを発揮し拡散する」意識の力を使うべきだ。と。
多くの人たちと共同作業するのは理想ではあります。そして、できる限り多くの仲間が増えるよう尽くす意識を持つことも非常に重要だと語られています。
ですが、その数を増やす途中に「自分自身が沼に落ち込む」ことでミイラ取りがミイラになってしまい、そこでポジティブなエネルギーが消滅してしまうリスクだけは避けたい、と考えるのです。
意識の力は波動なのですから、その波動を最大化することに注力し、リアルの世界(SNS等webも含め)でのネガティブ方向のパワーに陥ることは避けたい。と、ここまで氣がついて欲しいところなのです。
数が多くなければ動かせない!という、物理的に数を追い求める思考こそが、過去のものになった物質社会の落とし物かもしれません。
大多数であろうが少数派であろうが、眠り続けるのはそれが「その人の今世の目的」だったのですから、誰が何を持ってしても変わりません。
そこにパワーを注ぐ自分自身が「ガラス窓の向こう側であるネガティブな世界」に落ち込むのではなく、意識というパワーによってポジティブ側にキープし続けて貢献したい、と感じるのです。
助けを求められたのなら、それに的確に回答ができる。というスタンスは、それ以上それ以下の何ものでもなく、自分の考えを強要し同化させることが望ましい行動ではなかったこと、すでに学び終えました。
楽しいことだけ?何をフワってるんだ!(その個々人が過去の負債を解消したという前提ですが)
と言われることに抵抗があるのでしょうか。人が何を言おうと関係ない自分軸を確立する練習を積んできたはずです。
人にどう思われるか?など、単なる自己承認欲求に過ぎなかったことも学んだはずです。
意識は大変に強力な力を持っている、と伝えられています。そもそもわたしたちの根源はエネルギー体なのですから。
その重要、且つここ一番でキーとなる力を使いこなす必要があります。
その「意識」の使い所を見極められず、遅延しタイムラグを起こさないようにしたいものです。
この遅延アクションをやってしまうことこそが「致命的」だと感じます。
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2021/04/09(Fri) 20:34:57 | New Age