「和する日本人」の本質を取り戻す

「和する」。
この言葉の意味が通じないのであれば、この国の人ではないかもしれません。
辞書に記載するような正確性を持った説明ではなくとも、なんとなくその意味は理解できるでしょう。
和する。その意味を。
大前提として、
わたしたちが日常で目にするもの・コト・話す言葉・食べるものから始まって思考する事項に至るまで「すべてものモノ・コト」は、正反対だったと言っても過言ではない状態に置かれている現状。まず初めに確認・相互理解しておく必要があるでしょう。
それこそが教育洗脳。
もうここで重ねて記すことはいたしません。必要に応じ過去アーカイブを参照いただければ。
ここ数年ずっとお世話になっている理髪店のオーナーとの会話の中で。
「ご親戚や身内に地震の被害はありませんでしたか」と。
ええ、理容業界の定番でしょう。時事問題や社会一般的な話題を話すのは。それが最も早くしかも簡単に共通の話題に乗ることができるからだと思われます。
彼は腕もセンスも良く、細部にまで意識が届く立派な方だと感じます。
そして、彼には何の悪氣もないことは承知の上で、以下続けます。
ストレートに直球で言葉に落とし込みますので刺さりますが、失礼を申し上げる意図は皆無です。
こうした負の力を会話のテーブルに載せると、その負のエネルギーにシンクロしそれを「会話の当事者が増幅」してしまいます。
ここ、難しいところです。
「見て見ぬふりをするのはダメ」というものとは論点のテーブルが異なる点を誤解してはなりません。
負の力は、それを認め受け入れる。ここまでは必須の工程です。
ただ、
それは、もうこの国の人であれば松の内の期間(もっと言えば三が日)で十分に行ってきたはずなのです。
ですから、さらに重ね塗りをしてそこのネガな力を焚き続ける必要はないでしょう。
はい、もちろん現在も現地で大変なご苦労をなさっている方々が存在することは理解しています。
阪神淡路1.17の時点で、実家のお隣まで焼失した経験もあるので、遠く離れた場所の人たちから「大変だったねぇ」などと声をかけられると、心底腹立たしく怒りが爆発したものです。
当時数日間、近隣の方々は、崩壊した家財道具を割り、家の一部だった折れた柱を切りドラム缶に焚べて焼き、頬を流れた涙の跡がススで真っ黒になりながら、ありがとう家具たちありがとう家の柱たち、と唱えながら、その火で暖をとったのでした。
けれど、それも必要な体験と学びだったこと。
ここでしっかりと物事を俯瞰してみます。
それも自分に必要で自分が過去に原因を作ったからこそ結果が生まれているのだと。因果応報。大原則大法則。
この大原則を知る限り、すべて受け入れそういった体験をさせていただいたことに感謝を捧げてこそ、その時点で初めて浄化ができる。と伝えられている通りではないかと。
結論を急ぎます。
「和する」という言葉の本当の意味は、苦しいことをいつまでも苦しいね苦しいね。と傷を舐め合うことではないはずです。
これ、まさに教育洗脳の極みでしょう。
「みんなでお手てつないで全員一等賞」という、いわゆる「悪平等」を刷り込んできたこの国の悪しき歴史です。
であるならば、
「被害はありませんでしたか」ではなく、他の言葉や話題が望ましいに違いありません。
こうやって、メディアは常に「負の力を一般民衆に生じさせ、それをいつまでも拡大し続ける。」のが役目なのであって、同じ波長に触れている限り「自分自身が善の仮面を被った悪」として、その負の力をいつまでも増幅してしまうのではないでしょうか。
言葉を置き換えます。
「和する」とは、
この先に必要とされる望ましい世界を創り出すために、その暖かく明るい力をみんなで束ね併せて大きく広げ、この世・物質次元に顕現化させてゆきましょう。というところを教えてくれています。
よって、
誤った教育により間違った理解として凝り固まった、毒にしかならない「垢」は、早急に流し去ることです。
そして、
この望ましい力と、そうではない負の力、この両極の二つの事項は、
望ましい力の本当の素晴らしさを知るために「その真逆を」体験させていただけたこと。ここにまで意識を巡らせ、感謝を捧げることではないかと感じるのです。
悪平等の誤った洗脳から脱出し、本当の意味での「和する日本人」として、心から暖かい波動を生み出してゆきたく思います。
いつも穏やかな波動をお送りいただける皆さま、ありがとうございます。
2024/02/09(Fri) 11:48:48 | New Age