監視社会への拒否感

一昨日[2019/08/03(Sat) 21:21:39] に【FreeSmartphone"handy"が増えてきた】の記事を書いた。
[Link]https://and-em.com/blog/index.php?no=r4499
単なる無料スマホがホテルに提供されているんだろ、それがどうした...なんだよこの投稿...。
といったイメージで流された方々も多かったように思う。
しかし、個人的にはこの記事には、すべての行動データが監視されターゲティングに利用されるのはどうなのだろう?といったニュアンスも含め、GAFAの栄華に示される、データを制するものが世界を制す。のような現状にしてしまったのは「私たち一人ひとりの行動の結果であり、そこに日本企業が入る余地がなくなってしまったことも残念でならない。」
そんな論調を交えたつもり。
今日8月5日になって、ある方からご連絡があり一つの記事をご紹介いただいた。
【日常のすべてが監視され、収益化される「監視資本主義」への警告】
[WIRED.jp:Link]
詳細はWIRED.jpの記事をお読みいただくとして、
ポケモンGOに熱中した(今でも稀に見かける)人々は、そのプレイに関する自分自身の行動といったBigDataを提供していたことすら気づいていなかったのではないだろうか。
「監視資本主義」という記事内にある表現では、もう既に人間そのものが素材であり特定企業だけを儲けさせる元になっている。という現実を再認識させてくれる。
そういった流れなんだから仕方ない...。
自分の個人データなんて、別にそんなに大きな価値はないし...。
そもそもこうした企業に逆らうことなんてできないんだし...。
そうだろうか?
その考え方を改めない限り、GAFA(あるいは第二第三のGAFA)はさらに寡占化し、いずれあなたの給与はゼロ円になるかもしれない。
今、webやSNSには、投資や運用を説く人たちが山のように増えはじめた。
大いに結構だと思うし、今後必要な考え方に間違いはないはずだ。
しかし、その根本である自身の行動に意識を巡らせる必要性を説く人は見当たらない。
【pringコミュニケーション進行中】
pring ID=amco99

2019/08/05(Mon) 11:14:10 | others