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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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望ましい氣を生み出します

越智の里に広がる秋桜 photo 宮本章光

思いが目の前の風景を創り上げます。
願い続けるものが目の前に現れます。

何を想像し、何を創造してゆきますか。


故意に負の念を抱かせるよう、四六時中ネガティブな情報を蔓延させられた世の中。
しかし、それも「負の念に満ちた人の心が作った」風景でした。

そこに触れなければ、その波長にシンクロしません。
そこに合わせなければ、その負の力の影響は受けないのです。
極めてシンプルな物理法則です。


美しく、暖かく、穏やかな風景。
心安く、静かで、落ち着いた波長を求め続けることで、その風景に出会うことができます。

繁忙を極める日々の中に、そうした「穏やかな現地の空氣」を一枚の風景として伝えること。
それもわたしの役目だと思っています。
しっかりと受け取ってください。
多くの仲間と多くの好ましい氣を。

同じ波長はシンクロする法則。
そして、
思いとして描いたエネルギーは、具現化する仕組み。
思いとして抱いた因果は、願った通りに因果の法則に従って結果を生み出すのです。

越智の里に広がる秋桜 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そろそろ身支度を

コスモスにお別れを photo 宮本章光

居残り勉強を続けますか。
居残り練習がまだ必要ですか。
残業する他の人たちを置いて先に帰るのは氣が引けますか。

布団叩きと同じように、叩けばたたくほど、いつまでも埃が舞い上がり続けます。


そろそろ身支度をする時間になりました。
まだまだです...などと謙遜する時期は、もう遠の昔に終わっています。
その発言が美徳だと勘違いしていると、それが自分の選択と意思表示になり、やり直し無限ループを永遠に繰り返します。
もう大丈夫でしょうか。

そろそろ「このゲームセンター・この映画館」から退館する時間です。
今回だけは、財布もスマホも、そして自分のアイデンティティーや名前までも、一切合切ぜんぶ置いて行く機会だろうと思われます。
しかし、
心に大切にしまっておく「思い出・体験・学び」は、決して置き去りになさいませんよう。

心の中にアーカイブされた、学びという貴重な「思い出」を、両手で丁寧に包み込み、美しい紐で結びあげてください。

コスモスにお別れを photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「らしさ」を大切に

秋のひとこま photo 宮本章光

唯一無二の特徴・特性。
どこにもない「らしさ」という特質。

無理に「知ろう・認識しよう」とせずとも、自ら備わっているものは自然と滲み出るもの。
白い花は、突然赤くならないでしょうし、赤い花がある日突然に黒くなることも多分ないでしょう。

自分らしさを探し求める...初めからそんな必要はなかったのです。
自分探しの旅...元からそんな必要はありませんでした。


そこに、そのまま。
ここで、いまのまま。

らしさとは、自然体のままで居ること。
それを生かし、それを成長・進化させること。
この地、あの世、宇宙の大原則に従って、拡大し伸ばし続けます。
なぜなら、
それが法則であり摂理であり、それがただ一つの進化の道だから。

秋のひとこま photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

意識を合わせてゆきます

コスモスに意識を合わせて photo 宮本章光

何を思い、
何を描き、
何に波長を合わせてゆきますか?

何を願い、
何を創り出し、
何処へ向かいますか?

コスモスに意識を合わせて photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

環境さえも自分の心で

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いま目の前に見えるもの。
それは過去の成果物。

これから先に目の前に現れるもの。
それは、いま心が創造する結果と具現化の形。

環境合わせて生きてゆく時代から、
環境こそ、自ら作り上げるものであると体現する時代へ。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そこに流れる大きな「氣」を受け取る

流れる氣を受け取る photo 宮本章光

動きのあるところにはエネルギーが流れています。
流れのあるところから氣を受け取ります。

黙って、ボーと口を開けていても受け取ることはできません。
そこに流れる「目に見えない大きな力」に、自分から波長を合わせてゆかない限りは。


感じようとしてみます。
流れに意識を合わせてみます。
能動的に。

音が聞こえるような氣がしませんか。
飛沫が飛んでくるような氣がしませんか。
自ら能動的に「そこにある周波数」に合わせてゆくのです。

それは、望むチャネルに合わせて番組を見たり聞いたりしてきたように。
それは、手元のスマホがエリア内で電波を掴み通信できるように。


そんなもの「氣のせいだ=思い過ごしに過ぎない」といった意味合いに真逆に刷り込まれ、誤った判断と思考をするように仕向けられてきたのですから、その隷属化された牢屋から飛び出します。
少なくとも、
自ら「意識をそこへ持ってゆく」ことは必要です。


心の波長がシンクロする瞬間は、必ず判ります。
ビビビッと響きます。
その振動が、五感に落とし込まれてゆきます。

音としての聴覚であり、
飛沫の感触のような触覚であり、
動きが見えるような視覚であり、
そして、
そこに満ちる香りや匂いとしての嗅覚であり、
掬って口にした瞬間の味覚であるように。


目に見えないもの。とは、
このように心で感じるもの。
先に心が響き、そのあとに五感に訴えてきます。

そこに流れる「大きく力強い氣」を受け取ります。
そして、
その恵みに深く感謝を伝えます。

森羅万象・すべての存在こそが神であることを忘れずに。
また、
その分身としての、借り物の体という名の衣への労りも忘れず。

流れる氣を受け取る photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「森に恩返し」をする時を迎えました

森に恩返し photo 宮本章光

森はいつも寛容で、
山は常に清廉な氣に満ち、
大きな包容力を持って弱った心さえも回復させてくれます。

自然は多くの生命を擁し、
自然とともに成長する仲間たちを見守ってくれます。


そこには、
必要な時に雨が降り、必要な時に風が吹き、必要な時に陽が差します。
必要ではない時には降らず、吹かず、陽も差しません。
すべては必然であり、
すべては極めて正確に間違いなく進化の道を歩みます。


数限りなく多くの、そして大きな力を与えてくれる森。
いま、これからは、いただいた暖かく穏やかな氣に、恩返しをしてゆく番になりました。
この大きな力に感謝を申し上げます。
ありがとうございます。

森に恩返し photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自由に創造する世の幕開け

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何の縛りもなく。
何ら制限されることなく。

「創造」とは、
これまでに存在していなかったものを、初めて創り出すこと。
心に抱くものが現実になるのですから、思う存分、自由に描きたいものです。
しかも自分の手(心)によって。


これまで、すべてのプロセスが正反対でした。
支配者による隷属化の社会でした。
しかし、
これからは、自分自身によって創り出す世の幕が開いたのですから、白紙に思いのまま描き上げることが可能になります。


何を描いたらよいのか判らない?
どのように表現したらよいのか分からない?
あるいは、
哲学者の言葉を借りるなら「無からは何も生じない」というのもまた真に違いありません。

こうした「無から有を生み出す」体験をしてこなかったのですから無理もありません。
ゆっくりと、感じるものに意識を合わせてゆきます。
無からは何も生まれないのであれば。
いえ、だからこそ、自分の心から生み出すのです。

創造するのは自分自身の心。
だからわたしたちは、一人ひとりが創造者。
自由に創造できるから創造者。


人から奪い取り如何に自分の懐を肥やすか。といった貨幣資産を築き上げることを成功の証とした古い世界を卒業できたなら、次は、互いに助け合い、ともに成長し創造してゆく世を築き上げて行きます。
これがこの先に歩む道であるはず。
まずは、
思うがままに心に描き出します。
意のままに描き切ります。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分が創り出すもの

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心に描くものが目の前の風景として具現化してゆきます。
充分に体感し、すでに使いこなしの段階に入っているかと思われます。

よく考える必要があること。
それは、
「余計なものを生み出さない」
「必要なものだけを生み出す」
この点ではないかと感じています。

【「氣をつけて」と言うから危険が生み出される】2023/10/04 [Link]
【「梅雨明け宣言」って何だろうね】2023/07/19 [Link]

これらの記事でも触れてきましたように、
考えるだけで、そのように思うだけで、いとも簡単に「目に見えない世界に」その「種(たね)」を生み出してしまいます。
この物質次元では、現実化までの時間がかかるために、何も生み出していない。と錯覚しているだけだと。

時間を経て、その「種(たね)」は、芽を出し葉を広げ、「結果」を現実のものとしてゆきます。
最終的に、望ましい花として昇華するのであれば、それは望ましいことに違いありません。
けれども、
「望まぬ結果が花開く」元のタネを生み出してしまえば、花にとっても歓迎されざる存在となる例えです。


その結果を生み出したのは、あなた。
自分自身。わたしたち自身であること。

発言に責任を。
行動に責任を。
そう語る前に、それ以前に、心に抱く想い・思いに最大限の責任を持つ必要があるでしょう。
以前にも何度も触れてきましたように。

自分が創り出すもの。
物ごと、モノを生み出すプロセス自体が、まったく正反対だったことにあらためて氣がつくはずです。
望ましい結果が花開くように。
望ましい結果を創り上げたいものです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

共鳴する体験を今こそ

美しく煌びやかに共鳴する photo 宮本章光

同じ周波数は響き合う・共鳴する。
それは一つの物理法則であり、且つ大宇宙の普遍(ふへん)的な決まりごと。


何度もこの場で重ねて記してきました。
ぼーっと口を開けて待っていれば自動的に流れ込んでくる。その状況になること・起きることだけが真なのだ・正しいのだと思い込まされてきました。
しかしそれは、洗脳にしか過ぎなかったこと。
もう大丈夫でしょうか。

そのように「自動的に」「意識せずとも」与えられるものだけが「正しい」のだと、誤って刷り込まれて来たのです。
ですので、自動的に流れ込んで来ないものは「すべてウソだ」と思い込むようにクセがつき、そこから脱し切れないのです。
もう大丈夫でしょうか。


自ら「能動的にフォーカスを合わせてゆく」。
このプロセスなくして、自動的に共鳴することはあり得ません。
嘗ての洗脳教育の教科書からすれば、それは「ウソでありニセモノ」だったのですから、いきなり正反対で真逆の方向に意識を変えるのは大変でしょう。
でも、
直感と勘が指し示す周波数は、意図せずとも、そして無理をせずとも、勝手にチューニングしてくれることに氣がつきます。

まさに「違和感を感じないほうを選択する」ことが、自分にとって、そしてその瞬間の自らの波長に合っていると感じられるはずです。
無理せず違和感の少ないほうが「真であり正解」だと判るようになってきます。
ここまで理解とともに体感を重ねて来られたに違いありません。


この「新時代特別仕様の心のセンサー」をさらにもっと磨いてゆきます。
磨けば磨くほどに感度は高まり、且つS/N比も大きくなるのです。
この心のセンサーをもって、この地でともに学ぶ多くの仲間に波長を合わせます。
すると、
共鳴する瞬間の、そのシンクロ感が判るようになります。

言葉に置き換えてみるならば、
「心地よさ」
「暖かさ」
「悦び」
「込み上げる感謝の氣持ち」
といったような、甘酸っぱいような感覚とでも言えばよいのでしょうか。

この「共鳴・共振」する感覚。
この「ともに響き合う」感触。
これこそが、
同じ周波数で振動するという体験。
そして、
他でもない、これこそが共振共鳴の物理法則であり、大宇宙の摂理であったことに理解が到達する瞬間でもあるのです。

共鳴する体験を今こそ。
これからの時代を歩むための重要なスキルの一つであると思われます。

美しく煌びやかに共鳴する photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

安心して陽の光に身を委ねる

飯舘村役場で出会う秋の陽 photo 宮本章光

暖かく心地よい陽の光。
穏やかで心安く過ごせる柔らかい日差し。

いつの間にか、わたしたちは「そんな穏やかで心地よい感触」を忘れてしまったようです。
でも思い出すのは簡単です。
そこに居る仲間が発する「言葉」、それは人の言葉ではありませんが、その力の周波数に心を合わせてゆきます。
すると、
まるで頬にその日差しを受けているかのごとく感覚を得ることができます。
あるいは、体全身で穏やかな空気に触れる感触を受けるかもしれません。


氣がついた人から取り戻しています。
わたしたちが本来持っていた感覚を。
理解できた人から実践しています。

行動する、とは、物質次元ならではの「この借り物の体」を使って、そのツールとしての全身から心にダイレクトに届く感覚を受け取ること、そのエネルギーを感じること。
そして、
その溢れ出す感謝の心を大地とすべての仲間にフィードバックすること。

もはや、走り回る時代は遠い昔の話になりました。
安心して、この穏やかで心地よい、そして美しさに満ち溢れた力に波長を合わせてゆきます。

飯舘村役場で出会う秋の陽 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

未来に向かって種を蒔き育てる

秋を迎える photo 宮本章光

将来に芽が出るかどうか。
それは誰にもわかりません。

未来に花開くかどうか。
それはその時を迎えてみなければわかりません。

けれども、
「種を蒔かない限り芽は出ない」のは疑いようがありませんし、「目的に沿って育てない限り望む花は開かない」のは確かでしょう。


いまこの時を大切に。
とは、
嫌なことに蓋をして見て見ぬふりをし怠惰に過ごすことではなく、無理にわくわくしなければならないほど荒んだ心の状態を隠すことでもなく、あるいは、心にもない言葉面だけで感謝感謝と重ねることでもなく。


いま、ここに意識し心に描くもの、あるいは物理次元地球における一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を大切にし育むことにより、それが結果として花開くという事実。

この4年間あるいは2011年以降、物ごとに真摯に取り組み、望む近未来を明確に描いてきた方々にとっては、すでにここに「花開く」その前夜を迎えているはずです。
もしくは、
すでに、目の前には美しく花開いているに違いありません。

佳境に入りました。とメッセージをいただきました。
もう元に戻ることはありません。


さらに多くの美しい花を咲かせましょう。
さらに多くの穏やかな心を拡大してゆきましょう。
そのためには、
まず、種を撒くこと。そしてそれを大切に育てること。
一朝一夕(いっちょういっせき)に森は生まれないこと。

何を大切にして生きてきましたか。
何を心に抱いて今日まで生きてきましたか。

秋を迎える photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いずれ訪れる賞味期限まで

夜の帷が降りる photo 宮本章光

この地・この世での体験・勉強は「賞味期限・有効期限」が設けられています。
ここに異論を申し立てる人は皆無かと思われます。


以前にも少し触れていましたように、
「死んだら終わりや」
「もうあとは無いからどでもええんや」

【「いまを生きる」そのもう一つの視点】2023/09/28[ Link ]

などと、現生を無駄に過ごすと、いずれその姿勢・態度を後悔する日が必ずやってくるでしょう。
仮に、来世は存在せず死後の霊界もあり得ない。と否定したとしても、いまこの瞬間を「無駄に流し」「怠惰に過ごし」「成長の機会を放棄」している限り、その姿勢に対して「バチが当たる」のではないかなと。

いえ、これは例えなので、バチは当たらないですし、誰一人として、神とてそんなものは返してくることはありません。
これは真摯に過ごすことを教える例えだったわけで。
ところが、
「自分自身で無駄に過ごし」「自分自身がいい加減な態度」で生きている時点で、その因果をこれまた激しく積み上げてしまうのは間違いないでしょう。
そして、
そのことにさえ氣がつかず、賞味期限切れの瞬間を迎えます。

よく言われますでしょう。
臨終の期に及んで、もっと色々なことに取り組めばよかった。だとか、もっとやりたいことをやればよかった。と後悔する人が極めて多いのだとか。
死後は存在しない、だとか、霊界など無いだとか。死んだら終わりや。などなど、それ自体が洗脳であり支配者が隷属化するための刷り込みだったことを、あらためて思い知るのです。


いずれやってくる、お借りした貴重な体という衣の賞味期限を迎えた時に、後悔をせぬよういまを生きてゆきたいと思うのです。
結局は、
自分が遭遇する結果は、自分が元を作っていた。というその仕組み。
こういった事項においても、すでに全てが証明されているとわかります。
あるいは、
バチが当たる、というその「バチ」は、神が返してくるのではなく「原因を生み出した自分自身」が「自分自身に対して」矢を放っていることさえも...。

いずれ訪れる賞味期限まで。
悔いのない生き方をしてゆきたいと。

夜の帷が降りる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

因果律・それは「根性論」とは異なる

道すがら出会う草花 photo 宮本章光

どことなく、なんとなく。それでいい。流れに任せて。
と語られますと、途端に「怠惰」に陥る。
過去に蓄積しすぎ首が回らなくなった因果を解消せねば。
と伝えられますと、それは根性論か。もう終わったやろ。と跳ね返る。


何を選択しようと、どの道を進もうと、自由に違いありません。
ただ、
誤った認識は、誤った結果を導くだけかもしれません。
ここは「物質次元・物理次元地球」であるが故でしょう。いつもの「物理次元地球の歩き方」からは逃れられないので。
もちろん、この先の展開を見極め、違うレイヤーに引越しするのは必須の行動には違いありません。


原因があるからこそ結果がある。
その原因が、激しく負の方向に偏り、膨大に溜まってしまった結果として、今の目の前の風景が生じている。
その原因と結果の大原則、大法則は、人の意識で変えることができないもの。
これだけは確かだと感じます。

ところが、それと同じ感覚かのごとく取り違えて、
世の中甘くない。苦あれば楽あり。苦労してこそ生きる価値がある。といつまでもやってしまう例えに結びつけてしまう。
それ自体は、ある観点からは間違っていませんし、学びのプロセスとしては有効でした。
ただ、
それは、学習済みなのでもうこれからは必要ありませんよ。というフィールドのお話ではないかと思われます。

それなのに、
因果の話しになると、同じ土俵で論議をしてしまう。
原因により生み出された結果なのだから、それはすべて受け止め受け入れなくは、ニュートラルに戻れないわけでして。

その苦しさを、苦あれば楽あり・根性論で乗り切るのか!ってな感覚で捉え、もう終わったんだから捨ててしまえばいい!
と、ごちゃ混ぜにして語ると大きな誤りをしてしまう可能性があるのではないかなと。


原因に対して結果がある。
それは物理法則に通づる大原則・摂理のお話。
片や、
成長過程で用いられた学習教材なのにもかかわらず、この大原則と同じものとして扱い、もう学習済みなんだから、そんな因果など関係ない。根性論はこれからの世界には要らねえんだ。
と、またまたやってしまうのです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、
必要以上に苦しむ必要などまったくないのであり、因果の大きさだけバランスする法則そのものが語られています。
言葉の上で何もかも混ぜこぜにして一緒にするところに理解の至らなさがあるかもしれませんね。というところでしょうか。


ということで、ここまで導き出されたのなら、きっぱりと離れます。
無限ループな負のサイクルに自分から捕まりにゆく必要などありませんので。
この波長に意識が合致している限り、どんどんその沼にハマって行きます。
逃げるが勝ち。
そんな言葉もこの国にはありがたく存在しています。

不要なエネルギーには触れない。
それが、いまの大混乱、大転換機には、ある種の処世術として身につけるべきスキルかもしれません。

道すがら出会う草花 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自ら崩れてゆく道・切り拓く道

飯舘村で出会う日本の原風景 photo 宮本章光

いよいよその期を迎えたようです。

自ら崩壊へと向かう人。
自ら道を切り拓く人。

この4年間で、真っ先に覚醒を果たしていたかのごとく発言していた方々が、もう我慢の限界...と、自ら宣言し崩壊してゆく様を、数多く目にしています。
あるいは、キラキラと美しい言葉で着飾って、この先には桃源郷しか存在しない...式の世界に住んでいた方々も、白旗上げてピリオドを打っている姿が痛々しく。


ええ、自分の道は自分の心から創り上げます。
創り上げる。とは、
真っ白な何も描かれていないキャンバスに、自分で絵の具と絵筆を使って描いてゆくこと。

自ら限界宣言・崩壊宣言をしてしまった時点で終了です。
ゲーム終了です。

サグラダファミリアよろしく、永遠に完成しない絵を描き続けるのです。
それが、わたしたちの運命。
それが、高次存在の「いたずら」であったとしても。
わたしたちは、生きものをモノとして扱い観察日記をつけたでしょう。
わたしたちは、四つ足の仲間を食べ物として口にし、限りなくこの世に負荷をかけ、業を積み重ねてきたでしょう。

この地で積み重ねたものは「今世・今生」だけではないことを、しっかりと理解する必要があります。
数千回とも語られる転生において、激しく負のポイントを重ねた悪行、悪事を体験していた転生時代もあったでしょう。
それだけ、負の因果を盛大に積み重ねてしまったのです。
とてつもなく、そして限りなく大きな、負の因果を背負っていることに理解が及んでいるでしょうか。
だからこそ、その積み立ててしまった激しく大きな「借金=負の因果」を返済しなくてはならないはずです。


他方、心から望む風景を描き上げ、道を創り上げるスキルとともに、心の手綱(たずな)を自在に操ることができつつある方々。
何があっても動じず、腹を据えて道を切り拓く人たち。

敵前逃亡は決していたしません。
激しく蓄積した「業」(負の因果)を解消するには、今生だけでできっこないレベルであることが理解できているのなら、何があろうとも、真正面から向き合って取り組むのです。

---もうこんな地球はたくさんだ。
---もう苦しめられるのはこりごりだ。
ええ、ですが、
それだけのものを、過去世・前世で「自分が」盛大に蓄積してきたのですから、返ってきたブーメランをしかと受け止めることです。
今生だけで解消できないなら、できるまで頭を下げ続ける覚悟があるのか。です。
そして、
それを受け入れながら、なお且つ、望ましく明るい近未来の青写真を描いてゆくのです。
そこまでの覚悟のある者が、世話になった(あるいは限りなく迷惑をかけた)この地で、これからも新たな創造者として歩いてゆけるものと確信しています。


いよいよその期を迎えたようです。

自ら崩壊へ向かう人。
自ら道を切り拓く人。

どちらを望みますか。
永遠に選択の連続だと。それがわたしたちの運命ですから。

飯舘村で出会う日本の原風景 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

伝えればこそ応えてくれる

生命がみなぎる泉 photo 宮本章光

作用と反作用。
原因と結果・因果。

美しいものを美しいと感じ、
そこに美しいと伝える。

そんな当たり前の世の中を創り上げてゆきます。
そんな当たり前が、当たり前でなかった支配と隷属化の歴史。
もう終止符が打たれているにもかかわらず、そのレイヤーに止まり続けるのは終わりにしたいものです。


素晴らしいものを素晴らしいと感じ、
そこへ素晴らしいと心から伝える。

負のエネルギーは、感じてはならないものではなく「抱いてもよい」のです。その体験をするための地ですから。
しかし、
その力が「無から生み出され具現化してしまう」責任は、自分自身で後始末をする必要があると。
この部分さえ見誤らなければ、望ましい風景を描き出すことが可能になるはずです。

伝えればこそ応えてくれる。
多くの生命とその存在に。
ありがとうございます。

生命がみなぎる泉 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

残酷なように見えるがそれが王道

樹々と澄み渡る空のコラボ photo 宮本章光

苦しい思いをする。
辛い目にあう。
痛い経験をする。

それは、その体験が必要だから自分に返ってきたもの。
その事象が起きる原因は、自らが作ったもの。因果応報。

もう語り尽くされてきたはずです。
もう十分です。

けれども、
いまも今とて、どうして?なぜ?忙しすぎる。辛すぎる。痛すぎる。
と語り続ける。走りまわる。数を増大させることが成功の証だとしがみつく。
幸せを掴む...と言いながら、貨幣資産を手に入れることに躍起になる。

そして、その現実を自分で作っていることに氣づけない。


残酷なように聞こえるかもしれません。
それらは、わたし(たち)とは、エネルギー的に違いすぎるように感じます。
もう、とうの昔に「分岐したもう一つの道を選択する機会」があったにもかかわらず。

残酷なように見えるかもしれません。
もう、何もかも「ごちゃ混ぜ」にして、どのように学びどのように進化できるかという実験は、すでに終わったと伝えられているのです。
実験結果は、「失敗だった」と。

よって、この先は、
同じ波長で響き合えるものだけが、同じ周波数でシンクロする世界に作り変えてゆくのだと。
よって、これから先は、
異なる波長は、ともに存在できないことが決定しているとされます。
すでにこの物理次元でさえ、異なる周波数は同期しない=スマホが通信できないのと同じでしょう。
だから、差異が大きすぎる存在同士(魂レベルと語られます)は、同時に生きることはないと。

もちろん、
多様性が進化の秘訣でもあるわけですから、異なるものを認め・尊重します。異なるものを受け入れます。
けれど、
「無理をして」合わせてゆく。
「自分を殺して」心や意識を人に合わせる。

そんな生活は終わったのです。
それを美徳と語るなら、この地での生存に「お呼びでない」と理解することが必要でしょう。


「お手て繋いでみんなで一等賞!」的な、古い思想から離れます。
そして、
心を晴れやかに、穏やかに、静かに維持することで具現化する、この先の風景を楽しんでゆきます。
但し、「物理次元地球の歩き方」の大原則を外れることなく。

樹々と澄み渡る空のコラボ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

仲間はここにもそこにもあそこにも

飯舘村の森で出会う仲間 photo 宮本章光

答えを探し求める。
そのような旅は終わりにしましょう。

答えが求められる、その元になる問いを作り出さずに。
現時点で、過去に作り上げられた結果が目の前にある以上、その原因を突き止めておくことは必要不可欠ではあります。
但し、見て見ぬふりをすることなく、この先に求められる望ましい結果は生み出せるように。

心に抱くから目の前の風景になってゆきます。
心に描くから具現化されます。

このようにして、数千年の間、いえ数万年かもしれません。
わたしたちは、心の中から無意識のうちに負の結果を導くように仕向けられてきました。
その「クセ」を綺麗さっぱり捨て去ります。
なぜなら、もうそのプロセス・教科書は学び終えたから。

望ましい結果を得るために。
望ましい風景を創り出すために。
そして、
その手助けをしてくれる心強い仲間たちに意識を合わせてゆきます。

美しいと感じる心。
美しいと響き合う波長。
ここには、初めから答えが用意され存在しています。

氣がつけば、ここにもそこにも、あらゆるところに。
ともに描き出してゆきます。
ともに創り出してゆきます。
ありがとうございます。

飯舘村の森で出会う仲間 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「答えを探す」を超越する

川と水と生き物と photo 宮本章光

答えを探し回る。見つけようとする。
その意識を「超越」してゆきます。

なぜなら、
答えが必要となる「問いや疑問」を作り出したのは自分自身だから。
まず初めにその「負の力」を生み続ける根源を止めないことには、永遠にその輪廻の渦から逃れることが叶いません。

因果律、因果応報の大原則・大法則は、この地もあの世も大宇宙の隅々まで等しく作用する不可侵の摂理と伝えられているのですから、その仕組みに逆らうことができません。
どこかのタイミングで、あるいは、どこかの地点で、その回転を逆方向に転換させるための機会があるはず。
その機会とて、等しく同じく、自分で生み出すということに氣がつくかどうか。
極めて重要なポイントがここに隠れています。
そしてその機会は、日々いたるところに存在していることにも氣づくことができるかどうかにかかっています。


ただの単なる川。
そこに生い茂る樹々。
そして、その葉が役目を終えて川に返ります。
その存在、その一生の役目そのものに、美しさを感じる瞬間があるかもしれない。

こうした感覚が、すべてを超越する根源となって「流れを・回転を」変えてゆきます。
変えるのは、
ほかでもない「自分の心」。

答えは、ここにある。
そう氣がつく瞬間は、いたるところに存在していると語られる所以です。
併せて、
これほどにまでシンプル且つ美しい仕組みに氣づけたことに感謝が溢れてゆきます。
いたるところに、あらゆるタイミングに、素晴らしい仕組みが備わっていることに。

負の力を自ら生み出し、その答えを探し回る愚を踏み続ける。
この巡りを、いまこの瞬間から終えてゆきます。
これこそが、古いレイヤーから抜け出し超越する瞬間だと目が覚めます。

川と水と生き物と photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

探さなくていい

飯舘の大自然から学ぶ photo 宮本章光

何を求め続けるのでしょう。
何を探し回る必要がありましょうか。


答えは、この地・この大自然とそこに息づく仲間から齎されます。
感覚をその森の響きに重ね合わせてゆきます。
意識をその生命の鼓動に同調させてゆきます。


答えは、そこにあることに。
自分から「目隠し」していたことに氣づくだけでよいのだと。
答えは、そこに居る仲間から。
ありがとうございます。

飯舘の大自然から学ぶ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この借り物の体を使って行う役目とは

この借り物の体を使っての役目 photo 宮本章光

この地は、体という名の衣をお借りし、さまざまな体験を積む場所とされていること、もう理解が届きつつあるはずです。
では、
体験とは何なのでしょう?

それは、
苦しみという学び。過去に積み重ねた因果の解消・浄化。
このプロセスを通し、対極にある喜びと感謝を得ることだとされます。

いま、ようやくこの長く苦しい道のりを終えようとしているのではないでしょうか。もちろん、道半ばで「負の因果に対し見て見ぬふり」を決め込みリタイアする事例もあるでしょう。
何度も重ねて綴ってきた「引き寄せ」は、因果応報の仕組みが最優先するために、それら期間限定・場所限定マイナスポイントを解消し尽くさない限り実現しない。
ということも、十分に理解が進んだに違いありません。


ここまで到達できたのならば、次のステップを待つ必要はありません。
いつまでも「口を開けて待っていればエサが与えられる雛鳥(ひなどり)」のように、待ちの姿勢が永年の隷属化洗脳によって染み付いてしまっているのですから、ここは一発奮起して、ジャンプしなければならないでしょう。

飛び出すのです。
それは、
もう浄化も済んだのだから...などと、決して胡座をかくことなく、大宇宙の摂理に従って「常に進歩・進化」し続けることだと思われます。
ジャンプするフィールドは、他でもないこの地・この現実世界。
過去因果が作り上げた、この目の前の風景の中で、です。

はい、それは浮き足立った未知の桃源郷ではありませんし、まだ見ぬ未来の世界でもありません。
まだ新しい世界も何も存在していない、この、今の世の中です。

そしてそこで果たす役割は、
この「お借りしている体」を使わせていただける間に「役に立つ」こと。
この大仕事に取り組む仕事がまだまだ残っています。
「役に立つ」とは、
人さまに対してでもありましょうし、この地の他の生き物・すべての存在に対してでもあるでしょう。
あるいは、もっともっと拡大して、この地・この地球そのものに対しても当然でしょう。さんざん世話になったどころか、とんでもなく負荷をかけ痛めつけ、取り返しのつかないところにまで追い込んだツケを払う必要があるはずです。

それは期間限定。且つ一方通行のカウントダウン。
体という「ツール」を使わせていただける時間は、刻一刻と減少の一途を辿ります。
この「とてつもなく大きな力を備えたツール」を、目一杯活用して、この大仕事に取り組みます。

この仕事とは、望ましいエネルギーを放つこと。
そのためには、望ましい心を維持すること。
平静・平穏の中に抱く意識によって、すべての存在へ・この地へ、大きく暖かなエネルギーをお返しすること。

こうした役目を果たしたいと思うのです。
この大仕事に取り組んでこそ、次の世が開かれるはずだと確信します。

この借り物の体を使っての役目 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

去るもの流れるもの追わず惜しまず

夏を見送る川の流れ photo 宮本章光

今年2023年の夏を見送ります。
一氣に入れ替わった空気感。見事な季節の移り変わりです。

この夏は何を学びましたでしょうか。
この秋は何を迎え入れ何を吸収しますか。


この地もあの世も、大宇宙すべての法則。
それは、
常に変化し続け、永遠に拡大し成長し進化し続けること。

その摂理に従うことができなければ「淘汰」される仕組み。
この地においての淘汰とは、物質形態の崩壊と消滅。
それは、
ある時は、新たな形態への進化かもしれませんし、またある時には、完全変態のための消滅なのかもしれません。


いまだ嘗て存在しなかったとされる大建て直しには、まずすべてを更地にする必要があります。
完全な白紙に戻すからこそ、そのキャンバスには望む絵を描くことが可能になるはずです。

去るもの追わず。
流れるもの惜しまず。
そしてその次に、自らの望む世界を具現化してゆきます。
ともに描いてまいりましょう。

夏を見送る川の流れ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「氣をつけて」と言うから危険が生み出される

飯舘で出会う山の清流 photo 宮本章光

余計なものを生み出さない。
負のエネルギーを作り出さない。

嗚呼、この生では学ぶことが叶わなかったんだねぇ。
ああ、この地では成長できなかったんだねぇ。


--- 氣をつけて。
--- 氣をつけなさい。
そう発言するのは当たり前だと思っていますでしょう?
特に、親子や家族関係なら尚更かもしれません。

--- 道中、氣をつけて歩くのは当然だ。夜は暗いんだから。
--- 遠距離を移動するのだから、氣をつけて旅行に臨むのは常識だ。何が起きるか分からないんだから。


果たしてそうでしょうか。
そのように思うから、そのような現実が作り出されるというこの地の真実。
目隠しされ洗脳され、すべてを嘘で固めた世界に「慣れさせ」「麻痺させられ」てきたことに理解が及んでいますか?

氣をつけなければリスクが高い。
氣をつけなければ危険な目に遭う。
そう考えるから、それを作ってしまっているのではありませんか?
故意にそのようなエネルギーを生み出すように産み出すように仕向けられてきたのです。

すべて自分が創り上げているのですから、その根源を「産まなければ良い」という極めて単純な仕組み。
心して今生の残りを過ごしたいものです。


[Link]【もうそろそろ次のステップへ】2023/07/18
---◇◇---
「めちゃめちゃ暑いね。どうなってんやろな。」
「今日も暑いね。氣をつけて。」
多くの方々が、そのように言葉を発します。

それ、挨拶だから当たり前でしょ?
それ、時候の挨拶でしょ?

確かに。
でも、そう語るからそのようになる。その仕組み。
---◇◇---


[Link]【暑いね〜と言うから熱くなる】2022/07/03
---◇◇---
暑いね〜、熱いね〜。
その言葉が、言霊が、意識が、その状況を現実として具現化してゆきます。

地球地軸の傾きが大きく変化しただけにとどまらず、わたしたちの集合意識が「さらに暑くしている」ことを知りましょう。

台風しかり。
もう上陸して甚大な被害を及ぼす台風。この2年間では記憶にないはずです。
そう、こうして「意識」が現実を創り出します。
---◇◇---


但し、
気をつけなくても、絶対に安全が保障されるという世の中ではありません。
この観点では「物理次元地球の歩きかた」の基本事項に従わざるを得ません。ここは勘違いのありませんように。

要は、必要以上に「不要な力」を生み出さないで。ということなのです。
生み出しているのは、あなた。
何もない空間に、目に見えない空間に、無から有を産み出したのは、あなた自身。


「氣をつけて」と言うから危険が生み出される。
その仕組みを学習したのなら、それを活かして次の世を創り上げてゆきたいものです。
残念ながら学び足りない、あるいは学ぶことを選択しなかった方は、今世で永遠のお別れ。
他の地で、再度しっかりと学んでください。さようなら。

これからは、同じ波長と同じベクトルのエネルギーをともに束ね、新しい世を創り出す時代が幕を開けたのですから。

飯舘で出会う山の清流 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

愛だ!光だ!と叫んだ行く末

Head_Iitate2019_img_0108P.webp

この地では、物ごとは「両方・両極ともに」存在していること。
片方だけに偏っていては成立しない場所であること。もう十分理解して満腹であったはずなのですが。

その、何と言いましょうか。
片方だけにフォーカスするのは、「何もかも全部学び終え過去に溜め込んだマイナスポイントも全部浄化したあと」に、自分がこの先に「望むものに集中してゆく」という、その選択の方法とそれまでのプロセスについて語られています。


膨大なマイナスポイントが解消しない限りは、「引き寄せ」は叶わず・実現せず。いつまでも苦しみ・痛み続ける。
という因果の大原則・法則に理解が届いていない。
物理次元地球の歩きかたの大原則を無視して、心の世界の真似ごとに躍起になっても、何も変化せず。
という肝心要の部分が抜け落ちている。

本当によく見えるようになってきました。
いえ、自分も僅か3,4年ほど前まで同じことをやっていたので、恥ずかしさは半端なく隠れ場所を掘りたいところではあります。


すべては愛!すべては光!
と叫び続けているのも、肩幅がまったく合わない上着を着用しているかのごとく激しい違和感を感じます。

愛には「プラスもマイナスも」存在しているはずでしょう。
光にも「正方向へも負の方向へも」波動があるはずなのです。
よく言われる言葉。
「善の善・善の悪」
「悪の善・悪の悪」
これらはすべてセットであることを、本心から理解し体得したいのです。


美しいことや綺麗なことだけに意識を合わせるのは誤りではないはずです。
しかし、
では、例えば平和を祈る、というその意識の「対象となる裏側」には「争いと奪い合い・戦争」という貨幣経済と欲望の行き着く先のエネルギーがあることまで意識が及んでいるでしょうか。
これらはともにバランスしなければ存在し得ない。
平和を・平和を!
と、やればやるほど「その対極にある負の波動を生み出してしまう」ことに氣がついていないようにも見えます。
意識するもの。そしてそれとペアであるものが生み出される、その仕組みに。

美しいものを美しいと語る。
これもまったく間違いではなく誤りでもありません。
しかし、
では、愛は美しい!だから美しいものだけを!とやってしまいますと「負の愛」があることが抜け落ちてしまいます。

学びのためには、あえて「可愛い子には旅をさせる」ではありませんが、苦労する姿を「見守る」ことこそが、愛の姿でもあるはず。
苦しい体験をすることでしか理解し得ない。それを体験するために生きている。
これを、楽しいことしか存在しませんよ。美しいことだけを考えて生み出しましょう。
とやっていると、ここには一切の成長が期待できないことに理解が及んでいるでしょうか。
意識するもの。そしてそれとセットであるものが生み出される、その仕組みを。


両方をともに等しく大切にする。尊重する。
だから、片方だけにフォーカスして叫ぶのではなく、すべてを体験し尽くして苦しんだからこそ知ることができた、幸せのステージにまで登りきってから。
あるいは、すべての負の因果を綺麗さっぱりと解消してから、やっと、そのあとに望むエネルギーに合わせてゆきたたいものです。
そのように感じる日々です。

このような意識を文字に落とし込むのも、霊的な世界からの「導き」があるからこそだと感じています。
ここに、再度の感謝が溢れ出すのです。

Iitate2019_img_0108P.webp

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

もっともっと自然と会話する

もっと自然と会話する photo 宮本章光

もう但し書きは不要でしょう。
自然と会話する。その意味について。

実際に自然と会話ができる方々が、さらに増えているはずです。
そこに存在する生命としての「目に見えない力」を感じることができる人たちが。

言葉ではなく。
明確な単語が語られるわけでもなく。
しかし、
そこに存在する「何らかの力」そのものを、極めてシンプルに受け取ることができるようになっています。


嘗ては、それを「氣のせいだ」というワードに包んで「思い過ごし」であると教育され洗脳されてきました。
ところが、この国の言葉には言霊が宿ります。
「氣のせい」の「氣」とは、その対象の「氣というエネルギー」だったことを、その言葉自体で伝えてくれていたのです。

思い過ごしである、と「目に見えない力」を否定し続けてきた長い盲目の時代。
目に見える物質次元だけを信じるように仕向けられてきた過去。
そんな牢屋・檻から脱出します。
それは自分の意思と選択によって。

出る出る詐欺、来る来る詐欺はもう沢山でしょう。
自分の道は自分で創り出す。耳タコだと拒否すれば、その時点で「創造」は止まります。
創り続けます。
目の前に具現化するまで永遠に。
その仲間としての大自然の生き物たちとともに。

もっと自然と会話する photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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