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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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金環日食フィーバーより大切にしたいもの

カルチャーで学ぶデジタルカメラステップアップクラスより

金環日食フィーバーに明け暮れた一日だった。
この国の人々はいつからこんなに「群れる」ようになったのだろうか?

300年後なんて生きていないから絶対見なけりゃ!
というのも判るが、18年後には北海道に行けば再度太陽リングに会うことができるらしい。
それに、海外も含めると結構な頻度でチャンスはやってくるのではないか。
何か、情報統制というか、目先の話題に踊らされる悪いクセが付いているのではないかとさえ思える。

とはいえ、自分自身も早朝から近場の山の中腹まで登り「イベント?」に参加した。
リング状に見える瞬間は、日食メガネを通してしっかりと脳裏に焼き付けた。
でも写真は撮らなかった。
もっと大切なアクションがあるはずだから。

この瞬間に何を考え、何を願っただろう?
「見た!」だけで良いのかもしれないし、人様の行動にクレームを付けるものではない。
だが、千載一遇のチャンスだからこそその瞬間にしっかり考えてみたいものがあるはずだ。

継続して仕事が続けられることのありがたさを思い、一緒に時を過ごす家族や仲間に想いを馳せる。

午後に開催したカルチャーのクラスで巡り会った蜂の姿。
ご参加いただいた生徒さんから蜂が蜜を求めて飛んでいる、との言葉があり偶然撮影することができた。
私にとっては、webに溢れる似たような日食写真より、参加いただいた皆さんと共に過すことができた充実した時間とこの一枚の写真のほうがよほど価値がある。

まだまだ...と言っているうちは階段を上がれない

個人フォトレッスンにて

色々な方々とお会いし、さまざまな意見や言葉に触れる機会が持てること。
カルチャーでのフォトレッスンや個別クラスでお会いする多くの方、それぞれが貴重なご縁であり宝物と言っても過言ではない。

だが、その中で「私はまだまだ...。」「私にはカメラを全然使いこなせていないのでダメです...。」と枕詞のように仰る方が一定の割合で存在する。
こうした言葉は日本語独特の言い回しなのだと思う。けれども、まだまだ...と話しているうちは、いつまでも「まだまだ」の世界から抜け出せないように思う。

まだまだ、であるなら、自分の目標とする到達地点はどこなのか?
まだまだ、であるなら、いつまでに満足できる結果を出せるのか?
そして最も重要なのは、どういった部分が「まだまだ」であるかという認識と、それを改善するためには「何が必要か?」を理解し、実現しようとアクションを起こしているか?
ではないだろうか。

ゴール地点とそこに到達するまでの具体的なスケジュール、そしてそのための手段が見えていないと、絶対に階段を上がることはできないはずだ。
カルチャーでも、まだまだ、の言葉を発する方はレギュラーのカリキュラムを終えた時点で去って行かれるが、まだまだを口にしても、その後一つづつ結果を出して行く方は進歩がハッキリと目に見える。そしてその後もwebを通してご縁が続くことが多い。

心を込めて撮影をしましょう。というのがハヤリらしい。
心を込める、というのは具体的に道具としての機材をどのように操作するのか?という部分が抜け落ちている。これでは「まだまだ」の世界から永遠に抜け出せないように思われる。
なるほど、まだまだ...を連発する人も増えるわけだ。

盛衰の分岐点はここにある

雰囲気を醸し出す

流行る店、そうでない店...。
感じの良い施設、そうではない施設...。

何が違うのだろうか?
小学校のときに「相手の立場に立って考える」という言葉を学んだ。

お互いが心地よく仕事ができる環境を考える。
お互いがスムーズに進行できる配慮を忘れない。
双方が共に良い結果を出せるようなアクションが必要なのだと思う。

もちろん、ビジネスである以上は売上確保や利益追求を抜きにはできないが、忘れてはならない配慮と感謝の心に結果はついてくるものなのだろう。

数多くの見積依頼やお問い合わせをいただく。
スケジュール確保が必要なので「可否の回答」を必ずいただきたいとお願いをするが、受注にならない場合の大半は、何の連絡もない。
それは見積というプロセスにおいては何ら問題ではないのだが、相手の立場で考える配慮ができない人が選択した結果は、果たして本当に良いものになるのだろうか?

結果には必ず原因があるはずだ。
人の振り見て我が振り直せ、という教訓。
盛衰の分かれ目はこんなところにあるのかもしれない。

溢れる写真もスパムになる時代

出張撮影レッスンより

webに写真が溢れている。
ケイタイにカメラが搭載されて久しい。今はスマホカメラも秀逸な絵をアウトプットしてくる。
だから、誰でもどこでも簡単に写真撮影。
モバイル高速通信回線の普及と同時にソーシャルメディアの急激な発達という背景もある。

今日の出張レッスンにご参加いただいたある方の一言。
「フィルム時代には現像やプリントの費用がかかるから一枚一枚を丁寧に撮っていた。今は削除すれば良い、という安易な考えで撮るから構図にも甘さが出てくる...。」

見事な指摘である。
何が良い、何が悪い、というのではなく、写真には「撮影者がその時に感じた」意図や想いが込められているはずだ。
ところが、どう考えてもそのような意識が感じられない写真がwebに溢れるようになった。

思いの入っていない写真はスパムメールと同じで、回線トラフィックの増大と閲覧者の時間を無駄に搾取するだけ、というとんでもない時代になった。
スルーすれば良い、のかもしれない。
けれど、そんな感覚が日本をダメにしているように思えてならない。

青色のご飯を食べたいですか?

パンダ弁当イメージ

「青い色のご飯」を食べたいと思うだろうか?

一般的に食べ物にあまり見受けられない青い色(寒色系)は、食欲を減退させるといわれる。
そのため、料理写真は「暖色系」のデコレーションが好まれる。

しかし、デジカメのAWBでの撮影写真は多くの場合「かなり青い色が強い」発色になる傾向がある。

また、画像を見る環境でも背面の液晶モニターが「真っ青」。
携帯・スマホの画面も「真っ青」。
極めつけは、PCモニター画面。WindowsのノートPCは論じる余地さえなく、一部のMacでも「真っ青」。

新幹線のテーブルで広げたお弁当。
蓋を開けた途端に「ご飯が真っ青」では一気に食欲がなくなるはずだ。

でも、web、ソーシャルメディアに溢れるお弁当や食べ物の写真は、「真っ青」か、そうでなければ電球色の「真っ黄色」...。
デジカメでパパッと撮影するときでも、「ご飯」でホワイトを撮ってやれば全然結果が変わるのに。

このお弁当。もう数年前モデルのLumixで撮ったもの。マニュアルホワイトバランスを取るのに数秒しかかからない。
いつから日本人は色に対してこれほどまでに「感性を失った」のだろうか?
この「パンダの顔色」が青くみえていれば、あなたのブラウズ環境は???かもしれない。
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