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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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確かにあの頃は空の色が違っていました

飯舘の氣に響きあう photo 宮本章光

確かに、あの頃は空の色が違って見えていました。

感覚が変われば、当たり前のように色彩感覚にも変化が起きて当然でしょう。
それは氣のせい(思い過ごし)だ。またオカルトか、スピってる馬鹿な奴よ。
と仰るのもご自身の自由。
そうした唯物主義路線を突き進むという選択肢は、この先、この地には存在しないと語られている通りです。
よって、この先この地で生存し続けられないことを自ら選ぶという意志表示かと。そしてその負の因果を背負います。
ええ、さまざまなご縁と体験をありがとうございました。
さようなら。


感覚が変わることで受け取る印象が変わる。
それを別の見方で観察してみます。
すると、
感じ方次第で「何でもどのようにもなる」と伝えられるように、人それぞれに千差万別のタイムラインが創られることに納得がゆきます。

過去にあったショップがなくなっている。けれど他の人には見える。
傘に貼ってあった長さ**cmのシールが消えている。けれど時間が経てば再び再現し、再度消滅する。

これは無数に存在するとされる並行現実の別の道に乗り換えたり戻ったりする証、だと確信するようになります。
そして、
そう確信するからこそ、それが現実として具現化・結晶化物質化してゆきます。
仮に、70億人すべての地球人が引力など存在しない、と100パーセント確信すれば「物は下に落下しない」。
これが現実になることでしょう。

まさにこの世はヴァーチャルリアリティ。
この世がVRでは「ない」可能性は100万分の1にも満たない。
わたしたちは、脳だけが水溶液に浸され、刺された電極に繋がったAIから体験という映像を見ているマトリックスの中のVR存在。
なるほど、と激しく納得します。

だから。
行動するとは、望ましい道を創り上げるべく一極集中しエネルギーを注ぎ続けること。
その力が集まり束ねられ「閾値(しきいち)」を超えた瞬間に、目の前の風景は瞬間的に変わるでしょう。
少しづつ良くなるのではなくて。それは劇的な変化に違いありません。
腰を抜かすだろう、と伝えられているのは、激しく醜態に満ちた隠された裏側の悪事が暴かれるなどという、そんな生やさしいレベルではないはず。

ええ、それは洗脳ツールである宗教でも語り尽くされてきました。
はい、これを再臨の瞬間というのか、あるいは携挙というのか。
二千年が経つと、ちりとして控えていた死者は蘇り、あらためて裁きを受ける。信じ祈るものだけが救われるのだと。
はい、それもこれもVR世界のエンタメなのですから、目くじらを立てて真実はひとつだ!だとか叫ぶのもまた「未成熟なこどもらしさ」があって微笑ましい。

すべては対(つい)でしか存在し得ないのですから、良いもよくないもセットで存在するのがこの地この世の約束事。
自分の道は自分で描き自分で創り出します。
ノイズに心奪われ、いつまでもギャーギャー騒ぐのもその人の選択。
ただし、公共の場たる映画館では他の人に迷惑をかけない配慮、大人ならできるはず。
そして、
この先に展開するストーリーを、わたしたち自身の手で脚色してゆく義務があります。
なぜなら、この映画館の台本は「未完成:流動的」だから。
言葉を変えるのなら、真っ白で真っさらなキャンバスに「何でも自由自在に」描けるのです。


確かに、あの頃の空の色は違って見えていました。
これを変化と呼び、成長と認識し、新たなタイムラインを創造してゆきます。





自分の周波数以外の存在には成り得ない

飯舘の空氣を受け取る photo 宮本章光

自分の道は自分で創り上げる。
それだけ。


早く目を覚ませ。
だとか、
いつまで羊やってんだ。
とか。
ほれ見よ、史上最大の薬害になったやろが。言うてた通りやろ、それみたか。

と、語り叫んでいる限り、ご本人が「そのネガなエネルギーを焚き続けて維持」していることに氣がついていません。
早く目を覚ますべきは、あなた自身。
いつまでも「負の力」を増幅しているのは、あなた自身。
そして、
ここにこの言霊を通して記している、わたし自身も。


だから離れるのです。それこそがノイズだと。
ですから、この先に望むエネルギーを選択しそれを拡大してゆきます。
初心者編を卒業したなら、中級編に取り組むことです。
一刻も早く。

それが望ましい未来を作るための手段。
それこそが、望む道を創り上げるための行動だと。
行動とは何なのか。
そんなお話は、とうの昔に学び終えたはずでした。
ここにこの言霊を通して記している、わたし自身が負のエネルギー増幅装置になるのは避けたく、ここで筆を止めます。


美しくその生命を紡ぎ、煌びやかに世代交代をしてゆく存在にフォーカスを合わせてゆきます。
みんな自分の身の丈に合った生き方をしていることに氣がつきます。
それが御霊・身魂相応。
自分の周波数以外の存在には成り得ないことを知ります。

表ヅラだけ着飾ってみても、中身は分相応・身魂相応。
言葉づらだけ取り繕ってみても、人の存在は身の丈通り。

自分の周波数以外の存在には成り得ない。
それなら、さらにもっと磨きに磨いて、光り輝けるよう取り組んでみませんか。
それが、この先の世で求められる行動。
それが、この先の世で必要とされる心の使いこなし。
それは、モノとカネと数の物質社会・唯物主義の対極として存在し、成長と成熟のためのもう片方の車輪として必須の要素である「精神性」の向上と拡大につながるのだと。


すべては両輪。
マザーボードにメモリー刺してSSD繋いでも「ただの箱」。そこにOSを導入しアプリケーションソフトウエアを走らせない限り、PCが役に立たないのと同じでしょう。
そして要(かなめ)は、そこに電源を供給しない限りは、いつまでもただの箱。

CPUがどれだけ早いか、どれだけメモリ容量が大きいか。
それを誇るのは、まるでどれだけ貨幣資産を築き上げたか、どれだけフォロワーが多いか、どれほど影響力のあるインフルエンサーになれたか。などと自己顕示欲の塊と化している姿と酷似しているように見えます。
しかし、加えてどれだけシンプル且つ機能的で有用なプログラムが書けるかが重要であるように、その要素こそが精神性の高さであり、そこに安定した電源を供給するのは、心の平穏と平静さ、ノイズに惑わされないクリーンで安定した周波数による、身魂相応の波動であると。





生命を生み出すのは

生命を生み出す大地 photo 宮本章光

生命を生み出すのは大地である。
いえ、種子だとか苗ではないのかなどと、そういう言葉あそびをするのではなく。
土がなければ植物は育ちません。
いえ、水と光も必要だとか、そういう粗探しの話をしているのではなくて。


自然という言葉で示される、この地のこの大地。
砂・土・石。
全ての元だからこそそこに意識を持ってゆく必要があるはずです。
それゆえ、
今生のあと、完全に白紙にまで戻して学び直しをするためには、石や岩石の存在からやり直しをするのでしょう。

生命を生み出し、育て、ともに成長してゆくことで自らの存在を認識するという全てのスタート地点。
動物存在に「踏みつけていただいて」ようやくその瞬間に「自分が石であることを知る」という体験から、成長という永遠の学びをスタートする。

腐り切った心のセンサーを元に戻す意識がないのなら、ある意味では、もうここからやり直すしか仕方ない。
そんな氣がしないでもないわけですが、それは「その道を望む人が自分から選択する」道。
わたしはその道を選びません。
この地で人間として生存させていただくことができ、この歳まで学ぶ機会をいただけたご恩を、すべて白紙に戻さなければならないほどの無礼をするつもりはありません。
やりたい人だけがやればいい。

生命を生み出すのは大地であり、そして自らの心が創り上げる成長と進化を再認識する。
大転換期には、天と地を結ぶ道管の役目を果たす必要があることを知ります。





ひとそれぞれの学びの道

輝くすすきに photo 宮本章光

ひとそれぞれ。
それぞれのシナリオ。

洗脳が深すぎる人は、その人が選んだカリキュラムに忠実なだけだ、と落ち着く時期を迎えました。
触らない。
それだけ。

いずれ氣がつくでしょう。
あるいは、
今生ではそれを望んでいないのでしょう。
もしくは、
古い過去生の因果解消の意味もあるのかもしれません。

違う脚本を見て騒ぐこと。その意識そのものが過去の旧い教科書でした。
脚本はひとつしかない。真実はひとつだけだ。
という論法自体に意味がなくなりました。

それはその人が生み出したタイムラインだから。
まして、チャネリング的なエネルギーを追いかけ右往左往するなど恥ずかしさの極み。
あるいは宗教に染まりきった頑固な思想、貨幣経済への執着など、もう必要のない過去のエネルギー。
自分の心が指し示す直感や勘が最高の指導者であることを学べばこそ。だから磨きに磨いて磨き上げ環境を整えてきたのです。


これを離れるべきノイズというのではないかと。
これこそが悟りではないのかと。

行き着くはずのゴール地点は永遠に遠いまま、未来永劫辿り着けません。
けれど、小学校から中学に、そして高校へというような節目節目の区切りがあるように、そのタイミングで成長度合いを認識できれば良いのだと。

ひとそれぞれの学び。
自分はどの道を歩むのか。
それだけは外さないよう。





堪能したのなら次へ

秋を過ごす photo 宮本章光

もう十分。
楽しんだなら、味わったなら。

それが意志表示。
それが選択。

そして、
選択が結果を導きます。時差を経て。


すべての結果は、すべて自らが下してきた選択の顕現化。
その語りも、もう十分。
その感触さえ、もう満腹。

堪能したら次の場所へ、
味わい尽くしたら次のステップへ。


紅葉と落葉とは、新たな春を迎え新たな生命を紡ぐための準備と熟成の体現。
その一つひとつの行程さえも美しく。





それが大人の責任

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いつまでも騒ぐのは恥ずかしい。
心地よく望ましい未来を生み出してゆきましょう。


かぼちゃの祭りを見るや否や、それ悪魔崇拝やぞ!子供の誘拐人身売買の隠された世界を知らんのか!
と騒ぐことはもうやめにしませんか。
心地よく望ましい未来を願うのならば。

それが大人の責任。
それが良識あるこれからの世を作り出す人の責任だと。


ええ、もちろん知っていますとも。
この地の隠された裏側で何が行われていたか。
でもね。それを叫び続けても「何も良くならない」ことを学びましょうよ、ということです。

責任という言葉をご存知ですね。
わたしたちは、心に抱き心に描いたものをエネルギーとして目に見えないフィールドに生み出しています。もう語り尽くされてきました。
幽霊などその最たるもの。
わたしたちが、恐怖によって心の中から作り出したエネルギーが、集合体となってまさに目に見えない幽霊というエネルギー存在として生まれていたこの仕組みを。
生み出したのは、わたしたち自身の責任であることを忘れていませんか。

ですから、心地よく望ましく暖かいエネルギーを生み出せるよう意識を維持すること。
これが大人の責任。
これが、この先の世を創り上げる者が果たす役割。


もっとストレートに伝えられていますね。
そうしたエネルギーを選択しない者は、この地ではこの先「お呼びではない」と。
よって物理実体である体をお返ししたあとには、再教育プログラムを最低でも25,800年間、もし最長ならば50億年もの期間、それ相応の地でやり直し・学び直しですよと。
今までと同じく苦しみもがくイバラの道で学び直す。石ころからやり直し、動物に踏んでいただいて自らの存在を認識するといった一次意識からの学び直しを希望するのも自分自身の選択次第であると。


緑化協会の人たちが、丹精込めて作ってくれたのです。
信号待ちをする人たちが、歩道の端で心和むように、と。
そこには、悪魔崇拝も人身売買も存在せず、純粋に「かわいいうさぎ」が楽器を奏でる姿が表現されているのです。
そして、それを制作してくれた方々は、季節感を醸し出すための心配りとして、そこにかぼちゃを置いたに違いありません。
かぼちゃに罪はありませんし、結果として制作にご尽力いただいた方に失礼な、負のエネルギーを自ら放つなどもってのほか。


何でもかんでも、それは悪だそれは悪者だ!と叫び騒ぐ。
幼い精神、未熟な精神性が露呈します。自分の稚拙な行動に対する恥ずかしさにさえ氣がつかない。
それが御霊(身霊)相応。

純粋に、かわいい姿、微笑ましいその姿、それを設置していただいた方々の氣持ちに心を合わせてみませんか。
きっと暖かく心地よいエネルギーがそこに感じられるはずですから。

それが大人の責任。
それが良識あるこれからの世を作り出す人の責任だと。





凪・閑 photo 宮本章光

凪。
閑。
静。
熟。




感触を受け取る

質感を受け取る photo 宮本章光

物理実体を持つからこそ経験できること。

感触・感覚。
でも、
それだけに傾注しすぎたこれまでの世。物質至上・唯物主義。


物ごとは「両輪」でした。
モノとココロと。

言葉を置き換えてみれば、より理解が深まりましょうか。
物質と精神性と。
体と心と。
触覚とイメージと。

現実には、どちらかを優先すべきシチュエーションばかりかもしれません。
走って逃げなければクルマに激突して命を落とす。そんな場合に心に描いた力で逃げるなどという行為は取らないのと同じ。もうこれ以上の記述は不要でしょう。論点そのものが破綻しています。

けれど、
この地この世がVRだと理解すればこそ、その「両輪をどちらも大切に」する必要があることに氣がつきます。
顕現化・物質化結晶化したモノは、成果物。
その本質を再認識し、両輪である要素を使いこなしたく思います。

感触を「感じることができる」という稀有な体験をさせていただけることに。






自分にできることは

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ノイズから離れる。
ノイズに触れない。
ノイズに意識を合わせない。


自分にできること。
何の道具も必要とせずに。

自分にできることは何でしょう。
何の負担も強いられずに。



Stay away from the noise.
Do not touch the noise.
Don't adapt your consciousness to the noise.


What you can do.
Without tools.

What can I do?
Without any burden.




「すごい」と感じる心

ポーチュラカ美しく photo 宮本章光

まさしく「子供の頃」の感覚ではないでしょうか。
幼稚園児あたりの印象です。

土の中には、この色のような色彩のものは存在していませんし、水の中・雨にも、同じ色は無いように見えます。
けれども、美しく花開きこれほどまでの色彩感を誇るその姿。まさにこのままの鮮烈な色彩を放つ姿。
凄いと感じます。


人は、いつの間にか、この感覚を忘れ去ってしまいます。
誰でも一人残らず、こうした感覚を持っていたはずなのに。
わたしの場合は、小学校へ通うとともに「よい子ちゃん」路線を突っ走ったので、その6年間でものの見事に感性は麻痺したのでした。
それも必要なプロセスだったことは、過去の記事で何度も触れてきました。

再びこうした感覚に戻れること。
再度こうした感覚を得られること。
時代が・世界が変わったのか。
それとも、わたしが変わったのか。

どちらも正しいに違いありません。


「すごい」と感じる心。
その姿を披露してくれる貴重な仲間との波長が響き合う感覚を大切に。そんな時代に入りました。
棲み分けはさらに加速し、もう決して元に戻ることはありません。



A heart that feels “wow.”

Nothing in the earth exists in such colours, and nothing in the water/rain seems to have the same colour.
Yet the appearance of this beautifully blooming flower has such a great sense of colour. The appearance of the flower as it is, with its vivid colours.
I find it amazing.

Before long, this feeling is forgotten.
Every single one of us has had these sensations.

To be able to have those sensations again.
To be able to have those feelings again.
Have times and the world changed?
Or have I changed?

Both must be true.


A heart that feels 'wow'.
Cherish the feeling of being on the wavelength of precious friends who can show you this. We have entered such an era.
Segregation is accelerating and will never go back to the way it was.





質感というエネルギー

質感というエネルギー photo 宮本章光

画像はそこに捉えられた力をストレートに伝えることができます。
もちろん、さらに強力に映像しかり。

質感。
その単なる言葉・単語の感覚を大きく超えて、その場の空気感まで伝わります。


ここで伝わっているものの正体はエネルギー。
しかも、掲出する側・鑑賞する側、ともに共通認識としてのデータベースを持っていれば、そこに照らし合わせて共通の感覚を共有できます。
ここで学ぶべきことは、
同じ周波数が響き合うという大原則・大法則とともに、自らその周波数のエネルギーを生み出しているという点。
同じ感覚を感じた時点で、その同じ波長の目に見えない力を、目に見えないフィールドに生み出す役目を果たしていることです。


梅干しを見ればすっぱいと感じる。というあの仕組みも同じでしょうか。
共通認識のDBがあるから、その同じ周波数のエネルギーを感じるという思考の段階で、すっぱい味覚を感じているエネルギーが生み出される、となります。
しかしながら、
梅干しの味を知らない乳幼児(乳児が食すことができるかどうかの観点は横に置いておきます)が口にした場合にも、そのすっぱい感覚を極めて強力に感じているはずです。

この事例での共通のDBとは何でしょう?
それは味覚として感じるエネルギーの種類ではないかと思うのです。
すっぱい感覚。それをまだ知らない世代であっても、刺激そのものは感じられるからこそ体験できたのだと。
こうして、新規にDBにアーカイブされることになるのでしょう。


必要な観点は、
DBにあるかどうか。DBに新規登録されたかどうかの視点ではなく、何らかの刺激を受け取りそれを感じることで、自らがエネルギーを生成している点かと思われます。

だからこそ、望まない負のスパイラルに故意に引き込もうとする情報から離れる努力をしてきたはずです。
巻き込まれるな!と語る声。相当大きくなってきました。


巻き込まれない。
ここまで体現できたなら、その次は、望ましい波長を生み出す役目を果たすことかと思われます。

質感という名の触媒を通して、共有できるエネルギーを伝え続けてゆきます。





但し書きが不要な世へ

枇杷の生命力を受け取る photo 宮本章光

好きなことをやれば結果が出せる。

このように語られることが増えました。
しかしながら、
必ず「但し書き」が付けられます。

自分勝手ではなく。
秩序を守って。だとか。
ここを忘れてはならぬ、といったように。


夢中になること・好きなこと。
ここにフォーカスしていれば、自動的に自分勝手なことは慎むはずですし、秩序を乱すことなどあり得ないはずなのです。
ところが、但し書きをしなければならなかったのは、玉石混交、何もかもごちゃ混ぜの混沌とした意識エネルギーが渦巻いていたからでしょう。

もう同じ周波数しか合致しないことを学んだ以上、自分から負の方向へ作用するエネルギーを発することはないはず。
よって但し書きも不要になろうかと予想できます。
このポジティブループが形成されれば、あとは自動運転が叶うでしょう。


わくわくして生きましょう、というのは、まさしくこの状態を語っているのであって、ネガな心境や負のエネルギーを握りしめたまま、且つ過去のマイナス因果を解消することさえなく「現状・現実逃避」のためだけに、無理にわくわく、無理に感謝を10個書き並べて...。
とやっていた姿がいかに恥ずかしいことか思い知るハズです。


但し書きが不要な世。
それをわたしたち自身で創り上げます。
白馬の王子様や救世主がやってくれる・もたらしてくれるのではなく。

琵琶の木の大きな力を借りながら。



What you are passionate about and what you like to do.
If you focus on that, you will automatically refrain from being selfish, and there should be no disturbance of the order.
However, the reason I had to make that proviso was probably because of the chaos of consciousness energy swirling around me, a mixture of rocks and stones, a jumble of everything and everyone.

Now that we have learned that only the same frequencies match, we should no longer send out energy that works in a negative direction.
Therefore, we can expect that the proviso will no longer be necessary.
Once this positive loop is formed, the rest will happen automatically.


When you say, "Let's live with excitement," you are talking about that very state of mind. You will realize how embarrassing it is to be so excited and write down 10 things you are grateful for just to "escape the current situation and reality," while holding on to negative feelings and negative energy, without even resolving past negative causes and effects.
You will realize how embarrassing it is to have done this.


A world where "caveats" are unnecessary.
We will create it ourselves.
Not through a prince on a white horse or a savior who will do it for us or bring it to us.





「知識もエネルギー」だと認識する

国立科学博物館のエネルギーに触れる photo 宮本章光

正しいか間違いか。
その論点。もうどうでもよいわけです。

誤解を恐れず文字にするならば、正しいとされるものは、ほぼすべて「正しくない」。
洗脳のために歴史を捏造し、真実とされる事象(ある観点では真理とされる法則さえも)は、ことごとく間違った内容に書き換えられてきたこと。ここで新たに記す必要はないでしょう。

この地点に到達できていない人たちは、この場での接点・ご縁は皆無でしょうから、こうした但し書きさえも不要かと思います。


ここで学ぶべきは。
知識もエネルギー存在だということ。そして、その感覚と感触を物理実体を持った体で体感すること。

夥しく膨大な量であるこの地この世に蓄積された知識は、わたしたち人間が、意識その集合体として創り上げたもの。
極論すれば、地球上では引力があるから「必ず物体は落下する」という法則さえも、100パーセントの人間が「信じ切っている」からそれが具現化していると語られます。
逆に、
100パーセントの人間が、落下するわけがない、と信じ切っていたら、物は落下しないのだとされます。


ここまで書いて、やはり但し書きが必要かと感じますので一応、以下を加えます。

そんなわけない。必ず物は落下するに決まっている。頭おかしいやろ!これはそんな精神論ではなく物理法則やろ!
そのように心に抱いたとします。そのように感じたとします。
この時点で、100パーセント信じ切っている現実をあなた自身が「さらに強固に顕現化します」。
言い換えますと、
物が落下しないわけがない=必ず落下する。という現実を、更にさらに強力に具現化する役目を果たした。ということになります。

そもそも、この世がヴァーチャルでは「ない」可能性は「100万分の1にさえならない」との語りも有名でしょう。
VRなのですから、物が落下しようがしまいが、もうどうでもいい。


但し書きに字数を充てる余裕はないので結論を急ぎます。
「知識。」
それは隷属化のため・支配のために故意に捏造されてきたこと。ここに至ればこそ「ウソを教えられてきた」「習ったことはみんなデタラメだった」との地点に理解が到達します。
しかし、そのエネルギーに「同期・合致・シンクロ」したならば、その波長を自分が増幅していることを知る必要があります。

間違い・誤りである。
そう思ったとしても、正しいか誤りかはここで必要な論点ではなく、その間違いや誤りとされるエネルギーと「同じ波長」を維持している時点で、自分自身が、その間違いと誤りを、いつまでも増幅し続けます。
だから、
メディアから離れましたでしょう?
だから、
SNSから距離をおいたのではありませんか?


この世は狂っている。あれは間違い、これは騙されている。こちらはウソだ。
そして、
知識こそが真理を導く手立てだと信じ切っている状態こそが、知識そのものの本体であるエネルギーを自分自身で拡大し続けます。


けれど、それとて、もはやどうでもよいわけです。
であるならば、
ウソの知識。騙された事象。これらに対して「懸命にフタをして見えないぞみないぞ合わせないぞ!」と緊張を維持し続け「負のエネルギー増幅装置に成り下がる」のではなく、楽しめば良いのだとの結論に至ります。
これが次のフェーズだったと氣がつきます。


ウソだった、デタラメだった。
そう、そこにあるのは映画ですから。と、語り尽くされてきましたでしょう。
映画を楽しんでみてはいかがですか。と。

ウソだから博物館なんで意味がない。
そうでしょうか。
知識に触れ、そのエネルギー実体そのものの大きさや深さ、よくもまあここまで完璧にウソを作り上げたよね。という感覚を感じてみる。膨大な力、膨大な量のエネルギー。それがわたしたちが過去から創り出した集合体だったのだ、と感じる体験をする。
大きな力を、体感として感じてみる。
すべての人間が、ひとつの方向に意識というエネルギーを束ねると、ここまで現実という名の強力な存在に顕現化できるのだと。

きっと楽しいに違いありません。いえ、わたしはすでにその肌感覚を楽しめるようになってきました。

正しくないから。ウソだったから。
だからもう触れる必要がない。いえ、触れてはなりませんよ。という第一段階で、懸命にその波動から逃げるばかりでした。
けれど、
完全にその階段から上に上がってしまいますと、今度はエンタメとして楽しめる領域で「そのエネルギーに触れる」ことが可能になったのだと感じています。

一人でも多くの方々とともに、この領域で楽しめる世界を創り上げたく思います。





結局は唯物主義にとどまったまま

マルベリーの波動を photo 宮本章光

この地で生かせていただける限り、借り物である物質物理実体から切り離して考えることは不可能です。
けれども、
それを「言い訳」にして、唯物主義だけに傾注し続ける。
ここに落とし穴があり、見事にそこに捕まってしまっている様子が見えます。


判っているのなら、
「それと並行して」精神性の向上と魂レベルの成熟・向上を求めて行動するのが大人の姿だと。
--眠いから宿題はできない。
--怪我をした傷が痛いから勉強することができない。

これ、ずいぶんと幼稚な言い訳ではないかと感じるはずです。

この地では物理実体なくして語れないんだから、精神性だとか魂だとかフワついているのはダメなんだよ。
それをタダのお花畑思考って言うんじゃねえかぃ。さっさと売上あげて来い。それから言え!
と、まさにその語りこそが言い訳だったことに。

何もかもすべてを飲み込み包括して、この先に望ましい未来を創り上げるのが役目だと理解したならば、
言い訳せずに、心から望む波動を生み出すのが大人の姿勢。
当然、物理実体のメンテは怠らず、お借りしている貴重な体は十分に労った上で、口にするもの「二つ」に十分に氣を遣って。です。
仕方ない・生きるため・カネのため。など、最低の言い訳に過ぎないことに氣がつきます。
そうやって自ら毒を取り込んだ人たちは、次の学びのステージへと旅立ったことを。

加えて、感謝の心を忘れない。
いつまでも戦争反対・悪事を知れ、この世の真実は陰謀論ではなかっただろう、自分が正しかったことが証明されたやろ!ドヤすげ〜やろ!的な意識のエネルギーを生み出すのは、宿題をやりたくない「言い訳」と同じレベルではないのかと。
おかしいよね?狂ってるでしょ?とオブラートに包んだだけで、いつまでもその負のエネルギーを炊き続け負の因果を生み出し続ける。
もはや、それは極めて恥ずかしい姿だと感じるフェーズです。


黙っていても通じる人には通じる。
大口を叩かなくとも、伝わるところへは必ず伝わる。
そうやって、心に抱くものを具現化・顕現化させてゆく。望ましい波動を拡大してゆく。それが役目・役割。

自ら希望し、100万人に一人のチケットを握りしめ、この地で活躍することを誓ったのではなかったのですか。
唯物主義を無いものとして考えよ、というのではありません。
すべてを実現するための両輪として「使いこなし」ましょう、です。

何があろうと結果を出すのが、幼稚な精神性を乗り越えた大人の実力であるはず。
”Talk big”(日本語表現的にはBig Mouth)にとどまったままの姿は恥ずかしい。裸の王様。

生み出すのは自分。創り上げるのはわたしたち自身。



As long as we are allowed to live here, it is impossible to think of ourselves apart from borrowed material physical entities.
However,
we use that as an “excuse” to continue to focus solely on materialism.
This is the pitfall, and I can see that you are caught in it.

If only we understood that our role is to swallow and encompass everything and create a desirable future ahead,
It is the attitude of an adult to create the vibrations that we sincerely desire without excuses.
Naturally, we must not neglect the maintenance of the physical entity, and we must take sufficient care of the precious body we are borrowing, and we must take sufficient care of the “two” things we put in our mouths.
We should not make excuses such as “I have no choice,” “I have to live,” “I have to make money,” etc. You will realize that these are nothing more than the worst excuses.
Those who have taken poison into themselves in this way have left for the next stage of learning.

Even if you keep quiet, people will understand you.
Even if you don't speak loudly, you will be understood.
In this way, we can realize and manifest what we hold in our hearts. That is our role.

Did you not wish to be one in a million, grab the ticket, and pledge to play an active role in this land?
This is not to say that we should think of materialism as something that does not exist.
It is to “use” materialism as the two wheels that make everything happen.

It is the ability of an adult to overcome childish mentality to produce results no matter what.
It is embarrassing to remain “talk big” (or Big Mouth in Japanese expression). The king of nakedness.

It is we who create. It is we ourselves who create.





やることをやる・それだけ

咲き誇るポーチュラカ photo 宮本章光

いつまでもメディアのノイズに埋もれて、
いつまでも不快な天候の挨拶で負の波動を生み、
いつまでも負のエネルギーに自ら燃料を注ぎ続ける。

何のためにこの地で生かせていただいていますか。

生きている。
のではなく、
生かしていただいている。
この「言葉づかい」さえも理解することなく。

目的は、
この地で体験を積み、学び、精神性の拡大と魂レベルの向上を実現するため。

ですから、
やること・やるべきこと。とは、
経験を重ね学ぶこと。
そして、
その全教程を学び終えたのなら、古い教材・旧い練習帳をわざわざ消しゴムで消して「わかり切った答え」を「こんなもの、目を瞑っていても答えは書けるぜ!でゃオレ偉いやろ!私すごいしょ!」などと、自慢しないことです。


わたしは、カルチャーセンターをはじめ講演会場や、企業様の企画室等々、多くの場所・多くの機会で「お話し」をさせていただく業務に携わっていた時期があります。延べ人数にすれば数千人は下らないはずです。
それに、FMラジオ番組を通しても、とても数えきれないほどの人たちのお耳に、お話しをお送りしてきました。
けれど、一度たりとも、
「教える・教えている」などといった言葉を使ったことはありません。

「教える」のではないからです。
「自分が少しだけ多めに持っている知識や経験値」をお伝えするわけであって、大上段に構えて「教えている。」などという感覚でお話しをしたことは一度もないからです。

お話しをさせていただいている。
お伝えしている。
これが正確な言葉の使い方ではないかと感じるからです。


同じように、すべての教材を学び終えたにも関わらず、いつまでも古い練習帳を消しゴムで消して、わかり切った答えを何度もトレースしていては進歩・進化が叶いません。

この地で体験を積み、学び、精神性の拡大と魂レベルの向上を実現するためには、
次のステップに入る必要があります。
それは、
どのようにして「心から顕現化させる」ことができるのか。
どのように心を使いこなせばよいのか。
ここに最大限の力を注ぐべきではないでしょうか。


旧いレイヤー向けである教材の「答え」を、後進の方々へ「お伝えする」のは、それはそれで立派でしょう。
ここを否定しているものではありません。
けれど、「教える」という言葉は、教えてやってる!という深層心理レベルでの意識が表出した結果であることに「氣づいていない」時点で、その潜在意識には、傲慢さと自慢したい意識と、いつまでも浄化・清算できていない、負の過去因果の頑固な「アカ」が固着したままである点は否定できないはず。

なぜなら、教える。という言葉が口に出る直前には、それは「適切な言葉ではありませんよ」と判断を行う、頭の中に居る検査官がストップをかけるはずだから。
それが機能しないのは、検査官が不在(聞く人に傲慢な印象を与えてしまいますよ、という意識がない)であるか、あるいは、でゃ偉いやろ!スゲーやろ!私って凄い人なのよ!な意識の方が強すぎて、力で押し切った結果として口から発せられたものということになりましょう。


禅問答を繰り返す意図はありません。無限ループにハマりそうなので停止します。
旧い教材を学び終えたなら、新しいエネルギーを生み出すステップへと、自分の意志で能動的に登ってゆくことです。
そのためには、
「言霊」:この国で「生かせていただける」人だけがつかいこなせる「言葉」を、まず手始めに丁寧に選んでゆくことが不可欠かと。

こうしたひとつ一つの積み重ねが、やるべきことをやる。ということになるのではありませんか。

世界最大の信仰者を誇る教義だから絶対だ。などと洗脳ごっこを真顔で続ける。だとか、
負の力を生み出すために仕組まれたSNSに浸り続ける。あるいはメッセージングメディアに電光石火で対応する。だとか。いつまで崩壊する世界線で踊り続けますか。
挙げ句の果てには、
貴重な力を授けていただいている食事・食物・生命に感謝の心も捧げず、スマホ片手にジャンクフードを口に放り込む。それが共食いになっていることさえ知ろうとせずに。
結果として借り物の大切な体を痛めつける。
仕方ない、それしか道がない。カネのため。生きるため。苦しんでこそ一人前。それが学びだ!とか、ここでも洗脳ごっこに浸り続ける。


いつまでも裸の王様をやっておらず大人になることです。
恥ずかしい自らの姿に氣がついていないのは本人ばかりなり。

やることをやる。
とは、こういうことではないのか、と感じています。





すべてお見通し

大いなる力を受け取る photo 宮本章光

すべてお見通し。

なんにも言わないけれど。
心の裏側も、
言葉の後ろ側も。

抱いた心・描いた心。
その中身まで。
すべて見透かされていることを知るべし。


この国の先人・ご先祖はこう語りました。
お天道様はいつも見ている。
おてんとうさまはなんでも知っている。と。



I can see everything.

They don't say anything, but they know everything.
Behind the heart,
And behind the words.

The hearts you hold, the hearts you draw.
Even what's inside.
You must know that they can see through everything.


This way of saying things has existed in Japan since ancient times.
"The heavenly(sun god) hostess is always watching."
"The heavenly(sun god) knows everything."







そこに「居る」から

2024年コスモスシーズン入り photo 宮本章光

そこに「在る」から。
そこに「居る」から。
一期一会。


Because there "is" there.
Because You "are" there.

Once-in-a-lifetime opportunity.
A unique encounter.


できないならできるように

美しく静かに photo 宮本章光

初めに。
今回は少々トーンが強めかと思われますが、ともに響き合える方々がご訪問いただいているものと思っています。

できないなら、
できるようにすればいい。

但し、
そのためには、条件も環境もそして感性も必要。
だから、初めから道を変えようとせず諦めてしまう。

その「諦める」という道を選択したのは自分自身。
そして、その選択が結果となってゆきます。これが因果の大原則大法則。

いつも異口同音に。
わかってるけど...。知ってるけど...。
けど?何?

それが自分の選択。それ以外の答えはありません。


どうして神は助けてくれないのか。
どうして白帽子はハリケーンを止めないのか。
その答えは、
「神や救世主が助けてくれると切望し、自らの心が生み出している負の力に氣づいていない。」から。
「どうしてこんな目に遭うのか。とばかり被害者意識に凝り固まり、過去因果を振り返り浄化・清算することなく、この先に望む世界を描いていない。」から。
「この地で貴重な学びのための体験をさせていただいている、そのありがたさに感謝の心を持っていない。」から。


聖書は100パーセント正しい。
そうでしょうか。
だって、過去にも預言は完璧に実現しているではないか。結果と実績が証明している!と豪語し反論する。
でもそれは、
わたしたちの集合意識が、間違いなく正しいと信じ切っていたから。すべての人々がそのように疑いなく信じ切ったから。
まさしく、わたしたち自身が「一人残らず揃ってその現実化を確固たるものとし顕現化・固着化」させてきたのです。

ですから、タイムラインはいつでも選択を変えることができ、異なるレイヤーに乗り移ることができること。
言葉を変えるなら、わたしたち自身が、いつでもその預言を「書き換える」ことができるということ。
その預言を「間違いなく確定し具現化」し続けているのは、わたしたち自身であることを一切学んでいません。

この極めて重要なポイントが抜け落ちたままなのです。
そして、
こうした展開に対しては、スピの狂った思考だ。とか、邪宗に染まった誤った思想だ。といったように、ここで思考停止してしまいます。
この展開、何度も何度も見せられてきませんでしたか?専門家だから正しい・インフルエンサーが言うから正しい・テレビが言うから正しい...。などと。
自分から新たな展開の可能性を拒否しクローズしてしまっていることにさえ氣づいていないのではないでしょうか。
すでに恥ずかしくて直視できない姿になりつつありますけれど。裸の王様。

この5年間。何を学んできたでしょうか。
貴重な借り物である体さえも失って実地に「学ぶべき教材」として後進の者へ手本を見せてくれた先輩方の献身・献体を無にして、いつまでも祈り続けるだけ。
あろうことか、自分からゴールポストを先へ先へと移動し、暦の認識が違っていただとか言い訳し正当化、永遠にその満たされず現実化しないタイムラインを自分から作り続けます。
結果としていつまでも負の因果は解消せず、いつまでも負のエネルギーに囲まれた現実から離れることが叶いません。
当然、魂レベル・精神性の拡大と成長も叶いません。


タイムラインを「書き換える」のは、わたしたち自身だと、早く氣づくことです。
もう一度、言葉を置き変えてみましょうか。
「預言を書き換えることができるのはわたしたち自身」です。
もちろん、これまでに一度も書き換えたことなどありません。
なぜなら、書かれていることが100パーセント正しいと信じ切っているのですから、それ以外のエネルギーを一切生み出せず、異なる事象へ書き換えることなどできるわけがありません。
これ、小学生でも容易に理解できるはず。そのレベルにさえ氣づけない洗脳の深さたるや強烈だと言わざるを得ません。

人工気象操作?人工地震だと?と、あるわけない。完全に頭が狂っているバカな輩。大丈夫かキミ?
と、罵られたのは、たった4,5年ほど前の話です。
それから僅か4,5年で、この国この地に甚大な被害が生じないところにまで漕ぎ着けたのは、まさにこの国の人々の為せるワザ。
奇跡的だと感じます。
特定界隈の方々が、それは自分たちの手柄だ!としてアピールする状況が散見されますが、それはその方々ご自身のタイムラインなのでさわらずに置きます。もう見えなくなりました。これ以上は触れません。

わたしたち自身が心から描く力は、このように作用する。という実例そのもの。
前述の、結果と実績が証明している!の言葉を借りてそのままお返ししたいものです。

海外の人たちにも伝えたい。
もちろんこの国の人たち含め。

できないなら、
できるようにすればいい。
それを実現するのは、わたしたち自身です。

美しい存在へ、美しいと伝えます。
その波長に合致したものが自分の現実となってゆきます。




Why doesn't God help us?
Why won't the white hats stop the hurricane?

The answer is,
"Because we long for God or the Messiah to save them and are not aware of the negative forces their own minds create. The reason is that we are not aware of the negative forces that our own minds create.
Why do I have to suffer this way?
Without looking back at past causes and effects and purifying and clearing them, we have not imagined the world we want to see in the future. From.
"We are not grateful for the precious learning experiences given to us here. From.

The Bible is 100 percent accurate.
Isn't it?
Not!
Because prophecy has been perfectly fulfilled in the past. The results and the track record prove it! I will boldly say and refute this.
But it is not,
Because our collective consciousness was convinced that it was right. Because we all believed so unequivocally.
We ourselves have "manifested this reality with each and every one of us as a firm manifestation of this reality.

Therefore, the timeline is one in which we can change our choices at any time and move to another level.
In other words, we ourselves can "rewrite" prophecy at any time.
We have never learned that it is we ourselves who continue to "definitively confirm and fulfill" the prophecy.

This crucial point is missing.
And,
This is the crazy thinking of the spies. And to these developments, we have to stop thinking here and say, "This is the crazy thinking of the spies," or "This is the wrong thinking steeped in evil religion. And so we stop thinking here.
I think you do not even realize that you are rejecting and closing off the possibility of new developments.


We must quickly realize that it is we ourselves who are "can rewrit" the timeline.
Let me rephrase that.
It is we ourselves who can rewrite the prophecy.

Man-made weather manipulation? Man-made earthquakes? And there is no such thing. You are completely crazy and stupid. Are you all right?
I was cursed only 4 or 5 years ago.
It is truly an achievement of the people of this country that in just four or five years we have managed to reach a point where there has been no serious damage to this country.
It is a miracle.

This is an example of how the power of our own hearts can work. This is an example of how the power of our own hearts and minds can work.
The above results and accomplishments prove it! I would like to borrow the above phrase: "The results and accomplishments prove it!

I want to share this with people overseas.
Including, of course, the people of this country.

If you can't do it,
If you can't do it, you can do it.
It is up to us to make it happen.

To a beautiful being I say you are very beautiful.
Whatever matches this wavelength becomes your reality.



信用しているものが自分の選択となる

美しく秋を謳歌する photo 宮本章光

信ずる者が救われる。
ではなくて。

頑固にこびりついた油汚れのごとく、洗脳が激しく深すぎて解けることがない状態。
そんな印象がある特定信仰界隈の人たち。
きっと、もう「どんな強力な洗剤」を使っても、その油は落ちることがないのでしょう。


ここで学ぶべきは、
「信用したコト・モノ」が「自分自身の選択」であるということ。
そして、
「選択」が時間差を経て「自分の目の前の現実」となってゆきます。
これは誰が何と言おうと決して動かせない大法則。決して変えることができない大いなる摂理。この地の大原則。

ですから、
地球が丸いか平坦かなど、どうでも良いわけ。
明治より前の時代には誰もちょんまげなど結わず、当たり前のように電氣エネルギーを使っていたか否か。それさえどうでも良いのだと。
聖書は100パーセント間違いがない。と思うのも個々人の自由です。
しかしながら、
わたしたちの意識とその集合体としてのエネルギーが、タイムラインを選び変える・乗り換え得る、というその仕組みを知ったなら、その絶対正しいとされる預言(予言ではない)が、わたしたち自身によって書き換えられることを学ばねばなりません。それが進化であり成長であり魂の成熟・精神性の拡大という、この地の最大の教科書だったのですから。


自分がそう思えばそのように顕現化してゆく仕組み。
白髪と白髭をたくわえ、杖を持った老人が神だと思えば、それがあなたの現実。
美しい紅葉が「緑色」だと思えば、それが自分の真実となってゆきます。
ただし、時間差があること。そして一人の意識ではなく集合意識として作り上げられたエネルギーが顕現化することを知る必要があります。


しっかりと理解しておかなけばならない極めて重要なポイントは、
わたしたちが「揃って恐怖を感じれば」その集合体となったエネルギーが恐怖を基盤とした現実を作り上げてしまいます。
これは、
台風しかり、地震しかり。

台風など最たるもの。
この国では、もう致命的な大被害をもたらすレベルの台風は長らく上陸していない(あるいは被害は僅少)状況が続いています。
それは、わたしたち日本人の多くが、人工気象操作の悪事に氣がつきそれを具現化させるエネルギーを「自分たちから」生み出さなくなったから。
残念ながら、太平洋東の大国では集合意識がまだそこに至らずの様子が見て取れます。

地震も同じかと。
地中に仕掛けた悪事の仕組みとその歴史を知る人たちが増えるに従って、最後のトリガーを引くための甚大なエネルギーとなる「恐怖」を「わたしたち自身が」生み出さなくなったために、その悪事は失敗が続きます。

悪事を働く支配者層は、仕掛けた破壊工作の最後の最後に、膨大な「恐怖というエネルギー集合体」としてのアシストを得ることで、その悪事を実現していたのです。
地震学者が口を揃えて語ります。地震は決して予知などできない。そして、天然の地盤の亀裂や破壊程度では、広範で甚大な被害を生み出すだけのエネルギーには到底及ばない。と。
そのために必要とされる激しく巨大な力は、わたしたち自身が、恐怖の集合体エネルギーとして作り上げてしまい、それが導火線に火をつけていたことを。

だから、命を守れと悲鳴をあげて叫び続け、恐怖を煽ります。
だから、瞬間的に恐怖を最大化する警報音を鳴り響かせます。
すべては計算し尽くされ、隷属化した一般臣民を道具として扱います。


地震の最大の要因は自身にあり。
台風の最大のエネルギーはわたしたち自身にあり。

これこそが、自分の選択だっということです。
信用し切っていた。信用しないわけがなかった。恐ろしいもの怖いもの・コト。

信用したことが選択であり、その選択が自身の現実として顕現化してゆきます。
学び終えたわたしたちが行うこと、行う役目・役割は、
望ましい世をこの地に作り出すための、心に抱き・描き、創り上げる膨大なエネルギーをつかいこなすこと。

信用しているモノ・コトが選択である。
選択が、この先の現実を創り上げる根源である。
まさに、
信ずる者が信ずる世を創り上げる時代。なんたる皮肉なことでしょうか。



The key point to understand is this: When we "feel fear together," the collective energy creates a fear-based reality,
When we "feel fear together," the collective energy creates a fear-based reality.
This is the same thing that happens with typhoons and earthquakes,
Typhoons, earthquakes, and so on.

Typhoons are the best example of this.
In this country, there have been no (or few) deadly typhoons making landfall for a long time.
This is because many of us Japanese have become aware of the evils of man-made weather manipulation and have stopped generating the energy "on our own" to make it happen.
Unfortunately, the collective consciousness of the great nations of the East of pacific has not yet reached that point.

I think it is the same with earthquakes.
As more and more people learn about the mechanism and history of the evil that has been set in motion in the earth, the failures continue because "we" no longer generate the "fear" that is the enormous energy to pull the final trigger.

The evil-doing ruling class has been able to achieve its evil by receiving assistance as an enormous "energy aggregate of fear" at the end of the sabotage it has set in motion.
The seismologists say. Earthquakes can never be predicted. And natural ground cracks and ruptures are far from having enough energy to cause widespread and massive damage. And.
That the intense and immense force needed to do this was our own collective energy of fear that we created and lit the fuse.

So Media scream! Save your lives! and fuel our fears.
So Media sound the alarm that maximizes fear at any given moment.
Everything is calculated and treats the enslaved common subjects as tools.

The greatest factor in an earthquake is ourselves.
The greatest energy in a typhoon is our own.

This is what I meant by my decision.
I trusted it completely. How could I not trust? The terrible and frightening things and things.

Trust is a choice, and that choice manifests as our reality.
What do we do now that we have finished learning, what is our role?
We have to use the vast amount of energy that we hold in our hearts, that we draw in our minds, that we create to create a desirable world here on earth.

What we trust in is choice.
Choice is the root from which we create the reality that lies before us.
This is what it means,
This is an age where those who believe create the world they believe in. What an irony!






「終演」までの上映時間を楽しむ

終演までの時間を楽しむ photo 宮本章光

まもなくこの映画の幕が降りるでしょう。
いえ、まだ少々時間は必要でしょうが、間違いなく「終演」としての終焉を迎えるのは間違いありません。

最盛期には、美しく咲き誇った花々も、いずれは終わりの時を迎えます。
けれども、昆虫たちとの共同作業として命をつなぐ役目を果たし、あるいは種子として新世代へとその存在を繋ぎ続けます。
しっかりと引き継ぎは怠らず、役目を果たすすべての生命存在がここにあります。

美しく終わりを迎える。
その言葉の意味を、いまほど鮮烈に感じる機会はあり得ないと思われます。
「100万人に一人の狭き門」のオーディションに合格したと語られる、わたしたち一人ひとりの地球での役目。
ノイズに埋もれ、沈みゆく泥舟で踊り続けるのも、その方たちの脚本だったのでしょう。
さまざまな役者が存在すればするほど、その舞台は刺激に満ち波瀾万丈、豪華な展開になってゆきます。

しかし、それはご自身が本当に望んでいることでしょうか。
静かに穏やかに自分の心を振り返る時間さえ持つことなく、洗脳に染まり切ったまま旧いレイヤーに残り続けるのは、本当に自ら望んだ道だったのでしょうか。

100万人に一人の代表選手としてこの地に降り立った以上、そこで対象外とされた99万9千人以上の「魂」の願いと想いであったはずの、この地のネガな支配からの開放と次世代への引き継ぎ、あるいは新世界の創造と開拓、といった役目を果たせぬまま、今生を終えてしまって良いのでしょうか。

せめて、せめてもの思いとして、終演までの残り時間を目一杯楽しめるような過ごし方をしたいものです。
崩壊と滅亡が確定しているネガなエネルギーに燃料を注ぎ続ける自分の姿、プラチナチケットを入手できなかった、99万9千人以上の魂に申し訳が立つよう、少しでもプラス方向へのエネルギーを生み出してゆくアクションが必要ではないでしょうか。



Soon the curtain will fall on this film.
No, it will take some time, but it will definitely end as "the end of the show".

A beautiful end.
The meaning of these words could never be felt more vividly than now.
The role of each and every one of us on Earth, spoken of as having passed the 'one in a million narrow audition'.
It must have been their script that buried us in noise and kept us dancing in a sinking mud boat.
The more diverse the cast, the more exciting, tumultuous and sumptuous the play.

But is that really what you want?
Was it really the way you wanted to go, to remain in the old layers of brainwashing without even having time to reflect quietly and peacefully on your own mind?

Since I have landed on this land as a representative of one in a million, can I end my life without fulfilling the wishes and aspirations of the more than 999,000 'souls' who were excluded from the competition, such as being liberated from the negative domination of this land and passing it on to the next generation, or creating and pioneering a new world? Is it right for me to end my life without fulfilling my role as a creator and pioneer of a new world?

At the very least, I would like to spend the remaining time before the end of the series in a way that allows me to enjoy it to the fullest.
We need to take action to generate as much positive energy as possible so that we can feel sorry for the more than 999,000 souls who did not get platinum tickets.




携挙10月3日説はどうなった

印象的な照明 photo 宮本章光

騒がしかった人たち。
すっかりと鳴りを潜めてしまいました。
webでも完全に更新が途絶えています。

早く氣がつくとよいですね。
早く目が覚めるとよいですね。
そうした応援メッセージを心の波動からお送りしたいと思います。


宗教には良い宗教も悪い宗教もありません。
何が正しいか何が間違いかなど、その論点そのものに意味がありません。
そもそも、
人の心を掴み支配するための道具に過ぎなかったことに氣づいていない点で、まだまだ上がるべき階段は上に続いていますよ。ということです。

教義に何を用いているか、といった要素は関係がありません。
世界最大のシェアがあるから真である、なとどいう事項も一切関係がありません。
それは、まさに、
テレビが言うから真実だ。だとか、著名な専門家が語るから絶対間違いない。といったような、多くの人々がこの5年間で実地に学んできたことと同じでしょう。
あろうことか、人によってはお借りしている貴重な体さえも失ってしまい、今では霊界で後悔なさっているはずです。
しかしながら「教え」という名の洗脳が深過ぎて、ちょっとだけ目の覚めるのが遅かった人たちなのでしょう。


いつまでも、我こそは真なり。的な洗脳ゲームに興じるのも、もちろん自由に違いありません。
そのゲームをプレイし映画を観るためにこの地にやってきたのですから存分にお楽しみいただければ。

けれどこのようにして、
一つひとつ洗脳から解かれてゆけば、必ずその先に望ましい未来が拓けます。
そして、
個々人の魂レベルが向上すればこそ、その時に至って初めて千年王国が築かれるはずです。

それは、救世主が与えてくれるのではなく、わたしたち自分自身が心の中から創り上げる未来なのです。
そのために何に取り組んできたでしょうか?
蓄積した巨大な負の因果を綺麗に浄化すべく努力し続けています。
心に抱くものに責任を持つという心構えを学びました。それが現実を創るためのプロセスだからです。
さらには、
口にするもの二つを徹底的に・劇的に変えることも実践してきたはずです。

本心から信じ手を合わせ祈るだけで救われるなどという、支配者によって故意に仕組まれた旧い枠組みの中で他力本願な生き方を改めるために、この機会が与えられたのだと学ぶ瞬間ではないでしょうか。
すべての物ごとは、それぞれに意味があり体験させていただいている、その本質をしっかりと受け止めることです。

創り上げるのは、わたしたち自身の心の波動エネルギーによってです。
そして、すべてのモノ・コトは、因果応報の大いなる仕組みの中でしか変化しない、逆に言えばすべては因果の法則に支配されていることを知ること。
この仕組みこそ・仕組みそのものが「神」なのだと学ぶ時間だと思われます。


冒頭の数業を再度記します。

早く氣がつくとよいですね。
早く目が覚めるとよいですね。
応援メッセージを心の波動によってお送りします。

健闘を祈ります。
そして、ともに新たな未来を築き上げたいと願うばかりです。
こうした心の波動を重ね・束ねることで、この地はホンモノの千年王国へと変化してゆくはずです。
祈れば雲の上に引き上げられる。そんな甘い話ではなく、自らの心・魂レベルを天上と同じだけの威厳と尊厳を備えた崇高さへと磨き上げてゆくことが、それを実現する「たった一つの道」であると知る期を迎えています。



There is no such thing as good or bad religion.
The question of what is right and what is wrong is meaningless.
In the first,
First of all, the fact that you did not realize that religion was just a tool to capture and control people's hearts and minds means that there is still a staircase to climb.

This is the moment for us to learn that we have been given this opportunity to change the way we live our lives, which is based on the framework set up by the old rulers who thought that we could be saved simply by believing with all our hearts and putting our hands together and praying.
We must firmly accept the essence of the fact that all things have their own meaning and are experienced in their own way.

It is the vibrational energy of our own heart that creates them.
We must also know that all things change only through the great mechanism of cause and effect, or in other words, that everything is governed by the law of cause and effect.
It seems to me that this is the time to learn that this mechanism itself is "God.

I hope you will come to your senses soon.
I hope you wake up soon.
I send you a message of support through the vibrations of my heart.

I wish you good luck.
And I only hope that we can build a new future together.
By superimposing and uniting these heart vibrations, this land will be transformed into a true millennial kingdom.
If we pray, we will be lifted above the clouds. It's not True.
We are now entering a time when we know that the "only way" to achieve this is to refine our own hearts and souls to a level of sublimity with the same dignity and majesty as the heavens.





日本語と日本人の為せるワザ

ゆるしてやったらどうや photo 宮本章光

「ゆるしてやったらどうや?」

この言葉、イントネーションに特徴づけて話すと、西方面の人たちにはある特定のセリフに繋がるかもしれません。(その対象たるやあまり望ましくないものですが敢えて^^)

誰が悪い。けしからん。悪よ滅べ。このままでは自分たちも○される...。
もう卒業できたはずなのに。


古来、この国の先人は、心から陳謝し和解すればそれで「御破算(ごわさん)」とする。
そういった「大らかさ」を持ち合わせていました。これこそが宝物でした。
以前にも何度か触れたことがあります。
幼少期や小学生の喧嘩の場では、仲裁に入った教師や親に頭を下げさせられ、無理にでも手を握らせて「ごめんなさい」と口にしてそれで終わり:御破算。

もちろん(その瞬間には)心から謝ることができていなくても、時間とともにニュートラル地点に戻ってゆくもの。形から入る・言霊から入ることで結果を導く好例でしょうか。


望む世界を創り上げるために、この国の先人が大切に育て上げた「心」をもう一度思い出す時を迎えているはずです。
もう、くだらないノイズにフォーカスするのは止める。
もう、同じ周波数に合わせるのは止める。それだけ。
見るだけ・聞くだけで自動的にシンクロしてしまうのです。だから離れる。静かに過ごす。
恐怖を握りしめている限り、世の中は変わりません。


ゆるしてやったらどうや?
許してやったらどうや?
赦してやったらどうや?
「御破算で願いましては...」



From ancient times, our ancestors in this country believed that if one sincerely apologized and made peace, that would be enough to “go away”.
This was their treasure.
I have mentioned this several times before. In childhood or elementary school, in a fight, the teacher or parent who mediated the fight would make you bow your head, force you to hold hands, say “I'm sorry,” and that would be the end of it: Gobasho.

Of course, even if you are not able to sincerely apologize (at that moment), you will return to the neutral point with time. This is a good example of how to get results by starting from the form and the spirit of words.

The world we hope to see ahead of us should be a time to remember the "heart" that our forefathers so carefully nurtured in this country.
No more focusing on the silly noise.
No more tuning in to the same frequency. That's it.
Just by looking and listening, we automatically synchronize. So Do.. Stay still.
The world will not change as long as you hold on to fear.





これまでの人・これからの人

これまでの人これからの人 photo 宮本章光

これまでの人・これからの人
自分はどちらを選びますか。


もっとリアルに記す必要があるでしょうか。
いえ、もう多くを語る必要はないはずです。


もう目前に迫る崩壊してゆく旧い社会とともに滅亡・消滅するか、
それとも、
この先に展開する世を、自らの望むように自由自在に描き上げるか。


これまでの人
これからの人
どちらを選びますか。



Will it perish and disappear with the old collapsing society that is already at hand?
Or
or create the world that unfolds in the future as freely as we wish.


Will you be a person bound by the norms of the past, or will you be a person free to create the world of the future?
Which will you choose?




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