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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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2023年を見送る

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さまざまなご縁と、さまざまなお仕事と。
貴重な出会いと、貴重な響き合う体験と。

そして、
新たな年へ向けてこの年を見送ります。

ニュートラルな空間を味わいながら。
静かに・穏やかに。

本当にありがとうございました。

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わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。


すべてがウソだったとしても

緑に心を合わせる photo 宮本章光

学校で習ってきたこと。
親から教えられたこと。
そして、
社会で指導されてきたこと。

すべて。とは言いません。
けれども、ほぼすべてと言えるほどまでに「正反対で誤り、且つ嘘で塗り固められていた。」こと。
アタマでは理解できている人たちにとっても、いざ、その裏側を目の前に晒されるのは大きなショックに違いありません。

そうやって「騙されてきた」のも、自分が原因を作ったことにより結果として生み出されたという事実。
騙されるには、騙されるだけの因果があるから、それを体験していると。
当然ながら、それは今世・今生だけではなく、延々と積み重ねられた「負の財産」。

だからこそ、それを綺麗に流し去ります。
だからこそ、それを浄化する必要がありました。


もう「心の大掃除」は終えられましたでしょうか。
チリ一つでも残っていますと、それが「流れの中で杭にひっかかるゴミ」のようにさらに追い討ちをかけて蓄積する元になります。

心晴れやかに。
そのために、静かに過ごします。
だからこそ、ノイズを避けて穏やかに過ごします。

大掃除の途中、もうすぐ終了という大切な時に、泥だらけの土足で再び走り回る愚を犯しませんよう。
心の手綱(たずな)は決して離さないよう。くれぐれも。

緑に心を合わせる photo 宮本章光
わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。


災い転じて福となす

災い転じて福となす photo 宮本章光

どの街にもどの地域にも、さまざまな歴史があります。
悲しい歴史。辛い歴史。
そして、封印された暗い過去。

いま、あらためてそれらを引っ張り出し論じる必要はありません。
しかし、
そこに「どのような種類のエネルギー」が蓄積されているのかを知ることで、そこに固着した「負の力」を転換できる可能性があります。
転換とは、負の方向に偏った力を、望ましい方向に変えてゆくこと。
また、すでに望ましい力に満ちているのなら、それをさらに増強してゆくこと。


はて、しかし誰が転換するのでしょう。
自治体が行いますか。
あるいは霊媒師を呼びますか?

この発想こそが「すでに古い世界・旧い次元」の思考であることに氣がつきます。
これから求められるものは、
「物質社会と車の両輪である、一人ひとりの心の中に本来備わっていた精神面での潜在能力」だと認識を新たにした方々には容易に理解できるでしょう。
それは、自らの心が持つ力を、膨大かつ無限の力が広がる世界に接続することによって。


自分にはそんな能力などない?と感じますか。
そんな大それたことを論じること自体が無意味だと思われますか。

そう思えば、それがご自身の現実になります。
目の前の風景を作る・現実創造は、自分の想いによってなされる大法則があるのですから。
しかし、その逆もしかり。

この街には悲しい歴史があった。と伝わってきます。
史実や言い伝えまで含めて調べれば確証を得られるようになってゆきます。
その負の感情を真逆に使って人々を洗脳し、土地(大地)のエネルギーを封印、善とは正反対の権力を蔓延らせる支配者層が存在していたこと。残念ながら、それは都市伝説でも何でもなく。

いずれ白日にさらされる日が来るでしょうから、「何を狂ったことを言うてんねん。頭大丈夫か。」と、いつまでも罵る姿勢を続けていますと、自分自身の存在そのものが足元から崩壊します。
その方向のエネルギーは、今後この地では存在できない。と伝えられて久しいのですから。


知っている人は知っています。
そして、もはや自らの肌感覚で、それを感じ取ることができるようになった方々が増えているはずです。
ですから、
自分自身の心が本来備えていた驚くべき力を、意識のテーブルに呼び戻してください。

片側の負のベクトルに大きく振れてしまった力を、望ましい方向に振り戻します。
いえ、何も特別に苦行を行う必要などありませんし、歯を食いしばって力を集める必要さえありません。


旧い辛い歴史に感謝と丁寧な礼を捧げます。
そして、願う望ましい世界を心に描きます。
そのために、
静かに過ごすのです。
だから、
ノイズから離れ、穏やかに過ごすのです。

災い転じて福となす。
それは、心の中から生まれる力によって。
それは、一人ひとりの心の波長を束ねることによって。

この国の先人は、念という夥しく巨大な力を使いこなす方法を知っていたのです。

災い転じて福となす photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。


自然とともに創り上げる

冷たさその外側に無限に広がる力を photo 宮本章光

指先で触れると、その冷たさが伝わるでしょう。
素足で触れると、震え上がるほどの冷ややかさを感じるでしょう。

ひとしきり吹雪いたあと。
このまましっかりと大地を固める夜を迎えます。


触ると・触れてみると、冷たいと感じる。
それは、五感の一つの感覚として伝わるものでしかありません。
もちろん、その感覚を得られるのは素晴らしいことです。
けれども、
そこにある「五感では感じられない力」と会話を試みます。

もし、それができないのであれば、心のセンサー磨きを怠ってきた結果(因果)を享受しているのですから、自分自身のこれまでの思考と行動を振り返り、真摯に受け止めることです。
自分ができないことを批判し非難し続けるといった波長とエネルギーは、この先の世では必要とされず、存在することができません。

目に見え、手で触れることができ、五感で感じる、そこにある「何らかの力」は、
目に見えず、手で触れることもできない、もっともっと「大きく奥深く無限に拡大する何らかの力」でもあることを知ります。
それは、
五感からイメージする大きさや絶対値的な感覚とは比べ物にならない、深遠なエネルギーであり、自ら心を磨きその波長に合わせて行かない限り、決して感じることができないことに氣づきます。

そこに響き合う力を使いこなし、創造を行ってゆきます。
心の使いこなし、とは、このとてつもなく大きなフィールドに広がる力とともに「協働創造」することでもあったと。

自然とともに創り上げる、とはこういうことだった!と大きく頷く瞬間です。
これからの世に求められるスキルは、ここに(精神性:心の世界)あることに氣がつきます。

冷たさその外側に無限に広がる力を photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。


「そこにある」ものを受け取る

春を待つ photo 宮本章光

生き物であるかどうかにかかわらず、すべての存在は固有の周波数とエネルギーを持っている。
そのように伝えられてきました。

こうした万物の仕組みを「教えられずに育った」のですから、知らずとも当然なのかもしれません。
しかしながら、
自分から「知ろう」としない限り、それは身につくことがありません。


何かを見る。どこかを観る。
あるいは、何かを感じてみる。
そうした瞬間に、そこに存在するさまざまな力に波長を合わせない限り、そこにあるものを受け取ることはできないのです。

同じキャリアのスマホでなければ通信できないでしょう。周波数が異なるからではないでしょうか。
同じチャネルに合わせなければラジオは聞こえないでしょう。周波数が異なるためでしょう。
この例え、どちらも「目に見えない」ものです。

ところが、
何かそこに存在する力を感じようとする・しないの重要な分岐点は、
「そこには何もない」
「目に見えないものなどあるはずがない」
といった、強固な教育洗脳の垢(アカ)を洗い流し済みなのか、頑固にこびりついたままなのか。
ここに極めて重要なポイントがあります。
ここに氣がつくかどうかによって、この先の世界が大きく変わってしまいます。


そこにある存在が持つ固有の周波数とそのエネルギーに心を合わせて(併せて)ゆきます。
一旦、味見をしてみるのです。
そして、それが「袖丈(そでたけ)が合わない」と感じれば離れるだけのこと。
心地よく波長が合うのなら、そこに新たなエネルギーが創り出される。といった展開があるはずです。

新たに創り出す。
とは、自分から能動的に波長を合わせてゆくことが、まずありきだと思い知ります。
そして、そこから望むものを選択し受け取ってゆきます。あるいは共同創造してゆきます。
これこそが「行動」であるはずなのです。この先の世を生きてゆくためには。
「行動なくして結果なし」
と、走り叫び続ける人に限って、この最重要ポイントが完全に抜け落ちていることがわかります。

精神性の拡大と成長は、物理次元の物質感覚と両輪であること。
蔑ろにされてきた、この「もう片方」の重要エレメントを思い出し、それを最大限に活用することは、この先の道標(みちしるべ)となるはずです。

春を待つ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

静かに・もっと静かに・さらに穏やかに

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耳にタコ。
聞き飽きたでしょうか。

静かに過ごす。
静かに。
もっと静かに。
さらに穏やかに。


やかましく叫び続ける必要はありません。
激しく走り回る必要もありません。
何も追い求める必要さえないはずです。

すでに与えられ、
すでに満ち溢れ、
すでに実現しているのですから。


やらなければならないことは、
声高に叫び続け、旧いレイヤーの舞台で人目をひくことではなく。
望ましい目の前の風景を創り上げるための周波数へと、いつでもチューニングできるセンサーと増幅器を入念にメンテしてゆきます。
そして、
その両方向に何らフリクションを起こさないストレートに流れる「力」を目一杯までチャージします。


待っていても何も起きないこと。まだ理解できませんか。

冬至になれば...
春分を越えれば...
夏至のエネルギーを受け取れば...
秋分の分岐を越えれば...

そして、何度目になるのでしょう。
再び冬至を越えました。
いつまでやっていますか。
いつまで踊り続けますか。
フォーカス先が、政治問題の裏側であるか、精神世界を扱っているか。
その違いだけであって、やっていることは同じ。
人の論説に踊らされているだけ。


同じ文言を繰り返していた人たちが消滅してゆきます。

あとに残るのは。
自分の心と、そこから生み出されたエネルギー。
そして、
因果の大法則に従った、自らが作り出した成果物とその顕現化した物質と。

静かに過ごせば。
静かな現実が顕現化してゆくのです。

それが仕組み。
その仕組みこそが「神」。
だからこそ、その素晴らしい仕組みに感謝し奉るのです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

その先に道がないのなら

廃線跡を訪ねる photo 宮本章光

廃線跡を訪ねてみますと。

そこで「行き止まり」になります。
ここを貨物が走る姿を実際にこの目で見ていた時期があります。
けれど、なくなってみますと、意識の中から消滅してゆきます。

人は、その存在が無くなってから懐かしみます。
それだけにとどまらず、
人は、その場所が意識から消えてから残念がり、そして消えたことに固執し執着し続けます。


そこで稼働する瞬間を、この目に焼き付けておこう。
そうすれば、知らぬ間に消えていた!と、あとから騒ぐこともないでしょうし、巷を騒がせるマナー問題も発生しない(あるいは大きくならない)であろうと感じます。

「いま」を精一杯生きる。
この瞬間を大切にする。
そういった意識を取り戻す機会ではないかと感じます。


そして、
これから先に創り上げる世は。

その先に道がないのであれば、創り出せばいい。
ただし、
それは、鶴嘴(ツルハシ・つるはし)を振り上げて大地を掘り起こすのではなく。
それは、心に抱き描く無限ともされる膨大な力によって具現化してゆきます。

もう、精神性という車の両輪の片方だけを、物理次元と「切り離して語る」ことはできないフェーズに突入しています。
心が創り出すなとどいうのは「妄想」にしか過ぎない。
そのように故意に刷り込まれていたこと自体が「妄想」でした。


心に描く力が生み出した目に見えない波動は、それと響き合う同じ周波数と出会った瞬間にシンクロし、合一された強力なエネルギーとして具現化してゆくのです。
同じ周波数は響き合う。
それは、この物質次元においては「単なる物理法則」に過ぎないかもしれません。しかし、それはレイヤーを跨いだ普遍的な「偉大なる摂理」であることを知る機会を迎えています。
わたしたちは、その無限の力をつかいこなす必要がある、と理解する時間になったのです。

何を浮ついた話しを。何をフワっているんだ...。
と、蔑む人とは、もう決してシンクロしなくなりました。彼らは、この先、この地で生きながらえることさえ叶いません。
いまだにそう仰るのならば、
この年の台風発生数と上陸数がどうだったか、物質次元における客観数値としての統計を見るがいい。
わたしたちの心が作り出す途方もなく巨大な力は、ある閾値(しきいち)を超えた瞬間に、必ずこの物理次元に具現化・顕現化するのですから。


その先に道がないのなら。
ならば、
自らの心により創り上げようではないですか。

廃線後を訪ねる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

次の段階は「どの光」を選ぶのか

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2024年に向けた大きな節目を越えました。
柚子湯に浸かって穏やかにお過ごしになったことと思われます。

次の段階、登り続ける階段の上のほうが少しだけ見えてきたはずです。
これからの行先、この先に上がるステップです。


愛だ!光だ!と踊り続けていた人たちが、見事に消えてゆきます。
更新が途絶えたweb記事、知らぬ間に消滅したSNSアカウント。それに活動を停止したオフィシャルweb...。

いえ、そこに語られていたことに間違いはなかったはずです。
けれども「旧来の3次元レイヤーの上で踊っていてもそこから抜け出すことはできない」自分自身の立ち位置を認識できていなかったという敗因を感じます。もちろん勝ち負けの話ではないのですが。

--古い垢がこびりついたままの衣服。
--粗大ゴミを抱えたままの炊事場。
--もう必要がない波動を詰め込んだままのくたびれたリュック。
--権力者に仕組まれたピラミッド構造の社会のみでしか存続できない企業に残り続ける姿勢。

これらを「いつまでも持ったまま」絵に描いた餅を礼賛してみても、何ら変化は起きず、むしろ旧い泥沼にどんどん嵌ってゆくばかりだったことを体現して見せてくれたのだと思います。
貴重な事例をお見せくださりありがとうございました。大変勉強になりました。感謝しています。と心から送ったあとにすっと離れます。
あるいは、
抜け殻として放置されているだけで、まったく異なるタイムラインとレイヤー上でお元氣に活躍されているに違いありません。


絵に描いた餅ではなく、それを具現化するには。
そこに何らマジックや魔法があるわけではなく、基本に立ち返る姿勢ではないかと思うのです。
それは、
「選択」でしょう。
自分は何を選ぶのか。

え? もう語り尽くされていますでしょう?
ですが、次のフェーズでは「光と影とどちらを選択するか」ではなく「どの種類の光を選ぶか」に移行してゆくはずです。


幹に落ちる陽の光の影は、さまざまな濃淡とともに千差万別、限りなく多様な表情を見せます。
同じく、陽の当たる光の部分についても、単に「明るい場所・光が当たる場所」というだけではない、数多くの絵模様を披露してくれます。
この例えと同じように、
明暗のどちらを、黒白のどちらを。でしかなかったこれまでの選択から、次のステップではもう一歩進めて、明の中でもどんな印象の明を選ぶのか。白は白でもどのような白を望むのか。
この段階へ入ったことが判ります。


心を穏やかに維持すればこそ見えてくる風景があります。
静かに過ごすからこそ感じられる波長があります。
そこで選択するものは、「どの種類の光」であるのか。
次のブレイクスルーは、この静けさの中から生まれるはずです。
やかましいノイズは要りません。


自分の選んだ波長が、自分の現実になる。
御霊(身霊)相応。
そして、自分の放つものが自分に戻る。因果応報。
荘厳な仕組みがそこにあり、見事に「振り分け」が行われていると驚嘆するばかりです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

一陽来復(いちようらいふく)

一陽来復 photo 宮本章光

太陽が生まれ変わる日。
一陽来復(いちようらいふく)。

冬至を境に、これからは日が長くなり日中の時間が増えることから、この日をもって「新しい暦」が始まるとされます。
太陽黄経(こうけい・おうけい)はピタリと270度。
ちなみに、対(つい)になるもう一方は「90度にあたる夏至」であることは承知のとおり。

今年2023年の冬至は、本日12月22日(金) 12時27分。


何を迎えましょうか。
何を創り上げましょう?
静かに。
穏やかに。

見るもの・聴くもの・口にするもの(言葉と食べもの)が、すべてを創り上げます。
心のフォーカス先を、決して誤りませんように。

一陽来復 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

「現実創造」に真剣に取り組む

印象的な幹に出会う photo 宮本章光

政治?
世界情勢?
経済事情?
心を合わせる「対象」を決して誤りませんよう。


わたしたちは、膨大な力を取り扱うことができる目に見えないエネルギー体としての存在。
体という、この地を味わうための衣をお借りして、学ばせていただいている存在。

ですから、何も学ばなければ「やり直し」を永遠に繰り返すだけ。
ですが、
学んだのならば、それを活かし成長し続けるのが役目。

幸せ?
もう十分に幸せでしょう。
豊かさ?
すでに存分に与えられていますでしょう。

過去を創り出すのも、いまこの瞬間の意識だと知ったのなら、
未来を創り上げるのさえ、いまこの瞬間の心に描く力によるのだと知ったのなら、

いつまでも超ビギナー編の教科書を握りしめて、
「裏側にはこんな悪事があるんや!でゃ!全ページの内容、み〜んな知ってるぜ!すげ〜やろ!」
てなレイヤーにとどまり続けるのは早急にやめたいものです。


現実創造とは、
自分の心に描くもの・コトが、自分の現実となって具現化する大いなる仕組み。
真剣に取り組めば、必ず・絶対に・100パーセント「自分の現実」となる仕組み。
それこそが、因果の仕組み。御霊(身霊)相応の仕組み。

だからこそ、その仕組みに感謝する。
だからこそ、その仕組みを神として奉った。そんな先人の智慧を蔑ろにしないことです。

本氣で現実創造する意思があるのなら、決して心のフォーカス先を誤りませんように。

印象的な幹に出会う photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

膨大な力を使いこなす

紅葉が映える photo 宮本章光

抜きが甘い。ぼかし機能の限界だな。
と、
そのように思うと、そこばかりに意識が集中してしまいます。

陽の光に映える仲間たち。
そこにフォーカスすると、その美しさに心が合致してゆきます。


語り尽くされてきました。
どこに・何に心を合わせるのか。

口を現地へ持ってゆけ!というのがありました。
まさしく正論。
そこでしか味わえないものを食するには。

そしていま。
フォーカスしたものが「具現化し現実になる」その仕組みに到達しつつあります。
創り上げてゆくのは、自分自身。
そのバックグラウンドには、因果の大法則。

自分が意識の中に作ったものが、結果として生まれ続けます。
心が生み出す、限りなく巨大な力を使いこなす時代の到来です。

なるほど、
これほどまでに楽しい仕組みはありません。
無理などしなくてよいのです。自然に・自動的にわくわくしてきますでしょう。
もう卒業できましたか。
もう新しいタイムラインを歩んでいますか。

紅葉が映える photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

意識の次元を乗り換える

紅葉に合わせる photo 宮本章光

難しいことは判りません。
しかし、響くのか響かないのか。
これだけは勘に直結するので、一瞬にして感じることができます。


意識の次元を乗り換える。
とは、
何か得体の知れない世界につなぐことではないはず。
ここを勘違いし、しかも、その「容易に到達できず自分の手探りでは全く理解できない」世界だからこそ、その道のビジネスが蔓延してしまうのでしょう。
そして、盲目的にその泥沼に脚を取られてしまいます。
言い換えるのなら、
まさしく宗教洗脳と同じ手法で、そこに引き込む。そういったビジネスが存在するのは事実でしょう。

ところが、
精神面の極めて重要な感覚を、ごっちゃにしてしまって「目に見えないからすべて危険・宗教だ!悪徳商法だ。」と決めつけて、これまで受けてきた教育洗脳の牢屋から出ようとしない人が圧倒的多数である現実。
よくわかる事例。
「あなたはスピっている。ツボを売るなよ。」と、精神性を語る人間に対し蔑む行為。
自分は論理的思考に基づきよく考えて生きてるんだぞ。と、高いところからしか物ごとをみようとしない。

あぁ、この人は、味噌もクソも同じにしか理解できない可哀想な人なんだな。と、自ら恥ずかしきビギナーすぎる精神成長度を暴露してしまうのです。
あるいは、唯物主義な教育洗脳被害者の立場を、自ら好んで続ける特異なご趣味をお持ちなのだな。とも瞬間にバレます。

この姿勢と態度こそが、最もリスキーであることにさえ氣がつきません。
精神性の充実と拡充は、エネルギー体であるわたしたちの存在にとって、体と心という両輪であったにもかかわらず。
ここで、個々人を尊重し認め、そのあとは離れます。
こうやって自分の考え方を確かめることができました、ありがとうございます。そのように学びを得て離れます。
自分の中に、まだ掃除し切れていない場所を見つけることができました。ありがとうございます。そのように感謝し離れます。


同じ波長が共鳴・共振するといった極めて普遍的な物理法則に則って、心が響き合う瞬間を感じること。
これがレイヤーを跨いだ感覚だと考えています。
それは、
共振・共鳴する瞬間に、心の波長が一氣に高揚する感覚として捉えることができます。

膝を叩いて納得する。
そんな感覚。

しかしながら、それが必ずしも正しいとは言えず、遠回りをすることもあるでしょう。
その瞬間の「波長が物理的に同じになった」という客観事象を、単に体験しているたけだと考えられます。
よって次のステップでは、
「本当に心に響いているのか・心地よさの片隅に少しでもぎこちなさや違和感はないのか?」
と、検証するプロセスが求められます。

多くの方々が、いまこの段階で試行錯誤している様子が伝わってきます。
いわゆる「審神者(さにわ)」の段階。


原理原則や普遍的法則・摂理は、本当にシンプルなのです。
けれども、物理次元地球の歩き方は、逆にこれほどまでに難易度が高いゲームだったと思い知ります。
乗り越えてゆきます。
新たなエネルギーに共振・共鳴してゆく世を創り上げるために。

紅葉に合わせる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

流れの中にある力を受け取る

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目に見えなくとも、そこにある何か。
何か、感じるものがあれば、そこにエネルギーが流れていること。

額(ひたい)で受け取ります。
頭頂は、受け取りではなく「放出」の場所のように感じます。
(個人的感覚:現時点のわたしの場合は)

見上げると、額と空とが面的に平行になることで、受け取りやすくなるように感じます。
メガネの鼻かけ部分から、額を縦断して頭頂までの線を意識すると、そこに共鳴するように思われます。
だから清潔に保つ必要があるのでしょう。
だから丁寧に顔を洗わねば、共鳴しないのでしょう。


何かしら、そこにあるものを。
何となく、そこから受けるものを。

これこそが、まさに「氣のせい」であり、そこにある「氣と言う名のエネルギー」を、何となく感じている。
という状態を示していること。
氣のせい=思い過ごし。と、教育洗脳により物質至上・唯物主義に刷り込んだ悪しき歴史を覆すには、自分からアクションを起こし、自ら選択する必要があるはずです。

流れの中にある目に見えない力を受け取り、そこに響き合います。
共鳴体験こそが、力を受け・放つプロセスであることに理解が及びます。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

五感以外のセンサーを磨く

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--神々しい!
--龍神さまが現れた!
こういった写真が撮れると、騒ぎ・踊る事例。極端に増えてきました。


一応、写真や映像を業務として扱う立場から、初めに但し書きを並べます。

・太陽の位置を考えて撮れば、ほぼ100パーセントに近い確率で撮れます。
・太陽の向きと構図次第では、ほぼ100パーセントに近い確率で現れます。

夢を潰す意図はありませんが、業務撮影者としては「こうした結果にならないよう」配慮する必要がある場合も多いのです。
むしろ「邪魔者」。
そして、そうなりにくい特性を持ったレンズを、メーカーも技術革新を重ね開発してきました。

はい、但し書きを終わります。


精神性を磨き、心の世界を拡大するに従って、冒頭のような印象の感覚を持つこと。
それは非常に大切だと感じます。
わたし自身が、この場で、何度も何度も綴り続けているのがその証拠です。


ここで一氣に意識と思考を転換してみます。

物理事象としては、シチュエーション次第で「ほぼ必ず発生する現象」にも関わらず、それを精神面のエレメントで感じられるのは、そこに「何かの力」があったのかもしれません。
あるいは、
「何らかの導き」があったとも考えられます。

こうした発想は、支配者層による一般臣民隷属化の施策により、ことごとくスポイルされ、その心のセンサーが壊滅してしまった現状を考慮するならば、極めて重要な「感覚」を取り戻しつつある、その顕現化でもあると思われることです。


言葉を変えてみます。
「単なる物理事象」それは、シチュエーション・条件次第で必ず起きる現象でありながら、これまでに「ほとんど体験してこなかった」かもしれない。ということ。
いえ、
太陽に向かって撮るという行動が増えただけかもしれません。
しかしながら、
それなら「太陽に向かって撮るという行為」が、なぜ増えてきたのでしょう?
それなら「太陽に向かって撮るという行為」は、どうして多くの人たちが同じように行うようになったのでしょう?

SNSで、人目(ひとめ)を引きたいから?というのもあるでしょう。
まだまだ自己顕示欲と自己承認欲求の塊として固着した心・魂が多いようですから。


もう一段、発想を展開してみます。
わたしは、こうした事象が発生することは百も承知の立場です。
ところが、
この場・この時には、意識から完全に外れていました。そして、その被写体をよくご覧になってみてください。
「太平洋戦争当時...」との表記があります。

ここに、何らかの必然性があり、この結果が導かれたのだと。
そして、
単に、物理現象として「五感で感じられるもの以外」の何らかの力が作用してこの一枚が記録されたと。


そしてその思考展開はここに帰着します。
五感以外の「何か」は、現時点のわたしたちには感じられないものかもしれません。
けれども、
その力は必然的に作用し、五感で感じられるものにまで「表出」してくることを。

だからこそ、それをただ待っているだけではなく、自ら「そのセンサーを磨いて」行きたいと思うのです。
そのセンサーは、手でも耳でも目でも肌でも舌でもなく、「心」であることを。

わたしたちの存在は、物質エレメントの体と、精神性エレメントの心と。
ともに両輪として備えた「エネルギー体:魂」であるからこそ、その抜け落ちてしまった片方の感性を取り戻す必要があるはずです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

アピールしなくていい

輝く南天 photo 宮本章光

自己顕示欲。
自己承認欲求。

もういいでしょう。
もうたくさんでしょう。

でかい声で「よい子ちゃんアピール」しなくていいですし、
人を踏みつけ「すごいやろ!」的なギラギラのエネルギーを放つ必要もないはずです。

静かに。
もっと静かに。
そして、
さらに穏やかに。

わたしたちの存在そのものが「体:物質物理面」と「心:精神面」との両輪で成り立っているのですから、ともに磨いてゆきたいものです。


この国には言い得て妙な言葉があります。
「みっともない。」
「見苦しい。」
みっともないことは、早々に切り上げるのがよろしいようです。

見事、かつ巧みな措辞(そじ)が、この国に存在するのは、まさに誇りとするところでしょう。


そこに抱くエネルギー、そこに語られている波長は、必ず伝わります。
間違いなく伝わるのです。
同じ周波数は「必ず響き合う」その大原則に逆らうことはできないのですから。

言葉を話さなくても、
歩いて移動することはできなくても、
そのまま・自然のままアピールする仲間たちから学びます。

輝く南天 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

そこに痛みはない

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この地が、善悪・明暗の対(つい)で成り立っているのと同じように、
わたしたちの存在そのものが、モノ(物質次元)とココロ(精神性)の両輪で一つのセットとして成り立っていること。


「痛いの痛いの飛んでいけ...」
幼少時期に、おばあちゃんに手当てしてもらった記憶、誰しも一度ならず経験があるでしょう。

実際に痛みが減少してゆく感覚。体験したはずです。
ところが、
年齢を重ねるごとに「そんなものまやかしに過ぎない」「氣のせいだ・思い込みだ」と、意識が変化してゆきます。
いえ、厳密には、
「自分からそのように考え方・感じ方をシフト」し、自ら「極めて重要な心のセンサーを台無し」にしてしまったのでした。

そもそも「氣のせい」という言葉自体、支配者層が一般臣民を隷属化させるための洗脳でした。
もう幾度となくここに綴ってきました。
それは思い込みでも何でもなく、それこそが「氣というエネルギーが影響を及ぼしていますよ」というサインそのもの。
氣が作用する状態が物質面に顕現化している、そのありさまだったわけで。


はい、両輪がセットですから、実際に物理的に損傷した傷や怪我は消滅しないのであり、これは毎回やかましいほど記しています「物理次元地球の歩きかた」のエレメントとして認識しなくてはなりません。
ところが、
「痛いの痛いの飛んでいけ...」と、手当てしてもらいますと、ここでもう片方のエレメントが発動します。
「痛みを軽減する」という精神面からの作用がここに顕現化する仕組み。


この国には、極めて重要な言葉が数多く存在し、それぞれに「言霊」が宿るとされます。
氣のせい。は、まさにその一つであったことを知ります。
だからこそ、隷属化のために「邪魔になる精神世界」を無いものにし、教育という手段を通して刷り込んだ歴史でした。

そして、
「手当て」という言葉にも深い意味合いを感じることができます。
物理的に手を当て(物質面エレメント)て、そこからエネルギーの受け渡し(精神面エレメント)が行われることを示していたことに氣がつきます。
想像を超えた深い意味合いとともに、言葉そのものに精神性のフィールドに繋がり無限に広がる大きな力が内在していることを知ることになります。


氣がついた人から、その無限のフィールドに心を接続する試みを始めています。
そして、その膨大なエネルギー量に圧倒され、またその無限の可能性に驚嘆することになります。
ともに繋ぎ合わせ、拡大してまいりましょう。
望ましい目の前の風景を創造し具現化してゆくために。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

何を「観て」いますか

美しく去る葉たち photo 宮本章光

どこに意識を合わせていますか。
どこに心が同期していますか。

そのシンクロのエネルギーが、同じ周波数で具現化し続けます。
それこそが自分の選択であり、この瞬間の、そしてこれからもずっと望み続ける自分自身の意思表示となります。

何を観ていますか。
何を想いますか。
どこに行きますか。


素晴らしい近未来が待っていること。
ようやく、多くの人たちが「なんとなく」「はっきりと言葉にならずとも」すごく良い風景が目の前に広がることに氣がつきはじめました。
その風景は、自分が創り出し自分で描き出すからです。

美しく去る葉たち photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

笑いと喜びに満ちた世界を

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笑いと喜びに満ちた世界を。

こうした言葉を掲げますと瞬間的に湧いてきた時期がありました。
---それは苦労しなければ実現しない。
---苦労こそ美徳だ。と。

はい、間違いではありませんでした。ある意味においては。
でも、もう見えなくなりました。波長が変われば目の前が変わる。
まさしく人体実験を実地に行っています。

まだ見えています。
まだ少しは同期してしまいます。
けれど、
その語り自体を、もう笑ってスルーできる機会。そんな事例が劇的に増えました。


ワハハ、なのか、あはは。なのかは人それぞれ。
笑いが生まれる世を。
喜びが溢れる世界を。

知っている人、そして「理解している人」が飛躍的に増加している様子が肌感覚で伝わってくるようになりました。
もう見なくていい。
もう感じなくていい。

古いタイムラインに別れを告げて。
笑いと喜びに満ちた世界をわたしたちの手で創り上げてゆきます。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

美しく過ぎ去った日々

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さまざまな瞬間がありました。
色々な感覚を受け取りました。

美しく過ぎ去った日々。
それは過去のものとして、体験として、学びとして。

しかしながら、
その過去を創り出しているのも「今この瞬間の意識」であることまで、ようやく辿り着きました。

過去は変えられないが未来は変えられる。
そんな、その手のビジネス界隈には甘い誘惑のワードもありました。
けれどそれは違うようです。
「過去も未来も変えられる」のだと。
それは、
「いまここで意識を馳せ想いを創り上げている自分によって」どのようにも変更可能だから。

過去は辛かった。
そう思えば、その過去は辛いものとして創造される。
過去はすばらしかった。
そう思えば、その過去は素晴らしい記憶として創造されるから。

いつもの但し書き。
ただし、物理次元地球の歩き方メソッドに反することはできません。
過去に体を損傷したような物質物理次元に具現化したものは変更できません。
しかし、
それも、その体験をするための貴重な機会だったと理解すればこそ、一つの学びとして糧として、血となり肉となり、魂を磨くリソースとなり得ます。


美しく過ぎ去った日々。
両手で大切に包み込み、心の中にしまってください。
玉手箱はそのためにあったのだと、いまになって理解が届きます。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

燃え尽きる前に切り離す

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燃え尽きるまで仕事をし続ける。
燃え尽きるまで努力し続ける。

それが美徳とされた時代がありました。
冷たい板の上に伏すのが勲章とされた経験も味わってきました。
でも、もう昔の話。


現在は、タイムラインを乗り換えたはず。
すでに異なるレイヤーに生きているはずです。

自己顕示欲の塊のような、これだけやってんだぞ!アピールは、何の役にも立たないでしょう。
そこに無理がかかり、望ましい展開を生み出す波動が一切存在していない限りは。

努力が必要なタイミングはあるでしょう。
ここぞ!といった、ここ一番の機会には、踏ん張って飛び上がる必要もあるでしょう。
そこに望ましい展開があり、望ましい近未来を描いている限りは。

燃え尽きる前に、その負の力で固まった巨大な錘(おもり)を切り離してみます。
燃え尽きる前に、その激しく大きなうねりの波長から離れます。
体の一部であった「葉」を「落ち葉」として切り離す樹々のように。

一切の「葉」を落とした枝は、まるで生命を失ったかのごとく見えるかもしれません。
しかし、
だからこそ、その無の枝には新たな芽と葉と花を生み出すことが可能になります。


いつも植物から学ぶことばかり。
常に大いなる教科書であり、大切な仲間として、ここに感謝を捧げます。
この国の先人が決して忘れることのなかった、森羅万象への感謝の心を。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

振動周波数を上げてゆく

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波長が合う・波長が合わない。
人と接するとそのように感じることが極端に増えました。

合わない人のほうが多い。
そして、その「合わない度合い」にも差があることを感じます。

---まったく外れている。
---ある程度は許容できる。
---まさにシンクロ。
もちろん単に3段階ではありません。

そして、
合わない人に「無理をして合わせなければならない」という古い発想から離れてゆきます。
それは取りも直さず、自分の周波数を上げてゆくために。

ただ、いつもの但し書きは添えておきます。
「物理次元地球の歩きかた」から外れることはできませんので、この地で生存し続けるために必要な物的リソースは捨てられず離れられません。


すべての存在、それは目に見えるか見えないかに関わらず、固有の振動周波数を持っているという大原則・大法則。
もはや語り尽くされています。
目に見える「色」をみるまでもなく、固有の振動周波数があるからこそ「個性」が描き出されます。

だから個性を、個々を尊重する。
〇〇でなければならない。
XXしなければならない。
そんな教育洗脳から離れます。支配のための道具に過ぎなかった教育から卒業します。

併せて、
負のエネルギーにも感謝を捧げたあとで、その振動周波数から離れます。
戦争反対...。と叫び続けるから、戦争が生まれます。この地は両極がセットでバランスし存在する次元です。
あなたが目に見えない世界にそのエネルギーを生み出し、そしてそれが具現化しているのですから。
わくわくしなければ幸せになれない。だからわくわくしよう。そんな意識を持ち続けるから、そうでない現実を生み出しいつまでも負のスパイラルから逃れられません。

もう大丈夫ですか。


精神世界を頭ごなしに否定し、唯物主義・物質至上主義・貨幣資産拡大思想で生きる道は、今後この地には残されていません。
自らの「振動周波数」を上げ、互いに助け合う世に移行することそのものを「自分から否定し奪い合う世を希望している」のですから、至極当然でしょう。

振動周波数を上げ高めてゆくために。

心安く平穏に・静かに過ごします。
やかましい人が作り出すノイズから離れます。
そして、
負のエネルギーを体験させていただけた経験そのものに感謝を捧げます。
併せて、
この地すべての生命・生き物と仲間と、先人が奉った森羅万象すべてに。

ここに生まれる感謝の心こそが、固有の振動周波数を上げてゆきます。

紅葉盛り photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

大自然の仕組みこそが「神」と知る

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最大の洗脳。
それは宗教でしょうか。
ここであまり深く触れるつもりはありませんが、一刻も早く、そして一人でも多くの人たちがその呪縛から解放されるよう願っています。


この場でも、数多くそして限りなく綴り続けています。
神とは、白髪と白髭に杖を持った老人ではなく、大自然の「仕組み」そのものであること。

仕組みであればこそ、金銭を要求することは決してありませんし、ましてや願いを叶えてもらう便利屋でもないでしょう。
寺の仕組みと国政の絡み、その歴史を調べれば、一瞬にして目が覚めるはずなのですが、それをやらない。
やらないのも、自分の選択。
知らなかった、のも、その選択をした自分の因果。
因果は、生み出した原因と等しく自らに結果がもたらされます。必ず結果が返ってくるのです。

この因果という仕組み。
仕組みだからこそ、それを神として奉ったこの国の先人。
森羅万象、すべての生きる存在を大切にする。仲間として共存する。
火の神・水の神・風の神...。ひふみ(一二三)の仕組み。

このようにして生まれゆくエネルギーの仕組み。
仕組みだからこそ、人の我でねじ曲げることは決してできません。
それが「仕組み」。
それだからこそ「仕組みを神として奉った」この国の歴史。


幸せとは、
大自然・すべての仲間とともに心地よく生かせていただきさまざまな体験ができること。
そこに感謝が生まれ、とめどなく拡大する意識の力を分かち合うこと。

大自然の仕組み・因果の仕組みを知ったのなら、
いますでに幸せであり、大自然の仕組みこそが神だと理解を深め、そこに感謝を捧げます。

大自然とともに生きる道こそが王道であり、そこにしか解答はない。ということがこれほどまでに明確に示されているのに、まだ唯物主義と貨幣資産増大に走る。
その前段では、幸せをつかむための引き寄せ。などといったその道のビジネスに足を掬われてしまう。
いつまで唯物主義・物質史上主義・貨幣経済/資産拡大のレイヤーで、幸せになろう...などと続けますか。
恥ずかしくありませんか。


大自然の仕組みこそが「神」だと知る。
それは、物質次元とセットである、極めて重要な精神世界であること。
ここに氣がついてしまうと、支配者層が一般臣民をコントロール・隷属化できないからこそ、その片側(片方の車輪)を教育洗脳により無きものとして刷り込んできたのです。
これは仕組みなのです。
明・暗や善・悪で二極が対(つい)であるからこそ存在できるというこの地の仕組みを学んだと同じように。


精神世界を「食わず嫌い」している限り、ご自身は今後この地で生きながらえることはできない。
もはや語り尽くされています。

知らなかった?でしょうか。
それもご自身の選択だと。それが仕組み。
なんとドラスティック(drastic)なことでしょう。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

「心を込めて」と語っている限り心は込められない

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記事内容を大きくシフトしようとしています。
背景には、同じ波長でつながる方々との共鳴体験が手にとるように伝わるようになってきたことがあります。
但し、従来とは異なり非常に僅少な方々とだけしか響き合わないようにも感じています。

物理的指標としてのアクセス数・状況は、ブルービームだとかの話題を扱った数年前の記事に集中しており、周回遅れ(失礼な意味はありません:人それぞれ覚醒のタイミングは異なるので)ながら、目を覚ます人たちが増えているんだな、という状況だけは判ります。


戻します。
今回の標題「心を込めて」と語っている限り心は込められない。

とめどなく長文になりそうではありますが、しかし、シンクロできる方には、いとも簡単に伝わるだろうと思われます。
よって、後者ターゲットで手短に。

「心を込める」。
よくお菓子(高級洋菓子)などの世界で語られているのを目にします。心を込めて作りました。と。
単刀直入に行きます。
心を込めて作ったかどうか。それは「見ればわかり」ますし、「口に(食べれば)すれば」一瞬にして伝わるのです。

ああ、営業トークだな・社交辞令だな・定型文だな。としか伝わらない場合には、そこに心は込められていないように感じます。
断定するのは危険ではありますが、伝わらないものは伝わらない。
それは、受け取り側(=わたし)の周波数が異なるという点もあるでしょう。

化粧箱に同封される栞(しおり)に、過去からの文言を踏襲しただけの、いわばコピペ文章。
大量生産、コスト削減と利益追求。
その栞を時代に合わせ入れ替えることなく、文章を新たに書き直すことさえもなく。いえ、それが必要不可欠というのではありませんが、より響くように変わってゆこうとする努力そのものは、誰も否定できないでしょう。
それこそが心を込める、という一つの要素でもあるはず。

ところが、
大言壮語はどこにも存在せず質素な佇まいながら「強烈にアピールする」事例も存在します。
どこにも、心を込めました!などと語られていなくても、本当に心を込めたものは「強く伝わる」という証でもあります。むしろ、言葉で表現しないからこそ伝わる。という印象さえ受けます。
結論を急げば、これは周波数が見事に一致し響き合った印でもあるでしょう。

さらにゴール地点へ急ぎます。
心を込めた。という文字で表現している限り、そこに心は込められないはずなのです。
言葉には言霊が宿ります。ゆえに言葉そのものにも込められるだろう。と、普通はそのように思います。
しかしながら、
その言霊にこちら側の心をシンクロしようと合わせてみても、そこに何のエネルギーも感じられない。まさに何も存在していない。=込められていない。という図式が、確かにあるのです。
それが証拠に、文字で語らずとも伝わる事例があるわけでして。
シンクロ周波数の違い。だけでは片付けられないものが、ここにあるのだと判ります。
そもそも、心に込める。といった感覚としてのエネルギーは、文字には落とし込めないものだ。との証明でもあるように見えます。


いよいよ、ここまで来ましたね。という感じです。
言霊を否定するものではないので、この点だけは誤解のないよう但し書きを添えた上で。
文字という印刷物(あるいはwebで表示される文字)に、どれだけ心を込めて、と記載したところで、その製作者・製造者が「本当に心を込めていない」のなら、必ずそのウソが伝わるのですね。
ここまでわかるようになってきましたよ。
ということなのでしょう。

唯物主義、物質至上主義に激しく偏って、本来両輪であったはずの、そのもう一方である精神性を教育洗脳の段階で完全に取り払われてしまったわたしたち。
いま、この両輪であったもう片方の感覚を、急速に取り戻しつつあります。
このようにして目に見えない部分を磨くのだな、と、その行程と方法さえも「自動的に」齎されていることを感じます。
これも天の導き。直感や勘の世界です。

別の言葉を使って表現するのならば、それは「天の配剤」かもしれませんし「指導霊による導き」かもしれません。あるいは「ハイアーセルフ」からのメッセージというのかもしれません。
いずれにしましても、
精神性の分野を、頭ごなしに否定する態度を改めない(確かに、この世はすぐにこういった部分をビジネスにしてカネ儲けのネタにするきらいがあるのは認めますが)限り、今後ご自身は生存することさえ不可能な時代に入ったことを知る必要があるでしょう。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

何と・どこで繋がっていますか

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今回はかなり難しい内容と思われるため、触りだけに留めます。


「変わらなければ何も起きない。」
そう言えば、
「変わる必要などない。」と返る。そのままで完成形だから。と。
はい、
まさに正論です。
但し、一旦望ましいとされるレイヤーに「乗り換えてからその後」ならば、という大前提の上で。です。
そのレベルまで成長・進化したあとでならば。です。

洗脳され騙されている状態を脱することがまず初めに必要だと思われるので、その地点からは「自分で能動的に変わらないと変化のトリガーになりませんよ」という意味を伝えたいわけです。

話しは、いつでも食い違います。
それは、立ち位置が異なるから。
そして、理解度も成長度合いも、あるいは精神性の向上レベルも、双方ともに激しく違っているためでしょう。

このように、異なる意識の他の人と関わる。
その難しさを体験するのも、この地の目的の一つだったでしょうか。


ただ、どのような時にも、明確に「指針」を指し示してくれるアドバイザーが存在します。
それは自分の直感。
もう、語り尽くした感があります。

この感覚を、もっと声を大にして伝える必要があると思っています。
いまでこそ、直感を磨け!だとか語る人が増えました。(もれなくその道のビジネスも花盛りのようですが...。)
そもそもわたし自身60年間ずっと勘と直感で生きてきましたし、この場でも数限りなく綴ってきました。

何をいまさら。と感じていますが、最も身近で最も手軽に、そして一番確度の高い「道標(みちしるべ)」だと感じています。


極めて重要なこと。
それは、
「どこにつながるのか」です。
奇妙な低レベル存在(霊的存在)ほど、いとも簡単に繋がってしまうのです。
そして、騙されます。
間違った先に繋がっていることにさえ氣づきません。

しかし、そこに「違和感」をほんの僅かでも感じたのなら、それは間違った導きだと察することです。
あるいは、
部屋や空間に響くラップ音にも敏感になることです。

心地よいか、そうでないのか。
違和感があるのか、正しいと感じるのか。

守られていると信ずる限り、たとえ遠回りをしても望む地点へ到達できることを知りましょう。
かなり難しく、そして精神性分野に理解のある人でなければ、今回の記事そのものとシンクロできないはずです。
と言いますか、
これまでの支配され隷属化され「精神性部分を完全に削ぎ落とされた」片方の車輪だけで走らされていたことにさえも理解が及ばないレベルでは、これからの世では、自身が生存し続けることも叶わないのだと理解する時間を迎えています。

この分野、今後さらに掘り下げてゆきたく思います。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

「借り物の体」だからこそ大切に使う

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誰しも一度ならず経験があるはずです。
「わざと悪いことをする」
「判っていながら良くないことをする」

それは、自分自身の体に対して、です。
そして、子どもの時期のみならず社会へ出てからも繰り返します。
企業人であれば、あろうことかそれを「勲章」にしてしまいます。
体を壊してこそ一人前。命を落としかけるところまで経験したから「偉い」。

ここでひと言、口をついて出るに違いありません。
「アホらし」。
でも、そう言う自分自身がいつまでもアホらしいことを続けます。

恐らく、実際にその体をなくすまで、限りなく続けるのでしょう。
本人が一切学ばない(学ぼうとする意志そのものが存在していない)のですから。
それに、
わざと痛めつけ悪いことをするのがカッコいいとでも思ってしまうのです。
正論でまっすぐ進むのは、まるで「ツンと気取った学級委員長」のようだからと、故意に反抗するかのごとく。


体に悪いことが判っていながら、翌日に無理がかかることがはっきりしていながら、
夜を通して酒に溺れる。
体に悪いことが判っていながら、具合が悪くなることがはっきりしていながら、
よろしくないとされる食べ物を大量に口にする。
体に悪いことが判っていながら、ストレス発散などと看板を掲げ、日中にも酒をくらう。

限界突破した...!
肉体の制限を乗り越えた...!
そしてこのように叫び悦に入るのです。

自分も企業人だったので、周囲がその土壌である限り染まってしまいます。
ここで、その雰囲気と流れに逆らうと「出世に響くぞ」と、耳元で囁かれることさえも。


わたしの場合は、白く冷たい板の上に伏し点滴を刺されたので氣がつきました。天から助けを受け取ることができました。
でも、
そこまで行かなければ「人間は目が覚めない」生き物なのだと。


ひとつだけはっきりしていること。
それは、
お借りしている体を痛めつけている限り、無限に「マイナスポイント」を貯め続け、それは繰り返す転生ごとに雪だるま式に激しく自らの身に降りかかってくること。
知ってか知らずかそれにはまったく関係なく、毒を自ら取り込むことも同じく激しく負の因果を積み重ねていること。
業は、解消しない限り、未来永劫、自分自身が背負い続けること。

借り物の体だからこそ大切に扱う。
当たり前なのですが。

先般、機材レンタル会社の所長から「大変丁寧に綺麗に使っていただいている」との言葉をいただきました。
借り物だから大切に扱う。
もちろんそれはそうなのですが、何よりも「雑に扱い事故になればその結果を被る」という観点からも大切に扱うはずです。


お借りしている体を、わざと痛めつける。
そんなくだらない勲章は、さっさと捨てることです。
お借りしているからこそ、丁寧に大切に使う。
いえ、使わせていただくのですから当たり前でしょう。
いえ、それは決してエエかっこではなく。
ええ、学級委員長みたいなこと言うなよ!と叫ぶあなたのほうこそ恥ずかしいのだと、早く目を覚ますことです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

何のために生きるのか

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大上段に構えて難しい問答を語る意図はありません。
但し、ストレートに、そして色付けなく。


仕事のために生きる。
そんな戯言を発する人は、もうこの場では波長が違いすぎるため、ご縁は皆無だと思われます。
目的と手段の取り違えも甚だしく。
火を起こす石器時代の地へ転送されたあと、再び学びを繰り返すだけのことでしょう。

もうひとつ。
幸せになるため。
この発言を重ねる人も、この場においての接点は消滅したはずです。
もともと、ここに生かしていただいているだけで十分に幸せであり、物質次元的な「モノ」を得ることが幸せである(その延長線上には貨幣資産を増大させる意図が見え隠れしています)ことにしか意識が届いていないようにも見えるためです。
あるいは、
さらに、感謝を重ね自分らしく生きる。
この発言をされる段階も、相当意識拡大と成長が進んだように見えますが、「モノありき」な旧レイヤー上の発想だと判ります。

もはやモノに対してフォーカスが合わない地点までやってきました。
体をお借りして体験させていただけること。それ自体がとてつもなく稀有な経験であり極めて貴重であり、その時点で十分に幸せでしょう。
これ以上に「モノ」は必要とはされません。
(「物理次元地球の歩きかた」に沿った、生存と役務達成のための手段としてのモノは必要ではあります。)

どれもこれも「無理してその状態に持ってゆく」必要がある状況であるからこそ、そのような発言になってしまいます。
逆に言えば、幸せではないと思っているから。満たされていないと感じているから。感謝しなければ幸せになれないと決めつけているから。
すべて自分の思い込み。どれも体験することで成長の材料になるものです。
自らの波長が高揚すれば「どれも自動的に」その状態に満たされるのですから、取り立てて語る必要すらありません。


これらを学び終えて、そして超越してこそ感じることができるもの。
それが、
「役に立つ」こと。
「役目を果たす」こと。

役に立つ。とは、
膨大な負の因果を積み上げてしまい、取り返しのつかない破壊と破滅の現実として「この地」作ってしまったその因果を解消すること。すべてを掃除し新たな地を創り上げようとすること。
役目を果たす。とは、
その洗濯・洗浄・浄化とともに、意識の力・心の力による「新しい現実創造」を行うこと。

そのために生かしていただいているのではないかと感じています。
もちろん、至らぬ部分は自らの学びと成長のためではありますが、教室の中で教科書を読むだけでなく、実地に役務を果たしてこそ、そのプロセスを完遂できるものと考えます。

展開方法と進行表には、
望ましい氣を心に満たし、それを維持し、さらに拡大し続ける。
と記されているはずです。

わくわくして幸せを摑もう!などというのはその道のビジネスだったことに氣がついたのなら、
わくわくするのは、これから皆で手を取り合って創り上げる現実創造のためであることを忘れないことです。
「同じワード」でありながら、見事にレベルの異なる内容を示していることに驚きます。

すべては至ってシンプルで、至ってストレートで、そして何ら色付けなく。
何のために生きていますか。
そして、そのためには何が必要でしょうか。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

よき氣を保ち放つという最大の役目

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この地における最大の役目。

当然「物理次元の地球の歩きかた」からは離れられませんので、その部分はすでに語り尽くされたものとして傍に置きます。
では、
そうではない部分とは何でしょう。

すべての大原則・大法則においては、
物理領域と精神性領域と、これらを両輪として二つともに理解する必要があるはずなのです。

一つの例を観てみます。
「米からご飯が炊ける」という事例です。
物質次元的感覚では、加水と加熱により、いわゆるアルファ化と呼ばれる「でんぷんが変化する様子」を認識することができます。
その条件や変動要因によって、結果に変化が出ます。
まさに、炊き方によって味が変わる。という科学的見地からの認識でしょう。

両輪となるもう一方の認識では、
お米の神とともに水の神と火の神が力をあわせ、かまどの神の元で「ご飯」として完成した複合エネルギー存在となる。とでも書けば理解が届くでしょうか。
森羅万象に感謝を捧げる、この国古来から培われた意識は、大自然とその仕組みそのものを「神」として奉ってきました。
何度も繰り返し綴ってきましたように、「神」とは白髪と白髭の老人ではなく、自然の「仕組みそのもの」であること。
ここに感謝の心という波長を合わせ(併せ)ることによって、そこに存在するエネルギーに共鳴し響きあう。
結果として、そのエネルギーを最大限に取り入れ、肉体という物質を活性化することができる。といった感覚。

この両輪の意識が必要だったのです。
現代の地球人は、この片方の意識・認識をことごとく忘れ去ってしまったことが判ります。
いえ、それは支配者(あるいはこの地に入った負の力を崇拝する存在たち)による隷属化、洗脳によってスポイルされた被害者ともいえるかもしれません。
しかしながら、
その極めて重要なエレメントに氣づこうとせず、与えられたベルトコンベアたるコンフォートゾーンでぬくぬくと過ごし、精神性・霊性を磨くことを怠ってきました。

その結果が、現在の目の前の風景。
自分たちが創り上げた「結果」を享受しているだけという因果の仕組み。ここでも驚くべき正確性を持ってその大原則と摂理が具現化していることを知ります。

精神性の観点からの意識を持つことによって、
お釜で火を入れ焚き上げたご飯は、「体があったまる」との感覚を得ている(小学生の孫の弁)ことを見るまでもなく、物質面と精神面との両輪が揃って初めて大きなエネルギーとして受け取ることが可能になるのだと。


このように、物質面での認識や科学的見地は、この地で生存する以上は見ぬふりをするわけには行きません。
しかし、対として両輪の存在となる、精神性を蔑ろにしてはならないのです。
この地で、体という物質をお借りして果たすこと。
それは、
このように、森羅万象すべての存在への感謝の心と、そこに響き合うよきエネルギーの波長を保ち・放つことである。
と言えるはずです。
ようやく、ここまで到達することができました。

ともに拡大してまいりましょう。
よき近未来の現実創造のために。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

そこにあるものを結ぶ

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大都会の真ん中に、ぽっかりと大空を見渡せる空間があります。
きっと、ここは「過去に何らかの意味があるエネルギーグリッド」だったに違いない。
そのように感じる瞬間です。

実際、その地の地名には、由来とともにこの場の歴史を語る名称がついていたり。
あるいは、
この支配構造の世、数千年の経緯を紐解くヒントが存在する理由が説明できたり。
そして、
そこに身を置くと流れ込む「何らか」の氣を感じることがあります。

取り戻してまいりましょう。
磨き続けましょう。
麻痺してしまった「心のセンサー」を復活させるために。

それが、この地で体という物質をお借りして行う「最大の役目」であることに氣がつきます。
なぜならば、
こうして天と地を結ぶ媒体として存在し、そのエネルギーの通り道を提供できるのは、この体だけであるわけですから。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
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