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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「いまを生きる」そのもう一つの視点

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前記事
【落とし穴にハマってばかり】2023/09/27 [Link]
にて、少々煩い語りになってしまったため、今日は軽めに流します。

いまを生きる。
とは、
この瞬間を精一杯生きれば「悔いがない」という、旧来の思想や意識の延長線上にある考え方も、変わらず価値と存在感を放ち続けていることに触れる必要があるでしょう。


ある程度の世代となった年配者を見て感じること。
それは、
「残り少ないから精一杯生きよう」という人と、
「残り少ないからもうどうでもいいや」といった印象の人と。

後者は、いまだに終日テレビの電源を入れたまま流しっぱなし。昼も夜もそして深夜までも。
スマホ3台持ちで歩きスマホ終日ゲーム三昧...。
いえ、それも個々人の自由なので他人が口を挟むことはできません。
しかし、
では「この生を終えたあとはどうなさるのですか?」という部分が、すっかり抜け落ちていると思われること。
同じく「何のためにこの生を過ごしてきたのですか?」という大切な部分も、完全に消え去っているように見えること。

こうした方々は、往々にしてこのように口になさるのではないでしょうか。
「死んだら終わりや」
「もうあとは無いからどでもええんや」と。

果たしてそうでしょうか。
地球、ひいてはこの宇宙規模での大転換機を過ごしている現在、すでに多くの人たちが目を覚まし「人生の目的は何なのか」に氣がついています。
また同時に、
それは、「永遠に続く魂の成長のための学び」だということも。

今世・今生は「体という衣をお借り(人間)して」学ぶ学校における「学年・学期」でした。
では、過去や未来は、というと、
「体という衣はなくエネルギー体・意識体(霊)として」常に成長を目指す「年度」であると。

結局は、
「学び続ける」ことにより、どこまでも意識を拡大し階段を登り続ける。それが魂としての成長であり進化であるという考え方が、すでに一般化していることが判ります。
それが宇宙の法則であり、仕組みであり、その仕組みこそが神という存在そのものであると。
だからこそ、八百万の神(やおよろずのかみ)・森羅万象に宿る命に意識を馳せる、感謝する。
これが日本古来の意識の根源だったはずです。

今世、極めて狭き門をくぐり合格するという、日本人としての生を受けながら、その人生をどのように生きてきたでしょう?
そして、それを最後まで全うせずして、どうして来世が充実した展開になりましょうか?

「いまを生きる」
とは、別にスピ界ビジネスのワードでも何でもなく、この瞬間を悔いなく精一杯生きる。それこそが与えられた役目である。
としっかり理解することでもあるはずです。
この稀有な瞬間瞬間を、何の不自由もなく生かしていただけること。ここにこそ感謝が溢れ出します。
自動的に流れ込んでくる、とはこういうことだと激しく頷きます。

無理やりにわくわくなどとポジティブごっこ遊びをやっていますと、大変恥ずかしいでしょう。
そして、
期限つきの今世の残り時間を無駄に過ごす。こちらも、負けず劣らず恥ずかしいと感じます。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

落とし穴にハマってばかり

飯舘村で出会う夕暮れ photo 宮本章光

本当に落とし穴ばかりです。
そして、次々と見事にハマってしまいます。

いまを生きる。
とは、
今この瞬間だけを意識して。といわれますが、ここで大きな勘違いをします。
未来も過去もないんだ、この瞬間の氣持ちに従って自由に生きればいいんだ。と。
ええ、言葉の上では間違っていません。
ところがその結果、
計画性もなく、いまの氣分が乗らないから...と、必要なことまで怠惰に放置してしまいます。
これは違うのです。単なる「怠慢」。
やるべきことは山のように待ち構えています。それも過去に自分が作り出した「宿題」が、です。


忘れてはならないこと。
そして絶対に避けて通れないこと。
それは、
「物理次元地球の歩きかた」の大原則からは決して外れることはできず、その法則の「範囲内」でのみしか行動できないという、至極当然のことを忘れている可能性がある点です。

この地・この生では、体という衣をお借りして体験させていただくことが目的でありその学校だと伝えられています。
そしてその体験は、
---「過去に蓄積した負の因果の解消」と
---「うまくゆかない現実ゲーム」
という二つのカリキュラムに沿い、激しく負の方向に振れ偏った条件下で、それを乗り越え対極にある「感謝と希望・奉仕と慈愛の精神」を学ぶことだ、とされます。

よって、目の前には、苦しいこと・辛いことばかりが現れます。
それは自分が過去に作り出した「因」であり、それを自分が刈り取る「果」の経験をして学ぶためでしょう。
楽しいことしか出現しなければ、この地での成長が期待できないことは自明の理かと。

この重要なプロセスにフタをして「見て見ぬふり」。
楽しいコトだけを考えてわくわくしましょう。自分の現実は自分で作るんです。
と、やってしまう。
過去のマイナスポイントの利用は、この地だけの「場所限定」で、且つ「期間限定」です。
溜め込んで抱えているのは「マイナス」なのですから、ここで綺麗さっぱり解消してしまわないことには、永遠にマイナスを積み重ね続けるばかり。
一切の成長が期待できず、進歩どころか退歩し続けていることに氣がつきません。


また、
「物理次元の地球の歩きかた」という、体を使って生きる姿が必須の地なのですから、いまの氣分で、いま思っていること、いま感じていることに従えばいいんだ。
と、心の世界の真似ごとだけ一人前で、必要なこと・必要な宿題に取り組むことさえも放置していては、何も進歩・進化できないわけです。

いまを生きるとは、
いまこの瞬間に何を思い描くのか、何を意識し心に抱くのか。
それが、タイムラグを伴って現実になる仕組みですよ。だから大切にしましょう。
そして、
目の前の風景は、すべてが自分の心の中から生み出されていることを知りましょう。
うまくゆかない現実ゲームと過去因果解消という、苦しみや辛さに根ざした「教材」によって、自分の心が激しく揺さぶられる環境であっても、軸をブラさずキープする練習も兼ねているんですよ。と。

このような教えなのであって、
氣が向かないから怠惰な生きかたをせよとは決して語られていないこと。
楽しくないことだから見て見ぬふりせよ、とも教えられてはいないこと。
確かに、重力により作り出されたとする「時間」が存在するのはこの地だけと伝えられている通りかもしれません。が、その環境を逸脱して学ぶことはできないのです。
ここに大きな落とし穴があることにさえ氣がつきません。


大変難しい教材です。
ですが、仕組みそのものは至ってシンプル。語られている通りです。

シンプルに、いまここだけ・わくわく。
その教えやメソッドが、「何を伝え」「何を学ばせてくれる」のか。
しっかりとコトの本質を理解し、物理次元地球の歩きかたに沿った勉強をしたいものです。

目の前は落とし穴しかないのですから。
その環境下で勉強するこの学校へは、自ら希望してやってきているのですから。
落とし穴に落ちたら、這い上がって次のハードルを超えてゆきたいものです。
崩壊と消滅が決定している、旧いタイムライン上にあるビジネスに足元を掬われないように。


そして、
こうした教材を「学び終えた」なら、そこに至って初めて、その教科書から離れます。
次の教材を手にするために。です。
ここにきてようやく、いまを心安く生きる。いまここにある平穏と平静を享受できる。
という段階に入ってゆけるはずです。

無理にわくわくなどする必要は皆無です。
無理に感謝感謝など努力は一切要りません。
まさしく言葉通りに、
「抑えようなく湧き出す感謝」であり、
「とめどなく溢れ出る美しさと恍惚感に至る悦び」であること。
無理に・努力してやっている限り、その段階はまだ学び足りない証明でしょう。

自動的にそうなるのです。
そうなって初めて、その教材は卒業だ。と教えられているその本質を見失わないようにしたいと感じます。

飯舘村で出会う夕暮れ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「よい子ちゃん」の世は終わったのです

秋の氣を受け取る photo 宮本章光

よい子ちゃん。
言われたことを、言われた通りに、寸分の狂いもなくトレースします。
そこに自分の意思が入る余地はありません。
人と同じことをやっていれば常に褒められ、試験はほぼ「100点満点」しか取れない。
素晴らしい。と、地元の有力者からも褒められ。すごいよ。と高く評価される。

自分自身が、地でこれをやったから言葉にできます。
大きな間違いを、人生の大失敗を。
違和感を感じながらも、その道を歩いた者だけが語れるはずです。
自分でやりもせずに言うな、と指摘されることはなくなります。

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関連投稿:
【生後21,916日めに思う】2023/05/28(Sun) [Link]
「わたしが歩いた21,916日」の大失敗と覚醒。
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これこそがこの世で最も「素晴らしいコト」だと教わり、大人になってもその道が唯一無二の生き方だと解釈し、その思考を続けます。
いまもなお、それをやっている方々。
ご自身がそれを最善の生き方と信じている限り、他人が口を挟む余地はありません。


しかし、ただ一つだけ間違いなく言えること。
この世で、体という衣をお借りして生きることができる時間・期間は有限です。すでに多くの方々が氣づきはじめたように、その期限を「終えたあと」にやってくる次のフェーズを見極めることも必要でしょう。
この地で「何を成し得た」のか。
この世で「どれだけ成長した」のか。
それは、
貨幣資産をどれだけ多く築いたか。ではありませんし、どれだけ大きなステイタスを誇ったか、でもありません。
それなのに、もっと豊かになるためのお金を...と、引き寄せという罠から抜け出せず、すべてに感謝すれば幸せに...だとか、お金という隷属化の道具を崇める。
恥ずかしさのあまり直視できません。
はだかの王様をやっていた自分の姿に氣がついた人から、すみやかに卒業してゆきます。

こうして、
この地・今生の成果・成績によって、必ず、そして絶対に、客観評価・客観事象として「分相応」の階層に振り分けられるということ。

それが宇宙の仕組み。
それが神の仕組み。
以前にも何度も触れてきましたように、神とは白髪の仙人のような姿をした老人などではなく、この地あの世・大宇宙の「仕組み」であり「法則」そのものであること。

仕組みは、
常に「絶対」であり、
必ず「公平」であり、
間違いなく「正確」であるということ。
それが法則だから。

そして、よい子ちゃんをやっている限り、この地での学びと成長の機会を「自分から拒否」して生きたという実績だけが残り続けます。
次の段階へ進むことは叶わず、再度のやり直し。ということがもう目に見えるレベルで明らかになりつつあるのです。

それが自分の「意思表示」であり「選択」であり、結果としてこの次の世で「再教育」が必要となること。
この教育課程は、
苦しみと負のエネルギーによって、その対極にある美しさ・慈愛と奉仕の精神を養い、魂の成長を体現することを目的にしているとされています。
これを拒否し続けている以上、再び「苦しみ・怒り・痛み」恐ろしくハードな道を、再度、いえ、再度どころか「氣がつかない限り永遠に」繰り返します。
それが自分の選択だから。
因果律。因果応報。
その結果は、自分が原因を生み出したから受け取る必要があると語られている通りです。

少なくとも、
この体という衣を「お返し」するまでに体験・体現しておくことを知り、残りの生き方を再度見つめ直す意識を持ってもよいのではないかと感じます。
すでに、よい子ちゃんという生き方が「過去のもの」となっている以上は。

いつまで旧いレイヤーのエネルギーを握りしめたまま生きますか。
いつまで消滅・崩壊することが決定しているタイムラインで生き、負の因果をさらに盛大に積み重ねますか。

秋の氣を受け取る photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

S/N比という言葉が示す成長の道筋

森で出会う光と影 photo 宮本章光

うまくゆかない現実ゲーム。
なかなか楽しいだろうと感じたのでしょう。憧れたのかもしれません。ここに来る前には。

誰でもやって来れるものではなく、「100万人に一人」という狭き門に合格した者だけが許されるレベルだという地球学校入学。
しかしながら、
支配者の洗脳構図に嵌められ、永遠の輪廻に組み込まれ、その状態から「脱出する:九死に一生」ゲーム。
実地に体験するのは、もういい。沢山だ。という感覚でしょう。

ところが、
その環境だからこそ、苦しみ・痛みと激しい負の感情の中から因果応報の仕組みを知ることが可能になります。
その過酷さが体験できるからこそ、悦びと感謝の波を味わうことができる、と知ります。

この地点に到達して初めて、
成長とは何か。生きる目的はどこにあるのか。宇宙の標準仕様が何であったのか。
ここに意識が及びます。

そして、
「聞く耳を持たなかった」のは自分自身であり、数限りなく満ち足りていること。
引き寄せなどという、古い意識状態を突いたビジネスに絡め取られることなく、自分の意思によって道を創り出すこと。
これらを実践してゆくことで、さらなる高みを目指すことが可能になると知ります。

ようやくここまで達しておきながら、
いまだに「苦しまなければならない」を続けようとするのは恥ずかしいとさえ感じるようになりました。
それは、これまでに学んでおくべき教科書。もう要りません。
まさに、数学の因数分解が理解できる段階に成長しておきながら、掛け算の九九を上から説法してマウントを取っているのと同じ。
ただの自己顕示欲の塊。あるいは苦しみや病の経歴という勲章自慢に過ぎないと。

もちろん、謙虚に学び続ける姿勢が大切なことに違いはありません。
そして、対比(対極にある体験)があるからこそ成長が期待できることも。
が、「九九」をいつまでも説教していても進歩がまったくありません。
次のクラスは、
望ましい絵は、望ましい心から描き出すことに集中するコースだとされているのですから、その教育指針に沿った教科書を入手したいものです。

他方、
まだそれらを「学び終えていない」にもかかわらず、「楽しいことだけ考えて!」と、負の力に対し「見て見ぬふりしてフタをする」愚を重ねるのも恥ずかしい。
浄化が済んでいないのですから、図星だと指摘された瞬間に一氣に負の感情が噴き出します。
教育課程として必要な「苦しみや負の感情」が必然として具現化しているにもかかわらず、それに「フタして」無いものにしている限り、自ら成長機会を拒否していることに氣がつきません。
直視できない激しい恥ずかしさに至ります。(過去自戒を込め)


ここでひとつのワードが浮かびます。
「S/N比」。
信号雑音比 (signal-noise ratio) あるいは信号対雑音比 (signal-to-noise ratio) でしょうか。
技術用語が、精神部分の語りとどこに接点があるのか?不思議な感覚ではありますが。

学びとは、
学ぶべき信号(Signal)と、それを邪魔しようとするこの地の悪役だとか負の感情(Noise)といった、対極にあるエネルギー。
この比率=S/N比を限りなく大きく取ることで、より純粋なSignalを増幅してゆくことではなかったでしょうか。
より大きくより純度を高めて。

技術革新が、S/N比を高め信号の純度を上げてゆくことだったように、
学びという成長のプロセスも、負のエネルギーを「認め尊重しながらも」その対極にあるプラスの力を「磨き上げてゆくこと」だったと。


なるほど。
ノイズがあるから信号の存在が測定できる。
なるほど。
負の力があるから、望ましい行き先が提示されるのだと。

永遠に繰り返すのは、苦しみ続ける「支配者によって仕組まれた輪廻」ではなく、こうして学び続ける姿勢と、S/N比をより高め永遠に磨き上げてゆく努力であることに理解が拡大してゆきます。
ありがとうございます。

森で出会う光と影 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いつまで「引き寄せ」で踊りますか

川床のアートに触れる photo 宮本章光

初めに誤解のないよう記します。
「引き寄せ」とは、ひとつの物理法則であり、同じ周波数・波長は響き合う「その客観事象」を語っている点で、至極当然のことであり何ら否定的要素はありません。
後ろに「法則」という接尾語をくっつけていることでもよくわかります。
ところが、
これを「欲を満たす」目的で使おうとするビジネスがある時点で、そこにはきっちりと分別が求められるように感じます。
要は、何もかもごっちゃ混ぜにして語るところに大きな違和感が生じているように見えます。


この地は、盛大に溜め込んだ「マイナスポイント=負の因果」を解消するために、数々の学びを重ね体験を積むところだと語られています。
また、
正負を問わず「業(ごう)」の作用・反作用を身をもって体験し、因果応報の仕組みを理解するところだとも。

それは今生以前の遠く古い世代の因果かもしれませんし、この生での過去に生み出したものかもしれません。
多かれ少なかれ、わたしたちは、そうした負の因果を解消すべき責を負っているとされます。
以前にも触れましたが、
そもそも「マイナスポイント」を溜め込んでいなければ、この地で生を受けていないはずです。
解消すべき課題を持ち合わせていなければ、この地で学びを重ねる必要がない、ということでもあります。

よって、日々、体という衣をお借りして勉強させていただけることに感謝こそすれ、欲望を満たそうとする下心に根ざした引き寄せは、負の業の解消どことが、さらに積み重ねるばかり。
そして、あろうことか、
引き寄せは「なかなか実現しない」と言い続けるのです。
その理由は「願う力が弱いから」だと。
その理由は「波長が合っていないから」だと。

しかし、
いま、何を願う必要がありますか。
いま、何を引き寄せる必要がありましょうか。
ここに、立派な体を使わせていただき、過去の負の業を解消する学びを体験させていただきながら、満ち足りたこの地の生には感謝しかあり得ないはずなのです。
それを、
幸せになるために、だとか、もっと豊かになるために...。
と、やってしまうのはなぜでしょうか。


ここで原点に立ち返ってみます。
コトの本質は「同じ波長のエネルギーがシンクロする」といった物理法則なのですから、
もっと幸せに...。と祈っている時点で「現在は幸せではない」波長を抱き、その現実を永遠に創造し続けます。
もっと豊かに...。と願っている時点で「いまは全然豊かではない」という波動を生み出し、その現実を創り続けます。
肯定的要素としての感謝の心がそこに含まれていない、あるいは、ほぼ存在していない時点で、推して知るべしです。

過去因果、負の業を解消するために、この地で生かせていただいているのもかかわらず、
幸せではない...。豊かではない...。を、四六時中、生み出し続けるのですから、溢れんばかりに溜め込んだネガなポイントを、さらにさらに積み重ねるばかりです。
もはや取り返しのつかない愚を重ねていること。
氣づかぬは本人ばかりなり。ということかもしれないと。この部分にこそ目を覚ます必要があるはずなのです。


心に描くものが、目に見えない世界に共振・共鳴し、それが時間差をもって具現化してゆきます。
心に抱くものが、目に見えない世界に響き渡り、目の前に結晶化・物質化してゆきます。

この重要なポイントに氣がついた人たちから、より望ましい近未来を創るべく、心の「つかいこなし」を会得し始めています。
そして、
その「心の手綱(たずな)」をある程度扱えるようになれば、心地よさという観点において望む未来を現実化しつつあります。
ここに至って、
さらにその事実に対する感謝が溢れ出してきます。

これほどまでに素晴らしい仕組みに。
これほどまでに素晴らしい仲間と存在に。


いつまで踊り続けますか。
望ましい風景を作る方法は、引き寄せという名の一つのビジネスに過ぎなかった、その道ではないかもしれません。

川床のアートに触れる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

喜んで変化を受け入れる

20年間の成長と進歩 photo 宮本章光

変化を好まない。
よって、コンフォートゾーンから抜け出せない。
その結果が現在地。

変化を喜び受け入れる。
よって、常に流動的に進化がもたらされる。
その結果は、自分が創り出す。


2003年には、この画像のような撮影をしていました。
もう20年も前の写真ということになります。
データのハンドリング(さまざまな階調処理)面では、現在とは相当感覚の相違はあるものの、若さがあったこと。
20年間の年月は、それなりの進歩があったことを肌で感じます。

喜んで変化を受け入れてみます。
味わった結果、口に合わなければ採用しないだけのこと。

いつまで踊り続けますか。
いつまで檻(おり)の中でぬくぬくと過ごしますか。

20年間の成長と進歩 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

突き抜ける純粋な力

木々の葉を通り抜ける純粋な光 photo 宮本章光

数多くのハードルを超えてゆきます。
幾多の障害物を乗り越えて進みます。

超えた先には、さらに困難な壁が待ち構えていました。
でも、
それは「ゲームをより面白くするため」の設定だったこと。
しかも、自分で設定した上でこの地に生まれてきているのですから、思う存分楽しむしかないでしょう。

ただ、
すべてをクリアしたのなら、ここでリセットしたいと思うのです。
過去、最終ゴール地点の画面キャプチャが撮れない時代、ゲームプレイをしているテレビ画面をそのままにして、電源を落とすのが惜しい感覚を味わったことはありませんか。

惜しいのです。
多くの苦労を重ねて、やっと辿り着いた晴れ舞台。
これでゴールという画面。これで終了というステージ。
もうこの先には何もないという画面。

一晩中ゴール画面を映したまま置いておいたテレビとゲーム機の電源を落とします。
そして、次にプレイするソフトに意識を移してゆきます。
散々苦労したそのプロセスを、武勇伝として語るのもひとつの楽しみだったかもしれません。
しかし、そこに浸っている限り、次のソフトを楽しむことはできません。


突き抜けるピュアなエネルギーを感じています。
まるでゲームエンドの画面に辿り着いた満足感のような達成感のような、言葉にするのが難しい嬉しさのようなものを。
ひとつのレイヤーを制覇し、次のレイヤーに向かう期待感のようなものを。

いつまでも・どこまでも登り続ける大きな力を、さらに拡大してゆきたく思います。
突き抜ける純粋な力。
本来、わたしたちが備え持っていた力。
次のステージで思いっきり活用するために、いま呼び戻そうとしています。
この力を束ね・ともに広げてまいりましょう。

木々の葉を通り抜ける純粋な光 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

望ましいエネルギーが増えている

実りの季節はあと少し photo 宮本章光

ある特定の場所、特定のゾーンに「あまり好ましくない」雰囲気を感じる。
そんな経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

幼少の頃には、そういった感覚を受け取るセンサーがまだ稼働していたように思います。
その昔、
「この場所は何か重い雰囲気がある」
「あそこはなんとなく黒い印象を感じる」
そんなポイントが多々ありました。

いま、過去の記憶を手繰り寄せながら、そのスポットに向かってみます。
そこがエネルギーポータルであった可能性を感じるからです。
すると、
ここ数年間、変化が起きていることが判るようになってきました。
特にこの二年ほどは「大きな変化・激しい差」を感じます。
そこは、以前のようには、
「重くない」とともに、
「黒い印象が消えている」ように感じられます。

もう何もいない。
もう負の力を発する「何か」に覆われているような雰囲気が消滅しているのです。


近隣にお住まいの方が育ててらっしゃるのでしょう。
この一帯、非常に重いもの・暗い何かがあった場所でした。
もう、何も居ません。
もう、重い空気も、ほぼ消えていました。

実りの季節まであと少し。
自然体のままで、この眺めが存在すること自体(=果実を盗む者がいない)、世の中が大きく変わった証に違いありません。
まさに、
「自分の心が目の前の現実を作り出している」ことが証明された瞬間を味わっています。

ともに創造してまいりましょう。
望ましい道を。望ましい風景を。

実りの季節はあと少し photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

一人でも多くの方々と望ましい風景を創り出してゆくために

穏やかに photo 宮本章光

慌ててず。
急がず。
必要なものはいつでも手に入る。


そんな悠長な言葉を並べているヒマはない?
そう仰る方は、ご自身でその現実を創り出していることに氣がつきません。
そして、
いつまでもその愚を繰り返し、自分自身で泥沼の奥へと深く深く落ち込んで行きます。

わたし自身、その道を歩みました。
最終的に強制終了の合図で終止符を打つ、といった結論を得ることができたのは、導きであり学びのために必要なプロセスだったことが「後になってから」理解できます。

他方、
必要なものは必要なタイミングで与えられ、且つ、すでにここに満ち足りていることに理解が到達している方々にとっては、慌てず急がず、落ち着いて必要なものを手にします。
それ自体、自分で創り出せることが判っているからです。


いま、わたしたちは、故意に潜在能力をスポイルされ、支配層が仕組んだ隷属化の長い輪廻の道のりから飛び出し、自分の意思で道を創り出す方法を思い出しつつあります。
あとは、
より多くの方々の意識が拡大するような望ましい力を波及させ、さらに強力な波動を生み出すことです。

対面で説得じみた話をする必要はないこと、もう語るまでもありません。
心の中から、望ましい波長を持ったエネルギーを送り続けます。
深遠な世界、宇宙の標準仕様と仕組みを知ったからこそ、この方法が使いこなせるはずです。


以前にも綴っていますように、
そのエネルギーの集合体が、ある閾値(しきいち)を超えた瞬間に、目の前の風景が変わることは間違いありません。
いえ、風景は変わらず「感じ方」が変わる。というのが正確な表現かもしれません。
すべては、
「どのように感じる」か。
「どのように受け取っている」のか。

幸せとは、銀行口座に貨幣資産を築き上げることでもなければ、有り余る貴金属を身につけることでもないでしょう。
心の底から湧き上がる感謝の氣持ちと、その満足感・達成感・充足感、そこからさらに拡大する恍惚感。
その感覚こそが幸せであるはずです。


心からその力を拡大してゆきます。
心からその波を広げてゆきます。
一人でも多くの方々とともに、望ましい風景を創り出してゆくために。

穏やかに photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

得意分野を伸ばす:新しい時代の幕開け

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何もかも画一的であることが好まれた時代。
人と同じことが尊ばれる時代。
こうした発想は、いずれも過去のものとなったのですから、旧い教育洗脳から抜け出します。
自分の意思によって。
いま、その機会を迎えています。

旧いタイムラインに居残り続けるのも、個々人の自由ではあります。
望むものに心を合わせれば、それが自らの選択だと。
そしてそれが自分の意思表示。
意思表示とは、その波長に意識を合わせている状態。


得意ではないものにフォーカスし続けても、結果は出せないでしょう。
心が悦び、楽しみ、より高い周波数にチューニングし続けることによって、成長が可能となるはずです。

この世も、あの世も、宇宙全体を通してみても、
より高みに登り続ける。上がり続ける。
これこそが成長であり、成長と進化を求め続けるのが標準仕様だと教えてくれます。

得意分野を追求し、得意分野を相互に提供しあう。
これこそが、この先に求められる本来の姿であると語られています。
そして、
アタマで理解するだけではなく、それを体現してゆきます。
実践なくして結果なし。
行動なくして成果なし。

大上段に構え、偉そうにそんな言葉を発していた人ほど、
いつまでも支配者・権力者によって仕組まれた枠組みの中で踊り続ける。
いつまでも走り回って空回りし続けているように見えます。

行動とは、
実践とは、
心に描くこと。
その次に、「物理次元地球のあるき方」に則って、望ましい風景を現実創造・具現化すること。
物質化・結晶化・固定化する前に、必ず「心から生み出す」のです。

そのために、得意分野を知り・認識し、伸ばしてゆきます。
用意はいいですか。
ともに伸ばしてまいりましょう。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

登場人物を作り過ぎたこの世のマトリックス

日々草と過ごす photo 宮本章光

「うまく行かない現実」ゲーム。

この世の学びと体験を、より高度に、より密度の濃いものにしたかったのでしょう。
その結果、さまざまな要素を作り過ぎたのかもしれません。

結果として、
登場人物が多すぎる。
エキストラが多すぎるのです。

わざわざ氣が散るように。
故意に意識のフォーカスがブレまくるように。
嫌なこと、腹立たしいこと、苦しいことばかりが生まれるように。

そんな設定にしたのは誰だったのでしょうか。

作り出したのは、
創り上げたのは、
他でもない、わたしたち自身。
わたしたちの集合意識が作り上げたヒト・モノ、ざまざまな要素。
それらがタイムラグを伴って現在の風景として現実となっています。
最高難易度のコースを、自分で作り、自分でトライし、ここまでやってきたのでした。


大いにゲームを楽しめたでしょうか。
十分に味わえたでしょうか。

味わい尽くしたなら、もう不要です。
意識から・心の中から、それら多すぎる要素を「削除・消去」する時期になりました。
でも、
途中でエキストラを減らせないのですね。そういうアルゴリズムまで作り込んでいたので。


だからリセットします。
これまで獲得したエンブレムもメダルも、すべて捨て去ります。
でなければ、リセットできないのです。
ログアウトし、あるいは、電源を入れ直します。

いま、そんな瞬間。
もう味わい尽くしましたでしょう。
もう楽しみ尽くしましたでしょう。

いま、リセットする瞬間。
ここに、もし惜しい氣持ちを抱けば、それが「自分の意思表示」。
すなわち「まだ体験し足りない」ため、リセットされた後のこの地では存在できない。と伝えられている通りに、自らの行き先が振り分けられます。


意思表示とは、
いま、意識していること。いま、心に抱いていること。

怒り・恐れ・恐怖の周波数に心をチューニングしている限り、リセットはできない仕組み。
ロックがかかっているのです。


これから、ともに歩む仲間にフォーカスを移してゆきます。
これから、ともに描いてゆく世界の周波数に、心を変化させてゆきます。
感謝の心とともに。
この地の貴重な体験を糧として。

日々草と過ごす photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

川の流れから強い大きな力を受け取る

飯舘村真野川から力を受け取る photo 宮本章光

その昔。
川を眺める体験をした方も少なくないはずです。
あるいは、
川ではなくとも、その対象が海であるケースもあるでしょうか。

そこには膨大な量の水が存在し、併せて、図り知れない規模の巨大な力が渦巻いています。
その途方もない力を、例え一瞬でも受け取ってみたいと考えます。


口を開けていれば自動的に「何でも=情報も食物も人生も」流れてくる・与えられる。
そんな図式に感覚が麻痺した人には無縁の世界かもしれません。
しかし、
自らの意思によって能動的に「受けとろう」とするなら、その意識の周波数が合致した瞬間に巨大なエネルギーが流れ込みます。

それこそが、同じ周波数がシンクロする物理法則だと氣がつきます。
言葉を変えるなら、これこそが引き寄せであるとも言えるはず。
さらに言い換えるのなら、同じ周波数が共鳴する物理法則に過ぎないのです。


いつまで「引き寄せ」といったような危うい薄皮の上にある他者ビジネスで踊り続けますか。
もちろんそれを否定しません。物理法則そのものは揺るぎませんし単にその事象が発生しているに過ぎないのですから。
ところが、
この地では「過去因果解消」のプロセスを脚本通りに実行してゆく必要があるとされます。
積み立てすぎて首が回らなくなっている「マイナスの要因を解消」しなければなりません。

それにもかかわらず、
「欲に基づいた引き寄せ」が叶うわけがないのです。
この地は「うまく行かない現実ゲーム」をトレースして体験することが目的なのに、それを見て見ぬふりし、欲望に基づく願いだけを追い続ける。

--幸せを引き寄せて。
--幸せを実現する豊かさを引き寄せて。
そのためにわくわくしましょう。ですか。

そんな願望の裏には、
「現在は満ち足りていない」「幸せの源になる貨幣資産を手に入れたい」そんな欲が根底にあるのではないでしょうか。
図星でしょう。

このベクトルに潜在意識が向いている限り、永遠にその欲望は叶えられないとされます。
過去因果の解消が先決だから。です。


いますでに十分に満ち足りていますでしょう。
以前にも何度も何度も重ねて綴りました。
無意識の状態で、呼吸ができること。
この物理次元で、体という衣をお借りして生き続けることそのものを。

それだけで奇跡でしょう。
それだけで十分に恵まれており幸せでしょう。
それなのに、何をさらに望む必要がありましょう。
欲に基づく願いに波長を合わせる限り、過去の負の資産(負債)を解消するどころか「さらに上塗り」するばかりです。


そういった感覚は、早晩きれいさっぱり洗い流すことです。
水が流れるところに、エネルギーが走ります。
川の流れには、巨大な力が渦巻いています。

その力をお借りして、欲を一切合切流し切って、そしてそこにある強力な力を受け取りたい。
そう思うのです。
川の流れは、想像を超えた巨大な力を放っています。

合わせるのは、自らの心の波長。
合わせるのは、受け取りたいと願う心と、同時に込める感謝の心ではないでしょうか。

飯舘村真野川から力を受け取る photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。


◆関連投稿
【やり残した宿題に取り組む】2022/05/13 [ Link]

それも必然・これも経験・心が生み出すもの

桜が切られる photo 宮本章光

それなりに樹齢のある桜の木。
至るところで切り倒されているのを認識しています。

その理由は、
「近隣の環境に悪影響がある」との役所や公的機関の説明。
そしてその悪影響とは、臣民監視社会を実現するための監視カメラの設置。その視界に入る大きな桜の機が邪魔であるとの判断であろうことは容易に想像できます。
現実に、真新しい切り株のすぐそばには、ほぼ間違いなく監視カメラの姿があります。

過去数十年間、何ら悪影響など及ぼしてこなかったと思われますし、強いて言うのなら、近隣住民への春先に舞い散る花びらとそのあとの毛虫の発生でしょうか。


ここまで言葉を連ねておきながら、前言撤回します。
以前にもこのテーマのアーカイブがあります。
【「ありがとう」と感謝の心を贈り届ける】2023/08/03(Thu) [Link]

その意識とその内容によって、その通りに現実を創り続けます。
その心に抱く波長によって、正しくその波長に響く現実が創られ続けます。

負の感情を抱くように、ネガな心に陥るように「故意に仕組まれた世の中」がここにあります。
それは、過去にわたしたちが創り上げた成果物。
これも、この地の学び。
心に描くものがタイムラグを伴って具現化すると。

しかし、
もう学び終えたのならその教科書は必要ありませんので、その波長を持つエネルギーから離れます。

ここで間違わないための大切なこと。
その負の力に蓋をして「見て見ぬふり」をしない点が挙げられましょうか。
正しくその現状を受け入れ、感謝とともに離れます。

どういう感情に陥ったか。
どういう感覚を抱いたか。
それを客観的に俯瞰できれば、そこで終了です。

何を描きますか。
何を生み出しますか。
そして、
これからの世に何を望みますか。

さまざまな体験、本当に貴重な体験をさせていただきありがとうございます。

桜が切られる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

限られている体験から得る

限られた体験から得るもの photo 宮本章光

狭い範囲しか見ていない。
狭い範囲だけで判断すると間違いとなることがある。

否定的に捉えることだけに注目している事例でしょうか。

ところが、
近視眼的発想ではなく、もっと長大な時系列と遠大な視野から観察してみます。
すると途端に、その「対比」の仕組みがもたらすメリットに理解が到達します。

「狭い範囲」という認識が、その対極にある「広い範囲・広大な広がり」に対して氣づかせてくれます。
同じように、
限られている体験をするからこそ、その限界を超えたところにあるものに意識が及びます。

これこそが、この地・この地球・今世・今生で体験する必要があったこと。
ともに認め、ともに尊重し、ともに味わう。
だからこそ、それぞれの大切さを理解できるのだと。
だからこそ、本物の感覚を知ることが可能になるのだと。



限られた風景から得られるもの。
その限界と枠組みを飛び超えて、意識を拡大してゆきます。
そこに、この先に望む世界を描き出してゆきます。

望ましい風景は、貴重な体験を積んだからこそ描くことが可能であること。
描き続けます。
抱き続けます。
望ましい世界が現実として具現化するまで。

限られた体験から得るもの photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この世で生きる目的

懸命に生きるその意味 photo 宮本章光

彼らは懸命に生きています。
人工物の隙間であっても、日陰であっても。


この世に生を受け存在する目的は何だったのでしょうか。

それは、もう語り尽くされていますように「学び・体験を積む」ため。
これは間違いないものと考えます。
では、
何を学び、何を体験すれば良いのでしょう。

ここに理解が到達した人たちが増えるに従い、恐怖や怒りといった負の感情を「正確に認識」し俯瞰できるようになってゆきます。
取りも直さず、そこに「答え」が存在するからでしょう。

学び・体験するのは、
「負の感情」であり「苦しみや痛み」であり、それらを味わうことが目的だったことに氣がつきます。
もちろん、
その対極に存在する「拡大する明るい感覚」や「悦びや恍惚感に至るこの上ない感情」そして、そこからさらに広がる感謝の心までも。

こうして、対(つい)となる感覚・感情を俯瞰し見極め、それを体験し、この段階まで理解を深めるためにこの地に生存している。
ようやくこの段階まで意識を拡大することができました。


しかし、学びはとどまるところを知らず、加えて、成長のために未来永劫、進化し続ける必要があります。
この永遠の成長過程の中の「一つのステップ」として、今世・今生での生存があり、ここまで理解と意識が到達すれば、この地での「教科書と教育過程」を終える「準備ができた」のだと語られています。

この「教科書とプロセス」の中には、
仕組まれた「悪」や「負の力」「ネガな事象」といった役回りをする存在・過程があり、彼らを等しく尊重し受け入れることでしか卒業にはこぎ着けない。
そんな仕組みにまでも氣がつく必要があります。
さらには、
その仕組みが具現化するプロセスとして、自らの「心のつかいこなし」そのものが作用している点にまで理解が進む必要があるとされます。

同時に、過去に盛大に積み立ててしまった「負のポイント」を清算する目的も、この地この生ではプロセスとして組み込まれており、そのために「苦しい」ことばかりが表出してくるという教材となっているのだとか。
そうでないのなら、この教室でこの教材に取り組む必要がないのであり、万人等しく、過去因果の清算と解消、浄化が求められると言われます。

ここに来て初めて、
自らの「心のつかいこなし」によって、希望し望む近未来を創り上げようとする。ようやくそんな生徒が現れてきます。
この段階に「自らの意思」によって上がってゆくことで、新たなステップに到達できるという遠大な過程をやり遂げてきた地球学校の生徒たち。
いまのわたしたちは、果たしてどれだけの人数が、この精鋭クラスにまで入っているでしょうか。

果てしなく難しく、そして容易に卒業できない「うまくゆかない現実ゲーム」学校とその教科書。
でも、
ようやく卒業証書を受け取るために、演台の前で両手を差し出している。まさしく、いまその瞬間だと。


くだらない「情報という名のノイズ」に意識を合わせる、その愚かさに氣がつかない限り、永遠に卒業は叶いません。
受け取りたくありませんか。卒業証書を。
またやり直ししたいですか。苦しく、痛く、厳しく怒りに満ちた学校教材を。

意思表示とは、
自分が望むものにフォーカスし、自分が希望する波長に心を合わせ響かせ合うこと。
なんと、素晴らしい仕組みでしょうか。
そして、
なんと、シンプルな仕組みなのでしょうか。

ここまで導いていただけたご先祖、そして見守っていただける存在に感謝の心で接したく思います。
ありがとうございます。

懸命に生きるその意味 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

森羅万象すべてに繋がる

森羅万象すべてに繋がる photo 宮本章光

異なる種類の樹々が並び生きてゆきます。
異なる種族の生命がつながってゆきます。

森羅万象。
すべての生命と、すべての存在と。

多くの生きものたちに陽の光が降り注ぎ、生きるための力として利用する。
人為的に、作為的に特定権力者の懐に貨幣資産が集中する仕組みに「目くらまし」され踊ることなく。

すべては、自然の摂理に基づき。
すべては、原理原則に従い。
そして今、
すべてが、大宇宙の仕組みに則って進化を続けます。

素晴らしい仕組みに組み込まれている存在として恥ずかしくない「人間」であるために。
ありがとうございます。

森羅万象すべてに繋がる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

厚い雲の向こう側へ

厚い雲を眺めながら photo 宮本章光

意識する。
心に描く。

厚い雲に遮られた陽の光。
時とともに、その風景は変化してゆきます。

永遠に変化しないものはなく、
永遠に変化し続けるこの地あの地宇宙の法則。

どこにフォーカスしますか。
何に合わせてゆきますか。
そして、
何を創り出しますか。

厚い雲を眺めながら photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

心のクロック数を下げて力を温存する

飯舘村で出会う川の流れと一本道 photo 宮本章光

近年は、PCを利用しない環境が増えていることもあり、クロック数という言葉が通じないケースもあるかもしれません。

CPUあるいは、絡み合う演算処理に関わる半導体の稼働周波数を上げることでパフォーマンスが上がる。
逆に下げることによって性能はダウンするものの、消費電力や発熱量を軽減できる。
こうした図式が、PCをはじめとした半導体ベースの機器・装置には存在しています。


この感覚を、人の「心のパフォーマンス」に例えとして当てはめてみます。

上げて上げて、上げまくって...。
この道が行き着く先は「燃え尽きる」。ズバリこれでしょうか。
他方、
下げて下げて、下げられる限界まで下げる。
すると、無理がない。余裕ができる。という結果がもたらされる可能性があるのです。


パフォーマンスが下がるからよろしくない。という考察もあるでしょう。
しかし、
人の心は、半導体ではなく常時フル稼働することができないのですね。
それに、その必要もありません。

意図的にクロック数を下げて余裕を持たせることによって、逆に「ここぞ!」という瞬間には、驚くような力を発揮する。
そのために必要な力を温存しておくのです。
常時上げて上げて、上げまくっていると、肝心なタイミングにタレてしまう経験。多くの方が体験しているはずです。

大切な、そして大変重要なタイミングに鍵って、発熱してダウンしてしまう。
それはPCベースの話だけでなく、人間の心にも当てはまるように感じます。


力が必要とされないアイドリング状態であるなら、クロック数を下げておく。
心に余裕と平静さを確保しておく。
この混乱期を乗り切るための、一つの方法ではないかと感じます。

飯舘村で出会う川の流れと一本道 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

選択して結果を導く

ブルーが美しい photo 宮本章光

わたしたちは、この地において毎瞬間ごとに「億単位」の選択をしているとされます。

まさに、スマホカメラの撮影のように、データとして記録されるまでの極めて短い瞬間に、想像を絶する回数の処理が行われているのだと。現在のカメラは、こうして必要な画像処理を数多く行い、より望ましい結果になるようプロセスが進みます。


しかしながら、
心の中で行われる「選択」は、果たして「望ましいとされる結果」に向かう道を選んでいるでしょうか。
選ぶのは「自分自身」。
選択したのは「自分自身」。

こんなはずではなかった...。
どうしてこんな目に会うんだ...。

そう語る前に、
自分が無意識に行った選択について知ることです。
選択したから結果が導かれた。ということを。


さらには、
もう卒業済みの方々ばかりとは思われますが、望むモノを引き寄せる・願えば叶う。という論法。
それは、
「同じ周波数が響き合う」といった物理法則を語っているに過ぎず、望んだから導かれるのではないこと。
大いなる勘違い。もう卒業済みの教科書かと思われます。

欲望を満たすための引き寄せは実現しないこと。
そして、
自らが放ったエネルギーが自らに返ること。
この因果の法則こそが大宇宙の原理原則であることまで。

原因を自ら生み出したから結果が導かれる仕組み。
欲望を満たすため・欲望を叶えるために、モノや貨幣資産を手に入れようと願っても、盛大に積み立てた「負の財産」を山のように抱えている限り、それを解消するのが先決だとされていること。
少なくとも、
この地に借り物の衣を使わせていただき体験しているのは、学びと過去因果の解消が目的。と語られています。
その状態でありながら、欲望を満たすための下心から生み出された願いが叶う。と想うことこそが、さらなる負の因果を重ねるばかりだと。

このマイナスポイント解消のために行うこと。
それこそが、選択すること。
抱えすぎて行き場を失った「負の因果」をまず解消すべく選択をすること。


どうしてこんな目にあうのか...。

それこそが、負の財産を解消すべく課題を与えられている瞬間だと理解し、その機会を与えていただいたことへの感謝に結びつく「選択」の機会であることを知ればこそ、その選択から導かれるもの・コトが答えであり、これこそが自分が引き寄せるものだということに。


この瞬間、
何を選択していますか。
この瞬間、
何に感謝していますか。

ブルーが美しい花 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

まず心をいたわる

赤と白の共演 photo 宮本章光

心が病んでいる状態。

あまりこうした言葉を載せるのはよろしくないのでサラッと流します。

その実。
現状を、自らの心を、俯瞰することができないのでしょう。
---忙しすぎるから。
---情報という名のノイズが多すぎるから。

実体験してみると判ります。
その状態では、俯瞰どころか「自分の存在」そのものを意識することさえできません。
感覚そのものが消え失せています。
そもそも、
食べ物を満足に口に運ぶことすらできず、且つ、まともに睡眠さえも取れません。
生きている、という感覚も全く感じることがありません。


この環境に置かれている時点で、何も聞き入れることができません。
唯一の解決策は、
もはや「強制終了」の合図が打ち鳴らされるだけしか道は残っていないだろうと感じます。

冷たい板の上に伏して。針を刺されて。
この瞬間に、ようやく氣がつきます。

借り物の体を大切にしなかったから、この現実が起きたことに。
心の中を観察することなく、蔑ろにしたために、この状態になってしまったことに。
そして、
心を平穏に維持することがまず第一にある、と理解が拡大してゆきます。


どうしてこんな目に会うのか。
なぜこんなことばかり起きるのか。

そう口にする前に、
心をいたわる。
心を労えば、体がそれに呼応する。

まったく繋がっていなかった、心と体が一体化してゆきます。
そして、自分の存在が天に繋がってゆきます。


氣がついたのなら、
理解が追いついたのなら、
その瞬間から、心をいの一番に大切にすること。
実体験してからこそ学ぶ、この地の約束ごとです。

道端にも数多くの仲間が精一杯の美しさを謳歌しています。
心は、彼らとの会話さえも橋渡しをしてくれるのです。

赤と白の共演 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分が「創り出している」もの・コトをいま一度

流れが語るいま photo 宮本章光

自分の心・自分が思い描くものが、この世を創り出します。
聞き飽きた言葉かもしれません。

--想うことが現実になるんやろ!
--知ってるわい。そんなこと。
--もう聞き飽きたわ。

でも、果たして「その本質と自分が生み出している結果」を本当に理解できているでしょうか。

このテーマはかなり重い感覚に違いありません。
けれど至ってシンプル。
そして、現在のこの世の大転換機において、極めて重要だと。本質に辿り着いた方々にとっては膝を叩いて納得するはずです。


ここで二つの「心の持ちよう・変遷」に触れます。

A:
小林正観氏の「ありがとう習慣」だとか、斎藤一人氏の「ツイてる!」意識。
ご存じの方々ばかりでしょう。
しかしながら、
「語られていることは判るよ」「心の持ちようによって人生変わるよね」と、ここまでは同意されるのです。
ところが、
「しかし人生そんなに甘くない」「世の中そんなことでうまく行くわけがない」と、最後に否定してしまいます。

それは、
「人の目を氣にして」自分は、分別のある人間だ。と思われたい。
世の中の「大多数の意見」に迎合し、自分は突拍子もない狂った奴だ。と思われたくない。そんな心の現れ。
こうした意識が、心の奥底に潜んでいる証でもあります。
結果として、その否定のエネルギーが「すべてをストップ」させ「そんなにうまく行くわけがない」という現実を自分自身で「永遠に創り続け」てしまいます。
さらには、
同じ周波数のエネルギーを引き寄せ続けるために、これまた永遠にその現実から脱出することができません。
この地の大転換機・大建て直しの後に予定される「色」とは完全に異なるため、もはや存在することができない魂とされ、他星系転送組が確定、再度の学び直しを自ら選択している。ということになります。

他方。
B:
ありがとうを本当に数万回口にするなら、本当に実践するなら。
やってみよう。と人体実験をしてみる。そんな人たち。
あるいは、
心が現実を創り出すことは本心から納得できている。だから、自分の世界は自分が間違いなく創り出せる。
そして、
人目なんて一切氣にせず、そのことをもっと多くの人たちに広めたい。知って欲しい。
自分が体感してきたことを、ひとりでも大くの方々とともに共有し共感することで、本当に世の中を変えたい!

このように、心から純粋な波動を生み出せる人。

果たして、自分自身は「AとB」のどちらに属しているか考えてみたいのです。


いま、この宇宙規模での激しく重要な期間を生きているタイミングで、A:の意識を採るのなら、間違いなく「あなたは逆噴射」し「この世の進化の足を引っ張り」「この地の新天地創造を潰し続ける」ネガな存在になってしまっていること。
ここに氣がつかず、古いレイヤーに残った意識を選択し続けているということになるだろうことです。

そもそも、そんなに世の中甘くない。
と、これからの時代に必要とされる貴重なメソッドでもある「心のつかいこなし」を自ら否定する。
この姿勢から直すことが求められるはずなのです。

はい、わたし自身も、ここで同じことを書きたい意識が湧き出してきました。
しかし、文字に落とし込みませんし、心に浮かんだそのエネルギーをスワイプし消去しています。


望ましい近未来は、望ましい心から。
望ましい現実は、望ましい波動が生み出します。

そこに「どれほど純度の高い」エネルギーを創り出せるのか。
ここに、結果が左右されること。
いま一度、熟考し、そしてそれを体現する必要があるように感じます。

ここまで理解が到達し、自らの発言(行動)によって具現化する人たちのエネルギーが閾値(しきいち)を超えた瞬間に、新しい世の中が生み出されるはずです。
ご一緒しましょう。新しい世界を創り出すために。

流れが語るいま photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この大空に想う

大空に想う photo 宮本章光

語れば語るほどに、存在価値を落としてゆく。
話せば話すほどに、精神性を下げてしまう。
誰しも一度は通る成長過程。

一歩づつ「道」を歩み、一段ごとに「階段」を登るにつれ、それら言葉と語りが綺麗さっぱり消えてゆきます。
究極は、
ことばに頼らずとも伝わる心。
自己顕示欲に力任せにアピールせずとも響き合える心。


言葉を持たずとも、
移動手段を持たずとも、
これほどまでに大きな力を伝える存在に。

これまでに受け取った語り尽くせない御恩を、心からお返しする。
そんな機会を迎えたのでしょう。

この大空に、この生命に、この仲間たちへ。
感謝の心を伝えます。

大空に想う photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

夏を見送りいまを感じる

夏を見送る photo 宮本章光

日中の強い日差しも、夕方には一氣に季節の節目へと向かっていることを感じます。

変化があるから進化を感じます。
進化があるから学びに結びつきます。

何を体験できたでしょうか。
何を得られたでしょうか。
きっと、
かけがえのない貴重な瞬間を重ねていることでしょう。
間違いなく、
進化の階段を一歩づつ登っているに違いありません。


この夏を見送ります。
長月五日。

涼秋(りょうしゅう)と呼ぶには、まだ少し早い感覚ではあります。

夏を見送る photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

役者が変わる季節の変わり目

飯舘の夏から秋へ photo 宮本章光

いま、わたしたちは、この世の大転換時期を過ごしています。
少なくとも、大凡25,800年に一度という世紀の一大イベントの瞬間を。

当然、役者もスタッフも総勢、みんな入れ替わります。
季節の変わり目に、夏の主役から秋の引き立て役へとバトンが手渡されるように。

大自然は、このように当たり前の現象として「変化」を受け入れ、自らが変化してゆきます。
それが進化であり成長であるからでしょう。

コンフォートゾーン(慣れ親しんで居心地が良い環境)から抜け出せないのは、人間だけかもしれません。
それが「今後の展開において望ましくない」あるいは「過去の支配構造により刷り込まれた洗脳であった」としても。


変化そのものを拒む。
変化それ自体を受け入れない。
その結果は、変化に追随できず取り残されるのみです。言葉を置き換えるならば「破滅するのみ」となりましょうか。

ここ数年でよく語られるようになった「家の建て替えの例え話し」に出てくる、末っ子の兄弟(弟)。
建て替えるためには、まず古い家を壊す必要があるという現実を受け入れられないのです。そして混乱してしまいます。

そこに現れた「結果」は、
家の建て替え会議に参加せず拒んだプロセスが招いた、自らの選択であったこと。
わたしたちは、
いま、この宇宙規模での大建て直しに臨み、この「変化」を受け入れてこそ、新たな世界を創り上げることが可能になると理解せねばなりません。
物理次元のこの地に生きる以上、そして借り物の体を使って生きている以上は。


季節の変わり目で、主役が交代する大自然がお手本を見せてくれるように。
ひまわりからコスモスにバトンが渡されるように。

飯舘の夏から秋へ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いま生きていることを楽しむ

森を彩る光と影 photo 宮本章光

いま、この瞬間に、生きていることを感じてみます。
物理次元で、体をお借りして経験できることを。

頭の中の意識からは完全に消滅しています(そういう仕組み)が、この体という衣を纏ったならば、どんな感覚であるのか。
それを知りたかった。
それを体験したかった。とされています。

自ら希望したからには、それを味わい尽くす以外に道は存在し得ないでしょう。
自ら望んだ以上は。

その記憶さえも消滅した形で、完全な白紙状態から体験を重ねる。
存分に楽しむ。
存分に味わう。
敢えて、苦しく痛み辛いことを。

しかし、その体験を終えたのなら、もう「望まない」意思表示をしたいと思うのです。
意思表示とは、その感覚を心に抱き続けること。
意思表示とは、これから先に時間差を持って生まれてくる「目の前の現実」を心に描き続けること。


いま、生きていることを楽しむ。
それが、今この瞬間の意思表示。

森を彩る光と影 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

生き続ける・語り続ける

美しく語る

ひっそりと。
しかし、しっかりと。
そして、美しく。

与えられた衣を纏い、自らの役目を果たし、精一杯生き続ける。
そのままの姿、そのものが語ります。
生き続ける限り、その語りも続きます。

叫ぶことなく。
負の感情を抱くことなく。
成功も失敗もなく。

生き続けます。
語り続けます。

ひっそりと。
しっかりと。
美しく。

生き続ける語り続ける photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いま求められる精神的成長

鮮やかな共演 photo 宮本章光

耳タコに違いありません。
もう聞き飽きたことでしょう。

しかしながら、
心から具現化の力を創り生み出し、それが結果として形となるには、まだ時間がかかっている現実があります。


何が必要なのか。
何が求められているのか。
そして、
何を望むのか。
何を現実化させてゆきたいのか。

見失わないようにしたい、この瞬間瞬間です。
ここを極められるようになればこそ、望ましい現実が目の前に現れ続けることでしょう。


これこそが「心のつかいこなし」であり、「心の手綱(たずな)を自分で手懐ける」という本分であるはずです。
いま、求められているのは、
「より高みに至る精神性の向上」とともに、「より成熟に向かう心のありよう」だと言える人が、さらに増えることだと。

鮮やかな共演 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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