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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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なんとなくいい・どことなくいい

飯舘村で出会う冬の畔 photo 宮本章光

こういった類の言葉「なんとなく」だとか「どことなく」。

あまり推奨されなかったと思うのです。これまでの社会では。
わたし自身、常にそうした感覚を抱くことがあっても、それを公に出すことを極力控えてきました。
言葉としても、ましてや行動においても。

しかしながら、その判断を下したが故に、3回ならぬ4回も失敗を繰り返し、壊滅的に体を壊すという愚を重ねてしまったこと。もう書くつもりはないのですが。

全ては、その「なんとなく」や「どことなく」という「その裏側にある違和感」に対して、もっと敏感になっておけば遠回りはしなかった。
そう、後になってから氣づくものだと分かります。
だから学びになるのだと。人は失敗をして学ぶのですね。

けれども、ここ、とりわけ大切です。
マーカー引いておくとともに、必ず実践するところでしょう。
「もう学び終えたならば」それらに感謝を伝える。
そして、
「もう学び終えたならば」それらから離れます。
(但し、捨て去る必要はないのですね。貴重な体験・貴重な学びでしたから。)


他方。
反対側に位置するエネルギー。
「なんとなくイイ」「どことなくイイ」。

この感覚を、もっともっと突き詰めて行きたい。そんな時代に入ったことを感じます。それは、多くの方々がそうした感覚の発言・発信をなさることで、伝わってきます。
楽しんで、日々過ごしていらっしゃることがよく判ります。
楽しんで、心穏やかに生活なさっていることがとてもよく伝わってきます。

この楽しい・嬉しい。そういった感覚のパワーは、そこに触れた人たちへ伝わるのですね。しかも瞬間に。

科学的に証明が必要だとか、何だ。どうだ。そういった煩いことは要らないと思うのです。
「なんとなくイイ。」
「どことなくイイ。」
この感覚。
もっともっと大切にしたいものです。

でも、そう感じられない時・そう感じられない瞬間には、無理に感じなくても良いのではないかな。とも。
無理にワクワクして、と、やっている人を見るにつけ、とても痛々しいエネルギーが伝わってきます。
そう、そのエネルギーも「なんとなく」「どことなく」です。

この、
論文のようにバシッと起承転結がなくとも伝わる感覚。
その、
化学式や幾何学の証明のように理詰めで説明ができなくても伝わる感覚。
これなのです。

「なんとなくイイ。」
「どことなくイイ。」
そんな感覚、五感を超えた「わたしたち本来の感性」として感じてゆきませんか。
大きな流れが来ていること。もう突き抜けていること。
感じていますでしょう。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「おひさま」の力をいただけたから「おかげさま」と感謝を伝える

Iitate2020_img_0386.jpg

二元性は両方セットでした。共にに抱き参らせよ。でした。
もう学び終えました。

「おひさま。」(日・陽)
太陽に例えられるように、前向きな力強さを与えてくれる印象でしょうか。
他方、
「おかげさま。」(影・陰)
他の存在からもたらされた御加護や影響に対する御礼のような印象でしょうか。

-----
わたしたち自身が、高次存在から多大なる「おひさま」のエネルギーを受けている現状を知るにつけ、「おひさま」を与えていただいたご恩は「おかげさま」として、別の形で別の人に感謝を還元する。
この日本語の奥深さを知ります。
----- Original【宮本章光の視点Official:2021/02/03(Wed) 】[Link]

Original記事は昨年の時点でしたが、一年経ってみますと、ほぼ受け入れられるようになったように感じています。

両方ともに抱き参らせよ。といった感覚に対する理解とともに、日本語が持つ独特の言霊。
その、目に見えなくとも大きな影響を及ぼす「意識」の力に意識が及ぶようになったのではないでしょうか。

おひさま。
助けていただき・導いていただき・守っていただき、ありがとう。
だから、おかげさまで。と感謝を伝える。
まさに、二極がペアになり、さらに言葉として「より高みに至る」感覚。


いただいたものは、感謝を込めてお返しをする。
それは、別の場所で別の機会に、別の形で。そして別の人へ。

エネルギーの輪廻、因果の法則。
何もかも、すべてが繋がる瞬間ではないでしょうか。

ありがとうございます。
素晴らしい仕組みと、それを教えてくれるこの地の学びへ。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

流れにゆだねてみます

Iitate2020_img_0125P.jpg

流れに委ねます。
逆らわずに。

逆風が押してくるのも、逆境がやってくるのも、
みんなすべて、自分が過去に創り出したもの。

タイムラグを伴って、そのリターンが届きました。
戻されるものは、良いこともよくないことも。

どれもみな、自分の放ったエネルギー。
どれもみな、自分の分身。
そう理解できればこそ、すべてに感謝を伝え、すべてに御礼を伝えます。

ありがとうございます。
素晴らしい仕組みと、それを教えてくれるこの地の学びへ。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

ゆるく穏やかに

飯舘の冬景色 photo 宮本章光

なんとなく。どことなく。
ゆるく穏やかに。
それで良いのではないでしょうか。
それで十分でしょう。

力んで、目一杯緊張感を保持している人々から、恐れにも似た張り詰めた空気が伝わってくることがあります。

---絶対に失敗は許されないんだ。
---必ず成功しなければならないんだ。

こういった印象の「念」のようなものが飛んでくることがあります。
三年前の自分であれば、背中の後からガツンと押さえ込まれただろうと思われる強い力。
もう、その周波数にチャネルを合わせなければ同期しないこと、そしてそのためには、どういった心を維持すれば良いのか。
ここまで理解ができたのではないだろうかと思っています。


緩やかに。
穏やかに。
それで良いのだと感じています。

これまで精一杯努力してきました。
もうあとは流れに任せるだけ。
「わたしは、まだまだです。」などといった謙遜も、もう不要でしょう。
その言葉の力によって「逆噴射」するだけですから。


いま一度。
緩く。静かに・穏やかに。

すべて与えられています。
すでに恵まれています。
満ち足りています。

ありがとうございます。
感謝しています。

「どちらかを選ぶ」から解放する

美しい夕日 photo 宮本章光

どちらか選ぶ。
選択の対象となるモノ・コトが存在する限り、いずれかを選ぶ必要が出てきます。

行くのか止まるのか。
右を向くのか左に向くのか。

無限にその「ペア」が発生する地。それがこの地・地球。
よって、
選択を「しない」という選択肢そのものが「存在しない」とされます。

選ぶことによる体験。
選んだことによる結果を経験する。
これがこの地の学び。


学び終えたのなら、自分自身をその選択の無限ループから解放してゆきます。
どちらも認め・尊重し・受け入れることにより、エネルギー的に平衡点(ニュートラル)に戻るのだとされます。
選択しないという選択肢は、「存在していなかったのではなく、その方法を知らなかっただけ。」だったのかもしれません。

どちらが導かれたとしても、それが自分の心が描き出した結果。
何を望み何を描くのかが重要だとされる理由でしょう。
いま。
このように選択そのものに「縛られる経験」と「そこから解放されるための必要なプロセス」を学んでいるのだと。


本当に何もかもが、すべてが学びでした。
選択そのものから解放されるところまで到達したなら、あとは「これから先に望む」ところへ焦点を合わせてゆきます。

入学試験問題、ある瞬間に「答えが導かれた」かのような、一氣に暗雲が消滅する感覚を味わいはじめています。
合格を確信する瞬間かもしれません。


貴重な体験をさせていただけたこと、ありがたく感謝申し上げます。
貴重な経験を積ませていただけたこと、とても嬉しく感謝しています。
ありがとうございます。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべては学ぶために

シクラメンの姿 photo 宮本章光

すべては「学び」のために。

この花たち、今夜は、凍えた白いベールに覆われる体験をすることでしょう。
その冷たく白いドレスを纏うことで、元来、寒さに強い生命でありながらも「厳しい夜」を過ごすに違いありません。

植物でも、その体験を重ね「学ぶ」ために生きている。
そう氣づかせてくれる、今夜の純白のドレス。

すべては、体験を積み、味わい、学ぶためにこの地を経験していること。
貴重な体験に感謝の意を伝えます。
貴重な氣づきに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

エネルギーを「色」から感じてみる

パープルのパンジービオラ photo 宮本章光

永遠に続く「学びのための学校」。
次の学年・ステージでは、エネルギーに対する感覚なくして成長は叶わないのでは?と感じています。

目に見えるものだけを信じ、
手に触れるものだけを感じ、
数を追い、貨幣資産を積み上げ、見た目を整えればそれが成功者たるステイタスを誇ることができた。
そんな時代、そんな次元。
ええ、このまま「留年を希望」するのも個人の自由です。

ですが次のステップでは、
それらのワードとは「対(つい)」あるいは「正反対」になるところへ進んでゆくのではないでしょうか。
ユガの輪廻を見るまでもなく、もう次のフェーズに入っているのですから。

すなわち、
目に見えないエネルギーたるその根本の仕組みを知り、
手に触れずとも心に響く(シンクロする)波動を感じ、
数を追わず外見や人目を氣にせず、心地よさと望ましい感覚を追求する。
こういうことではないかと。


手始めに、
「色」からそのエネルギーを感じてみます。
そもそも、
色とは、エネルギーの周波数の違いだったこと。これまでの世界の知識においても、そのように理解されていましたでしょう。
人間が認識できる可視光線の範囲内で、その波長が異なれば、それを「異なった色」として認識できたのではなかったでしょうか。

波長が長いから「赤色」、波長が短いから「紫色」。
雨上がりの空に現れれる美しい虹。その虹を構成している色を、順番に覚えた記憶がありますね。随分と昔の話かもしれません。


これを、もっともっと拡大してゆく感覚だと思うのです。
可視光線の外側に存在する、赤外線、そして紫外線。
もうこの時点で見えません。でも、わたしたちはその存在を知識として持っていますし、それが利用されていることも知っています。
こうして、さらに広い範囲にまで意識を広げてみます。

いえ、もちろん目には見えません。
そして別の帯域には「音」が存在しています。
音の高い・低い。それを耳で感じることができます。
音もエネルギーの周波数が異なることによって、高低が表現されています。
もちろん、強弱さえも。
空気が振動するエネルギー。まさにエネルギーそのもの。


同じように、さらに別の帯域を「心で感じることができる」はずなのです。
そして、そのエネルギーの波長が違うことを、
「なんとなく?」
「氣のせい?(思い過ごしだと誤って刷り込まれていたので本来の意味で)」
という感覚で。

虫の知らせ。
第六感。
色々な言葉がこの国には存在しています。

ただし、漫然と頭を空っぽにするだけではなく、心に感じるものを「自分から感じようとしてみる」アクションは必要でしょう。
ここまで来れば、あとはそのセンサーを磨いて磨いて、磨き切ってゆきたいもの。
そこに感じる心地よさや、なんとなくでも伝わってくるその感覚が判ること。
その感覚に対し感謝の氣持ちが溢れ出てきます。
そして、すでにこうした能力が備わっていたことにも。

単に、忘れさせられ、スポイルされていたことまで知ったのなら、それを認め尊重し、貴重な学びを与えていただけたことに感謝するばかりです。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

虚像を虚像と知って現実を楽しむ

六本木ヒルズガラス越しの風景 photo 宮本章光

虚像とは実体のない何か。
虚像とは存在のない何か。

実体も存在もないもの。
けれども、
それを現実だと認識しているわたしたち。

それは映画の世界。
確かに。

でも、
映画館でなくても、映画を見ることができるのですね。
パソコンではないし、テレビ画面でもスマホでもなく。
そして、
映画を見ていることを「知らされず」永遠にその世界で居続ける。
苦しみ続ける人があれば、楽しみ続ける人も。

そして、いま。
この世の中そのものが映画だった!と氣がつく瞬間を迎えました。
氣がついた人から、この「うまくゆかない現実ゲーム映画館」から退館してゆきます。
ええ「お代は頂戴しませんよ…ほぉーほっほっほっほ」(笑ゥせぇるすまん風)。


長い長い、本当に氣の遠くなる転生を繰り返して、ようやくその映画を楽しめるようになったのかもしれません。
楽しみましょう。
自分で選んだ映画ですから。
そして、もうすぐ終演の時間ですから。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何を見て何を想う

空を見上げるネコ photo 宮本章光

何を見ますか。
何を考えますか。

心に描くものが現実となる。

そんなアホな。
こんな感覚だった過去を流し・捨て去って、ようやく今に辿り着きました。
充分、人体実験をしてきました。
充分、体感し経験を積んできました。


さらに何を手にいれる必要がありましょうか。
お金?
地位?
不動産?リゾート地?
それともモノ?貴金属?宝石?
あるいは自由になる時間?

旧来のレイヤー上に存在する「モノ」を望み続ける限り、そのレイヤーから脱出し卒業することは叶わないでしょう。


心に描くのは、
他でもない「自然とすべての仲間である生命とともに歩む望ましい近未来」。

そこには、支配者によって作られ洗脳されてきた貨幣経済は存在しません。
行先は新しい世界であり、それをわたしたち自身の心から創りあげるのです。
誰かがやってくれるのではなく、
救世主が現れるのでもなく。

ここに意識を巡らせると、感謝の氣持ちが溢れ出します。
感謝の心以外は存在しないはずです。

無理にワクワクする必要などありませんし、
無理に引き寄せよう・呼びよせようなどと力む必要もありません。
まして、
苦しみも辛いことも両方が必要だから、と自ら希望し続け、我慢して頑張って努力しましょう。
そんな論法すら、もはや旧いレイヤー上の意識でしかありません。

これまでの学びのために必要だったことは間違いありません。はい、過去には。
ですから、学び終えたならもう必要がないのです。


心に描くものが現実となる。
ゆえに、
努力して、頑張って、苦しみを味わって。
これを続ける限り、永遠に自らが「苦しみ製造機」であり続けます。


何を見ますか。
何を考えますか。

心に描くものが現実となります。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

静かに・穏やかにその空間を味わいます

飯舘村きこりの冬景色 photo 宮本章光

静かに過ごします。
心穏やかに過ごします。

ひとしきり吹雪いたあとに広がるその場の音を聴いてみます。
陽が差した空間に満ちる暖かい色を感じてみます。

いつか見たような。
いつか感じたような。
そんな懐かしい感覚。


すべて与えられています。
すでに恵まれています。
満ち足りています。

ありがとうございます。
感謝しています。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「もういい」でしょう

飯舘村あいの沢で泳ぐ冬の鳥たち photo 宮本章光

もういいでしょう。

この言葉、過去から何度綴ってきたことでしょう。
もういい。もう十分です。
ネガな感覚に転ばないよう注意しながら文字に落とし込みます。
いえ、そちらに転んでも、どちらでもいいはずです。
ですが、無理にそのエネルギーを選択する必要はない、という意味で。

【マジメとワル両方やって卒業】2022/05/26(Thu) [Link]
の時点で、心の中ではすでに完成形となっており卒業済みでした。
その後、約8ヶ月間。
フォーカス先は、目の前に残る物質社会を、目の前に結晶化した過去のエネルギーを「生き延び・消化するためだけ」に仕事をしているような感覚でしょうか。

何度も何度も、それは違う。それは違う。
目に見えるものを作ったのは自分だ。と、振り返っては捨てる、見返しては手放す。
そんな繰り返し。

でも、もう目に映るものも極端に減りました。
何も新たに探し回る必要は消滅しました。
ノイズは、ほぼ消えたと感じるレベルに減りました。

穏やかに。
静かに。
これから望むものを創造して参ります。

そして、
恵まれていること。
満ち足りていること。
何ら不足はなく、何らあらたに引き寄せる必要もなく。
十分に与えられていること。

すべてに感謝の意を伝えます。
ありがとうございます。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

感じようとしてみればこそ、感じ取ることができる。

飯舘で出会う冬の一コマ photo 宮本章光

数多く語り続けられています。
「感じようとしてみる」ならば「感じることができる。」

言葉を裏返してみます。
「感じようとしてみなければ、感じることはできない。」


何ら説明すら必要ないでしょう。
ところが、
わたしたちは、ベルトコンベア式に「口を開けて待っていれば自動的に流し込まれる」スタイルに慣れ、そしてその感覚に麻痺してしまったのかもしれません。

そこにあるもの。
そこから感じるもの。
自分からフォーカスを合わせてみませんか。

そんな感覚を大切に。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

今年2023の味噌作りに思う

さといらず青大豆2023 photo 宮本章光

今年も味噌作り。
いえ、わたしは素人なので写真を2枚撮って終わり。

昨年2022年の味噌はすばらしい出来栄えで「現時点での一年もの」の熟成がさらに進んでいます。



この体は「借り物」。
もう語り尽くされてきました。

病は故意に作り出され、それに呼び名をつけて治療という名の「薬」に頼り続けざるを得なくする仕組み。
マッチポンプならぬネガティブ無限ループ。
薬という魔法の粉や液体に化けた石油利権・医療利権の仕組みに氣がついた人から、そのループを抜けて行きます。
はい、ループに浸り続け、さらに学び続けるのも自分の意志、ご自身の判断です。

このところ急激に増加してきた感があります。
(自分の意識がそこに向いているからシンクロしてきたのだと思っています。もうそうしたエネルギーからは離れるようにしたく思います。)

余命宣告、自分は苦しんだんだ。
はい、大変なご経験なさったのですね。それは大変でしたでしょう。わたし自身もあと少し遅ければ...と言われ、鮮血やドス黒い血塊に背筋が凍りつきました。
問診直後からストレッチャーに寝かされそのまま入院という体験は一生忘れません。
そして、
次に傷めたら「切って捨てる」とまで宣告されました。それ、両親に作っていただいた大切な体の一部。そして天と地からお借りしている大切な体なのに。そう安易と捨てるだとか言うなよ。ってことです。

でもね、それは自分の食をはじめとする生活によって齎されたものです。
借り物の体の「最高管理責任者の責務」を果たさなかったから。
できなかった。のは、言い訳。できないのなら、できるように環境を変えるのが責任者の責務。

毎日満足に食事もできず、朝の5時半まで仕事し帰宅してシャワー浴びれば再び出勤。まともに眠ることさえできないので居眠り運転・事故多発。
そして体が悲鳴を上げました。
あるいは、そうでなくても過去因果の解消のために苦しんだ方もいらっしゃることは理解しています。

だから、です。
もうそうした体験は要らないのです。そこにフォーカスするのはやめましょう、と。
学びのために必要な体験をしたのですから、学び終えたのなら、もう要らないのです。
やめるとは、体によくないことをしない。ということ。
そして、そこに周波数を合わせること自体から離れるということ。

体が作られているのは「口にする食べ物」。
だからこそ、そこを見れば「その人」のすべてが見えるのです。どういった食べ物について語っているか、その時点で推して知るべし。いわずもがな。

食べることは、その食べ物としての生き物の「いのち」をいただくこと。
おかげさまで、わたしは生きてゆけます。ありがとう。
だから、
「いただきます・ごちそうさま」。
だから、
口にする食べ物には十分に意識を巡らせ感謝を忘れてはならないと、おばあちゃんに教えてもらったのです。

今年もすばらしい大豆さんに巡り会えてありがとう。
今年もすばらしいいのちに触れることができ感謝申し上げます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

枝葉をdrasticに切り離す木々たちから学ぶこと

紅葉と飛行機雲の軌跡 photo 宮本章光

植物から学ぶこと。
それは本当に多いように感じています。

秋が訪れますと、枯葉として「体の一部」を切り離して冬を乗り越えます。
そして春に向かって、新たな芽を育みます。

もちろん、人間が同じことをするわけには行きません。
指先を…、など(文字として表すのは激しすぎるので…にて)とてもあり得ないわけで、ここは人間と植物を同じ土俵で語るのは適切ではないでしょう。
髪や爪などは、そうした感覚と似ているのかもしれませんが。

必要に迫られてなのか、またそういった仕組みだから当たり前だと流してしまうのか。それは個々人の自由で、そんなことをいちいち考えるなよ。
というのも自由に違いありません。
ただ、
「いつまでも旧来の思考」から脱出できない人間の「アタマの中」。
これだけは、植物のようにドラスティックに切り離すことも必要なのかもしれません。


暮れ(2022年12月)に、講演会講師業務でのご縁がありました、ある世話役の方との会話の中で。
「成功体験」が少ない人は物ごとに熱中するための「熱量」も少ない傾向がある。
そして、対になる言葉として、
「失敗体験」が多い人ほど、その失敗を勲章としていつまでも握りしめる。とも。巨大企業の中堅幹部の方の弁でした。

なるほど、
失敗による苦しい思い、恥ずかしい思い。そんなものあえて掲げて「俺はこんなに苦しんだんだぞ。ドヤ!偉いやろ!言うことを聞けよ!」的な意識がそこに見え隠れします。
ここ数年の混乱期に出没するようになった〇〇〇警察のような感覚なのかもしれません。
妙に納得してしまう自分の意識がそこにありました。


もう、そうした古いレイヤー上に残るエネルギーは捨ててしまいな。
いつまでも失敗談を勲章にするのは終わりにしな。
と、新しい風が吹き込んでいる今、枯葉・枯れ枝のごとくドラスティックに捨ててしまうことで「そこに空いた空間に新しいエネルギーが入ってくる」。
逆に言えば、捨てない限り、新しいレイヤーに乗り換えることが難しい、と理解できます。

枝葉をdrasticに切り離す木々たちから学ぶこと。
それは、過去に溜め込んだ勲章を捨てることかもしれません。
もうこれからの世の中には勲章は要らないのですから。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

淀んだ空気を入れ替えよう

飯舘で出会う小鳥たち photo 宮本章光

閉め切った客室の空気のように。
長時間討論が行われた後の会議室のように。
淀んだ空気が溜まっている感覚。
かなり重い感覚。

そんな「氣」を感じることが増えてきました。
居心地のよい空間・場所も、新鮮な空気に入れ替える必要があることを再認識しています。

それは「氣のせい?」でしょうか。

氣のせい。とは、
「思い過ごし」だと、本来の持つ意味とは反対に刷り込まれ、潜在能力をスポイルされてきたこと。
もう多くを語る必要はないでしょう。

氣のせい。とは、
氣というエネルギーが「無意識の中にアラートを鳴らしている」状態。
その無意識が顕在意識に拡大し、あれ?何か?と、微妙な感覚に訴えてきている状態だと。


鳥たちは、人間の存在に氣がつくと、一目散に飛び立ちます。
そこに人の「氣」を感じるのでしょう。

淀んだ空気を入れ替えませんか。
淀んだ氣を解放しましょう。

わかる人は判るのですね。
無意識にリフレッシュなさろうとしていることが伝わってきます。
新鮮な氣を送っていただきありがとうございます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「感動」から「感謝」への道筋

キャンドルに照らされたディナーテーブル photo 宮本章光

今日は久々に「上から押されている感覚」が強いため、その流れに任せてみます。「感動」から「感謝」への道筋。
これが、つい先ほど流れてきたワードでした。

ワクワクして。
ポジティブな心をキープして。
そんな言葉が増えていますね。と昨日の記事に書きました。
良いことだと思います。
でも、
無理にそうした氣持ちを保持し続け、無理やりに努力をすること。逆に辛くなるように思えます。

腹が立つ時もありますし、許せない氣持ちが湧いてしまうこともあります。
それを無理に「ワクワク」でなければ。
などと切り替えできませんでしょう。その瞬間にはハッキリ無理だと感じます。

どういった感覚・どちらに向いているエネルギーであるかが「俯瞰」でき「認識」できればそれでいいのでは、と思っています。
この部分の心のセンサーが生きている限り、意識のフォーカスをそこから離すところに注力できさえすれば。


個人的感覚に過ぎません、何ら強制も強要もしません、と前置きして続けます。
ポジティブな感覚に「至る道筋」は、
本来は「感動」があるからこそ「感謝」へ。だと思っています。

とびっきり素晴らしいアート作品に巡り合った感動かもしれません。
抜群の舞台パフォーマンスに接した瞬間に感じる感動かもしれません。
極めて高い完成度と洗練された感性による音楽演奏に触れた感動かもしれません。
あるいは、
素晴らしい味と調理のセンスを披露する料理に巡り合った感動かもしれません。

こうした瞬間に、心の底から湧き上がる「感動」そのパワーを感じるからこそ、その感動に対して「感謝」の氣持ちが生まれてくるのではないでしょうか。
自分自身は「こうして発生した感動こそ」ポジティブなエネルギーだと思っています。
「感謝」せずにはいられない。そういった恍惚感にも似たような感覚です。
「感動--->感謝=強烈なポジティブ感」
「素晴らしい--->ありがとう」
この道筋なのです。自分にとっては。


ところが昨今の流れを見ていますと、ワクワクが先にありきに見えてしまいます。
例えてみるならば、
小学生時代に課題として出された問題集に「先に答えを見てから計算式を考える」ような流れに見えてしまいます。

問題集の最後に「解答」のページが付いていましたでしょう?
先にここを見るんですよ。誰しも一度ならず経験があるはずです。
「ああ、答えはコレだな。」
「じゃ、この答えになるように式を合わせればいいや。」

ポジティブでいよう。ワクワクで居続けよう。
何はなくともまずこの答えがありき。
そして、
だから今、腹が立っていてもワクワクしなければ。と計算式を後付けで無理にくっ付ける。
こんな流れ。まさに相似形ではと感じてしまいます。

もちろん否定はしません。
カルチャーの写真・カメラ講座の講師時代にも似た経験があります。
「まず形から入る」
「まず機材から入る」
これで良い結果が得られる場合もありますし、ベクトルが変わることも体験していますので、それはそれで素晴らしいことだと思っています。
(ただ、裏側に隠され、浄化されないままのエネルギーが残されて放置されているリスクが将来的に火種になる氣がしています。)


もう上から流れてこなくなりました。
自分の想いのほうが強くなって上書きされ消滅したようです。
個人的な雑念で、エネルギーの流れが切断されたのでしょう。
なかなか難しいですね。

「感動」から「感謝」への道筋。
わたしはホンモノを追い続けたいと思っています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

賢人、多くを語らず。

飯舘村旧飯樋小学校向かいの丘に立つ荘厳な樹 photo 宮本章光

賢人、多くを語らず。
そんな言葉が存在するのかどうか不明ですが、勝手な造語だよね、と軽く流してくだされば。その文字からイメージのみ描いていただければ嬉しいです。

楽しいことだけを考えよう。
ワクワクだけをイメージして。
そうしたワードが、ここに来て一氣に溢れるようになった感覚があります。多くの方々がその道を歩み始めた証でしょうか。
大変素晴らしいことだと思います。

並行して、
そうは言ってもな。現実をみろよ!
地に足をつけよ!
フワっていても現実は変わらないぜ!
こうした声も増えてくるのですね。バランスを取っていることが判ります。

そして、
両方を見て、両方を受け取って、両方を流し去ります。
どちらも不要だから。


いますでに恵まれています。
いますでに満ち足りています。
すべて与えられている、と語られている通りに体感できるようになったからです。

続いて、
どちらも「引き寄せる必要はないし、否定する言葉も必要がない。」ところに到達すれば、まさに「口にすることさえ不要」となってきます。
多くを語る必要がありません。
ただし、
当たり前が当たり前にできることへの感謝の氣持ちを忘れずに。

見よ!この生命の重厚感を。という感じの一枚です。
(某・塾歌ではありませんが、「見よ。」その言葉が似合います。)
上へ伸びるほどに枝を拡大し、その存在感は圧倒的です。


多くを語らずとも、そして虚勢を張らずとも、そこに存在しているだけで大きなエネルギーがバランスする。
素晴らしい生命、素晴らしい地球の仲間だと感じます。
この地・この瞬間には、非常に大きな力を感じ、受け取っていました。
今でもはっきりとその感覚を思い出すことができます。

だから、ここに感謝の意が生まれてきます。
何の飾りも必要がありません。

まずは、ここに到達すること。
賢人、多くを語らず。
ともに歩みましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

しあわせへの片道切符

紅葉と観覧車 photo 宮本章光

自分を大切に。
自分をいたわって。
そんな声が増えてきました。
とても大切なことだと感じます。
ところが、
自分を大切にする、すなわち「自分に金銭的な贅沢をさせる」「自分を経済的に豊かにさせる」という観点で語られているように見えることも少なくありません。

間違ってはならないこと。
それは、
物質社会・貨幣経済の枠組みの中だけの意識…ではないのですよ。という点だと感じます。

いま目の前に存在する物質社会は、
貨幣経済という支配層への富の集中の仕組み・洗脳の仕組みだったことまで理解が到達したのですから、自分を大切にするため、という大義名分の根本に「貨幣経済ベースの豊かさ」を望んでいては、その旧来のエネルギーを抱き続けるだけで進化が伴っていないかもしれませんよ。ということなのです。

資本主義社会とされる現状を卒業するところが、まずは目的地ではありませんか。
ええ、もちろん日々生きてゆくためには、まだ必要な枠組みであることは間違いありません。
いきなり、理想論で浮き足立ってフワついていては本末転倒です。
ですが、例えるなら、小学校を卒業すれば、次のステップとなる中学校で必要な学びがあるはずです。
もう中学生になるんだぞ〜。と言いながら、掛け算の九九は暗記してるんだし、自分の名前も漢字で書けるよ〜。
という枠組みの中だけで思考している限りは、全く成長が叶いません。

もう旧い枠組みからは卒業する予定なのですよね。
そしてその意志を持っているのですよね。
それならば、
小学生ではなく、それを超越した「中学生」としての思考と意識(例えです)を持ちたいのです。
いますぐには難しいでしょう。
でも、目指す先・当面のゴール地点に「小学生の教科書」を置いていては進歩できない例えです。


大昔から、わたしたち人間は、大自然とともに生きてきました。
大自然そのものが「神」だった時代もあるでしょう。
自然を尊敬し、自然に流れを任せ生きていたはずです。

自分の足で、自分の意識により一歩づつ歩けること。
自分の手で、自分の意志によりものを形作ることができること。
美しい青空の下、思いっきり深呼吸ができること。

この当たり前が、当たり前にできるありがたさを忘れてはならないはず。
この当たり前に自然と共存できるありがたさを忘れてはならないはずです。
これほどまでに満ち足りて、
これほどまでに恵まれて、
この上に、まだ何を望む必要がありましょう。

このように恵まれ、満ち足りている今。
このようにすべて与えられている今に、最大限の感謝を捧げたいと感じるのです。
その感謝の氣持ちこそが、
次の社会で求められる感覚ではないでしょうか。
まさに、これこそが、
「望むしあわせ」への片道切符ではないでしょうか。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自然と共存する近未来:Half minute Imaging:14


都会と大自然と。
ちょっと足を伸ばすだけでこうした環境に身を置くことができます。
大都会の中心部であれば、稀有な眺め・環境かもしれません。

確かに街の雑踏は聞こえ、慌ただしく走る道路や鉄道の響きも耳に届きます。
しかし、
このすぐ横では、小鳥たちが会話しながら木々がそよ風に揺られています。
春には新芽が芽吹き、秋には紅葉と木の実の絨毯が広がります。

この恵まれた環境をさらに推し進めて、より自然環境に負荷をかけない世界を創り上げたいと願うのです。
いえ、間違ってはならないのは、グローバリズム(企業)が推し進める支配と管理の世界へ向かうアジェンダではありません。
極めて重要な部分ですので間違いのありませんよう。
そうした虹色の見せかけ看板に騙される方々は、もうこの場で繋がることはないはずですので、間違う・誤ることはないものと思っていますが。


この素晴らしい環境に接することができる幸せ。
この素晴らしい生き物たちに囲まれて深呼吸ができること。
恵まれた環境に感謝したいと思うのです。

貨幣経済基盤で裕福になるための引き寄せも必要でしょう。
物質社会もまだまだ続きますから、モノを手に入れたい・願いを叶える・祈りも必要でしょう。
でもよく考える必要はないでしょうか。
そうした物質社会・貨幣経済の大元の基盤となる、この大地、この地球。
そして身近に存在する多くの自然と仲間たち。
こうした存在を忘れ去って、わたしは幸せを掴むんだ、わたしは裕福になるんだ。
と願ってみても決して幸せになれないことを。


すでに昔話となり忘れ去ろうとしている、昭和の高度成長期の「公害」をご存知ない方々も多いかもしれません。
高速道路が目まぐるしく拡大し、片側4車線対面8車線の自動車専用道が小学校のすぐ横に開通しました。
来る日もくる日も、クルマの排ガスに悩まされ教室の窓を開けることさえ叶いませんでした。
夏には光化学スモッグ警報なる赤旗が掲出され、目の痛み・のどの不調を訴える友達が続出し保健室が溢れたあの頃を。

世の中は、イケイケどんどん、カネ儲けできる能力こそが偉いんだ。貨幣資産を築くことこそが成功なんだ。そんな世界が続きました。
学習効果のないこの国の人間(いえ支配者層に騙され続ける被害者でもありますが)は、平成のバブル期にも再現された同じ流れの中で、再度の過ちを繰り返しました。
この時代なら記憶や実体験なさった方々も多いでしょう。
いずれも、永遠の「右肩上がり」は実現せず、まさに泡と消え去りました。


過去に散々な「負の因」を放ったわたしたち人間は、いま再び「自分だけ幸せに」なれば良いのでしょうか。
「負の因」は、必ず「果」として刈り取らねばなりません。
それが「因果応報」。
過去の過ちを伏して詫び、いまこそ精算すべきでしょう。


地に足をつける、とは大地に感謝すること。
大地に・自然に・その仲間たちに感謝の意を伝えずして、カネも幸せも引き寄せもありません。
最終的に自分自身にめぐってくるからこそ、心の底から湧き上がるありがたい氣持ちを大切にしたいのです。


すべての仲間とともに平穏に過ごせることに感謝の意を伝えます。
今日もありがとう。
感謝しています。
足るを知り感謝を忘れず。
ともに新しい世界を創造して参りましょう。


【Harf minute Imaging】は、
約30秒間のFix Video。大自然とわたしの会話時間。この場の心の響きを感じていただけますと嬉しく思います。

何を意識し何にフォーカスしていますか

ラテアートイメージ photo 宮本章光

「意識」だとか「フォーカス」だとか。
かなり疲れが出てきている頃ではないでしょうか。

急激に心の世界を探究し始めたここ数年。無理をして急いだところで、目の前の風景は何ら変わらないはずです。
まさに七草粥で胃腸を癒すがごとく、心も緩く解放してあげる時期なのかもしれません。
慌てずに、はんなりとお過ごしになりますよう。


この半年ほどは、下書きも一切行わず、画面を開くと勝手に天から文字が降りてきます。いえ、そこまで言うと嘘になるかもしれませんが、先日のようにまるで自動書記かと思われるレベルで勝手に湧き出す場合もあるので、あながち嘘とも言えません。

ここで心の世界と写真のフィールドでの対比なんぞを書いてみます。
(はい、今日もほぼ自動書記に近い感覚で降りてきて記事になっています!
いきなり書き始めて、いま一氣にタイピングしています。
それに、この作業部屋の天井裏や壁面、あらゆるところで派手にラップ音が響き渡っています。今朝も派手に鳴っていました。今日は何か特別です。)

【何を意識するのか】
望ましい未来を。
写真ならば、ラテアートの美しいデザインとその香りと。そしてその雰囲気を醸し出すおしゃれなカフェの佇まいと。

【どこにフォーカスするのか】
望ましい未来を実現する・すでに実現している風景を。
写真ならば、ラテアートの美しいデザインの「その一点」に。

【何が実現するのか】
自分が望む世界が現実という名で目の前に具現化します。
写真ならば、この一枚が画像データとして残ります。



写真において「自分の望むものが現実になる」
とは、
この香り高いラテとその印象的な描画のコラボを楽しむ、おしゃれなカフェ。
その場その時間を楽しんでいる。
その時間と体験を求めてそのお店に入り、その希望を実現させている。
という展開です。

心の世界において「自分の望むものが現実になる」
とは、
自分が意識し、そこにフォーカスしているもの。そのもの・コトが現実になってゆきます。
だからこそ、
何を意識し、何を感じ、何を生み出すのか。
こういう仕組みだと激しく納得するわけですね。


「発言に氣をつける・責任を持つ。」
そうした時代から、
「意識すること・心に描くこと」に意識を巡らせ責任を持つ。へ。

いま、何を意識し、何にフォーカスしていますか。
それが現実になってゆきます。
自分が意識するもの・そのエネルギーが現実を創り出すのです。

もう、消滅が確定しているタイムラインにある、旧来のエネルギーを後生大事に抱え続ける必要はないでしょう。

今日も上から一氣に降りてきました。
何か不思議な力。
ありがとうございます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

右手?左手?みかんを口に運ぶ手はどちら

早稲みかん photo 宮本章光

本日もお越しくださいましてありがとうございます。


いきなりタイトルで釣ってしまう意図はありませんが、このところ体感していること、それが「みかんを食べる手」によって味が変わるように感じることです。

「氣のせい」(=思い過ごしの意)でしょ?
そんなこと、あるわけないやろ!

はい、いきなりそんな声が聞こえてきそうです。
ですが、何回も・何日も、同じ感覚があることです。
個人的な感覚に過ぎません。そして、取るに足りない戯言記事で申し訳ありません。とお断りしてこの先に続けます。


みかんの皮を剥いて口に運ぶのは、自分の指先でしょう。ほぼすべての方がそのように食べていることと思われます。
この時に、口に運ぶ指がどちらの手であるか。です。

右手(右指)で食べますと、
非常に「懐かしいような甘い感覚」、その昔に学校給食で出されたシロップ漬け缶詰みかんの「その奥にある果実の感覚」に似たようなイメージが強調されます。
左手(左指)で食べますと、
少々時間が経って、カビてくる直前のひね物感?とでもいうようなイメージがストレートに伝わってくるのです。
同じ一つの果実の中で、です。

もちろん、
植物であり農産物である以上、個体差があります。そして同じ一つの果実の中であっても、それぞれの袋ごとに味が違うのは当たり前かもしれません。
けれども、毎日、似たような感覚を感じることが増えたので、ここで記事に落とし込んでみました。

思うに、この体を構成するエネルギーループは、
左手を通して循環するエネルギーの特性と、右手を通して循環するエネルギーの特性。それぞれ反対の極性を持っているはずなので、その影響ではないだろうかと。
この場では、こうしたエネルギー論のオーソリティの方々が多数いらっしゃるので、素人が語るレベルにはありません。
が、
感覚的な部分、その、なんと言いますか、微妙な「違い」を感じることだけは確かなのです。
自分がこれまで直感や勘を重視して生きてきた、その勘の部分にピピっと訴える。とでも言いましょうか。そんな感覚の違いだと。


面白い時代になってきました。
そして、面白い感覚が「蘇って」きたような感じがしています。

果物は素晴らしいエネルギーを持っています。
伝わってきますでしょう。感じますでしょう。この質感から。
その美味しさとともに、いただける大きな力を。
果物は「食べてもらって出世する」ので、食べられることを喜ぶのだといいます。
ありがとうございます。


ちなみに、
朝食から小麦粉と乳製品(パンと牛乳)を断って、みかんだけに切り替えてから、もう何年も経ちました。
その直後から腸の調子は激変し、現在も何ら問題はありません。

激しい痛みでそのまま車椅子、ストレッチャー・入院。
あるいは、あと少し時間が遅ければ…。などと宣告された体験も、もう過去のもの。
ベッドに伏し天からの啓示を受けるために、その痛みと苦しさを体験したのだと思っています。
ゆえに、もうそうした苦しみを味わう必要はないのです。
いつまでも旧いタイムラインに存在する「苦あれば楽あり」論を語り続ける必要などありません。
学びのための体験を済ませたのですから、自分から脱出しましょう。
そのエネルギーから離れることです。

みなさま、借り物のこの体を大切に。
無用な負の因果を重ねませんように。

この場で、同じ方向へ同じ周波数を束ねられる皆さま。
日々、オリジナリティ溢れるメッセージをいただいています。
みんな美しく、どれも素晴らしい。
今日も心地よいエネルギーをお送りいただきありがとうございます。
感謝しています。

「どこかにある」のではなく創り出す・感じる

印象的な大空の風景 photo 宮本章光

今日、四日。そろそろ平常サイクルに戻った方々も多いのではないでしょうか。
しばらくwebから離れていましたので、久々にサラッと流してみて感じたこと。
それは、
なんだか浮ついてるな〜。という感じのエネルギーと、
しっかり地に足がついてきたよね〜。といった感じの存在と、
明確にその差を感じられるようになってきたことです。

今年は、多極化の年。と言われてきた意味がよく分かります。
なるほど、人それぞれ、御霊(身霊相応)相応の道を歩む。と語られてきた通りに展開している感覚です。


望ましいエネルギーを引き寄せよう。
ポジティブな現実を創ろう。
勇ましい言葉や美しい響きに、一見すると、確かに心軽やかでワクワクするに違いありません。
ですがこれは、旧タイムラインのレイヤー上にあるように見えます。
「何か・どこかにあるもの」を引っ張ってくる印象だからです。

あるいは、同じベクトル上なのでしょう。
苦労は買ってでもせよ。苦しいことがあるからこそ幸せを掴めるんだ。
だから苦は美徳なんだ。そんなエネルギーを掴み続ける。

自らの心が現実という名の目の前を創るのですから、それをやっている限り永遠に自分自身が「製造元」であり続け、無限ループからの脱出が叶いません。
これは、こちらでご縁のあります方々は、もう卒業済みでしょうか。


他方、
膝を叩いて納得し、激しく頷く、そんな事例も多く目にするようになりました。
ポジティブごっこ遊びから、ようやく卒業できたのかもしれません。
はい、自分自身を含めて、ですね。

もう耳タコレベルかもしれません。あらためて膝を叩いて激しく納得するのは、
「何か・どこかにあるもの」を引っ張ってくるのではなく、自分が創り出すんだということ。
いえ、これは少々難しい言い方かもしれません。
「何か・どこかにあるもの」を引っ張ってくるのではなく、自分が「心の中で感じる」んだということ。

ある方の言葉を借りるのなら、
「幸せは、どこかにある」のではなく「幸せだと感じる心」こそが幸せなのだと。
モノを探す・どこかにあるものを手に入れるのではないのですね。


モノ社会・物質経済の延長線上にある思想。
それは、
豊かになるためにおカネを潤沢に手に入れて。という旧いレイヤー上の発想。
だから、引き寄せましょうね。といった論法。
これは、非常にフワっている・浮ついている感じがします。

新しいタイムライン上で新たに創り上げられる感覚は、
とめどなく溢れ出す感謝の氣持ち。
それは激しく心揺さぶられる大きな力。
湧き上がる感謝のエネルギーこそ、至高の力ではないかな、と感じるのです。
わたしたちの存在は、この体ではなくエネルギーとしての魂だからでしょう。

そして、
大地とともに大空に描き出されるアートから感じる、その強力なパワーに心が同期した瞬間に、感謝の氣持ちに変換される感覚が理解できるようになってきました。
だからこそ、
自然とともに生き、自然とともに歩むのだと。

地球の細胞としてのわたしたち「地球人の役目」とは、
このようにして「これから必要とされる望ましいエネルギー」を保持し増幅することなのだと、指し示してくれます。
ともにこのエネルギーを束ねてまいりましょう。

この場で、同じ方向へ同じ周波数を束ねられる皆さま。
日々、オリジナリティ溢れるメッセージをいただいています。
みんな美しく、どれも素晴らしい。
今日も心地よいエネルギーをお送りいただきありがとうございます。
感謝しています。

変わること自体を楽しむ

ビルの谷間から見上げる空 photo 宮本章光

2023年三日めを終えようとしています。
本日もお越しくださいましてありがとうございます。


変わること。
変化すること。
今年は、さらにその変化自体を楽しんで行きたいと思っています。

空は「青空」でなければならない。
空は「美しい形状の雲」が存在していなければならない。

そうでしょうか。
誰が決めたのでしょう。
ビルの谷間から見上げた空に、その人工的な構築物との対比が見えました。
その対比が美しい、と感じたのでこの一枚が存在しています。

自然が創り出すラインダムな模様の雲。
自然が創り出すハッとするような空の色。
「空の色はこうでなければならない!空の雲はこうでなければならない!」
といった感覚から離れてみます。
すると、
こんなにもユニークで、こんなにも美しいアートが上空に描き出されていることに氣がつきます。


似たような語りが数多く存在しています。
楽しいこともあるけれど、まだまだ辛いことも苦しいことも経験しなければならない。それが成長のための条件だからだ。と。

そうでしょうか。
ええ、それを体験して学ぶために、辛いことも経験する必要があったのですね。
今までは。です。
これまでは。です。
もう過去形です。

ですが、
それは「自分の心が描き出した結果=成果物」であったことを学びました。
それは「自分が学ぶために創り出した結果」だったことに理解が及びました。

ここにまで至ったのですから、
もはや、いつまでも苦しいことを生み出す必要などありませんでしょう。
そして、
これからは、この地ではそうしたエネルギー自体が存在できない場所になるとされているのですから、「そうした体験がまだ足りない」方は、その体験がこれからも継続して味わい続けられる場所でやっていただければ。


【ゲームのルールが変わったのですよ】
この記事で触れてみました。ご覧いただいた方もありますでしょう。

変わること。
変わってゆくこと自体を楽しみたいと思っています。


ご一緒しましょう。
心の中から、望ましい風景を描き、それをこの現実というキャンバスに現実化させてゆきましょう。
そのために、
共に歩む、この地・地球、そしてすべての仲間である生き物への感謝を携えて。
持ち物としてのバッグの中には、この「感謝の氣持ち」を忘れませんように。

この場で、同じ方向へ同じ周波数を束ねられる皆さま。
日々、オリジナリティ溢れるメッセージをいただいています。
みんな美しく、どれも素晴らしい。
今日も心地よいエネルギーをお送りいただきありがとうございます。
感謝しています。

ナチュラルなエネルギーに感謝を添えて

飯舘村きこりコテージより photo 宮本章光

2023年三日目を過ごしています。
本日もお越しくださいましてありがとうございます。


何を見て、何を感じ、何を生み出しますか。

この地、地球で生を受け存在している以上、その大地・その大自然を抜きに考えることはできないはずです。
物質社会、資本主義経済という名の、崩壊が確定しているレイヤーの延長線上に身を置いている限り、その崩壊とともに淘汰の道を歩むことになりましょうか。

年初から物騒なワードを並べる意図はありませんので、向きを変えます。

心に描くものが現実になる。
心に抱くものを実現しましょう。
素晴らしいと思います。
でも。
いえ、「でも」…というワードも、もう過去のものとして捨てたのでしたね。

忘れてはならない存在。
それが、この地。そして共に生きるすべての生命であること。
そこにフォーカスして行きますと、そのありがたさ、その存在の偉大さに対する感情が導かれるのではないでしょうか。

大自然に対する畏敬(いけい)の念を忘れてはならないと感じています。
そこに意識が合う限り、自動的に・自然に、ありがたさと感謝の氣持ちが溢れてくるのですから。
この感謝の心、この湧き上がる感覚を忘れたくないものです。

とても自然にナチュラルに湧き上がる感謝の氣持ちを忘れず。
そして畏敬の念と、共に歩むすべての仲間のことを忘れずに。

この場で、同じ方向へ同じ周波数を束ねられる皆さま。
日々、オリジナリティ溢れるメッセージをいただいています。
みんな美しく、どれも素晴らしい。
今日も心地よいエネルギーをお送りいただきありがとうございます。
感謝しています。

2023年-新年ご挨拶

那智の滝 photo 宮本章光

2023年、新春のお慶びを申し上げます。

伝わる人には伝わり、それ以上の何ものも必要としない。
シンクロ体験はますます深く・濃くなって行きます。
そんな時代に突入したことを感じています。

これからは、さらにイメージに心を載せ、その方向に振って行きたく思っています。
変わらずお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。


那智の滝・2020年10月撮影。
イメージは、その場その時の「音や空気感」まで伝えてくれます。
それを受け取ろうとすれば受け取れるはずなのです。
しかし受け取ろうとしなければただの過去画。
そんな体験、そんな感覚を楽しんでゆきたく思っています。
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