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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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階段の上からは良く見える

階段の上からは見通しがよい photo 宮本章光

--階段の上からは俯瞰でき全体像が掴める。
--階段の下からはその先が見極めにくい。
当たり前、と言ってしまえばそこまでなのですが、これ、エネルギーの流れとも関係していると言われます。

水の流れは高いところから低いところへ移動する、とされています。
水という流体が、高--->低 と流れる、あまりにも当たり前すぎるその現象が、極めて重要なことを教えてくれています。


この階段の「最も下の場所」から上を見上げてみても、その階段が何段あるのかよくわかりません。
しかし、
「最も上の場所」から見下ろしてみますと、そこに十数段のステップがあることが一瞬にして理解できます。
数を勘定しようと思えば一段づつ数えればよいですし、見た瞬間にその全体像を把握することができます。

全体像とともに個別の数量(この例では段数)も、上からはよく見える。
こういうことだと思うのです。
そして、
これは、次のように言い換えることもできるのではないでしょうか。

上は、エネルギー総量が高い(=情報量が多い)。
下は、エネルギー総量が低い(=情報量が少ない)。と。


上から見下ろす、上から見下す(みくだす)。
それは、このような別の言葉に置き換えることで、軽蔑したり差別している、とも解釈でき、あまり望ましい使い方ではない。と教えられてきました。
ですが、これも権力者による支配のための洗脳だったのかもしれません。

【上の方がエネルギーは多く高い状態にある。下はその逆である。】
これは単なる「絶対値」を示しているだけだったのではないのでしょうか。

それなのに、上から...という見方・考え方が、なんとなく「よくない」という刷り込みによって、下に存在することが望ましい、だとか、それが「嗜み(たしなみ)」だ。
といったような、美徳意識と混同して潜在意識に固着させられてきたのではないかと感じるのです。(個人的感覚)
そして、何もかも「下:エネルギーの低い状態」に、自分から閉じ込めてしまうような行動を取らせたのではないのかと。


この階段を上がった瞬間にそれを感じました。
下から上へ、上がるにつれてそこに存在するエネルギーが高まり、強まってくることを。
肌感覚で感じることができたわけです。

物理的にもそれは正しいとされていますでしょう?
位置エネルギーは、物理的に高い場所の方が大きいと。
上に上がるために、一歩づつ歩くというエネルギーを費やして上まで登ったのです。
キャタピラの物体を登らせるには、その動力源が必要でしょう。
あるいは、
もし仮に上から下に転げ落ちれば、その位置エネルギーは階段に衝突する打撃のエネルギーや打撃音・摩擦熱などに変換され放出されます。
(物理学そのものもウソだったのか...シリーズだと思いますけれども)


もう本当に何もかもが洗脳だったこと、満腹です。
---エネルギーは、上のほうが高い状態にある。---

当然、例外もあるでしょう。温度による物質の形状変化が考慮されていないだとか、密度による差はどうなっている、だとか。
さまざまな要因によって、それが一律同類にされることが誤りだという論説もあるでしょう。
ですが、そうやって重箱の隅を突いて例外をあげつらうのではなく、
単純に、
上から見たほうが概要は掴みやすい。
下から見上げても全体の様子は掴みにくい。

それをエネルギーの大きさとして感じることもできるのだという体験。少々難解かつ強引な分析かもしれません。
しかし、こうして体で感じることができるように変化してきたことは事実です。

センサーを磨いてください。
その感度をあげてください。
これからの世に必要なエネルギーを束ねるために。ご一緒しましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分から苦労することを選んだ

夏の夜のハーバー photo 宮本章光

わたしたちは、自分から苦労することを選択し、この世でその学びを重ねている、と語られています。
もう沢山だと思います。
もう耳タコで聞きたくもないかもしれません。


約8年ほど前に撮影した画像データ。
大型三脚とフルサイズセンサー一眼レフに高画質レンズ。そして念入りな画像処理。
これと同じレベルの絵は、ポケットから取り出したスマホでワンタップのみ。それだけで手に入る時代になっています。

似たような感覚だと思うのです。
自分から、手間ひまかけて設定し、その場で操作し、画面に向かって画像処理を行う。
そのプロセスひとつ一つが楽しみだったのです。
そのプロセスを楽しむために、ワンタップで手に入る道を選択せず、遠回りをしてきました。

まさにVRゴーグルの中の世界で「苦労をしたらどんな氣持ちなのか?」と、この地でのゲームにログオンしたはずでした。
その前に超重要事項説明として、
「すべての人がゲームであることを忘れます。」
「自分から氣がつかない限り永遠の無限ループから抜けられません。」
との書面に「自分から了解しましたとサインして」この世に転生しました。


まだ目が覚めずに踊り続けている人は、その人ご自身が書いたシナリオです。どうぞご自由にお楽しみください。
そして、もう起床して布団から出た、3層のうち2層部分に分布する人々、わたしたちも含め、
その重要事項説明書類に「重要朱書きされた文言」をもう一度思い出すことです。

「ゲーム終了のタイミングは一度限りです。終了したにもかかわらずVRゴーグルを外さなければ、最小公倍数的に50億年サイクルの最初から岩石の存在として再スタートしなければなりません。」
と記載されていたのではなかったでしょうか。

2層目に立つ覚醒したとされる方々。彼らは1層目に存在する未覚醒者を叩き起こそうとするばかり。
このゲーム終了のタイミングである現在、契約書の最後に書かれていた説明文をもう一度読み直す必要はありませんか。
いえ、
それもその方の自由に違いありませんので、永遠にご堪能ください。


まさに、3層構造になっている覚醒状態の現在です。
ご自身はどの層に存在しているでしょうか。その意味が十分に理解できる方々とこの場でのシンクロが起きているものと思っています。
さて、いよいよゲーム終了です。
次の世に必要なエネルギーに周波数を合わせてください。ともにそのパワーを束ねてまいりましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

すべてはエネルギーの交換

熟しはじめた梅の実 photo 宮本章光

季節のもの・旬のものを食する、とは、
その季節、その瞬間にもっともエネルギーを保持している状態のもの(生物)を摂取することで、そのエネルギーを最大限に取り入れることを目的としていたはずです。

難しい書き方をやめてみますと...。
一番おいしい状態で食する。
一番パワーが含まれた状態で食する。
それがもっとも大きなエネルギーを取り入れることになるから。

先人は、こうした季節という要因によるエネルギーの差についてよく知っていたのです。
それを感じることができる感覚・感性を持っていたということです。

食事とは、その食材が持つエネルギーを取り入れ、生きるためのエネルギーとすること。
すべてはエネルギーの交換だったことに氣づきます。
そして、
言葉によるコミュニケーションさえも、エネルギーの交換に繋がっていることを知る機会を迎えました。

写真というデータに込められたエネルギーと、言葉というエネルギーと。
これらをmixしてwebを通しお伝えするのがわたしの役目でしょうか。
お受け取りいただく方があってこそ、はじめてそのパワーを伝えることができます。

この世だけでなく宇宙までも含むすべての存在は、エネルギーの交換というコミュニケーションを通してつながっています。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いつになったら卒業しますか

さまざまなエネルギーを受け取る photo 宮本章光

いつになったら卒業するの?
いつになったら大人になるの?
そんなエネルギーが流れてきます。


目の前の風景は、過去の意識が創り出した結果という名の構築物。
よって、いまこの瞬間から後の意識の方向を変えれば近未来の結果が変わってくるはずなのに、それをせずいつまでも踊り続ける。

おかしいやろ!
狂ってるやろ!
氣づけよ!
といったように叫び・踊り続けるレイヤーからいつまでも卒業できないのは、そこから卒業しようという意識を持っていないから。
あるいは、
他の人のため...という大義名分を掲げた自己承認欲求の放出。
せっかく早起きしたはずだった方々が無限ループで回り続けています。

他方、
心を常にポジティブエネルギーで満たしましょうね。という優しい語りで導くビジネス。
これも洗脳の一つだったのかもしれません。

どちらも、結局は目の前の風景に踊らされているだけだと氣がつかないことには、何も、そしていつまでも変わりません。


前者は、
いつまでも現実という名の物質社会(それは所謂コンフォートゾーンとされる慣れ親しんだ環境)からの脱出を拒む深層心理でしょうか。
後者は、
肉体を含めたこの世における物質社会でのハンドリングやバランス感覚を、一切捨て去ってしまったポジティブごっこ遊び。

いずれも、片方に偏り過ぎていることによる弊害ではないかと感じます。
それは、現実逃避ではなく、また精神世界を否定するものでもないのです。
どちらも、両方ともに体験することがこの地で生きる目的だったのですから、その両方を堪能し尽くしたのなら、一刻も早く卒業することです。


目の前の現象に踊っていることこそが、近未来を否定していることになると理解できていない「現実逃避」なのであり、
また、
心の中にだけしか意識を配っていないことこそが、自分自身の存在すら否定している、と理解していない「未覚醒」なのだと。

過去のOfficialBlogにも残していますが、生まれてからずっと檻(おり)の中で育った動物たちは、いざその檻の扉が開いても自分から出てゆこうとしないのだとか。

いま、檻の扉が開いている状態を迎えています。
これから先、自分は何を行いますか。自分の意識は何を描いて行きますか。
いつまでも踊らず、
いつまでも意識の世界だけに逃げ込まず。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

直感が鈍ったと感じたら

飯舘村で迎える夏 photo 宮本章光

--切れ味の落ちた包丁は砥石で研ぎます。
--汚れたメガネのレンズは綺麗に拭き取ります。

では、
直感が鈍ったときにはどうしましょうか。
これはなかなか難しいかもしれません。

鈍ったことを知らせるセンサーが最初に必要でしょう。まずそうした自己診断サーキットのような回路がなければ、鈍ったこと自体に氣づくことができません。
ですが、無料診断コーナーのような駆け込み寺があるのです。

少々例えが過ぎた感があるので戻します。
---自然を感じる場所に出かけます。
---自然の中に身を置きます。
すると、鈍っていたセンサーが活気を取り戻します。
自己診断回路がなくても、急激に回復してゆくその感覚によって、認識できていなかった鈍っている状態そのものまで体感できるはずです。

自然はエネルギーの宝庫。
そこには、移動しなくても・言葉で語らなくても、強力な力を発する「仲間」が存在しています。
以前に実施された写真教室バスツアーで「被写体の宝庫」と驚きの声を集めた大自然があります。

直感・勘が鈍ったと感じたら、あるいは、鈍っていることが判らないとしても、大自然に身を置いてください。
そうすれば、そこに満ちている強力なエネルギーによって必ず助けられるはずです。


この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

おつむの弱い子は放っておきなさい

大空から注ぐエネルギー photo 宮本章光

「おつむの弱い子は放っておきなさい」
今から50数年前に、祖母がわたしに対して語った言葉です。

誤解のないように初めに但し書きを。
人を蔑むのが目的ではありませんし、分断を推奨する意図は皆無である点、まず初めにご理解ください。


大正生まれの祖母(96歳で他界)が、幼少時期のわたしに対して語った含蓄のある言葉。
それが、
「おつむの弱い子は放っておきなさい」でした。

祖母がこの言葉に込めたストレートな意図は、
「自分と異なる意見や環境・立場にある他人の言動に一喜一憂せず、自分の考え方、身のこなしをしっかりと確立しなさい。」との教えだったと思われます。

他人から自分とは異なる意見を強要され不快になっても、自分は「どうありたいのか」をしっかり持っていればその考えが揺らぐことはありませんよ。という意識を教えてくれたものです。
「他の人は、あなたよりも"おつむ"が弱いんだから」という、逆説的な言い方によって「あなたは自分に誇りを持ち俯瞰していればいいんですよ。」という、幼少期の人間にとってはかなり難しい伝え方だったと思います。

いわゆる、「あなたは偉いんだから」「あなたは優れているのだから」といった語り口によって、
他の人が放つネガティブなエネルギーに飲み込まれ、自分からその沼に落ち込んでゆくことなどありませんよ、と伝えてくれていたわけです。
アタマで考える必要のない、ストレートに心に響く伝え方でした。
(もちろん、優れているか優れていないか、あるいはそうした比較論が良いか良くないかという部分はありますが、不快な思いに覆われ自分軸を失っている瞬間に、一瞬にしてそのモヤをクリアにしてくれる魔法の言葉だったように思います。)


いま、この言葉に込められた深い意図を噛み締めながら、これほどまでに貴重な教えを五十数年前に、4歳・5歳児に指導してくれた存在があったことに驚きを隠せません。
そして、
いまこそ、この言葉の持つ深い意味を体現すべき機会を迎えています。

目の前の現実は、人類が過去に放った集合エネルギーの結果として物質化・具現化していること。
ここに理解が到達しているのなら、
その結晶化した過去の遺物を見て、踊り叫び続けるのではなく、いまこの瞬間からあとに希望する近未来を描くことに最大限の力を注ぐべきでしょう。

少なくとも、過去の結果に一喜一憂し、
「このままではアカン...」
「狂った世の中を変えるにはもっと多くの人に伝えなければならない」
と、
そのエネルギーに同化して叫び続けている限り、あなた自身もそのタイムラインから脱出できないことに氣づきたいものです。
おつむの弱い子は放っておけば良いのです。
すべての人が同じシナリオで生きているわけではありません。そしてその個々人の脚本を他の人間が書き換えることは不可能なのですから。

いえ、だからと言って精神論オンリーに偏ってもなりません。
肉体を保持し物質社会に存在している以上は、この物質と心との両方のバランス感覚を失わずにいたいものです。
これを「心のつかいこなし」というのだと思っています。

「おつむの弱い子は放っておきなさい。」
それは、単なる分断思考ではなく、自分軸を見失わないための魔法の言葉だったのです。


この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

永遠に続く道

廃線跡に続く公園歩道

この道は永遠に続いている。
そのように思えますでしょうか。

そんなことはあり得ない。
物理的にも地理的にも必ず終点はある。永遠などという言葉自体存在しない。

そう考えれば、そのように具現化し現実になるとされる量子論の世界。
いえ、過去からすべての人類がそのように意識し続け(今も尚そのように確信し続け)ているからこそ、それが物質化し現実となっているのだと理解できているはずです。

では、
もし、この道は永遠に続いている。
そのように、人類の集合意識が確定したならば、どのように具現化するでしょうか。
セオリー通りに考えるのなら、永遠の道がここに出現することになります。
しかしながら、
必ず「そんなことはない」「そんなことはあり得ない」と、経験値に基づいた思考によりブロックされるために現実にはなりません。
それが証拠に、物心つくかつかないかの頃の幼児に似たようなイメージを描いてもらうと、あり得る・イメージできる。と返答してくるはずです。
彼らは、思考というブロック意識を確定する前の状態を、まだ持ち続けているからでしょう。


このように、
意識の力、思考という名のエネルギーによって正負・プラスマイナスの両極を具現化させる体験をする場所、それがこの地球だとされています。

だからこそ、もう満腹状態で喉まで溢れるほど語られてきたのです。
「思考が現実になる」と。
だからこそ、希望する近未来を描きましょうと語られてきたのです。
「望ましい風景」を。


より多くの人が揃わなければ集合意識としてのエネルギーに満たない、という言い訳をし続け、「決して目を覚ますことがない選択をした」今世のシナリオを生きている人たちに構っている時間は、もうとっくの昔に終わっています。

多くの人に伝える、多くの人を覚醒させる。
という大義名分のもと、すでに過去となったエネルギーに、いつまでもフォーカスしていると、自分自身がその「クラスから卒業できない」こと、いつまでも「居残り練習」をし続けたい、との意思表示をしていること。
早起きしたはずだった人も、すでに滅亡が確定したタイムラインに残り続けていることが見えてきます。


永遠に続く道。
それは、
一つの階段を上がれば、また次の階段が現れる、といった魂レベルでの成長が永遠に続くのだと理解することではないでしょうか。
描いてまいりましょう。
わたしたちがその風景を形作る基盤となるエネルギーを創りあげるのです。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

まず味見してみる・試着してみる

紫陽花が花開く photo 宮本章光

まず味見してみる。
まずは試着してみる。

そうしなければ判らないことがあります。
口にして、自分に合わなければ、次から食べなければよいだけのこと。
袖を通してしっくりこなければ、その上着は購入しないだけのことです。

これほどまでに単純な判断と行動さえもできなくなっている人たち多数のようです。
ただし、絶対に間違ってはならない「入口」があります。

毒は口にしてはなりませんし、毒を体に入れてはなりません。
それは、自分の勘がアラートを鳴らします。
アラート機能も腐り果て、センサーも朽ち果てた心では、その判断も無理なのかもしれません。
そして、
こうしたテーマを語ると、浮ついているだとか、氣の緩みだとか。あるいはスピってる、などと発言をする人たちも多数。


覚醒したとされるゾーンに居ながら、行動しなけりゃ世の中変わらない!と、ずっと叫び続ける層の方々。
いえ否定はしません。物理社会に存在している以上、何もしないのは結果を導きだせませんから。
ところが、ちょっとマズイな、と感じるのは、
その正反対に迷宮入りしている例が増えているように見えるのです。

わたしはこの状態を「ポジティブごっこ遊び」と呼んで、大きな勘違いをしていることを書いてきました。
何より、自分がその道を通ってきたからこそ、その失敗と同じ道をトレースしている事例はすぐにわかります。
正反対に迷宮入り...とは、
何もしない。何も考えない。
それがニュートラルポジションだから。という罠。

これもある意味正しい部分があるでしょう。
でも、
その状態で、いつまでも救世主を待ち続ける。誰かがやってくれる。
そんな発想で居続けるだけでは、やはり世の中は変わらないはずです。


難しいでしょうか。
いえ、とても簡単だと感じます。両方ともにやって失敗しなければ判らない部分もあるかもしれませんが。

前者は、
物質社会・物理次元的な縛りにかかったまま。肉体を使い続ける範囲でしかアクションを起こせていないように見えます。
後者は、
反対に、この物質社会に肉体を保持し存在しているにもかかわらず、その接点を完全に無視し自らの行動さえも放棄してしまったように見えます。


何ごともバランスが必要だと感じます。
そのためには、
まずは味見してみませんか。
まずは試着してみませんか。ということなのです。

精神世界を語る人が一律おかしい、狂っている、と切り捨て、物理次元・肉体を使い広めることがすべてではなく、
あるいは、
精神論万々歳ではなく、やはり物理時点の肉体とのバランスも必要でしょう。


この国の先人は有益な言葉を残してくれました。
「まずは味見(あじみ)する」
ここに至らずに自分から門前払いしている限り、いずれの事象でもその真髄に触れることは難しいのではないでしょうか。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

流される・流されない?どちら?

初夏の輝き photo 宮本章光

流される・流されない?
自分で提起しておきながら何ですが、どちらでも良いのでは、と感じることが多くなりました。


いま起きているさまざまな障害やハードルは、この「どちらかに分類して決める」クセが、いつまでも超えられない壁になっているように思われます。
3S政策の例ではありませんが、スポーツでは勝ち負け、スクリーンでは勧善懲悪モノやいいモノ・ワルもの立てて心を揺さぶります。
二極化、二元化を体験するための学校にやってきているのですから、それらを体験してしっかりと学ぶことは大切です。
しかし、
もう学び終えたのなら、あるいは堪能し尽くしたのなら、その分類が「もうどうでも良い感覚」に昇華してゆきます。
いわゆる卒業の時期を迎えたのでしょう。
いつまでも「どちら側なんだ!」と、やっていますと、永遠に卒業が叶いません。

ところが、
その正反対の側にあると思われる「何もジャッジしない」という思考がどんどん誤った方向に成長してしまい、「何もしない」「何も考えない」という迷路に迷い込む事例も増えてきているように見えるのです。
これは、かなり危険な兆候ではないかと感じます。

これをわたしは「ポジティブごっこ遊び」と呼んで、自分自身が過ちを犯してしまったことを何度も書きました。
ただ、勘違いをしないようにすべきは、
だから「体を使って走り回る」だとか「大声で叫び続ける」というのは、これまた違いますよね。というところです。


流されるな!と叫ぶ。
本質的な部分では正論ですし、大切な意識です。
でも、流されるな。その理由は「善悪やプラスマイナス。こちら側かあちら側か。」をはっきりしなければならないからだ!
というその枠組みの中で止まっているのも、これまた違いますよね。と。


自分の心のセンサーが磨かれており最大感度に設定されていれば、いずれにしても違和感がない方を選択する、といった対応をとることができるはずですから、何も迷いも過ちも犯さなくなります。
ここでも、
勘・直感が心強いナビゲーター役を果たしてくれることを実感できるに違いありません。
収拾がつかなくなりそうですので、今日はここで終えます。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

無限ループから抜ける

飯舘村 雨のはやま湖を大倉大橋から眺める photo 宮本章光

ネガな無限ループに嵌まり込むと抜け出すのが大変です。
しかも、輪をかけてより深く陥ります。
このとても深い罠から抜け出すのは非常に難しい。そのように感じていました。
実際、ずっとそのように体験してきた方も多いでしょう。

でも、ようやくその解放に役立つかもしれない手法を理解する時期を迎えました。
一つは、放置する。
もう一つは、現在地を俯瞰する。


そんなもーん!過去からやってきたろうに!と仰る方。
二つがセットであることが非常に重要だと再確認してください。

放置という言葉は、何か後ろめたさを感じるかもしれません。そして何ら解決になっていない、と。
「何かしなければ改善できない」
そういった考え方、これも洗脳の一種だったのでしょうか。
特定のエネルギーにフォーカスを集中しますと、その焦点にさらにもっと深く深くハマってゆきます。
よって放置。
時間をかけてしばらく置いておく。
何も触らない。

会社には「未決済ボックス」があった(今もあるはず)でしょう。
昔の企業時代のわたしの上司は、それを「寝かせる」だとか「熟成させる」と呼んでいました。
当時のわたしの感覚は、難しい稟議書だから、その先のプロセスが大変ゆえ単に先送り・先延ばししていただけだと思っていました。
ですがこれ、本当に熟成されるのだと、30年以上も経ってから理解できました。

ここで言う熟成とは、
時間の経過とともに周囲のエネルギー環境が変わることだと判ります。その変化は、自分の意識により具現化した変化であることまで理解が進みます。


二つ目の現在地を俯瞰する。
ネガなループに身を置いている瞬間には、その立ち位置が見えません。
立ち位置を段階表示してみるのも(心の中で)良いのかもしれません。
そうすれば、まだ一丁目だから熟成が必要、だとか、もう八丁目まで来ているからあと少しで解決される。といったように。

これができないのですね。その瞬間には。
よって、熟成と現在地認識をセットにして抜け出します。


楽器演奏なさる方でも似たような経験がありませんか。楽譜にリピート記号が書かれているケース。
リピートの範囲が結構長めだったりすると、え?2回目だった?もう1回目やった後だよね?と、一瞬混乱して頭が真っ白になります。
さまざまな対処として、右足を少し外に向けて2回目演奏中...、だとか休符の数えを左手から右手にする、だとか...。
音楽をやっている方にはお馴染みの対策でしょう。


これが、まさに「現在地の俯瞰」ではないかと思うのです。
どうすれば世の中変わるのか?
どうすればより多くの人とたちに伝えられるのか?
まさに無限ループに「ハマり中」でしょう。

熟成させるのは、それこそ何十年も何百年もかかるかもしれません。
それまで待てないよ。と思ってしまえば、これこそが「何かしなければならない洗脳」に晒されてしまったこと、覚醒者とされる方々が最もハマり込んでいる落とし穴ではないかと感じるのです。
今世で目を覚さない選択は、その人の独自の人生脚本。他者は書き換え不可です。
残酷かもしれませんが、その人は自身がそのようにシナリオを書いて今世を経験しているのですから、その他人を変えるのではなく、わたしたちは自分にできることに専念する。


どんよりと曇った重い天雲に、小雨の縞模様が一面に広がる湖面。
暗いイメージと思えば暗いエネルギーにフォーカスします。
ですが、
現在地はもう9丁目。このあとは真夏の晴天を迎えますよ。とイメージすればそれが現実になって行きます。

いまこの瞬間には何ができるでしょうか。
明るく軽いエネルギーを心から放つ。それがいまの役目だと考えています。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

近況が不明だから???

飯舘村はやま湖で雨を迎える photo 宮本章光

近況が不明なので...。
状況が判らないので...。

はい、
それを「知らなかったのではなく、知ろうとしなかった。」というのではないでしょうか。
それを「聞いてなかったのではなく、聞こうとしなかった。」というのではないでしょうか。

ただ待っていれば、自動的に情報が入ってくる。
ただ待っていれば、勝手に報告が入ってくる。
おそらく、心のセンサーも朽ち果てているのでしょう。
感度ゼロであることにすら氣がつきません。

こういうことでしょう。意識が具現化するとは。
何か、魔法使いや手品師のように、突拍子もない「モノ」が心の中から出現するのではなく、心に描いている意識が、そのまま目の前の現実になって行きます。


調べてみれば、いくらでも情報はあります。
調べてみれば、毎日のように情報発信していることがわかります。

名前で検索しても、何も出てこないでしょ...。
名前で検索しても、そんな有名人ではないはずだから...。
webで調べてみれば、何が出てきますか。
webで調べてみれば、どれほど多くの情報が見つかりますか。


知らなかった。のではなく、知ろうとしなかった。
聞いてなかった。のではなく、聞こうとしなかった。
自分の選択の結果は、自分自身にそっくりそのまま返ります。
時と形を変えて。因果応報。


これからの世は、同じ波長でシンクロする方々だけしか見えず、存在しなくなると伝えられています。
日々ご覧いただく方々とともに、より望ましい社会・世界を心の中から創造してゆきましょう。


この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何も足さない・何も引かない

赤と白で彩る photo 宮本章光

すべてが満ち足りた状態を。
すべてが完成している状態を。
明確に、鮮明に描きます。
心の中から意識の力を使って。

いまここには、
何も不足するものはありませんし、何も余分なものもありません。
何も足さない。何も引かない。


不安を持ち続けるように仕組まれてきた世の中でした。
恐怖を煽るように仕向けられてきた社会でした。
それは、権力者・支配者による管理社会を実現するために。
教育から始まり宗教洗脳、メディア洗脳に至るまで。そして口にする食べ物にまで。

もう卒業できましたか。
卒業するというそのプロセスさえも、心の中から創り出されるものだと理解できているのなら、何をイメージするのか、何を心に描くのか。ここがすべてのスタートであると悟り実践するのみです。

地の民たる人間だからこそ、肉体という衣を使ってこの地で実践する役目を担うのです。
何を待ち続けているのでしょうか。
動くのは自分自身であり、自分自身の心・意識の力を使って役目を果たす番です。

何も不足はなく、何も余計なものもない。
何も足さない・何も引かない。
だからこそ満ち足りており、すべてが実現するニュートラルポジションに存在しています。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

入梅と季節感とタルタリア文明

2022年の青梅を photo 宮本章光

今年2022年の入梅は6月11日(本日)だそう。
日本には「四季」があり、その季節感こそが国民の財産、といったような認識が当たり前のように語られています。
青梅から梅干しや梅酒など、さまざまに料理し健康に役立てる。
そこに四季を感じられるのは素晴らしいことでしょう。

はい、まったく否定する部分はありません。
ですが、
その昔には四季はなく、年間を通して摂氏20度から25度程度の気温が維持される温暖な気候であった、との説があります。
しかも、それは遠い昔の話ではなく、僅か200年程度前まではそうだったと。

温暖な気候が破壊され、冬として生じる寒冷な気候は、核兵器やそれに準じるとされる大量破壊兵器が使われた結果だったと言われます。
核の冬、という言葉で語られる現象であり、それは核が使われたからこそ冬が発生したのだと。

ええ、否定するも、疑うも、アタマ大丈夫か!と叫ぶのも自由です。何ら強制も強要もいたしません。
webには大量に情報があります、ご自身の手と自分の時間によって調べ、納得の行く回答を入手いただければ良いかと思います。
---SNSに入り浸り、今日も今日とて、いいね!だとか押し続ける時間の使い方も人それぞれ。
---テレビやメディアに触れ続け、洗脳から目覚めるどころかさらに深く陥る道を選ぶのも人の自由。
時間は、どのようにも使うことができます。
仕事に追われてそんな余裕がない、のも理解できます。
朝5時まで仕事を続け、シャワー浴びて再び7時には出勤した人間が言うのです。
そんな生活が祟って病床に臥し、強制終了したからこそここで語っています。


信じられない・信じがたいようなことが行われてきた歴史、その歴史は捏造され改ざんされ、嘘にまみれた教育によって洗脳されてきたことは、もはや否定しようがないところにまで明白になり証明されてきています。
明治維新がなぜ起きたのか。
その年代の歴史はなぜ不明瞭なのか。
これらは、学校教育という洗脳装置の中で隠され、偽情報に置き換えられてきたこと、もうすっかりバレていますし、そこに思考が至らないのはもはや恥ずべきレベルと言っても過言ではないところまで明らかになっています。
知らぬは、その嘘を教える教師ばかりなり...といったところでしょう。


タルタリア(Tartaria)文明(帝国)やマッドフラッドに関することは、今日ここでは触れません。
ご自身で存分にお調べいただければと思います。
わたしが一つの観点として取り上げたいのは、
「素晴らしい四季」
「季節感こそ日本の宝物」
そして、
そこに結びつく食文化と健康、という財産の裏側には、捏造された歴史があったことも、少しだけ知っておく(思い出す)必要があるかもしれませんね。という部分です。
繰り返します、何ごとも強制も強要もいたしませんし、肯定も否定もありません。
都市伝説だと断定するのも自由。陰謀論だとかの言葉で斬って捨てるのも自由です。
自らの心が・直感が、そこに真実があれば、あるいはシンクロするのならば、引きつけられるはずです。
ここで、心と意識の使いこなしの練習をすることにこそ意味があります。

何でも、
「学校で先生が言ってるから・教えているから」
「テレビが言ってるから(言わないから)」
「偉い専門家がいうのだから」
「国が国民を嘲るはずがない、生命に関わるリスクを押し付けるわけがない。」
こうした言葉に、いまだに騙され続ける人は、それがその方の脚本だと理解しています。
他者の人生脚本は、他人には触れることはできませんし、OS(OperatingSystem)を逆コンパイルするのは許諾違反になるのと同じことかもしれませんね、と以前にも書きました。

他者を変えようとするのではなく、そこに力を使わずに、
わたしたち自身の心の中に、望ましい近未来の風景・青写真を明確に描くこと。ここに使いたいものです。
これが今必要とされる役目・役割だと考えています。ともに描き、歩みましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そこで何を感じ取りますか

飯舘村で迎える初夏の風景 photo 宮本章光

心で描く。
意識で受け取る。

目に見えないものは、心で感じる。
目に見えないエネルギーは、意識の中で受け取る。

自然は、そして自然の中に生きる生命は、形やプロセスこそ違えど、みなそうしたエネルギーによる「会話」を行なっているはずです。
人間は、その使いこなしを忘れていただけでしょう。
人間は、その感覚を一時的に失っていただけでしょう。

もう一度、その感覚・感性を取り戻しましょう。
心で感じることを。
心に響くものを。

自分からその周波数に合わせて行けば、必ずシンクロする接点が見つかります。
忘れていたものを取り戻すだけ。
忘れていた感覚を思い出すだけ。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

存在するだけで意味がある

庭先にひっそりと花開く photo 宮本章光

この地に存在するものすべて、そこに生を受けている限り必ず意味がある、とされます。
そこに花開くだけで意味があり、
そこに生きているだけで意味がある、ということです。

その空間に、エネルギーを放つことに意味があり、
その空間に、存在を認知されることに価値がある。
その場所の空気感を作り出すのが役目かもしれませんし、
その空間を浄化するのが役目かもしれません。

こうした貴重な存在価値。肉体まで与えていただいておきながら、逆噴射するエネルギーを撒き散らすばかりでは、役目を全うすることが叶いません。
もちろん、もうポジティブごっこ遊びに陥る失敗は繰り返しません。

善悪・プラスマイナス両方を体験し学ぶためには、残念ながら「悪意を持って他者を滅ぼすそうとする」存在があるわけで、その蜘蛛の巣に取り込まれないように、足元を掬われないようにする必要があります。
ですが、
それも体験し終え学び終えたのなら、もう意識のフォーカスを合わせる必要などないのです。

ここまで学んだからこそ到達できる地点であり、今後の世で必要とされないエネルギーにいつまでも付き合う愚を重ねないことです。


ここ一週間ほど、近隣の複数のお宅から、狂ったように吠える犬の鳴き声が続きます。
吠え続けるのはボケ症状だ、といった情報がwebにはありますが、突然ボケ初めたのでしょうか。それも別々の場所で、時期や時間までも申し合わせたように?
彼らは、空気感やその変化を敏感に察知できるに違いありません。

滅亡し消滅するタイムラインに残りたい意思表示をする人間は、いつも自分の定規でしか測らず、自分の目に見えるものしか信用しようとしません。
なるほど、そうやって淘汰される運命であることが判ります。
それも自らの選択と判断。学びのため、ということなのでしょう。

マイナス方向のネガエネルギーを撒き散らすのもまた、その人なりの価値感や存在意義があることに氣づきます。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いまここで何を思いますか

ひっそりと花開く photo 宮本章光

試験の前日に、
会議の直前に、
本番前のリハーサル時に、
スタート前のアップ時に。

直前になってから「あれもこれも未達成の事項が」。
そんな経験があるはずです。
いえ、直前になったからこそ、色々と思いが巡るのかもしれません。
準備万端だったはずなのに...。

布団叩き(もはや死語かも)と同じで、叩けば叩くほど、とめどなくいつまでも埃が出てきます。
心配すればするほど、いつまでも心配ごとが現れてきます。
そこに意識がフォーカスしているから、そこに合致した波長である「心配ごと」のエネルギーがいつまでも出現するという量子論の世界。


すべての履修科目を完璧に学んだはず。
すべての必修科目を完全にマスターしたはず。
それなのに、
抜け・見落としがあるのでは?と心配するから、いつまでも抜けや見落としが発生します。


いま、ここで、何を思いますか。
いま、ここで、何を意識しますか。
わたしのフォーカスしたエネルギーがこの世の現実を創ります。
あなたのフォーカスしたエネルギーが目の前の現実を創ります。
ともに望ましい・希望する現実を創り出してまいりましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

目に見えない「存在感」の正体

飯舘村はやま湖へ向かう道 photo 宮本章光

存在感。
そうした言葉で表現される、目に見えないもの。

存在感がまったく感じられない人があります。
存在感が一切ないような感覚を受ける人があります。
そこに居ても、ただ単に人が居る、というだけで他に何も感じるものがない人たち。

他方、
圧倒的な存在感を示す大自然の造形があります。
圧倒的な存在感を伝える自然の存在があります。

この差はどこから来るのでしょう。
存在感とは、
その被認識対象(対象として認識している人・モノ)が発するエネルギーの大きさなのだ、とはっきりと確信を持って感じられるようになっています。

石にもエネルギーがあり、空気にもエネルギーがあります。
それは、太古から石(土)の神であり、風の神であったのだと納得が行きます。
そして、
もはや語り尽くされたように、この地での学びが足りなかった・卒業の意思がなく再履修を望む人たちは、他星系で「石ころ」からやり直しですよ。と伝えられている通り、第1密度の最初からその体験を積み学び直します。


まさに、岩石には岩石として長大な期間の学びを続け、第1密度を卒業しようとする強烈な意識が存在していること。
そのパワーが激しく伝わってきていることが判ります。
彼らの圧倒的なパワーは、第3密度の最高位である「人間」よりも強いのでしょう。それゆえ圧倒的なエネルギーとして伝わってくるのでしょう。

この地での最高位としての人間の肉体まで与えられておきながら、それを蔑ろにし、更なる進化を拒否するのですから、まさに「身魂相応」人間としての価値は無い。と判断されても仕方ないのかもしれません。
いえ、それが自分の意志表示であり自分の選択の結果であるのですから。
聞いてなかった...のではなく、聞こうとしなかった。
知らなかった...のではなく、知ろうとしなかった。と。

わたしたちは、更なる進化を目指し望む未来の風景を心の底から強力に描いてまいりましょう。
更なる進化を目指す者として、そのタイムラインを創り上げることこそ役目ではないでしょうか。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

目に見えない導きと三位一体

紫陽花の季節に photo 宮本章光

誰でも最初は初心者であり素人でした。
そして、
努力の甲斐あって成果が出せるようになります。

もちろん、本人の努力の賜物には違いありません。
ですが、思いのほかスムーズに結果が出せたり、想像以上に簡単に良好な成果を手に入れることができたり。
そうした機会が少なからずあったはずです。

そのタイミングでは、願いを叶えたい心の波長と、具現化するに相応しい波長と、そしてそれを目に見えない世界からバックアップしてくれる存在。といったような、三位一体の融合があったに違いないと思うのです。
何よりも、自分自身がそれを最も強く体感しているはずです。

努力して苦しんで...。でも10〜15/100点しか結果に結びつかないタイミングと。
軽快に心軽やかに楽しみながら...。そんな時には100〜120/100点と、期待を上回る成果を出せたのではありませんか。


これが目に見えないパワー。これこそが今後の世界で使いこなすべき能力でしょう。
成果というゴール地点にシンクロする周波数を認識し、その周波数に合致するプロセスを踏むこと。
そして決して忘れてはならない、導き・バックアップしてくれる存在への感謝の氣持ちと。

目に見えない力こそ、最大のポテンシャルを秘めていることに氣がついた人から、新しいタイムラインを創造してゆくこと。
これが新しい時代の仕事であり役目ではないでしょうか。

誰も最初は初心者で、
誰も最初は素人で、
誰も最初は初めてなのです。
でも、周波数さえ誤らなければその波長に合致した結果が導きだされます。

最初に開く花は、初めて咲かせたにも関わらず完全な結果を導き出します。それはそうなるように意識の波動が完璧に一致しているからでしょう。そこに雑念は皆無であるはず。
忘れてはならないのは、
目に見えない世界からバックアップしてくれる存在・エネルギーに対する感謝の氣持ち。
三位一体のエネルギーを使いこなしてまいりましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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