意固地は卒業して
コロナの茶番が続々と明らかになっています。
気が付いたのなら、その瞬間から「自分の洗脳が解けた」ことを喜びませんか?
病にまとわりつかれるのを喜ぶ人は居ないはずです。
それなのに、
グズグズと「粗探し」を続けて、過去の自分の考えを正当化する思考回路から脱出できない。
行動してください。
そして、周りの人たちへも伝えてください。
こうして、一人ひとりの前向きなエネルギーを束ねて新時代を創るのです。
闇の勢力に牛耳られていた暗黒時代を、一刻も早く卒業なさいますように...。
地球の次元上昇は待ったなしです。
地球外生命体である仲間も応援しているはずです。
顔出し・名前出しの信頼度
webに情報が溢れかえるようになり、また、そこには腐敗した生ゴミのごとく激しく異臭を放つ情報も数知れず。
いえ、もはやそうした情報が大半ではないかと思います。
今年2020年になり、一つだけはっきりと変化したもの・ことがあります。
それは、
自らの名前や顔を出して意見を述べる人たちが増加したこと。
また、こうした人たちの情報は段違いに信頼性が高いこと。
です。
webは匿名だから。
言いたい放題。
責任は持たない...。
そうして、ゴミ箱になってゆく姿に気づかない。
SNSしかり、個人Blogしかり。
自分たちが生ごみを廃棄し続けるから全体がさらに腐敗する。という意識さえ持たない。
先日、
代表番号から取り次いでもらう部署への電話をかける機会がありました。
2分を超える保留音楽が流れて、突然切られます。
手が滑ったんだな...。
と、再度コールし取り次ぎを依頼。
同じく、何分間も保留音楽を聴いたあとに、また突然切られるのです。
三度目の正直、同じく突然切られます。
状況を確認しましたら、忙しいから...と、新人さんが電話口に。
故意にやっていることがわかります。
電話口に誰がいるのか見えません。面倒だ。だから受話器を上げて瞬間に切る。
これが今の日本人の民度だと理解しました。
顔が見えないから、名前が判らないから。
何をやっても関係ねぇ~。
反対に、初めに書きましたように、
自分の名前と顔を出して意見を述べる限り、そこに責任がありますし信用に関わります。
こうして、ホンモノを追及する人たちとのご縁を大切にしたい。
と心から思ったのでした。
26,000年ぶりの地球のイベント。
どちらの道に進むのかは、個々人の自由です。
この地球上では、現在の三次元で、次のもうひとまわり26,000年間、人間を続けることはできないようです。
どちらを選ぶかは本人次第...。
大阪府下からのアクセス激減に見る現実
昨日の記事2本掲載後、大阪府下からのアクセスが激減しました。
アクセスIPアドレスにより、おおまかな地域が判定できます。
該当の投稿は、以下の2本。
[イソジン買いに走った人たち:Link][雨ガッパとイソジン:Link]非常に判りやすい結果です。
「他県の人間がうるさいんや!」
「ほっとけや、大阪のことなんやから!」
「あんたに言われる筋合いはあらへん!」
こういう意識により、アクセスをやめた。ということだろうと予想できます。
この場は定期訪問の方々が大変に多いため、このような傾向がすぐに数字として出てきます。
ここで考えたいこと。
それは、
現実を再度認識して、よい方向に持って行こうと意識を変えることだと思うのです。
それが現実の姿なのですから。
ですが、「ほっとけや!おまえに言われたないんや!」的な発想で離れる...。
この時点で、やはり図星だったことが証明されてしまったのかもしれません。
もう一度、日本人の原点である心を一つにし、悪の権力者・闇の勢力に打ち勝つべく進めたいものです。
ネガティブパワーは避けなくてはなりませんが、避けられない場合の「矛先」は、悪を働く権力者に向けるべきであって、ここではないはずなのですが...。
雨ガッパとイソジン
その地に在住の方々には何も責任はないのかもしれません。
ご自身は彼らに投票していない...とおっしゃるかもしれません。
しかし、
市長は「無いよりマシやろ!」と雨ガッパを集め、知事は「イソジン(ヨード液)」が...と発言。
該当居住区にお住まいの方は、ご自身の居住地として恥ずかしいという意識は持つべきでしょう。
そして、より良い近未来を取り戻そう、と行動を起こすことも必要でしょう。
自分には関係がない、
自分の給料は減ってないし関係ない。
政治を語る人間は民度が低いからスルーする。
自分は趣味で楽しく過ごせばいい...。
結果として、
歴史に「汚名」を残す自治体になったかもしれません。
過去、10年間の府民だった経験があるだけでも、大変に恥ずかしく不名誉なことと感じています。
思考は具現化する。
まさに、ノリだけを追い求め、自分に関係ない...とスルーし続けた人たちが「具現化」させたのが、この現実かもしれません。
こんなところに「分岐点」は存在しているのだと、その神妙さに驚いています。