落とし穴にハマってばかり

本当に落とし穴ばかりです。
そして、次々と見事にハマってしまいます。
いまを生きる。
とは、
今この瞬間だけを意識して。といわれますが、ここで大きな勘違いをします。
未来も過去もないんだ、この瞬間の氣持ちに従って自由に生きればいいんだ。と。
ええ、言葉の上では間違っていません。
ところがその結果、
計画性もなく、いまの氣分が乗らないから...と、必要なことまで怠惰に放置してしまいます。
これは違うのです。単なる「怠慢」。
やるべきことは山のように待ち構えています。それも過去に自分が作り出した「宿題」が、です。
忘れてはならないこと。
そして絶対に避けて通れないこと。
それは、
「物理次元地球の歩きかた」の大原則からは決して外れることはできず、その法則の「範囲内」でのみしか行動できないという、至極当然のことを忘れている可能性がある点です。
この地・この生では、体という衣をお借りして体験させていただくことが目的でありその学校だと伝えられています。
そしてその体験は、
---「過去に蓄積した負の因果の解消」と
---「うまくゆかない現実ゲーム」
という二つのカリキュラムに沿い、激しく負の方向に振れ偏った条件下で、それを乗り越え対極にある「感謝と希望・奉仕と慈愛の精神」を学ぶことだ、とされます。
よって、目の前には、苦しいこと・辛いことばかりが現れます。
それは自分が過去に作り出した「因」であり、それを自分が刈り取る「果」の経験をして学ぶためでしょう。
楽しいことしか出現しなければ、この地での成長が期待できないことは自明の理かと。
この重要なプロセスにフタをして「見て見ぬふり」。
楽しいコトだけを考えてわくわくしましょう。自分の現実は自分で作るんです。
と、やってしまう。
過去のマイナスポイントの利用は、この地だけの「場所限定」で、且つ「期間限定」です。
溜め込んで抱えているのは「マイナス」なのですから、ここで綺麗さっぱり解消してしまわないことには、永遠にマイナスを積み重ね続けるばかり。
一切の成長が期待できず、進歩どころか退歩し続けていることに氣がつきません。
また、
「物理次元の地球の歩きかた」という、体を使って生きる姿が必須の地なのですから、いまの氣分で、いま思っていること、いま感じていることに従えばいいんだ。
と、心の世界の真似ごとだけ一人前で、必要なこと・必要な宿題に取り組むことさえも放置していては、何も進歩・進化できないわけです。
いまを生きるとは、
いまこの瞬間に何を思い描くのか、何を意識し心に抱くのか。
それが、タイムラグを伴って現実になる仕組みですよ。だから大切にしましょう。
そして、
目の前の風景は、すべてが自分の心の中から生み出されていることを知りましょう。
うまくゆかない現実ゲームと過去因果解消という、苦しみや辛さに根ざした「教材」によって、自分の心が激しく揺さぶられる環境であっても、軸をブラさずキープする練習も兼ねているんですよ。と。
このような教えなのであって、
氣が向かないから怠惰な生きかたをせよとは決して語られていないこと。
楽しくないことだから見て見ぬふりせよ、とも教えられてはいないこと。
確かに、重力により作り出されたとする「時間」が存在するのはこの地だけと伝えられている通りかもしれません。が、その環境を逸脱して学ぶことはできないのです。
ここに大きな落とし穴があることにさえ氣がつきません。
大変難しい教材です。
ですが、仕組みそのものは至ってシンプル。語られている通りです。
シンプルに、いまここだけ・わくわく。
その教えやメソッドが、「何を伝え」「何を学ばせてくれる」のか。
しっかりとコトの本質を理解し、物理次元地球の歩きかたに沿った勉強をしたいものです。
目の前は落とし穴しかないのですから。
その環境下で勉強するこの学校へは、自ら希望してやってきているのですから。
落とし穴に落ちたら、這い上がって次のハードルを超えてゆきたいものです。
崩壊と消滅が決定している、旧いタイムライン上にあるビジネスに足元を掬われないように。
そして、
こうした教材を「学び終えた」なら、そこに至って初めて、その教科書から離れます。
次の教材を手にするために。です。
ここにきてようやく、いまを心安く生きる。いまここにある平穏と平静を享受できる。
という段階に入ってゆけるはずです。
無理にわくわくなどする必要は皆無です。
無理に感謝感謝など努力は一切要りません。
まさしく言葉通りに、
「抑えようなく湧き出す感謝」であり、
「とめどなく溢れ出る美しさと恍惚感に至る悦び」であること。
無理に・努力してやっている限り、その段階はまだ学び足りない証明でしょう。
自動的にそうなるのです。
そうなって初めて、その教材は卒業だ。と教えられているその本質を見失わないようにしたいと感じます。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/09/27(Wed) 20:19:03 | New Age