嵐があるから陽が暖かい

コントラストが大きいほど、その片側の体験は劇的に大きく感動的になります。
それが、この地での目的と存在理由とされます。
嵐のあとには、暖かくまぶしい陽の光を臨む。
二極化はダメだとか、変化を続けていては悟りの境地に達することはできぬ。だとかいったような(それが誤りだと言うのではありません。大正解ではあるのです。が、)片側だけにフタをすることなく、ともに尊重しともに受け入れる。
ここをすっ飛ばして究極の理想点だけを語るのはどうなの?ということなのです。
その大きな差を乗り越えるからこそ感動がもたらされる。という仕組み。
これが学びと体験。
片方の存在を味わう。そしてもう片方も等しく体験する。
学びの途中の工程では、どちらも経験を積む必要がありましょう。
小学校の教科書も満足に終えていない小学生が、因数分解だ・連立方程式の解はこうだ・哲学思想ではこうでなければならない!
などと叫ぶのは、滑稽であり、むしろ恥ずかしい姿にさえ見えます。
ええ、実際の小学生ならば、かわいいものですが。
分離ダメ・ネガはダメ。と、初等教育過程を学ぶ前から片方だけにフタをする、頭でっかちな論説が幅を利かせていたフェーズが、ようやく収斂してきたようです。
このようにして、個々人の精神性拡大と成熟が進むことにより、集合体としてのエネルギーも進化を遂げます。
このプロセスを経て初めて、そしてようやく、
その集合体としての力が顕現化し、目の前の風景となってゆく。
それがこの地の仕組み。
嵐があるから陽が暖かい。
多くの仲間へ、美しい姿を披露いただきありがとうと感謝の心を伝えます。
それは、決して浮ついた姿勢などではなく、学び終えたからこそ至る境地であること。
さまざまな痛みや負の力を経験してきたからこそ、到達できる境地。
これこそが「一(いつ)であり無であり、感謝に溢れる」これからの世に求められる姿であることを知り得ます。
何ごとも順序があり、経験と学びがなくては成長が期待できないこと。
この地において、その体験をさせていただいたことに深く感謝を伝えます。
2024/04/09(Tue) 11:33:24 | New Age