「柵」や「枠」を躱し(かわし)て

人間が設定した柵(さく)の範囲など関係なく。
人間が設置した限界など氣にかけず。
植物たちは、そんな制限を華麗に躱し(かわし)て早春を謳歌します。
制限など、そもそも自分の意識の中で勝手に作り上げたもの。
限界など、もともと自分が頭の中で勝手に設定したもの。
大体、この地この世は100パーセント(に限りなく近い)VRであり、その体験を得て学び成長する場所とされます。
そこに自分から制限や限界を作り出し、その枠の中で敢えて苦しむゲームに過ぎない。
と、
ここまで到達できたのなら、その制限を取っ払ってしまえばよいことに目が覚めます。
足で移動しなくても、
言葉で話さなくても。
人間が「五つ:五感」しか感じられない感覚を、彼らは22だとか23だとかの夥しい数の感覚を持って感じることができるといわれます。
とてつもなく凄いことです。
自分の心のセンサーが麻痺していると、その凄さ・素晴らしささえ理解できません。
移動すること、話すことを手放した代わりに備えた能力。
ある観点では、人間より何倍も優れた生命だと感じます。
彼らは、自分で柵や枠を設けることはしないでしょう。
待ちに待った、この暖かい日差しに向かって、いまこの時を楽しみます。
いつまで、自ら苦しみ・もがくゲームを続けますか。
見習うべきは、フォロワーが多いインフルエンサーの言動などでは決してなく、こうした「当たり前」に生きる生命の姿だと判ります。
なぜなら、彼らこそこの先をともに歩む仲間であるからです。
なぜなら、彼らの姿こそこの先を生きるための明確な道標(みちしるべ)だからです。
2024/03/21(Thu) 11:41:29 | New Age