選択しないという「選択」

ここにも悪の巣が。これも悪の根源だった。
などと騒ぐのは、もうとうの昔に卒業しました。
それを知ったから拡散。という行動自体が「自分も悪になっている」こと。
まだSNSだとかの世界に触れ続けているのでしょうか。
ここを理解できた人から、この地の学習カリキュラムを終了してゆきます。
心に抱くもの、心に描くもの。
それが現実という名の目の前の物質を顕現化させてゆきます。
先人は、それを「念や想念」として、使いこなしていたことが想像できます。
そして、
どのような対象と、どのように響き合うのかを、自らコントロールできていたはずです。
両極があるのか無いのか。それがこの地の仕組みかどうか。
そういった論説自体さえも意味がないところまで到達できたのなら、自分の心を合わせる対象は自分でコントロールする。
悟りとは、とてつもなく崇高なレベルかもしれません。
一般的には容易に手が届くものではない、と思われているでしょうか。
しかし、
それさえも「自分にできるわけがない」と思わせ「自分は取るに足りない存在だ」と卑下するように刷り込まれてきただけだったこと。
このように一定の理解と心の手綱を操れる段階に達したのであれば、それを悟りとして、さらに・もっともっと上に向かって登り続けるのです。
それが目的。それが役目。それこそが魂の永遠の旅。
物質次元に脚を据えながらも、霊界とつながる感覚が肌で判る人が増えているはずです。
精神性の拡大と成長こそが目的であり、それが永遠の課題であると。
選択とは、元々存在している「白と黒」「善と悪」のどちらを選ぶかではないことを知ります。
見た目の形の上では、どちらかを選んでいるように見えるでしょう。
けれども、
選ぶのではなく、自分が望む波長を心に描き創り出すのだと。
選択しないという選択。
これが、この先の課題であり役目だと考えます。
貴重なご縁に感謝申し上げます。
ありがとうございます。
2024/01/19(Fri) 11:07:30 | New Age