偶然か必然かさえ乗り越える

その場の空気を感じてみます。
その場の音に耳を澄ませます。
沈む夕日に意識を合わせてみます。
陽の光を受ける樹々に意識を寄せてゆきます。
その波長に合った瞬間に鳥が現れる。
それを偶然と呼ぶのが、これまでの世。
それは必然であり、自らの周波数が呼び込んだ(生み出した)と考えるのがこれからの世。
心に抱き描く意識は、素粒子に影響を及ぼすことを。
すでに証明されてきています。それを科学と呼ぶのではなかったでしょうか。
偶然か必然か、その論議さえ超越してゆきます。
それが分相応・御霊(身霊)相応。
すべてが自らの選択と因果によって。
ありがとうございます。
2024/01/10(Wed) 11:18:40 | New Age