自分の足跡は雪解け後も消えない?

わたしの足跡ではなく動物かもしれません。
雪の上に残した自分のあしあとは、自分で消すことが難しいでしょう。
そのために近づけば、近づいた道にそのあしあとが残ります。
後ずさりしながら消してゆけば、見た目はなかったことにできるのかもしれませんが。
あしあと、とは、
心に描いた・心に抱いたエネルギー。
それは決して消えることがなく、いずれ結晶化し顕現化し、物理事象として目の前に現れてきます。
一度生み出したのであれば、それが「因」となり「果」を刈り取るまで残り続けます。
因果の法則。
だから、心に抱く感覚に対しては、十二分に注意を払います。
だからこそ、余計なノイズに触れないようにするのです。
世の中、ノイズしかない。とさえ言える状況です。そもそもそれがこの地の「標準仕様」なのですから。
そこに意識を合わせたい、などと思っていないとしても、自動的に見え・聞こえてくる。
そう仰る人が大半でしょう。
けれど、
そこに「波長を合わせなければ」良いのです。
シャットアウトするのも、しないのも、それさえも自分の意思表示、そして自分の選択。
この超重要部分を勉強してきたはずでした。
そこに触れれば・そこに意識を持ってゆけば、
必ず同期し、そのエネルギーに「燃料を焚べる」役目を果たしてしまうでしょう。
望んでいなくても、あなたがその負のエネルギーを増強してしまうのです。
それがこの地の「標準仕様」ですから。
訓練してきましたでしょう。
練習を重ねてきましたでしょう。
もうリハーサルはできず本番の幕が上がっています。
この超重要部分を訓練してきたはず。
雪解けとともに、その足跡も消滅するはずです。
しかし、雪が溶けた時には、ご自身の存在である「この地を体験し学ぶための体」も、もれなく消滅することでしょう。
そして、
そこには、望ましくない「因」を生み出し重ねた記録として「業」だけが、見えない世界に鮮明に「あしあと」として残ります。
雪解けとともに消滅したはずの「あしあと」は、自らの体を失ってしまった後も、延々と「因果」として自分に戻り、自分で解消しない限り、ブーメランは戻り続けます。
それが仕組み。
だから仕組みに感謝します。
なぜなら、
よき因を生み出せば、よき果が生み出され続けるからです。
どちらを選ぶのか、何を選択するのかは、あなた次第。わたし次第。
心引き締まる雪原に意識を馳せ、その自然と生命と仕組みに響き合い感謝を捧げます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2024/01/04(Thu) 15:36:45 | New Age