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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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判断する・選択するその本質

段差を流れ落ちる川の水 photo 宮本章光

○○は○○○ですか:□はい / □いいえ
XXはXXXですか:□はい / □いいえ


いきなりのチェックボックス登場で失礼いたしました。

わたしたちは常に、選択・選択…の連続を生きているとされます。
でも、そこにチェックボックスはありませんし、そこに筆記具を使って「レ印」を入れることもありません。

無意識や潜在意識下と呼ばれる状況で、表に出てくる感覚・意識とは別のところで「自動処理」が行われているかのようです。



ある投げかけ、何らかの質問があったとします。
例えば、
-- 食べ物AとBがありますが、どちらを食べますか。
-- ある論説について賛同できるか、そうでないか、どちらでしょうか。
といった投げかけがあったとします。

その瞬間に、頭の中にチェックボックスやマークシートのようなものが出現してきます。そして回答として能動的に「判断」し、自分から「選択をした」という記憶が残ります。
わたしたちは、これを「自分の選択・自分の判断」と認識するはずです。

ところが、
無意識に、食べ物を口にし欲を満たす機会があります。
無意識に、言葉を発し思考を伝える場合もあります。
この瞬間には、チェックボックスもマークシートも出現していないことが多いのでは、と思うのです。
それこそ、
二日前にいただいた食事のメニューを思い出すことさえ困難です。
録音していない限り、自分の発言を間違いなくトレースするのは難しいでしょう。


ここが、この数千年とも言われる「受身で隷属関係」に染まった、わたしたちの感覚がハマってしまう落とし穴ではないかな、と感じています。

選択の質問が出たときには、自分で判断し選択をしたと記憶が残る。
無意識下で、質問や選択肢を明確に提示されない状況では、自分で判断し選択したという意識が残らない(残りにくい)。

しかしながら、
目に見えないフィールド、そして宇宙に繋がるその世界には、間違いなく「自分で選択した・自分で生み出した」との結果が刻まれている、とされます。
何らかの選択や判断をし、何らかの力を発生させたのですから。
そして、
自分が選択した・自分が判断したにも関わらず、
「そんな判断はしていない」
「そんな選択などしていない」となってしまうのだと。
これが因果として「すべて帳面に記されている」ことに意識が及びません。


この仕組みに氣がついた人は、このトラップを自ら避ける方法を知り、そこに陥らず、あるいは、すべてを自らが創り出すことにまで意識が届きますので、トラップ自体が存在しない世界に住み始めているようです。

まさに「選択自体を創り出さない」もしくは、「必ず自分が望む選択と判断」を間違いなく行うことができる。
これこそが、
「自分の目の前は、自分が創り出す。」という本質であることに氣がつきます。
また、
この状態を俯瞰してみますと、川の水が流れるかのごとく非常に自然で無理がない状態であることにも氣がつきます。


こういうことだったのですね。
いま、この瞬間を生きる。
余計な判断そのものを生み出さず、無理なく流れに身を任せる。
だからこそ、
そこに「望んでいない負の力」を生じさせない。
併せて「望ましい力を心から」生み出す。
それこそが、
これからの世に必要とされているものだと。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/06/18(Sun) 21:11:51 | New Age

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