助け合って生きるという究極の姿

何を考えて生きますか。
何を思って過ごしますか。
人のため。
だとか、
人に役に立つことをする。
とか。
もちろん、それを否定しませんし、とても大切なことだと思います。
でも、
その裏側に「見返りを求める潜在意識」があるとすれば、それは良くないことでしょうか?
そういった感覚さえも卒業する時期を迎えたようです。
〇〇をしたんだから、XXの見返りは当然だ。
〇〇をしてやったんだから、XXがあってしかるべきやろ。
はい、
この考え方。もちろん「あってよいこと」だと思います。
変に格好つけて、そんなことを求めるのは人としてどうなんだ!
だとか言わなくてもいい。
すべては、
何も特別に意識せずとも、何も特に考えなくても、自然に出てくる感覚。
そこまで到達できるのは素晴らしいです。
感謝という心も同じでしょう。
「感謝しなければならない。」
「感謝することが美徳。」
その裏側には、感謝するという意識を持ったのだから「幸せがやってくる」。
そんな見返りを潜在意識で持ち続ける感覚。
ええ、この地は二極・両極ともにセットでなければ存在できないので。
だから、どれも正解・どちらも正解。
この地点からさらに意識を拡大し、そして成長を重ね、無意識にそして無条件に、それらの発想や心持ちに到達できれば美しいですね。
森に存在する仲間たち。
彼らは、お互いに支え合って生きていることが判ります。
時には、
首飾りのように美しく。
あるいは、
アート作品のように煌びやかに。
ここに「助け合って生きるという究極の姿」を見ることができるのではないでしょうか。
素晴らしい仕組み。素晴らしい世界。
ここに氣がつき、その境地に「ほんの指先だけ」でも届きつつあること。
もう少し、あと少し手を伸ばして、その美しい世界に仲間入りしたいと感じます。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/05/21(Sun) 20:33:19 | New Age