やり残した宿題に取り組む

人それぞれ。まだやり残している宿題があるはずです。
その宿題を提出して卒業式に臨みたいものです。
ですが、
もし残っていても、いずれどこかのタイミングで必ず仕上げて提出する機会がやって来るとされ、慌てなくても良いのかもしれません。
その機会は、最も早ければ来世でしょうか。いえ宇宙のサイクルがあるはずですから、最短でも約25,800年後でしょう。あるいは最も遅ければ、石ころからやり直しをしてからの50億年後でしょうか。
もう、散々語り尽くされ、散々書き尽くされてきたテーマです。
いま、もしこの意味が理解できなかったのなら、今世での卒業は無理ということでしょう。
宿題に取り組む「それ以前の勉強」ができておらず、学びが足りない。との結果でしょう。
そりゃそうでしょう。
宿題をやる以前に、授業をサボって勉強して来なかったのですから、その授業をもう一度受ける。
受講の単位が足りないということです。
卒業式の日程は決まっており、どうやってもそのスケジュール変更はできません。
なので、間に合わなくなるように過ごしてきた自分の責任。自分の判断と選択だったということです。
聞いてなかった、のではなく、聞こうとしなかった自分の選択の結果。
教えてもらわなかった、のではなく、学ぼうとしなかった自分の選択の結果。
ここ数年、卒業式の直前になって単位が足りない。どうしてそんなこと、早くに対応しておかなかったのか!
いったい4年間も何をして過ごしていたのか!と慌てふためく...。
そんな夢を重ねて見る機会が続いていました。
起床してから、確かに卒業したはずだよな、間違いない。だから今があるんだし。と、確認するような思考に至る機会が続きました。
ですが、もうそのような夢を見ることはなくなりました。
就寝時に見る夢はアストラルへの旅。アストラル界での体験そのものだといいます。
やり残した宿題は、そのアストラルでの体験によって教えてくれているのだと思います。
やり残した宿題に取り組み、そしてこの稀有な機会を生かし、目出たく卒業したいものです。
ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。
この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2022/05/13(Fri) 20:24:11 | New Age