自分が感じる精一杯を生きる

人と自分とは違って当たり前。
こうした考え方が漸く認められるようになってきました。
いままでは、
--人と同じ考え方でなければならない
--人と違ったことをしてはならない
--人の考え方を統一するためにコンセンサスを徹底する
といった感覚が刷り込まれてきました。
それは物心がついた幼少期の教育に始まり、学校という集団洗脳の場を通し、企業人という柵の中に囲まれた閉鎖社会で、自らの考えを持つこと自体が否定されてきました。
その結果、
自分のアタマで考えることをやめ、自分のアタマを使うこと自体を捨て去った生きる化石と化した羊の群れが大量生産されてきたのではないでしょうか。
そして今、
それは違うんだ!命に関わる!と叫ぶ人たち多数。
あるいは逆に、
それは狂った宗教に冒された・奇妙な精神論にイカれた野郎だ。と蔑む人達が圧倒的多数。
分断化が激化し、もうこの分岐した道は二度と再会することはないように見えます。
ですが、
「人と自分は違う存在」なのですから、考え方も意識も異なって当たり前なのです。
人に自分の考えを伝える...と言えば耳障りは良く聞こえます。
ところが、これはもしかすると自分の意識を強制する自己承認欲求かもしれません。
立場を反対側に置き換えてみますと同じことが言えるはずです。
わたしたちは、幼少期の教育から学校教育と言う名の洗脳プログラムを刷り込まれ、企業と言う名の奴隷化家畜ファームで思考能力を失ってしまいました。
これ自体が、権力者のアジェンダだったことは、どちらの立場に居ようとも否定できないものと思われます。
本来、一人ひとりの考え方や意識は、それそのものが尊重されるべきもの。
「集団の規律」といった美辞麗句に隠された権力者の統制目的のために、無理矢理に同じ方向に向かせる「悪いクセ」が抜け切れないのでしょうか。
一人ひとり、自分の考え方は違って当然なのですから、他人に振り回されないよう意識の波動を安定させてください。
自分軸が大切、自分軸で居よう。
そう語る人達自身が、その意識・考え方を伝え広めるために...という大義名分を掲げながら、結局は周囲に振り回されている姿が見えます。
いえ、これは自戒も込めて、です。
違和感があれば、それは自分の波長とは違うのでしょう。
違和感があれば、それは他の人の波長かもしれません。
自分が感じるその感覚。
自分が感じるその心地よさ。
これを、自分らしく精一杯大切にしてゆきましょう。もう時代は変わったのですから。
社会の混乱、それはもはや過去になりました。今後消滅が確定しているタイムラインからは卒業したのです。
過去アーカイブは大量に残していますのでどうぞご自由に。
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2021/07/14(Wed) 20:34:22 | New Age