近未来に何をどう望むのかを明確に

2021年3月31日、日本独特の「年度=2020年度」の終了。
過去、企業人だった頃には、分単位で寝食を惜しんで慌ただしく走り続けていたことを思い出します。
走り続けて何が残ったでしょうか。
走り続けて何を得たでしょうか。
ひたすら走って激しく疲労、激しく消耗したからビールで乾杯。
そして今日もなおMSM(メディア)から離れず洗脳され続け、従順な羊(いえ今はもうケージの鶏)であり続ける。
それも一つの生き方でしょう。ご本人が満足されている限りは。
ですが、いつまでもその繰り返しをしている限り、いつまでもその未来は変化しないのです。
それも一つの判断でしょう。ご本人がそのように意思決定した限りは。
あるいは、
今世では、そういう体験をする必要があったからこそ、そのように体験するのが必然なのでしょう。
すべては、自分自身の思考がそのまま現実となって行きます。
4月1日になれば、自動的に誰かが何か良いものを持ってきてくれるわけではないのです。
昨年2020年から、一日千秋のごとく「世の中が良くなったら...」「この混乱が終わったら...」と、念仏のように唱えている人たちは、残念ながらもう自分たちの未来を変えることが「ほぼ絶望的に」難しい、といわれます。
ここでシンクロできる多くの皆さまとは、明確に「なりたい・実現したい」近未来を描ける周波数が見出せると思っています。だからこそ、その周波数とは同期できるのですから。
この花の時期を終えると、農地には再び水が湛えられ新緑の季節を迎えます。
大自然は、いつも「あるがまま」この時、この瞬間を大切に生きています。
わたしたちは、この大自然の一員であり、さらに大きな地球の、大宇宙の一員であることを忘れてはならないと感じます。
【直前記事】
◆自然と会話するとは
【前々記事】
◆「意識」というピント調整位置
2021/03/31(Wed) 20:49:34 | New Age