光と影・表と裏の関係:二面性

先日の投稿、【二極化がダメなのではなくて】[Link]
にも書きましたが、この地球上での物事は、必ず表と裏の二面性があります。
そうした二面性・分離の「体験をするために」自分から希望してこの地球にやってきているわたしたちです。
この体験をすることにより「魂」の経験を積み・磨き上げる。という本来の目的が果たせるように、その舞台・ステージが用意されているのです。
そしてそれは、
他の人との意見の相違だとか、考え方が異なる点だとか、そうした狭い範囲だけにとどまらず、この次元で体験すること一切、すべてに「二面性」が存在していることに意識が及びます。
「言霊百神(ことたまのもものかみ)」によりますと、
日本語の五十音そのものが、全宇宙を示している。日本の言葉自体が宇宙そのものだ。と語られています。
五十音の一つひとつが神であり、どれかひとつだけではなくすべてが相互に影響し合い補完し合って対となり役目を果たす。そのような仕組みであることを知ることができます。
他方、
「大日月地神示」によりますと、
艮の金神(うしとらのこんじん)は、本来は鬼門の疫病神ではないにもかかわらずそのようなネガティブな存在として排斥することで誤った方向に導く、といった一種の洗脳を受けていたことに気づきます。
更には、本日の節分。
「鬼は外」は、本来は「鬼も福も共に内」なのかもしれない。といったことにも探求先が拡大してゆきます。
鬼は本来は悪者ではなく、それぞれ意味のある存在としての神であったこと。
豆を投げて追い払う...とは、自らの富(豆)を外へ放り出し(捨て)、鬼という神を悪者に仕立て上げ、悪意を持って追い出してしまう。といった呪詛により「本来とは正反対」の所作として日本人に刷り込まれてきたこと。
ここまでして、日本人は本来の意味とは異なる方向へ、何もかも洗脳されてきたことが見えてきます。
いまこそ、MSM(マスメディア)の洗脳だけにとどまらない、大変に深い傷を負わされてきたことに対し目を覚ます必要があります。
恵方巻...だとか、メディアに踊らされて「丸かぶり」して遊んでいる場合ではないのです。
併せて、
先の記事のように、単に「二極化はダメだ」だとか「分離はよくない」といったように、インフルエンサー的存在が語る言葉の上面だけを鵜呑みにし思考停止してしまうのではなく、自らの頭で考え・自らの直感により判断しなければ、もう新しい次元に進むことができないところに来ています。
そうした思考や判断を放棄するならば(=これを眠り続けるというのではないでしょうか)、その方ご自身が選択した道はもう分岐してしまっており、他星系での「永遠の奴隷」輪廻に組み入れられるしか残されていない、とされているのです。
彼らを放置するのは簡単です。
他人がどう叩き起こそうにも、本人の意識が起きない限り絶対に目を覚さないわけですから。
しかし、
ここで、暖かい「陽の光」を注ぎ続ける意識は持っておく必要があるでしょう。何を隠そう、他星系高次存在から同じように援助の光を受けているわたしたちです。
それをそのまま、眠り続ける彼らにも送り続ける必要があるのかもしれません。
それは、
肉体を使い波動を落としてしまうリスクを負うのではなく、意識という力によって、です。
天津菅麻音図(あまつすがそおんず)では、コインの裏と表のように、言葉そのものが全て表裏一体であることが語られています。
光と影、表と裏。
暖かい光という「おひさま」に対しては、必ず「おかげさま」という存在がある。と伝えられています。
おかげ(影)さま、は、おひ(陽)さま、があってこそ。というわけです。
二極化はダメだ、分離はダメだ。そのように叫ぶのではなく、日本と日本語、その言霊に隠された深い意味にまで意識を拡大し、いただいたご恩は、別のところ別の人たちへ、別の機会でお返しする。
おひさまをいただいたのなら、おかげさまで。とお返しする。
二面性を体験するために地球にやってきたのは、わたしたち自身の意志だったのですから、その体験を最大限に吸収し根源へ持ち帰る。
おひさまの光を受け取り、おかげさまで、と光と影の関係に感謝する。
本来の日本人の誇りを忘れてはなりません。
いつまで洗脳され踊っているのでしょう。詐欺Virusパンデミックはもう暴かれているのです。自分から意識を変え現実を創造して行かなくては、目の前の世界は、未来永劫、永遠に変化しないのです。
凍りついた池は春になれば溶けてゆきますが、凍りついた集合意識体は、わたしたち自らが溶かさない限り永遠に凍りついたままです。
【直前記事】
◆魂「分相応」の道を歩みはじめた
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◆二極化がダメなのではなくて
2021/02/02(Tue) 20:33:57 | New Age