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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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HDRの考え方を理解する

photo AKIRA MIYAMOTO
HDRと聞くと、フィルター遊びの一種だと思っている人がまだまだ多い。
極端な明暗差を一枚の中に押し込み、ありえないほどに彩度を持ち上げた加工をするフィルター(スマホアプリ)がある。

一枚の画像の中に、本来は共存できない明暗差を実現している(かのように見せている=撮影時点でnot HDR)点で、確かに「HDR風味」の一つには違いないのかもしれない。
但し、一つだけ誤解しないようにしたいのは、フィルター加工にあるHDRは見る人の「意表をつく」ことを最大の目的にしているが、一般論でいうHDRは、広範囲に及ぶ自然界の明暗差の大きなデータを、いかに肉眼で見たようなリアリティを持って再現するか。といった点を目的にしていることである。

よって、前者は「ありえない!スゴイ!」と思わせるために、HDRの範疇を超えたこともやってしまうし、上記のように撮影時点で記録されている以上にダイナミックレンジを広げることはできない。
もちろん、ヒストグラムの両端に余裕があるならばそれを目一杯拡大すれば広げたことになるのかもしれないが。

後者は、最先端の技術革新の賜物であり、エンジニアの努力の結晶である。
映像の世界では、HDRがみるみる進化を遂げていることがあまり語られないのはなぜなのか。

iPhoneの2018年モデルは、階調重視の方向へ舵を切ってきたようだ、と先日の記事に書いた。
AppleがiPhoneに託したアンチテーゼ [Link]
ハードの処理能力を持て余すことなく膨大な事前処理を行ってから画像・映像データとして保存する。という方向性は、まさにHDR時代を先読みしたものと言えるだろうし、インスタ風の「飛ばして潰して破壊する」ベクトルとは正反対に位置している。

こうした方向が好きか嫌いかを別にして、振り子は時代の流れとともにどちらかに振れて行く。
フィルター命。な方々は、確かに最近あまり見かけなくなったように感じるのは気のせいだろうか。
2018/10/22(Mon) 16:46:44 | Img Processing

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