ボケは意図的に表現するもの

卯月(うづき:4月)を迎えた。
前月は、ここの記事は一回しか書いていなかったことになる。
しばらくは山積した作業でデスクワーク中心になりそうだ。
教室の生徒さんも、個別指導の方々も、絞り特性の授業を終える頃になると決まって「50mm/f1.8」クラスの単焦点レンズを手に入れられる事が増えた。
私から推奨している訳ではないのだが、Canonの場合は、諭吉さん一人でお釣りが来るゾーンで手に入るレンズなのでハードルが低いこともある。
何より、背景ボケを活かした撮影をするには、いわゆる「ダブルズームキット」で付いてくるレンズでは困難である。
微々たるものだが、メーカーの販売促進にも一役買っているのは事実だと思う。
私の生徒さんの場合には個別にお話しができるが、web経由でメールによる質問を受けた方には、この感覚を伝えるのがかなり大変であることが多い。
---「f1.4とf1.8はどちらが良いでしょうか?」
---「f2.8ではボケないのでしょうか?」
このような質問には、答えが大変に難しい。
というか、質問の焦点が定まっておらず、表現意図も見えないので答えようがない。
背景ボケ(もちろん前ボケも)は、確かにレンズの開放f値によって差が出るものだが、その具合は、背景、被写体、そして撮影者の距離関係によるところが大きい。
f1.8ではボケなくて、f1.4ならボケるなどということはあり得ない。(差がないという訳ではないが僅少だ。また計測撮影でもしなければ判別できない程度だし、まずf1.8で撮った世界は背景を認識できないほど盛大に溶けるはずだ。)
また、f2.8でも距離関係によっては大変美しく表現できる。そもそもf2.8Lズーム自体、十分に贅沢だ。
「ボケ表現」はレンズによって、勝手にまた偶然に出来てしまうものではない。
上記の距離関係を意識して意図的に表現するものだと思う。
もちろんレンズにより差がありそれが特性だが、能動的に活用するものではないだろうか?
何か根本的なところで間違って認識していることが数多く目に付くようになった。
開放fが小さいレンズを使いさえすれば背景がボケる。というのもその一つ。
こうしたパターン認識思考が幅を利かせているように思う。
結局、こうした「九九」を覚える方式でやって行くといずれ破綻する。
「九九」で暗記しなかった場面になると「聞いてません...」となるからだ。
だから、機材を揃えても表現できない人はできないし、使いこなせない。
楽しんでやっている限り問題はないし批判するものでもないが、もっと広く深い世界があるし、それが王道ではないかと思う。
今回のカット、あるパーティの席での一枚。
お仕事で伺った会場なので私の飲み物ではないが、ここは背景ボケとその色彩バランスで、撮らないわけには行かないシチュエーションだった。
50mm/f1.4 f1.8 1/60 ISO 1250 マニュアルWB
2009/04/01(Wed) 22:14:52 | Shallow focus