「命尽きた」のは一つの転換点に過ぎない

久々に定点観測場所を訪れますと、すでに命尽きた姿を目の当たりにしました。
以前には、この切り株そのものが生きている感覚を受け取っていました。
樹木そのものとしての存在はなくても、その周囲に生きる存在と調和し共存している感覚がありました。
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【所属コミュニティに流される人たち】2021/04/06[ Link ]
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この2025年の春、その存在の生命が尽きたことを理解しました。
多くの方々がこの感覚を感じられるはずです。
しかし、ここで理解すべきことは。
それは、
物理実体がなくなっても、生命というエネルギーがそこに生き続けていたこと。そして、いよいよそのエネルギーも「この場所」を離れただろうこと。
けれどもそれは「一つの節目」を超えたに過ぎないことです。
言葉を置き換えてみます。
「死を迎えても次の舞台が無限にある」ということでしょうか。
この地においては、隷属化支配者層により、死んだら終わり。その死というものは恐ろしいものだ。
という刷り込みによって洗脳されてきた歴史があること。この地点まで理解が到達した人たちが急激に増えているはずです。
もう一つ言葉を置き換えてみます。
「生きているか死んでいるかは重要ではない:魂レベルの成長の観点からは」です。
当然、物理実体をお借りしているからこそ可能になる活動があります。
わたしがここに文字を残し続けられるのも、物理実体としてお借りしている体があるからこそ、です。
しかし、
それは物質次元・この地・この世特有の事象であって、それが至上・最高の体験ではないかもしれません。
物理実体を伴わない世界(靈界で靈人として生きる)が存在することはもはや否定できない上、それを否定し続ける発想・感覚そのものがすでに時代にそぐわない状態になっています。
どちらが良いかよくないか。という判断そのものが意味を成しませんし、現状の物理実体を持つゆえの「不自由やデメリット」も数限りなく存在します。
逆説的ですが、だからこそ、その不自由の中で学びを得られる。それを目的としてこの地にやってきているのだ。という観点を忘れてはならないでしょう。
ここまで意識と理解が到達したのなら、これまでの世の中・仕組まれて故意に操作されてきた意識の構造が一氣に白日に晒されることになります。
死は恐ろしい。死んだら終わり。
そのような洗脳。
結果として、その恐怖によって支配し、永遠にその隷属化の世で転生し続ける仕組み。
その媒体としての宗教・教育・貨幣経済、そして仕組みの裏側に張り巡らされた、これでもか!というほどの病・医療の闇。石油や電氣エネルギーに関する偽り、食べるもの・空氣から水から、徹底的に...。
これらの洗脳から離脱するために。
見事な展開が、現在いまこの瞬間に某国で実行され続ける制度改革に代表される、過激なまでの開示と改善のための法制化に現れています。
しかし、それらはあくまでも物理実体次元での話。
これまで騙され続け、ようやく眠りから目を覚まそうとする人たちに向けた方策・政策に過ぎません。
この段階を越えた(学びとして体得した)者にとっては、その先を見据えて活動せねばなりません。
生きているか死んでいるかは、さほど重要ではない。そういった仕組まれた恐怖の波動だけにフォーカスしない。という点です。
ここ数日、やかましいほどに綴り続けています災害に関わる話題。
そこにフォーカスし騒ぎ立てることが如何に劣悪な行為であるか。
心が生み出すエネルギーについて、そのほんの触りの部分だけしか知らずとも、その重大さ・責任の重さについて判るはずです。
この先に不要なエネルギーを生み出さない。
それは、頭で理解していても、意識がそこに合致した瞬間に、自分自身でその波長にシンクロするものを盛大に増幅し続けます。
いつまでも害悪になるようなエネルギーを生み出し・叫び、でゃ!我はインフルエンサーなり〜。てな行動が、どれほど巨大な負のエネルギーを生み出しているのか。
みんなで騒げば現実にならない都市伝説...などと目に見えないフィールドに生み出した負の力、一度生じれば永久に消えることのないネガな波動を生み出してしまった責任を放棄して。
そして、その恐怖に基づく波動を生む以上、悪とされる隷属化を仕組んだ存在と同じことを行い、同じ罪を重ねていることを。
恥を知るべし。
この次・この先に心がけたいのは、
もう恐怖に基づく波動を生み出さないこと。発言に責任を持つ旧い時代は終わり、意識と生み出すエネルギーに責任を持つ時代へ変わったこと。
さらに、
生きているか死んでいるか、という物理次元オンリーな限定的意識を超越する感覚に移行すること。
そして、
それらは「一つの節目」であることを理解したのなら、その一つひとつの節目と節目との間で「どれだけ意味のある体験」をし「どれだけ精神性を磨き拡大上昇できたのか」、「如何に魂レベルを高められた」か。
ここを認識すればこそ、くだらない情報で踊る、自らそれを掲げて自己顕示欲を満たす、など愚の骨頂であることを知ります。
一つの区切り。
その区切りがまもなく訪れます。
どれだけ学びを得られたでしょうか。少なくとも、一夜漬けで届くレベルの学びではない集大成を披露することになります。
わたしは・あなたは、どれだけの成果を披露できるでしょうか。
振り返るとともに、物理実体から抜け出した「先に卒業してゆく生命存在」に拍手を送り、あと残された寿命を目一杯生きてゆきます。
そして、ともに生きる存在に役に立てるよう望ましい波動を維持することを誓う次第です。
2025/04/28(Mon) 11:38:59 | photo blog